みんなみすべくきたすべく

産声

 あかちゃんj
 娘の出産の前日、私は、「産声」について、学生たちに説明していました。「赤ちゃんが泣く・微笑む」の授業でした。終了時間がぎりぎりになったところをみると、いつもより「ちから」が入っていたのかもしれません。

 次の日の明け方、娘に女の子が生まれました。流産のあと、次の妊娠はつわりがきつく、やっと落ち着いたら、こんどは、切迫早産で1か月入院し、病院の規則の週数になったので一旦退院。が、未明、病院に舞い戻り、早朝、出産。
 
 生まれて1時間ほどの赤ちゃんを抱かせてもらいました。赤い顔、ふにゃふにゃした小さな身体。その存在そのものが愛おしい。生まれてくれてありがとう。

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憤然愈々画法を研究

国芳3j
(承前)
 ダイナミックな画の歌川国芳ですが、上記写真の「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」の波の勢いは、どこか北斎の影響が感じられると思っていたら、葛飾北斎伝 (飯島虚心著 鈴木重三校注 岩波文庫)に、国芳と北斎の交わりが書かれていました。

 本屋が北斎と国芳の二人で宮本武蔵、塚原卜伝の錦絵を発売しようとしたら、北斎が固辞。
 企画は、北斎に卜伝、国芳に武蔵を描かせ、武蔵の剣法を賞する詞を北斎に書かせ、卜伝の剣法の秘術を伝える由を国芳に書かせるというもの。
 北斎の固辞した理由は、国芳の師である歌川豊国は亡友であって、その門下の国芳と仕事をするのは不敬だと。

 国芳は、北斎を慕っていたので、北斎に固辞されたことを落胆します。ところが、後には、北斎と国芳は会って画法について、話し、結果、国芳は大いに得るところあり、とします。ただ、その際に、北斎は、歌川派の国芳が葛飾風となってはならず、しょっちゅう会うことは国芳のためにならないという条件をつけていました。
 そして、当時、歌川国貞が、似顔絵などで人気を博している頃、武者絵の国芳は、なかなか人気が出ませんでしたが、≪国芳憤然愈々画法を研究し、文政の末に至り、水滸伝百八人の錦絵を画きて、大いに世に賞賛せらる。これが国芳が名をなすの始まりなり。(北斎翁、国芳が画きし水滸伝をみて、大に感賞せし。露木氏談)≫と、一皮むけた国芳誕生となるわけです。

 この辺り、義理堅い北斎と、向上心の強い国芳が浮かび上がります。また、二人が画業に対し、気が合っていたのも予想されます。
 国芳の気性は、北斎に似ているところがあったとされていることからしても、北斎も国芳を可愛がっていたのではないかと想像できます。
 もし、今秋に、太田記念美術館「国芳 水滸伝豪傑勢揃」(2016年9月3日~10月30日)を見る機会があるなら、そんな背景を思い出しながら、楽しめるかもしれません。

*葛飾北斎(1760~1849)  歌川国貞(三代目豊国)(1786~1865)  歌川国芳(1797~1861)
 ☆写真は、歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」(「国芳・国貞展」案内紙)

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其の洒落、おもふべし

国芳2j
(承前)
 葛飾北斎伝 (飯島虚心著 鈴木重三校注 岩波文庫)は、ずっと前から手元にあったのですが、中身が古文で漢文で・・・手強いものですから、積んでおいた一冊です。

 が、先日の小説「北斎と応為」以来、本棚から出し、その後、東京で歌川国芳や歌川国貞を見て、これは、やっぱり読まなきゃねと、挑戦しました。(・・・手強いままではありましたが)
 
 100%読みこなせないのが情けないものの、わかりやすいところや新鮮な発見もあって、読んでよかった一冊です。
 謎の多い北斎の生涯を、生前を知って居る人たちや縁の人たちからの聞書き等によって、細かく書き進めているので、真実味が増し、素の北斎に迫っている一冊なのです。(のちの北斎研究の元本みたいなものです)

 で、先日見てきた「国貞」との接点、「国芳」との交わりが、書かれているところもあって、江戸浮世絵の流れに、より親近感がわきました。

 三世豊国(*国貞のこと)が両国辺りで、書画会を開いた時のこと。
≪雨天にて、来り会する甚 稀なりしが、翁(*北斎のこと)は蓑傘をきてわらんじを穿ち、葛飾の百姓が参り候といひつゝ、入り来り、筆を採りて、快く数十葉を画きたりと。其の洒落、おもふべし。≫(続く)

☆写真は、Bunkamura「国芳 国貞展」最後のコーナー。写真可の壁面。
 

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見易く暁り易し

       八重桜2j
(承前)
 今でこそ、やれ北斎や応為や、やれ歌麿や写楽や、やれ勝川や国芳や国貞などというけれど、それこそ、30年ほど前でさえ、「浮世絵展やっているから見たい」と友人にいうと、「え?浮世絵?うーん、ちょっとあれは・・・・」と、浮世絵は下品なものというニュアンスを含んだ返事があったことを覚えています。
 往々にして、偏見が勝つのは、「知らない」ということから来ています。

 海外流出がはなはだしい江戸期の日本絵画に版画、明治期の超絶工芸・・・かつて、本国でしっかり、保存研究が進めることができなかったのは残念ながら、幸い、現代は、世界中が一瞬にしてつながる技術もあって、国外流出を嘆いてばかりでなくても大丈夫になっていくでしょう。

