みんなみすべくきたすべく

自然に対する冒涜

      駅の絵j
(承前)
 ル・コルビジェは、年老いた両親のための家を 世界文化遺産に登録されているラヴォー地区の葡萄畑の裾野のそのまた裾のレマン湖畔に作ります。

敷地には条件がありました。
≪太陽が南にあること(ありがたいことだ)。さらに山並みを背景に、湖が南に向かって広がっていること。また東から西にかけて見渡せば、湖とそこに映えるアルプスの山々が君臨していること。こうした条件はこの家の設計方針を決定している。つまり奥行きは4mしかないが、南に面して長さ16mの正面を持つ家が横たわっている。その正面にあるただひとつの窓は、11mもの長さがある(私は“ひとつ”の窓と言ったのだ)。≫

そんな条件に合った土地をル・コルビジェは見つけました。
≪ポケットに図面を入れて、長い間敷地を探し歩いた。いくつかの候補地を検討したが、ある日、丘の上からまさに思い通りの敷地を見つけ出した(1923年のことだった)。
この敷地は湖畔にあった。ここはまるでこの小さな家を待っていたかのようであった。この土地の売り主である、ぶどう栽培者の家族たちは、愛想のいい好人物であった。みんなで“ぶどう酒”を傾けた。≫

ところが、この小さな家ができた後には、、こんなことがありました。最後の「罪状」という短い章。
≪1924年にこの小さな家が完成し、私の両親がここに移り住もうとしていたころ、ここの町長はある集会をもち、この地に建てられたようなたぐいの建築物は、実のところ“自然に対する冒涜”に値するものではないかと計った。さらにこの家が建ったことによって、今後この種の建物がいく棟か(恐らく)建設されるのではないかと懸念し、これが二度と模倣されないようにと、この種の建物を禁じた。≫

 確かに、新奇なものに臆病になるのはわかりますが、「もう二度とこの種の建物を建ててはいけない」などと言ってから、100年近くなる昨今、世界文化遺産に登録された「小さな家」。ごく近くには、ネスレ本社のお洒落な建物が建っています。

*「小さな家」(ル・コルビジェ著 森田一敏訳 集文社)
☆写真は、ヴェヴェイ駅に飾ってあった、登山電車(ケーブルカー)で上ったペルラン山から見た風景。描かれてませんが、緑の斜面のすぐ下の湖畔に「小さな家」はあります。ル・コルビジェの生家は、右手、白くいただいた山の方。

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小さな家

七月本4j
 東京上野の国立西洋美術館の「ル・コルビジェ展」に行ったのは、もう3年も前のこと。その頃から、ル・コルビジェの近代建築群を世界文化遺産にという声は高まっていたのでしょうか。
 それで、今年、世界にまたがるル・コルビジェの建築群が世界文化遺産に登録されました。

 その建築群の一つに、引退後の両親のために作った小さな家も登録されたと知りました。それが、まさかのレマン湖にある・・・しかも、湖畔に・・・しかも、昨年行ったヴェヴェイの近くに。む・む・む・・・

  そこで、「小さな家」のことを書いた小さな本を、読んでみました。
 「小さな家」 (ル・コルビジェ著 森田一敏訳 集文社)
  わずか80ページ足らずのこの本には、難しいことは書いていません。しかしながら、ル・コルビジェの基本的な考えが書かれているような気がします。他の著書を読んだわけではない素人にも、何か、建築家の心を読んだような気になる1冊でした。 
 「人が住まう」という視点に立って書かれています。
 両親への愛、住まいへの愛、敷地への愛、そして、光や風、自然への愛が、この小さな家に詰まっているように思います。

 写真や図版が大半のこの小さな本は、写真に沿って、キャプションを読んでいくと、さながら、その家を探訪した気分になります。
≪屋根に上ること。これは過ぎ去った時代のある文明において知られた喜びである。  鉄筋コンクリートのスラブが屋上のテラスを支えている。そこに15㎝ないし20㎝の土が盛られ、ここは“屋上庭園”となる。   私たちは、ここ屋上庭園にいる。酷暑のさなか、今は8月。植物たちも焼き焦がれそう。かまわないではないか。一本一本の茎は木陰をつくり、密集した根は分厚い断熱層をなすのだから。   寒さを防ぎ、暑気を断つこの断熱材は、無料で、しかもまったく維持費がかからない。≫

 凄い!1924年時点で屋上庭園。
 あとがきによると、この小さな家には、新しい建築の5要点の萌芽が見いだされるらしいのです。(ピロティ 屋上庭園、自由な平面、水平の連窓、自由なファサード)(続く)

☆写真は、「小さな家」の中の100歳までその家で暮らしたというお母さんとレマン湖(ル・コルビジェ画)

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モナ・リザをぬすんだのはだれ?

       もなりざj
(承前)
 「木のすきなケイトさん」の絵は、バーバラ・クーニーやプロベンセンに似ていましたが、 「モナ・リザをぬすんだのはだれ?」 (ルーシー・ナッツ文 ジル・マックエルマリー絵 結城昌子訳 岩波)は、トミー・デ・パオラに、ちょっと似ています。絵の一つ一つというより、枠飾りを施した絵本の作りかもしれません。

 以前、といってもずいぶん前に、「ジョコンダ夫人の肖像」(カニグズバーグ作 松永ふみ子訳 岩波)を読みましたが、こちらは、いわゆる「モナ・リザ」のモデルになったフィレンツェの名もない商人の妻ジョコンダ夫人と、レオナルド・ダ・ビンチとその徒弟サライの話でした。(それにしても、あの頃、この「ジョコンダ夫人の肖像」等が、面白くて、次々カニグズバーグを読み漁っていました。)

 ・・・・というモデルや画家の話ではなく、盗まれてしまった「モナ・リザ」の事実を絵本にしたのが、この「モナ・リザをぬすんだのはだれ?」です。
 フランソワ一世から始まりアンリやシャルルやルイ等と絵は引き継がれ、ナポレオンによってルーブル美術館へ、という流れがわかります。で、市民が見られるようになった「モナ・リザ」が1911年ヴィンチェンツオ・ペルージャという男に盗まれ、やがて、ルーブルに戻ってくるという話です。

