みんなみすべくきたすべく

ウォルター・クレインの本の仕事

     クレイン12j
 琵琶湖、瀬田にある滋賀県立近代美術館「絵本はここから始まったー ウォルター・クレインの本の仕事」展(~2016年3月26日)に行きました。
 ウォルター・クレイン(1845-1915)は、コールデコットと同時期の人で、ケート・グリーナウェィとも重なります。エドマンド・エヴァンズという彫版師と一緒に、彼らは、美しい絵本を生み出しました。展示の大半は、小口木版の世界で、ケート・グリーナウェィもコールデコットもいくつか展示されています。

 会場には、かなりたくさんのクレインの本の仕事が並んでいました。エヴァンズと組んだ3人のなかでは、一番長く仕事をしたことも作品の多さにつながっています。多くは華やかな色のついた絵本ですが、「フィオリモンド姫の首かざり」などの挿絵のように白黒のものもたくさんありました。その中には、シェイクスピアに挿絵をつけたものもあって、本自体を手に取ってみたいと思いました。
 
  コールデコットに比べ、動きが乏しく、また、書き込みすぎの印象が強いクレインとはいえ、その白黒の挿絵、あるいは、本全体の装丁など、彼の大量の仕事を見ていくと、画風を変えずに描き続けた彼の自負に気づきます。(続く)

*「フィオリモンド姫の首かざり」(ド・モーガン作 矢川澄子訳 ウォルター・クレイン挿絵/岩波少年文庫)
*「ビィクトリア朝妖精物語」(風間賢二編・ちくま文庫) ≪「さすらいのアラスモン」ド・モーガン作(安野玲訳)ウォルター・クレイン挿絵≫≪「王の娘の物語」モルズワース作(安野玲訳)ウォルター・クレイン挿絵≫

         クレイン12jj

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西翁院

      塔頭梅j
(承前)
 金戒光明寺西端の塔頭 西翁院も冬の特別公開で、建物の中には入れませんし、写真も撮れませんが、苔むす庭をぐるっと一回り、そのうえで茶室も見学。小さな枯山水の庭もあって、三尊石組や枯滝石組がありました。
*三尊石組・・・仏教の三尊仏を表した3個の立石。真ん中に背の高い中尊石。左右に脇待石。
*枯滝石組・・・滝が流れるように石に縦の筋が見え、石の前には、滝つぼみたいな平たい石など。

 さて、小さな塔頭「西翁院」の公開目玉は、「紫雲庵」という名の茶室です。ここは、別名「淀看席(澱看席)」と言われ、重要文化財です。金戒光明寺山門からも市内一望ですが、かつて、金戒光明寺西端に位置するこの茶席からは淀川が一望でき大阪までよく見えたようです。今でも晴れて雲のない日には、大阪の南、阿倍野ハルカス(高さ300メートル60階建て)が見えるそうですから、大したもんです。
 高層ビルを規制したおかげで、京都から、まだそんな風景が望めるのだと思うと、ちょっと嬉しいですね。ただし、庭のすぐそばまで、住宅が迫ってきているので、植木、生け垣はひと工夫されているようでしたが・・・
***うちに帰り、WEBの地図や航空写真で金戒光明寺から大阪の方を眺めてみましたら、本当に大阪市どころか堺市くらいまで見えそうでした。京都にこんな場所があったとは、びっくり。歴史も現地に立ってみて、わかることがなんと多いこと。***

 閑話休題。
 茶室は、高台にできたものなので、二畳の茶室に入る「にじり口」までも高さがあります。滑りやすい石の段に足をかけ、やっとこさ。かつて、着物だった頃は、本当に大変だったでしょうねぇ。着物をからげて、よっこらしょ!とにじるわけにもいかないし・・・。

☆写真は、金戒光明寺御影堂の西隣、永運院。その西隣が、西翁院。

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大方丈

大方丈前j
 (承前)
 京都 金戒光明寺御影堂に続く方丈では、若冲の「宝珠に槌図」や伝円山応挙「双鶏・兎木賊組図」を見ました。
 伊藤若冲「群鶏図押絵貼屏風(ぐんけいずおしえばりびょうぶ)」や他、若冲のものは複数、この寺に所蔵されているようなので、またそのうち、小出しに公開されるのでしょう。

 また、伝円山応挙「双鶏・兎木賊組図」というのが面白い。
 初めは、本物のようにうまく描かれた鶏が逃げないように絵に網がかけられていたのですが、修復のために外したところ、いつの間にかひよこが消えていた・・・。「抜けひよこ」と呼ばれる絵です。修復するときに、ひよこ消した?あるいは、のちの修復家のセンスに合わなかった?などと下世話なひとときを楽しみました。
 伝円山応挙の鶏も、写実的でいいけれど、若冲の描く、数々の鶏は、生き生きと魅力的だと思いながら、部屋をでました。

 それにしても、新選組のものといい、若冲といい、それから「八重の桜」の新島八重の書といい、結構いろんなものを細々と所蔵しているお寺で、また、この方丈も大きく、大方丈となっているのも納得です。(続く)
☆写真は、金戒光明寺 方丈前

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金戒光明寺

  紫雲庭j
(承前)
 京都 金戒光明寺の御影堂は普段、公開されていませんが、今回冬の特別公開では、御影堂の中の法然上人座像と、吉備観音像、中山文珠を見ることができました。
 重要文化財の千手観音は、お綺麗でりんとされていました。
 市の指定文化財の文殊様とそのご一行のお姿は、生き生きとしていて魅力的でした。伝運慶作のかっこいい文殊様の後背部には、うっすらと色や模様が残っているのが見え、公開ならでは、そばで見ることができるいい機会でした。今までに見た文殊様のなかでも、記憶に残る文殊様のりりしいお姿でした。脇を固める人たちも、それぞれ魅力的。

 この御影堂、実は昭和19年に建て替えられたものだと説明を受け、光あふれる斬新な、とはいえ、伝統に基づいた立派な御影堂に、しばし、見とれておりました。あんな太いヒノキ、よく見つけましたよねぇ。

 そして、その方丈北庭と紫雲の庭も立派なもの。紅葉の頃、水鏡、池に赤く色づいた葉がうまく映るように剪定していて、また、秋の公開も楽しみです。
☆写真上は、紫雲の庭で、法然生人と浄土宗の広がりを枯山水で表現したもののようです。写真下は方丈北庭。(続く)

       北庭j

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さぞや

     山門j
 阪神地区、暖かい冬だったので、梅も早いだろうと勝手に思っていましたら、意外や、いつもどおりの咲き具合。

 京都 金戒光明寺に行きました。「早咲き見頃、遅咲きつぼみ」という情報を仕入れ、冬の特別公開でもあって、平安神宮の少し北に行きました。
 学生の頃から、京都は、ずいぶん、いろんなところに行きましたが、まだ行ったことのない寺社仏閣の多いこと。
 それに、いつもは公開されていなくても、特別公開という言葉に、つい惹かれ、足を延ばします。今が「旬」とか、「お値引きしています」、などと同じ響きのような気がして、毎回惹かれてしまいます。(ん?ちょっと、違うって?)