 「葛飾北斎伝」 (飯島虚心著 鈴木重三校注 岩波文庫)に、今、何故、やっと浮世絵が復権してきたかがわかる言葉がありました。
≪漆園(しつえん)の吏(り)、道を論じて曰く、下る毎に愈(いよいよ)況(ちか)しと。況(ちか)き者は見易く暁(さと)り易きなり。浮世絵は見易く暁り易し。故に時に人の悦(よろこ)ぶ所と為(な)る。・・・・≫
 この後、いたずらに人を悦ばしてばかりいても、それは卑俗となるだけだ、などと続いていきますが、この「見易く暁り易し」というのが大事なのですね。

 いつの時代も、浮世、つまりは、生きることへの好奇心は、尽きません。
 その知りたい、見たい、が、見やすくわかりやすい、しかも綺麗に表現されているとしたら、そりゃ、浮世絵が、たくさんの人に支持されたのも当たり前。
 そのなかで、個性を発揮した絵師たちが、より細かく、あるいは、より大胆に、あるいはまた、新しい空気を嗅ぎながら、作品を残していったのだと思います。
 確かに、浮世絵は版画が多く、量産されましたから、ついつい、お手軽品となったのでしょう。が、しかし、ゆっくり、その仕事を見ていくと、お手軽品にしてしまえないセンスと技量があって、楽しい、のです。(続く) 
               八重桜1j

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和のくらし 和の着こなし

           国貞j
(「歌川国芳 歌川国貞展」から続き)
(承前)
 太田記念美術館の「歌川国貞 和の暮らし、和の着こなし」展(~2016年4月24日)の展示は、先の「国芳 国貞」展と重なってはいませんが、歌川国貞の「女子」表現を中心に展示されていました。*秋には、国芳展もあるようです。(2016年9月3日~10月30日)

 やっぱり、ボストン美術館所蔵のものの方が、保存状態がよいような気がします。うーん、日本人としては、大英博物館に行ったエジプト人のような心境です。

 とはいえ、国貞の描く着物の模様の細かいこと、指先の動きの繊細なこと。
 タイトルに今様、今風、当世などとついているので、当時の風俗ということなのでしょうが、 今も昔も、女子の化粧する指先は同じなのだと納得。それに、国貞の描く着物は、当時の流行の先端だったとか。(続く)

☆写真は、「歌川国貞 和の暮らし、和の着こなし」展の案内紙の上に、Bunkamura「国芳 国貞」展の案内紙の国貞部分を切り抜きました。真中は「千両役者揃続絵」の「御誂三段ぼかし」ですが、現代に通じるおしゃれな構図だと思いませんか?かつ、その背景の文様は、いちいち違うのです。一番下もBunkamura「国芳 国貞」展の案内紙にあった国貞「当世艶姿考」です。凄く豪華で込み入った文様です。

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赤 白 黄色に紫

 花山茶花j
 うーん、いつにもまして、花がたくさん咲いている・・・
 朝御飯前の、散歩ゆえ、おなかがすいてきたというのに・・・ぐるるるる・・・
花すずらんj
 ひっそりスズラン咲いてるし、リンゴの花も咲いてます。(*この辺でも育つリンゴです)
     花リンゴj
花浪速j
コデマリの向こうは、満開のナニワノイバラ、公園にはナンジャモンジャの白い花。
       花なんじゃもんじゃj
花ヒメエニシダj
ヒメエニシダの黄色も可愛く、素敵なおうちにはハナミズキや満開のクレマチス。
花花水木jj
花鉄線j

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奈良の都の八重桜

藤 八重桜j
(承前)
陽射しがずいぶん強くなっているのに、奈良では、まだ桜が咲いているぞ。八重桜・・・
「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」
 そうそう。昔から、奈良には八重桜が多く、京都では珍しかった八重桜を宮中(九重)に献上した歌を、思い出しました。それにまた、万葉植物園には、「御衣黄」(ぎょういこう)という、珍しい桜もまだ咲いておりました。
      御衣黄j
 とはいえ、主役は、やっぱり藤の花。
 春日大社の本殿まで行くと、今度は、後ろの山(春日山・御蓋山・三笠山・花山)に、大きな山藤が見えました。
 藤6j
そして、灯篭の並ぶ藤浪之屋前には、満開の藤棚が。
      藤7j
 帰って、万葉集を調べていたら、「藤波の 花は盛りに なりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を 思ほすや君」という歌が見つかりました。
           
                 藤 大社j

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藤の園

藤1j
 娘が入院中なら、大丈夫と、理屈をつけてまだ出歩いております。仕事も始まっているというのに・・・
 奈良国立博物館の「信貴山縁起絵巻」(~2016年5月22日)を見に行き、近くの春日大社神苑の万葉植物園にも行きました。藤の花が綺麗で、見頃は続きそうだったので、東京弾丸鑑賞記の途中ながら、先にご報告。
藤5j
万葉植物園の中でも、「藤の園」の見頃は4月下旬~5月初旬頃とあります。早咲きから遅咲きまであるので、大丈夫。
      藤4j
 とってもいい匂い・・・特に麝香藤というのは、その名の通り、甘い香り。
麝香藤j
八重もあります。
           藤2j
 万葉集に出てくる花木を育てている万葉植物園、初めて行きましたが、他の季節も楽しそう。下の花は藤ではなく「むべ」(続く)
     むべj

