みんなみすべくきたすべく

画賛

仙厓3j
(承前)
 「大仙厓展」(~2016年11月3日:出光美術館)の何が、面白かったかというと、画に添えて書かれている画賛でした。
 ただの言葉遊びでなく、奥が深いのが、禅画ということなのですね。

 こんな絵が、並んでありました。「頭骨画賛」と「葦画賛」。前者は、骸骨の目鼻口から葦が生えています。後者は、葦が生えている中を水が流れています。
 葦という草は、「よし」とも「あし」とも読みますが、そこを画賛しています。
 前者には≪よしあしハ  目口鼻から  出るものか≫
 後者には≪よしあしの  中を  流れて  清水哉≫

 他にもたくさん可笑しいのがありますが、最後の方に並んでいた「老人六歌仙画賛」は、今まで見た色んな六歌仙の中でも、一番楽しい。今も変わらぬ高齢者の実態ではありますが、絵は大らかで優しい。

≪志わかほくろが出来る   腰まかる(か)頭はけるひけ白くなる  手ハ振ふあしハよろつく   歯ハ抜ける耳ハきこへす  目ハうとくなる  身に添ふハ頭巾襟まき  杖へ目鏡たんぽ  おん志やく志ゆひん孫の手  聞たかる死とむなかる  淋しかる心か曲る欲深ふなる   くとくとなる氣短かになる  愚癡になる  出志やはりたかる  世話やきたかる  又しても同し咄に子を譽る  達者自まんに  人ハいやかる≫(続く)

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を月様 幾ツ 十三七ツ

仙厓2j
 (承前)
 東京 出光美術館50周年記念伴大納言絵巻展」のときから、秋は「大仙厓展」(~2016年11月3日)だと、思っていたものの、時間に追われ、気が付いたときには、もはや、行けそうもない・・・で、無理やりに、東京遠征したというのが実情です。
 面白かったぁ。
 美術鑑賞ですから、面白かったという感想は外れているのかもしれません。
 仙厓の、というか、禅の世界のしゃれっ気(と、いっていいのか?)を、堪能できた時間でした。

 今までに何点かの仙厓の作品を見てきました。この東京出光美術館でも、京都細見美術館、龍安寺、はては、古筆の先生の床の間にでも、仙厓に出会ってきました。その優しい画風。丸っこい画風。ユーモアあふれる画面に惹かれてきました。それにしても、たくさん描いたようで、他、東京永青文庫でも「仙厓ワールド」というのが開かれています。(~2016年1月29日)

 今では、その名を知るきっかけとなった本の作家の政治的言動が、左方向ではないのが気になるものの、そんなこと、仙厓を見るには、些末なことだと教えてくれます。(続く)

☆写真は、「指月布袋画賛」この画賛は≪を月様 幾ツ 十三七ツ≫と子守歌の一節。指さす先には月が描かれていないものの、月は「悟り」の象徴であり、指は「経典」を表し、経典も重要であるが、悟りはそのような学習だけでは手に入らないものであり、厳しい座禅修業が重要であると教えている。(「大仙厓展図録」解説より)

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炎舞

炎j
(承前)
 「速水御舟の全貌展――日本画の破壊と創造――」(~2016年12月4日)に行ったのは、「炎舞」が見たかったからです。
 今まで、写真などで見てきたし、WEBでも見ることができます。
 が、しかし、この絵は、絵葉書を買う気になれませんでした。
 実物は、印刷物と似て非なるものでした(というのは言い過ぎですが)。
 
 炎とその煙、そんなもの絵になるなんて、信じられないような気持ちで、絵の前にしばらく立って居ました。
 炎の絵は、過日の伴大納言絵巻でも見ることができました。が、しかし、煙が煙の質感を伴って、絵になっているのです。
 ・・・と、ここで、いくら、拙い言葉を連ねても、あの煙の煙としての存在感を伝えることはできません。
 実物だけが持つ魔法。

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名樹 

桜と桃j
 やっぱり行っておこうと、速水御舟と仙厓を見にいきました。

 まず、東京 山種美術館。
 日本画美術館50周年を記念した特別展「速水御舟の全貌展――日本画の破壊と創造――」(~2016年12月4日)。

 以前、「名樹 散椿」を見に行ったときは、モデルとなった生きた椿の美しさ が忘れられず、どうしてもその絵画が、より魅力のあるものとは思えませんでした。しかも、狭い部屋に陳列していたその絵は、離れて見ることもできず、その華やかさが半減しているような気がしていました。

 今回は、その「散椿」が広いところに陳列され、その華麗さが際立ち、その構図と共に、魅力的な絵画でした。が、横で鑑賞している人に、つい言いたくなるのです。京都地蔵院の椿は、それはそれは美しいのですよ、と。もちろん、よけいなお世話なので、言ってませんよ。

 この画家の描く、花や木の絵は、見る方も優しい気持ちになります。桃も桜も梅も・・・春の暖かい空気を感じます。
 また、以前、箱根の岡田美術館で見た「木蓮 (春園麗華)」も並んでいて、その佇まいにまた心魅かれました。(前期のみ展示)