 とはいうものの、金戒光明寺は梅の名所ではなく、桜の時期はさぞや・・・と思わせ、方丈北庭、秋の紅葉の頃は、さぞやさぞやと、思われる、手入れの行き届いたお庭でした。そして、秋のシーズンは観光バスで乗り付ける人たちで、賑わうとのこと。

 さて、通称、黒谷さんと呼ばれている金戒光明寺御影堂(大殿)とその塔頭の一つの西翁院に行きました。(忘れないうちに書いておきますが、「冬の特別公開」に行くときは、分厚い靴下必携ですからね。)
 
 おわかりの人はお判りでしょう。ここは、新選組発祥の地。
 京都守護職に命じられた會津藩松平容保と近藤・芹沢らが謁見した謁見の間など、新選組ファンには、必見でしょう。(この謁見の間って、金色金ぴかでした)
 広大な境内にたくさんの人員が駐屯できることや、ここからは京都市内を見渡せ、かの大山崎はもちろん、淀川、そして大阪まで見渡せるという場所は、新選組の本陣としてうってつけ。
 今回は、山門の公開はありませんでしたが、山門からの眺めもさぞや・・・。(続く)
       山門jj

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石井桃子の「児童文学の旅」

     ルイスj
(承前) 
 岩波現代文庫に加わった石井桃子のもう一冊を。
 この本は、カ・リ・リ・ロにとって、読書と現実の世界をつなげた指南書であり、旅の原点となった一冊です。
  「児童文学の旅」(石井桃子 岩波)です。

 この本を読んだから、ファージョンのお話の舞台を訪ねて英国サセックスの各所廻りました。そして、プーの森やピーター・ラビットの湖水地方・・・もちろん、サトクリフの物語の舞台には数々訪問・・・・と、イギリス行きは、ほとんどが児童文学がらみ・・・アーサー王も、ランサムも、グリーンノウも、ピアスもアリスも・・・ついでに、ディケンズやオースティンまでも。そして、絵本がらみで、深みにはまり、英国近代絵画まで。うぇーい。

 この本に教えられたことは数々あれど、一番の収穫は、イギリスには、未だ、物語の世界のままの村や、庭や、道や、建物があるということでした。石井桃子がサセックスに行ったのは、1972年。石井桃子は、アイリーン・コルウェルを介して、サトクリフと会うのですが、そのときの会話、
 ≪あのハイ・ストリートをずっといくと、『白鹿屋」の側に、白いペンキ塗りにピンクのドアのついた、人形の家のようなかわいい家があるけど、気がついた?≫
 ・・・という、その人形の家みたいな家は、カ・リ・リ・ロが行った1997年にもありました。

 そんな「児童文学の旅 石井桃子コレクションⅣ」の岩波現代文庫版の表紙は、「旅の絵本」(福音館)の安野光雅です。

 今回使わせていただいているルイスの写真は、「児童文学の旅」(岩波 1981年第1刷)P200の写真とほとんど変わっていない2013年9月の写真。手前がルイス城の城門、向こうの山が、エルシーピドックが縄跳びをしたケーバーン山。(撮影:&CO.Ak)

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「優」じゃなかった

       ルチェルン湖13j
 リリアン・スミス「児童文学論」(岩波)瀬田貞二「絵本論」が、カ・リ・リ・ロにとって、バイブルのようなものだと書きました。➡➡
 
 実を言うと、教育学部教育学科幼稚園教員養成課程というところを卒業していても、絵本についての授業はありませんでした。多分「言語」の授業の中で、触れられた程度です。今は「言葉」という内容ですが、当時は、「言語」の授業と言っていました。なぜなら、その先生のことを≪田川「げんご」先生≫と呼んでましたから。

 そんな学生がリリアン・スミスの「児童文学論」を自力で見つけ、教育学の教授に卒論を提出するというプロセスでした。もちろん、卒論は、絵本のことです。幼稚園の実態調査部分に使ったのは、「ぐりとぐら」と「さんびきのやぎのがらがらどん」(いずれも福音館)。

 では、どうやって「児童文学論」に出会ったのか、卒論の青カーボンコピーが見当たらない今、謎のままかと思っていたら、松居直「絵本とは何か」(日本エディタースクール出版部)を思い出しました。で、その巻末、掲出図書一覧の参考文献に、賢かった女子学生は、ちゃんとチェックをいれておりました。

 「児童文学論」 (リリアン・H・スミス 石井桃子 瀬田貞二 渡辺茂男訳 岩波)の他、 「子どもと文学」 (石井桃子 いぬいとみこ 鈴木晋一 瀬田貞二 松居直 渡辺茂男  福音館) 「子どもの図書館」 (石井桃子 岩波新書) 「子どもの本の世界」 (ベティーナ・ヒューリマン 野村泫訳 福音館) 「本・子ども・大人」 (ポール・アザール 矢崎源九郎・横山正矢訳 紀伊国屋書店) 「二歳から五歳まで」 (コルネイ・チュコフスキー 樹下節訳 理論社)にチェックが入っておりました。
 先に記したように「児童文学論」は昭和50年(1975年)第13刷、「子どもの図書館」は1973年第10刷、「子どもと文学」は1974年第7刷、「本・子ども・大人」は1975年第9刷、「子どもの本の世界」1974年第5刷でしたから、どれも卒論用で、卒業は1977年です。(ただし、チュコフスキーの「二歳から五歳まで」は、持っていたことは思い出しましたがーー箱を子どもが噛んでぐちゃぐちゃにしていたからーー大きな本で、しかもあまり読まないなぁと、引っ越しの時に処分したような気がします。)
 
 そして、どの本にも、いろんな色の線が入っていますから、よく勉強しましたね。誉めてあげましょう。が、デユーイがご専門の教育学教授がつけた評価は、「優」じゃなかった・・・・

 さて、その中の「子どもの図書館」も「新編 子どもの図書館 石井桃子コレクションⅢ」として、岩波現代文庫から刊行されています。表紙は「ぐりとぐら」の山脇百合子です。(続く)
☆写真は、スイス ルチェルン湖