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歌川国芳 歌川国貞展

        国貞4jj
(承前)
 神戸市立博物館でも開催されますが、せっかくなので、渋谷Bunkamuraの「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」展に行ってきました。(~2016年6月5日)*神戸(2016年6月18日~8月28日)*名古屋(2016年9月10日~12月11日)
 この展覧会のキャッチコピーは、「江戸時代から髑髏(スカル)好き  江戸時代から手紙(メール)好き」とありました。他の展示の漢字のルビも英語に置き代え、若い人たちには、訴える力があったかもしれませんが、カ・リ・リ・ロは髑髏(どくろ)好きじゃないしなぁ・・・と、一旦、この展覧会に行くのを躊躇していました。

 さて、ボストン美術館はたくさん持っているなぁ・・・というのが、どのボストン美術館展でも感じることですが、今回は、特に保存状態もとてもよく、数々の錦絵の発色のいいこと。まるで、刷りたてのよう。

 劇画のルーツのような、画面溢れんばかりの物怪(モンスター)や異世界魑魅魍魎(ゴースト&ファントム)。かと、思えば、粋な千両役者のそろい踏みや楽屋裏、江戸の女子姿等、ともかく、数が多い展示でした。

 国芳は、豪快さで、圧倒します。その構図は、大胆で、力強い。お話の世界がより迫力あるものになったはず。
 一方、国貞は、「女子」の世界を華麗に描き、細かい。着物やしぐさに繊細さがにじみ出ます。
 そして、この国貞のみの展覧会「「歌川国貞 和の暮らし 和の着こなし」(太田記念美術館)にも行ってきました。
 こっちのキャッチコピーなら、わかりやすい。(続く)

☆写真は、会場最終コーナーで、フラッシュは駄目ですが撮影可の場所が設けられていて、そこで撮りました。
国貞3j
                   国貞5j

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お庭をぐるっと一回り

根津2j
(承前)
 根津美術館の楽しみは、美術工芸品だけではありません。確かに、燕子花はまだでしたが・・・根津5j
 青紅葉が陽射しに映えて、なんときれい。ツツジも咲いておりますよ。
根津7j
茶室もあるので、燕子花色のお着物で・・・
根津4j
お庭をぐるっと一回り。ここは、表参道。都心です。(続く)
根津6j

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伊勢物語絵巻

根津3j
(承前)
 根津美術館「歌をまとう 絵の系譜」(~2016年5月15日)では、光琳の「燕子花図屏風」もよかったけれど、「吉野龍田屏風」の満開の桜と紅葉の六曲一双の屏風もよかった。(この屏風については、後日書きます。)

 そして、一番、楽しめたのが、「伊勢物語絵巻」。今回の弾丸美術館巡りの第一目的が、出光美術館の「伴大納言絵巻」を見ることでもあったので、予想外のところで、しかも、ゆっくり鑑賞できる状態で、「伊勢物語絵巻」を見ることができたのはラッキーでした。

 ともかく、絵巻は離れて見るということができませんから、すいているというのが必須なのです。鳥獣戯画展のときの混雑ぶりを思い出します。
 特別出品、個人蔵の「伊勢物語絵巻」は、16世紀室町時代のもののようで、東京国立博物館にあるものより、少しは見劣りするのかもしれません。が、しかし、一度に3巻ほとんど全部眺められるなんて、なかなかない機会です。
 時折入る、解説にも助けられ、伊勢物語って、そんな話だったの・・・と近づけた気がします。

 「燕子花図屏風」も≪らころも つつつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ≫ という伊勢物語からきているわけですからね。

 それに、個人的には、出てくる地名に馴染みの場所がいくつかあり、それも含めて、楽しかったのかもしれません。(続く)
☆写真は、根津美術館 エントランス

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4月の燕子花

根津j
 燕子花にはまだ少し早いのはわかっていましたが、近いうちに、産休に入り、バァバになって、娘が実家に居る間は、遊び歩けないだろうと、駆け込み弾丸東京美術館行きを決行しました。

 まず、根津美術館「歌をまとう 絵の系譜」(~2016年5月15日)

 確かに、根津美術館のお庭の燕子花には早いものの、展示されている「燕子花図屏風」は、変わらず、麗しい。
 「燕子花図屏風」は、毎年、この時期に展示され、2012年には、メトロポリタン美術館蔵の「八橋図屏風」と並んでありましたが、大混雑。
 また、昨年は、尾形光琳300年忌で、「紅白梅図屏風」(MOA美術館)と共に展示ということで、これも混雑していたと聞きました。

 多分、今回も燕子花満開の時期には、訪れる人も増えるでしょうけれど、テーマは「歌をまとう絵の系譜」で、先の展示に比べて少々地味。ということで、屏風の前にゆっくり立ち、丁寧に見ることができました。しかも、「歌をまとう」というテーマなので、絵と共に書かれた書の鑑賞もゆっくりできました。
 しかも、多くの絵画展では、絵と共に書かれている歌の読みには触れず、絵の解説に終始していることが多い中、この展示ではちっとも読めない書(歌)を活字にして案内してくれたので,助かりました。(続く)

