みんなみすべくきたすべく

そこに時あり始あり

モンブラン朝j
  もともと、朝が得意なのですが、年々、老人性も加わって、とてもとても早起きに。
 早起きすると、蝉の声以外はなにも聞こえず(時には、蝉の声も聞こえず)、一人、静かな時間が持てます。(学生時代から夜中は無理!!)
 
島崎藤村の詩「二つの声」の「朝」です。(「藤村詩抄」岩波文庫)
≪たれか聞くらむ朝の声
 眠(ねむり)と夢を破りいで
 彩なす雲にうちのりて
 よろずの鳥に歌はれつ
 天のかなたにあらはれて
 東の空に光あり
 そこに時あり始(はじめ)あり
 そこに道あり力あり
 そこに色あり詞(ことば)あり
 そこに声あり命あり
 そこに名ありとうたひつゝ
 みそらにあがり地にかけり
 のこんの星ともろともに
 光のうちに朝ぞ隠るゝ≫
 
 旅先でも早起きで、いつも、その地の早い朝を満喫します。ということで、この詩集を携えて夏休み・・・と、思ったものの、少々湿度が高い詩が多いので、もっと薄っぺらい一冊にします。
 また、9月には、書くつもりです。
☆写真は、スイス レマン湖畔 モルジュから見た 朝日を浴びるモンブラン

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梶の葉

 梶の葉j
 関西では、猛暑が続いております。暑い、あづい・・・・・
 ともかくも、2016年8月9日は、旧暦7月7日、七夕のよう。
 
 写真左、「梶の葉」でふたをした先付けの横に書いてあるのは、「ひさかたの あまのかわらのわたしもり きみわたりなば かぢかくしてよ」(よみ人しらず:古今和歌集)

 かつては、七夕には、梶(かじ)の葉に歌を書いていたようです。そのうち、梶の葉が短冊になっていきますが、その梶の葉と、舟の楫(かじ)をかけた歌は粋です。それに、「(帰れなくなるように)楫(かじ)かくしてよ」などと素直で可愛い乙女心です。

 ちなみに、毎回、さらさらとした書は、お料理を作ってくださる当主の手によるもの。(→→) (→→) (→→) 

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チェコ絵本をめぐる旅展

カレルチャペックj
 芦屋市立美術博物館「チャペックからチェココミックまで 東欧の絵本大国 チェコ絵本をめぐる旅」展に行きました。(~2016年9月4日)
 
 我が家でおなじみのチェコの画家でといえば、ヨゼフ・ラダ「おおきくなったら」(内田莉莎子訳 福音館)です。チェコのわらべうたを内田莉莎子の軽妙な訳で、ずいぶん楽しみました。
 最近は、孫を寝かすときに、歌いました。(もちろん、オリジナルメロディというか、オリジナルリズムで、諳んじていました。)

 ほかには、上記写真のヨゼフ・チャペックもおなじみだし、弟のカレル・チャペックはその著作でずいぶん楽しんできました。現在出版中の本は、出版社や訳者が違ったりもしますが、 「園芸家の一年」 (小松太郎訳 中公文庫)「山椒魚戦争」(栗栖継訳 岩波文庫)「ロボット」(千野栄一訳 岩波文庫)他チャペック・エッセイ集(恒文社)等など。

 で、「チェコ絵本をめぐる旅」の展示では、ヨゼフ・チャペックの「たのしい川べ」の挿絵が何枚かあって、興味深かったです。ケネス・グレアムの「たのしい川べ」(石井桃子訳  岩波書店)は、ア ーネスト・シェパードの絵となかなか切り離せないので、雰囲気の違うチェコのひきがえるたちの他の絵も見てみたい気がしました。

 他の展示には現代や日本人アーティストとの関わりのコーナーもありましたが、最後のコミックと分類されたところにあったパヴェル・チェフのコマ割りされた絵・・・といっても、区切りがはっきりしていないので、一枚絵のような雰囲気もある「ぺピーク・ストシェハの大冒険」という200ページもあるらしい1冊を見たいものだと思いました。日本でいう漫画と少々異なる、絵本との差がわからないような絵でした。
 