 速水御舟と比べるのはおかしいものの、個人的に、カ・リ・リ・ロのカメラ親父は晩年、趣味の日本画親父にもなっていて、速水御舟の牡丹の絵を見た時には、父が描いていた(練習していた?)牡丹の絵を思い出しました。(続く)

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新鮮な散歩

さんぽj12
 4月末に生まれた孫が、バギーに乗って散歩するというので、ついていきました。
 近くに、いい散歩道があります。
 桜の時は、花見客でごった返す桜並木も、今は、静かです。

 風がそよぎ、木漏れ日がまぶしく、桜の葉がはらり、ひらり。
 見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、すべてを吸収するかのように、じっと前を見つめ、
 時には、静かに上を見る彼女。
 なんでも、初めて。
 なにもかも、新鮮。
 当たり前の、木々の梢。
 もはや哲学する彼女。

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挨拶一つ

かえでj
 (承前)
 「子育て日本史ー日本人の品性・美意識の源流をたどる」(日本人の育ての知恵」改題:樋口清之 PHP文庫))という文庫本で、もう一つ。

≪人間と人間との間の、潤滑油的な調和を取る方法としてあるのが、まず挨拶であり、エチケットであり、それはやがて道徳へと発展していく≫
 
 これで思い出すのが、以前の家でのこと。

 以前の家の前は、滅多に人も通らないところで、しかも、もう人の顔も見分けられない時間。何故か、ご近所の人と立ち話をしていました。
 そんなとlき、坂の下からこちらに上がってくる人影・・・ん?男性のようです。
 ・・・肩に力が入ったちょうどそのとき、「こんばんは」とあいさつする、少々やんちゃ傾向の高校生男子。
 その一言は、「怪しい者ではありません。」と証明しました。
 挨拶一つで済むことでした。
☆写真は、スイス8月に色づいていたカエデの類

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言葉一つ

        青さぎj
「子育て日本史ー日本人の品性・美意識の源流をたどる」(日本人の育ての知恵」改題:樋口清之 PHP文庫))という文庫本を読みました。
 イラストもついていて、読みやすい。著者の女性観にちょっと引っかかるところがあるものの、日本人の知恵や言葉について、楽しく読むことができました。

 日本語が言霊といわれる所以を、相手を祝福する言葉「おめでとうございます」「お元気ですね」を例に引き、この言葉の思想が人間を尊敬する方法として敬語に結びついたといいます。そして続けて
≪・・・ことばは、意志さえ伝えればいいのではなくて、意志を伝える以外にもう一つ意味がある。それはことばづかい、ことばの作法である。これは結局、私たちお互いを幸せにするものだと、日本人は考えてきた。ことばには、神霊すなわち神の霊魂がこもっている。こういう神霊感をもって、ことばを用いてきたのが日本人なのである。だから、いやしいことば、みだらなことば、悪いことばは語ってはならない。相手を傷つけ不幸にするからだ。・・・≫

 そうかぁ・・・相手を祝福する言葉ね・・・・
 今更ながら、振り返って考えました。(続く)

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秋来ぬと合点

 金木犀j
  年々、金木犀の咲くのが遅くなって、ついに、今年は、もはや10月下旬。散り始めているのもあるから、時期も短い・・・とはいえ、この香りなくして、秋の気分になりません。
 
 花水木の実と紅葉は、同時になって、結構明るい街路樹に。
       花水木j
 一気に秋になっていきますね。

≪秋来ぬと合点させたる嚔(くさめ)かな≫(与謝蕪村 句集 落日庵 新選)

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よいこに あげよ みるくに ぱん

       ミルクにパン2j
「おおきくなったらーーチェコのわらべうた」( 内田莉莎子訳 ヨセフ・ラダ絵 福音館)
≪よいこに あげよ みるくに ぱん なかずに すやすや ねんねんよ かあさんの よいこ ねんねんよ≫
ミルクにパンj
      ミルクにパンにヨーグルトj
 このチェコのわらべうた「おおきくなったら」の絵本がペーパーバックの福音館子どもの年少版で出たのが1979年。このペラペラの絵本を、我が家の3人が、どんなに楽しんできたかは、今までも、書いてきたし⇒⇒ 、先日の「チェコをめぐる旅展」の時も書き➡➡、そしてまた、あちこちで話してきました。
 あんまり、ボロボロになった本を携えていたら、途中でハードカバーになった同じ本を古書サイトから見つけてくださった方が居て、ずいぶんと助かりました。

 つまり、古書で見つけないと、手に入らなかったこの本でした。が、今夏、増刷されました。
 声に出して読んでみると、すっとぼけたラダの絵と一緒に、わくわく楽しい気分になります。

 あの頃、手に入らなかったあなた、今度は孫のために一冊。
 小さい子を育てているあなた、手元に置くなら今ですよ。
           ミルクにパン3j
☆写真二番目のミルクは、前からフレッシュミルク ソイミルク(豆乳) ラクトース(乳糖)フリー

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映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」