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さてさて、きょうのおはなしは・・・・

    六地蔵j
(承前)
 瀬田貞二生誕100年記念の一冊に「さてさて、きょうのおはなしは・・・」(福音館)が出版されました。

 「三びきのやぎのがらがらどん」(マーシャ・ブラウン絵 福音館)の翻訳だけでなく、再話や創作、瀬田貞二が生み出す言葉から、日本語の楽しさが伝わります。子どもたちにぜひ、読んでやって、あるいは語ってやってほしいものばかりです。

 そんな瀬田貞二の昔話集は、のら社「日本のむかしばなし」「世界のむかしばなし」があるものの、今回刊行された「さてさて、きょうのおはなしは・・・」は、その二冊と同じものを含め、福音館から月刊誌や単行本として刊行されたものや、ほか、非売品として刊行されたものや、小冊子として刊行されたもの、全部で28のお話が入っています。

 瀬田貞二の昔話でカ・リ・リ・ロとその子どもたちが好きだったのは、特にその文末です。
 かの 「三びきのやぎのがらがらどん」の最後は、≪やぎたちはとてもふとって、うちへあるいてかえるのもやっとのこと。もしもあぶらがぬけていなければ、まだふとっているはずですよ。そこでーーーチョキン、パチン、ストン。はなしは、おしまい。≫
「まのいいりょうし」(赤羽末吉絵 福音館) ≪むすこの七つのおいわいに、はらいっぱいのごちそうをたべたのは、いうまでもないこと。それで、どっぺん、わたしたちまで、いちごさかえた。≫
「かさじぞう」(赤羽末吉絵 福音館) ≪それからふたりは、しあわせになったとさ。どっとはらい。≫
「ねずみじょうど」(丸木位里絵 福音館) ≪これで、とっぴんぱらりのぴい。≫
「ふるやのもり」(田島征三絵 福音館) ≪さるのしっぽは、ぷつん。はなしはこれで、おしまい。≫

以上、うちでは、絵本で楽しんできたお話ですが、この「さてさて、きょうのおなはしは・・・」のなかにも入っています。(続く)
☆写真は、静岡の六地蔵さん(撮影:&Co.To)

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瀬田貞二の「絵本論」

     レマン湖よあけ
(承前) リリアン・H・スミスの「児童文学論」(岩波)が、児童文学のバイブルならば、 「絵本論ー瀬田貞二 子どもの本評論集」(福音館)は、絵本のバイブルです。(もちろん、 「センダックの絵本論」(岩波)も、忘れていませんけれど)

 瀬田貞二の「絵本論」は読みやすい評論集です。
 特に「第一部 絵本にであう」は、「こどものとも」の月報に入っていたものなので、かみ砕いた文章になっています。
 後半は、作家論、作品論となっているのですが、これも、学術書のような硬さはありません。

 リリアン・スミスの「児童文学論」と同じく、瀬田貞二の「絵本論」も、何度も読んできました。1985年初版です。
 さすがに、「児童文学論」を読んだ時のような学生時代の無謀さはなく、赤インクや蛍光ペンで線を引くということはありませんが、やっぱり、青インク、黒ボールペン、鉛筆、そして書き込み、付箋が貼り付けてあります。

 リリアン・スミスの「児童文学論」にしても、瀬田貞二の「絵本論」にしても、初めから、全部理解できたわけではありません。数多くの作家や作品、絵本画家など、何度か読むうちに、「ああ、この人だったのね」「ああ、この絵画見たことある」と、つながっていくのは、うれしいものです。
 
 さて、この本で、一番初めに線を引いたと思える瀬田貞二の文は、ここです。
≪幼い子どもたちは、成長することを仕事にしています。のびのびと育っていく本能にかられて、動きたい、休みたい、愛したい、認められたい、成しとげたいという、体いっぱいの意欲にふくらんでいます。そして、本能的な意欲は、楽しみたいという欲求の形になってほとばしります。心身が火だるまのようになって遊ぶことは、その一つのあらわれです。そしてお母さんの読んでくれる物語に耳をかたむけながら、くりひろげられる美しいリズムのある絵に見いること、つまり絵本を「読む」ことも、その一つです。だから、幼い子どもたちが絵本のなかに求めているものは、自分を成長させるものを、楽しみのうちにあくなく摂取していくことです。…≫

・・・・そんな「絵本論ー瀬田貞二子どもの本評論集」と、「落穂ひろいー日本の子どもの文化をめぐる人びと」「児童文学論ー瀬田貞二子どもの本評論集」の三つの評論集(いずれも福音館)を編集した荒木田隆子が、その編集経験をもとに瀬田貞二について語った講演録が出ました。「子どもの本のよあけー瀬田貞二伝」(荒木田隆子 福音館)
 他にも、瀬田貞二生誕100年を記念して、新刊や限定出版など福音館から出版されています。(続く)

☆写真は、スイス レマン湖の夜明け 「よあけ」(ユリー・シュルヴィッツ作 瀬田貞二訳 福音館)➡➡ 

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リリアン・スミスの「児童文学論」

        ウェギグス14j
 リリアン・H・スミスの「児童文学論」(石井桃子・瀬田貞二・渡辺茂男訳 岩波)が2016年の秋に岩波現代文庫の1冊となって平積みされていました。
 箱入りの原本に比べ、少し手軽に手にすることができるかもしれません。
 が、やっぱり、文庫じゃ、傷みやすいしなぁ・・・

 というのも、もともとの「児童文学論」は、カ・リ・リ・ロにとっては、バイブルのようなもので、何度も読み返しています。昭和50年第13刷というのを持っています。これは、多分、卒論を書くときに、手に入れたのだと思います。赤インクで線を引き、青インクで線を引き、黒ボールペンで線を引き、蛍光ペンで線を引き、鉛筆で線を引き、書き込みをし、大小さまざまな付箋を貼り・・・
 ・・・・こんなに読む本は、やっぱり文庫じゃあね。

 たぶん、一番初めに線を引いたのは、ここ。
≪この世のどんな強制をもってしても、子どもが読みたくない本を、むりに読ませておくことはできない。自分たちの選択の自由を、子どもたちは、たいしたたくましさと頑強さで守りぬく。もちろん、子どもたちにしてみれば、どうして自分がこの本をはねつけて、あの本にしがみつくのかというわけを知らないだろう。子どもたちの判断力は、めったに分析的でないからである。しかし、それは、ある純粋なものーー楽しみに根差している。「楽しみ」のない場合は、もし読んだとしても、いやいやのことなのである。≫

