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みんなみすべくきたすべく

フランスは魅力的でありたいと望んだ

コルビジェjjj
「伽藍が白かったとき」(ル・コルビジェ著 生田勉・樋口清訳 岩波文庫)
(承前) 岩波文庫は、見つけたときに買っておかないと、次はいつになるかわからない販売システム。ということで、日頃はほとんど読まない岩波青帯の「伽藍が白かったとき」。

 著者の建築をスイスで見たことと、ちょっと文学の香りのする邦題に惹かれてでした。
 パラパラとめくると、ル・コルビジェの描いた画も入っていて読みやすそう・・・
 しかも、まえがきではル・コルビジェの直接の門下である建築家前川国男が
≪・・・題して「伽藍が白かったとき」という名実ともにル・コルビジェらしいひらめきと詩情とにあふれた此の本が生田君、樋口君の名訳を得た事はほんとうにうれしい。この美しい訳文を読んで、彼の本を夢中になって読みふけった自分の青春時代を思い起こした。・・・・≫と、ありました。
 こりゃ、こりゃ読まねば…と、読んだものの、前川氏のいう名訳が、カ・リ・リ・ロの頭にはさっぱり入ってこない・・・この美しい訳文という文についていけない・・・

 ということで、この名著と言われる「伽藍が白かったとき」が、ル・コルビジェが当時のアメリカの高層ビルに象徴されるものやその機能性を称賛したりけなしたりしながら、それまで批判的に見てきたフランスの文化を再認識しようとしているのか?と推測しながら、読了しました。
≪フランスは魅力的でありたいと望んだのだ。魅力的であるというのが現在のフランスの評判である。アメリカ人は私たちを魅力的な親戚だと思っている。≫
 うーん、この個所は、コルビジェの心の奥深いところを書いているのではないか・・・

  ・・・と、この拙文は、ここまで書いてほおっておいたものの、「ル・コルビジェとアイリーン」➡➡という映画で、野心家としてのル・コルビジェを見ると、彼の先進性と野心がつながっていきました。

 さて、「伽藍が白かったとき」の日本語版前書き、1957年4月15日の日付でル・コルビジェ自身がいいます。
≪私が、まだ白く新しかった時代の伽藍を憶い起こしたのは、心理的、精神的な一時期を示すためであって、ただ物質的なだけの真実を示すためではなかった。『伽藍が白かったとき』の最初の百ページは、戦争の迫った一般的な混乱の中で非常に苛酷な非難攻撃を受け、そして絶えず受けつつあった私の国フランスにたいして厳しいことが書かれている。それは、あの大きな動乱の時期において、まさに嵐であった。千年このかた一分一秒も屈したことのない文明をもつフランスに課せられた、意識の問題。問題の本質は、明確に見ること、明確に見るように努めることであった。

 上記の引用で、心惹かれたのは最後のところ。
 「明確に見るように努めること」・・・何事にも通じる大切なことです。
 たった1票でも、そのように、努めただろうか・・・と、今日のこの日だから、余計に考えてしまいます。

 閑話休題。ル・コルビジェはスイス生まれ。確かに、スイスとフランスの国境近く生まれで、母語はフランス語とはいえ、彼は、我がフランスという表現をよく使います。それも、彼の野心に通じているのかと思ったりします。
☆写真は、スイス ヴェヴェイ ル・コルビジェ「小さな家」

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