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40年前の演説

       ヴェンゲンナップj
(承前)
  岩波「図書」(2016年8月号)に掲載されていた三瓶恵子「ピッピの国の児童文学に広がる『暴力』」によると、彼女は、毎年「本の品評会」のセミナーに参加し、最近のスウェーデン児童文学の傾向を見てきたといいます。そこで、ここ数年の傾向として、いじめや自殺未遂など暗いテーマを取扱うものが多く、年々ますます、その傾向が強まり、児童書研究所の分析によると、2015年の特徴は「暴力」だとしています。

 また暴力シーンを描いた本は若者向け(13歳以上)に多かったものが、低学年向きのものにも拡大し、社会における格差や、移民・難民・戦争・子どもに注意を払わない親などをテーマにした本も多いと、しています。
 「ピッピの国」というイメージ「やかまし村」のイメージから、ずいぶんと離れているのがわかります。が、リンドグレーンも「川のほとりのおもしろ荘」や「はるかな国のきょうだい」などで、徐々に、暴力の問題や子どもたちに関わる問題も取り上げています。

 それで、三瓶恵子は、リンドグレーンの「暴力は絶対だめ! 」の演説を引用して、スウェーデンでは、子どもへの体罰が世界で初めて法律で禁止されたのが40年前だったとしています。

≪現時点で戦争が起っていなくても、世界には理解できないほど残忍なことや暴力、圧制があふれていて、子どもたちは、そのことについて間違いなく無知ではいられないのです。子どもたちは、日常的に見たり、聞いたり、読んだりして、ついに暴力は、当たり前に起るのだと思うことでしょう。ですから、物事を解決するには暴力以外の別の方法があることを、わたくしたちはまず自分の家庭で、お手本として示さなくてはならないのです。≫

  うーん、この40年も前の演説が、今も新鮮な現実。困ったものです。

 ・・・・と思っていたら、新聞に(2016年8月4日夕刊)、児童虐待が10万件を超え、特に子どもの前で配偶者に暴力を加えたり大声で怒鳴ったりする「面前DV(ドメスティックバイオレンス)」による心理的虐待の通報が目立つとありました。
 やっぱり、暴力は絶対だめ!

「暴力は絶対だめ!」 (アストリッド・リンドグレーン 石井登志子訳 岩波)
☆写真は、スイス ヴェンゲンナップ

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月刊「図書」

ほおずきj
  思えば、岩波の広報誌月刊誌「図書」を手元に置き出してから、40年。
 書店に行けば、無料でカウンターに置いてあるのは40年前も同じでしたが、毎月書店に行くわけでなく、取り忘れもあることから、結婚と同時に、岩波に、何年間分か、まとめて振り込んできました。

 いろんな連載があったり、特筆すべき特集があったり、安価で、確かな執筆者の文を読んできました。
最近の楽しみは斎藤美奈子「文庫解説を読む」の連載でしたが、ここでも書いておこうと思っている間に、24回目の最終回ということになってしまいました。24回じゃ一冊にならないなぁ・・・

で、今日は、それではなく、「図書」(2016年8月号)に掲載されていた三瓶恵子「ピッピの国の児童文学に広がる『暴力』」という文です。先日、リンドグレーンの「暴力は絶対だめ」を、ここでも紹介しましたが、その続き・・・なのか、その流れなのか、30年以上スウェーデン在住の三瓶恵子が執筆しています。

  三瓶恵子は、リンドグレーンのエーミールのシリーズ(ビヨーン・ベリイ絵 岩波)の訳者であり、評伝「アストリッド・リンドグレーン」(岩波)や、「人を見捨てない国、スウェーデン」(岩波ジュニア新書)の著者でもあります。(続く)

