みんなみすべくきたすべく

倫敦の馬

馬進むj
(承前)
 ハイドパークでのウォーミングUPの帰りでしょうか?馬さんたちは、通勤の車を従えて、EXHIBTION RD.を右折し帰っていきました。
馬曲がるj
 さて、確実に、ロンドン市内で馬さんを見ることができるのは、ホースガーズでの近衛騎兵連隊交代式で、一時間毎にあるようです。
ホースガードj2
 真っ赤なコートを着て、写真写りがいいですね。今回は、時間を調べ、待って見たのですが、長々しい儀式もなく、本当に掛け声一つの交代で、あっけなく終わってしまいました。そりゃそうよね、交代に時間をかけていたら、仕事にならん・・・(続く)
ホースガードj
               ライフがーずj

PageTop

公園の馬

ハイド馬1
(承前)
 ハイドパークには、馬の歩く赤土の道があります。
 騎馬隊の朝のウォーミングUPにも使われているし、一般の人の乗馬道にもなっているようです。
 馬さんのお姿は、いつも颯爽と見え、上に乗っている人たちも、特に制服の人たちは、きりりと見えます。
  ハイドパーク馬2

 そうそう、暖かくなったといっても3月の中旬のロンドンの朝に、サーペンタイン池で泳いでいる人いましたよ!プールのように区切った場所ではありましたが、一人二人じゃありません。泳いだ人、これから泳ぐ人、そして今泳いでいる人、延べ10人以上見ました。うーん。鳥の羽根も葉っぱも浮いてるよ。
 そういえば、ロンドンオリンピックの時のトライアスロンは、この池で泳いでいた。・・・➡➡やっぱり、この池から泳いでスタートしたのは、マジだった。(続く)
泳いでるj

PageTop

「いや、今からでも遅くはないのです」

ヴィクトリアj
 2017英国報告途中ながら、先日、電車で読んでいたエッセイを、ご紹介するのは、やっぱり、「今」なので、書いてみます。・・・なぜ、今か?

丸谷才一エッセイ傑作選1「腹を抱へる」のなかの「男の運勢」(1977)。

 丸谷才一は大庭みな子と閑談している時に、アメリカの大統領選挙で選ばれるのは大統領ではなく、大統領夫人が選ばれるという話題になったようです。
≪・・・アメリカ人は大統領選挙の時期になると、勤め先でも、パーティでも、家庭でも、寄るとさはると、大統領候補夫人の品定めをする。・・・・口角泡を飛ばして論ずる。が、大統領候補A・B・C氏のことは誰もちっとも問題にしない。話題にのぼるのはもっぱら候補夫人のことばかりである。・・・そしてこの、全国民的討議の結果、大統領夫人としては誰がいいかといふことが決められる。その結果、付随的に、あるいは自動的に、彼女の亭主が大統領といふことになる。…≫
・・・とアメリカの大統領夫人の話が続き、丸谷才一自身は≪わたしは男子として、かういふ思想傾向があまり愉快ではなかった。≫としつつも、その事実と論理性に思いめぐらし、そう言えば・・・と続けます。
 日本古代史の天皇の話から始まり丸谷才一が気付いたのは、
≪そして恐ろしいことに、これは何も日本の天皇やアメリカの大統領の場合だけではなく、もっと広い範囲に適合する普遍的な真理ではないかと、後日わたしは思ひ当つたのである。つまり、男が偉くなる、出世する、それをわれわれは何となく、その男の能力のせいと考へてゐるけれども、実は細君の能力のおかげなので、彼が偉いのは、実はさういふ細君を身辺に置くだけの力があるところではないか。これは一見、奇をてらつただけの説のやうに見えるかもしれないけれど、じっくり考へてごらんなさい。コペルニクス的転回だといふことがよく判るはずだ。≫
 つまり、三木武夫が総理大臣になったのではなく、三木睦子さんが総理大臣夫人に選ばれ、佐藤寛子さんが首相夫人たるべき人だったから佐藤栄作氏が首相になり、谷崎潤一郎は二度離婚したものの、文豪と呼ばれたのは三番目の松子さんという文豪夫人と結婚して、彼が自動的に文豪となった・・・
 で、このあと、このエッセイの「落ち」が書かれていますが、それはさておき、「今」タイムリーなトピックだと思うのは、カ・リ・リ・ロだけかい?