 20年近く前に見に行った時は、厳重ではありましたが、壁に、普通に掛かって居た「モナ・リザ」も、今は防弾ガラスに覆われ、湿度温度を管理されたところで微笑んでいるようです。
 次に、2012年にルーブルに行ったときは、あまりに混雑していたので、「モナ・リザ」を見ていません。そして、そのような混雑の様子は、絵本の最初に描かれています。(絵本には写真を撮って居る絵が描かれていますが、今も写真撮ってもいいんだろうか?駄目だろうねぇ。ちなみにこの絵本は2011年翻訳刊)

☆写真は、上下二枚とも、今までに使ったのですが、上は、パリ郊外、フォンテンブロー城にあったダ・ビンチがモナリザを描いているところと思える壺。下は、セーヌ川から見たルーブル美術館。
るーぶるj

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木のすきなケイトさん

 七月本j
(承前)
 2016年課題図書でもう一冊持っていたのが、 「木のすきなケイトさん」 (H.ジョセフ・ホプキンズ文 ジル・マケルマリー絵 池本佐恵子訳 BL出版)

 「木のすきなケイトさん」をはじめてみたとき、バーバラ・クーニーの「ルピナスさん」*を思い出しました。どちらも女性の話で、どちらも、木を増やし、ルピナスを咲かせます。絵もちょっと似ています。
 
 砂漠の町、サンディエゴで学校の先生になった「木のすきなケイトさん」が、先生をやめ、木を育てる園芸家になり、陽射しの強い乾いた土地で生きられる木を探し出し、サンディエゴの町を緑多き町にしたという話です。

 「ルピナスさん」と「木のすきなケイトさん」の大きな違いは、「ルピナスさん」は大おばさんミス・アリス・ランフィアスとしているものの、特別な人間の特別な人生を語ったのでないとしていて(あとがきより)、「木のすきなケイトさん」は1883年にサンディエゴにやってきたケイト・セションズ女史で、後には、賞やメダルを受賞した実在の人物なのです。

 そのせいか、「木のすきなケイトさん」の最後のシーンは、あくまで、ケイトさん自身の晩年まで描き、「ルピナスさん」の最後のシーンは、フィクションとして未来へのつながりを描いています。

 また、絵は、「スティーヴンソンのおかしなふねのたび」等ののプロベンセンの絵にも似ていると思いました。ここでは、まだ、あまり紹介していないものの、バーバラ・クーニーもプロベンセンも、暖かくて、優しい雰囲気が伝わる画家たちで、子どもたちと楽しんだ絵本も多いです。
 それに、ジル・マケルマリーの別の絵本の絵は、クーニーでも、プロベンセンでもなく、トミー・デ・パオラにもちょっと似ています。(続く)

*「ルピナスさん」(バーバラ・クーニー作 掛川恭子訳 ほるぷ)
*「スティーヴンソンのおかしなふねのたび」(ナンシ・-ウィラード文 アリス&マーティン・プロベンセン 平野敬一訳 ほるぷ)
*「かえでがおか農場のいちねん」(アリス&マーティン・プロベンセン きしだえりこ訳 ほるぷ)

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すえっこOちゃん

    おーちゃんj
(承前)
 もはや、課題図書つながりではなく、スロボドキンつながり・・・
 
 昨日のアンジェリーナのしおりを見て(上の写真にも登場)、すえっこが言いました。
「Oちゃん?かわいいぃ」
「ちがう。カルペパーさんのところのアンジェリーナ。紙人形一家の女の子。」
・・・で、「すえっこOちゃん」を出していたら、
「ジェーンはまんなかさんも、この人やったよね?」と、懐かしげに本を見ています。
・・・・で、「百まいのきもの(ドレス)も、いい話やったよね。でも、ちょっと哀しかった・・・」と、転校していった件を読んでおりました。

 すえっこOちゃんが、髪の毛を編む代わりに刺繍糸で、練習するシーンがあるのですが、むきになったOちゃんの表情は、かつても、今もこだわりの作業をする娘の姿と重なります。それにまた、百枚のドレスの絵を描くワンダのように、彼女は今、テキスタイルのデザイン画を描くこともあって、どこか、細い糸でスロボドキンとつながっているように思えて、ちょっと楽しい。

*「ひゃくまいのドレス(きもの)」(エレナ・エステス文 ルイス・スロボドキン絵 石井桃子訳 岩波こどもの本)
*「すえっこOちゃん」(エデット・ウンネルスタード文 ルイス・スロボドキン絵 下村隆一・石井桃子訳 学研・フェリシモ)
*「モファットきょうだいシリーズ」(エレナ・エステス文 ルイス・スロボドキン絵 石井桃子訳 岩波少年文庫)

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紙人形一家

七月本2j
(承前)
 結論から言うと、同じスロボドキン挿絵の本でも、課題図書に選ばれなかった「カルペパー一家のおはなし」(マリオン・アピントン文 ルイス・スロボドキン絵 清水真砂子訳 瑞雲舎)の方が、ずっと楽しかった。
 スロボトキン絵の小学校中学年ぐらいを対象にした一冊で、シリーズかと思えるくらい、造りは似ていますが、「さかさ町」は岩波、「カルペパー一家のおはなし」は、瑞雲舎。
 いかんせん、出版されたのが6月ですから、課題図書選定に間に合わなかったといえるし、ずれたのは、大人の事情かもしれない。片や、売り場正面に平積み。片や、大きな書店の一番上の棚で、やっと見つけ出す始末。まだ、新刊なのに・・・

紙で作られた人形一家のお話です。紙人形たちの愉快な毎日とでも言えましょう。ハンサムなお父さん、優しいお母さん、それに手がつながった4人の男の子たちと3人の女の子たち、それに、手が離れて切れてしまったアンジェリーナ。
 紙人形にもお友だちはいるし、危機一髪もあるし・・・
 
 ≪「ああ、なんて幸せなんでしょう。」カルペパー夫人はかんどうにむねをいっぱいにしていいました。「家があって、まわりもこんなにたのしくてすてきで、いい夫にめぐまれて、そのうえ、お友だちまでできた。・・・・・(中略)」・・・・「あたしたちには、ほんとになにもかもそろってる。」カルペパー夫人は、まんぞくそうにためいきをつきました。「これいじょう、ほしいものなんてなにもないわ。」≫
(続く) 
☆写真、本の左上にはさんであるのは、本の帯に「切り抜いたらアンジェリーナになるよ」「しおりになっちゃう?!」とあったので、切る抜いて「しおり」にしました。本文の中で、アンジェリーナがしおりになるところがあります。
 表紙の人形たちが、何をしているところかは、読んでみなくちゃね。
 

