みんなみすべくきたすべく

ココシュカコレクション

ヴェ12j
(承前)
 ヴェヴェイには、イエニッシュ美術館という美術館があります。
 ここは、晩年、ヴェヴェイに移り住んだココシュカの財団のものも多くあり、見ごたえのある美術館でした。
 ウィーン ベルヴェデーレ美術館では、ウィーン世紀末美術のクリムトやエゴン・シーレと並んでココシュカもありました。あの時は、エゴン・シーレに圧倒され、ココシュカの迫力も影をひそめていたくらいです。
 ココシュカのことをよくしりませんでしたが、、エゴン・シーレより強く、歪んだ線や荒々しいタッチが、ウィーン世紀末という混沌とした時期と重なり、彼らの病んだともいえる背景を見るような気がしていたのです。その後、2014年のチューリッヒ美術館展の時にも5点のココシュカが来ていました。
ヴェ3j
 ところが、ヴェヴェイのココシュカの静かなこと。いわば、毒気がない。が、もしかしたら、このとげとげしさの取れた晩年のココシュカの作品は好きかもしれません。別人が書いたような作品を見ていると、ココシュカのそれまでの人生を知りたくなり、帰国して調べると、案の定、クリムトやエゴン・シーレに、負けずとも劣らないスキャンダラスな時代があったようでした。(続く)
☆写真は上から、ココシュカ自画像。花瓶の花。レマン湖

ヴェ11j

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ネスト ミュージアム

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(承前)
 ヴェヴェイの街には、食品会社のネスレの本社があります。何故こんなところに?
        ネス1j
 ネスレは今年創業150年らしく、それを記念してヴェヴェイ駅裏に「ネスト(ネスレ)ミュージアム」を、2016年6月にオープンさせたようです。・・・・駅に近いので、雨宿りも兼ねて行ってみました。

 ネスレのトレードマークが、巣に餌を運ぶ母子鳥だというのは、よく知られていますが、何故、そんなマーク?
 創業者アンリ・ネスレが栄養不足に陥る赤ちゃんのために、スイスの乳牛の乳から試行錯誤の末、粉ミルクを作った工場とオフィスがあったのがヴェヴェイのようです。だから、巣(ネスト)マークも餌を運ぶ母子。それにネスレは英語のネスト。
ネス2j
 ・・・とミュージアムでお勉強。
 が、創業の志はわかったけど、どういう流れで、インスタントコーヒーに、というのは、よくわからなかった。我々が、英語のイヤホンが聞き取れないというだけではないと思うなぁ・・・ミュージアムは、さながら、アミューズメントパークの一施設のように、映像と音響効果で、面白くできていました。
 
 かつて、途上国で粉ミルク問題があったとか、コーヒー豆を採集した人たちの問題だとか、なんやかや、どこかでちゃんと説明してもいいのじゃないかと思います。今や、世界中で、スープのブイヨンも、きっと勝つチョコレートも売られているんだし、あのちっぽけな濃縮コーヒーに至っては、凄い勢いで街に進出しているんだし、負の部分も明らかにしてこそ、クリーンな部分を誇れるんじゃないかい?
 と、考えるものの、そもそもミュージアムなんだから仕方ないのかと思ったり・・・例えば、古美術が、一体どうやってそのミュージアムにたどりついたかが、すべてクリアでないように。

       ネス3j

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チーズ屋さん

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(承前)
 旅先で、辺鄙な場所以外は、ホテルの夕飯を食べることは少ないです。その分、ゆっくり食べるスペースの確保ができるような部屋を予約します。特に、湖畔は、夕方、風が心地よく、なんでも美味しくいただけるような気がします。

 我が家のルーフバルコニーも、かつてレマン湖畔モントルーのホテルのバルコニーで味わった開放感を持ちこもうとする発想でした。
 
 今回、連泊したホテルの近くのパン屋さんは、昨年からの贔屓で、チーズ屋さんは、初めてでした。
 店を開けた途端、チーズの匂いの凄い店でしたが、オーナーの奥さんがとってもいい人で、都合3日とも通ってしまいました。彼女はフランス語なので、時には、店に居た顧客の人の英語を介してチーズを日本に持ち帰れないか、相談したりしました。(無理です)

 実は、カ・リ・リ・ロは、ピザや、サンドウィッチに入っているようなチーズ以外(つまり、本物のチーズ)は苦手でしたが、チーズ屋のおばちゃんお薦めのチーズを、だまされたつもりで食べてみたら、なんと美味しい。
 ここには、地酒ならぬ地ワインやチーズ関連食品が並んでいました。ここで買ったハーブ入り塩煎餅と、チーズと、葡萄とワインは、絶妙でした。さながら、ワインと葡萄の親子丼食べですね。
 ヨーグルトもいっぱい並んでたなぁ・・・(続く)
 モル3j
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トンネルを抜けるとそこは湖だった

ヴォーj
(瑞西2016前半から:承前)
 ベルンからレマン湖に続く路線に乗ると、こんもりした木の連なりをいくつか見過ごし、そのあと、トンネルを抜け、一気に斜面をくだりローザンヌに向かいます。その右手にレマン湖が目の前に広がる様は、何度見ても、わくわくする風景です。世界文化遺産に登録されているラヴォー地区の葡萄畑の上から降りてくるのです。