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センダック最後の絵本

       こぶたj
「バンブルアーディ」 (モーリス・センダック さくまゆみこ訳 偕成社)
 モーリス・センダックが亡くなったのは2012年5月のこと。亡くなる前、最後の絵本だったのが、「バンブルアーディ」という子豚の話。4月に訳され出版されました。最近の絵本には珍しく、表紙の絵と、表紙をとった中の装丁が違う丁寧な作りは、センダックへのオマージュのような気がします。(写真手前が、表紙の絵、奥のにこやかな子豚の絵は、表紙をとった中に貼られている小さな絵。)

 さて、子豚のバンブルバーディは生まれてこのかた、誕生日を祝ってもらったことがありません。バンブルアーディが8歳になったとき、豚肉にされたパパママの替わりにアデリーンおばさんに引き取ってもらいます。そこで、9歳にして初めてお誕生日を祝ってもらうことに。が、おばさんが留守の間に、招待した友だち達とどんちゃんさわぎになってしまい、(みんな変装してきます)おばさんは、怒り心頭。・・・とはいえ、素敵なおばさんに、許してもらえて、バンブルバーディは9の9倍キスしてもらうというお話。

 この「許してもらえた」理由が不明瞭なのがひっかかるものの、いつもどおりのセンダックカラーは、どんちゃん騒ぎで本領発揮。
 9歳の誕生日なので他にも9に関連しながら、お話が進む「しゃれっ気」もあります。
 もうこれ以上、センダックの絵本が出ないのは寂しいですが、最後の絵本も、センダック自身が楽しんで作ったのが伝わってきて、よかったよかった。

 実は、この絵本、現代に多くなっている児童虐待ネグレクトの問題を描いた一冊だとも言われています。確かに、ネグレクトとまでは言わなくても、誕生日や日本式のクリスマスを子どもたちと祝わないという親たちが居ることは知っています。が、そんな人たちも、ちょっと、自分の小さかったとき、どんなことに心が弾んだか、思い出してくれればいいのに、と思います。ちょっとでいいから、アデリーンおばさんのように。
  ・・・と、考えれば、「許してもらえた」理由なんかなくても、保護者の大きな心で、子どもを受け留め許したという解釈になるでしょうか。

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立っていられない

アップルj
 阪神淡路の地震のときも、いつもどおり夜が明け、いつもどおり花が咲き、いつもどおり夜が更け、いつもより多いように思える雨が降ったのを思い出します。
 日本中、どこに住んでいても地震と隣り合わせとはいえ、あの揺れだけは、怖い。「足元がふらつく」、などと言う生やさしいものではありません。立っていられないことの恐ろしさ。

 伝えるのが、大事なことに違いなくても、混乱している場にマイクを持って、入り込み、その臨場感を伝えるのが、メディアの使命だとは思いません。トイレも水も、電気もガスも、食べ物もなく、なにより怖くて、放心状態のときに、見知らぬ人たちの登場。渦中の人たちは、テレビも見れず、ただただ、呆然としているのに。
 誰も止めることができない自然災害から救助し、支援し、支援し続ける方法を、今回は被害に遭わなかった人々に伝えることこそ、彼等の仕事なのだと思います。

 余震や土砂災害など、もうこれ以上、連鎖がありませんように。
 最小の自然災害だけで終結しますように。
☆写真は、銀座の花水木。
 

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小説「リリーのすべて」

リリーj
(承前)
 「リリーのすべて」は映画に合わせて、文庫本で出版されましたが、もとは、「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語」というタイトルで講談社から出ていたようです。

 「リリーのすべて」は、実在の画家の夫婦をモデルにしてできた話ではあるものの、細かいエピソードの数々は著者エバーショフの創作のようです。実在のリリーの日記と書簡が出版されたことがあって、そこをヒントに「リリーのすべて」を書きあげたとありました。

 さて、映画でどうも、すっきりしなかった献身的な妻グレタのことが知りたくて読んだのですが、映画では、描き切れない、あるいは、描く必要がなかった妻の過去から、話は始まっていくので、ちょっと納得しました。ただし、小説では、妻の設定をアメリカ人で、男女の双生児の一人とし、アメリカという土地を大きく関係させていました。映画は、デンマークであり、コペンハーゲン・パリ・ドレスデンです。

 映画の原題も小説の原題も、”Danish Girl”です。確かに、デンマーク人の話ではあるけれど、GIRL(女の子)は、ないでしょう。と思っていたのですが、レッドメインが演じきれなかった少女の部分が、小説では、リリーの人格の大きな部分を占めていたのがわかりました。年齢ではない、女の子という象徴。

 ともかくも、リリーになった人物より、グレタという奥さんの視点で、話の大部分は描かれていますので、もし、映画「リリーのすべて」で、カ・リ・リ・ロのようにひっかかったら、原作も合せて読んでみるのはどうでしょう。
*「リリーのすべて」(デイヴィッド・エバ―ショフ 斎藤博昭訳 早川書房)

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映画「リリーのすべて」

       風景画j
 映画「博士と彼女のセオリー」のホーキング役俳優エディ・レッドメインが、またもや、難しい役をこなしているらしいので、見に行きました。
 性同一性の問題を見据えたこの映画、アカデミー賞に今年もたくさんノミネートされ、奥さん役の女優さんが賞をもらったようです。

 実話に基づいて書かれた話を原作とした映画です。のちにリリーという女性になるアイナーという男性画家とそのパートナーのグレタという女性画家の話です。絵の背景のような部屋の壁、そこに佇むだけで一枚の絵のようになるように撮影されていました。
 舞台はコペンハーゲン、パリ、ドレスデンと移動。どこも素敵な風景、建物ばかり。エンディングロールにはノルウェィとも出ていたので、ノルウェィの風景も。予想外に風景が楽しめてよかったです。