     ヴァージナルjj
よかったぁ・・・確かに、いいドキュメンタリー映画を観たのです。
後ろで流れるピアノの名曲。
穏やかに微笑み、語るシーモアさん。

 映画を観るまで、50歳で、演奏家の道から指導者、作曲家の道に進んだシーモア・バーンスタインという人のことを知りませんでした。と言っても、他の演奏家のこともほとんど知りません。どのピアニストが、うまいとか、技巧がどうとか、凄いとか、なんにもわかりません。が、当時87歳のシーモアさんの、スタインウェイ・ホールでのコンサート・・・心に染み入る・・・いいなぁ

 映画の中で、数々の大事な言葉を示してくれたので、今ここに書こうとするのですが、(映画の公式HPなどにも出ていますから)文字にしてしまうと、違うような気がして・・・書けません。

 たとえ、映像であっても、シーモアさんの温かい息遣いを感じなければ、あの珠玉の人生訓は伝わらないことに気づきました。
 ただ、龍安寺の蹲踞(つくばい)にある「吾唯知足」(吾 唯 足るを 知る)と同じ空気が流れていました。

 SEYMOUR BERNSTEIN さんのスペルです。WEBには、その素敵な笑顔とそのピアノ曲が聴けるページがあります。
☆写真は、スイス ギースバッハホテルの廊下の隅に置いてあったヴァージナル。

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紅葉はまだ

せんおくはっこかんj
 久しぶりに京都、泉屋博古館(→→)に行きました。
 企画展「はなやかな秋のしつらえー邸宅を飾った近代美術とテーブルウェア」(~2016年10月23日) 住友家に伝わった明治以降の近代絵画と工芸作品の展示でした。
 数少ない展示品ですが、明治のお金持ちの持ち物は、華やかさを伴い、しかも、超絶技巧の流れもあって、楽しいものでした。

 天気が良いので、そのあと、東山に沿って岡崎散歩をしました。
 前は、銀閣寺から哲学の道、そして、永観堂のところにでてきましたが、今回は、鹿ケ谷通りを南下して、永観堂に。紅葉には少し早いものの、見頃の時は、ごった返しているでしょうから、これでよしとします。
 さて、疏水沿いをあるきながら、無鄰菴を抜けると、案の定、栗きんとん が、呼んでいました。
☆写真上は、泉屋博古館前庭。下は、永観堂敷地内の永観堂幼稚園。外国の人は、まさか、ここが幼稚園とは思わず、写真をぱちりぱちり。カ・リ・リ・ロもつられて、パチリ。

        えいかんどーようちえんj

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クマと頭を鉢合わせするなよ

      くまj
 (承前)
 実は、「旅をする木」(星野道夫 文春文庫)を薦めてくださったのは、その中に「サリーのこけももつみ」(ロバート・マックロスキー作 石井桃子訳 岩波」のことが書いてあったからでした。

 スイスに行く度に、ブルーベリー摘みに心奪われているカ・リ・リ・ロは、以前「サリーのこけももつみ」(マックロスキー作 石井桃子訳 岩波)のことも、ここに書いたことがあるからでしょう。(⇒⇒⇒

 さて、「旅をする木」の中の「北国の秋」という文です。
 アラスカでは、季節の挨拶であるように「ブルーベリーの実、今年はどう?」といい、この時期ブルーベリーの実を摘みに行く人には「クマと頭を鉢合わせするなよ!」と、冗談ではなく、よく言うらしいのです。

≪ ・・・・何故なら、クマも人も、ブルーベリーを食べるのに夢中になって動いていて、頭を上げる余裕などなくなってしまうのです。ぼくも時々そのことにふっと気付き、注意深くあたりを見回したことがあります。そんなとき、「サリーのこけももつみ」という絵本を思い出します。・・・・・≫

☆写真は、ペーパーバック時代の「たくさんのふしぎ」(福音館)
右上「アラスカ探検記」(星野道夫 文・写真 1986年通巻20号)左下「クマよ」(星野道夫 文・写真 1998年156号) 

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トーテムポール

      トーテムj 
  (承前)
 昔、小学校の時、百葉箱の近くに、もしかしたら、ブランコの後ろの門のそばに誰かが創った簡単なトーテムポールが立っていた記憶があります。ネイティブアメリカンたちの守り神だという風に教えられたと思います。面白い顔や模様がついている・・・というのが印象で、遠いアメリカや、その原住民に思いを馳せたことも、その深い意味を考えたこともありませんせんでした。もう一つ「旅をする木」(星野道夫 文春文庫)の中で、「トーテムポールを捜して」という一文を1993年頃に読むまでは。

≪二十世紀になり、強国の博物館が世界中の歴史的な美術品の収集にのりだす時代が来る。・・・(中略)・・・多くのトーテムポールが持ち去られ始めるが、生き残ったハイダ族の子孫も次第に立ち上がって行く。彼らその神聖な場所を朽ち果ててゆくままにさせておきたいとし、人類史にとって貴重なトーテムポールをなんとか保存してゆこうとする外部からの圧力さえかたくなに拒否していった。そして、百年前のハイダ族の村がそのまま残っている・・・≫