 その描写は「特命全権大使 米欧回覧実記」  (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)に。(→→

 美しい自然、厳しい自然と背中合わせのドイツ語圏から、解放的なフランス語圏に入ると、こちらまで、解放的な気分になります。(続く)
☆写真上、左集落はローザンヌ、山の斜面はラヴォー地区の葡萄畑の始まり。
 写真下、モルジュヨットハーバー 向う岸は、エビアン。
            もるj
 

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画家蕪村

       与謝蕪村j
 瑞西2016報告はまだ続くのですが、ここらで、もうすぐ終わってしまいそうな、京都国立博物館の平成知新館で生誕300年の与謝蕪村の特集陳列展のこと。(~2016年10月2日)

 特別展でなく特集陳列というのが、少々寂しいものでしたが、新鮮な驚きと共に鑑賞できました。(・・・と、いうか、なんにも知らんので、新鮮だった)

 与謝蕪村は、俳画も上手な俳人だと思っていました。蕪村の俳画は、見ている者も、楽しくなる洒脱なものが多いと思っていました。ちょいちょいっと書き上げたような軽さのある俳画。
 が、それだけではなかった・・・
 
 初めて見る蕪村の屏風画。確かに、ところどころに蕪村らしいユーモアが感じられますが、まるで別人が描いたような細かい画。中国の山水画から一歩前にでたような、洒落た感じが好もしい。大作なのです。
  多くは晩年の作品だとあります。生活のために描いたのか。老年のお愉しみなのか。ともかくも、与謝蕪村が俳句・俳画だけの人ではないのがよくわかりました。

 しかしながら、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で始まる松尾芭蕉の俳諧紀行文『奥の細道』の全文書写、これに絵を付けた奥の細道図鑑は、軽やかな文字、楽々と描いた絵・・・・・・見ている者も、肩の力が抜け、優しい気持ちになってきます。(上の写真、図録の上に載る絵葉書は、その一部)

 蕪村は芭蕉を敬愛し、奥の細道の足跡をたどったほどでしたから、そこには、「愛」も感じられ、この図巻を手元に置いたなら、飽かず眺めるだろうと、夢想しました。

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登山鉄道 その2

シーニゲ4j
(承前) 
  スイスの登山電車や・ケーブルに、少々肩入れするのは、その仕事にいつも感心するからです。
  こんなところに!ええっ!信じられなぁい!という場所に軌道を敷き、岩を削り、トンネルを掘り、よくもまあ、こつこつとこんな上まで・・・と、スイスの真面目な仕事ぶりを目にするからです。手抜きやごまかし、はたまた偽装などしていては、生命に関わるのですからね。安全を作るという自負心。かつての日本も、こんなにこつこつやっていたはず。
  ニーセンケーブルj
ニーセン階段j
 日本にも同じものはあるし、実際、カ・リ・リ・ロが子どもの時からなじみ深い神戸六甲山のケーブルなど、各地あるのは、存じておりますよ。が、しかし、山の高さやその勾配を考えると、やっぱり、よくもまあ。の言葉が出てくるわけです。 どれも、真面目に、ちゃちゃちゃちゃと、あるいは、がたごとがたごとと、誠実な音を響かせ、登山しない者までも頂上にあげてくれるのです。ありがたいこってす。
ギースj
ギース12j
               ロートj
蒸気機関車j
  一番上は、シーニゲプラッテへ(向うに二ーセン山)
  二番目は、ニーセン山へ、
  三番目は、ニーセン山頂上駅の降り口階段。
  四番目は、ギースバッハヘ(眼下はブリエンツ湖)
  五番目は、ギースバッハ船着場へ
  六・七番目は、ロートホルンへ(一番後ろに蒸気機関車)
  八番目(一番下)は、リギ山へ  (瑞西2016後半に 続く) リぎj

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登山鉄道 その1

にーだー1j
(承前)
 ここで登山鉄道をまとめる必要などないのですが、興味のある人も一人くらいはいるかも・・・
リギjフィッツナウ電車j

♪・・・登山電車が出来たので 誰でも登れる・・・・・行こう 行こう 火の山へ   行こう 行こう 山の上   フニクリ フニクラ フニクリ フニクラ♪
と、今や「鬼のパンツ」の替え歌の方が知名度が高いかもしれない、「フニクリ フニクラ」の歌ですが、元はイタリアのベスビオ火山に登山電車ができたときのCMソングとか・・・

                 ピラテゥス4j
 スイスの歌ではなくとも、「登山電車ができたので誰でも登れる」というのは、実際大事なことで、我々でもアルプスを楽しめたのですから有難いことなのです。

 登山の乗り物には、電車も蒸気機関車もケーブルも、ロープウェイもゴンドラも、スキーの時はリフトもあろうかと思いますが、ここに載せるのは、鉄道とケーブルです。(続く)
ユングフラウへj
クライネシャイデックへ
 一番上から、二―ダーホルンにあがるケーブルの軌道(眼下はトゥーン湖)
 二番目は、1873年に特命全権大使もリギ山に行くときにあったケーブルカーのターンテーブル
 三番目は、リギ山へ
 四番目は、ピラテゥス山へ(世界一の急勾配)
 五番目は、ユングフラウヨッホへ(ヨーロッパで一番標高が高い駅 3454メートル)
 六番目は、クライネシャイデックへ
 七番目は、グリュッチアルプからミューレンへ(2013年の写真:向うにうっすら三山が)) 
 八番目(一番下)は、ミューレンからアルメントフーベルへ(2013年の写真)
ミューレンj
ミューレン2j

