みんなみすべくきたすべく

ラクレット

ラクレット12j
(承前)
 もともと、スーパーで売っているような日本製の大量生産チーズを、卵料理にいれたり、ピザに載せたりというような、食べ方しか、できなかったチーズ。
 それが、モルジュのチーズ屋さん で売ってもらった出来立てナチュラルクリームの優しい味を知ってから、今までよりもチーズが楽しめるようになりました。

 で、チーズの名前でもあるグリュイエールで、チーズ料理!と考えました。
 しかも、本場でラクレット・・・(食べたことがなかったのです。映像で見たり、食べた人の話を聞いたり・・・「初めは熱くていいけど、冷めてくると硬くなるし…ジャガイモだけだし・・・・」と、大満足の声は少なかった)
ラクレット4j
 
 さて、夫は、チーズフォンデュのハーフ&ハーフ(「モワティエ・モワティエ」:グリュイエールチーズとヴァシュランというクリーミーなチーズの半分半分。くせのないまろやかな味)、カ・リ・リ・ロは、電熱器にのったラクレット。
 チーズの他には、パンと小さいジャガイモとピクルスのみ。
ラクレット2j
 電熱器の上のヒーターがラクレットを溶かし、その溶けたチーズを、くるりとこちらに回し、とろけた部分をパンやジャガイモにつけて食べる。(日本でなら、ブロッコリーやアスパラやピーマンやベビーコーンやミニトマトなどなどもするだろうな・・・などと考えてはいけません)
** ちなみに、ラクレットとは、フランス語のラクレ…「削る」から来ていて、熱で溶けたラクレットチーズをナイフで削ります。(というか、とろっとろになっているので、ナイフで取ります。)バターのようでもあり、外はかりっと香ばしかったりするので、美味しい!当然、冷めたらおいしくない。
 昔は、串にラクレットを刺し、暖炉で溶かしながら、食べてたんでしょう。
ラクレット3j

 で、帰国して百貨店でラクレットチーズを見ると、ひぇー、た・た・たかいっ!
 それに、どうもラクレット食べた人たちの話では、専用電熱器などというものではなく、片方をフライパンなどで溶かしたものだったそう・・・
  ということで、ラクレットを日本で美味しく食べるには、費用がかさみ、あの小さくておいしいジャガイモを見つけるのも大変で、単純な作りの専用電熱器を用意するのも困難なので、また、いつか・・・ということにしました。(続く)
ラクレット6j
☆写真一番下は、グリュイエール城が丘の上にちょこと見えています。

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お持ち帰りチーズ

モルジュ2j
 さて、スイス報告も、北スイス、中央スイスの次は、西南スイス、レマン湖畔です。
 泊まったのは、チーズ屋のおばちゃんの居るレマン湖ほとりモルジュです。
 ・・・が、今年は会えなかった。3日通ったのに・・・どうしたんだろう?アルバイトと思えるまったく英語を解さない若い女の子に 拙い英語で聞くわけにもいかず・・・
 モルジュ4j
 とはいえ、日本から保冷バッグに保冷剤を持参していたので、旅程最後、例のナチュラルクリームチーズ(新鮮な牛乳から作る新鮮なチーズ)を購入、二重のジップロックに入れ、あらかじめ、部屋の冷蔵庫で冷やしておいた保冷剤とともに、保冷バッグに入れ、スーツケースに入れて帰国しました。
 モルジュ3j

 はてさて?結果からいうとOKでした。が、しかし、発酵が進み、凄い匂い。したがって、現地では、あんなに柔らかだった外の白い部分も、少々硬くなり、食べられはしたものの、やっぱり、味はおちていました。
  とはいえ、チーズの本場、グリュイエールに行ってきましたよ!(続く)
モルジュ6j

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誰の作品なんだろう。

ヴェヴェイ3j
(承前)
 今夏のイエニッシュ美術館➡➡の特別展は、版画でした。
 ロートレックと並んで日本の浮世絵によく似た作品がありました。この画の落款印にびっくり。画風はもちろん、印までも日本風。面白いですねぇ。
ヴェヴェイ2j
 スイスの美術館で、ゆっくりたくさんの作品に触れられるのはいいのですが、カ・リ・リ・ロ程度の者には、最後、いい加減な見方になってしまい、誰の画でタイトルや製作年は、その場その場での記憶となり、今となっては、えっと、えっーと…誰のだった?ということに。いつも、タイトルや名前のタグも写して記録しておけばよかった。
ヴェヴェイ6j

 それからヴァロットンの絵も、この美術館は所蔵しているようですが、このときは、この1枚。
ヴェヴェイ4j

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晩年の作品

ココシュカ2j
(承前)
 バーゼル美術館のたくさんの絵について、書いていくと、さらにだらだら書きそうなので、ココシュカつながりで、イエニッシュ美術館に飛びます。
 イエニシュ美術館➡➡は南スイス、レマン湖沿いのヴヴェイにあります。昨年は、ココシュカコレクション➡➡と、16世紀~18世紀イタリアのもの➡➡を主に見ました。
ココシュカコレクションは、昨年と違う作品も並んでいました。
ココシュカ3j
ココシュカ4j
 写真下の作品と、バーゼル美術館の「風の花嫁」➡➡。同じ画家でも、こんなにも違うのですね。穏やかさと熱情と。
       ココシュカ5j

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ここに ココシュカ

  ココシュカ1j
(承前)
 バーゼル美術館の その部屋の入ると、「あ!ココシュカ!」。青い絵が目に飛び込んできます。
 この絵がココシュカの中でも、重要な意味を持ち、有名な絵の一枚だということの認識を持っていませんでしたが、磁石のような強い「力」で惹きつけられました。