≪多くのポールはすでに傾き、いくつかは地面に横たわっていた。苔むし、植物さえ映えるトーテムポールから、消えようとする模様が何かを語りかけていた。・・・・・(中略)・・・・やがて一本のポールの前に来て、ぼくは立ち尽くしてしまった。そびえるトーテムポールのてっぺんから大木が生え、その根がポールを伝って地面まで伸びてきているのである。上部の形から、それは人を葬ったトーテムポールであることは明らかだった。かつてハイダ族は、トーテムポールの上をくり抜いて人を埋葬していたのである。ある日、その上に偶然落ちたトウヒの種子が、人間の身体の栄養を吸収しながら根づき、歳月の中でトーテムポールを養木として成長したのであろう。  草むらに分け入ると、さらに驚くことが待っていた。早春の草の中に生まれて間もないオジロジカの仔がうずくまっているのである。しばらく離れていると、森の中から母ジカが現れた。シカはゆっくり草を食べながらトーテムポールの間を移動し・・・・・(中略)・・・・・人間が消え去り、自然が少しずつ、そして確実にその場所を取り戻してゆく。悲しいというのではない。ただ、「ああ、そうなのか」という、ひれ伏すような感慨があった。≫(続く)

☆写真は、ペーパーバック時代の「たくさんのふしぎ」(福音館)
右上「クマよ」(星野道夫 文・写真 1998年156号。左下「森へ」(星野道夫 文・写真 1993年105号)

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私は今日リンゴの木を植える

       オーロラj
 偶然というのも縁なのでしょう。
 先の訃報の少し前、星野道夫の「旅をする木」(文春文庫)を勧めてくださった方いて、(ああ、この方も彼女とつながっています)読んでいました。

 かつて、福音館「母の友」に、生前の写真家星野道夫の写真・文章が掲載・連載されているときがあって、よく目にしていましたので、この文庫本も、その頃の文をまとめたものだろうと思い、勧めていただくまで、パスしていた本でした。
 確かに、「母の友」に連載されていた文(1993~1995)を加筆したものが半分以上ありましたが、久しぶりに読み返すのも楽しいことでした。
 
その中の「生まれもった川」に登場するビルとのエピソード、その最後の一文は、記憶に残っていました。
≪世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える・・・ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。≫

 世界が明日終わるという可能性、自分が今日できることの重要性。
 急逝した人達から、多くのことを教えてもらいます。(続く)

☆写真は、ペーパーバック時代の「たくさんのふしぎ」(福音館)
右上「アラスカ探検記」(星野道夫 文・写真 1986年通巻20号)左下「クマよ」(星野道夫 文・写真 1998年156号)

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あっ、こんなところで繋がった!

        Great Maytham Hallの「秘密の花園」の舞台j
  縁というのは不思議なものです。
 急逝した友人とは、10月半ばに3人で会おうと言っていましたが、そのもう一人の友人とカ・リ・リ・ロが 30年近く前に、出会わなかったら、その関係もありませんでした。
 そして、そのもう一人の友人は、その学生時代の友人の紹介でカ・リ・リ・ロと会いました。
 そして、その友人は、その地域で出会った人の紹介で、カ・リ・リ・ロと会いました。
 そして、その人は、カ・リ・リ・ロが長男の幼稚園で絵本の話をさせていただいたとき、参加してくださった方でした。その絵本の会は、カ・リ・リ・ロにとって初めてのものでした。その後、場所を変えながら、集まる人たちが変わりながら、今も続いている絵本の会の発端でした。特に、永眠した彼女につながる絵本の会の絆は強く、カ・リ・リ・ロ自身、何度も力をいただいて、今に至ります。

 たくさんの人たちと出会い、離れ、音信がとだえても、絵本や子どもの本を通じて、つながっているんだと信じます。
 さあ、新しい種を捲きに行ってきますよ。Yokoさん。

☆写真(撮影:&Co.Yoko)は、昨年の彼女のメールに添付されていたもの。
彼女のメールには≪イギリスのGreat Maytham Hallの「秘密の花園」の舞台となったお庭のバラです。≫とありました。

 このメールは、「みんなみすべくきたすべく」2015年月6日「パンとバラ」(パレードへようこそ)に返信してくださったものです。以下、そのメールの全文です。

≪お元気ですか?素晴らしいお天気です!

さて、私も先週 かの映画「パレードへようこそ」観てきました。(ハーブティーもらいました?)たしかにイギリス映画には炭鉱を題材にしたものが多いですね。やはり、にっくきサッチャーなのですね。
私もはじめにプライドという単語が出てきたので、おや?と感じましたが、そういう意味のあることが分かり納得したのでした。知らない世界でしたが、近頃はLGBTを扱ったものが増えてきているように思います。統計的にみると、学年に一人ぐらいはいるそうですから、辛い思いをしている人はいるのですね・・・。

ところで、 「パンとバラ」キャサリン・パターソン 偕成社はご存知ですか?200年くらい前のアメリカ移民労働者のストライキのスローガンになった言葉だそうですが、イタリア移民の母親がストライキに参加するのをさめた目で見る女の子が変わっていく様子が描かれています。それまで、知らなかったので本を読んで、このように人権を訴えた人々の気高さに驚きました。そうしたら、映画の中ででてきたので、私としては「あっ、こんなところで繋がった!」でした。