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二度あることは三度ある

エーデルワイスj
(承前) 
 さて、再再度、シーニゲプラッテ高山植物園にもいきましたが、( →→ ) ( →→ )、今回が一番天気が悪く、乗って行った登山電車で、そのまま引き返しました。山頂は土砂降りで、植物園どころではありませんでした。次の電車は一時間後だし、冷えるし・・・・。
 が、昨日のロートホルンで、エーデルワイスを見たので、植物園は我慢しましょう。植物園で見るものより小さく、岩場にそっと咲いていました。先に見つけた人が、「ほら、ここよ」と、教えてくれます。カ・リ・リ・ロ自身が見つけたエーデルワイスも、次に来る人に教えてあげましたよ。

 降り返した途端、小雨になり、視界が晴れてきて、よくよくシーニゲプラッテから見る、アイガー・メンヒ・ユングフラウに縁がないなぁなどとぶつぶつ言いながら、登山鉄道に乗って居たら、遠くニーセン山ホドラーポイント からのトゥーン湖、それにブリエンツ湖 も見えました。
シーニゲj
シーニゲ2j
シーニゲ3j
  このあと、早い予定消化になったので、ラウターブルンネンから、ぐるっと、三山前の登山電車に乗りました。ベルナーアルプス初日の奇跡のような天気にはなりませんでしたが、三山に手を振って、降りてきました。
ラウターj
 ところが、後日、思わぬところで、シーニゲプラッテから見た三山に会いました。そのことは、瑞西2016後半に書きますね。(続く)

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ロートホルンクルム

ロート6jj
(承前)
 1時間ほどかかったロートホルン登山鉄道を降りると、夏のいいお天気でも、肌寒い。
 ベルナーアルプスの三山は、雲の影。(たぶん、みえているのはアイガー)
ロートホルンj
 が、花がいっぱい咲いていましたよ。
それに、あの花も。森林限界の岩場に。(続く)
ロート7j
          ロート8j
☆一番上の写真、細工せずとも、こんな歪曲した写真になりました。自然の形の妙ですね。

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いたずら きかんしゃ ちゅう ちゅう

ロート2j
「いたずら きかんしゃ ちゅうちゅう」 (バージニア・リー・バートン作 村岡花子訳 福音館)
(承前)
 ギースバッハを後に、また船に乗って、ブリエンツまで行き、今度は、ロートホルンに上がります。蒸気機関車が、後ろを押す登山電車で山頂目指すのです。(上の写真は下っているのではなく、登りを後ろから蒸気機関車が押してくれています。眼下はブリエンツ湖)
 1時間ほど上がっていくのですが、今までの鉄道のように急坂ではなく、奥まで続いた深い谷合を登る感じです。写真でお分かりいただけるかと思いますが、けっこう高いところまで登ります(標高2351メートル)。
 ロート1j
ロート3j
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 真面目な同じリズムで上がる登山電車(蒸気機関車)に乗っていると、思い出すのが、バージニア・リー・バートンの「いたずら きかんしゃ ちゅうちゅう」。
≪ちゅう ちゅう しゅっ しゅっ ! ちゅう ちゅう しゅっ しゅっ ! ちゅう ちゅう しゅっ しゅっ !  ちゅう しゅっ しゅっ !≫
 この絵本を長男と楽しんだのが、35年近く昔のことだったなんて、思えないくらい。
 何度も、≪ちゅう しゅっ しゅっ!≫と言って、遊んだことを思い出します。まだ、積み木が汽車に見立てられていた頃だったでしょうか。(続く)
☆一番下の写真は、なだらかな牧草地のようですが、森林限界を超えたところです。山の頂上、よーく見ないとわからないくらいの展望台が見えますか?このカメラじゃ奥行きが出せませんでした。

        ロート5j

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よあけ

よあけj
 「よあけ」(ユリー・シュルヴィッツ作 瀬田貞二訳 福音館) 
(承前)
 早起き体質なので、夜明けの美しさを、一人で楽しむことが多いです。
 今の住まいで、家族で見に行く初日の出も好きですが、以前の丘の上の住まいは東を向いていたので、その空の明るさも好きでした。
 もちろん、旅に出ても、早くからカメラ片手に散歩にでかけ、日の出を待つのも楽しみの一つ。
 
 今回ブリエンツ湖ギースバッハで楽しんだ「よあけ」は、西向きの夜明けでした。つまり、東に高い山があり、日の出が、直接見ることができません。
 遠く、西の山々に、うっすらと朝日が当たり、山の合間から陽の光が入ってくる「よあけ」は初めてでした。
 なんて、美しい。
 山々が高いので、今まで味わった「よあけ」より、ずっと時間がかかるのも、嬉しいことでした。ゆっくりゆっくり・・・
 
