みんなみすべくきたすべく

歳の差10歳

あじさいj
 思い返すと、我が母は、本当によく産後をサポートしてくれましたし、その後も、孫たちを連れてよく遊びに出かけておりました。母は当時、フルタイムで働きに出ていましたので、今思うと、大変だったろうに、色々なことを手助けしてくれました。
 そして、母がしてくれたのと同じように、我が娘と孫にしようと思ったものの、思いの他 大変。

 カ・リ・リ・ロが第一子を産んだとき、母は52歳でした。夫の母は、50歳でした。先日誕生日を迎えて62歳になったカ・リ・リ・ロより10歳、あるいは10歳以上も若くして、彼女たちは、おばあちゃんになっていました。
 というわけで、当然、その差10歳分が、いまこの両肩にかかっているというのが、現実。

 沐浴のお湯を用意・処理、小さなベビー服の洗濯をし、我が子に会いに毎晩やってくる若きパパも含めた夕飯の用意。大きく言えば、増えた負担は、そのようなものですが、若くないのよねぇ、と呟く日々。
 とはいえ、孫の上々の表情(新生児微笑のときはもちろん、泣いても、しかめっ面をしても・・・)に癒される日々。

  さて、娘の産後4週間たち、予想通り、カ・リ・リ・ロにとっての気ままな時間は激減。法律でいう産後休暇8週間とはいいませんが、少し休みます。

モビールjj

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夏にイギリス!

    けるむすこっと むこうj
  関東に住む大学生の甥が何故か、イギリスのファッション、しかも、最新ではない渋めのファッションに興味があって、特に最近は、アンティークや、古いお屋敷にも興味が出てきたよう・・・(ひ・ひ・ひ・・)

 そして、我が誕生日に関西に現れた彼は、紅茶をプレゼントしてくれました。英国紅茶の本を読んだというから、可愛いじゃありませんか。(ほ・ほ・ほ・・・)

 また、うちにある、銀のポットや、スプーンなど、写真を撮って、すぐUPしていましたので(何に?)、うちのリビングは、世に公開されている模様。(へ・へ・へ・・・)

 それで、夏には短期間語学研修と称した、ロンドン観光に出かけるようなので、スーツケースを貸し、何冊かの英国お屋敷本や、田舎本を、贈呈しておきました。(は・は・は・・・)
 
 彼と、英国の話をしているとき、英国に2年住んでいた娘と 私は、ああ、と何度ため息をついたことでしょう。夏にイギリス!若いのはいいねぇ。どこを薦めておいたかって?(ふ・ふ・ふ・・・)

 さて、娘の作品を、再度、展示する旨、連絡がありました.。7月前半、渡英する人で、ご興味のある方はご一報ください。

☆写真は、英国ケルムスコットマナー

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小さなイケメンの毘沙門さん

       塔頭4j
 (承前)
 建仁寺塔頭 霊源院、ほんのすぐそこに、祇園歌舞練場があるし、花見小路があるし、反対側には、八坂の塔に通じる八坂通りはあるし・・・それなのに、この小さな塔頭には、静かな時間が流れていました。
 塔頭2j
 お庭の公開中、お庭を見ながらのお茶席があります。一日限定10席です。珍しい様式のにじり口から入っていただいたのは、おうすと甘茶の花を模して創られた洋と和コラボのお菓子。ゆったりと贅沢に美味しくいただきました。6月には蛍の放生会もあるようです。
         塔頭7jj
塔頭9j
  中巌圓月坐像と、その胎内秘仏である毘沙門天立像などを拝観できるのですが、胎内にいたイケメンの小さな毘沙門さんは、状態もよく、手に持つ水晶玉も綺麗でした。(下の写真チケットに写っていますが、写真より実物の方が遥かにいいですよ))
塔頭3j

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甘茶

       塔頭6jj
 孫の沐浴の手伝いがあって、早く帰らねばと、お習字のお稽古は切り上げても、午前の京都遠足は行きました。
 建仁寺の塔頭 霊源院のお庭公開。(~2016年6月19日)
 甘茶(ガクアジサイの変種)の花ざかりでした。
塔頭1j
  4月8日の花まつりに仏像にかける甘茶で、文字通り甘いお茶だそう。残念ながら飲んだことがないものの、お茶屋さんでは扱ってなくて漢方で扱われているらしい。
 花の咲く前の柔らかい葉から作られるようなので、お庭全体に花が咲いている状態では、お茶はできません。
 が、紫陽花では、あんまり見かけない蜂が、ぶんぶん飛んでいましたから、きっと全体に甘さが溢れているんでしょう。(続く)                      塔頭5j

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挿絵が無ければいゝと思ふことさえある。

      五月の薔薇15j
(承前)
 さて、その谷崎潤一郎と小出楢重のつながりは、作品の作家とその挿絵を担当した画家の関係、お互い阪神間に在住、それに、我が家の近くにある谷崎潤一郎記念館と、移築された小出楢重のアトリエ(写真下)は小道を挟んで隣り合わせ・・・といったことしか知りませんでした。
 
 ところが、谷崎と小出の関係は、結構深いものだったようです。
 谷崎の新聞連載小説「蓼喰ふ虫」の挿絵を小出が担当しましたが、作家と画家という関係を越えて、その作品のイメージの源泉に、二人の交友関係や小出楢重の生活なども反映したのではないかと、小出楢重の孫、小出龍太郎編著「小出楢重と谷崎潤一郎  小説『蓼喰ふ虫』の真相」(春風社)ではいいます。
 それは、当時、斬新で注目度の高かった「蓼喰ふ虫」の挿絵画家の自負を、孫が証明しようとしている作業のように思いました。また、谷崎自身も、小出の絵の出来上がりを楽しみにし、その業績に励まされ筆を執ったと述懐しています。

 この「小出楢重と谷崎潤一郎」という本には、小出龍太郎の他、二人の文も寄せられています。その中の「『蓼喰ふ虫』執筆状況と挿絵をめぐって」(荒川朋子)に、小出楢重の挿絵の持論が引用されています。