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さかさ町

      シュピーツトンネルj
(承前)
2016年の課題図書に平積みされている中に、すでに持っている本を2冊見つけました。
まず、「さかさ町」(F.エマーソン・アンドリュース作 ルイス・スロボドキン絵 小宮由訳 岩波)

 スロボトキンの絵は、「すえっこOちゃん」(学研)以来、好きな挿絵画家です。もちろん「百まいのきもの(ドレス) 」のような絵も、お話の雰囲気を壊しません。そして、近年、次々、訳されるので楽しみにしています。(→→) ≪⇒⇒
とぼけたようなタッチが、押しつけがましくなく、お話を邪魔しない挿絵となっています。

 さて、「さかさ町」は、すべてのことがさかさまの町です。文字もさかさま、おうちもさかさまに立っていて、車も後ろにハンドルが・・・子どもが働いて大人が遊び、お店に行くと無料で物をくれ、加えてお金までもくれるというさかさまの町です。

・・・と子どもなら、思い描いたことがありそうな町です。
が、さすが、課題図書に選ばれるくらいですから、ただ、「ああ、面白かった」だけの読後ではありません。
 訳者あとがきで小宮由はいいます。
≪常識と思われていることを疑ってみる(さかさまに考えてみる)ことで、ものごとには、さまざまな見方があることや、それまで見えなかったことが見えたりすることがある、ということをこの本は教えてくれます。≫
 
 うーん、やっぱり、そう来るんだ。

 カ・リ・リ・ロなら「さかさまち」に表記するなぁ。あるいは、「さかさまさかさまち」っていうのはどう?(続く)

*「ひゃくまいのドレス(きもの)」(エレナ・エステス文 ルイス・スロボドキン絵 石井桃子訳 岩波こどもの本)
*「すえっこOちゃん」(エデット・ウンネルスタード文 ルイス・スロボドキン絵 下村隆一・石井桃子訳 学研・フェリシモ)
*「モファットきょうだいシリーズ」(エレナ・エステス文 ルイス・スロボドキン絵 石井桃子訳 岩波少年文庫)
☆写真は、スイス シュピーツ駅出口からトゥーン湖を望む。

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高校生部門

ハイジj
(承前)
 読書感想文の課題図書部門は、小学校(のちに低・中・高学年に分けられています)、中学校、高校の部にそれぞれ分かれています。

 高校の部があるなんて、よく知りませんでしたが、今までの高校の部の課題図書を見直してみると、意外と、まだ版を重ねていると思われる、遠藤周作や新田次郎、水上勉、石川達三、幸田文、犬養道子、有吉佐和子・・・・などの名前もありました。が、こんなんあったんや、読んでみたいなぁ・・・と思ったものの古書や図書館書庫でしかみつからない本もありました。
 また、最近では、高校の部以外も、全体に翻訳物もバランスよく選ばれるようになってきていて、この翻訳家のものなら読んでみようかというものもありました。

以下は、高校生部門の課題図書とはつゆ知らず、個人的に読んだことのある本ですが、確かに、どれも感想文が書きたくなる本です。
「橋のない川」(住井すゑ・著 新潮社)
「生きることの意味」(高史明・著 筑摩書房)
「TN君の伝記」(なだいなだ 福音館)
「だれが君を殺したのか」(イリーナ・コルシュノウ・作上田真而子・訳 岩波)
「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソンレイチェル・カーソン・著 上遠恵子・訳 佑学社)
「豚の死なない日」(ロバート・ニュートン・ペック・著 金原瑞人・訳 白水社)
「博士の愛した数式」(小川洋子 新潮社)
(続く)
☆写真は、スイス マイエンフェルト 赤い標識には「ハイジの道」とあります。

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読書感想文

      むこうによっとj
(承前)
 課題図書にも、初めの頃は、何冊かの翻訳物が選ばれていたのがわかりましたが、その後、選定基準が変わったかのように、ほとんどが、日本人作家の作品が選ばれ、同じ作家が複数回選ばれるという状況も続いていました。
 
 小学校教員になり、夏休み前に課題図書に眼を通すようになりました。が、エルマーやランサムのように、ただ、楽しい。面白い。という教訓臭さから縁遠い作品より、感想文の書きやすい、ちょっとした何かのあるものが多くなっていったような気がします。
 そして、その後、3人の子どもたちの夏休みの宿題のときも、課題図書とは関係ない読書感想文を書かせていました。
 というわけで、今年の夏まで、ちゃんと、見てなかったというのが本当のところですが、何故か、今年は目に入ったのです。

 が、しかし、そんなとき、書店では、こんな会話が・・・
「おかあさん、○ちゃんは、この本読んでたよ」と、小学校低学年の女の子。
「ふーん、こんな本で、感想文書かれへんやんか。」

 ここにも、子どもを本から離れさせているお母さんと、感想文に敷居の高さを感じつつある子がいました。(続く)
☆写真は、スイス レマン湖

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課題図書

百合j
 例年、この時期、書店には、読書感想文のための課題図書というのが並びます。いつもは、ああ夏休みなんだなぁと横目で見るくらいですが、あれ?今年は、すでに持っている本が入っている。めずらしいこと。

  ということで、かつて自分の小学生の頃から続く読書感想文と、その課題図書について、全国学校図書館協議会のHPなどでちょっと調べてみました。

 全国学校図書館協議会と某新聞社主催の読書感想文コンクールは、1955年スタート。ただ、初めは課題図書部門などなく、8回目の1962年から制定されたようです。

  個人的に思い出深い「エルマーのぼうけん」(福音館)が小学生部門に選ばれているのは1964年。このことは、どこかにも書きましたが、当時、この本を手に取り、外国の洗練された匂いを嗅ぎ、地図までついて、なんて楽しい、こんな本があるんだと、素直に喜んだのを覚えています。
しかも、同じ年の中学生部門では、アーサー・ランサムの「シロクマ号となぞの鳥」(岩波)が選ばれています。
 何故「ツバメ号とアマゾン号」や「海へ出るつもりじゃなかった」ではなく、最終巻の「シロクマ号となぞの鳥」なのかと疑問に思いましたが、その年に出版された本という基準があるからなのでしょうね。ということは、選定した限りに、少なくとも、選定に携わった人たちは、このランサムのシリーズを読んだ上で、選んだということでしょうか???それとも、声の大きいランサマイトが居た?それとも、今も続く、出版社が重ならないようにしている大人の都合?