 主人公のアイナーが風景画家ですから、当然といえば当然なのかもしれませんし、のちにリリーとなるアイナーの心象風景という言葉からも、風景・背景には力が入って居るのでしょう。
 アイナーの描いていた実際の風景が映画の最後に映り、ホドラーが描いた抽象的な風景画を思い出しました。タッチも色合いもどこか似ていました。

 男性として生きてきた夫アイナーを、リリーという女性に変わったのちも愛し続ける妻のグレタの演技は、見るものの、胸を打つものがありましたが、なにゆえ、そこまで?の動機がどうも判明しないまま終わったので、映画の原作となった「リリーのすべて」を読んでみました。(続く)
*「リリーのすべて」(ディヴィッド・エヴァ―ショフ 斎藤博昭訳 早川書房)

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ねぶたさの春は御室の花よりぞ

        御室j
 お稽古のある日の午前は、京都散歩(遠足)です。
 が、しかし、午後になって、いざ、先生のお話を聞く段になると、ね・む・いー!
 特に、この日のお稽古は、蕪村の言うように、仁和寺の御室桜のせいで眠い・・・
「眠たさ(ねぶたさ)の春は御室の花よりぞ」(蕪村)
御室5j
 貝原益軒は、「京城勝覧」で、仁和寺を
「春は此境内の奥に八重桜おほし。洛中洛外第一とす。吉野の山桜に対すべし。毎年二三月の初ごろ、十余日の間、花見の人多くして、日々群衆せり。酒食を携へ幕をはりて、遊宴をなす者多し」と、書いているようです。(「蕪村句集」から孫引き:玉城司訳注 角川ソフィア文庫)
 この江戸時代の書物と同じことが、確か40年前も、御室桜の下で繰り広げられていました。今は、整然と区切られ、たくさんの外国からのお客さまと、そぞろ歩いて、香りを楽しみました。
 それにしても、花が次々、早く咲いてる!
御室4しゃくなげj
御室3j
       御室2j
☆写真は、すべて、仁和寺境内:上から、御室桜、枝垂れ桜とつつじ、シャクナゲとみつばつつじ、かりん、青紅葉とみつばつつじ

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北斎娘 応為栄女集

           百合図j
(承前)
 小説「北斎と応為」のことを書き続けていたら、書評に、応為のことを書いた新刊小説が出たとありました。図書館に予約すると、すでに、20人ほど待っていました。それを読んでから、この続きを書こうと思います。今のところ、一冊の本を20人なので、単純計算でも冬頃ですかね。

 「北斎と応為」の著者キャサリン・ゴヴィエは、あとがきで、日本の研究者久保田一洋を紹介していました。応為の研究が少ない中、その著書に、貴重な一冊といえる「北斎娘 応為栄女集」という本があります。

 そこには、何枚かの応為の絵が掲載され、丁寧に解説されていますが、いわゆる、この本自体は、図録でなく、論文でもなく、さりとて、フィクションでもなく、分類が難しい一冊です。久保田氏が調査し成果をまとめあげた検証本なのです。過去にさかのぼり、かつての人の論考、新聞記事なども収録。実際、久保田一洋編・著とあります。つまり、興味深いことだらけの本で、なかなか面白い。が、まだ応為のことは、謎のまま。

*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
*「北斎娘 応為栄女集」(久保田一洋編・著 藝華書院)
☆写真は、「北斎娘 応為栄女集」(久保田一洋編・著 藝華書院)の百合図≪款記:應ゐ栄女筆:個人蔵≫

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湿気によって生じる特殊な雅趣

松うつるj
(承前)
 小説「北斎と応為」が、全体にドライな印象を受けるのは、著者が外国人だからという先入観かと思っていたら、萩原朔太郎が「郷愁の詩人 与謝蕪村」(岩波文庫)で、こんなことを書いていて、ちょっと納得したのです。

 それは、蕪村の句、「紙燭(しそく)して廊下を通るや五月雨」を、夏の湿気がなく、家屋構造の違う外国人には、この句が無意味以上であり、この句のどこに「詩」があるのか、理解できないだろうと、萩原朔太郎は言うのです。
 ≪降り続く梅雨季節。空気は陰湿にカビ臭く、室内は昼でも薄暗くたそがれている。そのため紙燭を持っよrて、昼間廊下を通ったというのである。日本の夏に特有な、梅雨時の暗い天気と、畳の上にカビが生えるような、じめじめした湿気と、そうした季節に、そうした薄暗い家の中で、陰影深く生活している人間の心境が、句の表象する言葉の外周に書きこまれている。≫

・・・・ということは、現代のように日本家屋の構造もマンション構造になってくると、ウェットな感覚からドライな感覚になっていくんだろうか。実際、日本人が書いたものでもドライな感じのものが増えているかもしれません。(と、言い切るほど、新しいものを読んでいませんが)

閑話休題。で、萩原朔太郎は続けます。
≪日本の茶道の基本趣味や、芭蕉俳句のいわゆる風流やが、すべて苔やさびやの風情を愛し、湿気によって生じる特殊な雅趣を、生活の中にまで浸潤させて芸術しているのは、人のよく知る通りであるけれども、一般に日本人の文学や情操で、多少とも湿気の影響を受けていないものは殆んどない。(すべての日本的な物は梅雨臭いのである。)・・・・・(中略)・・・かの湿気が全くなく、常に明るく乾燥した空気の中で、石と金属とでできた家に住んでいる西洋人らに、日本の俳句が理解されないのは当然であり、気象学的にも決定された宿命である。≫

