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トーテムポール

      トーテムj 
  (承前)
 昔、小学校の時、百葉箱の近くに、もしかしたら、ブランコの後ろの門のそばに誰かが創った簡単なトーテムポールが立っていた記憶があります。ネイティブアメリカンたちの守り神だという風に教えられたと思います。面白い顔や模様がついている・・・というのが印象で、遠いアメリカや、その原住民に思いを馳せたことも、その深い意味を考えたこともありませんせんでした。もう一つ「旅をする木」(星野道夫 文春文庫)の中で、「トーテムポールを捜して」という一文を1993年頃に読むまでは。

≪二十世紀になり、強国の博物館が世界中の歴史的な美術品の収集にのりだす時代が来る。・・・(中略)・・・多くのトーテムポールが持ち去られ始めるが、生き残ったハイダ族の子孫も次第に立ち上がって行く。彼らその神聖な場所を朽ち果ててゆくままにさせておきたいとし、人類史にとって貴重なトーテムポールをなんとか保存してゆこうとする外部からの圧力さえかたくなに拒否していった。そして、百年前のハイダ族の村がそのまま残っている・・・≫

≪多くのポールはすでに傾き、いくつかは地面に横たわっていた。苔むし、植物さえ映えるトーテムポールから、消えようとする模様が何かを語りかけていた。・・・・・(中略)・・・・やがて一本のポールの前に来て、ぼくは立ち尽くしてしまった。そびえるトーテムポールのてっぺんから大木が生え、その根がポールを伝って地面まで伸びてきているのである。上部の形から、それは人を葬ったトーテムポールであることは明らかだった。かつてハイダ族は、トーテムポールの上をくり抜いて人を埋葬していたのである。ある日、その上に偶然落ちたトウヒの種子が、人間の身体の栄養を吸収しながら根づき、歳月の中でトーテムポールを養木として成長したのであろう。  草むらに分け入ると、さらに驚くことが待っていた。早春の草の中に生まれて間もないオジロジカの仔がうずくまっているのである。しばらく離れていると、森の中から母ジカが現れた。シカはゆっくり草を食べながらトーテムポールの間を移動し・・・・・(中略)・・・・・人間が消え去り、自然が少しずつ、そして確実にその場所を取り戻してゆく。悲しいというのではない。ただ、「ああ、そうなのか」という、ひれ伏すような感慨があった。≫(続く)

☆写真は、ペーパーバック時代の「たくさんのふしぎ」(福音館)
右上「クマよ」(星野道夫 文・写真 1998年156号。左下「森へ」(星野道夫 文・写真 1993年105号)

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