みんなみすべくきたすべく

言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである

水ぎせるj
(承前)
 「月曜物語」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)は、第一部「幻想と物語」第二部「空想と追憶」で構成されている短篇集です。
 昨日の「最後の授業」➡➡は、第一部に、先日の「クリスマスの物語 -マレー街の降誕祭の祝宴」➡➡は第二部に入っていました。

  訳者解説によると
≪第一部は、舞台を当時のパリとアルザス地方にとり、おだやかな美しい筆で、しかも時にはするどい風刺をもって、こまやかな人情を描いている。また第二部では、詩人である作者が、さらに視野を広めて多くの幻想や追憶を語り、叙情的な筆はしばしばものの哀れを感じさせられる。≫とあります。

 そうなのです。この短篇集、きらきら光る小さな大事なものが詰まっています。どれもとても短い話なので、どこから読んでもいいという気楽さもあって、電車用に持ち続け、読み返すものも多かった一冊でした。

 「対象宿」という話の中に
≪言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである。≫とありました。
 隊商宿という言葉からイメージするもの、実際にそこで滞在した時のことを書いています。
 イメージしたのは、≪隊商宿(カラバンセライ)という美しい言葉、千一夜(アラビイランナイト)に描かれたあの夢幻的な東方諸国が目もくらむばかりに織り混ぜてあるこの言葉は、私の想像の中に、アーチが幾つも横にあけられた長廊下や、つやぐすりをぬった陶器の敷石の上に、涼し気に繊細な噴水が憂うつなしずくをたらしている、しゅろの植わったモールふうの中庭を作り上げた。そのまわりでは、旅行者が上ぐつをはいてむしろの上に横たわり、露台のかげできせるをふかしている。そして、この静けさの中を、隊商の上にそそぐ暑い太陽の中を、じゃこうや、やけた皮や、ばらの香水や、金色のたばこの重苦しい香りが立ちのぼっている……≫

 で、実際には≪代わりに私が見たのは、パリ付近の古い宿屋のように、ひいらぎの枝を看板につけ、玄関のわきには石の腰かけがあり、中庭や、納屋や、穀物小屋や、うまやのたくさんある、荷車引きの立寄所、駅馬車の宿、といった街道筋の宿やだった。アラビアンナイトの夢とはだいぶ隔りがある。≫

 ところが、ドーデ―は、この寂しい宿屋の魅力、絶景を感じたことを書き続けます。華美な言葉の連なりではなく、小さなこと、細かなことを、書き重ねていくことによって、我々、読者を隊商宿へと連れて行ってくれるのです。

 ≪言葉というものは、いつも実際の物より詩的なものである。≫といいながら、実際のものを目に見えるように書くドーデ―の筆力に、惹かれます。(続く)
☆写真は、スイス トゥーンの街の水ギセルのショーウィンドー 
 

PageTop

最後の授業

最後の授業j
(承前)
 「月曜物語」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)を紹介するなら、いえ、ドーデ―なら、「最後の授業」を忘れてはいけません。が、この短編の入った「月曜物語」も、ずーっと本棚の隅で眠っていた・・・

 昔、教科書か何かで読んだような気がしますが、今や、教科書に採用されていません。それは、フランス人ドーデ―が書いた「最後の授業」の大骨である、アルザス地方のフランス語がドイツ語に強制的に変えられるという話の内容が、実は誤っていて、史実ではないということが日本の教科書にふさわしくないと判断された経緯があるらしいのです。

 が、しかし、この話の誤った史実や、たとえ、ドーデ―の愛国心がそう書かしめたのであったとしても、この話に流れる国語というもの、国語というアイデンティティの問題は、若い人たちにも伝わりやすく、深く考えるきっかけになる話だと思います。

≪それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。≫

 だからといって、誤った史実を伝えるのもおかしいのですから、物語の注釈をしっかりつけ、なにゆえ、誤った史実を書かしめたのかということを考えるきっかけにしてもいいのではないかと思うのです。

 ≪…私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある、明日勉強しようって。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう・・・ああ!いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした.…≫ (続く) 

PageTop

秋の妙顯寺 

みょうげんじ3j
(承前)
 本法寺、妙覺寺、宝鏡寺、最後は、妙顯寺に行きました。
みょうげんじ4j
 中に入り、廊下を曲がると、目に飛びこんできたのが、白砂と紅葉。うっ!き・き・きれーい。
 妙覺寺の木の下に紅葉の葉で覆われているのも風情があってよかったけれど、この白砂に紅葉もさすがです。

  みょうげんじ2j
 春の妙顯寺➡➡の時に、撮った勅使門の角度が違うのは、桜のあるときの写真の向き、紅葉のあるときの写真の向きの違いです。つまり、勅使門の辺りは、春と秋、彩られるということですね。
 *勅使門:天皇の勅使を伝える人の通る門。写真中は、庭から見た勅使門。写真一番下は、中庭の外から見た勅使門。
みょうげんじ1j

PageTop

宝鏡寺

人形寺1j - コピー
(承前)
 妙覺寺、妙顯寺、本法寺に行こうと出かけたのですが、あれあれ、本法寺の南門も綺麗なぁと近づくと、いえいえこれは本法寺ではなく、宝鏡寺。人形寺で有名な尼寺門跡寺院(皇女が出入りする寺院 別名を百々御所)。
 なにゆえ、百々御所というかは、この寺院の脇に、かつて小川(こがわ)が流れていて、かつてそこに百々橋が掛かっていたからです。で、その百々橋や小川(こがわ)、ここより東、一条戻橋までは「応仁の乱」の、西軍山名方、東軍細川方の主戦場となった・・・(案内板参照)

 さて、宝鏡寺秋の公開だったので、紅葉というより、お人形鑑賞。
 古いお人形や、室内におわします昔のお姿の実物大のお人形たちに、時々、どきっとしながら、拝観しました。
 人形だとわかっていても、このドキドキする気持ち。これが、人形を、適当に処分するのではなく、供養する心につながっているのが、よくわかりました。
 
 ☆写真上、人形塚の左に写っているのは、下にも写るタチバナ。そう、「右近の橘」です。反対側には左近の桜も植えていたそうですが、枯れてしまって今はありません。
人形寺2j - コピー

PageTop

猪の阿吽

いのしし1j
(承前)
 次に行ったのは、春に涅槃図を公開していた本法寺。
 京都のお寺の境内の多くには、小さな鳥居があって、神仏混合の様相をなしているところが多いのですが、ここには、ん?猪の「阿吽像」。
 こんなの初めて見た!可愛い!春の時は、桜に見とれて、気が付きませんでした。
 