 そうです! 楽しみのない読書は、大人だって嫌です。

 この本があったから、今のカ・リ・リ・ロが在るといってもいい1冊です。ま、そんなことはどうでもいいのです。ぜひ、子どもと子どもの本に興味のある人には、読んでほしい一冊です。 (続く)
☆写真は、スイス ルチェルン湖畔 ヴェッギス

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いいこと探しの達人

シオン城j
(承前)
 二冊の「人生処方詩集」を読んだわけですが、結論から言うと、まどみちおの「人生処方詩集」(市河紀子選詩 まどみちお詩・絵 平凡社)では、明るい気持ちが湧いてきて、ケストナーの「人生処方詩集」(小松太郎訳 岩波文庫)の多くは、薬がすっと体内に入りませんでした。

 一冊の詩集で、これ!と思える詩に一つでも出会えれば、と思っています。詩は、人生の処方をしてくれるものです。
 ケストナーの「人生処方詩集」に元気づけられる人もいれば、まどみちおの「人生処方詩集」に癒される人もいるでしょう。

 で、カ・リ・リ・ロがケストナーよりまどみちおの詩を楽しむのは、どういうことなんだろう?と、考えていたら、まどみちおの「人生処方詩集」に掲載されていた細谷亮太(小児科医・俳人)の文に、納得の言葉を見つけました。

 北原白秋の「雨」が「いやなこと」を切々と歌っていることと比べ ≪まどさんが「いいこと探し」の達人であることがよくわかる≫と、あります。
 そうなのです。ケストナーは「嫌なこと探し」をしながら書いているものが多かった。まどみちおは「いいこと探し」なのです。
 細谷亮太はまどみちおの「雨ふれば」という一編を雨の日のいいこと探しの詩にあげています。
≪雨ふれば
お勝手も
雨の匂いがしてゐる。
濡れた葱など
青くおいてある。

雨ふれば
障子の中、
母さんはやさしい。
縫物される針
すいすいと光る。

雨ふれば
通りのもの音、
ぬれてゐる。
時をり
ことり などする。≫
☆写真は、雨の日 スイス レマン湖の船の窓からシオン城。
  

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まどみちおの人生処方詩集

    ケストナー3j
(承前)
 さて、ケストナーの「人生処方詩集」と同じタイトルの詩集があると知りました。
 まどみちおの詩を市河紀子が選詩したものです。「詩と絵 まどみちお」(平凡社)とあります。
 かつて、平塚美術館で「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」展で、まどみちおの絵を見たことがありますが、この本には、抽象画をはじめ、カットも掲載されています。また、工藤直子や谷川俊太郎他の文も掲載されています。

 で、ケストナーと同じタイトル「人生処方詩集」というのは、選者市河紀子が、ケストナーの「人生処方詩集」(小松太郎訳 岩波文庫)に想を得て独自の章立てに沿って選んだとありました。
 例えば、「自分が子どもだったことを忘れそうだったら」「さびしかったら」「生きるのがつらくなってしまったら」「歳をとったなあと感じたら」「眠れない夜に」などの章にいくつかの詩が選ばれているのです。
 「ぞうさん」は「人と自分をくらべてしまったら」のところに入っています。

 カ・リ・リ・ロの好きな「おみやげ」➡➡➡ ・→→→は「やさしい気持ちになりたかったら」の章にありました。
 同じ章には、こんな詩も
「人間の目」
≪よちよち歩きの小さい子たちを見ると
人間の子でも 
イヌの子でも
ヤギの子でも
どうしてこんなに かわいいのか

ひよこでも
カマキリの子でも
おたまじゃくしでも
ほほずり させてもらいたくなる

ほんとに どうしてなのか
生まれたての 生命(いのち)が
こんなに なんでも
かわいくてならなく思えるのは

いや こんなに
かわいくてならなく思える目を
私たち人間がもたされているのは

ああ むげんにはるかな 宇宙が
こんなに近く ここで
私たちに ほほずりしていてくれる

お手本のように!≫(続く)
 

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ケストナーの人生処方詩集

     ルチェルンj
(承前)
「人生処方詩集」(エーリヒ・ケストナー作 小松太郎訳 岩波文庫)
 ドイツで焚書されて以来、ドイツでは出版されなかったこの詩集もスイスで自選詩集「エーリヒ・ケストナー博士の抒情的家庭薬局」として出版され、その初版の訳が、この「人生処方詩集」であると、訳者あとがきにあります。

 処方された詩の多くには、何らかの皮肉やメッセージが見え隠れして、ちょっと苦い薬の処方詩のような気がします。
 が、中には、「待ちかねた春が来た」のような詩も・・・
≪なるほど そうだ 春が来ているのだ    
木々は だらりと 枝を垂れ 窓は おどろいている   
空気はやわらかい まるで 綿毛でできているよう
そして ほかのことは みんな どうでもいい
(中略)・・・・・・
よろしく また 散歩にでるべしだ
青も 赤も 緑も すっかり 色があせてしまった
春だ 地上が 新規に 塗りかえられるのだ
人間は ほほえむ おたがいが 理解しあうまで
(後略)・・・・≫

そして、月給をとる身分になった彼が母親と旅に出た時の詩「ひとり者の旅」は、母親との良好な関係が楽しい詩です。
≪ぼくは 母と 旅行をしている・・・
ぼくらは フランクフルト バーゼル ベルンをとおり
ジュネーブ湖に来た それから そのへんをひと回りした
ときどき 母は 物価をののしった
今 ぼくらは ルチェルンに来ている

スイスはきれいだ ひとは それになれなければならない
ひとは 山々に登り 湖水をわたる
あまりに美しいので ときどき お腹が痛くなる
(中・後略)・・・・・・・・・≫
(続く)
☆写真は、スイス ルチェルン 右奥の山はリギ山

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私生活の治療

ケストナー2j
(承前)
 「人生処方詩集」(エーリヒ・ケストナー 小松太郎訳 岩波文庫)

 「五月三十五日」や、「ロッテ」や「エーミール」など、ケストナーのほどんどの児童文学の挿絵を手掛けているのは、ワルター・トリヤーですが、ケストナーの「人生処方詩集」は子どもに向けて書かれていないからか、トリヤーではなく、エーリッヒ・オーザーの挿絵がついています。
 そして、「人生処方詩集」は、ポジティブな児童文学に比べ、少々重い。
 
 ケストナーは、ドイツに生きナチスに抵抗し続けた作家です。焚書を免れた彼の児童文学の中ですら、メッセージを読み取ることができます。この機会に、いえ、こんな時代だからこそ、大人向きに書かれたケストナーを、もっと読んでみなくちゃと思います。