≪・・・・挿絵があまり詳細に事件や主人公や風景を説明しすぎて実感が現れ過ぎてゐると、私は反って私の心に現れて来るものを大変邪魔されることが多いので、反ってむしろ挿絵が無ければいゝと思ふことさえある。・・・・・・・(中略)・・・・・挿絵としては、詳細な写実を私は好まないが、それは写実がいけないのではなく、下手な写実から起る処の不愉快な実感の現れを私は嫌がるのである。本当の意味の写実は最も必要で、その写実が含まれない限り、人の想像を豊かにする事はできない。≫(「挿絵の雑談」小出楢重) 

                 アトリエj

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大阪言葉小片

       五月の薔薇10j
(承前)
 「日本近代随筆選 1出会いの時」(全三冊 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)を買って、まず、電車の中で、目次を見ていたら、「大阪言葉小片」(森田たま)とあったので、この短い文から読みました。
 次に読んだのは、その前に掲載されている「雑念」という小出楢重の文でした。なぜ、この順番だったか。

 「大阪言葉小片」の冒頭
≪五年程前の事と思うが、岡本の谷崎先生のお宅に伺った折、あの眸の美しいお妹さんとしばらく話をした事がある。≫とあります。谷崎潤一郎記念館は、うちのごく近く、神戸岡本は、以前の住居に近く。それに、移築された画家小出楢重のアトリエは、谷崎潤一郎記念館の隣の敷地に立っている。・・・という個人的な土地勘から文を読んだというわけです。

 さて、「大阪言葉小片」は、どうせ、関東の人が大阪弁を「おちょくっている」んだろうと思い、どんなもんかと読みましたら、好意的であるけれど、「上から」目線を感じました。「いちびる」とか「ほたえる」とか、また、特に「はりこむ」などは、今も、使用頻度は高いと思われますが、女中さんが「伊藤松坂屋の前」と間違えた、「いとうおまっさかい」は、なかなか耳にせぇへんなぁ・・・
 カ・リ・リ・ロは神戸生まれ神戸育ちで、大阪や京都とも、少しづつ言葉が違うから、よう、しらんだけやのん?

 それで、続けて読んだ小出楢重の随筆は「雑念」という、ひたすら「算術」がきらいだ!きらいだ!きらいだ!の文でした。
 加えて、この「日本近代随筆選 1出会いの時」の表紙は小出楢重「地球儀のある静物」(続く)

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手拍子で書くようなもの

五月の薔薇12j
(承前)
 子どもの頃、「ドリトル先生」シリーズが好きだった話は以前、海ねこさんに書きました。(→→
 その訳が、作家 井伏鱒二であるのを知るのは、ずっと後になってからです。
 井伏鱒二と編集者だった石井桃子とのつながりを知るのは、さらに後になってからです。

 今回の「日本近代随筆選 1出会いの時」(全三冊 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)に、井伏鱒二≪「が」「そして」「しかし」≫という題の随筆がはいっていました。
 このちょっと一風変わったタイトルの随筆では、ユーモアの空気を感じます。

 始まりは、こうです。
≪お前の文体は―――と聞かれたら私はシャッポを脱ぐ。交番で問いつめられたって同様である。気持ちのいい文体。浄化された文体。そんなのを成就することは自分には出来ない相談の一つである。もう一つ出来ない相談のうち、取扱う一つ一つの素材に対し、いちいちその素材に適応するような文体が文体が生まれたらどうだろうというのがある。≫
 
 そのあと、≪私は文章を書くとき語尾に手こずっている。≫とし、タイトルの「が」「そして」「しかし」のエピソードに。
 あるいは、≪自分の希望するのは、文体の浄化というよりも、書きたい材料に巡りあわすことである。≫≪現在では私は筋書きが欲しい。≫等といいながら、最後の文に。

≪私は言葉に調子をつけた文章はなるべく避けたいが、無理をして書くときには古めかしい調子のついた文章になる。手拍子で書くようなものになって来る。新聞を読むのに昔の老人が調子をつけて朗読するようなもので、読み易いから調子をつけるだけのことなのだ。私の気の向かないときに文章を書くと、安易に流れて私の祖父が新聞を音読していたときの調子が出る。後味が甚だよろしくない。この文章もその一例である。≫

 うううっ!落ちがついてる!(続く)

*「ドリトル先生 アフリカゆき」(ロフティング・作 井伏鱒二・訳 岩波書店)
 

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枇杷の花

       五月の薔薇13j
(承前)
 ご近所の薔薇の花の写真を、ここしばらく使っていますが、そろそろ薔薇の季節から紫陽花に・・・という時期に、季節外れな「枇杷の花」の文が、「日本近代随筆選 1出会いの時」(全三冊 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)にありました。
 
 これは、永井荷風の随筆です。この書き出しのリズムに強く惹かれ、文字を追いました。
 ≪『顔を洗う水のつめたさが、一朝ごとに身に沁みて、いよいよつめたくなって来る頃である。昼過に何か少し取込んだ用でもしていると日の短くなったことが際立って思い知らされるころである。暦を見て俄にその年の残った日数をかぞえて見たりするころである。菊の花は既に萎れ山茶花も大方は散って、曇った日の夕方など、急に吹起る風の音がいかにも木枯らしく思われてくる頃である。梢に高く一つ二つ取り残された柿の実も乾きしなびて、霜に染まったその葉さえ大抵は落ちてしまうころである。百舌(もず)や鵯(ひよどり)の声、藪鶯(やぶうぐいす)の笹啼(ささなき)ももうめずらしくはない。この時節に枇杷の花が咲く。」≫
 
 枇杷の花の季節がいつなのか、知らない者も、こんな季節のことならわかります。
 そして、この後、枇杷の花の見栄えのしない様子が書かれ、家に一株の枇杷の木がある・・・と続きます。 

 永井荷風には「珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選」(岩波文庫)もあります。
 その訳詩のリズム、この随筆のリズム どちらも好みです。
 
 蛇足ながら、上記の引用は文頭のものですが、「頃」と「ころ」を使い分けているのも面白い。(続く)
 