 この阿吽の猪があるのは、本法寺摩利支天堂。ここには、十二支の亥(猪)が仕えていて、その由縁から亥の日には亥の子大祭が年に何度か縁日としてある模様。この日に参内すると、ご利益があると信じられています。そして、その縁日とは、神仏との有縁の日のことだと悦明にありました。(続く)
あうんj

PageTop

妙覺寺

みょうかくじ2j
(承前)
 春には行かなかった妙覺寺。今回、行ってよかった!
 中庭には、そりゃ、そりゃ、みごとな紅葉。
 真赤な紅葉じゃなく、ちょっと朱色や黄色。
 明度の高い色合いで、庭全体が明るがく、優しい。
みょうかくじ3j
 まったく知らなかったのですが、ここ妙覺寺は、織田信長の妻濃姫の父、斎藤道山が幼少期に得度出家した寺で、その縁で、織田信長の京都での定宿になっていたようです。京都に20数回訪れ、その18回が妙覺寺らしい。
 寺の説明文には、
【・・・・信長というと「本能寺」というイメージがありますが、実は本能寺には三回しか泊まっていません。その三回目に明智光秀に襲われるのです。・・・・(中略)・・・・定宿だった妙覺寺に泊まっている時に襲われたら「妙覺寺の変」ということになってもっと全国的に有名なお寺になっていたかもしれません。】

・・・というわけで、全国的に有名なお寺になっていないおかげで、静かで豊かな時間を過ごすことができました。(続く)
   みょうかくじ1j

PageTop

紅葉より団子

   もみじ2j
春に行った鞍馬口の本法寺と妙顯寺➡➡。満開の桜、しかも京都なのに、人が少なくて、いいお花見だったので、紅葉のこの季節にも、行ってみました。京都のたいていの桜の名所は、紅葉も期待できるのです。(下の写真は、前に枝垂桜。後ろに紅葉)
はるにはしだれj
 春には行かなかった妙覺寺も合わせて、三つのお寺が、夜には、紅葉のライトアップをしているようですが、平日の昼間、やっぱり、全然、人が居なくて近辺静かです。
 桜も紅葉も,どこで見ても綺麗けれど、京都の歴史と共にある桜や紅葉は、また格別。

 春に次いでなので、今度は道にも迷わず、楽しみました。裏千家と表千家の並ぶエリア➡➡で、ちゃーんと美味しいものも食べましたしね。花より団子、紅葉より団子。(写真は、釜揚げ団子です。)(続く)
もみじj

PageTop

ラモーのメヌエット

    ドーデ―j
(承前) 「風車小屋だより」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)の中で一番可笑しかったのが、「三つの読唱ミサーークリスマスの話」➡➡でしたが、この短編は、ドーデ―の「クリスマス物語」の中の一篇であると解説されています。
 そして、その「クリスマス物語」の中のもう一篇が「マレー街の降誕祭の祝宴」という短編で、「月曜物語」(ドーデ― 桜田佐訳 岩波文庫)に入っています。

 こちらは、ディケンズの「クリスマスブックス」の中の「クリスマスキャロル」を意識したのじゃないかと思わせる内容です。
 タイトルの「マレー街・・・」からして、スクルージ&マーレイ商会のマーレイを思いだしたし、かつての館の住民たちが幻想(幽霊?)として現れるところもよく似ています。ただ、クリスマスキャロルより短いお話なので、その場の雰囲気は伝わるものの、スクルージの心の変遷を描いたものに比べ、二代目マジェステの心の深みを読み取るまではできません。しかしながら、ロンドンの幽霊やそれが見せたもの、フランスの幽霊とその登場場面の違いは楽しめるかと思います。

 かつて繁栄していたネーモン家のお屋敷が今や炭酸水製造者の倉庫兼工場兼住宅となっていて、その頃の紋章は炭酸水の商標に。
 そんな屋敷に、クリスマスの祝宴を終え、鼻歌を歌いながら家路についたマジェステ氏。
 そこで見たものは、
≪・・・・次第に炭酸水のあわが彼らを元気づけ、興奮させ、彼らに踊りたい気持を起こさせた。メヌエットが組み合わされた、ネーモン氏が招いた四人のじょうずなヴァイオリンひきがラモーの曲を始めた。全部が三連譜で、急調の中に軽い憂うつなところがある。美しい老婦人たちが静かにまわって荘重な楽の音に合わせてあいさつするのは見ものだった。この音楽のために彼女たちのお化粧も衣装も若返り、また、金をちりばめた胴着、金の飾りのあるの礼服、ダイヤモンドの留め金のついたくつも若やいだ。羽目板までがこの古曲を聞いて生き返ったように見える。二百年も前から壁に閉じ込められている古い鏡もこの歌が分かると見え、すっかり傷んで角が黒くなってはいるがものやわらかに輝いて、踊る人たちのしみじみした昔をしたう淡い姿を映している。こういう典雅さの中で、マジェステ氏は当惑してしまった。彼は箱の後にうずくまってながめている・・・・だんだん夜があけてきた。倉庫のガラスをはめた戸口から、広場が白んできて、それから窓の上、その次ぎに部屋の一方がすっかり明るくなるのが見えた。光が差し込むにつれて、人々の姿が消えて行き、見分けられなくなって行った。・・・・・≫

 それで、このラモーのメヌエットなる曲を知らなかったので、WEBで聴いてみましたら、うーん、すっかり気分はバロック。(続く)

☆写真は、スイス グリュイエール城

PageTop

バラゲール僧正の物語

台所j
 (承前)
「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)
 ドーデ―のユーモアと自然描写が魅力の短編が入っている「風車小屋だより」ですが、
 一番可笑しかったのが、「三つの読唱ミサーークリスマスの話」
 クリスマスのミサのあとの、ごちそうの話を聞いた僧正。
 その日、悪魔が僧正をうまく誘惑し、恐ろしい「どん食」の罪を犯させるかのように、話は進みます。
≪僧正は城じゅうの小さな聖器室で式服を着終った。そしてこのうまそうな有様を聞かされてすっかり心が乱れ、着物を着替えながら繰り返しこうつぶやいた。七面鳥の丸焼き・・・・金色のこい・・・・・こんなに大きなあゆ!・・・・≫

≪急ごう、急ごう・・・早く終われば終わるほど早く食事にありつける、と言っているように聞こえるあのやかましい小鈴ではないか。とにかく、この悪魔の鈴が鳴るたびに、僧正はミサを忘れてレヴェイヨンの事ばかり考える。ざわめく料理人、火の真赤におこっているかまど、ふたのすき間から立ちのぼる湯気、そしてこの湯気の中に、腹いっぱい松露を詰めて張り切った、二羽のすばらしい七面鳥・・・≫