・・・・ということで、今後、木造ではなく、あるいは、たとえ、木造であっても、改良され、湿気など感じない快適な住宅に住む日本人が増えたなら、日本人の文化は少なからず、変化していくのかもしれませんね。 (続く)

*「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎 岩波文庫)
*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
☆写真は、京都 無鄰菴 庭。

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花ざかり

桜散るj
 先日の大雨の後も、なんとか頑張っているソメイヨシノあり、八重桜も枝垂れ桜もあり・・・花ざかりのこの季節、カメラ片手の散歩に時間がかかってしまいます。
yaezakuraj.jpg
先週見た、黄色いカロライナジャスミンはさらにたくさん咲いて、本当にいい香り。
ジャスミンと桜j
枝垂れの向こうにも黄色い花が・・・フリージア。
しだれとフリージアj
 と、思ったら、目の覚めるような真っ赤は、一斉に咲いたツツジ。
ツツジと枝垂れj
つつじj
ベニバナトキワマンサクj
ハナズオウj
きくももj
  ベニバナトキワマンサクやハナズオウの赤紫の花があちこちで見られるので、これもベニバナトキワマンサクと思って、近寄ってみたら、以前京都府立植物園で見た「菊桃」。そういえば、ここの所有者は、この隣に枝垂れの桃。きっと、桜の時期に打って出る「桃」好きなのかもしれません。
枝垂れももj
 松ぼっくりの赤ちゃんも桜と並んで綺麗です。
松と桜j
 早くも、藤の花さえ、少し垂れ、花水木も色づいて、今年は早いなぁなどと帰りました。

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謎のままにしているのではないか。

        応為j
(承前)
 「北斎と応為」の著者あとがきも、力が入っていました。上下段20ページ以上あります。海外の研究者も多いことや、北斎とその作品には、謎が多いけれど、謎のままにしているのではないかと。

≪北斎研究はいったんすべて白紙に戻して、また一からやり直されるべきです。腐敗しています。≫とまで言い切る「北斎」を扱った業者の言葉を載せています。続けて≪もっと多くの絵が出てくるかもしれません。秘密が暴かれるときです。≫と。それは「北斎」というだけで、値打ちが変わってしまう現実に照らして述べた言葉ですが、改号をくり返し、高齢になるまで北斎の本物は、一体どれなのか、ある意味、ミステリーの世界です。そんな中、分野によっては、父親北斎より、才能があったとも言われる応為が、どこまで父親の作品に関わっていったのか・・・

≪顔料を調合するのが彼女の役割だったため、彼女はアシスタントとみなされていました。しかし、あの独特で強い、宝石のような色彩は実際、羨望の的だったのです。それならば、顔料の調合はアシスタント的ではなく最優先の仕事だったとは考えられないでしょうか。彼女ほどの才能の持ち主は日本じゅうほかになく、北斎が他の絵師とくらべて抜きん出たのも、そのおかげだったのですから。≫
 
 ええっ! それはないでしょ。
 確かに応為の才能も凄いし、顔料の調合も大したものだったにしても、北斎は北斎本人の実力で抜きん出ていたと思います。(続く)

*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
☆写真は、上:小説「北斎と応為」、下:応為「三曲合奏図」絵葉書。

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居丈高な江戸一番の絵師

      鳳凰図j
(承前)
 小説「北斎と応為」には、実在の絵師、またシーボルトなど登場し、史実も大きく絡んでいます。

 応為と深く関わる式亭三馬などは、ことの真偽がよくわからないものの、北斎と関わる喜多川歌麿の登場は面白いものでした。
 邦題が「北斎と応為」なので、ついつい、北斎のことももっと読めると思いがちですが、原題は、「ゴーストライター:絵師の娘」で、娘のことですから、かるーく歌麿が登場するのも仕方がありません。

 ≪「居丈高な物言いもほどほどにしなよ。歌麿さんよ」「俺は江戸一番の絵師だ。居丈高のどこが悪い」「一番上手いわけじゃないだろう。一番高いだけだ」と蔦屋。「安物買いの版元なんて銭失って商売上がったりよ」  本当に歌麿は最高の絵師だった。江戸じゅう探しても歌麿にかなう者はなかった。・・・≫

 こんな歌麿も幕府に投獄され、その後、長生きできなかった史実があります。
が、歌麿の生年や出生地も不明だし、写楽もよくわからないし、北斎もなんだか謎が多い。ましてや、その娘の応為、不明なことばかりなのでしょう。

 が、今回、北斎の師「勝川春章」 (1726頃?~1793)と喜多川歌麿(1753頃?~1806)の美人画の雰囲気が似ていること。勝川春章の「子猫に美人図」と北斎(1760~1849)の「美人愛猫図の猫」の猫がよく似ていること、北斎の晩年の艶やかな作品群と応為の関係などなど素人が考えても、まだまだ、江戸絵画から眼を離せません。(続く)

*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)

