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みんなみすべくきたすべく

1930年代のロンドンという文脈の中で

    コートールド2j
 「アントニー・ブラント伝」(ミランダ・カーター 桑子利男訳 中央公論社)
(承前)
 アントニー・ブラントは、売国奴とはいえ、英国の美術界に多大な足跡を残した人であったには違いのないことですから、本の中に紹介される、彼の美術に対する考えや、行動には興味深いものがたくさんありました。
  
≪1930年代のロンドンという文脈の中では、ブラントの現代性は際立っていた。英国の現代美術にとっては肩身の狭い時代だった。公立美術館は現代美術にはほとんど関心を示さなかった。関心を示したくても、先立つものがなかった。セザンヌのコレクションは英国にたった一つしかなく、それはサミュエル・コートールドが所有していた。また、現代美術が見られる場所は、ロンドンのコーク・ストリート周辺にある商業画廊だけだったが、どこも売れ行きのほうは芳しくなかった。レスター・ギャラリーが、後期印象派の中でも最も抒情的で家庭的な画家ベルト・モリゾを展示したものの、まったく買い手がつかなかった。・・・・・(中略)・・・・1933年、非難囂々の真っ只中で、テート・ギャラリーは、初めてのピカソの作品の購入に踏み切ろうとしていた。ブラントは応援を買って出、自身のコラムと『リスナー』誌への手紙の双方で、購入を支援した。ブラントはこう論じた。ピカソは「当代最高の画家」であるとともに、西洋の偉大な伝統に連なる芸術家である。テート・ギャラリーに展示されて当然と言わなけれなならないと。・・・≫
 
 今のロンドンのナショナル・ギャラリーやコートールド美術館では考えられないのですが、1930年代英国においては――≪印象派などの人気がなかった≫、また、≪ピカソを購入するのが非難囂々だった≫・・・・驚きでした。

 また、今は、コートールド美術館は有料であるものの、ナショナル・ギャラリーもテート・ギャラリーも大英博物館もヴィクトリア&アルバート美術館なども、無料で入場できる(特別展以外)英国の美術・博物館の太っ腹しか知らない者にとっては、時代とはいえ、≪先立つものがない≫英国の公立美術館というのも、驚きでした。(続く)

☆写真は、カナレットの描いたサマセットハウス(コートールド美術館のテムズ川沿い)二枚のコートールド美術館のチケットは、左2006年のもの(ドガ「舞台の2人の踊り子」)。右2017年のもの。(マネ「フォリー=ベルジェール劇場のバー」
***当時のコートールド美術研究所は、ポートマンスクエア20に位置し、テムズ川沿いの場所にはありませんでした。

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