≪三番目のミサが始まる。食堂に行くためには、もうあとわずか歩けばいいのだ。ところが残念!レヴェィヨンが近づくに従って、、不幸にも、バラゲール僧正はとても食べたくてがまんしきれなくなった。幻影はますますはっきりと現われて、金色に輝くこい、蒸焼の七面鳥が、それ、そこに・・・目の前に・・・ああ!・・・さらには湯気が立ち、ぶどう酒は薫る。そして、小さな鐘は、やたらに鈴を振って叫ぶ。ーー早く、早く、もっと早く!・・・しかしどうして、もっと早くできる事ができるか!くちびるを動かすばかり。はっきりした言葉は言われない…早くやるには神様をだましてミサをごまかすのでなければ・・・・・・・・ところが、それをしたのだ、この不届き者は!・・・誘惑の加わるにつれて、まず一節とばし、続いて、(後略) ≫(続く)
☆写真は、スイス グリュイエール城の厨房

PageTop

こどものとも

かきj
(承前)
 「おおきくなったら」⇒⇒にしても、「しゅっぱつ しんこう!」⇒⇒にしても、「くだもの」⇒⇒や「いちご」⇒⇒にしても、うちの一代目は、月刊の福音館こどものとも年少版でした。
 いずれも、セロテープで補強しているものの、要はボロボロ。
 それは、今に始まったことではなく、この家に引っ越してくる前の家でも、そんな状態でした。
 
 その収納の多い一戸建ての家から、収納の少ないマンションに引っ越すとき、たくさんの本を整理処分しました。
 そんな中、子どもたちの誕生から購入し続けていた「こどものとも年少版「」他、「「かがくのとも」や「たくさんのふしぎ」に至るまでのペーパーバックの月刊誌は、傷みもあるし、玉石混交でもあって、整理処分対象になりました。
 が、子どもたちに段ボール箱いっぱいのペーパーバックを見せると、
 「うーん、これは捨てたらだめ」
 「これは大事にしなきゃ」
 「あ、これこれ 懐かしいなぁ」・・・
 などと、三人三様で、何冊かずつ選びだしたものですから、さきの「おおきくなったら」などなどは、今も我が家にあるというわけです。

 その後、我が30歳代の3人の子どものときにはなかった赤もちゃんえほんというジャンルが、日本の市場にも登場し、月刊「こどものとも0・1・2」(福音館)というものもでました。これは、ページ数は少ないものの、ボードブック(厚紙でできている)なので、購入し続けたら、もっと凄いことになっていただろうと思います。

☆写真上は、1週間に一度通る道に、たわわに実る柿、なのですが、もう3週間も誰も鳥も食べずに、ずいぶん熟しています。渋柿だろうか・・・写真下も、同じく1週間に一度通る道の山茶花。遠く向こうは大阪平野。

かき2j

PageTop

絵本「いちご」

いちごj
(承前)
 「しゅっぱつ しんこう!」(山本忠敬さく 福音館)⇒⇒は、ボロボロになったペーパーバックの年少版こどものともでしたが、孫のために新しい1冊を購入。
 「くだもの」(平山和子 福音館⇒⇒も然り。
 が、未だ、ボロボロのままの1冊ながら、孫のお気に入りが、「くだもの」と同じ作者の「いちご」(平山和子 福音館)です。
 ペーパーバックの、その本も、他の二冊同様、表紙と中身が外れたもののですから、セロファンテープで修理。そして、経年劣化したテープは色づき、凄い1冊に。
 この絵本がボロボロになったのは、長女(孫の母親)が大好きな絵本だったからです。
 そして、いま、長女(母親)が読むその中身に、劣化はなく、最後のページで、いちごがみんな「さあ、どうぞ」「さあ、どうぞ」「さあ、どうぞ」・・・と、言い出す楽しさは、やっぱり、そのまま。いちごの好きな子どもの心を誘います。
 
 今は季節外れのいちごですが、先日、冷凍いちごで、ヨーグルトにかけるソースを作ってみました。すると、どうでしょう。秋の香りとはまったく違う、苺の甘い甘い香りが漂いました。
 いちごの好きな大人の心を誘う香りでした。「さあ、どうぞ」
☆写真は、英国 ケルムスコットマナーのいちご⇒⇒

PageTop

しゅっぱつ しんこう!

 しゅっぱつしんこうj
「しゅっぱつ しんこう!」(山本忠敬さく 福音館)

この絵本のことを書くのは、30年以上ぶりかもしれません。今や、30代半ばを過ぎた長男が、大好きだった絵本です。うちのは、子どものとも年少版のペーパーバックですから、ボロボロもボロボロ。
 
 「しゅっぱつしんこう!」はおかあさんとみよちゃんが、特急列車に乗って、急行列車に乗り換えて、普通列車に乗り換えて、おじいさんの家に行く話です。新幹線さえ出てきません。自動改札でもなく、みよちゃんが手渡しで、改札の駅員さんに切符を見せて駅にはいるところから始まっています。うちは、当時、自家用車ではなく、電車利用だったということも大きな関心につながっていたかもしれません。

 さて、先日、同じ福音館こどものともの新刊で、ロンドン二階建てバスを扱ったペーパーバックが出版されたとき、この30年以上の年月を思い、「隔世の感」があるなぁ・・・と、思いました。絵本のなかの街は、ロンドンという、異国の地。おとうさんとおでかけに二階建てバス。乗車は、カードをかざし、「チケットプリーズ」と車掌さんが回ってくると、マシーンにカードをかざします。ロンドン市内観光の雰囲気も漂う絵本です。

 そこで、その「隔世の感」の新刊を長男に見せますと、「これって、ただ乗ってるだけのお客さんやん」と言います。確かに、カードをかざし、窓から見えるものを楽しみ、日本ではほとんど見ることのない赤い二階建てバスに乗っているお客さんの男の子とお父さん。
 長男は続けます。「これより『しゅっぱつ しんこう!』やろ。あれは、いい絵本や。自分が運転手のような気分になれる。」「あの『出発 進行!』という言葉がええねん」

 確かに…英国の二階建てバスの二階の一番前の席は、眺めも良くわくわくするスペースです。が、子どもは、移り変わる景色より、乗り物そのものが、一番の関心事なのだと思います。
  
 うちでは、長男以外の二人の女の子は、長男ほど、この「しゅっぱつ しんこう!」を読んでいなかったような気がします。男の子は乗り物好きやからね、長男は保育所に電車で通っていたからねなどと、勝手に思い込んでいました。