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触覚について

五月の薔薇6j
(承前)
「日本近代随筆選 1出会いの時」(全三冊 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)の中に、音楽家(作曲・箏曲家)の宮城道雄の「触覚について」という一文が載っています。
 ≪「私は、盲人であるので、ものの形を目で見るかわりに、手の感覚で探って見るわけである。」≫で、始まるこの文は、この人の生涯に吹いたと思われる大きな風や冷たい風を想像することができない、前向きで優しい「目」を持つ文章だと思います。

 ≪「私は、よく、春先になると、庭に下りていろいろの花とか、植木の葉とか、木の枝の曲がりぐあいや張りぐあい、また下草の芽生えの柔らかいのなどを、撫でてみることがある。それは私には、目明きの人が目で見るのと同じように、のどかで楽しい気持がするのである。そして時々庭を歩いてそれらを探っては、日増しに、いろいろの草木が伸びて行くのを知るわけである。庭石など手ざわりでどういう石かということもわかる。」≫

 この春の息吹を感じる指先の感性が、箏曲「春の海」につながり、花や葉に触れることと、箏に触れ表現することが、彼にとって、同じ線上にあったことがわかります。

 さて、今、カ・リ・リ・ロのそばで、小さな手を動かし、その手に触れるものを知ろうとしている新生児は、この文の最後と重なります。
≪「・・・・・私は手やからだに触れるものだけでも、楽しいものや怖いものがあるものだと思うと、非常に面白く感じられる。・・・」≫(続く)

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電車の中で読める本

五月の薔薇14j
  まだ全巻刊行されたわけではないけれど、随筆のアンソロジーなので、読んだ順番に書き留めてもいいと、勝手に思っています。
 まず、一冊目は4月刊行の「日本近代随筆選 1出会いの時」(全三冊 千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重編 岩波文庫)
 編者の一人長谷川郁夫は、かの大著「堀口大學 詩は一生の長い道」(河出書房新社)・・・ああ、このずっしり重い本のことは、まだ書けていない!腰を据えて書かねばならないと思いつつ、もはや半年。嗚呼。ずっと、枕元に置いてあるのです。

 閑話休題。
 今や、我が家は新しい愛おしい命に翻弄される毎日。電車で爆睡する前に、ちらとでも読める本が、この随筆選でした。どれも、短く、また選ばれたアンソロジーなので、なるほどぉと思ったり、そうだったのか・・・と思ったり、短時間で文学体験できるのが嬉しい。

 とはいえ、いくら選ばれし随筆であっても、いくら、チョー有名な文豪や文化人の文であっても、この一人の読者が、すべて、読みこなせるとは限らず、あるいは、途中でやめるのもあります。
 そこで、今頃気づいたことなのですが、どうも、読んでいてしっくりこないのがあるとするなら、その言葉の流れ、リズムが、カ・リ・リ・ロと合わないのではないかと思うのです。人それぞれにある、言葉のリズム・・・
 それは、いつから貯められていったのでしょう。
 生理的な表情の変化を見せる新生児を飽かず見ていると、もしかしたら、こんな時期から、言葉のリズムの好みはできていくのかもと思います。(続く)

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王羲之から空海へ

五月の薔薇11j
 「王羲之から空海へ  日中の名筆 漢字とかなの競演」展(~2016年5月22日:大阪市立美術館)
 朝一番に出かけましたが、すでに並んでいて、会場を後にする時は、入場するのに列ができていました。会期終了間際だったからかもしれませんが、意外や意外、たくさんの人が来場していていました。
 また、聞こえてくる言葉に、日本語以外、あるいは、少々日本語のイントネーションと異なる言語の人も居て、「日中 漢字とかなの競演」というサブタイトルが生きているなと感じました。

 書をほんの少し習ってはいても、どの書がどうとか言える立場ではなく・・・しかしながら、作品の雰囲気が、好みのものもあり、子どもの書き初め展示以外で、書だけの展覧会は初めてかもと思いながら、展示を楽しみました。

 もちろん、一文字一文字の美しさは、作品すべてにいえるのですが、好みのものは特に「かな」に、多かったかもしれません。どれも似ているように見えて、それぞれ個性的。伝紀貫之も、西行も小野道風も藤原定家も、似て非なるもの(当たり前ですが)。

 平安になると、紙も綺麗で素敵です。後世とはいえ、表具されたものを見るのも楽しい。

 一字一字、神経を集中させ、一気に書くのだと聞いてはおりますが、ま、どの書も、カ・リ・リ・ロが先日、何枚も何枚も書き損じた命名紙のようなことはない様子。
 精神修養が足らん!と書の向こうから聞こえてきそうな気がしました。
 

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戦争を呪い、その愚かさを強調する

五月の薔薇2j
(承前) 
 モーパッサンは岩波文庫に、高山鉄男訳の「脂肪の塊」「モーパッサン短編集」もあります。その二冊には、挿絵・カットも入っています。特に「脂肪の塊」の方は、短い話の中に何枚かの絵(ピエール・ファルケ画)が入っていて、もとの本は、さぞや美しかっただろうなどと想像します。個人的には、挿絵なしの新潮文庫で十分楽しめましたが。

さて、岩波文庫「脂肪の塊」のあとがきには、≪戦争を呪い、その愚かさを強調する≫モーパッサンの文章の一例が挙げられています。「戦争」と題された時評の一部です。

≪人食い人種が話題になると、これらの野蛮人よりも、われわれのほうがはるかにすぐれていると公言して、得意そうに笑ったりする。しかし本当の野蛮人とは誰のことだろう。負かした相手を食うために戦う人間だろうか。それとも、殺すため、ただ殺すためにだけ戦う人間だろうか。≫

 短編集ということで、長編に挑むというより、ずいぶん、気楽に読んだはずの、新潮社「モーパッサン短編集Ⅰ~Ⅲ」でしたが、その短い話の数々には、凝縮された人間の性(さが)が描かれ、文学の奥深さを、再認識した次第です。

「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫) 