本を読んだり、映画をみたり・・・の中で繋がって面白いなあと思いますね。≫ 

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・・そんなわけで、10月半ばになりそうです。

     教会j
  私より1歳年下の彼女からメールをもらったのは9月18日のことでした。
 ここ数年は、毎年のように、イギリスなどに児童文学探訪に出かけていた彼女は、5月頃、渡英し、かのマーメード・インの絵葉書をくださっていました。それで、その時の話などをお聞きしようと、もう一人の友人と日程を調整するも、なかなか合わず、「・・・そんなわけで、10月半ばになりそうです。」というメールをいただいたのが、最後になりました。
 そのときの添付写真が、上の写真で、彼女のキャプションには、≪「運命の騎士」でベービスが徹夜で祈りをささげた教会です。≫とあります。
 
 そしてまた、7月に交換したメールには、「本当にイギリス旅行は楽しくて今も密かに反芻して味わっております。夢が一つかないました。」とあります。その時の添付写真が下のものです。彼女のキャプションには、≪ミルン一家が住んでいたお家のクリストファー・ロビンです。≫とありました。

 信じられません。
 こんな形で10月半ばにお会いするなんて。合掌。
☆写真撮影:&Co.Yoko
 「運命の騎士」(ローズマリ・サトクリフ キーピング絵 猪熊葉子訳 岩波)
 「クマのプーさん」(A.A,ミルン シェパード絵 石井桃子訳 岩波)

      ミルンj

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夜明け

       レマン湖よあけj
  講演なら、ここらで、「ご静聴ありがとうございました」というところですが、長々と書き綴ったときは、どう言うんだろうか?
 
・・・老眼も手伝って、かつてより、納得のいかない写真が増えましたが、その分、フィルム写真でなくなったのをいいことに、コンパクトデジカメは、およそ、いくらでも写真が撮れ、その中から、いいのを選ぶことができます。 小さな暗室まで作っていたカメラ親父の我が父親が生きていたら、なんというだろうか・・・と思ってみたり。

 で、メールをくださった方や、直接お会いした方には、今回の旅先レポートのベストショットの写真はどれだと思う?と、お聞きしていました。ヒントは「9月中」。
 嬉しいことに、10人中9人までが、同じ写真を指摘してくださいました。
☆写真は、レマン湖のよあけ。ブリエンツ湖のよあけは、こちら⇒ 

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チューリッヒとジュネーブ

チュー3j
(承前)
 このブログを始めてから、パリに行ったときは、ロダンとカミーユのことに力を入れ、2013年のスイスの時は、クライドルフのこと、テムズのときは、ホワイトホースカントリーのこと、2015年のスイスの時は、ランボーの詩、という具合に、少しはテーマを持ってのぞんだ旅行レポートでした。
 が、しかし、今回のスイスは、「珊瑚集―仏蘭西近代詩選」(永井荷風・岩波文庫)を携えていったものの、ほとんど使えず、有難いことにお天気に恵まれた1000枚ほどの写真の整理に振り回されたレポートになりました。
      チュー2j
 もう、ここいらで、スイス報告を終わりにしますが、スイスの入口のチューリッヒと、ジュネーブの写真もあるので、最後に使います。
 今回はチューリッヒ発着でしたし、前回はジュネーブ・・・と、チューリッヒとジュネーブは、その町自体をほとんど歩かず、およそ、飛行機の発着にしか使っていません。が、そんな短い滞在ながら、二つの都市は、印象が全く違います。
チュー1j
ジュ1j
 片や、すっきりとした印象で、片や活気のある雑然とした印象です。雰囲気は、チューリッヒとベルンが似ていて、ジュネーブとローザンヌが似ている感じがする。前者がドイツ語圏、後者がフランス語圏です。
 一つの国とは言え、ずいぶん、違う感じがするのは、日本に来た外国の方が、東北と東京、京都と沖縄・・・・など、各地の違いを感じるのと同じなのでしょうか。
 
 さて、特命大使の頃はどうだったのか?
(*スリッキ、スリッキ=チューリッヒ セネヴァ、ゼネーヴァ=ジュネーブ)
特命全権大使 米欧回覧実記 (久米邦武編 田中校注 岩波文庫)
≪「ズリッキ」郡ハ、瑞士中ノ一大郡ニテ・・・・瑞士ニテ紡績ノ名所ナリ、且鉄ヲ制作シ、紙ヲ抄シ、楽器ヲ造ル、凡製造ノ盛ナルコト、瑞士ニ於テ、西ハ「セネヴァ」東ハ「スリッキ」トテ、高名ナル地ナリ・・・≫
≪「ゼネーヴァ」郡ハ、地籍元ヤヽ大ナリシニ、仏国ヨリ削ラレ・・・・・当時は、瑞士第一ノ都会ニテ、時辰惟儀(とけい)ノ名所ナリ、「レマン」湖ノ尾ナル河口ニヨリテ、市街ヲ開ク、是此湖ノ一ニ「ゼネーヴァ」湖ト称スル所以ナリ・・・・「モンブラン」山、雪色ヲ輝カシテ湖上ニ立ツ、風景目ヲ拭ウ・・・・≫
            ジュ2j
☆写真は、上から3枚がチューリッヒ駅近辺。下2枚はジュネーブ港近辺。最後の写真には、ジュネーブから見たモンブランが写っています。モルジュから見たモンブランは 

