みんなみすべくきたすべく

あら、ひさしぶり

あめj
「あめ」(イヴ・スパング・オルセン ひだにれいこ訳 亜紀書房)

 書店で、「あら、ひさしぶり」と手に取ったイヴ・スパング・オルセンの絵本「あめ」(亜紀書房)。
 福音館のアンデルセンの童話シリーズの挿絵や、縦長の絵本「つきのぼうや」は今も書店に並んでいますが、「ネコ横丁」「ぬまばばさまのさけづくり」「はしれちいさいきかんしゃ」「かぜ」などは、ながらく、書店で見かけたことがありませんでしたし、個人的には「あめ」は初めて見るものでした。 (*「かぜ」は、同じ出版社から2016年秋に新訳で刊行されています。)

 初めての絵本なのに「あら、ひさしぶり」と思うのは、このイヴ・スパング・オルセンの画風が、すでに楽しんできたものと変わりなかったからでしょう。線描きで、過剰な色付けのない絵本は、居並ぶ絵本群の中では地味な存在でもあるものの、媚びることなく、けれど、どこかひょうきんで、楽しいものです。
 
 「あめ」も「かぜ」もいわゆるお話の絵本ではなく、科学のことは絵本で知るという我がルール通りの絵本でした。
 
 「あめ」では、雨粒バラバラとボトボトが、雨の生い立ち、仕組みについて語ってくれます。人間たちの受け止め方にも触れ、大雨や夕立、にわか雨、雪や雹、露になることも語ります。

 ≪とびきりさむい日には、もこもこの毛皮をまとい、ふわりふわりとしか おりられない。このとき ぼくたちは 雪って なまえになる≫ ≪雪になった おいらたちは きみの鼻にやさしくふれるんだ。土をまっしろにおおい、草や花のたねも かくしちゃう。雪どけのころになると ようやく 毛皮をぬげるのさ≫
(続く)

「かぜ」(イヴ・スパング・オルセン 木村由利子訳 文化出版局/ひだにれいこ訳 亜紀書房)
「ネコ横丁」(イヴ・スパング・オルセン 木村由利子訳 文化出版局)
「ぬまばばさまのさけづくり」(イヴ・スパング・オルセン きむらゆりこ子訳 福音館)
「はしれ ちいさい きかんしゃ」(イヴ・スパング・オルセン やまのうちきよこ訳 福音館)
「つきのぼうや」(イヴ・スパング・オルセン やまのうちきよこ訳 福音館)

PageTop

禁止の「じ」

梅の花j

「梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり」(万葉集)
 うーん、この屈折感。
 大野晋は、「どんなときにも折ってはいけないと避けるわけではないけれども、その梅の花の真っ盛りのときに折るのは惜しいものだ」とします。
 古文のテストにでそうな禁止の「じ」の使い方です。

 これは、 「日本語で一番大事なもの」(大野晋 丸谷才一 中公文庫)「『ず』の活用はzとn」の章の【『じ』と人称】の項に出ていた歌です。
 ここだけ、引用したら、文法なんて・・・と、毛嫌いされるとしたら本意ではありません。若い時からこんな面白い文法談義を知っていたら、もっと日本語の深さに触れたでしょうにと、今更ながら悔やんでいるのです。

 この【「じ」と人称】の項と【「らむ」の性質】の項、両方に出てくる古今集の
「春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ」
 これも面白いなぁ。言葉で軽く遊んでいる感じが好きですねぇ。
 (この文庫本については後日、また。)

PageTop

幻視的短編

ノートルダム2j
「海辺の悲劇 他三篇」(バルザック 水野亮訳 岩波文庫)
 この文庫本も電車用に薄い本です。
 訳者の好みでは、最初の「グランド・ブルテーシュ奇譚ーー醫師オラース・ピアンションの物語れるーー」は、バルザックの二十幾篇かの短編の中で一番愛している作品だそうです。≪題材がロマンチックで面白いし、出来栄えがまた、まず完璧に近い名作という気がする≫と解説に書かれておりました。

 また≪作者は、この悲劇の大詰めの効果を高めるために、どれほど注意深い書き方をしているかがよくわかる≫と、前半のテンポと後半一気呵成に進み行く展開のことを指し、この短編の出来を解説しています。
 確かに、ゆるゆる進む前半の印象より、最後のあっと言わせる結末に向かう展開の印象は強烈です。うっそー!って感じでしょうか。幻視的短編と位置付けているようですが、幻視というより、ちょい怖いミステリーという感じです。