 かつて行った、ウィーン ベルベデーレ宮殿では、クリムトもココシュカもありましたが、特にエゴン・シーレに強く惹かれました。
 今度は、バーゼルで、ココシュカ「風の花嫁」の絵の前に立っていました。
 そして、そのエゴン・シーレは、今度は、静かに、ココシュカの絵の傍にありました。(続く)
          エゴン1j

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自由な美術

フランツ3j
 エリック・カールの絵本「えを かくかくかく」(アーサービナード訳 偕成社)➡➡は、巻末の「この絵本のはじまり」という一文によれば、そこには、ドイツナチス政権下の頃「堕落した美術」として見てはいけなかったマルクの複製画を、美術学校の先生がそっと出してきてエリック・カール少年に見せたことが書かれています。
 先生は言います。≪「残念ながら、学校では自由な美術をおしえることはできない。しかし見てごらん。フランツ・マルクの絵はすばらしくのびのびしているだろ?ナチスのやつらはまったくわかっちゃいないんだから。」≫そして、カール少年は驚くものの、のちにマルクの絵から多くのことを学んで影響を受け、≪この「えを かくかくかく」のふしぎな色の動物たちは、あの日からずっと、ぼくといっしょにいきてきてくれたんだ」≫とエリック・カールは語っています。

 そのフランツ・マルクの絵にバーゼル美術館で会いました。今までも他で見ていたのかもしれないものの➡➡、今回は、「ああ、これ、フランツ・マルク!」と、目に飛び込んできました。
フランツ2j

 興奮気味に「これよ!孫が好きな絵本の画家が、好きな画家やん!」と、夫に伝えるものの、夫は絵本「えを かくかくかく」自体がわかりませんから、「ふーん」とスマホを向けるだけでした。

 ばあばには、「ぼくは えをかく。 えをかけば・・・」で始まるこの絵本の言葉が聞こえます。
 こんなに自由に生き生きと、絵を描いている!12歳のエリック・カールが影響を受けたフランツ・マルクの動物たち。

 フランツ・マルクの画像は見たことがあります。が、しかし、実物は、やっぱり違う。孫と一緒に鑑賞したかったなぁ。
フランツ1jj
 ***蛇足ながら、フランツ・マルクとカンディンスキーらが起こした「青騎士」というグループの青騎士第一回展に出品したピカソやクレー、アンリ・ルソーも近くに展示されていました。
☆写真は、一番上がフランツ・マルク「二匹の猫 青色と黄色」二番目と三番目は「動物の運命」いずれもスイス バーゼル美術館

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バーゼル美術館は楽しい。

バーゼル美術館5j
(承前)
 スイスのデザインは、すっきりお洒落なものが多いと思うのですが、この美術館もすっきり。
 今まで行った美術館の中でも、ここは、作品数が膨大なパリ・ルーブルやロンドン・ナショナルギャラリーほどではなく、といっても、邸宅美術館ほどこじんまりもせず、豊富な作品が、次々、我々を楽しませてくれます。
 本館上階には、我々素人にもなじみ深い画家たちのオンパレード。しかも複数ずつ。印象派の画家たちはもちろん、ブリューゲル、ピカソやゴッホ、マネにモネにセザンヌ、モジリアニ、ムンク、ジャコメッティ、エゴン・シーレ、ココシュカ、クレーにカンディンスキー、ミロにブラックにモンドリアン・・・・おまけにブラマンクは特集までしてました。
バーゼル美術館7j

バーゼル美術館10j
 もちろん、これ、誰の?という作品もありますが、なじみ深い有名画家は、一目で、その人の作品だとわかります。それは、展示順や展示方法にも、工夫があるのかも と思います。市民の美術館なので、市民、素人にもわかりやすい、楽しんでもらいやすいことを旨としているのではないかと思うのです。
 
バーゼルj2

バーゼルj3

バーゼルj1

バーゼル4j
 一つ一つの作品を鑑賞し、思いを巡らせるのも美術館鑑賞の一つの道ならば、画家の名前あてで、美術を楽しみ、芸術に近寄るのも、「芸術は、人を根本のところで励ますもの」という言葉に合致しています。
 ・・・ということで、バーゼル美術館は楽しい。(続く)
     バーゼル美術館6j
☆写真は、上からジャコメッティの部屋。二番目はその部屋の右に少し写るジャコメッティの絵画。三番目は、廊下の突き当りに遠く写るモンドリアンのコンポジション。クレー、ピカソ、モジリアニ、ルソー。一番下はジャコメッティの女性像。 

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バーゼル美術館

バーゼル美術館1j
(承前)
 バーゼル美術館にも行ってみました。
 すっきりした外観と内部は、改装後それほど日が経っていないのでしょう。(後で調べたら、2016年春リニューアルオープン)地下でつながる特別展の会場も、どこもずいぶん近代的でした。

 新館での特別展は二つ開催されていました。
 一つは、「プラド美術館展(ホルバインとゴヤを中心に)」で、一つは、「知られざるセザンヌ展(素描を中心に)」。
     バーゼル美術館3j
 常設展に比べ、入場者は多いものの、やっぱり混雑はしていませんでした。
 プラド展は、誰でも知ってる絵画を期待しましたが、全体に小品が多かったような気がします。
       ホルバイン5j
バーゼル美術館8j
          バーゼル美術館4j
 また、セザンヌ展にしては、単調な展示だったような気がするし、セザンヌなら、なんでもいいでしょう、という感じもして、セザンヌ個人の背景をもっと知っておれば(せめて、ドイツ語が読めていれば)、もっと、違った鑑賞ができたかもしれません。
あるいは、もっと丁寧に鑑賞する時間を取れば、それらの特別展も違ったのかもしれません。なにしろ、常設展も広くて、見るものが多い。しかも、常設展の質の高さにはびっくり。なにしろ、ここは市立美術館。市民の美術館。(続く)