☆写真は、ロンドン ビクトリア&アルバート ミュージアムの側面壁の上、こんなところにヴィクトリア女王のお顔。ヴィクトリア女王が繫栄した一時期を築いたのは、女王の夫君アルバート公が居たから?写真下は、アルバート公の像(ロイヤル・アルバートホール正面に立つモニュメント)
            アルバート公j

PageTop

近所の花とイギリスの花

ポートベローj
さあ、咲きましたよ!と言いたいところですが、上の写真は、先日のロンドン、ポートベローマーケット付近の桜です。日本の桜は、今年はちょっとゆっくり?今日現在、特に、この辺りは、つぼみにすこーしピンクが見える程度。

 とはいえ、ご近所散歩も、花が増えてきて嬉しい限り。続く二枚は、ユキヤナギにベニバナトキワマンサク。
ゆきやなぎj
ベニバナトキワマンサクj

 さて、次の二枚はどちらも木瓜(ぼけ)の花が写っています。
 片や、ご近所。
 片や、壁に はわそうとしている英国 ハンプトンコートパレス。
 うーん、日本じゃ「壁にボケ」など見たことないけど、イギリスでは木瓜もバラのように花期が長いのか?それとも、違う品種?
木瓜の花j
木瓜レンガjj

PageTop

近所の水鳥

水鳥4
 ハイドパークに教えてもらった朝の散歩。せめて、朝の散歩ができる場所を探して移り住んだ、この地域、それなりに満足しています。
 今は、近所の川辺でも、いろんな水鳥や水辺の鳥を見かけます。
 春だからですね。多くは「つがい」で行動。仲良く巣つくりの場所を探索中?ただし、最後の一枚は、右ハクセキレイ、左イソシギ。
水鳥4j
水鳥3
水鳥16

PageTop

公園の水鳥

おしどりj
(承前)
 ロンドンの街なか、ハイドパークとケンジントンガーデンズは、一続きですが、それぞれを区切るサーペンタインとロングウォーターという人工池(これも一続き)があります。ほかにも、小さな池や噴水もあり、水鳥もたくさん生息。
 また、サーペンタインの真ん中には、下のような鳥の浮き島もあって、朝からにぎやかなこと。(続く)
鳥の島jj
☆写真一番上は、おとなしくポーズを取ってくれたので、ほかにもいいショットが撮れたおしどり。一番下は、柳の新芽を食べるガチョウの類。
柳の新芽j

PageTop

公園の鳥 

緑鳥12j
(承前)
 ロンドンの真ん中にある、ハイドパークとケンジントンガーデンズは、道を挟んで隣にあります。
 いつも、リスを見かけますし、以前はウサギも見かけていますから➡➡、小動物が多いのが、この公園の魅力の一つでもあります。
 また、木々の多いケンジントンガーデンズの方には、より鳥が多く、朝の散歩では、鳥の鳴き声で溢れています。
緑鳥25j
 イギリスの田舎に行くと、早朝、騒々しいくらいの鳥の声が聞こえる。それは、カ・リ・リ・ロが渡英する愉しみの一つです。
 ところが、ロンドンの街なかにあっては、ホテルを出て、少し歩かないと鳥の声を聞くことができませんので、いつもハイドパーク・ケンジントンガーデンズに近いホテルに泊まることにしています。(続く)
kasasagij.jpg
☆写真は上二枚が、RING-NECKED PARAKEETS(と、案内板にありました)飛ぶ姿は、尾羽が長いので、優雅な お姿。三枚目がカササギ。一番下は、クロウタどり。
クロウタ鳥j