 ということで、読み物としては、この一番初めの「グランド・ブルテーシュ奇譚」が面白いのですが、「フランドルの基督」という中に、こんな言葉が、ありました。
≪自然の眺めのなかには、それを詩にしてみても絵にしてみても、実際にそれが続いた時間以上には恐らく引き伸ばし得ないものがある。≫
 何か、わかる気がします。自然の中に立つと、その空気を味わう、嗅ぐ、まとう、耳にする、目にする・・・の時間。
 詩的でも、美的でもないものの、心の平安が、そこにある。
 作者の言った事とずれているかもしれないけれど、自然を眺める「時間」が好きです。
☆写真は、パリ ノートルダム寺院ですが、暗すぎてうまく撮れていません。

PageTop

実物見たいなぁ

      蝋梅13j
 2016年が生誕300年だったのは与謝蕪村と伊藤若冲で、京都国立博物館で両者の特集陳列があったのは、ここでも紹介しました。

 その時、与謝蕪村の絵画の面白さに出会ったのですが、また、もう一点、実物を見てみたい絵が加わりました。
 日経新聞に紹介されていた(2017年1月25日)与謝蕪村「夜色楼台図」です。なんと個人蔵の国宝指定。
 冬の情景の一枚として解説されていました。明代の漢詩に「夜色楼台雪萬台」というのがあるらしく、≪夜の闇に沈む雪景色というきわめて難しい題材の描写を事もなげに成し遂げているように見える≫とありました。また、その描き方の技法も、凝ったもので、実物を見てみたいものだ。

 ところが、昨年、東京サントリー美術館の「若冲と蕪村」展の時に出展されていたらしい・・・・う・う・う。あの頃、娘の出産にまつわるエトセトラで忙しく、若冲は、ずいぶん見てきたしなぁなどと、画家蕪村に着目できていなかったから、見逃してしまいました。もはや、生誕301年だし・・・
 
 個人的に、最近、雪の絵本・冬の絵本を集めて楽しんでいたので余計に、与謝蕪村「夜色楼台図」の雪の描き方も、気になったのです。
 国宝と絵本と比べるのはおかしいと思う人が居るかもしれないけれど、数々の絵本の雪の描き方には、その画家の自信のシーンがあると思います。蕪村と同じスピリットで、雪の情景を描いたに違いないのです。
 とはいえ、WEBで見ることのできる与謝蕪村「夜色楼台図」は、それだけでもしんしんという音が聞こえてくる気がして、やっぱり実物見たいなぁ。
☆写真は、一月の蝋梅。早咲きの梅もちらほら咲いているのを見かけるようになりました。

PageTop

北極の宝もの

北極j
「北極の宝もの」(ダナ・スミス文 リー・ホワイト絵 みはらいずみ訳 あすなろ書房)
 
  以前は、本国で出版されても、版権やなんやかで、晩年のセンダックのような有名になった絵本作家のものは別として、同じ年に邦訳され出版されるようなことは、なかなかありませんでした。ところが、この「北極の宝もの」は、アメリカで2016年に出され、同じ年の11月には邦訳出版されていました。はやっ!埋もれている古い作品や、再版や復刊してほしい絵本も多いんだけどなぁ・・・・

 さて、「北極の宝もの」は、≪北極の冬は、白の世界。≫で始まります。
 原題を「北極の白」とするこの絵本は、「色」の絵本と言えるかもしれません。
≪こおった地面は、青みがかった白。ホッキョクグマは、黄色っぽい白。ホッキョクギツネは、銀色まじりの白。・・・・≫
≪灰色があらわれることもある。でも、灰色だって、白のなかま。うっすらと黒っぽい白だから・・・≫

・・・・「きれいな色が見たい。まいにち そう のぞんでいる。」と女の子は言い、おじいちゃんと出かけた先で、見たものは・・・・
≪こんなに みごとな オーロラがみえるから。≫
≪うずまく むらさき。 きらめく みどり。おどる 青。心ぞうみたいに ドクンドクンと 脈うつ 赤。≫

 誰しも、オーロラを体験する機会が、あるとは限りません。
 が、少しは、その美しさを味わえるかもしれません。この絵本でも、星野道夫の写真でも。➡➡➡ 

PageTop

てぶくろ

    てぶくろj
「てぶくろ」(ウクライナ民話 エウゲーニー・M・ラチョフ うちだりさこ訳 福音館)
(承前)
 アメリカの二冊の絵本では、なくした手袋は  赤い手袋でしたが、ウクライナ民話の「てぶくろ」は、動物たちも住めるしっかりしたもの。この話も、手袋を片方落としたところから始まります。