セザンヌ3j

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映画「セザンヌと過ごした時間」

セザンヌj
 あのサント·ヴィクトワール山と南仏の陽光が写るはず・・・と映画「セザンヌと過ごした時間」に行きました。

 少年時代から、仲の良かった、二人、ゾラとセザンヌ。
 「制作」➡➡(制作」上下 (エミール・ゾラ 清水正和訳 岩波文庫)の発表後、仲たがいをしてしまう二人。
 互いに支え合ってきたはずなのに・・・
 
 「このシーン、絵に描かれている」、「あの絵かな?」という映像が何度も出てきて楽しい。
 当時の画家たちが、時々出ていたり、名前が出されたり、ちょっと散漫ではあるけれど、時代が変わるときって、そういう混とんとしたところもあるのかと、おとなしく鑑賞。

 原題は「セザンヌとわたし」・・・つまり、ゾラの目を通して見たセザンヌの生き方、なので、ゾラは生真面目でいい人、セザンヌは、奔放で口が過ぎる・・・という描かれ方でした。
 いずれにしても、二人とも、あの光を浴びて育ち、あのパリの空気の中、生きた人たちだったことはわかりました。
 
 そして、エンディングロールに最後に写るのは、光を浴びるサント·ヴィクトワール山。そこに、セザンヌの描いた絵が、重ねられていきます。何枚も何枚も・・・。
 もしかして、この最後のシーンが、一番好きかも・・・

☆写真は、スイス バーゼル美術館 セザンヌ「サント·ヴィクトワール山」

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フランスは魅力的でありたいと望んだ

コルビジェjjj
「伽藍が白かったとき」(ル・コルビジェ著 生田勉・樋口清訳 岩波文庫)
(承前) 岩波文庫は、見つけたときに買っておかないと、次はいつになるかわからない販売システム。ということで、日頃はほとんど読まない岩波青帯の「伽藍が白かったとき」。

 著者の建築をスイスで見たことと、ちょっと文学の香りのする邦題に惹かれてでした。
 パラパラとめくると、ル・コルビジェの描いた画も入っていて読みやすそう・・・
 しかも、まえがきではル・コルビジェの直接の門下である建築家前川国男が
≪・・・題して「伽藍が白かったとき」という名実ともにル・コルビジェらしいひらめきと詩情とにあふれた此の本が生田君、樋口君の名訳を得た事はほんとうにうれしい。この美しい訳文を読んで、彼の本を夢中になって読みふけった自分の青春時代を思い起こした。・・・・≫と、ありました。
 こりゃ、こりゃ読まねば…と、読んだものの、前川氏のいう名訳が、カ・リ・リ・ロの頭にはさっぱり入ってこない・・・この美しい訳文という文についていけない・・・

 ということで、この名著と言われる「伽藍が白かったとき」が、ル・コルビジェが当時のアメリカの高層ビルに象徴されるものやその機能性を称賛したりけなしたりしながら、それまで批判的に見てきたフランスの文化を再認識しようとしているのか?と推測しながら、読了しました。
≪フランスは魅力的でありたいと望んだのだ。魅力的であるというのが現在のフランスの評判である。アメリカ人は私たちを魅力的な親戚だと思っている。≫
 うーん、この個所は、コルビジェの心の奥深いところを書いているのではないか・・・

  ・・・と、この拙文は、ここまで書いてほおっておいたものの、「ル・コルビジェとアイリーン」➡➡という映画で、野心家としてのル・コルビジェを見ると、彼の先進性と野心がつながっていきました。

 さて、「伽藍が白かったとき」の日本語版前書き、1957年4月15日の日付でル・コルビジェ自身がいいます。
≪私が、まだ白く新しかった時代の伽藍を憶い起こしたのは、心理的、精神的な一時期を示すためであって、ただ物質的なだけの真実を示すためではなかった。『伽藍が白かったとき』の最初の百ページは、戦争の迫った一般的な混乱の中で非常に苛酷な非難攻撃を受け、そして絶えず受けつつあった私の国フランスにたいして厳しいことが書かれている。それは、あの大きな動乱の時期において、まさに嵐であった。千年このかた一分一秒も屈したことのない文明をもつフランスに課せられた、意識の問題。問題の本質は、明確に見ること、明確に見るように努めることであった。

 上記の引用で、心惹かれたのは最後のところ。
 「明確に見るように努めること」・・・何事にも通じる大切なことです。
 たった1票でも、そのように、努めただろうか・・・と、今日のこの日だから、余計に考えてしまいます。

 閑話休題。ル・コルビジェはスイス生まれ。確かに、スイスとフランスの国境近く生まれで、母語はフランス語とはいえ、彼は、我がフランスという表現をよく使います。それも、彼の野心に通じているのかと思ったりします。
☆写真は、スイス ヴェヴェイ ル・コルビジェ「小さな家」

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映画「ル・コルビジェとアイリーン」

コルビジェjj
 その映画の原題は、「The Price of Desire」でした。
 邦題は「ル・コルビジェとアイリーン  追憶のヴィラ」。

 ま、邦題は誰の映画かわかりやすいとはいえ、実は、ル・コルビジェとアイリーンという女性の恋愛映画ではないのです。かといって、ル・コルビジェが、主人公というわけでもありません。大枠ではアイリーンと評論家ジャンとの話なのです。評論家ジャンとコルビジェは友人関係にあったようです。