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ふたりの太公望の話

五月の薔薇9j
(承前 )
  さて、「モーパッサン短編集 Ⅲ」は戦争もの・怪奇もの(一部、都会ものも含む)だとありました。
 その三分の一を占める戦争ものは、以前読んだ「水車小屋攻撃他7篇」 (エミール・ゾラ 朝比奈弘治訳 岩波文庫)と並んで興味深く、重たく、深いテーマをしっかり伝えています。三冊のうちで一番心に残った作品が多かったかもしれません。ともかく、モーパッサンの結末は、あっと言わせたり、うーん、そうくるか、と、うなったり、というのが、魅力の一つでもあるので、特に戦争ものとなれば、絶句・・・というのも、多々ありました。

  「水車小屋攻撃」のときも長い引用をしましたが、田舎の素朴な風景、自然の美しさ大きさ・・・それらと人間の愚かさを対比させるのが、ゾラもモーパッサンもうまいのだと思います。ゾラ(1840-1902)モーパッサン(1850-1893)

 ゾラより少し若いモーパッサンは、ゾラの声かけで、「メダン夜話」という共著の作品集に参加します。≪反戦的な傾向を明白にしているとは言えないまでも、戦争の愚かさと惨めさを冷めた目で見ている点では共通している≫6篇が収録されている作品集のようで、ゾラは「水車小屋攻撃」モーパッサンは「脂肪の塊」を発表しているのです。(「脂肪の塊」解説:高山鉄男訳 岩波文庫 )
 
  戦争ものの短編「二人の友」は、釣り好きの二人のおじさんの話です。
≪・・・どうかすると、二人は口さえきかない日もあった。ときにはおしゃべりもした。が、ともかくも、趣味も似ていれば、ものの感じ方も同じだったので、何を言わなくても、二人の心はちゃんと通じていた。   春は朝の十時ごろ、若やいだ太陽が、水ともどもに流れる、あのかすかな陽炎(かげろう)を静かな河面にただよわせ、二人の太公望の背中に陽春のこころよい温気(うんき)をそそぎかける時分になると、モリゾーは、思い出したように、隣の男に声をかける。「どうです!いい気分ですなぁ」すると、ソヴァージュさんもあいづちをうつ。「これにかぎりますよ」ただそれだけで、二人はたがいに理解し、心を許し合うことができたのである。≫
こんな牧歌的で穏やかな文の結末、いや、展開自体も、心に残るものとなります。ちなみに、この話は、高山鉄男訳(岩波文庫)の「モーパッサン短編集」にも選ばれています。(続く)

「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫) 

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陽春の好天気がつづく

五月の薔薇7j
(承前)
 「モーパッサン短編集Ⅱ」は、都会ものの短編が収録されています。

「短編集Ⅰ」に書かれた田舎の貪欲さは、影をひそめ、「短編集Ⅱ」では、田舎とは違った皮肉や見栄が表れます。
 もちろん、そこにも、時に可笑しく時に哀しく、人間模様が書かれます。水辺での話が多いのも「短編集Ⅱ」の特徴かもしれません。
  以下の「春に寄す」という短編の出初めは、どうでしょう。セーヌであろうが、19世紀であろうが、今年の日本の春であろうが、若かろうが、老けていようが、同じ気持ちかと思います。

≪ようやく、陽春の好天気がつづく。大地は目ざめて、若返る。空気のかぐわしい温気(うんき)が、肌をなで、胸に入り、心臓そのものにまでしみこむかと思われる。このような季節になると、なんということもなく、幸福にたいする漠然とした欲望がわいてくる。ただ走ってみたい。出まかせに歩いてみたい。何かいい目にありつきたい。春を満喫したい。そんな欲望にかられる。≫

 ただ、この和やかな空気は、日本なら3月の終わり4月の初めといったところですが、そこはヨーロッパのこと、この文は5月なのです。(続く)

「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫) 

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生活の沼

五月の薔薇5j
(承前)
 「モーパッサン短編集Ⅰ」は、そのテーマを田舎ものとしています。

 素朴に、たくましく、貪欲に生きる田舎の人たちを面白おかしく、時に哀しく、時に残酷に、時に軽妙洒脱に描いています。もしかしたら、未来の超大作のためにとっていた文章スケッチのような短編も見受けられます。

 「田舎娘のはなし」は、文字通り田舎物語で、現代では考えられないような不当な扱いを受けても、生命力にみなぎる田舎娘を描いています。あとがきには、トルストイから苦言を呈された小説とありましたが、印象に残る結末でした。
 モーパッサン作品の結末は、えっ?とか、ふーん、そうくるか・・・と、意表をつくものが多いのが、面白い点の一つなのかもしれません。

 「アンドレの災難」は、今なら、虐待の話として扱われることでしょう。が、残酷なのに、それを滑稽譚にしてしまう軽妙さ。夫が留守の間に、やってきた大尉。マチルダの寝室の隣には、1歳2か月の息子アンドレ。その息子が大泣きして・・・

 もう一つの夫を裏切る話「奇策」も、可笑しい。なにせ、夫がもうすぐクラブから帰ってくるのに、愛人が部屋で死んじゃったのですから。・・・・とまあ、生活の一端と市井の人々のちょっとした心の揺れを描くのが上手いと思います。

 厳しすぎる目で田舎の暮らしを書き、残酷な印象しか残らない作品もありますが、そんな短編も、もし、モーパッサンがもっと生きて、さらなる長篇に書き込んでいたら・・・と、思ってみたりもするのです。

 訳者の青柳瑞穂はあとがきで、こういいます。
≪じっさい、彼の師フローベールは、読書と詩作に己れの資源を求めていたのに反し、モーパッサンは生活そのもののなかに求め、生活の沼から手づかみに泥をすくいあげて、そのまま原稿用紙の上にぶちまけたという感じだ。フローベールの作品のように、芸術品として洗練された香気のないかわり、モーパッサンには生活そのもののような生々しい、体臭がふんぷんとしていて、彼の作品が今日に生きているゆえんである。≫(続く)

「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫) 

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貪欲さや悲惨さとの対比

五月の薔薇4j
(承前)
 田舎ものを集めた「モーパッサン短編集Ⅰ」の自然描写は、三冊の中でも、特に美しいものが多いような気がします。多分、田舎暮らしの貪欲さや悲惨さとの対比もあると思います。