 ところが、孫の女の子、この「しゅっぱつ しんこう!」が大好きなのです。何度も読めとせがみます。特に、「出発進行!」と文の中で3度繰り返すのですが、その度に、小さなこぶしをあげ、「しんこー!」と言います。自家用車移動で電車をほとんど利用したことのない子が、「しゅっぱつ しんこう!」の絵本を楽しむのです。

 おじさん(長男)がいうように「出発進行!」という言葉の臨場感。それを楽しんでいるかのようです。(続く)
☆写真は、「きゅうこうれっしゃ しゅっぱつしんこう!」のところで、こぶしをあげています。

PageTop

海を見つめることによってすべてを忘れ

鳥j
(承前)
 「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)
 この短篇集には、自然描写が生き生きと描かれているものも多く、また、自然の中で感じる喜びを伝えてくれるものもあります。
「サンギネールの灯台」
≪・・・・ミストラルやトラモンターヌのあまり強くない時は、かもめ、いそひよどり、つばめなどを友に、波の面にすれすれな二つの間へ行ってすわる。そうして、海を見つめることによってすべてを忘れ、快く身を打たれたようになって、ほとんど終日ここで過ごすのであった。諸君もおそらく御存じであろう。あの魂の美しい酔い心地を。考えるのでもない、夢を見るのでもない。身も心も我を逃れ出で、飛び去り、散り失せる、我身は、水に潜るかもめ、陽を受けて二つの波頭の間に漂う水のあわ、遠ざかり行くあの郵便船の白い煙、赤い帆かけたさんご船である。この波の珠と砕け、かの雲の一片(ひとひら)と流れる。すべてありとあらゆる我ならぬものに・・・・ああ、この島に半睡(まどろみ)と忘我の快い時をいかばかり過ごしたことか!・・・・   風の荒れる日は、みぎわには居られないから、隔離所の中庭にこもった。;;や野生のにがよもぎの豊かに薫る、ささやかな寂しい庭であった。ここで、古い壁によりかかって、私は静かに、荒廃と悲哀のほのかな香りの身に襲いかかるにまかせた。その香りは、古代の墓地のように口の大きく開いた石造りの小屋の中を、陽の光とともに漂っていた。時々、何かとびらをたたく、草の中を軽く跳る・・・それは風を避けて草をは食みにくる一匹のやぎであった。私を見て驚いて立ちどまる。そうして、根が生えたように、目の前にじっと立っている。活発な様子。角を高く立て、あどけない目で私をながめながら・・・    五時ごろになると、番人のメガフォーンが夕食に呼ぶ。そこで私は、海にのぞむ急な斜面に生い茂った木立の細道をたどる。そうして、登るにつれて広がるように見える。水と光の無限に広い水平線を一足ごとに振り返りつつ、ゆっくりと灯台の方へ帰るのである。≫*まんねんこう・・・まんねんろう。ローズマリー。

 目に見えるような描写は、読んでいる者をその汀に連れて行き、見えるもの、聞こえるもの、香るものを身近に感じさせてくれます。特に、最後の一行は、自然の雄大さと、心の穏やかさが表現されています。(続く)
☆写真は、芦屋川河口。

PageTop

風車小屋だより

ヤギj
(承前)
 「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)も、30年前に購入した文庫ですが、これは、多分絵本の「スガンさんのやぎ」(ドーデ―作 岸田衿子訳 中谷千代子絵 偕成社)から、近づいた文庫だったと思います。
 「スガンさんのやぎ」・・・うーん、これは昔話風とはいえ、結末が子どもの本として、どうなんだ?
 それに、中谷千代子の描くやぎの優しい画風はいいものの、彼女の作品に多い突っ立ったままの登場人物は、物語る絵本として、どうなんだ?などと考えた結果、原作は?と思って読んだのだと思います。

 結果、原作が「おおかみは子やぎに飛びかかって、彼女を食べたのである。」となっているものの、絵本では、「動かなくなった」と書くことで、わかるでしょ、勝手なことしたらどうなるか、狼と何時間も戦ったとしても子ヤギではね・・・・と、直接的な表現で終わっていません。
 あんなに頑張ったのに・・・現実はね・・・・という後味が悪い。まだ、原作の方が、すっきりわかりやすい。これは、昔話にも言えることですね。
***「スガンさんのやぎ」の絵本は西村書店からエリック・バトゥー絵(ときありえ訳)ででも、出ています。こちらは、お話も原作にかなり近く、絵も美しいものの、やっぱり、原作の「はア暁方にゃ、おおかみめ、やぎっ娘を食っちまっただア。」という最後に、ぴったりという絵ではないと思います。

 「風車小屋だより」には、「スガンさんのやぎ」以外にも20以上の短編が入っている文庫本です。モーパッサンやモームのように人生の機微や心理に近づく面白さというより、美しい自然描写とちょっとしたユーモア(エスプリというのか?)を楽しむ短篇集です。

  20余年放置されていたプロヴァンスの風車小屋を買い取って、そこに住み始めたドーデ―。
 パリに住む友人に手紙を書いて「まあ、きいてくれたまえ」と報告する形をとる「風車小屋だより」。
 パリとは違う、自然の美しさに触れ、あるいは、土地の生活に触れ、新鮮な眼差しで書いています。(続く)
 ☆写真は、スイス ミューレンの牧草地

PageTop

アルルの女

ほんやj
  「アルプスのタルタラン」(ドーデ―作 畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡の後、「アルルの女」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)を読みました。これも、20年近くほおっておいた文庫本。

 ビゼーの「アルルの女」組曲のもとになった戯曲ですが、ドーデ―の書いたものと、ビゼーの曲が、ぴったりという感じでないのは、お話の方は、結局、姿を現さないアルルの女以外の行動や心の動きも読み取るのに比べ、ビゼーの方は、可視化されていない「アルルの女」を表現しているようで興味深い。(といっても、ビゼーの「アルルの女」に詳しいわけではないけれど)

 いずれにしても、「アルルの女」というのは、悪女・・・ということになっています。フランス文学をここ何年か読むようになって気付くことは、多くの場合、どこそこの悪女を設定し、主人公の男性に起こる問題の根本は、悪い女がいたからやん・・・という設定が多いと思われます。この後、読んだ「サフォーパリ風俗」(ドーデ― 朝倉季雄訳 岩波文庫)も、然り。
 引っ掛ける方も悪いけど、引っかかるのも思慮が浅いなぁ・・・などという視点を100年以上も前の男性作家が持っているわけもなく、あるいは、当時の読者の多くも、やっぱり、悪女はあかんなぁ・・・と。
 ジェンダーにうるさいわけではありませんが、やっぱり、こと男女間に関しては、その単位で、平等だと思うし、そうでなければならないはず。