 そして、個人的にまったく知らなかったアイリーン・グレイ。家具デザイナーとして成功し、一時はル・コルビジェの建築とまで言われていた南仏の別荘(E-1027)の建築に携わった女性の心の物語とも言えます。だから、原題のDesireは願いとも言えるし、欲望とも言えます。で、そのPrice 代償、お値段・・・・が、描かれた映画なのでした。映画の冒頭、アイリーン・グレイのチェアのオークション場面から入っていくのは、Price というタイトルから暗示的です。
 つまり、邦題は、近代建築家ル・コルビジェの大きな名前を使ったもので、原題は、映画の本質を表したものだと言えるのです。

 そして、狂言回しのような役割で登場するル・コルビジェは、著名な建築家にしては、凡庸な描かれ方です。確かに、壁に絵を描いたり、建築の発想など、また戦後、その別荘で真剣に仕事をしている様子など、少しはでてくるものの、どうしても、アイリーン・グレイのセンスや着眼に気持ちが行ってしまいます。
 いわば、才能あふれる美女と、最終的には、その別荘の前の海で溺死してしまう普通のおじさんの話にみえてくるのです。

 とはいえ、映像の切り取り方は、従来の建築を変革したともいえる彼等の遺産である機能的ですっきりした作品をイメージしたようで、1シーン1シーン絵画のような映像でできていました。

 実は、偶然にも、この映画が上映されることを知る前に、ル・コルビジェの書いた本を読んでいました。(続く)

☆写真は、スイス ヴェヴェイ ル・コルビジェ「小さな家」の庭からレマン湖を見る。

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二楽荘史談

       ケーブル13j
(承前)
 「二楽荘史談」(和田 秀寿  国書刊行会)
 不審火によって焼失し、その後管理者も変わっていく二楽荘⇒⇒ですが、個人的には、興味のあることばかり。

 二楽荘は、明治42年(1909)西本願寺第22世宗主大谷光端が神戸・六甲山の山麓に建設した別邸。
 建設に際して助言者となったのが建築家伊東忠太。「本邦無二の珍建築」と評され、一般にも公開され、大いに賑わった。
 荘内では、教育、園芸、気象観測、出版・印刷が行われ、大谷探検隊という大谷光端が中央アジアに派遣したシルクロードの学術探検隊が持ち帰ったものの整理・展示、および研究が行われた。

 ふーん、ただの奇をてらっただけの遺物ではなかったのだ・・・

 で、さらに個人的な興味を引いたのが、この別邸 二楽荘 建設以前には、須磨 月見山に別邸があったということ。え!これは、カ・リ・リ・ロの出身地 須磨じゃありませんか。掲載されている古い地図を見ると、詳しい須磨の地図もあり、懐かしい地名の数々。と、同時に、一人の知り合いもいませんでしたが、お金持ちたちの大きな家の個人名が列挙。(今の町内地図の広域版)
 で、その須磨の別邸は、宮内省が買収し、今の須磨離宮公園に。・・・・そうか、二楽荘の庭内園芸、離宮公園の大きな庭園。
 また、阪神間から須磨にかけての一帯は、園芸を行うのに最適な自然環境で、公私設の果樹園芸場が多かったとあり、須磨寺周辺に観光客を誘致し、須磨浦公園という遊園地に・・・
 
 さらに、うちの親もお世話になったことのある、須磨浦公園内にある病院も、関係していました。
 ここには、大谷光端の父親の大谷光尊も入院し、見舞いに来た光端は、須磨の地が気に入ったようで、海を見下ろす月見山の地に別荘を。
 本文にあるように、≪山を負い海に臨む須磨は、冬は紀淡海峡から来る海風で暖かく、夏は南北から吹く風で涼しく、空気が清らかで風光明媚な地域≫なので、日本最初の結核療養所が開院されたとか・・・

 なんだか、子どもの頃、慣れ親しんできた場所のことが、この歳になって、近づいてきてくれたようで、嬉しい。
  
 そして、阪神間が≪夏は涼しく、冬は暖かい≫という自然環境を強みとして保養地として開発が進められたというのを読むと、鼻高々・・・としたいところですが、月見山も二楽荘も海を見下ろす、風通しのいい高台にあって、我が生地や以前の住居や現在の住まいは、彼等が見おろした先(下)にあるわけで、今や大きなくくりだけが同じ。

☆写真上は、スイス ブリエンツ湖ギースバッハのケーブル。
下の写真の真ん中辺りに、二楽荘のあった丘が写っています。後ろ、うっすらと雪をかぶっているのが、六甲山。(2012年お正月の写真)

二楽荘12j

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二楽

ギースバッハj
(承前)
 「伊東忠太 動物園」(筑摩書房)の写真を見ていて、気になったのが、焼失してしまった六甲山麓にあった二楽荘・・・うーん、この写真は見たことあるぞ、かつて、神戸市東灘区に住んでいた時の広報か何かに載っていたような気がします。海も山も、二つとも楽しめるというところから二楽。面白い発想で、そこに行くためには、専用用ケーブル・カー(軽便鉄道)。
 先日、書いたスイスのホテルも自家用ケーブル・カーで行くところが同じです。➡➡ もとは、資産ある人の別荘だったわけですから、その建物の出自も同じです。ただし、スイスの方は、湖と滝の二楽。

≪来訪者はケーブルカーを降りるとこの世とは思えない光景に迎えられることになる。目の前にはお花畑が広がり、池には蓮が咲き、、その向こうには鮮やかに色どられたインド風の建物が六甲の山脈を背にスックと立つ。そして、一歩足を入れると、これはもうインドのマハラジャの宮殿やアラビアンナイトと見まがうようなインテリア・・・・≫
 これは伊東忠太が直接の設計者ではなく、顧問だとしているものの、建て主の 大谷光端との話し合いでその方向性が決められたといってもいいようで、そのあとに続く、西本願寺の現伝道院(旧真宗信徒生命保険会社)につながります。
 