 シュルビッツの「よあけ」の絵本を40年くらい前に、初めて手にしたとき、こんな体験してみたいものだと考えていました。やっと実現した瞬間でした。(続く)
        よあけ2j

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ギースバッハ

ギース3j
(承前)
 ギースバッハ滝のそばには、一件のホテルが建って居ます。1873~74に建てられ、ちょっとお城のようです。
 ギース4j
 ギース15j
中央階段の壁にはクライドルフの絵が飾られ、ロビーや待合室は、さながら、美術館。
 ギース6j
     ギース7j
 アクセス手段が、本数の少ない船ですから、不便と言えますが、その分、朝晩は、静かな湖を満喫できます。(続く)
            ギース5j

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滝へ

ギース1j
(承前)
 ブリエンツ湖の東端に近いところにギースバッハ滝はあります。近くまで車で行く事もできる様ですが、概ね、船で滝のふもとの波止場に着き、そこから、滝のそばに立つホテル専用の小さなケーブルカーに乗って上がります。
 このケーブルカーは、ケーブルカーとしてはスイスで一番古いらしい。
        ぎーす1j
 日本人には、滝はさほど珍しくないものの、歴史のある場所だということで行ってみたのですが、これがなかなか、水量の多い滝でした。北斎の滝の絵に、こんなのあったなぁと思いながら、ともかく、中腹の遊歩道の辺りまで行ってみました。
           ギース2j
 ここの水を瓶詰した水を飲みましたが、ペットボトルに入った水よりまろやかで優しい味がしました。(続く)
        ギース3j

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湖二つ

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(承前)
 ベルナーアルプスの拠点はインターラーケンオスト(東)という駅で、西隣の駅はインターラーケンウェスト(西)という駅です。その二つ駅の東西にブリエンツ湖とトゥーン湖の二つの湖があります。(二つはアーレ川でつながっています。)
 ニーセン山から見た上の写真画面中央が沖積平野としてできたインターラーケン。画面上部がブリエンツ湖、下部がトゥーン湖。アイガー・メンヒ・ユングフラウは、右手奥にあります。ニーダーホルンは、左手。
 
 昨年は、ニーセン山をホドラーの描いた角度から眺めたくて、トゥーン湖の船に乗りました。今年も長い時間かかって、トゥーンという街に行こうと、トゥーン湖周遊をしてみました。午後、西に向かって乗車したものですから、カメラを出すのもまぶしい。昨日一番上のニーセン山の写真は、その時のもの。

 2つの湖を比べると、首都ベルンにより近いトゥーン湖は集落も多く、歴史ある建物も多いのですが、東にあるブリエンツ湖は、山が迫っているので、集落も少ない。
 以下は、ニーセン山から凄いズームで撮ったトゥーン湖ほとりシュピーツの波止場。(→→
船から撮ったブリエンツ湖。
ニーセン9j
         湖2j
 さて、今回初めて行く東側のブリエンツ湖では、およそ、この船に乗ってしか行けない滝に出かけました。(続く)
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ニーセンへ

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(承前) 
 昨年、やっとその姿をしっかりとらえることのできたニーセン山に、今回は登ってきました。と、いっても、相変わらず、登山鉄道で頂上まで行くのです。これも、なかなか急こう配のケーブルです。
 
 多分、冬場であれば、自らの三角の山影が、ふもとに映るはずなのですが、いかんせん、夏場の影はまだ短く、あの印象的な三角形は、頂上に上がると、周囲一望のできる山の頂上でした。
ニーセン1
  予想通りのパノラマビュー。湖も二つ(トゥーン湖・ブリエンツ湖)とも見えます。アイガー・メンヒ・ユングフラウも見えるはずでしたが、いいお天気で、すでに、雲がかかっていたので、ほんの少し、多分あれだろうという感じでした。
ニーセン2j
ニーセン4j
 必ずしもいつも眺められるわけではないアイガー・メンヒ・ユングフラウと違って、ニーセン山の三角形は、少々遠くでも、どっしり構えた目印になり、見えるとほっとするのは不思議な感覚です。・・・こんなことからも、このニーセン山が、たくさんの人を魅了し、アーチストたちに表現される所以かもしれません。
 頂上の案内板には、16人のアーチストによるニーセン山が紹介されていました。もちろん、ホドラーやクレーもでていました。下の写真右から二列目上から2つ目がホドラー作。真ん中の列、上から2つ目がクレー作。(続く)
ニーセン5j
☆一番下の写真、眼下の街はトゥーン。
        ニーセン6j     

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日曜と夏の匂ひ

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 アンリイ・ド・レニエエ 「正午」
≪日曜と夏の匂ひに空気は爽なり。≫(「珊瑚集―仏蘭西近代抒情詩選」 永井荷風訳 岩波文庫) 

(承前)
 一番のお天気の午後は、ミューレンから見る三山です。
 ここのお楽しみは、ブルーベリー摘み と、 チーズ作業所兼販売所で食べるヨーグルト

 今夏は、気温がまだ高かったのか、どの山もいつもより花がまだたくさん咲いていた分、ブルーベリーの出来は、今までで一番少ない・・・とぶつぶつと、「実を見て、山を見ない」状態で歩いていたら・・・・・・ありました、ありました!日陰には、ちゃーんと、カ・リ・リ・ロが納得できる量。後ろから大きな袋持参の家族も、ジャムにできるくらいは採っていましたよ。(パパ・ママ・小学校低学年くらいのおねえちゃん、幼稚園くらいの弟、3歳くらいの女の子、それにママの大きなおなかには、将来の要員)(続く)

