みんなみすべくきたすべく

短夜の頃

水無月jj
(承前)
  「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)に入っている島崎藤村の「短夜の頃」も滑り出しが心地よい。
≪毎日よく降った。もはや梅雨明けの季節が来ている。町を呼んで通る竿竹売(さおだけうり)の声がするのも、この季節にふさわしい。蚕豆(そらまめ)売の来る頃は既に過ぎ去り、青梅を売りに来るにもやや遅く、すずしい朝顔の呼声を聞きつけるにはまだ少し早くて、今は青い唐辛(とうがらし)の荷をかついだ男が来はじめる頃だ。・・・≫

 ふーむ。昔はこんなにいろんな物を売りに来ていたのね。竿竹売の声は覚えているけれど、他は知らんなぁ・・・
 このあとに続く文の、およその各段落初めの言葉を並べてみます。
≪どれ、そろそろ蚊帳でも取りだそうか。≫
≪古くて好いものは簾だ。≫
≪団扇ばかりは新しいものにかぎる。≫
≪この節の素足のこころよさ。≫
≪茶にも季節はある。≫
≪新茶で思い出す。≫
≪この短夜の頃が私の心をひくのは、一つは黄昏時の長いことにもよる。≫
≪短夜の頃の深さ、空しさは、ここに尽すべくもない。≫

そして、最後。
≪露に濡れた芭蕉の葉からすずしい朝の雫の滴り落ちるような時もやってきた。あの雫も、この季節の感じを特別なものにする。≫

 リズムも流れも好みの一文でした。実際には、梅雨明けはまだ先。
 「水無月」でも食べて6月晦日といたします。
 ☆写真は、「水無月」二切れ。三角なのは、氷に似せた暑気払い、上の小豆は厄払いだとか。

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文頭も文末も

     ユングフラウヨッホjj
(承前)
 「日本近代随筆選」でリズムある文に出会うのは、たいてい、一行目、ないしは、初めの連や段落です。
 昔話でも小さい子のお話でも、絵本でも、とっかかりがうまくいくと、イメージしやすいし、お話にすっと入っていくことができます。カ・リ・リ・ロには、随筆も小説も、それと同じです。
 随筆なら、それに加えて、共感や、身近な話題も然りです。・・・・ということは、身近な話題から入り、納得の行く結末があって・・・という、小さい子どもの本や絵本と、やっぱり、同じじゃないかと気づいた次第です。

――幸田文「雪」の文頭も、いい。
≪空から降ってくるものはほんとにいい。しぐれも雹も雪もみんないい。去年は暮から春にかけて、実に雪が多くて楽しかった。≫
――文末もいい。
≪ほんの行きずりのことでも、心のたけの深さにはまいるものだ。今年も雪が降るだろう。もう私は雪とあの人を切りはなせない。≫(続く)

 「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
☆写真は、スイス ユングフラウヨッホ展望台から。

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鐘の声

      紫陽花j
 (承前)
 日本近代随筆選 1から3を読んでいると、バイアスのかかった作家だけでなく、あるいは、超有名な作家でさえも、時々、その文のリズムが、違うなぁ、読みにくいなぁというのがあります。

 そんななか、第一巻(枇杷の花)のときもそうでしたが、やっぱり永井荷風の文のリズムには強くひかれます。

「鐘の声」
≪住み古した麻布の家の二階には、どうかすると、鐘の声が聞こえてくることがある。鐘の声は遠すぎもせず、また近づきもしない。何か考えている時でも、そのために妨げられるようなことはない。そのまま考えに沈みながら、静に聴いて居られる音色である。又何事も考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがために猶更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。西洋の詩にいう揺籃の歌のような、心持のいい柔らかな響きである。・・・・・・≫「日本近代随筆選 2大地の歌」

 で、選ばれ抜かれた言葉の連なり!多分、作家本人は、選び抜くという苦労なく、言葉が出てくるのかもしれません。

≪・・・若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨(ぬかあめ)の雫が葉末(はずえ)から音もなく滴る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞こえてくる鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が楚辞にもたとえたい。・・・≫

 それにしても、「鐘の音」とせず「鐘の声」としたところに、その奥深さを見ます。(続く)

 「日本近代随筆選 1出会いの時」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 「日本近代随筆選 3 思い出の扉」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
☆写真は、平安神宮神苑紫陽花。今年の紫陽花は、いつもより長く咲いている気がします。