 と、かつての二楽荘の存在を知ったものの、それって、どの辺だった?・・・ということで、「二楽荘史談」(和田 秀寿  国書刊行会)という本まで借りました。(続く)
☆写真は、スイス ブリエンツ湖 船着き場から自家用ケーブルに乗り、丘の上のホテルへ。

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急の字にちなんだ翼

祇園閣3j
(承前)
「伊東忠太動物園」(藤森照信 編・文 増田彰久・写真 伊藤忠太 絵・文 筑摩書房)を見ると、伊東忠太の建築作品が写真となって出ています。
 先日の祇園閣➡➡で写真に撮れなかった、妖怪の抱える廊下の電灯も出ています。(上の写真は、京都祇園閣の入り口から撮った唯一の内部写真ですが、上方にその手だけが写っています。また、この下の写真は、同じく祇園閣前の阿吽の像の「吽(うん)」の像。昨日の一番上の写真、伝道院前の「吽(うん)」の像と比べてみるのも面白い。)
祇園閣4j

 さて、別の一枚を見て、思い出した思い出した。昔の大阪 梅田阪急百貨店と阪急電車梅田駅を結ぶアーケードの南端!今や、阪急百貨店はドラマに使われるような新らしいビルになっていますが、かつて、レトロな個所が随所に残る百貨店だったのを思い出しました。
伊東忠太16j
 モザイクの壁画はビザンチンの壁画の技法をベースにしたものらしく、地に金を使い「有翼の獅子」「鳳凰」「龍」「有翼の馬」の四つの図柄。しかも、この中で有翼の馬というのは、珍しいらしく、
≪中国では天馬。ヨーロッパではギリシャ神話のペガサス。と東西両方に空を飛ぶ馬はあるが、中国では赤や茶を名馬とするところから、有翼の白馬はペガサスを意味すると考えられる。すべての動物に翼が付くのは、阪急の急の字にちなんだにちがいない。翼はスピードの象徴でもあるのだ。≫
 ふーん、洒落てる!

 では、筑摩書房から、この本が出版(1995)されてから、その後、解体され、新築されたので、伊東忠太の作品はどうなったの?
 調べたら・・・百貨店内のレストランの天井となっていましたよ。(続く)
伊東忠太15j

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伊東忠太動物園

妖怪j
(承前)
 京都 西本願寺 伝道院の周りを取り囲む守護妖怪の姿が、それぞれユーモラスで、楽しかったので、「伊東忠太動物園」(藤森照信 編・文 増田彰久・写真 伊藤忠太 絵・文 筑摩書房)を読んでみました。
妖怪2j
 中でも、「怪奇図案集」には、数々の妖怪たちが描かれていて、どの子も変な顔!
妖怪4j
そして、後半の「伊東忠太幻獣論集」は伊東執筆で、「化けもの」「狛犬」「馬に関する空想」「龍」「鳳」「麒麟」「狻猊」(*さんげい・・・獅子の別名)「鯱」(しゃち)という文が掲載されています。
 それぞれの歴史的背景が嬉々として書かれ、伊東忠太が、幻獣に心惹かれて(憑りつかれて?)いるのがよくわかります。(続く)
妖怪3j

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伝道院

龍谷4j
 西本願寺の門前町(通り)に西本願寺の伝道院(旧真宗信徒生命保険会社)があります。通りすがっただけで、中には入っていませんが、和洋折衷、さらに、インド風にもペルシャ風にもみえる建物は、周囲を妖怪たちが取り囲み、「地獄絵ワンダーワンド」展鑑賞後には、ぴったり。(龍谷ミュージアムの裏手です)
 地獄絵の多くが、江戸以前のものだったのですが、この妖怪たちは、1912年の設立の時のもののよう。車通りに面しているせいか、不届き者のせいなのか、鼻が欠けてしまっているのも居るけれど、概ね、かわいいお姿でした。
妖怪2j
龍谷5j
 この建築家、伊東忠太(1867~1954)は、先日の「祇園閣」➡➡の建築家でもあって、やっぱり、京都はいろいろあるなぁ・・・。
 その美意識の好みはいろいろあるにせよ、斬新で頑丈な造りの建物は、見上げるばかりの立派なもの。(続く)

       龍谷3j

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龍谷ミュージアム

龍谷j
 京都 西本願寺前にある、龍谷ミュージアムの「地獄絵ワンダーランド」展(~2017年11月12日)に行きました。夏の間、東京、三井記念美術館でも開催されていたようです。
 タイトルから、おどろおどろしいものを想像しますが、館内で見られる12分の映画「ようこそ、地獄ツアー」(Welcome to the Hell)も、判りやすく、展示内容も見やすいものです。そして、水木しげるの「水木少年とのんのんばあの地獄めぐり」という作品群も見ることができ、すべてが古いもので、時代考証せねばならないということでないところが、「地獄絵ワンダーランド」展の面白いところかと思います。

 もちろん、仏画も奥深いものですが、地獄絵だって、負けていません。平安時代の僧・恵心僧都源信が『往生要集』を著したことから、中世から近世にかけて、盛んに地獄絵や六道絵が描かれたらしく、その図絵などが並んでいます。
 また、絵巻を見ていると、絵本や、アニメーションの原点を見る気がしますが、今回の地獄絵の数々からはユーモラスな顔つきの閻魔大王や鬼たち、他の地獄の人々は、いわゆる劇画の登場人物にも見えてきます。
 また、一群の十王座像・葬塔河婆座像・白鬼立像(木造)の、憎めない顔つきを拝んでいると、多くの人は、極楽浄土に行けないと悟っているからこそ、ちょっと緩めの地獄を設定するのかもと考えたりするのです。
 それが、証拠に、「ああ、楽しかった」と会場を退出したからです。