 まず、ねずみがっやってきて(くいしんぼねずみ) 次にかえる(ぴょんぴょんがえる) それからうさぎ(はやあしうさぎ)。そして、おしゃれぎつねという名のキツネ。はいいろおおかみ、きばもちいのしし、のっそりぐま・・・・そりゃ無理よねぇ。

 これらのネーミングが秀逸です。絵も丁寧に、雪の森の様子、雪の降っている様子を描いています。
 そして、気付かない大人はいつまでも気付かないけれども、手袋がだんだん住みやすくなっていく様子をご存じ?テラスができ、呼び鈴のための釘が打たれ、煙突が立ち、窓が開き(お茶目なカエルがのぞいてますよ)・・・
 
 さて、写真上が福音館の「てぶくろ」です。左下は、同じラチョフ画なのですが、ずいぶんおしゃれぎつねも歳経た感じです。しかも、「きつねの姉さん」と名乗ります。ちなみに、キーキーねずみ。ピョンピョンがえる。早足うさぎ。灰色オオカミ。牙いのしし。くまおやじとういうネーミング。*「てぶくろ」(ウクライナ民話 エヴィゲーニイ・ラチョフ 田中潔訳 ネット武蔵野)

 さらに、写真右下は、かつて、海ねこさんのページで見つけた、かわいいミトン型の絵本です。中身はロシア語で、手も足も出ませんが、そこは、絵本のことですから絵だけ楽しんでおきましょう。こっちなら、おしゃれぎつねという名前がぴったりでしょ。*「Рукавичка」絵はラチョフじゃありません。
PageTop

あかいてぶくろみなかった?

      あかいてぶくろ2j
「あかいてぶくろみなかった?」(スティーヴン・ケロッグ作絵 きしだえりこ訳 偕成社)

(承前) アメリカでは、子どもたちが赤い手袋をよくつけているのか、昨日の「てぶくろがいっぱい」でも赤い手袋をなくしたお話でしたが、「あかいてぶくろみなかった?」も、題名通り、赤い手袋紛失物語です。

 アニーは、今年の冬、5つ目の手袋紛失です。遊んだ場所を犬のオスカーと一緒に探すのですが、なかなか見つかりません。
雪の上に、ねずみの足跡を見つけると、手袋を寝袋に使っているかもと想像し、鳥が飛んでいるのを見ると、鷹が持って行って赤ん坊の帽子にしているかもと想像します。見つからず、家に帰って、残ったもう片方の手袋を植えたらどうなるかと想像し、実ったたくさんの赤い手袋をクリスマスにはみんなにあげようと考え・・・すると、あれれ?あんなところに あった!
 
 小さなこの絵本の白い画面には、線描きしかされていませんが、赤い手袋、赤い鳥は赤く表現されています。
 実は、一緒に遊んでいたほかの子の忘れ物もたくさん描かれています。お話の本筋には関係なさそうですが、アニーがいつ赤い手袋をなくしたのかのヒントにもなっています。また、そのヒントは、タイトルが書かれている前から描かれている、友達と遊ぶシーンともつながっています。

 絵本の絵は、字が読めない子どもたちの方が、しっかり隅々まで楽しみます。最近は、早くから字が読めてしまい、絵本の絵を隅々まで見て楽しむことが減っているとしたら、はて、さて。(続く)
 

PageTop

てぶくろがいっぱい

      てぶくろがいっぱいj
 「てぶくろがいっぱい」(フローレンス・スロボドキン文 ルイス・スロボドキン絵 三原泉訳 偕成社) 
  スロボドキン夫妻の絵本「てぶくろがいっぱい」は、彼らの孫が双子であることから、主人公の男の子たちも双子です。双子の両親がおばあちゃんに、双子を預けて、出かけるところから、話は始まります。

 さて、赤い手袋をなくしたと思ったら、近所の人たちが届けてくれ、先生も見つけてくれて、ゴミ集めのトムさんも牛乳屋さんもお店のおばさんもトラック配達のおじさんも…数えてみたら、なんと10個も赤い手袋が集まり・・・そのあとも、次々、みんなも届けに来てくれて・・・留守にしていたお母さんとお父さんのお土産も赤い手袋!・・・・すごい数の赤い手袋。
  
  ということで、今度はなくした人のために裏庭の物干しロープに赤い手袋をつるすのです。すると、今度は赤い手袋をなくした人が次々に受け取りに来て、一つだけ残るものの、次の冬もやっぱり、赤い手袋を届けに来る人が居て・・・
 と、エンドレスに親切がつながっていきます。