 さて、ケストナーの「人生処方詩集」の意図はどこにあるのか。彼は序文でこう述べます。
≪なぜなら家具つき貸間住まいのやるせないさびしさに苦しむ者や、冷たい、しめっぽい、灰白色の秋の夜になやむ者は何を飲んだらいいのか。居ても立ってもいられない嫉妬におそわれた者は、どんな処方によったらいいのか。世の中がいやになった者は何でうがいをしたらいいのか。結婚生活に破綻を生じた者にとって、なまぬるい罨法がなんの役にたつか。電気ぶとんでどうしろというのか。   さびしさとか、失望とか、そういう心のなやみをやわらげるには、ほかの薬剤が必要である。そのうちの2.3を挙げるなら、ユーモア・憤怒・無関心・皮肉・瞑想、それから誇張だ。これらは解毒剤である。それにしても、どの医者がそれを処方してくれるだろう。どの医者がそれを瓶に入れてくれるか。    この本は私生活の治療にささげられたものである。・・・・・≫

 この序文にある、≪ユーモア・憤怒・無関心・皮肉・瞑想、それから誇張だ。≫こそが、ケストナーの中核をなすものなのだと考えます。
 そして、≪この本は私生活の治療にささげる≫と、わざわざ≪私生活≫と指し示すところが、ケストナー独特の皮肉で、本当はもっと大きな力への処方にしたいと思っていたはずだと思いながら、読みました。(続く)

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だれだっていつまでも子どもでいられるわけではありません。

       イヴォアールj
(承前)
 「五月三十五日」(エーリヒ・ケストナー 高橋健二訳 岩波)の巻末には、「叙情的家庭薬局詩集」から、いくつかの詩が掲載されています。
 この「叙情的家庭薬局詩集」⇒⇒「人生処方詩集」(小松太郎訳 岩波文庫)こそが、ナチスに焚書されながらも、スイスで自選詩集として出版され、今も生きるものです。

 「五月三十五日」の訳者高橋健二のあとがきによると、
≪人間の社会をよりよくするために、一番大切なのは、人間が子どもの心をなくさないことだと、ケストナーは繰り返し訴えています。≫≪「悪い醜い大人も、子どもの時は、非の打ちどころがなかった」のだからです。≫≪しかし、だれだっていつまでも子どもでいられるわけではありません。ケストナーは、大人を反省させ、子どもの頃を思い出せ、よりよい世の中に協力させようとします。また、大人を慰め、励まそうとします。それで、ケストナーは自分の詩を、お薬のように役に立つ実用詩と呼んでいます。そして「叙情的家庭薬局」という詩集を作っています。それを開けてみると、「貧乏にあったら」これこれの詩を読みなさい、という具合に「さびしさがつらくなったら」、「お金がなくなったら」「うちが恋しくなったら」、「おかあさんを思い出したら」、「自信がぐらついたら」、「お天気がわるかったら」というような見出しがついています。・・・・≫

 そして、巻末、最後に掲載されている警句が、「道徳」というタイトルのこれ。
≪よいことなんて、世の中にはない。よいことをおこなうことがあるだけだ。≫(続く)
☆写真は、レマン湖フランス側イヴォアールの教会

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さかさの世界

     さかさまj
(承前) ケストナーの「五月三十五日」 (高橋健二訳 岩波)は、かなり荒唐無稽の話。今読み返すと、ピーと音が入るくらいの様々な表現でも訳されています。それにまた、よく知らなかった(はずの)歴史的な人物も次々出てきて、子どもの頃読んだときは、理解できずに読み飛ばしたところも多そうです。

 さて、夏にここでも書いたスロボドキンの「さかさ町」と同じ町が、「五月三十五日」にもあります。ケストナーの「さかさ世界」は、スロボドキンのさかさ町より、シニカルで大人っぽいとはいえ、発想は同じです。

≪往来は非常ににぎやかでした。書類カバンをわきの下にかかえ、シルクハットをかぶった少年たちが見えました。モダンな服装をして散歩したり買い物したりしている少女たちが見えました。見えるのは子どもたちばかりでした!「ごめんよ!」とコンラートはいい、自動車に乗ろうとしている少年をぐっとつかまえました。「ねえ、君たちのところにはおとなはいないのかい?」「いるとも。」とその少年は答えました。「だが、おとなはまだ学校にいるよ。」そういって彼は自動車に乗り、コンラートにうなずきかけ、「ぼくはいそいで取引き所に行かねばならない。」とどなりました。・・・・≫

 唐突に、この本を持ち出したのも、岩波文庫のケストナー「人生処方詩集」(小松太郎訳)を読んだからです。(続く)
☆写真は、東京 新江戸川公園の池

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五月三十五日

          ケストナー1j
 ケストナーの児童文学で一番初めに読んだのは「五月三十五日」(高橋健二訳 ヴァルター・トリアー絵 岩波)だったと思います。

 理由は簡単。カ・リ・リ・ロが、五月生まれだからです。そのあと、「エーミールと探偵たち」「エーミールと三人のふたご」「点子ちゃんとアントン」「ふたりのロッテ」「動物会議」そして、かの「飛ぶ教室」と続いていくわけですが、ともかく五月生まれとしては、5月35日!こんなんありえへん!*すべて 岩波書店刊 全集は高橋健二訳 少年文庫版は池田香代子訳

 50年も昔、日本の子どもの本には、なかった(と思える)このナンセンス話に、当時は(今も)ぎょぎょっ!
 その頃、すでに、「長くつ下のピッピ」や「エルマーのぼうけん」にも出会っていたのですが、このケストナーほど、すっ飛んでない、ついていける世界でした。

 が、タイトル「5月35日」という「初めからこれは嘘」という宣言だからでしょうか。ぎょぎょっとしながらも、お話にはすっと入っていけました。特に、コンラート少年とリンゲルフートおじさんと馬(ネグロ・カバロ)が出会うところや3人(!)で過ごすところは、なんの不思議も感じませんでした。

≪「それより部屋へもどろう!」ネグロ・カバロは楽しそうにいななきました。そこで三人はぶらぶら部屋にもどり、詩人あわせのカルタ遊びをしました。馬は思うぞんぶん勝ちました。古典詩人の名まえと作品をすっかりそらでおぼえていたのです。それにひきかえ、リングフリートおじさんはまるきりだめでした。なにせ薬剤師でしたから、詩人がどんな病気にかかっていたか、何でなおり何で死んだかということは、なるほどよく知っていましたが、小説や戯曲は残らず忘れていました。信じられないくらいですが、彼は、シラーの「鐘の歌」をゲーテの作だと、ほんとにいいはりました!・・・・・≫

 うーん、この難しそうなゲーム、正解は覚えているか、本で探すようです。(続く)