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有象無象

    ガーゴイルj
 まだ、拙欄では、季節外れのスイス報告が続くというのに、巷では、もはや、解散総選挙。
 スイスに出発した8月3日は、内閣改造をして、顔触れを刷新し、いろんな疑惑も解明、汚れを払拭していくのかと思いきや(ほとんど、期待はしていませんでしたが)、なんのことはない、なんだか、調子に乗って、何でもやれると思い込んだ解散。

 すると、有象無象に魑魅魍魎。いい歳をした大人が、主義主張を後回しにする姿。
 疑惑を追及していた正義の味方も信じられないと、自分さえよければそれでいいと、子どもたちに伝えるのが、彼等の使命なのか・・・

 加えて、1989年の東西ドイツの壁崩壊から、30年に満たない昨今、地球の上で、次の足音が聞こえるなんて・・・
 今や、まさか、と思うような大統領を選ぶ民主主義の国だってあるし・・・
 数の多さで、何でも、突破していきかねない空気が怖い。

 ただの1票、されど1票、ぼやく前に、投票に行きます。いつも、期日前投票です。
☆写真下上は、スイス、ヴィンタートゥールガーゴイル。
 下は、京都 西本願寺伝道院前 (伊東忠太設計) 妖怪

龍谷2j

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ホドラーと山

ホドラー3j
(承前)
 昨年、スイス ヴェヴェイのイエニッシュ美術館ホドラーのアルプスなどの絵を、ここにも掲載しました。➡➡
 風景の抽象化という言葉通り、風景が細かく写実的に描かれているわけではありません。
 が、しかし、知っている風景なら、ああここね。とわかるような描き方です。
 写真は、スイス シーニッゲプラッテ⇒⇒に行く途中、ホドラーポイントとされる場所。下は、そこから見て描いたと思われる絵。
ホドラーj

 次は、ニーセン山です。山の姿もさることながら、変幻する雲!!!
ホドラー2j
ニーセン15j

次は、世界文化遺産となったシャブレー葡萄畑から見たレマン湖。
シャブレーj
シャブレーjj

 ・・・と、変幻する自然を抽象画で表現したホドラーです。
 確かに、こんな素人をも、毎年スイスに誘うのは、日々違う姿を見せるスイスの自然です。変幻するのは、一日単位ではなく、ほんの数分ということもあって、より、今このときの風景に魅せられ、また、次も、という気持ちが湧いてくるのです。(続く)

☆写真のホドラーの絵は、すべてバ―ゼルのバ―ゼル美術館。風景は上から、2017年、2016年、2015年。

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スイスのホドラー その2

(承前)
 今回出かけたスイスの美術館には、ホドラーの作品がたくさんあります。
 これは、若い時のホドラー自画像。(オスカー・ラインハルト アム・シュタットガルテン美術館 ヴィンタートゥール)
       ラインハルト13j 
 下の写真に写る三枚の画の真ん中はホドラー自画像。(バ―ゼル美術館 バ―ゼル)
 ホドラー6j
 これも、バ―ゼル美術館
ホドラー7j
 これは、「ライヘンバッハ付近の森の中」。(オスカーラインハルト アム・シュタットガルテン美術館 ヴィンタートゥール)
ホドラー8j
 さて、2016年ヴェヴェイのイエニッシュ美術館でもたくさん見ましたが➡➡、また2014年のホドラー展➡➡でも「変幻するアルプス」という展示があったように、次は、ホドラーの描く自然です。(続く)

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スイスのホドラー その1

ラインハルトjjj
(承前)
 ヴィンタートゥール市街地にあるオスカー・ラインハルトコレクション「アム・シュタットガルテン」美術館には、スイスの画家ホドラー➡➡が充実していました。

 写真下に写るホドラー「無限へのまなざし」は、後で行くことになるバーゼル美術館にも、同じモチーフの大きな絵がありましたし、後半一部同行した娘が行ったチューリッヒ市立美術館にもあったようです。(続く)
 ラインハルト2j

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☆写真はオスカー・ラインハルトコレクション「アム・シュタットガルテン」美術館ホドラーの作品。一番上の風景画は、のちの風景の抽象化の画風➡➡とはずいぶん異なります。 4番目はバ―ゼル美術館。5番目はチューリッヒ美術館。4番目と5番目は壁絵のように大きいもの。 

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オスカー・ラインハルト美術館 

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(承前)
 もう一方のオスカー・ラインハルトコレクション、ヴィンタートゥール市街地の公園にあるのが、オスカー・ラインハルトコレクション「アム・シュタットガルテン」美術館です。
 丘の上のコレクションは印象派を中心に、後期ゴシックから20世紀まででしたが、こちらは、主に18世紀末〜20世紀半ばのスイス、ドイツ、オーストリアの画家の作品や、スイスの風景画などを展示しています。 
 スイスの印象派と言われたジャコメッティの父親の絵もたくさんありました。
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 他にもスイスの風景画も多くあり、丘の上のオスカー・ラインハルトコレクションとは、少々雰囲気を異にしていました。(続く)
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    ラウンターブルンネン
☆写真は、上からオスカー・ラインハルト美術館、ジョヴァンニ・ジャコメッティ二枚、キャスパー・ウルフ「ラウターブルンネンの滝」一番下は、現在のラウターブルンネン
 

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召し上がれ

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(承前)
 丘の上のオスカー・ラインハルトコレクションに午前中に行ったのは、お昼を、そのテラスで食べようというプランがあったからです。
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充実した絵画鑑賞、気持ちのいい庭園散歩、そして、美味しい空気を吸いながらのランチ!
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大体、美術館のカフェやレストランは失敗することが少ないのですが、ここのは、とても美味しかった。
スイスのドイツ語圏の女性がフランス語で「ボナペティ(召し上がれ)」といいながら出してくれたのはイタリアン。
 きゅうり(キューカンバー)のスープ(これが意外と美味しい。青臭くなく、胡瓜の細かいシャリシャリ感が楽しめます。)
次は、ラビオリ(ほうれん草とリコッタチーズ入り)、ソースにかかっているのは、バルサミコ酢と、葱?