 子どもたちの周りに優しい親切な人が居る。子どもたちもおのずと優しい気持ちになる。
 親切な心がこの絵本の中に満ちていて、寒い季節の話なのに、ほっこり暖かい気持ちになります。(続く)

PageTop

さあ どうぞ。

         さあどうぞ (2)30
「くだもの」(平山和子 福音館)
 むかし、この絵本のことをどこかに書きました。それからも、ずっと、絵本「くだもの」のことを紹介してきました。最後、「じょうずに むけたね」と、言うためには、バナナの上の硬いところを、きちんと切り落としておかないと、小さい子はむけないことを描いているこの絵本のことを。

 今、孫が、この絵本に近づいているのを見るのは、とてもうれしいことです。
 いちごを食べた次の日に、この子の叔母がプレゼントした絵本「くだもの」。
 独身の叔母は、小さな姪が可愛くて、いろんなものをプレゼント。
 が、一番初めにあげる絵本は、この絵本「くだもの」と決めていました。
 理由は、美味しそうで、「さあ、どうぞ」と優しい言葉が続くから・・・らしい。

 が、母は覚えています。
 この叔母が、とても小さかった頃、物知りのお兄ちゃんが「アーサー王と円卓の騎士」(シドニー・ラニア編 N.C.ワイエス画 石井正之介訳 福音館古典シリーズ)を楽しみ、いろんな騎士の名前を、口ずさんでいたころーーーー「サーラーンスロット」「サートリスタン」。
 彼女は胸を張って言ったものです。「私だって、知ってるよ!!!」
「さーどうぞ」

PageTop

作者不明

        グラスj
「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」(会田由訳 岩波文庫)
 この薄っぺらい文庫本の作者は一体だれか、不明です。
 ヨーロッパでピカレスク小説を流行らせるさきがけとなった傑作、とあります。ピカレスク小説というのは16~17世紀にスペインを中心として流行した悪漢小説・悪者小説の類です。
 解説によると、スペイン文学の特色を発揮することになる悪者小説という目新しい形式の読み物ということらしい。貧しい下層階級出の男が、次々に主人に仕えてなめる苦労を、自伝体で述べるという形式なのです。

 今読むと、差別的な表現が多々ありますが、筋立てはわかりやすい。
  訳者解説では、この話を「別に入り組んだ筋立て一つもない」「作品全体の構成も、決して均斉がとれているわけでもない」「文章も正確とは言えない」と言います。が、主人公のラサーロはバイタリティにとんだ、憎めない悪童として描かれ、読者を魅了し続けてきたようです。

 ラサーロが、ひもじくてひもじくて、知恵を働かせ、木箱からパンをくすねるところがあります。初めは、犯人は、ネズミかもしれず、次は蛇かもしれないと言われます。そんなとき、
≪…彼が夢中になって、眠ろうともしないので、まったくの話が、蛇は、いやもっと正確にいえば、わたくしという頭の黒い蛇は、夜になってかじるどころか、木箱のところへ立ち上がることすら出来にくかったのでございます。しかし昼間・・・・≫

 そう、そう、頭の黒い蛇やネズミ!今もいるいる・・・

PageTop

時間を喰う便利な機器

大山崎石像j
 昔、子どもが小さいころ、誰か身内にお医者さんがいたらなぁ・・・・と、何度思った事でしょう。夜中の熱、発作・・・などなど、新米の母親には、不安で分からないことばかり。

 今、最新についていけない我が身に、パソコンに強い人が、近くに、しかも、嫌がることなく「はいはい」と応じてくれる人がいたらなぁ・・・と、切に思います。
 確かに、電気工学修士という人が、ごくそばに居ます。が、この人のパソコンリテラシーには、疑問符がつきますし、実際、この人にお願いしたら(「はいはい」と応じてくれるという条件は満たしていますが)、「あ`````~~~」という致命傷を負うことも無きにしも非ず。

 と、新年早々、この最新のパソコンが、いうことをきかなくなったとき、われら老夫婦は、お互いに不信感を抱きながらも、力を合わせ、手に手を取って、やっと、元に戻せたというわけです。(たぶん、若い人なら、ちょちょいと片付けたであろうに)
 ということで、このブログの文章も、いつにもまして、変な流れになっていた事故もあり、ここにお詫びと訂正をします。