☆写真の挿絵、シンプルなものですが、誰が、今、優位に立っているか、わかるでしょう。

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表装

表装j
 若い頃なら、表装の展示を見に行くなんて考えられませんでした。
 それが、美容室の雑誌の記事で、古筆のお稽古のことを知り、するうち、お稽古する部屋にある掛け軸に目が行くようになって、表装にも関心を持つようになりました。

 子どもの頃、実家の小さな床の間に、ときどき替えられる掛け軸を見て、古臭いなぁなどと思っていたのが嘘のよう。
 掛け軸一つ一つの表装も、いろんな美意識が反映され、面白い。
 時代とともに、劣化し、修理を要する。
 そんな掛け軸の今と、いろんな種類の表装を見ることができたのが、京都で共同開催されている「日本の表装」展でした。

 京都大学総合博物館で、「日本の表装 ―紙と絹の文化を支える」展(~2017年2月12日)、 京都文化博物館で「日本の表装 ―掛軸の歴史と装い―」展(~2017年2月19日)。

  京都大学総合博物館の方は、主に掛け軸の修理の工程について解説されていました。
 いわば、ボロボロ ヨレヨレになった掛け軸を修理する仕事の、細かく丁寧なこと。
 修復という言葉を使わず、修理としています。

 京都文化博物館の方は、修理された掛け軸であったり、保存状態のいい掛け軸などが展示されているのですが、一番驚いたのは、娘が英国で習得してきた刺繍の技術と同じような刺繍の掛け軸が、あったことでした。
 それは、江戸時代の竹屋町織掛軸架鷹図といって(写真もだめだし、絵ハガキも売ってなかった)、紗の透き通った布に金糸で刺繍したものを無地の下地の上にかけ、掛け軸にしていました。そして、英国で習得してきた方は、透き通ったオーガンジーの生地の上に、刺繍をするもので、刺繍が透けて見えるのです。 

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対談に臨席できない

  シャンパンj
 「膝を打つ」(丸谷才一エッセイ傑作選2 文春文庫)には、エッセイより対談が数多く掲載されています。
対談を読んで、遅まきながら気付いたことがあります。
 あくまでも、個人的な問題とはいえ、いくら、著名な作家や文化人が対談しても、興味のある分野の対談以外は、あまり面白くないということでした。 

  先の日本語で一番大事なもの(大野晋 丸谷才一 中公文庫)は、大野晋と丸谷才一の才走った掛け合いが、おかしく、さも、自分もその場で筆記しながら臨席させてもらっているような楽しさがありました。が、しかし、「膝を打つ」のいくつかの対談は、興味がない分野であったことも手伝い、斜め読みも斜め読み、臨席している楽しさがなく、ページを繰ってしまいました。いつか、興味のある分野の対談になったら、臨場感たっぷりで楽しむかも???

 ・・・・・・思い出しました。そういえば、もともと、対談形式を読むこと自体、少なかったのは、そういうことだったのか・・・読んでいて声が聞こえてこない・・・
 
 さて、 「膝を打つ」 の対談の中で積極的に臨席できたのは、いえ、臨席したかったのは堀口大學と丸谷才一の巻でした。が、しかし、手厳しい評論も多い丸谷才一が、高く評価している一人が堀口大學ということで、その根は、どこにあるのかも知りたくなりました。そこで、他ももう少し読んでみてから、ここに書こうと思います。

 実際に、堀口大學と丸谷才一の対談に一記者として同席していたのが関容子でした。
 で、彼女は、のちに、「日本の鶯 堀口大學聞書き」(岩波現代文庫)の著者となったのでした。

*「日本文学史早わかり」(丸谷才一 講談社文芸文庫)
*「扇よお前は魂なのだから 堀口大學」(丸谷才一 全集10 文藝春秋)
☆写真は、英国オックスフォードのホテル アフタヌーンティのスタートシャンペン

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「へ」が受け持ったもの

弁財天j
(承前) 「膝を打つ」(丸谷才一エッセイ傑作選2 文春文庫) 「日本語で一番大事なもの」(大野晋 丸谷才一 中公文庫)で、丸谷才一をもっと読んでみなくちゃ・・・と、今年の前半目標が決まりました。
 中でも、堀口大學と丸谷才一の接点には、興味があったので、二人の対談が載っている「膝を打つ」から、まず読んでみました。
 ***この二人の対談については後日また。拙文に目を通してくださっている方なら、堀口大學の深みにはまっているのが、おわかりでしょうか。この歳になって出会うことがあるのも有り難い、が、しかし、どこまで続くぬかるみぞ・・・・


  閑話休題。
 「膝を打つ」には、対談が半分以上入っているのですが、エッセイも入っています。昨日、少し触れた「日本語相談」の章は1995朝日文芸文庫2002朝日新聞社に掲載されていた「丸谷才一の日本語相談」から抜き書きです。

 そのなかの「だぁれも知らないヘチマの哀しさ」の項に、「エ」のことが書いてありました。
 問いは、【昔からの口論などの際、「〇〇もヘチマもあるもんか」と言いますが、ヘチマは愛すべきもので、哲人の趣さえあるのに、どうしてこんなところで引き合いに出されるのでしょう。かわいそうです。】というもので、それに丸谷才一は、
≪実を言ふと、これは「日本語で一番大事なもの」といふ連載対談の際、大野晋さんから教はったことの受け売りなんですが➡➡➡・・・・・(中略)・・・・・・、エ列音で始まる言葉はどうも、いいイメージを持つてゐないんですね。たとへば、擬声語、擬態語でも「デレデレ」とか「ケタケタ」とか「ベタベタ」とかいふのは、印象が悪い時に使ふ。あるいは、下品さを強調しようというときに使ふ。・・・・もちろん漢語を抜きにして、大和ことばだけでの話。・・・このエ列音始まりの中で、特に変なのを受け持つたのが、「へ」音はじまりの語でした。まづ筆頭に・・・・≫と答えます。へー

 他に「黄色以外の声の色は?」とか「『である調』と『です、ます』調」「『三』に何か特別の意味があるのか」「航海の無事を祈って船名に『丸』」などの問いが選ばれ、丸谷才一は大真面目に回答しています。(続く)

☆写真は、東京 椿山荘にあった弁財天(んざいてん)。七福神唯一の女性だけど、日本人じゃないのです。インドご出身。七福神で日本人は、恵比寿さんだけ。

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えっ

         庚申j
(承前)
 残念ながら、かの受験勉強ではちっとも身につかなかった古文や古文の文法でしたが、 「日本語で一番大事なもの」(大野晋 丸谷才一 中公文庫)を読むと、それらが、少しわかったような気になるから不思議でした。