*「暴力は絶対だめ!」(アストリッド・リンドグレーン 石井登志子訳 岩波)
☆写真は、スイス ヴェンゲン

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赤ちゃんの寝顔

    寝顔j
 かつて、甥が生まれた時、その母親は、その寝顔をデッサンし、今も大切にしています。
 春に、孫が生まれた時、その叔母は、その寝顔をデッサンし、それを刺繍にしました。

 赤ちゃんの寝顔ほど無心なものはなく、表情がほとんど、同じようであるにもかかわらず、見飽きることはありません。
 新生児の頃、仏のような顔をして、うっとりと沐浴するのをみると、有難い気持ちになりました。

 寝顔の刺繍を額に入れたら、同じようなときに孫のできた新米バアバたちも、欲しいというので、娘は作りましたが、いちいち、可愛いぃ~と、言いながら、作業しておりました。
 それは、下絵を書くときも同じで、「可愛い可愛いと思って描き出すと、どんどん可愛くなって来る」などと言っておりました。
 小さな命、それだけで、愛おしい。

☆写真中央は、デッサンから下絵に、左右は写真から下絵にしていました。どの子も生まれて1か月から2ヶ月。
 

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楽しい遍歴

テムズ運河j
(承前)
 「詩を読む人々のために」(三好達治・岩波文庫)は、
≪詩を読む人々、それも初めて現代詩を読もうとする年少の読者のためにという書店の依頼≫で執筆されました。
 したがって、平易な言葉で、わかりやすく詩の門を開けてくれる一冊なのです。

≪詩は一本立ちの孤独な心で読むべきものです。≫
≪詩は各自めいめいの心でよむべきものです。≫
・・・と詩を読む人の立ち位置を示してくれます。が、続けて
≪しかしながらもし幸に、傍らに同感同意者の声をきくならば、彼らのめいめいの受けとり方にもいっそうの力と感興とを加えることでしょう。≫

と、誰かと分かち合う喜びも示唆しています。

そして、初心の読者には、
≪詩を理解することは、さまざまの詩をさまざまに読みとり受け容れることからまず始める必要のあることもまた事実でしょう。殊に初心の読者にはそれが必要でしょう。心を柔軟に精神を平らかにして、さまざまな詩人のさまざまな作品に虚心に従ってゆくことは何という楽しい遍歴でしょう。≫と書きました。

 楽しい遍歴・・・、これこそ、読書の醍醐味です。まだまだ、読みたい詩人、作家が続く毎日、有難いことです。
☆写真は、英国 オックスフォード 運河


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機知は理智の遊戯だから

世紀末美術館jj
(承前)
  三好達治「詩を読む人のために」(岩波文庫)の最後の章「数人の詩人について」には、萩原朔太郎他9人の詩人が取り上げられています。その最後は、堀口大學です。

 ここで、取り上げられたのは「朝のスペクトル」「その目」「砂の枕」の3篇です。
≪エロチズムとウィチスムは、堀口さんの詩において、この仕立屋が巧みに操る切れ味のいい鋏の二つの刃であろう。この人のすべての詩には、そのいずれかが、あるいはそのいずれもが、代る代る、蔭と日向になって置きかえられ、絡みあい、支えあい、仲のいい二人の姉妹のようにかばいあう。・・・・≫

 かつて「月夜とピエロ」(日本図書センター)で「朝のスペクトル」を読んだとき、次の箇所が印象深かったのですが、
≪そして私の身体中の
一番心臓に遠いあたりで
私の足にさはるお前の足!≫

三好達治は、この箇所を取り上げ、こう解説してくれました。
≪・・・ここらあたりがこの詩人のウィチシスムの本領でまたその隠れ家というものだ。機知は理智の遊戯だから、一番心臓に遠いあたりの出来事は、そのまま頭脳にも結びつく、それが瞬時で同時的だから、それをまあ文学とでもいうのでしょう。即ち文学的作品は要するに頭脳の幻影だ。頭脳にまったくかかわりのない近頃はやりの肉体文学など、だから決して文学の名に当らない。という結論にもなるだろう。≫
☆写真は、ウィーン 美術史美術館