・・・と、ぶつぶつ言うより前に、書いておかなくちゃいけないのが、端役なのに、結構重要な役回りの「ばか」と呼ばれる子どもに、羊飼いのおじいさんが、おはなしをしていた設定なのですが、それが絵本にもなっている「スガンさんのやぎ」(ドーデ―作 岸田衿子訳 中谷千代子絵 偕成社)。
 夜っぴておおかみとたたかったスガンさんのやぎ。夜が明けたら、おおかみに食べられてしまったスガンさんのやぎ。「アルルの女」での挿話として、示唆に富むのか、単に意味深なのか。
 「スガンさんのやぎ」の掲載されている「風車小屋だより」(ドーデ―作 桜田佐訳 岩波文庫)も、久しぶりに読んでみました。(続く)
☆写真は、レマン湖畔ヴェヴェイの本屋さん

PageTop

まるで長くて はでな吹き流し

北斎2j
(承前)
 写真上は、北斎の富嶽三十六景「隅田川関屋の里」 下は、ランドルフ・コルデコットの「ジョン・ギルピンのゆかいなおはなし」(ウィリアム・クーパー文 ランドルフ・コルデコット絵 吉田新一訳 ほるぷ)の一場面。
 北斎(1760~1849)は、長生きで、しかも、最後まで力を発揮できた日本の画家。
 ランドルフ・コルデコット(1846~86))は、長生きとは言えない英国の画家。

 片や、日本の浮世絵師。片や英国で、エドモンド・エヴァンスという彫版師(彫師、印刷)のもと、仕事をした挿絵画家。
 馬の疾走の絵ですから、特段、ジャポニズムの影響云々をかざさなくてもいいと思いますが、北斎の富嶽三十六景「隅田川関屋の里」を見ると、コルデコットを思い出すのです。

 そこで、今回、どの絵だったかな?と「コルデコットの絵本 復刻版 全16冊」(福音館)を探してみました。
 3頭の馬の疾走だから、「3人のゆかいな狩人」(The Three Jovial Huntsman)だと勝手に思い込んでいました。が、何度か、3人の狩人たちが馬で疾走はするものの、北斎そっくりという感じではありません。
 それに比べて、「ジョン・ギルピンのこっけいな出来事」(ジョン・ギルピンのゆかいなおはなし)は、馬は一頭ながら、ジョン・ギルピンがマントを翻して馬で疾走するシーンが、北斎のそれに似ているのです。

 北斎にしても、コルデコットにしても、生き生きと物語る絵という点で共通していて、どちらも何度見ても、楽しい。

≪・・・「まあ そういそぎなさんな!」と彼が声をかけても効き目はなく たずなをあれこれ引いたけど だく足は すぐギャロップになる    こうなると ギルピンは前かがみ  まっすぐにすわってはいられず  両手で たてがみに しがみつく 力いっぱいしがみつく   馬のほうは そんなぎょし方を されたことがないので 背の上に 何をのせているのか ますます疑いをつよめた   ギルピンは  もう命がけ 帽子とかつらが吹っとんだ 出かけるときにはこんあ目に あおうなどとは思わなかった    風を切るので マントはばたばた まるで長くて はでな吹き流し あげくのはてに ボタンははずれ マントはさっと吹きとんだ・・・・≫
(復刻版解説書 吉田新一訳)

PageTop

北斎展

   北斎1j
(承前)
 とはいえ、やっぱり大阪あべのハルカス美術館の北斎は行っておかなくちゃ・・・
 そうなのです。実は、会期前半に一度行ってみたのです。がしかし、チケットの列、入場の列にひるみ、北斎は今までたくさん見てきたし…娘の応為も何枚か見てるし・・・まだ見ぬ「濤図」はいつか小布施で、見たらいいし・・・と、あきらめたものの、やっぱり、やっぱり、「広重展」⇒⇒に行ったのに、「北斎ー富士を越えて」展(~2017年11月19日)に行かないのは、片手落ちのような気がして、チケットはコンビニで先に入手して、並びました。

 およそ1時間、やっと入れても、当然、凄い人並み。行くと決めたときから、見たいものは決めていましたから、並んだ時間に比べ、館内に居たのは、ほんの少し。
 北斎の富士と大波のコーナーは、有名どころの浮世絵中心なので、見るのも列をなしていました。
 北斎60歳から90歳までの作品に焦点をあてたこの「北斎ー富士を越えて」展は 浮世絵だけでなく肉筆画も多く、大阪とロンドン大英博物館だけで開催するには、もったいない充実感。
 
 娘、応為の「吉原格子先之図」⇒⇒は 後期のみ展示で、小さな作品には、より多くの人だかり。
 隣にあった「関羽割臂図」は、クリーブランド美術館蔵だったので、この際、見ておかなくちゃと行ったのです。応為の絵は、北斎に比べ、極端に少ないのです。が、この絵の前では、わりと空いていて、しっかり見ることができました。
 当時の女性の絵とは思えないような、力強いタッチで、恐ろしい光景を描いているのですが、背景の食卓を見ると、細やかな食材が。一枚の絵の中に生き生きとした物語が描かれるのは、父親の北斎を受け継いでいるのでしょうね。

 また、小布施の「濤図」は、思い通り、生き生きとした波がしらが元気をくれました。これは、やっぱりいつか、小布施に行ってみなくちゃね。
 で、一番最後にあった「雪中虎図」は、北斎90歳の作品。これ上記写真左に写るものですが、これこそ、実物見てよかった・・・とげとげしさのまったくない自由で喜びに満ちた虎が愛おしい。(続く)
 

PageTop

広重展

広重j
 北斎関連の絵画展が大阪でも、東京でも開催されていますが、とりあえず、混雑する北斎ではなく、近所の芦屋市立美術博物館で開催されている「生誕220年 広重展ー雨、雪、夜、風景版画の魅力をひもとくー」(~2017年11月26日)に行きました。

 近年、美術にも関心が出てきた夫が、急に見に行くと言い出したのは、単に家から近いからだけではなさそうでした。
 カ・リ・リ・ロが、まだ行った事がない東京のすみだ北斎美術館に、彼はすでに足を運び楽しんだようでしたから、もう一人の浮世絵師の広重を見たいと思ったのでしょう。