 この本の中で大野晋という国語学者と丸谷才一という幅広すぎる博学者ー作家であり翻訳家であり、さらに稀代の対談者が、楽しそうに対談する様子は、そばで聞いているかのように臨場感がありました。

 この対談は「日本語の世界」という全集の月報だったものをまとめたとあります。本体の全集より月報を楽しみにしていた人もいるかもしれないと思えるほど、二人は、生き生きと日本語に迫っていきます。
 よくできる学生が、今日こそは先生に切り込むぞという姿勢を感じます。もちろん、先生は大きな心で、よく勉強してきた若い学生を受けとめ、指導します。が、基本的には、直属の師弟関係のようで、意見がよく合うから面白い。例えば、二人は、鴎外の古典知識をくさし、一葉の古文は美しく正確であるとします。…鴎外のことを、こんなふうに言える人たちもいるんだ・・・

 昨日 までの「主格の助詞はなかった」の章も面白かったですが、「感動詞アイウエオ」の章で、エで始まる言葉のことを、≪日本語の一番古い時代には、エ、ケ、セ、テ、ネ、ヘ、メ、エ、レ、エの音で始まる言葉はほとんどなかった。その意味で新しいーといいましても2000年以上も前のことですがーーーーー 音ですし、後になってもエケセテネ・・・の音は少ないんですね。ですから、エ列音で始まる言葉は概して、いい意味をもたないんです。例えば・・・≫と、解説していくところも面白かったです。

 ・・・・と、この興味深いエの項ですが、よくできる学生の立場であった丸谷才一は、ここで学んだことを「日本語相談」という文で活かします。*この「日本語相談」は「膝を打つ」(丸谷才一エッセイ傑作選2 文春文庫)に収録。

この文庫本「日本語で一番大事なもの」は、改版され2016年12月に新たに書店に平積みされたおかげで、目に留まりました。
改版前の解説者が大岡信、改版後の解説者は金田一秀穂。(続く)
☆写真は、東京椿山荘 庚申像
 

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「は」も「も」も「い」も「を」も「か」も「や」も

     白梅j
「日本語で一番大事なもの」(大野晋 丸谷才一 中公文庫)
(承前)
 まだ、「は」について続きます。
 ≪つまり、「は」が来ると「・・・です」と、はっきり説明して言いとじめる形が来る。・・・・上に「は」が来たら、明確な判断が来る。肯定が多いが、否定の場合も推量の場合もあり、否定の場合でも明確に否定する。そして、「は」という助詞は、主題を提示する役目がある≫と。
≪ 「今は昔」というのは「今」という問題を提起し、その答えとして「昔」というわけですから、「今はいつか」というと「昔です」ということになり、「これは昔のことです」ということになる。≫
 そこで、古今集の
「秋はきぬ紅葉はやどにふりしきぬ道ふみわけてとふ人はなし」を引用し、解説しています。
≪この場合には、秋は(どうしたのかというと)やってきた。紅葉は(どうしたのかというと)、宿にふりしいている。それなのに道ふみわけてとふ人は(どうしたのかというと)、(誰も)ない≫
また、
「ふるさとは吉野の山しちかければひと日もみゆきふらぬ日はなし」の解説は
≪ふるさとは(どうした状態かというと)、吉野の山が近いから、一日でも雪の降らない日は(どうかというと)、ありません。≫
・・・つまり「は」とあれば、「どうかというと」とか「どういう状態かというと」とか、「何かというと」とか、何がしかの答えを下に求める形式だと考えれば、「は」のおよその例は理解できる。ですから、「は」の上に疑問詞のくることはまずない。とありました。

 長々と拙欄にお付き合いくださった人がいるなら、この「は」一つでも、なかなか大変でしたね。はー
 もちろん、この面白い文法談義には、「も」も「ぞ」も「い」も「を」も「か」も「や」も取り上げられていますぞよ。(続く)
☆写真は、画像処理した白梅。

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「は」のこと

        椿山荘塔j
(承前)
 昨日は素人の勝手な解釈で、「は」のことを書きました。
 「よせてはかえす」「おちてはとける」が頭の中をぐるぐる回っていたものの、書くことによって自分なりに納得していました。
 その後しばらくして、  「日本語で一番大事なもの」 (大野晋 丸谷才一 中公文庫)という文庫本を読んでいたら、「は」のことが出ていて、興味深く、またもの知らずだったので、ここに書いておきます。ただ、昨日の「落ちてはとける」「よせてはかえす」の「は」のことは、この文法指南書には出ていませんでした。

 「私は」と「私が」の「は」と「が」は、結構、難問です。
 「日本語で一番大事なもの」には、 「は」は問題提示で、その答えを要求する意味を持つと書かれているのですが、それが 周知のことだとしても、この無知なカ・リ・リ・ロには新鮮に思えました。「私は」というと、それは問題提起で「答えはなんだろう」と思う。その答えとして「カ・リ・リ・ロです」がくる。それは【「ぞける」の底にあるもの】という章でした。

 また、【主格の助詞はなかった】の章には、
≪主格の「が」は、王朝和歌には出てこず、もともと日本語には主格を表す専属の助詞はなかった。「花美し」「山高し」とか、「花咲く」「われ行く」と言い、動作の主体をきちっと表す特別の助詞はなく「私が取る」のような言い方は、江戸時代になっておそらく主として関東から始まる≫とあるのです。うへー、知らなんだ。

≪もともと関東では「が」をよく使っていて、「が」というのは、その上の人間が卑下するとか、その人間を蔑視するとかの場合に使うもので、関東は関西から蔑視されていたし、関東人は卑下していたから、関西よりも一般的に「が」を多く使っていた。≫と!ふむふむ。
・・・・で、「体言+が+連体形」などの解説があり・・・≪「われ取る」では、「われを取る」のか「われが取る」のか、文脈によらなくてはわからなかったので、「が」が入り込むようになった。≫と続きます。
 で、結局「は」と「が」の問題のややこしさは「が」にあるのだと。
 「が」の使い方が年代とともに動いていきながら、一方には古い殻をつけて簡単に割り切れないのに反して、「は」の方は昔からそんなに変わっていないのだとありました。  はー。(続く)

☆写真は、東京椿山荘の古塔。広島から移築し室町時代のものらしい。東京三古塔の一つ。

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よせてはかえす

ブリエンツ湖j
ふと、「よせてはかえす」という言葉が浮かび、頭の中をグルグルグル。。
よせて そして かえす・・・ことですよね?ん? ちょっと違う?どこが?
「よせて かえす」だけなら、整然とした波のイメージです。そこで完結していそう。
「よせてはかえす」なら、よせながらかえしながらという連続した動きの波が見えてきます。