 それにしても、便利で手放せないこの機器、結局のところは、時間を喰い、知恵までも喰っているんじゃないかと、感じます。
☆写真は、大山崎山荘庭。後ろに椿一輪。

PageTop

須磨は暮れ 明石の方はあかあかと

     夕焼けj
 「獺祭書屋俳話 芭蕉雑談」(正岡子規 岩波文庫)
(承前)
 「俳諧という名称」という文に、こんな個所がありました。
≪・・・俳諧といふ語の初めて日本の書に見えたるは、『古今集』の中に俳諧歌とあるものこれなり。俳諧といふ語は滑稽の意味なりと解釈する人多く、其意味に因りて俳諧連歌、俳諧発句と云ふ名称を生じ、俗に又之を略して俳諧と云ふ。されど芭蕉已後の俳諧は幽玄高尚なる者ありて、必ずしも滑稽の意を含まず。・・・・≫

 そうなのか・・・歴史的に見れば、もっとくだけて、楽しんでいたということでしょうか。
 つまり、詩でも、歌でも、難しく悩まないで、もっと、口に載せ、気楽に楽しめばいいと拡大解釈しました。

 また、正岡子規は芭蕉の「あかあかと日はつれなくも秋の風」(奥の細道)を古歌の「須磨は暮れ 明石の方はあかあかと 日はつれなくも 秋風ぞ吹く」を剽窃していると断じています。素人には、ふーんと思うだけですが、この古歌に出てくる須磨は、カ・リ・リ・ロの実家だったところだし、明石は夫の実家なので、シンパシーを感じます。

 それで、蛇足ながら、このお正月、明石に向かうときに、どのあたりか、自分なりに考えてみました。
 須磨はもう暮れていて明石は、まだ明るいのですから、須磨と明石の間にある山---須磨を超えた辺りは、一が谷の合戦で有名なように、山が急で、海に迫ってきていますーーーその山の上(摂津の国と、播磨の国の境目でもあります)から、夕刻、明石の方を眺めると、須磨はその山の陰になって、西日がもう当たらず、明石の方は西日が当たっているのじゃないか・・・と。 
 もう一つ考えられるのは、須磨と明石の陸続きのおよそ中央に位置するのが、須磨と明石より少々海にせり出した垂水のあたり。そこから見たかもしれない・・・。
 が、もしかしたら、垂水の近く、滝の茶屋という場所があって、そこは、かつて、海に真水の滝が落ち船用の水場だったようです。そして、滝の上には、古山陽道の茶屋があって・・・・そこ?・・・いえいえ、古歌だから、茶屋なんてないか・・・

☆写真は、残念ながら、須磨・明石ではなく、スイス ニーダーホルンから見た日暮れ。

PageTop

獺祭書屋俳話

       獺祭たてj
「獺祭書屋俳話 芭蕉雑談」(正岡子規 岩波文庫)
 2016年11月に新刊として並んでいたのが、この「獺祭書屋俳話 芭蕉雑談」。
 ん?「獺祭」って、あの日本酒と同じ名前!今でこそ、あの日本酒の知名度があがって、獺祭・・・「だっさい」と読めるものの、明治の頃は、周知のことだったのかい?
 で、調べてみました。
 まず獺祭の「獺」。これはカワウソのこと。
カワウソは捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これを祭儀になぞって、「獺祭」。 転じて多くの書物を調べ、引用する人の様を指す、とありました。なるほど・・・だから、正岡子規が獺祭書屋と名付け、俳句についてのいろいろを語るには、なかなか洒落た名前だったというわけ。単に、カ・リ・リ・ロが何にも知らなかっただけ。
 以前に書いた「俳諧大要」(正岡子規 岩波文庫)と、対のような一冊でした。

 それにしても、いただきものの「獺祭磨き二割三分」というお酒・・・残りの7割7分はどこ行ったんだろうなどと考えないで・・・美味しい!!!(ちなみに、カ・リ・リ・ロは飲めますが、せいぜい乾杯程度です。念のため)(続く)

PageTop

可視化

外灯j
 いつか、「品格」という言葉が、脚光を浴びた時期がありました。その頃、品格にかけるカ・リ・リ・ロは、なんだか、ぴんと来ませんでした。

 が、最近、某国で、大統領の交代があり、やめる人と新たな人の言動を見ていると、「品格」というものが、はっきり目にできます。
 某国だけでなく、近隣国でも、身近で自分の属する国でも、気が付くことが増えました。
 モデルとなろうかとする大人が「品格」を失い、次世代に「品」のないメッセージを伝える・・・
 
 「私利私欲」というのも見えてしまいます。
 「誠意」のあるなしまで、見える時があります。
 下手したら、行きつく先も見えそうな時が…
 あな、恐ろしや。

☆写真は、スイス ブリエンツ湖

PageTop

わーい、ゆきだよ!