☆写真は、ミューレンから見たアイガー・メンヒ・ユングフラウ
☆写真下は、左から、アイガー・メンヒ、ユングフラウと、以前にも書いたユングフラウ側の壁ホドラーの描いたあれ。

        みゅーれんj

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道のはづれに

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シャアル・ゲラン「道のはづれに」 
≪道はくだる。  幾里と長き真白の帯。  青き小山の  坂道つきぬ。≫(「珊瑚集―仏蘭西近代抒情詩選」 永井荷風訳 岩波文庫)

(承前)
 ピラトゥス山から遠く望み、二ーダーホルンから眺め、まだ他からも見ようとしているアイガー・メンヒ・ユングフラウの三山です。
 この完璧に晴れ渡った朝に、ここを歩く幸せ。いろんなものに感謝です。
クライ3jクライ2j クライ1j
 写真は、途中に水たまりがあって、そこに映った、それぞれの山です。

 さて、三山を横に見ながら、ゆっくり歩いて次の駅近く、冬場しか開いていないホテルの前で美味しいレモネードと、アプリコットのホームメードケーキをいただきました。向うには、アイガー北壁が、優しくそそり立っています。(続く)
     クライ4j

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静さは其さへもいと遠く思はるゝ迄の静さに

三山jj
 アンリイ・ド・レニエエ「正午」
≪静さは其さへもいと遠く思はるゝ迄の静さに≫
(「珊瑚集―仏蘭西近代抒情詩選」 永井荷風訳 岩波文庫)
 

(承前)
 目の前にそびえるアイガー・メンヒ・ユングフラウの三山。大きく高く、そびえています。目の前に空と屹立した山しかない光景を、カ・リ・リ・ロは他に知りません。他では味わえないのです。世界中の都市が似たような雰囲気になったとしても、ここだけは、唯一無二です。

 登山家ではない、いい加減なアルプス愛好家なのですが、「そこに山があるから登るんだ」と誰かが言った言葉が、少しは実感できます。「すぐ目の前にそびえる」を味わいたくて、また足を運びました。
 天気の一番いい日は、ここに行くことに決めていました。山の天気は変わりやすく、特に夏は晴れていても、午後は山の上には雲がかかることが多いからです。すでに、ピラトゥス山からも二―ダーホルンからも見ることができたお姿でしたが、ここから眺めながら歩くのが一番好きです。

 さて、昨年は「ランボー詩集」(堀口大學訳 新潮文庫)を携え、今年は、永井荷風訳「珊瑚集ー仏蘭西近代抒情詩選」(岩波)を持って行きました.。が、日本に帰って、文を書こうとしても、昨年ほど、ぴったりの言葉が見つからない・・・作者のチョイス?自分自身の感性の問題?などと考えましたが、どうも違うような気がする。もし、昨年と決定的に違うところがあるとするなら、お天気。去年が湿りがちだったのは、ご存じのとおり。今年はご覧のとおり。隅々まで明るーい!影がな-い!(続く)
☆写真上は、左からアイガー・メンヒ・ユングフラウ。うーん、うまく撮れたと思っていたけど、やっぱり、写真じゃ伝わらないなぁ。その存在感が。
☆写真下は、左クライデシャイデック駅 右アイガー

クライデjj

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褪めたる紅の夕暮の底

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  アンリイ・ド・レニエエ「夕ぐれ」
≪鮮かなる銀色(ぎんしょく)と褪めたる紅(くれない)の 夕暮の底遠くして・・・≫(「珊瑚集―仏蘭西近代抒情詩選」 永井荷風訳 岩波文庫)


(承前)
  ルチェルンを後にして、インターラーケンオストに着いた時、いつもならそれ以上遠足ができないのですが、今回は夏場の金曜土曜限定で夕焼け散歩ができるというので、バスに乗って、普段より遅くまで通行するケーブルとゴンドラを乗り継いで、二―ダーホルンに上がっていきました。スイスの夏場は9時前まで明るい。 
にーだー3jjj
 ふもとに車を置いている人達は、夕焼けになるまでゆっくりされていますが、バスに乗って、戻る我々は、本気の夕焼けになるまで、ゆっくりすることはできません。とはいえ、雲のかかっていないアイガー・メンヒ・ユングフラウを見られて嬉しい。

 そして、その帰り、バスの窓から、ベルナーアルプスの夕映えの姿を眺めることができたので、ちょっと得をした気分でした。
 バスは、アイガー・メンヒ・ユングフラウをずっと右手に見て、山の中腹の道を走るのです。観光案内にはでていませんが、簡単に、三山を眺め得るコースとしてお薦めです。(続く)      
        にーだ1j
☆ 下の写真は、二―ダーホルンの途中駅から見たニーセン山の夕焼け
         にーだ2j
 

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ロープウェーで下る(2)