☆写真は、「江戸の誘惑」(ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 図録:2006)の「鳳凰図屏風」(1835:北斎75歳の作品)に「唐獅子図」(1844:北斎84歳の作品)の絵葉書(解説には、獅子の周りの牡丹を描いたのはおそらく応為であろうと書かれています。)・・・・それにしても、ボストン美術館他、海外に流れた江戸の作品の多いこと。

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ゴーストライター

きいろとさくらj
(承前)
 邦題は、 「北斎と応為」となっていますが、カナダで出版された原題は「The  Ghost  Brush」。本の奥付には「The Printmaker‘s Daughter」と、あります。

 ゴーストブラッシュは、いわば北斎のゴーストライターという意味だろうと思いますが、応為の幽霊(まだ墓のない、さまよっている人)が語る設定ですので、文字通り、「幽霊の絵筆」なのかもしれません。また、「The Printmaker‘s Daughter」という題なら、版画家の娘なので、北斎「と」応為というより、版画家「の」娘です。実際に、話の中で、「北斎」は、重要な役回りとはいえ、中心ではなく、主人公はあくまでも、話を語る北斎の娘「応為」なのです。

 以前、ここに書いたように、応為の作品とはっきり判明している数が少なく、しかもその彼女がアシスタントの域を超え、北斎晩年のゴーストライターだった説もあり・・・・というか、著者キャサリン・ゴヴィエは、応為が晩年の北斎作品を描いてきたと考えているようです。また、応為自身の墓も見つかって居ないという謎多き天才女流画家だったゆえに、小説の題材として興味深いものだといえましょう。(続く)

*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
☆写真手前の黄色い花は、多分カロライナジャスミン。(黄梅の類かと思って居たら、花の形がちがってた)

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引目鉤鼻

こぶし さくらj
(承前)
 小説「北斎と応為」で、ひっかかったのは、まだ、上巻も読み始め、こんな文章のところでした。
 ≪写楽という絵師が居て、黒く深くなぞられた目と憤怒か、恐怖かはたまた欲に裂かれたかも分からぬ大口の、巨大な白塗りの顔面をこしらえたが、あまりに真に迫りすぎたのか、ほとんど売れもせず、やがて写楽とその作品は消えてしまった。写楽は能楽師で、舞台化粧の白い顔料にやられて死んだと言われているけれど、なかには、私の父だという者もいる。最初のしくじりのあと改名したのに違いない、その証拠に北斎は絶対に顔を描かないではないか、とこう言うのである。さあ、実のところどうだか。口の達者な父だけれども、そのことについては一言も触れない。顔が決め手になるのやら、正直言って分からない。父は動くものを描く。動かぬものにはあまり興味がない。・・・・・・≫

 うーん、絶対に顔を書かないって? 切れ長の細い目だけど、表情あるけどなぁ・・・低い鼻でも、ちゃんと機能してるし・・・引き目鉤鼻おちょぼ口って、西洋人には、みんな「線」や「点」のようにしか見えないの?はいはい、わるうござんした。眼は線で鼻はカギですよーだ。
 そんな「眼」を持つ人の書いた小説って、どうよ?と、しばらく読むのをやめていました。(続く)

*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
☆写真は、コブシの向こうに桜。

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小説「北斎と応為」

キャナルj
(「猫図」から続き) (承前)
 キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳「北斎と応為」は、力作だと思います。

 研究者ではないカナダ人の作家が、日本の江戸の文化とその生活について時代考証し、小説に表したからです。謎の多い人物だけに想像の部分が膨らむという点があるにしても、人物に迫るだけでなく、その作品にも迫らなければならなかったのは、かなりの労力を要したはずです。しかも現代ではない異国。

 また、訳者モーゲンスタン陽子は、原文を江戸言葉、花街言葉にし、現代風な箇所もありますが、その分、読みやすいものしています。

 が、しかし・・・・という前に、浮世絵の版画だけでなく、その肉筆画のかなりのものが国外に流れてしまっているということに起因し、日本美術研究、特に浮世絵の研究分野は、自国で立ち遅れているような気がしてなりません。北斎の晩年の作品の真贋についても、まだまだ研究途上のようだし、娘応為の最期さえよくわかっていない。落款やその印章の真贋も完璧ではなさそう・・・

 が、しかし、個人的には、この小説のようにドライな眼で浮世絵を見てきてなかったことに気付きます。(続く)

*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
 ☆写真は、近くの運河沿い。

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さくらの春と呼

大写しさくらj
「花の春誰ソさくらの春と呼」 (蕪村)
 毎年、同じように桜の写真を撮っているのに、やっぱり撮りたくなる。
 この春は、特に、携帯写真も加わって、桜まみれです。
 
 桜、さくら、サクラ・・・と、桜のすきな娘は、産休と桜時期が重なって、大いに楽しみにしていました。が、産休直前、つまり、ソメイヨシノの開花直前に、切迫早産の危険ありで入院しました。

 病院に彼女の洗濯ものを取りに行く母は、その道すがら、携帯で桜の写真を送信し、あるいは、その帰り道、違う道を通りながら、桜の写真を送信。

 彼女の夫は、朝の内に川べりの桜の写真を撮り、プリントアウト。アルバムにして、病院に持参。
 花見団子と写真を並べ、美味しくいただいたそうな。はい、ごちそうさま。 
 

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朝日も青空も似合います。

       あさひ さくらj
 咲きましたね。
 いつものことでも、いつでも嬉しい。
 上は、朝日を浴びる桜です。
 下は、青空が似合う桜です。

「遅き日のつもりて遠き昔かな」(蕪村)
*遅き日は春の季語の遅日(ちじつ)
*萩原朔太郎は『郷愁の詩人 与謝蕪村』(岩波)の中で、この句のことを≪蕪村の詩境を端的に詠嘆していることで、特に彼の代表作とみるべきだろう。この句の詠嘆しているものは、時間の遠い彼岸における、心の故郷に対する追懐であり、春の長閑な日よりの中で、夢見心地に聴く子守歌の思い出である。≫と、言いました。

