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生活の沼

五月の薔薇5j
(承前)
 「モーパッサン短編集Ⅰ」は、そのテーマを田舎ものとしています。

 素朴に、たくましく、貪欲に生きる田舎の人たちを面白おかしく、時に哀しく、時に残酷に、時に軽妙洒脱に描いています。もしかしたら、未来の超大作のためにとっていた文章スケッチのような短編も見受けられます。

 「田舎娘のはなし」は、文字通り田舎物語で、現代では考えられないような不当な扱いを受けても、生命力にみなぎる田舎娘を描いています。あとがきには、トルストイから苦言を呈された小説とありましたが、印象に残る結末でした。
 モーパッサン作品の結末は、えっ?とか、ふーん、そうくるか・・・と、意表をつくものが多いのが、面白い点の一つなのかもしれません。

 「アンドレの災難」は、今なら、虐待の話として扱われることでしょう。が、残酷なのに、それを滑稽譚にしてしまう軽妙さ。夫が留守の間に、やってきた大尉。マチルダの寝室の隣には、1歳2か月の息子アンドレ。その息子が大泣きして・・・

 もう一つの夫を裏切る話「奇策」も、可笑しい。なにせ、夫がもうすぐクラブから帰ってくるのに、愛人が部屋で死んじゃったのですから。・・・・とまあ、生活の一端と市井の人々のちょっとした心の揺れを描くのが上手いと思います。

 厳しすぎる目で田舎の暮らしを書き、残酷な印象しか残らない作品もありますが、そんな短編も、もし、モーパッサンがもっと生きて、さらなる長篇に書き込んでいたら・・・と、思ってみたりもするのです。

 訳者の青柳瑞穂はあとがきで、こういいます。
≪じっさい、彼の師フローベールは、読書と詩作に己れの資源を求めていたのに反し、モーパッサンは生活そのもののなかに求め、生活の沼から手づかみに泥をすくいあげて、そのまま原稿用紙の上にぶちまけたという感じだ。フローベールの作品のように、芸術品として洗練された香気のないかわり、モーパッサンには生活そのもののような生々しい、体臭がふんぷんとしていて、彼の作品が今日に生きているゆえんである。≫(続く)

「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫) 

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