     ゆきj
 先日のセンター試験の2日間、大雪が心配されていました。
 この辺り(阪神臨海地域)は、ちらついた程度。
 例年、なぜ、この時期にセンター試験なんだろうと、ぶつぶつ言いながらも、各大学に分かれて受けるテストの時もまだ、冬空は続き、受験生とその家族は大変です。
 
 この辺りは、雪が積もることも滅多にないので、シュルヴィッツの絵本「ゆき」で最後「わーい、ゆきだよ!」と喜ぶシーンは、よくわかります。が、しかし、豪雪地帯の人たちなら、初雪に「わーい」なんて言うのかなぁ。

 また、都市部に住んでいると、同じシュルヴィッツの絵本「ゆうぐれ」の最後「わーい、よるもきらきらしているんだね!」と喜ぶシーンも、わかります。絵本では、特に、クリスマスとは一言も言っていませんが、絵は、クリスマスの飾りつけで溢れる雑多な街です。

 ただ、どんな地域に住もうとも、絵本の中で「わーい」と喜ぶ姿は伝わり、美しく描かれたその世界は、子どもたちの心に残っていくことだと思います。受験生たちの「わーい」と喜ぶ春が近いといいですね。

「ゆき」「ゆうぐれ」(ユリ・シュルヴィッツ さくまゆみこ訳 あすなろ書房) ➡➡

PageTop

ときわなる 松のみどりも はるくれば いまひとしほの いろまさりけり

新年j
 お天気がよいと見晴らしに京都に行き、鶏の絵がみたいと京都に行き、手習いの新年会に京都に行き・・・など、気ままに京都にアプローチしています。

 さて、狂言のさわりを見せていただいたり、お稽古中の狂言を見せてもらったり、英語落語を楽しんだり、と、はて、なんのお稽古つながりだったか忘れそうですが、最後はくじ引きで、先生の書の小紙をいただいたりして、そうか、この集まりは古筆を習っているんだったと思い出す次第。(ただし、狂言のお稽古をしている人も合流しています。)

 「ときわなる 松のみどりも はるくれば いまひとしほの いろまさりけり」(古今和歌集)と書いたのは、この店の店主です。
≪一年中、変わらない松の色も春が来たので一段と緑が濃くなった≫という意味で、料理以外もめでたい。
 しかも、この写真に写る松葉には、3つの黒豆。やっぱり祇園のお食事だわ・・・などと、はしゃいでいたら、ここでも物知らずが露呈し、年始早々、後悔することに・・・

 三つ葉の松はとても珍しく、しかもよーく考えたら、こんなに長い松葉など、珍しすぎる・・・ということで、知ってる人は、ちゃーんと、この松葉が「三鈷の松」であることを知っていた。真心、智慧、慈悲の三福を授かるといわれ、財布に入れておくといいとか(知ってた人は、すでに財布に入れていた)、タンスに入れると服(福)がたまるとか・・・ああ、ときすでに遅し、美味しい美味しいと食べ、お皿は引かれた後でした。
 うーん、次回も忘年会じゃなく、新年会なら、忘れずにもらっておこう・・・と、すでに来年のことを言って、鬼に笑われます。
☆写真下は、白みそ仕立ての京都のお雑煮。
                  雑煮j
  

PageTop

建仁寺久昌院

久昌院j
 京都冬の特別拝観で建仁寺塔頭の久昌院に行きました。
 お庭の拝観と、襖絵の拝観でした。
 先の大山崎山荘のときもそうでしたが、京都とその周辺の散歩は、四季折々に違った顔を見せるし、特別拝観や企画展が、順次あるので、際限なく、京都を楽しむことも可能なのです。
 住みやすそうな街だとは思わないものの、どこかのキャッチフレーズのように「京都があってよかった」と、思います。

 それで、公開されたのは方丈の大和絵「長篠の合戦」宇喜田一葸筆でした。確かに緻密で綺麗に描かれていましたが、大きな合戦の絵に、ダイナミックなものを期待していたら、ちょっと繊細でした。
 もう一枚、ここには長沢芦雪筆による「牧童笛吹図」というのがあるはずなのですが、丑年になったら披露されるのか、今や。張られたその絵のポスターの下には京都国立博物館の名が…今にも通じるモダーンな筆墨画で、ちょっとかわいいお顔の牛さんが描かれていて、実物を見てみたかったなぁ。

☆写真は久昌院のお庭、東山を借景にした東向きのお庭です。さぞや、満月、お月見はよかろうと思います。とはいえ、東山は、育ちすぎた松のおかげでちっとも見えません。写真には右三分の一のところ、木と木の間から、ほんの、ちょっと東山が写っています。この画面じゃ判別無理?