 保永堂版東海道五十三次之内(全揃)のほか、江戸名所絵など、広重のいろんな版元の浮世絵が並んでいました。サブタイトルにあるように、雨や雪や夜の美しい風景が、あるいは、当時、流行っていたちょっとした旅の観光地案内のような風景画、どちらも、丁寧な作りではありますが、最後の方は、目も疲れ(すいているので、まじかで丁寧に鑑賞)、眠たくなってくる始末。ふー・・・・

 白雨(にわか雨)の絵など、動きがあるものは好きですが、観光案内みたいな版画は、たくさん見ると、真面目な作風に退屈してくるのかも???
 広重が仕事のできる人であるのは分かるものの、個人的には、やっぱり、北斎の人を喰ったような可笑しさが好みです。北斎は、どの人ひとりとっても、生きていると感じることができるのです。で、そこにストーリーを読みの取ることができます。

 北斎と広重を並べて展示していた2006年の京都文化博物館他の「北斎と広重展」は、そういう意味で、勉強になった展覧会でした。が、しかし、かの夫にしても、「北斎の方がいいなぁ」とつぶやいておりました。(続く)

☆写真は、2006年「北斎と広重展」(京都文化博物館)の図録の広重「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」のページを広げ、上のポストカードは日本橋雪中、下のポストカードは「庄野 白雨」、左は今回の「広重展」案内紙。

PageTop

蓮華寺

蓮華寺1j
 10月は台風が続けてきたりして、晴天の日が少なく、やっと秋らしい晴天が続いて、いい感じと思っていたら、その一日だけ、何故か雨。お天気女も、お稽古の度に晴れるわけもなく、ま、仕方ない、と行ったところは、京都大原三千院、ではなく、その手前、八瀬と三宅八幡の中間にある洛北 蓮華寺という小さなお寺。
蓮華寺2j
 解説によると、元は今の京都駅付近にあったこのお寺、応仁の乱(!)後、荒廃していたのを1662年に移転とありました。再興の際には石川丈山他、当時の文化人の協力があったとも、ありました。
 ということで、本堂も庭園もこじんまりはしていても、紅葉時期は、楽しみなところ。
 今回は、少し早かったのですが、さらに紅葉が進み、お天気に恵まれれば、静かでいいところ。
 小さなお寺の大きな銀杏の木は、すでに黄色くなっていました。
蓮華寺4j

PageTop

やわらかく ゆでて くりーむ

       もんぶらん栗 35
(承前)
 ≪「どんぐりを かご いっぱい ひろったら おさとうを たっぷり いれて、にようね」
 「くりを かご いっぱい ひろったら、やわらかく ゆでて、くりーむに しようね」≫
 この言葉は、「ぐりとぐら」(中川李枝子文 大村百合子絵 福音館)です。
きりきんとん1j
 秋になり、栗が店に出回ると、ぐりとぐらのこの言葉を思い出します。
 ましてや、ケーキ屋さん、和菓子屋さんの連なる百貨店のスィーツ売り場では、さらに、この言葉が頭の中をぐるぐる。
「ああ、おさとう たっぷり」
「ああ、やわかくゆでて くりーむ!!!」
くりきんとん2j
 果物は総じてどれも好きなのですが、この「栗」も特別の位置に存在しています。(果物の類いか否かは、別問題として)
 というのも、栗は、美味しい栗ほど中もクリームのようになっているのを知ってはいても、如何せん、それを口にするまでに、どれだけの手間がかかることか・・・指は痛くなる。手はしんどくなる。むいても、むいても、家族で食べるには、ほんのちょっと・・・という厳しい現実があり、調理済み、しかもそれが丁寧な出来上がりだとすると、もう手を合わせたくなるような気分になります。

 で、秋と言えば、栗・・・「渋皮煮」に「くりきんとん」、それに、できれば、栗の産地の「和栗モンブラン」。というのも、かつて、パリで食べたモンブランが甘すぎて(大きすぎて)、「うっ」となりながら食べて以来、和栗の、どこか遠くに渋みを感じるモンブランのファンです。
 ということで、レマン湖畔で見たモンブランも、お口に入るモンブランも、どちらもいいでしょ!

☆写真は上から、モンブランみたいなイタリア風丹波栗のモンブラン。二番目は京都老舗の栗きんとん。三番目は、丹波栗のモンブラン。四番目は、栗と抹茶のスィーツバイキング。これも、パリと同じくらい甘いものの、お昼のバイキングですからサラダもあって、サラダにお醤油味のドレッシングをかけ、口直しをしながら、およそ完食。
もんぶらんj

PageTop

(続) 自然はいかに恵み深いことか。

モンブラン1j
(承前)
 もう一つ、スイス旅行の最後の最後に。
 レマン湖畔に宿泊するのは、美味しいパンやチーズがあるだけではありません。ダリアの花壇が美しいからだけでもありません。
 遠くに、モンブランが見えるからです。
 夏の山は、ガスが上がらない朝の方がはっきりくっきり見えます。登山家ではないカ・リ・リ・ロにとって見目麗しい山を眺めることは大きな喜びです。とはいえ、連泊したとて、毎朝機嫌よく、見えるわけではありません。

モンブラン2j

モンブラン4j

 モンブランは標高もさることながら、そのすそ野が広い(ようです)。日本の白山も、すそ野が広い山のようですから、同じ白い山と名付けられたのは偶然とは言え興味深い。
 すそ野が広くて高いーーーつまり、遠くからでも(どこからでも)、その姿を見る(拝む)ことができるーーーつまり信仰の対象になりうるのではないかと考えます。
 少なくとも、カ・リ・リ・ロは、朝日に輝くモンブランの美しい姿に、毎回、手を合わせてしまいます。健康をありがとう。
・・・と、いいながら、もはや秋も秋、モンブランと言えば・・・(続く)


モンブラン5j

モンブラン3j 

PageTop

貴族的な名前の街

     ヴェヴェイ1j
  (承前)
 ドーデ― 「アルプスのタルタラン」 (畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡ ⇒⇒ には、レマン湖畔のことはも少し書かれています。
≪・・・タラスコンの登山家達は、釋放されて、シヨンの城から遠ざかって行ったが、誰だって彼等以上にその蔽いかぶさるような、ロマンチックな憂愁を強く感じたものはあるまい。彼等はミュラー館へ寄って、荷物と旗とを取り、昨日食べる暇のなかった畫飯代を拂い、それから汽車でジュネーブへと急いだ。雨が降っていた。滴のしたたる窓ガラスを通して、タララン、ヴヴェ―、ローザンヌなど貴族的な避暑地の名前が讀まれる。赤屋根の小家や、珍奇な灌木のある小庭が、樹の枝や屋根の小塔や、旅館の露臺なぞの水のしたたる湿った被衣(ヴェール)の下に過ぎて行く。≫