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ホトトギスが鳴いた

      半夏生j
  以前の家は山の斜面を開発したようなところにあったので、ホトトギスが鳴くのを毎年耳にしていました。
 ここ、街の住宅地では、滅多に聞くことができませんが(→→)、5月も半ば、山に近いところに行ったとき、高らかに「テッペンカケタカ」とホトトギスの声。

 しかも、その駅に着くまで、電車で読んでいたのが日夏 耿之介「ほととぎすを聴くの記」でしたから、ちょっとびっくり。5月に読んでいた「日本近代随筆選」 の第二巻「大地の声」に入った一文です。
 「日本近代随筆選 2大地の歌」(千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)

 ホトトギスの鳴き声を聞いたことのなかった作者が、人生初めて聞いた日というのが、友人の死という、随筆です。初夏の訪れを告げるだけでなく、ネガティブなイメージにもつながるホトトギスでした。

 作者の日夏 耿之介は、編者の一人、長谷川郁夫の大著「堀口大學 詩は一生の長い道」(河出書房新社)を読んで以来、バイアスのかかったままの作家なので、なかなか素直に読めませんでしたが、翌週、同じ場所でホトトギスの声を耳にしたときは、単純に♪卯の花の匂う垣根に~♪と口ずさみ、季節を耳と肌で感じておりました。(続く)
☆写真は、平安神宮神苑の半夏生

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夏越の祓

茅野輪くぐり中j
(承前)
 さて、平安神宮の境内に入る門に写真のような茅の輪がありました。横に「水無月の夏越の祓する人は千年(ちとせ)のいのち のぶといふなり」と書いてありました。

 これは、一年の半分6月末に半年分の厄払いをする習わし、「夏越の祓(なごしのはらえ)の茅の輪くぐり」(ちのわくぐり)で、この輪を左・右・左と8の字を書くように3回くぐって中に入ります。
 
 毎年、6月末に「水無月」というお菓子(ういろうみたいな三角のお菓子)で、一年の半分のご苦労さんと残り半分の頑張りを賞味 祈念していましたが、今年は、パワーアップの厄払い!夏も頑張って乗り切ろう。
 が、しかし、やっぱり、6月末には、「水無月」も食べます。今年は、どこの水無月にしようか・・・

☆写真上は、平安神宮境内を向いて、写真下は、境内から鳥居を見て。
茅野輪くぐり外j

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平安神宮神苑

睡蓮ピンク
 平安神宮に行ったのは、いつ以来でしょう?
近くの三つの美術館には、よく行って居るし、神宮道の和菓子屋さんは、強い引力を感じるし・・・他にも近辺はウロウロしたのに、平安神宮そのものは、長い間、行ってなかった。平安神宮って、新しいからねぇ・・・
      睡蓮きいろj
 もしかしたら、40年ぶり?
 しかも、その神苑と呼ばれる庭は、初めてかもしれない。
 先日、友人が、そこの花菖蒲の写真を送ってくれたので、行ってみたいと思っていました。今は「睡蓮」の時期でした。
睡蓮赤紫j
 しだれ桜や、紅葉や、他のシーズンも楽しめそうですが、今は、ひっそりと入場者も少ない。
 平安神宮本体の方は、修学旅行生や遠足の子どもたち、内外の観光客でにぎわって居るのに。神苑は、別世界。(続く)
       睡蓮白j
 

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江戸の植物画

     椿j
(承前)
 京都文化博物館の「イングリッシュ・ガーデン―英国に集う花々」展の階下の会場では、「江戸の植物画」展もやっていました。(~2016年6月26日)
 個人的には、こちらの方が新鮮味があって、面白い展示でした。

 で、階上の英国キュー・ガーデン所蔵のものより、はるかに古い作品を見ていると、急に愛国心が芽生えます。「さすがですね、日本は・・」と。ところが、西洋の文化を取り入れだした作品には、魅力が半減するのは、眼にバイアスがかかっているんでしょうか。
(「江戸の植物画」展となっていますが、江戸より古い文献や作品、大正・明治期のものもあります)