PageTop

石峰寺図

    石峰寺j
(承前)
 京都国立博物館の特集陳列「若冲展」の中に、「石峰寺図」というのがありました。
 石嶺寺は、若冲が晩年を過ごし、そのお墓のある寺です。➡➡
 今回展示の「石峰寺図」にも、羅漢さんがたくさん描かれていますが、もちろん、実際の石峰寺にも石像の五百羅漢が点在しています。石峰寺、裏山の羅漢さんたちと、この図の羅漢さんたちの配置は異なるものの、どちらの羅漢さんも表情がユーモラスで穏やかです。
 また、聖域と俗界を繋ぐ特徴的な中国風の門(竜宮門)の両脇に、門番のように仁王さんが立っているのも可笑しい。実際の石峰寺には仁王さんは立ってませんが、その門の朱は、インパクトのあるものです。

 石峰寺の石像羅漢さんたちは写真に撮れませんでしたが、下の写真は椿山荘に何故かある若冲の石像羅漢さん

羅漢2j

PageTop

特集陳列

       若冲鶏j
 酉年なら、若冲でしょう。の気分で、京都国立博物館の平成知新館特集陳列に行きました。
 特集陳列は、3つ開催されていて、一つは「皇室の御寺泉涌寺」(~2017年2月5日)もう一つは「とりづくし-干支を愛でる」(~2017年1月15日)そして、「生誕300年 伊藤若冲」(~2017年1月15日)でした。
 確かに、陳列ですから作品数は少ないとはいえ、近年見つかって本邦初公開とか 89年ぶりとか公開の作品もありました。もちろん、同じ京博で2000年に開かれたときの「特別展覧会 没後200年 若冲」展のときに見たものもいくつか出ていましたが、小規模ながら、充実の特集陳列でした。
 この前の蕪村のときも(「生誕300年与謝蕪村」)もよかったので、この京都国立博物館の特集陳列は侮れません。大々的なアナウンスもないので、見逃しそうになるけれど。

 今回、本邦初公開の「大根に鶏図」という画が(上記、写真にその一部)、著色状態もよく、とても綺麗で、しかも楽しい。というのも、何かに乗っている鶏の図は、若冲お得意のもののようですが(今回も他に、稲穂の上の鶏図もありました)、これは「大根」の上。ところが、描かれているのは、大根の白く長い部分ではなく、大根の葉っぱと葉っぱをつけた大根の頭の切り口。つまり、その葉っぱにのっている、というか、踏みしだいている鶏。葉っぱについている虫でも探しているかのよう。

 鶏の彩色が絢爛豪華なのにくらべ、大根の切り口の簡易なこと。蕪?と見まがうばかりのただの円。葉っぱも、かなり簡易な描き方。この対比が、より、鶏の美しさを際立たせています。(続く)

PageTop

カルトケーキ

     ケーキj
(承前)
 開館20周年の大山崎山荘美術館では、フランスの画家ロベール・クートラス(1930-1985)の作品展が開催されていました。カ・リ・リ・ロが、もの知らずとはいえ、たぶん、目にしたことのない画家でした。
 それもそのはず、困窮してでも、売ることより描くことに専念していた画家だったようです。しかも、カルトという手札大の油絵が中心で、ほかのほとんども、小さい作品でした。

 その作品は、どこかとぼけていて、ユーモアがあり、また、ちょっと哀しさも漂う人間味のある作品の数々でした。
 たくさんのカルト作品も楽しいものでしたが、カルトではない「僕のご先祖さまシリーズ」は、どれもぼくのご先祖様としたタイトルしかなく、うーん、この絵の人は誰?どんなことしてた人?と、もっと知りたくなる魅力的な人たちが描かれていました。

 前期後期に分かれて展示するようなので、たくさんの小さな作品があるのだとわかります。
「ロベール・クートラス 僕は小さな黄金の手を探す」(前期~2017年1月29日 後期2017年1月31日~3月12日)

 蛇足ながら、今回の常設展のヴラマンクは「雪化粧」というのが展示されていて、我が家のヴラマンクに雰囲気がほんの少し似ていて、ちょっと、うれしかった。➡➡

☆写真は、大山崎山荘美術館ティールームの企画ケーキ。ロベール・クートラスのカルト作品がケーキになっていました。
写真下は、ティールームのテラス屋根。ここからの見晴らしがいいのです。昨日の南天の写る写真の向こうに写るのがこのテラス。
テラスj