 さて、腹ごしらえもできたら、さっきのシャトルタクシーで街の公園にあったオスカー・ラインハルトコレクション 「アム・シュタットガルテン」美術館に行きます。(続く)
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オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」 その4

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(承前)
 センスのいいお屋敷美術館は、その立地も素敵です。ロンドン ハムステッドのケンウッドハウスもハムステッドヒースから遠くロンドンを見晴らす丘(ヒース)の上にありましたし、今回行ったオスカー・ラインハルトコレクションも街を見晴らす丘の上、敷地に森・・・
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その庭には、彫刻が点在し、気持ちのいい空間となっています。さらに森の方の拡充しようとしていました。
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オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」その3

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(承前)
 オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」には、それぞれの画家の特徴がわかりやすい絵画が多く、小難しく考えることなく絵画が楽しめる空間です。だから、美術に関心の深くない夫も楽しめたのでしょう。
 例えば、上のピカソは、遠くからでも「ああ、青の時代のピカソね」とわかるのが嬉しい。
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ルノアールもいかにも・・・
 セザンヌもいかにも・・・
 モネもいかにも…
 そんな中、最後の空間に一枚あった、セザンヌは、夫もカ・リ・リ・ロも気に入り、初めて、同じ絵画の前で、「いいなぁ。これ」と語り合うという とても珍しい時間を過ごしました。(続く)
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☆写真一番下は、先日の➡➡ルノアール(左壁)とマイヨール(右隅)。窓の向こうはお庭です。

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オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」 その2

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(承前)
 ヴィンタートゥールの丘の上、オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」は、展示内容も状態のいい絵画ばかり、しかも具象絵画なので、素人にもわかりやすい。
 ルノアールもモネもマネもドガも、ロートレックもピカソも、セザンヌも。アングルもコローもドラクロアも。絵画だけでなく、彫刻も。ロダン、マイヨール・・・
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 ドーミエもたくさんありました。水彩やエッチングだけでなく、油絵も。(上の写真、窓の傍にあり、光の加減で、実物の良さが伝わらない。何枚も撮ったのですが、実物とは全然違う・・・)
 特に三等客車のシリーズがあったのは、嬉しいものでした。
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 というのも、かつて、大学院の聴講で、「フランス文化論」の末席にいましたが➡➡そのレポートの題材に選んだのがドーミエの「三等客車」だったからです。カ・リ・リ・ロの選んだのは、母子の描かれた作品でしたが、ここでは男性陣ですね。(続く)

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☆写真上から、コロー、ドーミエ、ドーミエ、ロートレック

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オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」その1

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(承前)
 スイス ヴィンタートゥール➡➡ には、オスカー・ラインハルトという美術蒐集家の美術館が二つあります。市民公園に一つと、丘の上の私邸だったところに一つ。
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 ロンドンのコートールド➡➡、パリのジャックマール=アンドレ美術館➡➡など、こじんまりとしたお屋敷を美術館にしたものは、入場者も少なく、趣味こそ違え、厳選されたものだけが並んでいる美術館なのですが、丘の上にある オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」、ここもその一つ。
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開館時間に到着する駅からのシャトルタクシーに乗っていたのは、我々夫婦ともう一組のドイツ語圏の夫婦のみ。
オスカー・ラインハルトコレクション「アム・レマーホルツ」では、どの絵も独り占め。

 美術鑑賞は、趣味でなかったはずの夫も、美術の教科書に出てきた有名画家の連続に、興奮気味。いつのまにやら、鑑賞者というより、スマホ撮影者と化していました。(フラッシュたかなければ写真OK)(続く)

☆写真は一番上から、クラナッハ「(ヨハネス・クスピニアン博士と夫人の肖像」 (ヴィンタートゥール市内の写真➡➡に写る絵)。
 二番・三番の暖炉の上の絵はルノアール。
 四番めは、ルノアールの前にマイヨール。(この空間には、この二つだけ。お互いを高め合っているように思える、いいセンス!!)
 五番目は、一番上のクラナッハの右横に展示のブリューゲル。「雪中の東方の三博士の礼拝」(降りしきる雪が細かく描かれています。)
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ヘーエウェック通りと勝景園旅館

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 「アルプスのタルタラン」(ドーデー作 畠中敏郎訳 岩波文庫
 スイスに行く前には、「タルタランのスイス漫遊のお話を意識した写真を撮ってきたいと考えています」などと書いたのに➡➡、現地についたら、きれいにドーデ―のことを忘れていました。
 それで、申し訳程度に思い出したのが、インターラーケンの通りのこと。
 今や、中国の人達であふれかえっていて(人が押し寄せてきて)、食事処も中華飯店などが多い、街になっています。何より、目につくのは、高級時計や高級バッグを取り扱っている店の多いこと、多いこと。
≪インターラーケンの上等の旅館がすべてそうであるように、マイヤー経営のユングフラウ・ホテルは、ヘーエウェック通りにある。此のヘーエウェック通りというのは二筋に胡桃の並木のある廣い遊歩道路で、タルタランにぼんやりとあの懐かしい「町のぐるり」を思い出させるものがあったが太陽と埃と蝉とが缺けていた。というのは此處で滞在の一週間この方、雨は降りやむことはなかったので。≫
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 そのヘーエウェック通りというのが上の二枚の写真。タルタランのように一週間この方、雨でありませんでしたが、この日は雨でした。