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レマン湖

レマン2j
(承前)
 スイスに行くたびに、何回かレマン湖遊覧船(定期船)に乗り、やっと、レマン湖をぐるっと一回りできました。
この湖が魅力的なのは、東西に広がった形・・・つまり、南側斜面が多く、日当たりよく明るいということです。かつてのローマ軍の道であったとか、入植地であったとか、そのローマ軍のワインのための葡萄畑が湖の斜面に広がって、今や世界文化遺産に指定されているとか・・・
レマン3j
 今回、4つの湖を回っても、ルチェルン湖は複雑な形で、必ずも南向きとは限らないし(ただ、地形が複雑で、素人にも面白かった)、トゥーン湖もブリエンツ湖も、美しい水の色に心を奪われますが、南側斜面には山が迫りすぎ、開発される余地がないのです。
レマン5j
 他、列車で横を通っただけの湖も、同じように南斜面がなかったり、南北に広がる湖だったりと、なかなかレマン湖のような南に大きく広がる湖は少ないと思います。日本の琵琶湖も南北に大きい。
     レマン4j
 レマン湖は、それぞれ湖畔の小さな街から見るのもいいし、船上から見る葡萄畑や集落も、魅力的です。
 ・・・と、レマン湖観光局の回し者ではありません。

特命全権大使 米欧回覧実記 (久米邦武編 田中校注 岩波文庫)にも出ています。
レマン湖遊覧
≪船ニ上ルトキ、夕陽ハ正ニ湖西ニ沈マントス、是ヨリ船ヲ発シテ帰港ス、「ヴェヴェー」下ヲスキルトキ、夕陽已ニ没シ、「ローザン」ニ及ヘハ、燈火欄トシテ、瞑色湖ヲ払フ、「ニョン」ニテ月出テ、「セネーヴァ」ニ至レハ、府中ヨリ岸上ニ烟花ヲ挙ゲテ待ツ・・・・≫
(続く)
☆写真2番目は、土砂降りの雨の中、遊覧船から撮ったシヨン城。他はモルジュから撮ったレマン湖。
 今までに、ニヨンから撮ったレマン湖は→→。ヴェヴェイから撮ったレマン湖→→ 船に乗って撮ったのが→→ イヴォアールから撮ったのが→→ モントルーから撮ったのが→→ 他、今まで使ったヨットの写真は、すべてレマン湖

                レマン1j

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湖 四つ

み1j
(承前)
 「せっかくだから」と欲張りになり、山と湖、また、あわよくば、美術鑑賞まで、と盛り込んだ夏の旅行でした。(もはや、すっかり秋ですが…)
み4j
 スイスの山の情報は、綺麗な風景写真と共に、多くの人の知るところだと思います。が、しかし、山に比べて少ないのは、レマン湖など、スイスの湖の情報ではないでしょうか。
 また日本にも美しい湖や池や水辺は多くありますから、わざわざそこまでいかなくてもと思う人も多いのだと思います。
湖1j
 今回初めてルチェルン湖とブリエンツ湖に行きました。それに、トゥーン湖とレマン湖、都合4つのスイスの湖を回ったことになりますが、どれもゆったりと楽しい時間を持ちました。(続く)
☆写真上からルチェルン湖(リギ山から)・ブリエンツ湖(ギースバッハから)・トゥーン湖(シュピーツ駅から)・レマン湖(モルジュで:山の向こうにはモンブランがあるはずですが、この日は見えませんでした。)

み5j

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かしこには不思議なる月の光に照らされて

      ダリ4j
 アンリイ・ド・レニエエ
≪かしこには不思議なる月の光に照らされて
眠れる昔(いにしえ)の花園の咲きて簇(むらが)る花の中
屋根に鐘鳴る高楼(たかどの)に聳え(そびえ)し塔の数多く・・・・≫(「珊瑚集ー仏蘭西近代抒情詩選」 永井荷風訳 岩波文庫)

             ダリ1j
(承前)
 レマン湖畔モルジュの街の美しいダリアのことは、昨年も書きました。(→→
 昨年のホテルがモルジュの街の東端なら、今回は西端といったところでしたから、今年も朝の散歩でたくさんのダリアを楽しみました。
 ダリ2j
 スイスでは、ほんの何か所しか街に出かけていませんが、花多きモルジュの街と、つい比べるものですから、少々の花壇があったくらいでは、花が少ないなぁなどという感想を持っていました。多分、街任せで花作りをせず、この街の人が中心になってダリアを植えているという「心のこもった花作り」が、いいのだと思います。(続く)
        ダリ3j

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モルジュの朝市

もる7j
(承前)
 ルチェルンについで、モルジュでも朝市に行くことができました。かつて、この町の近くに住んでいたオードリー・ヘップバーンもよく買いに来ていたとか・・・
 が、昨年より店が減っているような気がします