 「牧歌」という汽車の中での話は、同郷、同席、空腹、乳・・・
≪太陽は空にあがって、沿岸に火の雨を降りそそいでいる。ころは、五月の終り、気持ちのいいにおいが、あたり一面に飛び舞い、ガラス窓のおりている車室のなかにまで侵入してくる。オレンジの木も、レモンの木も、いまが花ざかりで、その馥郁(ふくいく)たる、甘くて、はげしくて、悩ましい香気を静かな空に発散して、バラの香に混じている。バラは、華麗な庭園といわず、あばら家の戸先といわず、田野といわず、沿線のいたるところに、まるで雑草のように生えているのである。≫
うーん、薫ってきそうです。

 「帰郷」の出だしはこうです。眼に見えるようです。ちょっと、青柳瑞穂訳(新潮文庫)と高山鉄男訳(岩波文庫)を比べてみます。どっちの言葉運びがお好きでしょう?

≪海は小きざみの単調な波で岸壁を打ち、白いちぎれ雲が疾風(はやて)にさらわれて、まるで鳥の群れのように、ひろい青空をすっ飛んでいく。ところが、その村は、海にだらだらとおりる谷あいで、ぬくぬくと日なたぼっこをしているのである。≫(青柳瑞穂訳)

≪海は、単調な波で小刻みに岸壁をたたいている。小さな白い雲が、疾風(はやて)にあおられ、青い空を鳥のように飛んでいく。谷は、海に向かってくだっている。谷間(たにあい)の村は、日をあびてぬくぬくと暖まっていた。≫(高山鉄男訳)(続く)

「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫) 

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モーパッサン短編集Ⅰ~Ⅲ

          五月の薔薇1j
(「中編小説部門」から続き)
(承前) 
 読んだらすぐ書く、の時間がなかなか見つけられなかった長い春休みも、とっくの昔に終わり、その間に、新人もやってきて・・・・
せっかく面白く読了した文庫本三冊のことは書いておかなくちゃ、すぐに忘れちゃうのに、読み終えたのは梅の頃。ということで、もう一度ページを繰らねば・・・。

 やっと、続きで、モーパッサン短編集です。
 モーパッサン短編集に手を出したのは、先刻書いたように、堀口大學つながりの青柳瑞穂訳だったからにほかなりません。(堀口大學のことはまだ続くんだけど・・・)
 予想通り、その短編、ほとんどが読みやすい作品でした。

 モーパッサンは、たった10年間で≪書き上げた360編にあまる短編・中編、七巻の長篇、三巻の旅行記、戯曲が二つに詩集が一巻、合わせて29冊の作品を生んでいる。やつぎばやに作品を発表すると、さっさと死んでいったのである。≫(モーパッサン短編集あとがき 青柳瑞穂:新潮文庫)
 という360編の中・短編から65編を選んだのが、この新潮文庫の三冊のようです。それらは、テーマごとに分類され、Ⅰは、モーパッサンの郷土ノルマンディをはじめ、その他の地方に取材した田舎もの、Ⅱは、パリ生活を扱った都会もの、Ⅲは、モーパッサンも従軍した普仏戦争を扱った戦争ものと超自然現象に取材した怪奇ものという、大まかな分類で成り立っています。

 Ⅰの田舎もの集では、滑稽譚や残酷なものを含んでいますが、概ね、素朴で、読みやすい話ばかりです。それに、自然描写の美しいものもいくつかありました。(続く)
*「モーパッサン短編集 Ⅰ~Ⅲ」(青柳瑞穂:新潮文庫)

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丸呑み

さぎ1j
  散歩で行く池におりました。水辺を窺う一羽のアオサギ。次の瞬間、口にくわえたのは、小さな鯉(鮒?)。
さぎ2j
・・・その魚を一気に呑み込んで・・・
さぎ3j
姿勢を正して、すまし顔。
さぎ4j
 この後、何事もなかったように、振り向いて、近くの石の上に居たナメクジ様のものに静かに近寄ると、おっと、またくわえました。が、さっきの魚とちがうのは、そのナメクジ様のものを洗ったのです。(もしくは、水を付けた?)しかも、三度くり返したのち、パクッと。
 神経質なのか、グルメなのか?ただの食いしん坊?
さぎ5j

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上品でアーティスティックで、ありきたりだ

                モリス絨毯j
(承前)
  「月と6ペンス」は、ゴーギャンの絵を思い浮かべたりするものの、結局は、似て非なる(ような)画家の世界でした。ゾラの「制作」も画家セザンヌの世界でしたが、これは、フランス人ゾラによるフランスの世界で、「月と6ペンス」はイギリス人モームによる、フランス風の世界という違いを感じました。

 特に、イギリス臭のするのは、ロンドンの部屋の設えの表現です。パリの部屋については、こうも詳しく書いていませんから。
≪ダイニングルームのインテリアは、当時の流行を取り入れた趣味のいいものだった。質素なしつらえで、高めの白い腰羽目板に、緑の壁紙。壁にはホイッスラーのエッチングが何枚か、しゃれた黒い額縁におさまってかかっている。何枚も連なっている緑のカーテンは、クジャク柄で、緑の絨毯は、生い茂る木々のあいだを跳ね回る白ウサギの模様。どちらもウィリアム・モリス風。炉棚には青いデルフト陶器が置かれていた。当時のロンドンには、これとまったく同じインテリアのダイニングルームが五百はあったにちがいない。上品でアーティスティックで、ありきたりだ。≫
 写真に使ったのは、現代のロンドンのホテルのリビングですが、日本人から見ると、≪上品でアーティスティックで、ありきたりだ≫という感覚ではないような・・・(このホテルの他の写真→→→① →→→②
 