タルタランは、 インターラーケンからクライネシャイデックのホテルに泊まりユングフラウ登頂を果たすのですが、そのホテル≪勝景園旅館≫が、下の2016年の写真。赤い登山電車は、ユングフラウヨッホ行き。
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独立不羈のテル

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(承前)
 「ウィリアム・テル劇」は、 「ヴィルヘルム・テル」 (シラー作 桜井政隆・桜井国隆訳 岩波文庫)➡➡を先に読んでいたから、全編ドイツ語でも楽しかったのですが、ゲーテの 「スイス紀行」 (木村直司編訳 ちくま学芸文庫)➡➡を読むと、どうも、シラー、オリジナルとは言い切れないよう。もちろん、この地方に伝承され、英雄となったウィリアム・テルのお話ですから、誰の作品がオリジナルなどとは特定できません。

 が、ゲーテの記述に、こんな表現が・・・(訳文が少々わかりにくいけど…)
≪私の構想をごく僅かに伝えると、私はテルのうちに一種の民衆を描こうと思った。それゆえ彼を屈強な荷物運びの大男として造形した。彼の仕事は剥ぎたての毛皮その他の物品を一生のあいだ山から山へ運ぶことで、支配することも隷属することも顧みずに自分の生業を行うことしか考えず、自分に加えられる直接の害悪には敢然として抵抗する気構えがあった。彼はこの意味で身分の高い裕福な人々に知られていたが、その他の点では、異郷の圧政者たちの間でもお人好しでとおっていた。この彼の社会的地位により、私には筋の導入部分が容易になった。それにより、本来の決定的瞬間の状況がありありと目に見えるようになったのである。・・・・≫
 
 そして、この後、ゲーテが描こうとした代官像、テルとその代官の個人的対立など、話の構想が出来ますが、実際に執筆には至らなかったようです。
 それで、
≪内面では造形し、外面で執筆を怠っているうちに、新しい世紀に入った。私はシラーとこの件についてしばしば話をし、かの岩壁や緊迫した情勢を生きいきと叙述することによりたびたび彼を楽しませていたので、この主題は彼の内部でも彼なりの仕方で整理され、しだいに形をとるようになったに違いなかった。彼も私に自分の見解を述べるようになった。新奇さと直接の観照という魅力を失ってしまった素材に私はなくて困ることもなかったので、私はそれを喜んで彼に正式に譲ることにした。・・・・≫

 そうかぁ・・・二人の文筆家たちが仲良く磨き上げた話が「ウィリアム・テル」だったのね。・・・と思いきや、その後、ゲーテは、こんなことを書いています。

≪1806年抒情詩的「テル」のことが再び話題になった。私はそれを1797年にスイスで構想し、シラーの戯曲的「テル」のためあとで引っ込めてしまったのである。両者は両立するものであった。私のプランはシラーによく知られていたし、私は彼が他の謀叛者たちに依存しない独立不羈のテルという根本概念を利用したことに満足していた。しかし彼は上演にさいし、彼の才能の傾きに従い、かつまたドイツの演劇的欲求に従い、まったく別の道を歩まなければならなかった。私には抒情詩的に悠長な壮大なものが依然として意のままになった。そしてすべてのモチーフは、一脈相通ずるところがあったとはいえ、両者の脚色において全面的に別の形をとっていた。≫

つまり、シラーの独立不羈のテルの話は、実は、独立不羈ではなかった?

*独立不羈(どくりつふき)・・・他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。
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ウィリアム・テル劇

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 (承前)スイス インターラーケン・オストの野外劇場で、スイスの英雄 ウィリアム・テル劇を見ました。

 夏の間、何日かに一度,開演されています。野外劇場といっても、観客は雨に濡れない建物の中。野外は、舞台の方。森を拓いたような場所に、家(小屋)を建て、道を作り、生きてる馬が走り抜け、生きている牛が牧歌的な雰囲気で通る・・・
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 ちーっとも、ドイツ語は分からなくても、先日「ヴィルヘルム・テル」(シラー作 桜井政隆・桜井国隆訳 岩波文庫)を読んでいたので、大筋がわかり、楽しかった!
 「ファーター(お父さん)」しかわからなくても、大丈夫でした。(シラーのと大筋同じですが、領主の娘??の出番が話より多く、恋物語も組み入れた舞台となっていました。)
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 もちろん、重要な役回りはプロだと思いますが、役者さんたちの多くは近くの住民かもしれません。シラーの「ヴィルヘルム・テル」のときに書いたように、テルの子どもの見せ場➡➡を楽しみにしていたものの、その点は、あっさりしていました。

 夜9時ころまで明るいスイスでしたが、日が陰ってくると、さすがに冷え込み、フリースのヨットパーカー、スカーフ、レッグウォーマーそれに手袋といういでたちで鑑劇しました。終わったら、さすがに真っ暗の10時でした。
 その晩、どんどん冷え込み、朝起きたら、ホテルの窓の向こうの山には雪。(続く)
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☆写真一番上は、開演の前に、近くをデモンストレーションしている役者と牛。このままの格好で登場してました。上から3・4番目の写真は、終演後のスタンディングオベーションの時。役者も馬もみな登場するのはいいけれど、馬の疾走って、早いんやね・・・・

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