あおぞら さくらj

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みんなのベロニカ

みんなのべろにかjj
(承前)
 復刊された「かばのベロニカ」では、ベロニカは元の川に戻り、「ひとりぼっちのベロニカ」では農場に引っ越します。「ベロニカとバースディプレゼント」では、みんなで力を合わせます。

 さて、復刊本ではなかった「みんなのベロニカ」では、農場に来たばかりのベロニカが、はじめ、農場のみんなとなじめず、具合が悪くなっていく様子が描かれています。みんながベロニカをよそ者扱いしていたからでした。

 が、しかし、農場のみんなは、やっぱりベロニカのことが気になって、それぞれ、食べ物を持っていくと・・・
≪ペチューニアとチャールズが、ぶらりと あらわれて いいました。「わたしたちは 牛乳にひたした パンをあげました。 そうしたら、ベロニカはたべてくれましたよ。それも、のこらず すっかり」 「病気が なおったんだ」ストローとノイジーとコットンがいいました。「なおったのね」と、クローバーもいいました。「なおった」「なおった」みんながいいました。みんな一日じゅう、そのはなしで もちきりでした。みんなが てんでに しゃべるので、あいての はなしなんか ぜんぜん わかりませんでした。≫

 みんなが、ベロニカを思う気持ちが具体的な食べ物に表れています。よかったね。
 ベロニカが、具合の悪い顔をしているときは、本当に、こちらまで具合が悪くなりそうですが、いつもの笑顔が戻って、みんなと楽しい日曜日を過ごすときには、一緒に楽しい気持ちになります。

 このたび、4回写したベロニカ絵本のベロニカ顔(とベロニカのお尻)、どれも、いいでしょう?
 
*「かばのベロニカ」「ひとりぼっちのベロニカ」「ベロニカとバースディプレゼント」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 復刊ドットコム)
*「みんなのベロニカ」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 童話館) 

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ベロニカとバースディプレゼント

バースディプレゼントj
(承前)
 さて、3冊目の復刊は「ベロニカとバースディプレゼント」です。
 「みんなのベロニカ」を含めるとほかの二冊「かばのベロニカ」「ひとりぼっちのベロニカ」は、1961年~65年に出版されたようですが、この「ベロニカとバースディプレゼント」は1971年刊行だったようで、ほかのベロニカとカラー部分の様子が違います。コラージュ、あるいはコラージュ風のタッチです。

 とはいえ、中には、いつものベロニカや農場の動物たち。
 話は、誕生プレゼントに届いた子猫のキャンデーが行き違いになって・・・と、ちょっと、こんがらがる話ですが、最後の行進では、かばのベロニカの後ろに≪おすがちょうのチャールズ、めうしのクローバーとカナリー、ひつじのローズ、・・・うまのストロー、いぬのノイジー、・・・めんどりのアイダと おんどりのキング、しちめんちょうのビルとスー、それからねこのコットン…≫がついていきます。それにアップルグリーンさんのところの動物たちも加わって・・・

 おなじみの農場の動物たちが登場して、行進も、より楽しいものに。(続く)

*「かばのベロニカ」「ひとりぼっちのベロニカ」「ベロニカとバースディプレゼント」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 復刊ドットコム)
*「みんなのベロニカ」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 童話館)

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ひとりぼっちのベロニカ

ひとりぼっちのjj
(承前)
 「かばのベロニカ」に続いて復刊されたのが「ひとりぼっちのベロニカ」です。

 みんなでゆったり暮らしていたかばたちの川に人間たちがやってきて、静かだった暮らしを一変させてしまいます。かばたちは引っ越していきます。
 そんなとき、ベロニカは、「としよりは いつも むかしのことばかり いうけれど、わたしは わかいかばよ。わたし、あたらしい よいくらしがしたいわ。」といって、人間たちに近寄っていきます。
 そして、クレーンで釣り上げられ汽船に乗せられ、ビルのジャングル、アメリカへ・・・
 そこでは、かばに不向きな毎日が待ち、階段を転げ落ちたものの、前向きなベロニカ。
 そんなとき、友達になったジョーの提案は、「むかしながらの よいくらしさ!」という田舎の農場へ、ベロニカを連れていくことでした。

 ベロニカは、飛び切り嬉しそうに笑って言います。
≪わたしは、むかしながらの よいくらしも、あたらしい よいくらしも、りょうほうないとおもうのよ。あるのは、よいくらしと わるいくらしだけ。≫
 
 なかなか、深い考えの持ち主のベロニカ。それぞれの人にとっての良い暮らし。デュボザンの描く動物たちには、いろいろ、教えてもらいます。(続く)

*「かばのベロニカ」「ひとりぼっちのベロニカ」「ベロニカとバースディプレゼント」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 復刊ドットコム)
*「みんなのベロニカ」(ロジャー・デュボアザン作・絵 神宮輝夫訳 童話館)

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