 確かに、英国ボタニカルアートの植物図は、繊細で、写真で撮ったものより、図鑑に適している絵です。反対に日本の古くからの植物画は、それらより、デフォルメされて描かれていると思います。
 が、上記写真の「百色椿」という17世紀末から18世紀前半だと考えられている作品の装飾性の豊かなこと。他にも「芍薬図鑑」や「桜花二十品図巻」等、図鑑としての意味だけでなく、「綺麗ねぇ」と眺めるだけでも、楽しくなる作品があり、研究対象だったとは言え、肩の力の抜けた先人の遊び心が感じられるのです。

 また、円山応挙の写生図冊という冊子を見ていると、植物をまず写生し、その後、数々の作品に反映させていった道筋がわかるようでした。これは、応挙自身の備忘用とした門外不出の手控え帳とありました。それで、他の絵師たちが描いた植物画の手控え帳も残っているなら、見たいものだと思いました。

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イングリッシュ・ガーデン

イングリッシュガーデンj
 京都文化博物館の「イングリッシュ・ガーデン -英国に集う花々ー」展に行きました。(~2016年6月26日)
 ロンドン郊外のキュー王立植物園所蔵の絵を出展していました。プリントされたボタニカルアートの出展が多く、以前、キューガーデンに行ったときに買って、今や我が家のトイレの壁にある絵のようでしたから、個人的には新鮮味がありませんでした。

 が、しかし、マリアン・ノースのコーナーには、多分、キュー・ガーデンの建物に埋め尽くされている絵以外の作品(古本海ねこエッセイ8月7日分→→→)が来ていましたので、ちょっと嬉しく、鑑賞できました。
 キューガーデンにあるマリアン・ノースの作品の多さ・・・というか、執念に近い作品群は、この「イングリッシュ・ガーデン」展の底にある、英国人が、世界中の植物を持ち帰り、分析研究した執念深さとつながります。また、ロンドン大英博物館に展示されている、各国の古代物にしても、英国人の持ち帰りの気質(?)は、いろんな分野に至っているんだろうなと思います。(続く)
☆写真は、英国ヘミングフォードグレイ村近郊の民家の前庭。

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夏が近づいてきた

紫陽花とテッセンjjj
  3月下旬の娘の入院以降、 気ままな時間の有難味がわかった日々でした。思えば、いつの間にか、梅雨の真只中。昨日は、夏至だし、7月は目前。

 実はもう、このブログの再開も産休どころか、さらに育休、延長・・・あるいは、退去という形を取ろうかと思う気持ちが大きくなっていました。

 かつて、カ・リ・リ・ロ自身の産後や子育て時期、その大変さの「はけ口」を、どこに見出していたか・・・ともかく、家を離れられない時期、誰かとつながっていたくて、電話をしたり、手紙を書いたり・・・挙句は、「お元気ですか?」と、子育てと絵本のことを書いた葉書を毎月投函するに至りました。お返事が欲しくて・・・です。
 他にも、絵本周りの通信を同好のお友だちと書いていたこともありました。
 するうち、お母さんたちと絵本の勉強会をするようになって、外に出られるようになって・・・
 ただ、お返事欲しさは、ぼそぼそと書き続けてきた、このWEB通信になってからも変わらないものの、一方通行は、加速気味。
 所詮、誰が見るか分からない、あるいは、誰も見ないかもしれない、気ままな呟きにすぎないのですから、無理せず、書いていこうと思います。

 さてさて、今、海外旅行にでているお友だち、先刻、イギリスから絵葉書をくれたお友だち、夏にイギリスなどに行くお友だち。 さあさ、バアバにも、 カ・リ・リ・ロにも夏が近づいてきたぞ。
☆写真は、紫陽花とテッセンのお菓子。この繊細さ。この美味しさ。

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教科書通りには行きません・・・

さきちゃん手j
 新米ママと孫は、新米パパと同じ屋根の下で暮らし始め、なんとか、産休8週間になる前に、新米バアアも画面に向かうことができました。やれやれ・・・

 プールに行き、非常勤の仕事にも出ていましたが、行き帰りの電車は、本を開く間もなく、ぐっすり・・・すっかり、隣の人の迷惑になっていたと思います。
 日に日に O!DE BU ちゃんになる孫に目を細めておりました。
 
 担当する保育の授業に、生きた教材を反映することができたのは、バアバとしても有難いことでした。
 ま、教科書通りに行かないのが、人の赤ちゃんではありますが・・・
 

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