 実際、牛・豚・鹿のサラミしか売ってなかったお兄ちゃんが居ないし、オーガニックのリップクリームを売っていたおばちゃんもいなかった・・・
  もしかして、地元の人もスーパーの便利さに流れて行っているのかなとも思ったりしました。
もる6j
 が、かのチーズ屋のおばちゃんとすれ違い「ボンジュール」と挨拶できたのは、何よりうれしかった。日本の変わった小さいおばちゃんが印象的だったのでしょうね。向うから挨拶してくれたんですよ。私には、西洋人のおばちゃんの見分けが即座にしにくいけど。(続く)
      もる5j
 

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サヴォア邸

サヴォア邸1j
(承前)
 先の甥のイギリス語学研修時に、我々はスイスに行っていましたから、建築を学んでいる甥に声をかけていました。
 「ル・コルビジェの『小さな家』が開館している日に、一緒に見学に行かない?ロンドンからジュネーブに飛んで、電車で・・・」 などと誘っていたものの、甥は甥で忙しく、イギリスを回るのに忙しい。*ロンドンからパリに行くのも夜間バス、フェリーを乗り継ぐと、郊外電車料金くらいで行けるし、ヨーロッパ間の飛行機代もとても安価です。

 さて、お互い、帰国して、
「どの建築がよかった?」
「ル・コルビジェのサヴォア邸」
「へー、どこ?」
「パリから電車で行った」

 と、いうわけで、甥の写したパリ郊外のサヴォア邸(1929-31)の写真を掲載しますが、昨日までのル・コルビジェ「小さな家」( →→  ⇒⇒ ➡➡)(1923-24)が、ル・コルビジェ建築の基になっているか、よくわかります。
 共通する、横長の窓・・・・それは、レマン湖の美しい景色と光を取り入れたことから始まっていたことを思い出します。それに、この大きな建物サヴォア邸の写真を見ると、あのレマン湖畔の「小さな家」には、母への愛が詰まっていたことが確認できるような気がします。(撮影:&Co.S)
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          サヴォア邸4j

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ヴェヴェイの小さな家

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(承前)
 レマン湖畔、ヴェヴェイの街はずれにあるル・コルビジェの「小さな家」の中には、何枚かの絵が飾られています。上の写真に写る絵の額には、窓の向こうのレマン湖が写っているのがおわかりいただけるでしょう。
 つまり、右を見れば湖、左を見れば絵画。(反対でも同じ)
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 この三枚目の左の絵は、どうもル・コルビジェの考えだした、人間が立って片手を挙げた寸法と建物の寸法の黄金比とやらに関係ある絵のようです。(モデュロールというらしい)その点について、カ・リ・リ・ロには難しくて、よくわからないのですが、この横長の「小さい家」の比と同じように思える建築物が、レマン湖畔のいろんな場所で見かけたのは事実です。どれも景観を邪魔せず、すっきりとレマン湖を望んで立っているのが共通していました。かつて、村長さんに敬遠された「小さな家」が、ヴェヴェイ以外でも、増えていたのでした。(続く)ル14j 

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ル・コルビジェの小さな家

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(承前)
 ル・コルビジェが両親に日の光と共に送った小さな家は、近隣では、本当に小さいものでした。が、とても機能的。ル・コルビジェのお母さんが100歳まで暮らした家ですから、生活の匂いも残って居ます。
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小さな扉を開けると洗面だったり、収納の仕切りは、部屋に仕切りになったり、窓がないと通気の悪いところは、高い場所に窓があり、トイレ・台所・バスタブ・洗面・暖房・・・そして、湖を見渡し、くつろげる大きな空間。そのくつろぐ高さには大きな窓があり・・・
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 面積の狭い、しかも細長い家として、使い勝手の良いものを考えたら、ああなった。とはいえ、狭い空間なら、日本もお得意ですから、日頃、広い空間になれている人たちが感心する点があったとしても、こんなん日本にあるわ・・・と、少々冷めた目で見たものもなくはないです。
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 今や庭の木が切り落とされなくなってはいますが、木があれば、もっと素敵だったに違いないと思います。湖からでも、建物自体が見えるようにしたんでしょうが、やっぱり、木陰のある家の方が、住まいとしてはふさわしいはず・・・(続く)
 
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レマン湖の小さな家 

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(承前)
 さてさて、スイス2016のレマン湖報告に戻ります。

 レマン湖畔ヴェヴェイは歴史ある街です。
 そんなヴェヴェイの街はずれに、ル・コルビジェの「小さな家」が世界文化遺産登録されたのは、つい先日のこと。登録された時にはすでに、レマン湖に行く予定を組んでいましたから、これは、当然行ってみなきゃ・・・

 家の見学は絶対晴れた日にしようと思っていて、まずは、船での周遊の時に、湖側から撮った写真が、上のものです。かなりのズームで撮っています。かつて、村長が「自然に対する冒涜」とした理由がよくわからないくらい、その家は、岸壁のようで、探し出すのも大変です。ネスレ本社の丸いビルが目印でなかったら、難しかったでしょうね。
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 それで、レマン湖滞在の一番のお天気の日に、ヴェヴェイ駅から20分ほど歩いて、その「小さな家」に行きました。
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 お天気の日を選んだ理由は、おわかりでしょう?
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小さな家の大きな(長く続いた)窓から、レマン湖の光と風を感じられると思ったからです。ル・コルビジェが、両親に送った最大の贈り物、それは、建築物ではなく、その陽光だとわかります。(続く)
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談話室に はいっていった