PageTop

なにが起こるかわからない

     国会議事堂j
 ロンドン ウェストミンスター橋でのテロ行為!!!!!
 BBCニュースの空からの映像を見たら、鮮明に思い出される場所。つい、先日行ったところ。
 女王ブーディカの像まで、 (➡➡ ・ ⇒⇒)空から写っていました。

 実は、渡英にあたって、人の集まるところ、政治的な空気のあるところ、夜の繁華街を避けて、ホテルを取り、行動計画しました。
 したがって、当然、国会議事堂近辺には行かないはずでした。・・・・が、現地で妹のリクエストを聞いたら、国会議事堂横のウェストミンスター寺院のステンドグラスを見たいという声。

 ロンドンの平穏な空気に惑わされ、ついつい、当初のルールを忘れ、予定外で行ったものの、その日はビジターお断りの日でした。(なにしろ、事前に調べていなかったのです。)
 そこで、仕方がないので、ウェストミンスター寺院隣の国会議事堂(ウェストミンスター・パレス)の方に道路を渡り、上の写真のようなヴィクトリアタワーという国会議事堂南側のとんでもなく大きな入口の写真を撮ったわけです。(この建物は、2014年に行ったときに撮った下の写真、北側のビッグベン(エリザベスタワー)より高いタワーです。)
 この写真、こんな時に、UPするなんて、思いもよらないこと・・・・

 ・・・・というわけで、「2017英国報告記」は、このあとも、だらだら続きます。

             ビッグベンj

PageTop

ことしもまた

 すもうjj
 今年もまたチケットをもらったので、大阪場所に行きました。
 久々の日本人横綱というので、満員御礼でにぎわっていました。
 綺麗なお相撲さんも2・3人いるので、その人たちには、お声も多く・・・
 とはいえ、日本人じゃなくても、白鵬が休場というのは、なんだか盛り上がらない・・・・

 仕事の都合で一緒に行けなかった娘に、どの「いちばん」がよかったかと聞かれても、うーん、白熱した取り組みの印象が少なく、どのお相撲も、ぶつかるだけ、寄るだけ、はたくだけみたいな感じで、ほんとに「よつに組む」というのが少ない・・・

 とはいえ、あの雑然とした場所の空気、だんだん、くせになってきた。
 狭い狭い席で、年に一度、大阪の春を堪能しました。

PageTop

ハイドパークの散歩

ハイドパーク橋j
(承前)
 25年以上も昔に、友人と初めてイギリスに行ったときのことで、思い出深いこと、場所は数々あるのですが、今なお、大きく心に残っているのが、ハイドパークの散歩です。
 この広大な(東京 日比谷公園の9倍とか)、しかも街の真ん中にある、ケンジントンガーデンズと一続きになった公園は、その造りもさることながら、ここを歩く人と犬も魅力的です。

  犬をこんな街のど真ん中で散歩させられる・・・という生活の余裕。
  たいていの犬が首輪をはずしてもらっている・・・楽し気な犬・・・犬と主人の豊かな時間。
 ・・・この公園を散歩できるのは、近くのお金持ちでもあるのでしょうが、そのゆったりした時間の過ごし方に、人の晩年の幸せを見るような気がしたのです。そして、それは、老年期のカ・リ・リ・ロの人生の目標ともなっています。
ラッパズイセンj
 さて、近年は、夏にロンドンに行くことが多かったので、この芝生の緑が、雑草に代わっているような場所を見て、少々がっかりしたこともありましたが、今この時期は、緑が美しく、それに育成中の芝生ゾーンも増えているみたいで、夏も、期待できそうな気がします。(続く)
乗馬1j

PageTop

この辺りも春の訪れ

水鳥のときj
 イギリスから帰ってきて久しぶりにこの辺りの散歩をしてみたら、ロンドンの朝より少々肌寒いものの、しっかり春がやってきていました。まだまだ、梅も頑張っていたし…

 例えば、昨日の最後の写真、ロンドンのピンクの木蓮も、日本では、まず白い木蓮から・・・
白木蓮j
おお、花粉症に関連するかのような黄色いミモザ。
ミモザj
 もちろん、沈丁花はいい匂い。
沈丁花j
それに、丹精込めた地域の花壇。
花壇j
あれあれ、クラゲもやってきた。
        くらげj