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夕ぐれの時はよい時

モントルー夕陽j
 久しぶりに、三好達治 「詩を読む人のために」 (岩波文庫)を読み返しました。
読み返すといつでも、それまで いい加減に読んでいるんだと認識できるのですが、今回も然り。

  中でも、堀口大學に、二章分の紙面を割いていることに、ちょっとびっくり。
 しかも、カ・リ・リ・ロのすきな「夕ぐれの時はよい時」に一章。(→→

 詩を好きになるのは、分析結果ではなく、感性の問題だと思いますが、三好達治の的を射た解釈によって、やっぱり、この詩、この詩人の贔屓でよかったと思いました。

≪・・・まず用語の平易にしてこだわりのない、まったく口語調にちかい暢達な使いぶりが眼につきます。私たちの日用語を自由にとりいれ駆使していて、かえってそのためにさっぱりとした瀟洒な気品を見せています。俗ではありません。俗に入って俗を出る、そこの呼吸がこの詩人の得意の擅場(せんじょう)で、一種危きに遊ぶという意識も、勿論詩人の意識の一部分に働いていることが察せられます。・・・・≫
と、以下、まだまだ納得の解釈が続きます。

 そして、最後、
≪・・・読後の印象は・・・極めて鮮明で、瀟洒としていて、軽々として、どこにも晦渋(かいじゅう)陳腐のあとがありません。そうして品がよくて、どこかハイカラで、そのハイカラがしんからのもので卑しくありません。新らしがったものが、えてして陥る軽佻や浮薄の欠点を、この詩は微塵も感ぜしめないで、それらの危険をのりこえたことによって自ら身元証明が明らかにされたような感じを与えます。安心して読めます。これがこの詩の本物である証拠であって、ここらの消息もちょっと説明には困難なので、読者で自得して納得されるより外はありますまい。≫(続く)
☆写真は、スイス  レマン湖畔 モントルーの夕ぐれの時はいい時

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豊かで明るい雰囲気に満ちている

             ニヨン部屋j
(承前)
 大人の本で文庫本以外の単行本は、まず、図書館で借り、やっぱり手元に置いておこうと思うものは、買ってしまいます。版を重ねていなければ、WEBの古書で探し出し、手元に置きたい・・・(とはいえ、実際に手に入ったときから、本棚で眠ってしまうことも多々ありますが)

 で、この度の「小さな家」(ル・コルビジェ著 森田一敏訳 集文社)も、そうでした。
 図書館の書庫から、我が手元に来たときには、ページがはずれ、パラパラ、抜けてしまう始末。
 が、夫にも20分で読めるからと薦め、レマン湖LOVEの娘にも薦めるくらい、この小さい本がすきになっていたので、結局、購入。
 
 書店に行くと、先日の世界文化遺産登録を受け、ル・コルビジェのコーナーは充実していて、この人って、こんなにたくさんの本書いてるんだ!描いてるんだ!ふーむ。・・・ま、とにかく、この小さな本だけを買って帰りました。
 すると、日経朝刊7月30日に(ブログに「小さな家」を書いたその日)、「世界遺産 コルビジェ建築の魅力 人間愛満ちる豊かな空間」という文が出ています。書いたのは、建築家 伊藤豊雄氏。
 その中に
≪作品集には建物のパース(透視図)がいくつも収録されているが、そこには常に人間が描かれている。・・・・・(中略)・・・テラスでボクシングの練習をしたり、部屋で絵を描いたりする。健康的な人間を描き入れた。皮肉屋の一面もあったが、人間好きな人だったのだろう。その建築は人間に対する愛情にあふれ、豊かで明るい雰囲気に満ちている。≫とありました。
 レマン湖畔の「小さな家」だけではなかったようです。
☆写真は、スイス ニヨンのホテル部屋から、レマン湖が見えます。

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