  その頃は、小学生部門では、ケストナー「飛ぶ教室」(岩波)ロジャンコフスキー「くまのブウル」(福音館)ケストナー「サーカスのこびと」(岩波)デュリオン「みどりのゆび」(岩波)ディヤング「びりっかすの子ねこ」(偕成社)アトリー「チム・ラビットのぼうけん」、(童心社)中学生部門ではメイン「砂」(岩波)やペイトン「愛の旅立ち」(岩波)なども入っていました。(続く)

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頭の中

プルーンj
 (承前)「300年まえから伝わる とびきりおいしいデザート」(エミリー・ジェンキンス文 ソフィー・ブラッコール絵 横山和江訳 あすなろ書房)は、時代考証もされた絵本で、その話の運び方も子どもたちが楽しめる工夫のされた絵本です。
  また、ソフィー・ブラッコールの描く絵も、やはり時代考証に基づいて、300年前の家庭の様子も200年前も100年前もそして現代の家庭の様子も楽しめます。

  このソフィー・ブラッコールは自分で文を書いた「ねえ、おきてる?」(もとしたいづみ訳 光村教育図書)という小さい絵本もあります。なかなか、なかなか、なかなか眠らない子の相手を、睡魔に襲われているお母さんが応対するという絵本です。絵を楽しむというより、言葉のやりとりが可笑しい一冊です。とはいえ、わざわざ絵本でなくても、このような会話、小さい子どもが居たら、毎晩のようにしているので、新鮮味にかけるといえば、言い過ぎでしょうか?

  もう一冊ソフィー・ブラッコールには、「ぺろぺろキャンデー」(ルクサナ・カーン文 ソフィー・ブラッコール絵 もりうちすみこ訳 さ・え・ら書房)もあります。こちらは、誕生会に呼ばれる女の子とやんちゃんな妹の話です。幼稚園くらいの子を対象にしていて、身近なテーマです。ただ、「ぺロペロキャンデー」の絵には、思ったことを吹き出しで表現しているところが何か所かあります。先の「ねえ、おきてる?」も、同様でした。
  言葉の吹き出しだけでなく、頭の中で想像していることも吹き出しで表現してしまうと、読者の想像を限定してしまうことにつながると思います。
☆写真は、「300年まえから伝わる とびきりおいしいデザート」の前にプルーンを入れてみました。今が旬のようで、美味しかった!
 

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300年前のデザート

ブラックベリー大j
 「300年まえから伝わる とびきりおいしいデザート」 (エミリー・ジェンキンス文 ソフィー・ブラッコール絵 横山和江訳 あすなろ書房)

「ブラックベリー・フールの作り方とその歴史――そしてまたハンドミキサーと保冷の歴史」というタイトルじゃ、子どもたちの楽しめるものではなく、お菓子造り好きの人だけの絵本になってしまいます。が、「300年まえから伝わる とびきりおいしいデザート」の中身は、子どもたちが、ブラックベリー・フールという冷たいデザートが、どうやって発明され、今はどうやって作っているのかが、よくわかるものとなっています。

・・・・300年くらい前のイギリスのライムという街のお母さんと女の子から始まって、200年くらい前のアメリカのチャールストンという町の奴隷のお母さんと女の子、100年くらい前のアメリカ ボストンのお母さんと女の子、そして、インターネットで作り方を調べたアメリカ サンディエゴのお父さんと男の子、この人達とその周りの人たちが登場人物です。

とはいえ、最古のデザートの一つと言われているらしいブラックベリー・フールとは?
野生のブラックベリーを、搾った牛の乳で作ったホイップクリームに合わせたもの。

また、ハンドミキサーなどなかった300年前は、どうやってホイップクリームを作ったか?
それは、小枝を束ねたものから始まって・・・

そしてまた、冷蔵庫などなかった300年前に美味しく冷やしておくには?
それは、穴倉・・・

さてさて、ボウルに作ったブラックベリー・フールを配膳した後、ボウルの片付けは、300年前も200年前も100年前も、そして、今も、指ですくってなめる!ぺろぺろなめる!
「なんて、すてきな、あとかたづけ!」という副題はどう?(続く)

☆写真は、英国テムズ川上流のブラックベリー。ああ、この辺りで、カーディガンが棘に引っかかったんだよねぇ。本文にも本文の絵にもあります。
≪ながいスカートは、ブラックベリーのとげにひっかかりました。≫

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いい人ばっかり その後

リングピローjj
 以前、「いい人ばっかり」に囲まれ育った女子学生のことを書きました。(→→
 早く大人になって行くたくましさと幼さを持ちあわせた彼女も、卒業・就職していきました。

 今年のクラスの女子学生が言いました。
 「○○さんのこと覚えてる?先生のこと元気か?て聞いてたよ。」
 「え? ○○さんこそ元気でやってるん? また、学校に顔見せに来るように言っといて。」
 「それがね、最近結婚して、△△県に行ってしまったよ」
 「ふーん、そうなんや。・・・・もしかして、相手の人って、ちょっと髪の毛が多くない男の人?」
 「そうそう、13歳年上の、ずっと付き合っていた人!」

 そうか、あのとき、嬉しそうに、二人で撮った写真を見せてくれたその人と、結婚したんだね。
 よかった!やっぱり、いい人ばっかりだったんだ。おめでとう。
☆写真は、ホワイトワークのリングピロー。

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国宝 伴大納言絵巻

         牛車j
(承前) 
 出光美術館の「江戸絵画の華やぎ展」(~2016年7月18日)には、特別展の国宝「伴大納言絵巻」の最終巻を見に行く目的もありました。
 3回に分けての展示の2回分、見に行くことができたのは、上出来でした。(→→