PageTop

春の訪れ

 ロイヤルアルバートj
  はい、遅まきながら、いかなごのくぎ煮作っておりました。
・・・・と、言いたいところですが、予約しても、不漁で手に入らず、別店の予約外で1キロ4000円近くの兵庫県産ものをやっと入手。結局、高級鮮魚と化した「いかなご」は、これでおしまい。かつて、1キロ1000円未満だったそれから見ると、本当に希少品となってしまいました。
 ブルーベルj
 ・・・・で、ただいま。
 ロンドンは、ちょうどこの時期、日本と同じような気候です。というより、ずっと春が進んで暖かく、薄着の人たちも見かけました。
 イギリスまでわざわざ喋りに行くんだろうと娘たちに、言われたくらいの渡英でしたが、久しぶりのロンドンは、心配していたテロの影響も見えず、観光客でにぎわっておりました。とはいえ、夏のスイスや、ここ何年かの大阪や京都に比べ、アジア系観光客が少ないような気がしました。
 妹とロンドンの街なかに4泊し、毎朝ハイドパーク・ケンジントンガーデンズを散歩するというひと時を過ごしてきました。(続く)

☆写真上は、ロンドン ケンジントンガーデンズから見たロイヤルアルバートホール。同じくブルーベルとラッパ水仙。下は、公園に行くまでの木蓮(ピンク)の類。日に日につぼみが膨らんでいくのを見るのは、楽しいものでした。

木蓮ピンクj

PageTop

桜とラッパ水仙とクロッカス

サーペンタイン12j
 桜の類いとラッパ水仙が、満開でした。地面の近くのブルーベルもヒヤシンスも、クロッカスも、満開でした。鳥は歌い、春を告げていました。日本に帰ってきたら、寒かった。
 とりあえず、春は西からやってきているのをご報告。
 サーペンタイン桜j
  大きく、しかも相変わらず高価なままのいかなごを予約してくれているようなので、作ろうと思います。
  するうち、孫が来るし、たまった雑用があるので、もうしばらく拙文休みます。
クロッカス12j
☆写真は、英国ロンドン ハイドパークとハンプトンコート庭

PageTop

今年のいかなご

石山寺j2
 「いかなご」というワードでこのブログの過去の記事検索をしたら、毎年一回はヒットしました。
 ということで、今年も書かなくちゃ。
  
 が、しかし、今春の漁 解禁は、昨年に続き遅かった(3月7日大安)。
 しかも、不漁らしく、予約も取ってくれず、ちょっとタイミングをずらすと手に入らない。さらに、不漁のせいで、初日は、1キロなんと3780円!(二日目は、3980円ってところもあった。)昔、千円以下で買っていた時が嘘のよう。高級魚でありんす。
 どうしましょう?1週間後でも、小さく(すでにちょっと大きい)、しかもたくさん採れているだろうか???うーん。

 ・・・・・実は、今晩すでに、イギリスに行っております。
 関東に住む妹と初めて出かける海外です。ということで、拙文も、ちょっとお休みします。
 帰ったら、忙しい。
 いかなご作る。
   まごが来る。

 ☆写真は、いかなごをあきらめ、梅見に行った 石山寺(紅葉の頃➡➡)。苔むす古木の梅を見に来る人も少なく、いい香りも存分に楽しめました。
石山寺j1石山寺j3

PageTop

生誕150周年

 にあそーりーj
 ピーター・ラビットを生み出したべアトリクス・ポターの生誕150周年記念らしく、各地で、原画や、ゆかりの品々の展示が催されているようです。
 大阪ではグランフロントのイベントホールで開催されています。(~2017年4月2日)

 ピーター・ラビットシリーズに描かれたそのままの風景が残っているということで、25年以上も前に、湖水地方に友人たちと出かけたのが、事の始まり。本当にそのまま、ピーターもジマイマも、タビタさんもナトキンも、みーんなすぐ出てきそうなところでした。
 その後、湖水地方には行っていませんが、多分、お土産屋さんが充実した以外は、まだそのままだと思われます。