 さて、「月と6ペンス」には、時々、実際の画家や、その評価、あるいは絵画論も出てくるわけですが、善人の代表みたいなストルーヴェという画家にこんなことを言わせます。
≪美とは、芸術家が世界の混沌から魂を傷だらけにして作り出す素晴らしいなにか、常人がみたこともないなにかなんだ。美を理解するには、芸術家と同じように、魂を傷つけ、世界の混沌をみつめなくてはならない。たとえるなら、美とは芸術家が鑑賞者たちに聴かせる歌のようなものだ。その歌を心で聴くには、知識と感受性と想像力がなくてはならない≫
 ふーむ、深いなぁ。

*「月と6ペンス」(サマセット・モーム 金原瑞人訳 新潮文庫 行方昭夫訳 岩波文庫)
*「制作」上下 (エミール・ゾラ 清水正和訳 図版あり 岩波文庫)

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月と6ペンス

ゴーギャンj
(「短編小説部門」から続き:承前)
 サマセット・モームの「ジゴロとジゴレット」と同じ装丁で、金原瑞人訳「月と六ペンス」が並んでいたので、読みました。以前は、中野好夫訳で出ていた新潮文庫です。
 この有名な話は、ゴーギャンをモデル(ヒント)にストリックランドという人物を産み出しました。が、しかし、それが、ゴーギャンかと思われるのは、主に、画家になる前の職業(証券取引所の仲買人)と、晩年タヒチで暮らしたというところでしょうか。

 第3章冒頭に「ここまでの話はすべて本筋には関係ない。」とあるように、第1・2章は、奥歯にものがはさまったような感じだし、最後のほう、タヒチの話も、とってつけたような感じさえします。モデルにした人物が有名画家なだけに、制約もあったのかなと、素人の頭をかすめました。

 俄然、面白くなるのは、ストリックランドが、ロンドンの家庭を捨て、パリで暮らし、善人のストルーヴェという画家とその妻が、絡んでくる展開です。つまり、モーム自身の創作と思われる部分は、生き生きと描かれ、読み物として面白い。

 が、はじめ、
≪ストリックランドは、際立った部分がなにもない。善良で退屈で正直な、絵に描いたような凡人だった。悪い人間ではないが、友人になりたいとは思えない。つまり、どうでもいい存在なのだ。まっとうな社会人であり、よき夫であり父であり、まじめな仲買人ではあるのだろう。だが、時間をかけて相手をするほどの価値はない。≫と、若き「わたし」が言い切る、その凡人がいわば、狂気にも思える生き方を選ぶ展開は、「うそぉ」と思うほどの飛躍があります。(続く)

*「月と6ペンス」(サマセット・モーム 金原瑞人訳 新潮文庫 行方昭夫訳 岩波文庫)
*「ジゴロとジゴレットーモーム傑作選」(サマセット・モーム 金原瑞人訳 新潮文庫)

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道化と王

       カーディフ城内部j
「道化と王」(ローズ・トレメイン 金原瑞人・小林みき訳 柏書房)
 先日見た映画「リリーのすべて」はR-15指定の映画でした。*15歳未満の視聴および閲覧の規制
 映画には、そういう年齢規制があっても、活字にはありません。規制せよとは決して思いませんが、中学生以上の本として紹介されていたので、そのつもりで読んでいたら、ぎょぎょぎょっという性描写が、次々出てきて、ドキドキ。今の中学生以上は、これくらい平気なのでしょうか?というか、理解可能なのかい?ふーむ。

 時は、イングランド王・チャールズ2世、その国王にとりたてられ宮廷に上がったメリヴェルという、軽佻浮薄、今でいうチャライ 男性の人生を中心に描いた歴史小説です。軽佻浮薄とはいえ、メリヴェルが医師だということは、物語の初めから、最後まで、一本の骨として揺るがない。それこそが、彼のアイデンティティー。  
 さて、そんなメリヴェルが、最後で改心するのか?・・・という問題ではなく、人はやっぱり弱いところがあって、低い方に流れるのは簡単で・・・に気付きながら、最後まで一気に読ませてくれる娯楽小説でした。もちろん、実在の国王や大団円に至る、ペストの流行、ロンドン大火災なども盛り込みながら、英国の歴史にも近づけます。

 特に、後半は、前半と話のトーンが全く違う様相を帯び、チャラく、あけすけだった空気が、暗く深刻に。悲惨な場面もあるけれど、英国の映画や小説には、ちょっとした結末が待っているところが、ひいきにするところかもしれません。読みやすい訳も手伝って、面白い一冊でした。が、すでに1995年に映画にもなっていて、本国では、とっくに読まれていた本だったようです。

☆写真は、ウェールズ カーディフ城内部(撮影:&Co.H)

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初めての共同作業

桐の花j
 二人の、初めての共同作業というと、ウェディングケーキ入刀のときの決まり文句のようですが、ジイジとバアバとしての初共同作業をしました。

 初孫のお七夜に用意する命名の紙に、バアバの「達筆」が必要とされ、頑張って練習していたら、ジイジが墨を摺ってくれるというではありませんか!

 ただし、何度も駄目出し(自分で書けよ!)、注文の多いこと。

 昔、うちの3人の子のときには、中学校の教員だった我が父が、書いてくれたことを思い出します。この人は、卒業証書の名前を毎年書いていましたから、うまかったのですよねぇ。
 で、この新米バアバも、高い紙、高い筆を使って、我が父に近づこうと鋭意努力しました。弘法は筆を選ばず・・・でしたっけ?
☆写真は、桐の花。

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信貴山縁起絵巻

信貴山j
(承前)
 奈良国立博物館の「信貴山縁起絵巻―朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝」(~2016年5月22日)では、
ゆっくり「信貴山縁起絵巻全三巻」を、眺められたので、そのお話も楽しめました。
 
 第一巻「山崎長者巻(やまざきちょうじゃのまき)」は、神通力をつけた命蓮上人が、長者の家から米俵を詰めた倉を鉢に乗せて信貴山まで飛ばすのですが、返してほしいと懇願する長者に倉は返さず、米俵を再び空を飛ばして返す話。(上の写真、右が空飛ぶ米俵)

 第二巻「延喜加治巻(えんぎかじのまき)」は、病気平癒祈願をする醍醐天皇が命蓮上人の力に頼り、病が治るという話。命蓮は信貴山で祈祷し、その証拠に「剣の護法」を遣わせるというもの。(上の写真、左が、その救世主「剣の護法」)
 