PageTop

見晴らしのいいところ

     山荘13j
 お天気がいいと、どこか見晴らしのいいところに行きたいと、天王山のふもと大山崎山荘美術館に行きました。何度か行っていますが、それは、桜の時や   紅葉の時 ・ ➡➡、あるいは、美術展示に惹かれる時でした。

 今は、桜も紅葉も枝だけになって、寒々しいものの、やっぱり、ここの景色ーーー桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川となり、対岸に男山をのぞみ、後ろには「天下分け目の天王山」ーーーは、日本史の思い出すには格好の場所。

  天下分け目の天王山というけれど、明智光秀と豊臣側の「山崎の合戦」は、山の方じゃなかった・・・
 
 川向う、石清水八幡のほうを見やれば、徒然草を思い出し、仁和寺にある法師は、この川を下ってきて、帰ったんだね・・・ 

 「信貴山縁起絵巻 山崎長者巻(やまざきちょうじゃのまき)」のあの飛んでいく鉢は、山崎の長者のところまで行ったし・・・なぜ、山崎の長者かというと、川の合流するこの地域は物流の拠点であり、荏胡麻が取れたらしく、のちには油座ができたくらいの地域。荏胡麻は川向う男山の石清水八幡宮の灯明の油として使われたりもして・・・・その油座は織田信長の楽市楽座政策により、衰退していき・・・・うーん、山崎の歴史は深い。

 さらに、もっと昔、平城京と平安京の間に長岡京というのがあって、それは、いわば、この近く・・・平城京も平安京も盆地。なのに、長岡京は片方の見晴らしが良すぎるのも今ひとつ?

 さて、この山荘は、実業家の加賀正太郎が、若き日に欧州へ遊学し、イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れの記憶をもとに、木津、宇治、桂の三川が合流する大山崎に土地を求め、1912年から山荘建設に着手したようなのですが、館内のいたるところ、チュダー朝の匂いがして、英吉利びいきにはうれしい建物です。

 また、モネの睡蓮などを常設している新館は、建築家安藤忠雄によるもので、コンクリート造りです。コンクリートとチューダー様式??違和感ありと思うかもしれませんが、実際にその場に立ってみると、庭の木々に埋もれたコンクリートの丸い建物と直線の廊下は、違和感なく、たたずんでいました。(続く)

          安藤忠雄25j

PageTop

飯炊きばあばの喜び

         恵比寿j
 もはや、十日戎。かの三が日は、飯炊きばあばでした。
  
 暖かくて、今や作り置きもままならないおせち料理は、元旦と翌朝にはなくなり、お鍋をしなくちゃならない、遠方より来る若者のためにボリュームのあるもの用意しなくちゃならない・・・・など、3日間毎日、結局、まないたも包丁も使っていました。
 
 料理は好きでないし、苦手なものの、25年以上お世話になってる無農薬・有機野菜の美味しさは、我が家以外の人々には、驚きをもって、口に入るようです。金時人参は甘い。レンコンは煮しめても、しゃきしゃき。ゴボウはゴボウの味がする。小芋はホクホク。菊菜のサラダは美味しく。茹でたブロッコリーもオリーブオイルをかけただけで称賛され、特別飼育のカモの団子は、柔らかく美味。もちろん、ミカンはあくまで甘く、リンゴは、いつも通り美味しかった。

 しかも、毎年気合を入れて作る黒豆を、つぶして離乳食としてお口に入れてもらえ、お口にあったようなのが、何よりうれしいお正月でした。

☆写真は、東京 椿山荘 庭にある七福神の一つ。恵比寿さん。足の裏が、年末にアップした「いろいろおせわになりました」の孫の足に似てる!

PageTop

三の朝(みつのあさ)

まつ14j
あけましておめでとうございます。

「我門(わがかど)や松はふた木を三(みつ)の朝」(与謝蕪村)

三(みつ)の朝は、年、月、日の始め、元旦のことで、春の季語。ここでは、「見つ」と、かけている。
松はふた木、というのは、陸前武隈の根元で二本に分かれている松のことで、それを踏まえて芭蕉の詠んだ「桜より松は二木を三月越シ」(奥の細道)による。
また、この句は、年末に見た不思議な夢で、武隈の松の精霊を思い出してできた賀文の歳旦句。

*「蕪村文集」(藤田真一編注 岩波文庫)
*「蕪村句集」(玉城司 訳注 角川ソフィア文庫)
☆写真は、デパートの催事の生け花

PageTop