 生誕150年1866年生まれのべアトリクス・ポターは、「ジョン・ギルピンのゆかいなお話」 の作者ジョン・ランドルフ・コールデコットの生き生きとした動きを継承した画家のひとりです。
 それもそのはず、彼女の父親自身がコールデコットの大ファンだったらしく原画を収集していたので、彼女は独り占めで、学んでいたようです。
≪「かえるくん 恋をさがしに」の原画もポター家にあったので、『ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』のかえるの擬人化は、それが手本になったという。ポターは「私はコールデコットの画業に、最大の賛美をーーー嫉妬を覚えるほどの賛嘆のことばをーーー贈る」と友人へ宛てた手紙にかいてある。≫(「ランドルフ・コールデコットの生涯と作品―現代絵本の父」(ジョン・バンクストン 吉田新一訳 絵本の家)

 ポターの家にコールデコットがあって、ピーターたちが生まれたのは、本物から本物が生まれた例ですが、1928年 アメリカ NY ブルックリン生まれのセンダックも、コールデコットを愛してやまなかった一人でした。➡➡

*「ジョン・ギルピンのゆかいなお話」 (ウィリアム・クーパー作 吉田新一訳 ランドルフ・コルデコット(絵)ほるぷ)

☆写真は、英国 湖水地方 ニアソーリー村。この庭で、ねこのリビーさんからの手紙を犬のダッチェスさんが読んでいます。「パイがふたつあったおはなし」(べアトリクス・ポター作絵 石井桃子訳 福音館)(撮影2011年9月:&Co.I)

PageTop

読後の幸福感

       廊下j
(承前)
 丸谷才一の対談「日本語で一番大事なもの」(中公文庫)➡➡が面白く、そのあと、少しいろいろ、読んでみました。中でも全集にあった、堀口大學大江健三郎との関りは、興味深いものでした。が、しかし、昨日の辻邦生への評価に、なんだか疑問符だらけの頭になったものですから、じゃあ、丸谷才一の文章とはどんなものぞや?と、丸谷才一翻訳のナセニエル・ウェスト「孤独な娘」(岩波文庫)を読んでみました。

 翻訳物をまず読んだのは、丸谷才一自身が書いた小説➡➡より、翻訳する方が、その人の日本語が見えると思ったからです。とはいうものの、「ボートの三人男」(ジェローム 中公文庫)➡➡の面白さは、何度読んでも変わりないので、きっと、訳する本のチョイスも、極め付けなんだろうと思ってのことでした。

 確かに、「孤独な娘」の翻訳は読みやすく、筋立てもしっかり、すっきり、ページを繰らせる力を持っています。
 「孤独な娘」というペンネームの、新聞の身の上相談係の男性の話です。全体に憂うつな空気が漂っています。アンニュイ・・・

 で、読了しましたが、結果、好みの本ではなかった。
 子どもの本中心で読書をしてきたせいでしょうか。煮え切らない流れも、後味の悪い結末も、好みじゃない。
 本のなかに「幸福感」を見つけられなかったのは、残念でした。
 もちろん、これは、原作のことであって、翻訳者のせいではないけれど。

☆写真は、スイス ギースバッハのホテル

PageTop

作家の批評

          水仙9j
 「丸谷才一全集10巻」を図書館から借りている間に、もう一つ、備忘しておきたい一文がありました。
 最近でこそあまり読んでいませんが、一時期、辻邦生をよく読んでいた時期がありました。朝日新聞を取っていたころ、水村早苗と「手紙、栞を添えて」という往復書簡のような連載があって(今はちくま文庫)、端正なお顔立ちと品のいいお手紙に「辻さま」と、お慕い申しておりました。
 『楽興の時十二章』(音楽友社)や『十二の肖像画による十二の物語』(文藝春秋 文春文庫)、「背徳者ユリアヌス」(中央公論社 中公文庫)などなど・・・音楽と絵画と歴史・・・楽しみに根差した読書をしてきました。