 あいかわらず、その絵巻きは、人々の様子が生き生きと描かれ、傷みが進んでいるとはいえ、見に行ってよかった・・・
 先の北斎も達者ですが、もっと時代をさかのぼったても、こんな達者な画家がいたなんて、誇らしい。表情も姿勢も、その時の声までも聞こえてきそうなくらい生き生きとした人間模様。
 
 最後の最後、捉えられ流刑となる大納言を乗せた牛車の絵。大納言の顔は、最後までわからず、しかも、牛車の中では顔を隠しています。
 それに、牛車というのは、ひどく進み方が遅いらしいのですが、車を曳く牛の表情・・・梃子でも動かんぞと強情そう。かくして、のろのろと、市中曳かれ行ったのであります。

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江戸絵画の華やぎ

          抱一屏風j
(承前)
 出光美術館の「Ⅲ 江戸絵画の華やぎ」展(~2016年7月18日)でも、殴り書き、軽いタッチで肩の力を抜いた絵を見ました。それが、誰あろう。尾形光琳なのです。尾形光琳といえば、琳派400年記念展が、各地で催されたのが昨年のことですが、勝手なイメージに、国宝の「紅白梅図」だとか「八橋図」が思い浮かび、はたまた俵屋宗達に続いた「風神雷神図」の印象も強く、まさか、禅画のような作品は、思い浮かびませんでした。

 秋に同じ出光で開催される「仙厓」かと間違いそうになった掛け軸「蹴鞠布袋図」は、月、布袋の丸い腹、布袋の丸い袋が縦一列にならび、それを銘で串刺ししたような構図。つまり、丸い御団子を串刺しているかのよう。
 
 いかにも尾形光琳という作品も凄いけれど、肩の力の抜けた、こっちの方が好みかも・・・
 と、思っていたら、光琳の弟 尾形寒山が作るお茶椀の下絵というのを光琳が、描いていて、(「深省茶碗絵手本」)これも楽しいものでした。

 この「江戸の華やぎ展」には、歌麿の「美人画」あり、北斎の「春秋二美人図」あり、酒井抱一の「風神雷神屏風」あり、そしてまた上記写真の「十二か月花鳥図貼付屏風」(酒井抱一)も六曲一双そろっているのはよかった。しかも、会場が、混雑していなかったのが幸いし、ゆっくり楽しむことができました。(続く)

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北斎漫画展

       北斎漫画j
(承前)
 東京 太田記念美術館の「北斎漫画展」(~2016年7月28日)に行きました。
 「北斎漫画 正・続」「北斎絵本」(芸艸堂)の三冊をペーパーバックで持っていて、眺めることはできるものの、実際に行ってみると、より楽しかった。ほんと、北斎という人は達者です。
 
 たまに、著名な画家の展覧会で、数合わせのように、習作と称した殴り書きのようなもので、スペースを埋めていることがあります。が、北斎のように無尽蔵にも思えるくらいの絵を、しかも、完成度の高い絵を残した人は、他にいるだろうか?
 
 殴り書きで思い出すのは、かつてパリのピカソ美術館でみた、ティシュの箱にちゃちゃっと描いたようなピカソの絵です。このティッシュの箱の絵を北斎のように完成度が高いと捉えるかどうかは、別としても、ともかく、ピカソが、いつでも、描きたかった人だったのが感じられました。

 また、スイス ベルンのパウル・クレー ・センターで見た、大量の鉛筆書きの天使たち。これらは殴り書きのようですが、実は、病のリハビリでもあり、それまでの試練への表現の一つでもあり・・・と、少々深い。
 
 時代も違うし、国も違う。西洋絵画と、肉筆画があるものの、版画中心。
 北斎(1760~1849)とピカソ(1881~1973)は長命で、パウル・クレー(1879~1940)は、長生きとは言えない。
 それぞれ背景が違っても、その3人の創作意欲とその結果は、今も我々の心をとらえているのは、確かなこと。(続く)

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西洋更紗の女の子

      東京駅j
(承前)
 北斎漫画展の話の前に、西洋更紗つながりです。 **渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムの「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」(~2016年7月31日)

 1泊2日の東京の帰り、ひかりに乗って帰阪しました。(ジパング倶楽部割引がきくのです)外国人観光客には「ひかり」に乗るパスがあるようで、前回も、今回も、周りはほとんどが外国人のようでした。
 前回は、イギリス人カップルで、京都に行く人たちでした。

 今回は、ドイツ人親子での4人連れでした。
 子どもの一人、7歳くらいの女の子が、あろうことか、トワル・ド・ジュイ展で見たような西洋更紗のお洋服を着ていました。日本の子ども服ではあまり見かけません。
 その妹は3歳くらいでした。なかなかのきかんぼうで、どこかの末っ子のように、最後には、母親を独り占めして、西洋更紗のお姉ちゃんを前のシートに追いやっていました。
 おねえちゃんは、時折英語を使い、「水を飲んでもいいか?」「本を取ってちょうだい」などと、母親の気を引こうとしますが、きかんぼうの妹が、大きなぬいぐるみのうさぎを出して、母親を巻き込んでいますから、母親はなかなかおねえちゃんに応えられません。また、おねえちゃんは、日本語で「ありがとございます」などとお辞儀したりもしますが、結局、お母さんは、妹にかかりきり。
 その間、女の子たちが騒いでいてもおかまいなく、父親は大阪で学会でもあるのか、ずっと、ラプトップのパソコンに向かい、数式と格闘しておりました。 つまり、誰も、車窓からの風景を楽しむことなく、新大阪に着きました。富士山も浜名湖も、京都も見えましたが・・・
☆写真は、東京駅 お上りさんの撮影スポット。
 

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西洋更紗

      布j
 渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムの「西洋更紗 トワル・ド・ジュイ展」(~2016年7月31日)に行きました。
 フランスで生まれたコットンプリントの展示でした。トワル・ド・ジュイ(ジュイの布)*ジュイ=アン=ジョザスはフランス ヴェルサイユ近郊の村

 確かに綺麗なプリントが並んでいて、おしゃれで可愛い。田園風景のモティーフだけはなくマリーアントワネットが描かれていたり、お酒を飲む少年が描かれていたり、花々のパターンも楽しい。
 また、インド更紗からつながり、ウィリアム・モリスにつながっていく流れも分かります。またフランスだけなく日本でも更紗模様の熱狂があったのは、前半の展示の布見本帳が日本のものだったことからもわかりました。

