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独立不羈のテル

   テル6j
(承前)
 「ウィリアム・テル劇」は、 「ヴィルヘルム・テル」 (シラー作 桜井政隆・桜井国隆訳 岩波文庫)➡➡を先に読んでいたから、全編ドイツ語でも楽しかったのですが、ゲーテの 「スイス紀行」 (木村直司編訳 ちくま学芸文庫)➡➡を読むと、どうも、シラー、オリジナルとは言い切れないよう。もちろん、この地方に伝承され、英雄となったウィリアム・テルのお話ですから、誰の作品がオリジナルなどとは特定できません。

 が、ゲーテの記述に、こんな表現が・・・(訳文が少々わかりにくいけど…)
≪私の構想をごく僅かに伝えると、私はテルのうちに一種の民衆を描こうと思った。それゆえ彼を屈強な荷物運びの大男として造形した。彼の仕事は剥ぎたての毛皮その他の物品を一生のあいだ山から山へ運ぶことで、支配することも隷属することも顧みずに自分の生業を行うことしか考えず、自分に加えられる直接の害悪には敢然として抵抗する気構えがあった。彼はこの意味で身分の高い裕福な人々に知られていたが、その他の点では、異郷の圧政者たちの間でもお人好しでとおっていた。この彼の社会的地位により、私には筋の導入部分が容易になった。それにより、本来の決定的瞬間の状況がありありと目に見えるようになったのである。・・・・≫
 
 そして、この後、ゲーテが描こうとした代官像、テルとその代官の個人的対立など、話の構想が出来ますが、実際に執筆には至らなかったようです。
 それで、
≪内面では造形し、外面で執筆を怠っているうちに、新しい世紀に入った。私はシラーとこの件についてしばしば話をし、かの岩壁や緊迫した情勢を生きいきと叙述することによりたびたび彼を楽しませていたので、この主題は彼の内部でも彼なりの仕方で整理され、しだいに形をとるようになったに違いなかった。彼も私に自分の見解を述べるようになった。新奇さと直接の観照という魅力を失ってしまった素材に私はなくて困ることもなかったので、私はそれを喜んで彼に正式に譲ることにした。・・・・≫

 そうかぁ・・・二人の文筆家たちが仲良く磨き上げた話が「ウィリアム・テル」だったのね。・・・と思いきや、その後、ゲーテは、こんなことを書いています。

≪1806年抒情詩的「テル」のことが再び話題になった。私はそれを1797年にスイスで構想し、シラーの戯曲的「テル」のためあとで引っ込めてしまったのである。両者は両立するものであった。私のプランはシラーによく知られていたし、私は彼が他の謀叛者たちに依存しない独立不羈のテルという根本概念を利用したことに満足していた。しかし彼は上演にさいし、彼の才能の傾きに従い、かつまたドイツの演劇的欲求に従い、まったく別の道を歩まなければならなかった。私には抒情詩的に悠長な壮大なものが依然として意のままになった。そしてすべてのモチーフは、一脈相通ずるところがあったとはいえ、両者の脚色において全面的に別の形をとっていた。≫

つまり、シラーの独立不羈のテルの話は、実は、独立不羈ではなかった?

*独立不羈(どくりつふき)・・・他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。
 テル7j

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