 第三巻「尼君巻(あまぎみのまき)」は、長い間、行方の知れなかった命蓮を探しに出た姉の尼君が、信濃から奈良までやってきて、消息だけでも知りたいと東大寺大仏の前でお祈りすると、夢で信貴山までの道が示され、めでたく姉と弟は再開し、二人して修業に励むという話。

 絵巻に描かれている人たち一人一人、生き生きとしていて、躍動感があります。そして、時の流れを一枚の巻物に描く絵巻きは、「物語る絵」の本家本元です。

 国宝と、子どもたちが楽しむ絵本を並べるのは、研究者や学芸員には、論外のことと思えることでしょう。が、しかし、今や大量生産品となった絵本も、古い時代の絵巻きも、絵が物語ることによって、話がわかるという点は同じだと思います。字の読めない子どもや字の読めなかった昔の人が見たとしても、絵が生き生きと話を進める。
 ああ、楽しかったと絵本を閉じ、ああ、楽しかったと絵巻の前を離れる・・・カ・リ・リ・ロには同じ時間の流れでした。
 
☆写真は「大絵巻展」(2006年 京都国立博物館)のときの図録

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四大絵巻

絵巻j
(承前)
 さて、東京で絵本、個人蔵、国宝の、絵巻を楽しんできたのですが、奈良でも国宝の絵巻展やっています。
 奈良国立博物館の「信貴山縁起絵巻―朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝」です。(~2016年5月22日)

 全三巻、全場面、一挙に見せてくれる史上初の試みだとか。出光の「伴大納言」も3回に分けて公開だし、多くは、前期後期に分けることが多い中、一度で三度美味しいとなれば、行っておかなきゃ・・・

 2006年の「大絵巻展」(京都国立博物館)の時には、この「信貴山縁起絵巻」や「鳥獣戯画」「源氏物語絵巻」(いずれも一部)が来ていたものの、大混雑。今回は、混雑していなかったので、見やすい状況でした。
 これで、先の「伴大納言絵巻」と合わせて、一部ずつとはいえ、4大絵巻といわれるものを鑑賞できました。他に「伊勢物語絵巻」「北野天神縁起絵巻」「吉備大臣入唐絵巻」「妖怪嫁入り絵巻」「石山寺縁起絵巻」など、いくつかの絵巻を見てきましたが、はっきり言えるのは、個人的に絵巻が好きであり、物語る絵が好きであり、絵本が好きであるということです。

 4大絵巻といわれる国宝の絵巻は、いずれも平安後期・末期の作品のようですが、どれも、時間経過や、場面変化や、800年以上も昔の人たちが、創意工夫し、少しでも、話が伝わるようにという気持ちも込めて描かれています。また、大勢の人の顔の一つ一つまで描きわけている技量には、いつも感心します。  
 ただ、過日、修理された鳥獣戯画は別にして、他の3つの絵巻の保存状態は、厳しいものがあります。中でも、出光美術館の「伴大納言絵巻」は、かなり、厳しい状況ではないかと思います。(続く)

☆写真上は「伴大納言絵巻」、人が火事を遠巻きで眺めているシーン。下は「信貴山縁起絵巻」空飛ぶ不思議な鉢を見上げ追いかけているシーン。
 

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絵巻えほん

ケム川
(承前)
  実は、出光美術館「伴大納言絵巻」を見に行くにあたって、せっかく行くからと色々調べていたら、銀座、教文館書店ナルニア国で、絵巻絵本の展示があることがわかり、ここも見に行きました。

 小規模も小規模、だとはわかっていましたが、昔、子どもたちが楽しんだ「川」という絵巻えほんを見にいったようなものです。他に11ぴきのねこや恐竜や色々出版されていますが、うちには「川」 (前川かずお作 こぐま社) しかありませんでした。今回復刊されたようです。

 大きく広げては、ミニカーを走らせたり、ぶつぶつ指で辿ったりと、いつしか破れ、テープで貼り、つなぎしたものも、やがて、処分ということになっていたので、懐かしさも手伝って、ちょっと嬉しかったです。
 立ち読みでは広げられない大きさ(長さ3メートル近い)で、全貌がわかりにくい。
 また、図書館などでも、傷みやすいので、なかなか置いていないか、書庫。
 
 お話を聞いて楽しむという絵本ではありませんが、一緒に楽しむ、あるいは一人で楽しむことのできる絵巻えほんのシリーズです。昔の絵巻も、この現代の絵巻えほんも、どちらも広げてこそ、真価が発揮できるというもの。(続く) 
☆写真は、英国ケンブリッジ ケム川パント

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伴大納言絵巻

伴大納言j
(承前)
 さて、出光美術館50周年記念の「美の祝典」のⅠ~Ⅲの目玉は、国宝「伴大納言絵巻」を三回にわけて展示することでした。教科書か何かで見ただけの絵巻と初めて対面しました。10年ぶりの展示らしいです。

 先刻、書いたように、絵巻き鑑賞は、すいていればこそ。
 このときは、すいていて、見やすかった。行きつ戻りつもできました。
 
 が、この国宝、絵柄が少々劣化してきていて、よーく見ないと、表情まで読めない。(引き目鉤鼻とはいえ、みんな表情違うでしょ?)だから、すいていて、ゆっくり細かいところまで眺めることができたのは、よかったのです。

 866年に起こった応天門放火事件を描いたものですが、放火犯が時の大納言、伴善男だったという驚きの結末とは言え、真相は謎のままらしい。この絵巻は、史実通りではなく、脚色もされているようですが、その事件から300年たった平安時代末期にできたものです。、うーん、800年以上も前のものですぞ、これは・・・
 鳥獣戯画にしても、平安末期から鎌倉時代と古く、やっぱり、日本は、これらの絵巻を誇りに思ってもいいぞ。当時から、すでに、人々(動物)が生き生きと 、表情豊かに描かれ、今も変わらぬ人間臭さで溢れています。
 上記写真の場面は、風上の会昌門前で高みの見物をする官人たちなのですが、このシーンに至るまでには、火の粉が飛んできて、何事かと走り、風下で逃げ惑う群衆が描かれています。
 時間経過だけではなく、風下、風上で対比するテクニックも、絵巻きならでは。
 