 ところが、丸谷才一は、辻邦生のことを、堀口大學や大江健三郎のように手放しで評価していません。それは、全集に載っている「作家の批評 辻邦夫」という文でわかります。もともと、丸谷才一は辛口で手厳しい評論だと思いますが、同じ年の辻邦生とは、そりが、合わないのか・・・
 また、「堀口大學 詩は一生の長い道」(長谷川郁夫著 河出書房新社)を読んで以来、文学史上には、いろんな事件や確執、力関係があることを、わかってきたつもりでしたが、ここにも、いろいろあるんだろうと思いました。(もう、ここは深入りしません。)

 さて、「作家の批評 辻邦生」の冒頭から、さっそく、ねじれた感じがします。
≪高度な知識人でしかも有能な作家である人が、多年尊敬を献げてきた偉大な作家を論ずるときだけ、かういふ充実した本を書くことができる。辻邦生の「トーマス・マン」はそんな性格の本である。・・・・≫

 昨日の大江健三郎の「慶事を喜ぶ」の文頭と全く違うでしょう?論ずるとき「だけ」なんだって!

 文中、かなり屈折した表現があって、やっぱり辻さまのことがお嫌いのようです。
≪普段、いつも、筋に綾をつけたり、小道具の扱い方を工夫したり、風景描写に苦心したりしている、しかもそのくせ観念的・形而上学的な志向の強い男がゐて≫と表現されていますから。

 そして、文末は、こうです。
≪おそらく辻にとつては、独仏両国の文学の対置と、その果てにある世界文学といふ理想が、運命的な課題なのであろう。さういふ、構へが大きくて威勢のいいマン入門の書として、これはいかにもこの著者にふさはしい本になつてゐる。≫

 ここでは、構えがいいとか威勢がいいは誉め言葉じゃないよね?
 しかも「この著者」だって!微妙な距離感。

 とはいえ、ちゃんとタイトルにあります。この文は辻邦生の書いた「トーマス・マン」という本の批評ではなく「作家の批評 辻邦生」でした。(続く)
 

PageTop

慶事を喜ぶ

          大江ゆかりj
 「丸谷才一 全集10 」(文藝春秋)を読んでいたら、こんな文が入っていました。同時代の文学者への章です。
 書き出しから、うれしいという気持ちがあふれています。「慶事を喜ぶ 大江健三郎」
≪大江健三郎さんのノーベル賞受賞を喜ぶ。わたしはとても嬉しくて、正直、何だかほっとした。残念なのはただ一つ、いろんな新聞の朝刊に大江さんの破顔一笑の写真が出てゐないこと。顔写真はみんな、もちろん沈んだ表情ではないけれど、ほほゑむ直前くらいゐなんですね。ところがあの人は笑顔千両なんです。・・・・≫

 で、思い出したことがあります。ずいぶん前のこと、大江健三郎がノーベル賞を受賞するより前だったと思います。
 大阪のお話の会が主催する講演会に氏が講演に来たのです。「昔話と私」といったようなタイトルだったと思います。自分の幼い頃、語ってもらったお話、そのときの様子など、それこそ、破顔一笑、たのしげに話されているのを聴きました。
 テレビなんかで、社会的な発言をなさっている時の緊張した面持ちや喋り方ではありません。聴衆にも、お話の楽しさが伝わるのです。こわごわ、足を運んだのですが、なんのなんの、大江健三郎のファンになって帰りました。
 それまでも、何冊かの彼の小説を読んだことはありました。また、何冊かの岩波新書には啓蒙されたものの、作家大江健三郎はとっつきにくい存在でした。
 が、そのあと、障害を持つご長男の話などを含め 『「自分の木」の下で』『「新しい人」の方へ』という子供向きに書かれた本(大江ゆかり画 朝日新聞社 朝日文庫)が出て、ずいぶん読みやすくなったと感じたものでした。

