(承前)
写真右、勝川春章の「子猫に美人図」は、1780年~82年の肉筆画。(太田記念美術館)
写真左、勝川春章門下で春朗だった、北斎「美人愛猫図」1800~1810年の肉筆画。(シカゴウェストンコレクション)
門下離脱の北斎が描く猫と春章の猫が、あまりに似ていて面白いなと。どちらも首に赤い紐。どちらも、ごつごつしていて、可愛い!とは言い難い子猫です。
猫とその絡みは、北斎やその娘応為を描いた小説「北斎と応為」 (キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)に登場しています。作家のイメージの源泉には、こんな絵があったのかも、と思います。
≪工房の戸口で私の猫たちが鳴き声を上げて激しく尾を振る。誰も餌をくれなかったのだ。私は雄のほうの腹の下に足を引っかけて抱え上げた。それからごつごつの背骨を撫でてやり、また放す。しばらく部屋の隅でうろうろしていたが、誰かの肘に突き飛ばされ、絵具の入った皿をひっくり返してしまった。猫は驚き・・・≫
さて、この二枚の猫は、同じ猫のような気もして、制作年をちょっと調べてみたら、幅は広いものの、まったく重ならない時期。画号を頻繁に変えた北斎は、その号の時代で作品の制作年を特定していくのでしょうけれど、ちょっと気になる猫の画でした。(「北斎と応為」に続く)
(承前)
太田記念美術館「勝川春章〈北斎誕生の 系譜〉」 (~2016年3月27日)の第三会場は、地下でした。係りの人が一人いるだけの、なんだか殺風景な展示会場。
が、しかし、そこには、すべて、およそ年代順に並んだ、北斎の浮世絵版画。今までに何度か、北斎の浮世絵や肉筆画を見たことがありますが、こんなにすいていて、行きつ戻りつ、確認しながら鑑賞できたのは初めて。
カ・リ・リ・ロが行ったのは後期で、前後期で40点以上展示されたよう。さすが、浮世絵専門の太田記念美術館でした。
写真の富嶽三十六景や、まだ、役者絵の頃のものもたくさんありました。
「勝川春章」つながりの展示だけあって、まだ錦絵の刷りでないものもたくさんあり、いわゆる北斎の空気が漂うというより、絵の達者な勝川門下の勝川春朗のものが見られたような気がします。北斎の勝川門下離脱は、破門説あり、不仲説ありと(「北斎」大久保純一 岩波新書)、謎のようですが、門下を離れ、独自の道を進む北斎の基礎時代だったことは事実のようです。
やっぱり、先のカラヴァッジョ展のように、展示数が少ないより、たくさん並んだ方が、流れがよくわかりました。(続く)
☆写真は、「北斎と広重展 幻の肉筆画発見展」(2006:京都文化博物館)図録の北斎「神奈川沖浪裏」と「尾州不二見原」(アダチ版浮世絵シリーズ)の絵葉書。
(「他の美人画とどこか違う」から続き)
(承前)
生誕290年記念出光美術館「勝川春章と肉筆美人画ー〈みやび〉の女性像」(~2016年3月27日)の次は、太田記念美術館「勝川春章〈北斎誕生の 系譜〉」(~2016年3月27日)に行きました。
出光美術館は、肉筆画の美人画でした。そこには、太田記念美術館の所蔵品も何点か展示されていましたが、太田記念美術館では、浮世絵版画が中心でしたから、ほとんどが自館のものでした。
展示の一番初めは、靴を脱いで、床の間様に展示された掛け軸を鑑賞するのですが、写真右の勝川春章「子猫に美人図」は、子猫も可愛く、着物も綺麗、さりげなく誰が袖図、美人は、帯をほどいてます。
動きのない楚々とした美人画ではなく、この物語る絵は、その門下、北斎に受け継がれたのだと思います。
また、「勝川春章〈北斎誕生の 系譜〉展」の案内に、勝川春章は「北斎の師匠、写楽のルーツ」とあるように、写真下のように、役者絵も面白いもの。
が、役者絵は≪対象となる役者の容貌や、舞台における見得など歌舞伎特有の仕草、あるいは役柄など、描き手が踏まえなければならない様々な要素や約束事があるため、絵師の個性を発揮しにくい側面がある。≫(「北斎」大久保純一 岩波新書)というように、勝川春朗こと北斎が勝川春章の門下を去っていったというのもわかる様な気がします。(続く)
☆写真上は、案内紙の上に勝川春章「子猫に美人図」の絵葉書、写真下は、案内紙の上に写楽「三代目大谷鬼次」の絵葉書。

久しぶりに聞いた校歌→→ 。勝ったからではなく、まずエール交換のときの校歌。やっぱり、懐かしい。
青臭い日々を思い出し、ふるさと納税で応援費用協力、夫婦二人分、ほんの少し納税しました。
思いの他(ごめん)、いい試合だった甲子園高校野球選抜21世紀枠出場の後輩たち。よく頑張ったね。お疲れさん。