ぴらくるむ15j
(承前)
 ピラトゥス山頂上でも、日本人以外の東洋系の人たちで溢れ返っていました。今回のスイスで、日本人と思える人は、少ししか見かけませんでした。多いのは、韓国の若い女の子同士、中国の家族・親戚、あるいは大々的なツアー。それにひきかえ、昨年、たくさん見かけた黒いいでたちのアラブ系の女性たちは減っていました。
 かつて、海外で日本人ツアーに出会わないようにと意識したこともありましたが、今は、却って、日本人らしき人なら、ちょっと安心する自分が居て、不思議なものです。

 特に、日本人の若者が少ないような・・・韓国の若者は、スイスでも大阪でもたくさん見かけます。人口比でいうなら、かなりの差があるんじゃないかと思います。韓国の若者は、ファッションでも、現地対応でも、自信満々、元気いっぱいな感じです。日本の若者も頑張れ!
 
 さて、ルチェルンの街を見下ろして、今度は、急勾配ケーブルとは反対側のロープウェーとバスを乗り継いで、ルチェルンの街に戻りました。(続く)
ぴらくるむ16j
       ぴらくるむ17j
写真下の、左手、山の影は、ピラトゥス山。明るいところは、ルチェルン駅周辺。
        ルチェルン12

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ピラトゥスクルム

(承前)
 急勾配の登山鉄道を降りると、よろっとします。特に座っていたので、立つと平衡感覚がちょっと変でした。
 とはいえ、おお、360度完璧なパノラマ!!!
ぴらくるむ4j
ぴらくるむ8j
ぴらくるむ12j
そして、ほら!見えました。こんな遠いところから。アイガー・メンヒ・ユングフラウのベルナーアルプスが。
ぴらくるむ1j
(続く)
☆一番下の三山は、中央がアイガー左メンヒ右ユングフラウ(すごーいズームでしょ)

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48%の急勾配

リギパノラマj
(承前)
 先のリギ山頂上では、雲が出てよく見えなかったけれど、ピラトゥス山はどう?と早朝、窓から写真を撮りました。上の写真が、東を向いて撮った写真で左に尖ったリギ山が。同時刻ながら、ピラトゥス山は、朝日に輝き、期待できそう。
ピラテゥスクルム1j
ピラテゥス2j
 ルチェルンからアルプナッハシュタットまで船に乗り、世界一急勾配(傾斜度最大48%)という登山鉄道に乗って、ピラトゥス山頂に行きます。
ピラテゥス3j
 よくもまあ、こんなところに鉄道をひきましたね。よくもまあ、こんなところにトンネルを掘りましたね。
                   ピラテゥス5j
ピラテゥス6j
 急勾配に驚いているうちに、木々も減り、鉄道横の登山道を、懸命に歩いている人達が居て、夫が呟きました。
 「次は、息子とここを登りたいものだ。」
 36歳の息子は最近、体力造りのため、近場の山登りを楽しむようになり、夫も、東京に単身赴任していた頃、近場の山登りを楽しんでいましたから、青空のもと、歩いている人達を見て、思いついたようです。子どもたちが幼い頃は、近場の山によく登ったものでしたし、実際、春には、二人でごく近くに登っていましたしね。
 実現できたらいいなと思いながら、カ・リ・リ・ロは、そのとき、やっぱり登山鉄道で、先に行ってるわ。(続く)
ピラテゥス7j
      ピラテゥス8j
ピラテゥス9j

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ローゼンガルト・コレクション

ローゼンガルトj
(承前)
 ルチェルンの「ローゼンガルト・コレクション」美術館に行きました。
 元スイス国立銀行の建物を改築しただけあって、広々としています。この日は、ほとんど、人が居ない。
           ちいさなXj
 画商の父と、その娘アンジェリーナ親子の収集品が、美術館で鑑賞できるのですが、ここのピカソ(晩年のもの)とパウル・クレーの展示の充実していること!!印象派の作品も、マチスもルオー(写真上 左下)も、シャガールの実物のパレットもよかったけれど、やっぱり、ピカソとクレー!!

 個人的に交流深かった晩年のピカソの作品も多く、特に、この美術館を建てた、アンジェリーナ・ローゼンガルトの肖像画の何枚かは、見たことが無かったので、興味深かったです。(写真上、左上)

 それに、クレー。4年前のベルンのクレー美術館のときにちょっと、作品が少なくてがっかりした話は、ここでも書きましたが、こんなところに、こんなにクレーがたくさん!
 そんな中でも、クレーの「小さなX(X -chen)」の絵(写真上、右下)は、どこか日本の漢字の遊びのような、あるいは、優しいユーモアのようなものを感じ、心に残りました。で、後から、解説を読んでみると、「小さなX(X -chen)」は、アンジェリーナが16歳のとき、画商見習いでの初給料で買ったものとか…ヒャー 
 ともあれ、集められているクレーの作品は、クレーの中でも暖かい遊び心に満ちたものが多かったような気がします。

 蛇足ながら、このブログを書き始めた頃、フランス文化論の先生に、ピカソ・クレー・フェルメールが好みだと言った話(→→)を覚えていますか?
 このコレクションのピカソとクレーの充実を見てると、比較にならないとはいえ、すごくシンパシーを感じるわい!
*ローゼンガルトのスペルのさいごはARTなのですね。(続く)