 ところが、藤田嗣治の「ジュイ布のある裸婦」という絵にもジュイ布が描かれているという情報があったので、楽しみにしていたら、全然違う、藤田嗣治の絵が飾られていて、なんだか、がっかり。

 貴重なマリー・アントワネットのものもあり、時代も古いものとはいえ、プリントされた布ばかりの展示は、大きな布の見本帳のようでした。
 高い入場料払ったのに・・・と、不満が残るのは、プリントや、コピーや複製ではなく、本物が見たいというわがままからくるものなのかと、思ってみたりするものの、じゃ、この日、もう一つ見に行った北斎漫画展(太田記念美術館)は、どうなの?これも量産できる版画なんだけれど、と思ったり。(続く)
 
 

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二十歳のときから

        東京のむくげjj
(承前)
 東京では甥にも会いました。20歳の大学生、おしゃれに関心が高いものの、選挙日当日「選挙に行ったの?」と聞くと、「よくわからないから」と、言いました。
 ぎょっ!そんな奴がいるから、こんな結果になるんだ!と(まだ、結果は出ていませんでしたが)、真面目に話しましたら、耳を傾けておりました。

 カ・リ・リ・ロとその家族は、以前から、不在者投票で、早々と投票を済ませています。かつての家の時も、現在の住まいでも、不在者投票所は駅前にあって、便利だということも大きな要因です。
 特定支持団体や、候補者がいるからではありません。民主主義を誇るなら、一党独裁であってはおかしいと、投票に行くのです。
 数の力に負けないように、ささやかな一票を、二十歳(はたち)の時から投じてきたつもりです。
☆写真は、東京のむくげ

 

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同じ家

       鷗外j
 用があって、東京に遠征しました。
 まず、お友だちの個展が谷中であったので、伺いました。
 それで、その反対側にある、団子坂上の森鷗外記念館にも行きました。
 
 森鷗外記念館は、森鷗外をあまり読んでいない者にとっても、当時の東京事情や、文学・芸術事情につながっていて、ちょっと面白い展示があります。
 洒落たシャッポ姿の森鷗外と共におさまる画家の原田直次郎の写真のそばには、原田直次郎の描いた鷗外の「文づかひ」の挿絵が飾られていて、その絵のモデルは森鷗外かとも思える人物です。(上記写真左)
 また、森鷗外の「うたかたの記」のモデルは原田直次郎と言われていて、お互いの交流の深さがうかがえます。・・・・が、しかし、「文づかひ」も「うたかたの記」も読んでいません。

 そして、これも知らなかったのですが、森鷗外と夏目漱石は、同じ家に住んだことがあった!とな。
 この森鷗外記念館からほど近いところにある家屋だったようです。その家で、夏目漱石は「吾輩は猫である」を執筆し、結局その家は、今、明治村に移築されているとありました。
 以前、谷崎潤一郎の住んだ家に富田砕花という詩人が住んだことは書きましたが(→→)、今や、次の文筆家を呼ぶ家なんかあるんだろうか?と、ふと、思いました。

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穴掘り

          穴j
(承前)
 「がんばれヘンリーくん」シリーズで有名なB.クリアリーですが、もう少し対象年齢の低い 「ジミーとジャネット、ふたりはふたご」 という幼年文学もあります。*ちなみにヘンリー君本人は小学校3年生。

 4歳のジミーとジャネットは男の子と女の子の双子です。ジャネットは、おままごととかお芝居ごっこ、ジミーは本物好き、と好みはちがいます。
 本物好きのジミーは、おもちゃのスコップではなく、本物のスコップで穴を掘ります。・・・・・

 ―――そういえば、昔住んでいた我が家の小さな庭には大きな穴がありました。その穴に、簡易ビニルプールを置き、3人は水遊び。末っ子は、まだ1歳半で、長女にしても4歳、長男は小学校1年生。長男が中心になって、長女と一緒にその穴を掘っていったと思われます。ジミーと同じ4歳の長女が中心になって掘ったのかも。

 深くはありません。プールを置いていないときは、ただの大きな穴でした。ただ、掘ることが重要だったように思います。お友だちが来ても、みな、興味津々。どの子も穴にはいって座りました。

 借家だったので、引っ越す直前、お父さんが埋めました。というのも、子どもたちは穴を埋めるのを強硬に嫌がったものですから、引っ越し前に、おばあちゃん宅に泊まって居た彼等のいない間に、埋めたというわけです。
 次の家にも庭はありましたが、あんなに大きな穴を掘ることもなく、子どもたちは大きくなっていきました。―――

 で、ジミーの掘った穴には、クリスマスツリーが植えられ、ここでも、めでたし、めでたし。

*「ジミーとジャネット、ふたりはふたご」(B.クリアリー作 いといしげさと訳 やまわきゆりこ絵 あかね書房)
*「がんばれヘンリーくん」現「ゆかいなヘンリーくん」シリーズ (ベバリィ・クリアリー文 松岡享子訳 ルイス・ダーリング絵 学研)
*ラモーナのシリーズ(ベバリィ・クリアリ―文 松岡享子訳 ルイス・ダーリング絵 アラン・ティー・グリーン絵 学研)

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100歳おめでとう。

    鯛のパイj
  少々、前のことになりますが、3月末に、息子がメールをくれました。オバマ大統領がイースターのイベントで子どもたちに「かいじゅうたちのいるところ」を読み聞かせているユーチューブのURLを貼りつけてくれました。
オバマ氏自身が、ずいぶん楽しそうでした。

  今度は、B.クリアリーの100歳のお誕生会に誰でも参加していいイベントがあったんだって!と末娘が教えてくれました。息子も娘も、一体、何の情報につなげているんだろう?   ま、いいです。
 みなさんお母さんの好みをよくご存じで、情報をくれるのは有難いことです。

 さて、そのB.クリアリーさんというのは、「がんばれヘンリーくん」シリーズ(現「ゆかいなヘンリーくん」シリーズ:学研)で、あの名脇役から、シリーズ後半では、主人公に出世したラモーナを生み出した作家です。
 我が家では、前半のラモーナの破天荒ぶりが、かの末娘とかぶり、ずいぶんと楽しんだシリーズ前半でした。後半は、別人かと思うような、成長したラモーナの出現に戸惑ったものでした。