 だらだらと続いたスイス報告もおよそ終わりです。北スイスから始まって、中央アルプス、そして最後はレマン湖。
 あの唯一無二のアイガー・メンヒ・ユングフラウの景色は、あきらめきれないし、レマン湖の穏やかさは捨てがたい。何よりも、自然そのものが「美味しい」。加えて、美術館巡りも充実。・・・・ということで、スイスに行くために、次の年まで頑張ろうという気持ちになっています。いろんな条件が増えてきて、機嫌よく行けるのも、そうそう多くないだろうし。

 シヨン城から今度は船に乗り、ヴェヴェイに行きました。ヴェヴェイに近づくにつれ、かのル・コルビジェの小さな家➡➡を探しましたが、本当にどこかわからないくらい小さくて、昨年、行ったからわかるのであって、知らない人には、まったくわからないほどのもの➡➡。そんな小さな小さな建物が、当時は批判されたと思うと、不思議な気がします。今は、完全に湖岸になじんでいますから。

 コルビジェj

 とはいえ、湖岸の大きな大きな建物である、シヨン城は景色そのものとなり、心に深く残ります。
シヨン15j 
☆写真一番上は、ヴェヴェイの街の紋章。 
 

PageTop

シヨン城

シヨン12j
(承前) 
 2005年に初めてこのシヨン城⇒⇒に行ったときは、今ほど、整備されていなかったように思います。今や博物館としての機能もあり、
また、メディアを使って、わかりやすく、歴史や古いものもふんだんに楽しめました。

シヨン4j

シヨン2j
 ドーデ― 「アルプスのタルタラン」 (畠中敏郎訳 岩波文庫)➡➡ ⇒⇒ にシヨン城のこんな記述があります。
≪・・・理由も判らずに急に自分が幽閉された此のシヨン城は、スイスの中で一番人の訪れる史蹟の一つである。サヴアの伯爵達の夏の離宮となり、ついで國事犯監獄、それから武器弾薬庫となった後、今日ではリギ・クルムやテルスプラッテと同じように、一つの名勝地に過ぎない。しかし其處に憲兵の屯所があり、此の土地の酔っぱらいや不良青年どもの「豚箱」が置いてあった。しかしそういう連中は此の平和なヴォ―州ではごく稀なのだから豚箱はいつでも空っぽで、番人は其處に冬の薪を貯蔵しているのである。・・・≫(続く)
シヨン3j

シヨン5j

シヨン8jj

シヨン1j

シヨン6j
☆一番下の写真、向こうにダン・デュ・ミディ(南の牙)7つのギザギザ山が見えます。スイスとフランスの国境あたりです。

PageTop

モントルーの青い空

モントルー1j
 秋も深まってきた中、いまだ夏のスイス旅行の報告です。
 さて、今夏最後は、お盆休みだった娘と合流、レマン湖東半分を周遊しました。
まず、モントルーの湖岸に立つクィーンのフレデリー・マーキューリーの像を見て、モントルーからシヨン城まで続く、花の道を一時間歩きました。花の道なら、もう少し距離が短いとはいえ、モルジュのダリアの道➡➡の方がよく手入れされているような気がします。
 
モントルー2j
モントルー3jj
モントルー5j
モントルー4j

 さて、シヨン城につくと、10年以上前に来た時より観光客向けに整理され、内部は見やすくなっていました。(続く)
モントルー6j

PageTop

ミュシャ展

ミュシャj
 京都えき美術館に「ミュシャ ~運命の女たち~」展(~2017年11月26日)を見に行きました。
 東京 新国立美術館で展示されていた、アルフォンス・ミュッシャ晩年の「スラヴ叙事詩」(およそ縦6メートル、横8メートル 20点の油彩画)は、えき美術館では  展示されていないので、少々物足りませんが、ま、仕方ありません。
 申し訳程度に1928年にその大作が発表されたときのポスターは展示されていました。
 テーマは、運命の女たちですから、ファッショナブルで美しい女性たちが並んでいました。

 アール・ヌーボー期のミュシャの作品には、花や植物の装飾が、くどいほど描かれています。よく見ると、アール・ヌーボーよりずっと古いケルトの装飾、アイルランドのケルズの書を思い起こす装飾もたくさんあって、興味深い。

 また、美しい女性の画ではありませんが、クサヴィェ・マルミエ著「おばあさんの話」の数枚の挿絵原画は、その元のお話を知りたいと思わせせる丁寧な挿絵で、楽しいものです。

 

PageTop

ひとあし、もうひとあし

いたずらこねこ
(承前)
 今回は、まごとえほんではありません。
 わかいひととえほんです。

 小学校の教員をしていたとき、子どもたちに絵本を読み、お母さんたちの集まりで、お母さんたちに絵本を読み、もちろん、自分の3人の子どもたちにも絵本を読んできました。そして、ここ10年以上は、学生たちにも絵本を読んでいます。

 そんななか、学生たちからもパワーをもらうことがありますが、先日「いたずらこねこ」(バーナディン・クック文 レミイ・シャーリップ絵 まさきるりこ訳 福音館)の時もそうでした。

 私語の多い学生たちを固定席に変えたら、概ね静かになりました。で、絵本が見やすいように前方は空けておきました。そんな前方席も埋まったその時間、「いたずらこねこ」を読んでみたら、ねこが後ずさりする頃から、なんだか空気が変わってきたのを感じました。そして、後ろの小さな池に足がかかる!その瞬間には、学生たちが息をひそめるのが伝わってきました。で、ページを繰ると、ばっちゃーん!!!・・・・・あーあ(ほらね!)

 小さな子どもたちも、学生たちも、息をひそめるところは同じ。
 
 この横長の絵本には、よけいなものが一切書かれていません。横に長い一線と、こねこの住処を表す木塀、亀の住処を表す小さな池、そして、こねこと亀。色は、小さな池の青緑色。
 距離感を表す横一線が有効的です。他に色を使わないことが、小さな池を強調しています。まどろこしいような物語の展開が、時間の経過と最後のスピード感を表現しています。
 そして、繰り返す言葉・・・「やがて、かめは、ひとあし、もうひとあし、また もうひとあし まえへでてきました。そして こねこは、ひとあし、もうひとあし、またもうひとあし うしろへさがりました。・・・」

☆写真の聞き手たちは、右から「げんきなマドレーヌ」他(ルドウィッヒ・ベーメルマンス作 瀬田貞二訳 福音館)のマーちゃん、「ラチとらいおん」(マレーク・ベロニカ作 とくながやすとも訳 福音館)のらいおん、スコットランドのわんわん