 もう一つ、この講演会には後日談があります。芥川賞作家で、社会的にも知名度の高い氏を講演者に招くなんて、さぞや、講演料が大変だったでしょう?と主催者側に お聞きしたら、意外な答えが返ってきました。
 「交通費と、こちらが用意できる範囲の講演料でいいという話だったので、嘘のような講演料で話してくださったのだ」と・・・

☆写真は『「自分の木」の下で』(大江健三郎 大江ゆかり画 朝日新聞社)の「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」の章の画

PageTop

子育ては大変だと認められている

        エッフェル塔j
(承前)
 身近なトピックでもあるし、職業上、必要な情報でもあるので、読んでみました。
 「フランスはどう少子化を克服したか」(髙崎順子 新潮社新書)
 フランスで子育てをする日本人女性のフランスの保育環境のレポートです。

 フランスの合計特殊出生率が最低を記録したのは1993年と1994年の1.66。2006年には2.00を超え2010年には2.03,2016年は2.01となっています。(ちなみに、日本の2016年発表は1.46)
 先進国では、この合計特殊出生率が安定して2.00前後なのが、フランスなのです。人口維持のための合計特殊出生率は2.07から2.08ですから、日本の1.46などという数字は、いつ、2.00に近づくんや?という感じです。

それで、「フランスはどう少子化を克服したか」の章立てを紹介すると、
第1章:男を二週間で父親にする
第2章:子供は「お腹を痛めて」産まなくてもいい
第3章:保育園には、連絡帳も運動会もない
第4章:ベビーシッターの進化形「母親アシスタント」
第5章:3歳からは全員、学校に行く
・・・となっています。
 ここで紹介される保育環境の現状は、フランスの少子化克服の一つの方策だと思います。多分、ほかにも複合的に、たくさんのいい方向が生まれ、少子化を克服していったんだと想像します。

 そして、もし、文化や背景など違うから、これは日本に直接、当てはめられない等と、言い切る日本の少子化を考える人たちが居たとしたら、著者が、この本を書きたいと思ったきっかけの話だけでも知ってほしい。この点に関しては、洋の東西を問いません。今も昔も。

 「フランスでは、子育ては大変だと認められている」ということを著者は感じます。
≪こんなハードなこと、親だけではできるわけがない。だからまわりが手を貸そう。その考えが、親戚・ご近所・友達付き合いをはじめ、社会全体に行き渡っています。・・・・・(中略)・・・言い換えると、「親の育児能力」に対する期待が低いのです。親だけで子供を守り育てることはできないと、みなが思っている。・・・・・(中略)・・・園長先生は親御さんたちに、こんなことを話していました。「子供に一番大切なのは、やっぱり親なんです。どんないい保育園も、親の代わりはできない。親ってそれだけ大切で、大変な役目なの。だからこそ、みんなで親を助けなくちゃいけない。親が子供と幸せでいられることが、子供にとっては一番なのよ。だからみなさんも、遠慮しないでいろいろ話して下さいね!私たちは、あなたたちを助けるためにもいるんですからね」・・・≫
☆写真は、パリ エッフェル塔

PageTop

4月から

     紅梅j
 昨年、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が大きな話題になり、保育所問題を改善(今更ですが・・)しようとする小さなきっかけになりました。 
 そして、今、4月に向けて、街に雨後の筍のように、出現する保育ルーム・・・それが、改善の証しだと、勝手に解釈している人もいるかもしれません。
 ツィッターもできぬ、物言わぬ(もの言えぬ)赤ちゃんたちが、将来の日本を支える人間として、不当に扱われていないか、腰を据えて(今更ながら・・・)考えようとしているんだろうか。保育所問題の根本にあるのは何なのか?誰か大人の利ざや、欲で、動かされていないか。補助って、誰が美味しい汁を、ミルクを飲む話?
 
 1.57ショックという言葉があって、日本の合計特殊出生率が、丙午(1966年)1.58を下回ったことを契機に、エンゼルプラン等々、行政は動き出したものの、未だ、その出生率は改善されず、子どもが少ないはずなのに、保育所は足らん・・・女性の労働力を求めているはずなのに、子育てしながら働きにくい。
 教育や福祉を、そのほかの行政より軽く扱うのは、ひいては、どんな人間を増産していくことにつながるか、わからんのかい!