  B.クリアリー 100歳の話が出た時、石井桃子氏も101歳の大往生だったことを末娘に話すと、「子どもみたいに楽しいことを考え続けていたら、長生きできるのかなぁ」などと言いました。(続く)

*「がんばれヘンリーくん」現「ゆかいなヘンリーくん」シリーズ (ベバリィ・クリアリー文 松岡享子訳 ルイス・ダーリング絵 学研)
*ラモーナのシリーズ(ベバリィ・クリアリ―文 松岡享子訳 ルイス・ダーリング絵 アラン・ティー・グリーン絵 学研)
☆写真は、鯛のお頭付きアップパイ 

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贅沢で、幸福な文学形式

        ロープウェイj
(承前) 
 さて、「日本近代随筆選 第三巻 思い出の扉」(岩波文庫)の解説(長谷川郁夫)に、もう少しだけ触れて、延々と続いたこの随筆選の読書感想文の終わりにします。

長谷川郁夫は言います。
≪随筆に記されるのは、いつの場合もこころの真実である。しかし、思い出には記憶違いもあれば、誇張もある。リアリティ尊重の窮極のかたちが随筆だろうと理解しても、それが「作品」となる以上、そこには読ませる技術、読者を喜ばせる技術が必要とされる。笑わせるための芸もいる。作者はそれぞれに工夫を凝らすのである。ときにはフィクショナルな要素が、あるときは多分に加味される。≫

―――なるほどぉ!短い紙面で、勉強になります。そして、このあと、引用するには長々となってしまう、含蓄のある文が続くのですが、その最後の一行にこの言葉がありました。
≪思えば、随筆とはなんとも贅沢で、幸福な文学形式なのである。≫

 「日本近代随筆選 1出会いの時」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 3 思い出の扉」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
☆写真は、スイス ニーダーホルンに上るロ-プウェー、背後の山はニーセン山

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自由、が随筆の生命

ねこj
(承前)
 さて、ここでは、斎藤美奈子の「文庫解説を読む」(岩波「図書」連載中)というわけではありませんが、「日本近代随筆選」三巻の編者 千葉俊二・宗像和重・長谷川郁夫が、それぞれ巻末に解説を寄せているのに、少し着目。

 「第三巻3思い出の扉」の長谷川郁夫の解説に、「随筆を読む喜び、また書く喜び」を書いた箇所があります。
≪随筆を読む喜びは、作者の存在に直かに触れるところにある。文は人なり、というが、随筆ほど作者の息遣い、そして体温まで感じさせてくれる文学形式はない。書き手もまた、読者の耳にそっと囁くような親愛感を抱くことだろうと推察させる。≫

――そうかぁ。だからですね。読者の耳にそっと囁かないような文には親愛感を抱かないってことですね。ということは、それ以上、読むのをやめたりするのは、土足で踏み込んでくるような文への警戒心ということでしょうか。

≪知られる通り、随筆は日本文学の古くからの伝統の一つであり、「枕草子」「徒然草」「方丈記」などは誰れの頭にもすぐ思い浮ぶ。やがて貴族や僧侶、武士などの知識階層の専有から離れ、、江戸時代の随筆ブームは読み手も書き手も広く民間まで及んだ。自由、が随筆の生命なのである。しかし、近代の随筆は「枕草子」や「徒然草」の流れ、あるいは江戸期の考証随筆とも趣きを異とする。明治になって西洋文学の洗礼を浴びたからである。そして、随筆が親しまれる文学形式として生まれ更るためには、そレから4半世紀以上の時を必要としたのだった。≫(続く)

「日本近代随筆選 3 思い出の扉」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
☆写真は、スイス ヴェヴェイのウィンドー中

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柚子の話

      橙j
(承前)
 時間に余裕の無い春から、ぼちぼち読み進んだ「日本近代随筆選1~3」三冊でしたが、編者3人は、それぞれが一巻ずつ担当していました。最後の巻の担当は、長谷川郁夫でした。
 彼は。まだ、ここに書けていない「堀口大學 詩は一生の長い道」(河出書房新社)という大著の著者であることから、第三巻には、きっと、堀口大學も選ばれているだろうと予測しておりました。
 
 「柚子の話」がそれでした。
≪花壇のまんなかに柚子の木を植えてから五年になる。≫と、始まるこの一文は、詩人の文章というより、淡泊であっさりとしています。もしかしたら、ありがちな随筆のように見えるかもしれないものの、実は、深い。
 
 家族やベテランの植木屋の反対を押し切ってまで、何故、庭の真ん中に「柚子」を植えたのか。
 柚子が、堀口大學にとって、どんな意味を持つかが、淡々と描かれていきます。

 そして、読後。
 堀口大學の随筆の中で、何故、長谷川郁夫が、これを選んだのか・・・その背景が見えたような気がして、うるっと来てしまいました。
 
 そして、巻末。
 長谷川郁夫は、淡々と解説します。
 堀口大學のシンパの一人としては、それもまた、深い想いを感じます。

≪「柚子の木」の作者は詩人。十七歳で上京するまで、越後・長岡で祖母に育てられ、やがて外交官だった父の任地に赴き、メキシコ、スペイン、ブラジルとラテン語圏で青春の十数年を過ごした。戦後は神奈川県葉山町に住み、そこを終(つい)の梄(すみか)とした。それだけに、この一篇には懐郷の情が溢れている。柚子の香りに、祖母への追慕が抱まれて(つつまれて)いるようで、老境の詩人の温容が偲ばれる。≫(続く)

 「日本近代随筆選 1出会いの時」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 3 思い出の扉」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
☆写真は、京都 北野天満宮の柚子ではなく橙。左の枝は梅のつぼみ。

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城の崎にて

       松ぼっくりj
(承前)
 「日本近代随筆選 3 思い出の扉」には、猫にまつわる随筆もいくつか入っていて、猫好きの人の共感を呼ぶだろうと思います。また、酒にまつわる随筆もありますから、酒好きの人には興味深いことだろうと思います。

 つまり、随筆に、リズムと身近な話題で、近づく者としては、猫や犬より花や木、酒より甘いものという文に惹かれました。

 そんな中、志賀直哉の「城の崎にて」が載っていたのは、懐かしい思いで読みました。
 城崎に行ったことがある・・・という理由でもなく、蠑螈(いもり)の話でもなく、単に、高校の教科書に出ていたから・・・という理由でした。
 