・・・・思い出しました。「よせてはかえす」の言葉にひっかかったのは、イルカの「なごり雪」を娘と一緒に何度か歌っていたからです。3番の歌詞に♪~落ちてはとける 雪をみていたぁ~~今 春が来て 君はきれいになったぁ~♪の「落ちてはとける」のところです。そこを勝手に、♪よせてはかえす海を見ていたぁ♪と口ずさんでいたのです。(東京の駅に居るのに、海は見えないやん)

 さて、ここでも、「落ちて とける」ではなく、「落ちてはとける」なのです。
 「は」を入れるだけで、なごり雪がひらひらと、ちらちらと連続で降ってくるイメージです。
文法に詳しい人に、笑われるとしても、ここでは、好き勝手に、連続の「は」と名付けようっと。

 蛇足ながら、この「なごり雪」は伊勢正三作詞ですが、この人の「22歳の別れ」を、我々の結婚式で、友人に歌ってもらったのは、いい思い出です。
♪~17本目からは一緒に火をつけたのが きのうのことのように~~♪
・・・・・ここにも「は」がありました。「17本目から」と「17本目からは」じゃ、違うなぁ。 は?(続く)
☆写真は、スイス ブリエンツ湖

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二代目おおきくなったら

おおきくなったらj
 「おおきくなったら」(チェコのわらべうた)ヨゼフ・ラダ絵 内田 莉莎子訳 福音館)
 先日、娘がその娘に「おおきくなったら」を読んであげていたので、横で寝そべっていたバアバも一緒に声を出して読みました。
 意図せずして、まったく同じリズム、まったく同じスピードで、読みました。
 さながら、二重唱です。
 すると、孫は、母親とバアバの顔を見比べ始めました。
 ん?どっちが、読んでるんや???
 
 信じられないくらい息がぴったり合った二重唱。
 読み終わったとき、思わず、娘とバアバは、やったね!ぱちぱちぱち。
 つられて、孫もぱちぱちぱち(のような動作)。

「おおきくなったら」(チェコのわらべうた)➡➡   ⇒⇒   ➡➡
 

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揺れる木、波打つ道

       ヴラマンクj
 日経新聞2017年1月31日の「名画の土壌十選」は、ブラマンク(ヴラマンク)の「風景」(メール城美術館蔵)でした。うちにひそかにあるヴラマンクのリトグラフと同じ村の風景だと思います。先日、大山崎山荘美術館で見たヴラマンクの「雪化粧」とも似ています。

 ただ、リトグラフと違うのは、油絵の「風景」には、勢いが感じられることです。
 それは、その作画方法が独特であると筆者の洋画家奥西賀男氏が書いています。
≪まず、車で村を走り、アトリエに戻って記憶に残る新鮮なイメージだけを描くのだ。そこには写実とは全く異なる空間が現れる。動く物を描くことは古来なされてきたが、彼のように、描く側が動くことはなかった。この発想の転換が前代未聞の疾走感を画面に生んだ。≫

 また、≪ブラマンクの作品は、揺れる木、波打つ道、すべてが躍動している。≫としています。
 確かに、油絵「風景」のような勢いこそないものの、上記写真のリトグラフ≪HAUTE FOLIE(激情27)≫も揺れています。木々も、地面も、空までも。

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つきのぼうや

    満月あさj
(承前)
 やっぱり、もう1冊イヴ・スパング・オルセンの絵本を。
「つきのぼうや」(イヴ・スパング・オルセン やまのうちきよこ訳 福音館)

 この縦長の絵本は、ほかの多くの絵本と比べても、かなりのスタイル。(写真は➡➡ と ➡➡
 が、このお話にはこのスタイルが必然です。
 月のぼうやが、地球に降りてくる距離感を出すには、この縦長なのです。
 クリスマスの煙突を描くのに「クリスマスのまえのばん」(デュボアザン絵 こみやゆう訳 主婦の友社)も縦長でした。
 
 つきのぼうやが下へ下へといく中、突然強い風が吹いてきて横に飛ばされたり、戻されたりするところは、この縦長スタイルを利用していない分、ちょっと可笑しい。途中登場する煙突掃除のおじさんが帰っていくところや、見開きで月を見上げているところは、お話に関係ないものの、作者のおまけのようでうれしい。

 ただ・・・・絵本は、本当にいろんなサイズがあって、本棚で雑然としています。
 その点、「つきのぼうや」は、この大きさのおかげで見つかりやすい。
☆写真は、冬の朝の西の空。

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この際 もう一冊

numaj.jpg
(承前)
 イヴ・スパング・オルセンの絵本を引っ張り出したので、この際、もう1冊。
「ぬまばばさまのさけづくり」(イヴ・スパング・オルセン きむらゆりこ訳 福音館)

 イブ・スパング・オルセンは、デンマークの絵本作家で「国際アンデルセン賞」を受賞しています。(2年に一度のこの賞のイヴ・スパング・オルセンの前回1970年の受賞者は、モーリス・センダック)

≪ぬまばばさまは、かみのけが うすくて はなが とてもおおきく、はだしのあしは ごつごつで どろだらけです。 みかけは いじわるばあさんみたいですが ねは いいひとです。≫
 ぬまばばさまの家族は、「ぬまじじさま」・・・人間を見かけると通り過ぎるまで、身動きひとつしない と、「ぬまむすめ」・・・・かわいい顔をして一度も髪をとかしたことがない と、「ぬまこぞう」・・・あまりかわいくなくて、たいへんないたずらっ子  ですが、全員お日様の光が大嫌いです。

 ぬまばばさまの酒造りは、ぬまむすめもぬまこぞうも、手伝って、おしまいにはコガラスも動員して完成です。さて、作った酒を秘密の場所に隠したら、春の始まりの日まで家族はぐっすり眠ります。

 そして、春が来た夜のパーティで、お酒は空に・・
 おひさまがこわくなくなったぬまこぞうは、水たまりをふう!・・・氷が解けて、おたまじゃくしも。
ぬまむすめは枯れ枝をふう!・・・芽が出て…もう一度ふう!・・・若葉がひらき・・・
空に向かってふう!…ひばりの声がきこえ、みずとりやかわうそにふう!・・・ひなやこどもが生まれ。
ぬまじじさま、どしんと地面を踏み鳴らすと、つめたい冬もどこかへ・・・・・・(続く)
☆写真左は、「つきのぼうや」(イヴ・スパング・オルセン やまのうちきよこ訳 福音館)

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