PageTop

いたずらこねこ

たいこたたいた50
(承前)
 孫は、絵本を読んでもらうのが好きらしく、我が家に来ても、絵本を次々と母親やばあばに読んでほしいと持ってきます。
 今それは、いわゆる赤ちゃんの絵本の数々で、ばあばがかつて修士論文に赤ちゃんと母親と絵本の関係を論じたときに用意した絵本も多く、また、現在の授業で使う絵本もたくさんあります。
 そんななか、昨日書いた「えをかくかくかく」(エリック・カール作 アーサー・ビナード訳 偕成社)は、あかちゃん絵本ではなく、簡単なお話の流れがあって、言葉を楽しみ、絵を楽しむ絵本の一冊です。

 孫は、いま 判別可能な語彙がまだまだ少ないものの、「にゃあ にゃあ」や「わんわん」などは、言えるものですから、いわゆる赤ちゃん絵本ではありませんが、 「いたずらこねこ」(バーナディン・クック文 レミイ・シャーリップ絵 まさきるりこ訳 福音館)を、見せました。「ほら、にゃあにゃあ の本よ」と。
 もちろん、お話を全文 読むわけではありません。赤ちゃんと絵本の関係は、まずは母親と絵本を挟んで楽しむことなのです。

 「ほら、かめさん」
 「ほら、にゃあにゃあだね」
 「あれー、頭をひっこめたね」 
 「あららぁ あんよもなくなった」
 「あらあら にゃんにゃんが後ろにさがっていくよ」
 「あれあれ にゃんにゃんの足が あぶない!」
 ばっちゃーん!!!
 「たいへん たいへん」
 「いそげや いそげ」
 「ああ、やれやれ、かめさんも にゃあにゃあも おうちにかえりましたとさ」
・・・と、原作者(訳者)には申し訳ない読み方ではありますが、孫は、「もう1回」と小さな指を立て、再度読むことに。
 で、そのあと、彼女は、とことこと、その絵本を持ち、母親のところに。
 そして、読めとせがんだのです。
 さらに、何度も何度も読んだ後、孫は、ハイハイをして、かめさんになり、危なっかしい後ろ歩きで にゃあにゃあにもなって、遊びました。
 
 自分の気に入った絵本を一番好きなお母さんに読んでもらいたい。
 楽しかった、面白かったのを、他の誰でもないお母さんと分かち合いたい。

 いずれ、近い将来、この子はこの絵本を最後まで聴く日が来るでしょう。
 そして、その母親は、「もう1回」とせがむ小さな指のことを、ばあばになっても忘れないでしょう。(続く)

☆写真は、「おおきくなったら」(チェコのわらべうた ヨセフ・ラダ絵 うちだりさこ訳 福音館)➡➡を読んでもらっているところ。

PageTop

2匹のねこ あおときいろ

   青と黄色
  先日、バーゼル美術館のフランツ・マルクの動物の絵と、エリック・カールの絵本「えをかくかくかく」(アーサー・ビナード訳 偕成社)のことを書きました。➡➡(と、いっても、その文を書いていたのはスイスから帰ってすぐのことでした。)

 で、最近、1歳半の孫に母親が「えをかくかくかく」を読んだあと、バアバがバーゼル美術館のフランツ・マルクの絵の写真を見せますと、(10月26日の一番上の作品「二匹の猫 青と黄色」) 「にゃあ にゃあ」と指さし喜びました。

 とげの刺さった大人の目には、猫のようにもキツネのようにも見える青と黄色の動物でしたが、孫は即座に「にゃあ にゃあ」。
 エリック・カールが「あおいうま」や「みどりのライオン」を描くのも、なんの不思議もないように、孫は楽しみ、
 「きいろいうし」のページでは「もぉー」と指さします。
 母親は相好を崩し、つわりを忘れ、バアバは、かつてを思い出し、元気をもらいます。(続く)
 (カテゴリーに「まごとえほん」の項、増やしました。)
☆写真は、スイス バーゼル美術館 フランツ・マルク「二匹の猫 青と黄色」 

PageTop

グリュイエール城

グリュニエールjjj
(承前)
 チーズを食べに行っただけではありません。このグリュイエールというところ。食べたところは、いわゆるグリュイエール城の門前町。
グリュイエール1j

 一見質素に見えるグリュイエール城が、この丘の中心なのです。11世紀から16世紀までグリュイエール伯爵家のものだったようですが、その後、いろんな人の手に渡り、今は博物館のようになっています。
グリュイエール8j

グリュイエール4j

      グリュイエール10j
 外観に比べ、内部は、結構ゴージャスで、かつての繁栄がみることができます。フランス式の庭も、綺麗に整えられています。が、しかし、ここの一番の贅沢は、周囲の景色だと思います。
グリュイエール3j

グリュイエール7j

 北側に開けた土地、背後には山、明るい日射し、濃い緑・・・何より、見晴らし抜群。

グリュニエールjj

PageTop

こんがり黄金色

ハイジ23j
(承前)
 むかし、ハイジを読んだとき、チーズが好きではなかったせいか、チーズより黒パンや白パンが気になっていました。
 が、今となっては、ハイジのおじいさんが火にかざすチーズのことは、チーズの好きな人や子どもには、たまらんものだということがわかります。

≪なべのところに行って、大きい方をおしのけ、くさりにかかっていた小さいなべを手もとにひきよせると、かまどの前の、まるい台座のついた木の三脚にどっかりすわりこんで、火をふき起こしました。なべはやがてことこと煮え立ってきました。おじいさんは、長い鉄のくしに、大きなチーズのかたまりをつきさして、なべの下の火にかざし、あちこちむきをかえてはぜんたいが黄金色になるようにあぶりました。≫
≪おじいさんは、パンの厚切りと金色のチーズをのせてやって、いいました。「さあ、おあがり。」≫
≪ハイジはパンにやわらかいチーズをぬって、せっせと食べました。よくやけたチーズは、バタみたいにやわらかくて、パンととけあってすてきな味わいでした。あいまあいまにやぎの乳をのみながら、ハイジは心からたのしそうでした。≫(矢川澄子訳)

 これこそが、ラクレット⇒⇒なのですね。こんがりと黄金色。バタのように柔らかく・・・うーん、また、食べたい!


 「ハイジ」(ヨハンナ・シュピリ作 上田真而子訳 岩波少年文庫/矢川澄子訳 福音館古典シリーズ)
⇒⇒(古本海ねこさん3月10日の項) 
☆写真上は、スイス マイエンフェルト村ふもと近くのハイジの水飲み場。
下は、スイス グリュイエール駅近くのチーズ工場。
ラクレット7j

PageTop