 当時は、蜂・鼠・蠑螈と続く、小動物たちに気持ちが行き、およそ教科書解説のような読解しかできていなかったと思います。
 
 ところが、年経た今読むと、≪死ななかった自分には仕なければならぬ仕事があるものだ。≫という箇所が、大きな活字で目に飛び込んできたかのようでした。
 「仕なければならない仕事」があるから、生きているのだとしたら、その仕事は何なんだろう?城崎の町のことも、小動物のことも忘れて、思い巡らせる読後でした。(続く)

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ロダン翁に逢った日

考える人j
(承前)
 「日本近代随筆選 3 思い出の扉」で見つけたヨーロッパの夏が過ごしやすい一文は、与謝野晶子「ロダン翁に逢った日」です。
この随筆は、
≪私がロダン翁にお目に掛かったのは、1912年(大正元年)6月18日の午後でした。私は生まれてからまだ世界の偉人と云われるような大きな人格にまのあたりに接したことが無いので、ロダン翁を尋ねようと良人が言い出した朝の私の心は一種の不安と怖(おび)えとを感じました。≫で、始まります。

≪・・・巴里の街では暑気を感じないのに、郊外の日光に直射されるのと、阪路の徒歩と日本服を着て居たのとで、私は汗をかきました。之が欧洲の夏の旅行で私が汗をかいた唯だ一度の経験です。その後郊外へも度々遊びに行きましたが、一度も手巾(ハンカチ)を取出して汗を拭くと云うようなことの無かったので思うと、英国や仏蘭西の夏が如何に凌ぎよいかが解ります。≫

 与謝野晶子とは、比ぶべきもありませんが、カ・リ・リ・ロは一度だけ、暑いイギリスを経験したことがあります。ヨーロッパでは、熱波で死者まで出た2003年です。暑すぎて、電車はオーバーヒートするし、クーラーのない地下鉄では、カ・リ・リ・ロが持って行っていた扇子に、羨ましそうな目が注がれていたのを思い出します。(続く)

☆写真は、パリ ロダン美術館

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よっぽどの湿気

夏の花j
 暑くて目が覚めた。
 もしかして、もはや、熱帯夜?

 蒸し蒸し・・じめじめ・・・ここも、世界も。

 たった一票は、すでに投じたけれど、
 この暑さと、この混沌は、まだまだ、続く。

夏の花jj

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やはりよっぽど湿気が多いところのようである。

    葡萄畑マークj
(承前)
 前出の「涼しき隠れ家」ではありませんが、ヨーロッパの夏は、からっとしていて、過ごしやすい。
「日本近代随筆選 3 思い出の扉」に、そのような言葉を見つけたときは、やっぱり、一昔前でも、日本の夏の暑さや湿度は、お変わりなかったのだとわかります。

 まず、「酒」という金子光春の随筆です。
 この一文は、お酒が飲めない作者が、≪人生の半分を損したような気がする。≫と、グダグダいう恨み節のような文です。

 その中に、こんな表現が・・
≪僕の持病(喘息)は、日本では相当なものだが、この国から一歩離れると中国でも、ヨーロッパでも、もう治ったのかと思った位、発作も起きない。呼吸困難もない。日本へかえってきてしばらくするとまた起ってくる。日本という国は、やはりよっぽど湿気が多いところのようである。・・≫

 そういえば、中学に入るまでは、喘息発作が起こって居た我が息子は、その後、発作こそ起こりませんが、今でも、埃っぽい雑用は、何か、不穏な感じがすると言っております。  が、しかし、2年余におよぶアメリカ合衆国東部での生活では、一切、感じなかったようですから、金子光春と同意見だろうと思います。
(続く)

 「日本近代随筆選 1出会いの時」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 3 思い出の扉」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
☆写真は、スイス レマン湖畔 シャブレ村の葡萄ちゃんキャラクター

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身中つかるゝまでの快さ

 ライラックj
(承前)
 ムシュウ・ド・ノワイユ夫人の詩とは?と調べると、インターネットのおかげで、糸口が見つかりました。
 ただ、外国の名前の表記は、微妙に異なり、永井荷風の訳詩集の「ロマンチックの夕」「9月の果樹園」「西斑牙を望み見て」の作者伯爵夫人マチュウ・ド・ノワイユが同一人物なのか、詩を読んでから確認しました。

 林芙美子は、「涼しき隠れ家」という文で、≪「われ小暗きリラの花近く、やさしき橡(とち)の木陰に行けば、見ずや、いかで拒み得べきと、わが魂はささやく如し」なぞ、ノワイユ夫人のような美しい一章が書きたい。≫ というのですが、この随筆に、いつくか引用されるノワイユ夫人の詩は、永井荷風訳の「九月の果樹園」「ロマンチックの夕」の二つの詩からのものでした。 

 ノワイユ夫人「ロマンチックの夕」(永井荷風訳)は、
≪夏よ久しかりけり。われ夏の恵み受けじといどみしが、今宵は遂に打ち負けて、身中つかるゝまでの快さ。≫で、始まります。確かにロマンティックな詩の始まりと言えるし、隠喩が多用された愛情表現の静かな始まりとも言えます。
 が、しかし、日本の夏を知る凡人にとっては、なかなか「夏よ久しかりけり」という優しい言葉は出てこないなぁ・・・「身中つかるゝまでの快さ」などとも。

 ところが、林芙美子は、日本の風土に居て、「涼しき隠れ家」の中で、こういうのです。
≪桃の繁り葉のある、冷え々とした古い井戸のある、私は、夏暑い夜々をまるで子供のように、この涼しさを考える。≫

――そうかぁ。しのぎやすい場所もあるんだ。でも、やっぱり日本の夏の夜は暑い――
(続く) 

*「日本近代随筆選 2大地の声」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
*「珊瑚集ー仏蘭西近代抒情詩選」(永井荷風訳 岩波文庫)
☆写真は、4月下旬にご近所で咲いていたリラ(ライラック)の花。いい匂いです。日本では北海道などでたわわに咲くようですが、この辺りでは、少ないです。
 英国にも 「詩集 ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)があるように、ライラックは涼しいというイメージと重なります。

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