                    ローゼンガルト2j

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ロープウェーで下る(1)

リギ山荘j
        リギ山7j
(承前)
 さて、山の女王と呼ばれるリギ山の頂上に、漢字ばかりの石碑がありました。大きなもので、友好の一文字も見当たりませんでしたが、わりと、新しいものでした。我々以外に日本人らしき人は見かけないものの、その大きな石碑の前で記念撮影している東洋人は、たくさんいました。後で見つけたグリンデルバルトに貼られていた長野松本市との友好プレートとは、まったく違う大きさのもので、主張の仕方の違いを感じました。(・・・他にも考えたことはある・・・)
      リギやま5j      リギ山6j          
 ルチェルンからリギ山に上るには、3つの方法があって、我々が往路に選んだ、船→登山電車という方法、他に、船→ロープウェー→登山電車、電車→登山電車がありました。それで、復路は、途中駅まで歩き、ゴンドラに乗って、ウェッギスという波止場まで降り、船で戻りました。
 かの大使たちのときは、この路線はなかったようですが、この途中駅は、スパになっていて、日光浴好きな人たちが水着姿で温水プールに入ってました。(続く)
☆一番下写真の背景、左の三角に尖ったのがリギ山。

         リギ山j

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此峰俯瞰スレハ

リギ山1j
(承前)
 我々も特命全権大使と同じように、リギ山頂上まで、登山電車で行きました。
 そのままの記述で頂上までご案内。
「特命全権大使 米欧回覧実記」  (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)
≪・・・阪路ノ急ナル所ハ、傾斜三十度ノ角ヲナスモ、猶上下スヘシ、上リニハ推シ下リニハ輓ク、七「キロメートル」ヲ進行シ、≫
≪・・・高峰ニ上リ、縦覧ヲ快クセシムル目的ナレハ、車ノ装置モ、四面ミナ玻瓈(ガラス)ニテ、眺望ヲ快クセリ、≫
リギ山2j
        リギ山3j
≪此車二上リテ山路ヲ輾リ上レハ、湖水山峰ミナ、目下ニ落ツ、半腹ニ及フコロ、一ノ洞道ニ入ル、此ヲ出レハ、下ニ百尺ノ谷アリ、鉄橋ヲ以テ谷ヲ横絶シテ去ル、山岩壁ヲ削リ、樹木疎疎ニ生シ、前ニ懸泉アリ、下ニ瑞流アリ、風景壮ナリ≫
りぎj
 ・・・で途中駅を通過し、頂上、「リギクルム」からは、以下の記述なのですが、大使たちと違って、我々の行った時間には雲がかかって、遠くベルナーアルプスは見えませんでした。
≪此峰俯瞰スレハ、高峰ハ怒涛ノ如ク、低巒スレハ跳波ノ如ク、南方ニ雪色玉ヲ抛ツカ如くキハ、「ユリ」郡ノ郡獄ナリ、西方ニ乱峰鋸歯ヲ立タタルハ、「ベルン」郡の諸山ナリ、其中に「ルセルン」の四湖ハ、前ニアリ・・・・・・・・≫(続く)
        りぎ2j

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ウィツナウ

フィッツナウ波止場j
(承前)
 特命全権大使たちがルチェルン観光で行ったのはリギ山でした。ルチェルンから船に乗り、フィッツナウという港に向かいます。そこから登山電車が通じています。

 「特命全権大使 米欧回覧実記」  (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)には、こんなことも書いてあります。
ウィツナウ
≪船ハ湖面ヲ輾リサル、水濶ニ山崚ナリ、時ニ一陣ノ細雨スキルニ逢フ、後湖ハ猶晴レ、迷霧飛雲アリテ峰峰ニカヽレリ、遠眺ノ晴朗ヲ欠ケトモ、雲陰ノ変幻ニテ、湖上ノ奇景ヲ得タリ≫
フィッツナウ断層j
       フッツナウ船j
  1873年大使たちがスイスでもさらに船に乗ってわざわざ行ったのには、理由がありました。1871年に開通した登山電車に乗車するためです。ここは、ヨーロッパ最古の登山鉄道なのです。

≪「ウィツナウ」ノ埠頭ニハ、人家数十戸アリ、寺塔尖ヲ抽ンテ、頗ル美観ナリ、此ニ「エルイッキ」ノ蒸気車駅アリ、此処ノ鉄道、幷ニ滊車ハ、今度当国ニテ新ニ発明セル建築ニテ、山嶺ヲ上下スルモノナリ、本日ハ其落城ニカゝル、抑鉄道ノ開ケシヨリ、已ニ五十年ニ及フ、其利ハ米英諸国ニ徧シ、只其往来ハ、平路ニ限リ、俯仰僅ニ七葉度ノ斜メヲ走ル二スキス、岡稜山谷ニアヘハ、洞道ヲ穿チ、橋柱ヲ架シ、費ヲ糜スルコト巨大ニテ、竟ニ山嶺ヲ上下シ去ルコトヲ得サルヲ以テ、往往之ニ妨ケラレ、便利ヲ失フコト多シ、米利堅人、曾テ山ヲ登ルヘキ蒸気車ヲ通セント、一種ノ鉄路ヲ架シタレトモ、其功ヲミス、瑞士人更ニ其工ヲ踵テ、多方ニ思慮ヲコラシ、竟ニ此鉄道ヲ架シタリ・・・≫(続く)
 