 ・・・と、書いて、孫が、近くの保育所に4月から行くことになりました。本来なら、よかった、よかった。という中、未だ、保育所の決まらない、あるいは、やっと第7希望の保育所にひっかかったというような娘の友人がいて、声を小さくしているのも、やっぱりおかしい・・・(続く)
☆写真は、近所の公園の梅

PageTop

鶴紋

クレイン5j
(承前)
 滋賀県立近代美術館「絵本はここから始まったー ウォルター・クレインの本の仕事」展(~2016年3月26日)の最後に近いコーナーには、クレインの本の絵の中に登場するジャポネスクをまとめていました。北斎漫画や四代歌川豊国(二代国貞)の浮世なども用意され、クレインが日本の絵から影響を受けたことを示していました。

 図録解説によると、≪若い時に浮世絵版画を手に入れたクレインは、当初、その手法を自作に取り入れる先進性を見せた。その後影響は弱まるものの、掛け軸や団扇など日本的な事物を挿絵のデザインに生かそうとした。≫「ウォルター・クレインと日本美術」

 上の写真の見開きページの左の丸い紋様は、日本の三羽雀紋だし、上の鶴紋は、クレイン(Crain)=鶴だし、「古いお友だちのアルファベット」の表紙の長四角のなかに描かれているのは掛け軸に描かれた鶴=クレインとも考えられるようです。また、クレインのサインにあたる部分は、鶴の描かれた落款に見えます。
 
  ウォルター・クレインとエヴァンズが組んだ絵本、そして挿絵、モリスやラファエル前派との関わりや社会主義、果ては、クレインとジャポニズム。ウォルター・クレインの本作りを知るには価値ある美術展でした。欲を言えば、本作り以外のファインアートやアーツ&クラフトの推進者としての姿の全体像も、いつか見たいものだと思いました。

PageTop

色だけに目を奪われないように

クレイン2j
(承前)
 滋賀県立近代美術館「絵本はここから始まったー ウォルター・クレインの本の仕事」展(~2016年3月26日)のクレインとエヴァンズが組んだ仕事は、当時としては、目を引く美しい色合いでした。そして、それらが、安価で、子どもたちの手に渡ることは画期的なこと。
 そしてまた、二人の絵本製作に対する情熱が、後に続く絵本画家たちを生んでいったのかと思うと、色だけに目を奪われずに、その絵の隅々にも目が向きます。

 例えば、上の写真右の「コール王様」が満足気にバイオリン演奏を楽しんでいます。3人の演奏家たちの揃いの服の模様は、4つ足の小動物のようにも見えますが、足のはえたヴァイオリン模様。タクトを振るのは、王様の椅子の背のオウムさん。(「幼子のオペラ」)
 また、同じく写真左の王様の衣装には、鳥の模様が描かれていますが、実は、その模様の前には、ウサギを献上する長靴をはいた黒猫。(「長ぐつをはいた猫」)
 さらに、写真上は、バンベリークロスに行くご婦人に追いつこうと、おうまさん(コックホース)に乗った男の子が鞭をふるっています。(これは、マザーグースの「木馬に乗ってバンベリークロスへ」の絵。)「古いお友だちのアルファベット」)

 こういった本の仕事の端々に表れるユーモアは、今回の展示でも、クレインが家族に向けて書いた自筆のものなどを見てると、伝わってきます。
 
 また、下の写真は「シェイクスピアの花園」(シェイクスピアの劇より・マール社)のカーネーションのページですが、小口木版とは違う形---石版画で美しい絵本を作ったスイスのクライドルフ➡➡にもつながっていくのがわかります。クライドルフは、エドマンド・エヴァンズのような彫版師がいなくても、作品が作れたのです。
*ウォルター・クレイン(1845~1915)*エルンスト・クライドルフ(1863-1956)(続く)
     クレイン4j

PageTop