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みんなみすべくきたすべく

手拍子で書くようなもの

五月の薔薇12j
(承前)
 子どもの頃、「ドリトル先生」シリーズが好きだった話は以前、海ねこさんに書きました。(→→
 その訳が、作家 井伏鱒二であるのを知るのは、ずっと後になってからです。
 井伏鱒二と編集者だった石井桃子とのつながりを知るのは、さらに後になってからです。

 今回の「日本近代随筆選 1出会いの時」(全三冊 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)に、井伏鱒二≪「が」「そして」「しかし」≫という題の随筆がはいっていました。
 このちょっと一風変わったタイトルの随筆では、ユーモアの空気を感じます。

 始まりは、こうです。
≪お前の文体は―――と聞かれたら私はシャッポを脱ぐ。交番で問いつめられたって同様である。気持ちのいい文体。浄化された文体。そんなのを成就することは自分には出来ない相談の一つである。もう一つ出来ない相談のうち、取扱う一つ一つの素材に対し、いちいちその素材に適応するような文体が文体が生まれたらどうだろうというのがある。≫
 
 そのあと、≪私は文章を書くとき語尾に手こずっている。≫とし、タイトルの「が」「そして」「しかし」のエピソードに。
 あるいは、≪自分の希望するのは、文体の浄化というよりも、書きたい材料に巡りあわすことである。≫≪現在では私は筋書きが欲しい。≫等といいながら、最後の文に。

≪私は言葉に調子をつけた文章はなるべく避けたいが、無理をして書くときには古めかしい調子のついた文章になる。手拍子で書くようなものになって来る。新聞を読むのに昔の老人が調子をつけて朗読するようなもので、読み易いから調子をつけるだけのことなのだ。私の気の向かないときに文章を書くと、安易に流れて私の祖父が新聞を音読していたときの調子が出る。後味が甚だよろしくない。この文章もその一例である。≫

 うううっ!落ちがついてる!(続く)

*「ドリトル先生 アフリカゆき」(ロフティング・作 井伏鱒二・訳 岩波書店)
 

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