 続きも見たいけれど、あと、二回も東京に行かなくてはならないのは無理???(続く) 

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吉野龍田図屏風

吉野龍田j
(「和の暮らし 和の着こなし」から続き)
(承前)
 4月の駆け込み弾丸東京美術館行きの第一の目的は、出光美術館にいくことでした。
 今年、出光美術館は50周年で、1年間何回かテーマごとに来年の3月まで、所蔵のお宝を鑑賞できるのです。国宝「伴大納言絵巻」あり、仙厓あり、酒井抱一「風神雷神図屏風」あり、岩佐又兵衛「源氏絵」あり・・・陶磁あり、書あり・・・
 
 第一弾は「美の祝典Ⅰ やまと絵の四季」(~2016年5月8日)。

 桃山時代や室町時代の屏風は、江戸時代のものに比べ、素朴な感じがいいなぁなどと見ていたら、びっくり!
 根津美術館で見た「吉野龍田図屏風」があるではありませんか!ん?よーく、見るとこちらには、歌の短冊がかかって居ません。
 根津美術館の「吉野龍田図屏風」は江戸時代のもの、出光美術館のは桃山時代のものです。写真では、屏風様に立っているのが、出光美術館の「吉野龍田図屏風」で、下に並んでいるのが、短冊のかかる根津美術館の「吉野龍田図屏風」なのです。
 ほとんど同じ構図で色合いも同じなのに、立っている桃山時代の方が、ちょっと素朴な感じがしますし、平置きしている方は、いかにも江戸という感じがします。
 もちろん、時代が先のものを模倣したのでしょうが、どちらも力作に思えるのに、重要文化財でも重要美術品指定でもありませんでした。この図、構図は、他の人もたくさん描いているのでしょう。

 ま、何にしても、根津美術館でも出光美術館でも、「吉野龍田図屏風」が眼を楽しませてくれたことだけは間違いがありません。写真でも少しは、わかるかと思いますが、圧倒的な数の桜の花と紅葉は、花見や紅葉狩りに行くと、感じる喜びにつながっています。だから、後世の方には、歌の短冊がかかっていたり、水の上を流れたり・・・(続く) 

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初夏の色 

 北野j
 龍安寺の青紅葉が、あんまり、綺麗だったので、連休前半にも青紅葉を堪能しに出かけました。
 今度は、北野天満宮 御土居の青紅葉です。昨年の紅葉(こうよう)は、今一つでしたが、今度は、初夏色に染まり、気持ちがいい。
       北野4j
 青紅葉だけの散歩も、なかなかいいものです。
 陽射しの強い中、御土居の下、紙屋川沿いを歩くと、鶯が、鳴き交い、谷合のひんやりした空気が心地よく、見上げると、キラキラ光る初夏の色。
 紅葉の種もアクセントになって可愛い。
       北野2j
  さて、明日から、いよいよ娘たちがやってくる・・・
 ブログも何日分か書きためてはいるけれど、いつまで毎日UPし続けられるか???
北野3j 

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吾 唯 足るを知る

龍安寺石庭j
(承前)
 京都 龍安寺といえば、石庭ですが、15の石が白砂に配されています。15全部一度に見ることができないのは、不完全ということ表しているようです。
 縁の真ん中に座って数えると、うーん14しか見えません。で、きっとあの岩の向こうにもう一つあるはずだと、移動し、立って眺めると、その見えなかった一つと、先の14が見え、15全部見える場所がありました。その辺り一帯ではなく、ほんの狭い範囲ではありましたが、そこに立つと15見ることができました。
龍安寺石楠花j
 で、今回は茶室も特別公開されておりましたから、茶室をのぞき込むと、うーん、そこには、なんと、仙厓の掛け軸が・・・
             龍安寺仙厓j
≪足ることを知ればこそあれ福の神 二匹鯛釣る恵比須なければ   仙厓」≫と書かれています。
 恵比寿の絵には、どの絵も一匹の鯛しか描かれていません。それは、恵比寿が「足ることを知る」からだと。
 そして、この茶室に接した庭には、「吾唯知足」(吾 唯 足るを 知る)と読める真ん中が四角い穴に水がたまるようになった、丸い「蹲踞(つくばい)」があります。***茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢。
 「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の言葉から生まれた仙厓「知足」の画と「蹲踞」でした。
         龍安寺レプリカj
龍安寺つくばいj
☆上から、龍安寺石庭、真ん中に座って撮った写真。次はお庭の石楠花。次の「蹲踞(つくばい)」は、お庭にあるレプリカで、一番下の写真が、茶室横にある徳川光圀寄進の「蹲踞(つくばい)(右半分、ちょっと影になっている部分)」。もっと、つくばって撮らないから、ちゃんと写っていませんでした。

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龍安寺のお庭

       龍安寺遠くに藤j
 最近、京都嵐電沿線散歩が多いのは、古筆のお稽古が嵐電沿線であるからと、一日乗車券500円というのがあって、何回か乗るとお得感があるからです。(一日券には、沿線のお寺拝観料などの割引クーポンもついています。)
 で、また40年以上行ってなかった「龍安寺」に行ってきました。
 桜は済み、青紅葉が綺麗でした。さぞや、秋の頃は、素晴らしい紅葉となっていることでしょう。
龍安寺j
       龍安寺池j 
鏡容池の周りでは、紅葉だけでなく、今は花菖蒲や、藤、ツツジ・石楠花も楽しめます。特に藤は、山藤も藤棚のいい匂いの藤も、ちょうど満開でした。
       龍安寺藤j
 修学旅行のメッカとなっているので、少々ざわついてはいましたが、境内で湯豆腐を食べましたら、その敷地内は、別世界のように、静かでした。聞こえてくるのは、目の前の小さな池で、鯉が立てる水音と、鹿威しのかーんという音だけ。(続く)
龍安寺湯豆腐庭j

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