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ルチェルンの朝市

 朝市2j
るちぇるん1j
(承前)
  旅先で、朝市の日にかち合うと、嬉しくて、ついつい出かけます。ルチェルンの朝市は、カレル橋の北と南で開かれていました。上記写真は、カレル橋の中から写した2枚。
   どこでも、早い時間に行くと、観光客より、地元の常連さんが多い気がします。いつもの八百屋さんで野菜を買うおばちゃんたち。いつものチーズ屋さん、いつもの肉屋さん、いつもの花屋さん。
 写真は、あまりに美味しそうで、新鮮なオーラの出ていたトマト。
    朝市1j
 次の写真のハチミツやサラミを売っているストールでは、日持ちする手作りのドライフルーツケーキ(上に粉砂糖のかかっているもの)も売っていました。日本に持ち帰ったら、すごーくおいしい。日本は暑くて、チョコレートのお土産もチーズのお土産も、他、湿気易いものもだめだったので、このフルーツケーキは、もっと買って帰ればよかった。(続く)
朝市3j
        朝市4j

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壁の絵

るちぇるん5j
       るちぇるん2j
るちぇるん4j
(承前)
 ルチェルンは、歴史ある街で、建物も古く、それらに施された壁絵も、多種多様、それらだけを見て歩くのも楽しいのですが、特命大使は、あまり関心がないようで、その点に関しての記述は見当たりません。カレル橋東のホテルに泊まり旧市街は歩かなかったのかもしれません。それとも、特命大使の頃は、特筆するほど、綺麗に描かれてなかった?
るちぇるん6j
るちぇるん3j
るちぇるん12j
        るちぇるん11j
「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)の「瑞士蘭山水ノ記」の章
 ≪・・・路ニ車馬ノ行少ク、人ミナ悠然トシテ、逍遥ヲ放ニス、此路ノ東衝ニ寺アリ、双塔ヲ起シ、共ニ堂尖ヲ聲カス、双耳ノ如シ、此邑ノ眉目タリ・・・≫
写真下が、記述にある「東衝にある双塔の寺」、ただ、当時のように「車馬少なく」ということはありません。(続く)
       るちぇるん10j

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ルゼルン

るちぇるんjjj
(承前)
 2005年の初めてのスイス行のときに、ルチェルン観光を予定し、パノラマ特急に乗って、ベルナーアルプスに移動するという計画でした。が、その1週間前、スイスは大雨、洪水の被害が出て、その路線は運休ということに。で、急遽、別のルートで移動したので、今回が初めてのルチェルン滞在でした。
       るちぇるん8j
 水に囲まれた歴史ある街です。
 1873年、明治6年に特命全権大使たちが訪れた時から変わっていないようです。昨年も他の町のことを(→→ ・  →→ ・ →→)書きましたが、ここ、ルチェルン(ルゼルン)も同じでした。
「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)の「瑞士蘭山水ノ記」の章
≪市廛清潔ニシテ、粉壁雪ノ如ク、堂尖矗立シ、湖光ニ掩映シ、湖ヲ環スル山峰、ミナ奇峻ニテ、傾ニ水ニ鑑シ、景色画クカ如シ、湖水ハ、此西岸ニ至リ、「レウス」河トナリテ、市中ヲ分ツテ流レサル、一碧澹然ナリ、此河ニ長橋ヲ架シ、西岸ノ市街ト接連シ、其北岸ハ滊車駅アリ、虹影水ニ鑑ミ、湖山ニ対ス、其南岸ニハ、大旅館棟ヲ並ヘテ立チ、街前ニ樹ヲウエ、湖岸ノ一帯ハ、人ヲ緑陰ノ下ニ歩セシム、街路ニ甃石ナケレドモ、担平ナルコト砥石ノ如ク、石ヲ砌ニシ沙ヲ撤ス、清潔拭フカ如シ、・・・・・≫(続く)

      ルチェルン橋j

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ひねもす のたりのたり

レマン湖犬j
 いろいろあっても、今夏もスイスに行けたのは、有難いことでした。
 年々、慣れたところがよくなってきました。それも、いつも、ベルナーアルプス地方と、レマン湖中心。

  昨年は、山の天気に恵まれませんでしたが、今年の山は概ね良好。湖は最後の一日雨の日があったものの、およそ、「お天気女」の面目躍如。

 紫外線が強く、無理やり日焼けしようとしている西洋人に負けないたくましい色を身につけながらも、寄る年波を感じた、我ら老夫婦は、後半のレマン湖滞在など、船でぼーっと周遊している時間の方が多かったかもしれません。(続く)

☆写真上は、ジュネーブに向かう船、犬も、ひねもすのたりのたり・・・とはいえ、きつい陽射し。飼い主は、犬の身体にシャツをかけてあげました。今回は、いろんな乗り物で犬さんと同乗しました。小型犬から大型犬まで、いろんな犬さんたちでした。
☆写真下は、ベルナーオーバーラント、ニーダーホルンから。すぐそばに居たお兄さんが飛び立った!眼下はトゥーン湖。
         パラグライダーj
  

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