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 昨日、マーメイドインの海賊の巣窟のような談話室のデータの写真がないと嘆いていたら、さっそく、送ってくれた友人がいて、ここに載せておきます。25年前より、談話室の椅子が綺麗になっていますが、25年前は、二枚目の写真に写る戸口の上の彫り物のような椅子ばかりで、暗い、暗い。ちなみにこの写真は2008年のときのものだそうです。
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「宝島」(スチーブンソン作 亀山龍樹訳 フォア文庫/ワイエス絵 学研)
≪・・・・戸には、すぐにかんぬきをかった。母とぼくは、船長の死体のあるやみのなかで、はあはああえいだ。それから母が酒場からろうそくをもってきた。ぼくたちは手を取り合いながら、談話室へはいっていった。船長は、ぼくたちが出ていったときのまま、あおむいて目をむき、かた腕をのばしてころがっていた。
 「ジム、窓の日よけをおろすんだよ。あいつらがやってきて、そとからのぞくかもしれないからね。」≫
☆写真撮影:&Co.Ak.

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あれからどれくらい経ったのだろう。

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 まだもう少しスイス2016報告は続くのですが、続きにつなげるために、ちょっと、イギリス話。
 大学生の甥がイギリスに夏休み1ヶ月行っていました。
 お気に入りの紅茶をたくさん頼んでいたので、それを持って来てくれました。
 
「で、どこがよかった?」
「ライ」
「ええっー!!!! どこに泊まったん?」
「マーメイド・イン」
「きゃーあ。うっそー!」

 20歳の甥の趣味は、オールドファッションとアンティーク。彼の年配の知り合いから、教えてもらったのが、骨董や陶器の街のライで、階段の歪んだ屋根裏部屋に泊まれるマーメイド・イン(1420年~)だったようです。
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「ヒナギク野のマーティン・ピピン」
(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)
  
 
 もはや25年ほど前、初めて英国に行ったときに、ライに行きました。ファージョンの「ヒナギク野のマーティン・ピピン」の中にある話「ライの町の人魚」にひかれてです。
 このことは海ねこさんに書きましたが、当時は写真がデータでないため、今改めて、ここにライの街の写真を掲載できて嬉しい。( →→8月18日の項
 ただ、甥の写真には、あの海賊の巣窟のようにも思えるパブの写真がなく、こじゃれたサロンみたいな部屋が写っていました。甥もそんなところ、あったかなぁ、ということで、改装したんだろうかと、少々心配。(未確認) あの大きな暖炉の前で骨董品の椅子に座り、甲冑や槍を見ながら、海賊のざわめきを聞いたような気がしたのが懐かしい・・・
まさに「宝島」のこの表現がぴったりの場所でした。
≪・・・・船長は・・・・(中略)・・・・夜はずっと、客のたむろする談話室の暖炉のそばに陣どり、少しだけ水で割った、強いラム酒を飲んでいた。・・・・≫(「宝島」スティーブンソン作 金原瑞人訳 偕成社文庫)

 さて、甥は、イギリス探訪に出かけただけでなく、(本当は短期語学研修)パリやパリ郊外にも足を延ばしたようで、これが、カ・リ・リ・ロのスイス2016報告と、ちょっとつながる予定。(撮影:&Co.S)
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イエニッシュ美術館

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(承前)
 ヴェヴェイのイエニッシュ美術館は、邸宅だったところを美術館にしたようで、こじんまりとしていました。玄関わきで、子どもたちのワークショップはが、開催されていましたが、鑑賞者は、我々以外は一組だけ。
 静かで落ち着いていて、ゆっくり鑑賞できました。先のココシュカホドラーの充実は、ネスレ150周年の提供でもあるらしいのですが、思わぬところで、いいものを眺めることができ、満足でした。この美術館の前にネスレミュージアムに行って、なんとなく、すっきりしていなかったので、特にそう感じたのかもしれません。

 周りは、歴史的な建物や、あるいは歴史を守ろうとする建物があって、中世の街並みの残る商店街とは違う雰囲気がありました。
 下の二枚は、イエニッシュ美術館の同じ踊り場の窓から撮ったものですが、まるで、ロシア教会とキリスト教会が隣にあるかのように見えました。(実際には丘の上と道路沿い)古いガラスなので、歪んで写っています。(続く)
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よく似てるよ

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(承前)
 さて、イエニッシュ美術館、昨日の右の絵は ピカソのバルセロナのカテドラルの中庭の噴水の絵です。 

 他にも、この美術館には、16世紀~18世紀イタリアのものが、けっこう展示されていて、それも充分楽しみました。
 で、以下、誰かの絵に似ていると思いませんか?
 次の二枚は、繊細な紙の裏表に書かれていて、17世紀のもの。チャールズ・メリン作。一番下のは、18世紀ヴェネチア ピエトロ・アントニオ・ノベーリのもの。
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それにしても、アーディゾーニにそっくり。(続く)

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