平日で観戦できなかった夫。
カ・リ・リ・ロはテレビ観戦の模様を、他校卒業ながら野球部出身の息子にラインで中継。ん???確か、彼は仕事中。
☆写真上は、京都車折神社の早咲きの桜。下は京都府立植物園散椿。 
(承前)
映画「偉大なるマルグリット」を見た感想と、その内容を娘に話しました。アンダーグラウンドな登場人物の中に、「ひげ女」と呼ばれる髭の生えた女の人がトランプ占い師として出てきたというと、「あ!エーミールにも出てきた。ひげの女の人!」
リンドグレーンの「エーミールと大どろぼう」です。
≪エーミールが年寄り馬に乗ってフルツフレードに「おおあばれ」しにでていくと・・・(中略)・・・大あばれしたい連中には、おもしろいものがいくらでもありました。サーカス・ダンス場、それに回転木馬など、たのしくゆかいな遊びのできる遊園地などがありました。・・・・それに、剣を飲む奇術師、火をはく奇術師、それから、あごやほおにぼうぼうとひげをはやした、でっかいおばさんがいました。・・・・(中略)・・・ひげがはえていたのが幸運で、おばさんは、お金をとってそのひげを見せものにし、かなりたくさんお金をもうけていました。≫
と、ひげのおばさんが登場し、エーミールと一緒に大泥棒をやっつけるという話です。
実際に、イギリスの列車で、ひげの生えた女性を見かけたことがあります。もちろん、見せ物でなく、アンダーグラウンドな占い師でなく、市井の中年女性でした。ひげをぼうぼうとたくわえるのではなく、金色のひげがちょろちょろといった感じで、ちょうど映画に出てきた女性のような様子でした。
*「エーミールと大どろぼう」(アストリッド・リンドグレーン 尾崎義訳 ビヨルン・ベルイ絵 講談社青い鳥文庫)
☆写真は、ひげのおばさんではなく、スイス トゥーン Fulehung像(道化師)この街の伝説に由来するようですが、いかんせん、ドイツ語も苦手。
フランス映画やしなぁ・・・
凄い音程ずれたまま、何曲か歌うらしいしなぁ・・・
実在の「音痴の歌姫」をヒントに作った映画「偉大なるマルグリット」を見ました。
お金には何不自由なく暮らす男爵夫人。生きがいは、歌うこと。
ただし、誰も、彼女が音痴だと伝えない。
するうち、おっとり、優雅な彼女は、舞台に立って実際に観客の前で歌うことになるのですが・・・
本当のことを伝えるのは、誰に取って幸せなのか?
猫に鈴をつけるのは誰なのか?
本当のことを伝えるのと、そのままにしておくのと、どちらが 残酷なことなのか?
時代は第一次世界大戦後の1920年。有り余るお金をつぎ込む金持ちと頽廃の匂い漂うアンダーグラウンドのパリ。
そんな舞台設定だから、音痴も許される?て、ちょっと行き過ぎじゃないの?・・・・・と、思っていたら、案の定、予想していた結末ではなく、切ないなどという甘い言葉を超えた、その物語構成。
出演者たちは、みな熱演で、見ごたえはあったと思いますが・・・・
個人的には、やっぱり、英国労働者ささやかな幸せ万歳!映画が好みです。(ちょっと続く)
☆写真は、マーガレット(フランス名:Marguerite:マルグリット)。映画では、彼女の歌のファン達(いたとしたら)が白い花を贈るという設定があります。
念願のカワセミ、撮りました!
静かに水辺を見守る人だかり。その視線の先に居ましたよ。青い光を放ってカワセミが・・・
一度は撮り逃がしたものの、ぐるっと回ったところで、もう一度遭遇。
みなさん、いいカメラで構えています。連写の音、カシャカシャカシャカシャカシャ・・・
こちら、焦点をやっと合わせ、やっとこさ、撮れました。
また、すぐに飛んでいったものの、今度の枝は、意外と近く、
≪じっと水をのぞきこみます。パシャン!水がわれて、たいらになります。マルタンが銀色の、小さいコイをつかまえたのです。マルタンは、力強く羽で水をかき、水面にうかびあがります。羽の上のしずくが、キラキラ光ります。小さなからだには、そのしずくさえ重いというように、からだをゆすって、水をきります。と思うまに、もう、枝にもどっています。≫(「かわせみのマルタン」)
束の間のカワセミショーを楽しませてもらいました。
「かわせみのマルタン」には、こんなに細かい観察描写と、生き物たちの一生とそれにつながる再生が描かれています。
かわせみのマルタンと奥さんのマルチーヌにも命の終わりがあるものの、
≪すると、そのとき、とつぜん、フルルル、フルルル!稲光のように青いつばさの二羽の小鳥が、水すれすれに、橋の下をくぐってとんでいって、枝の上にとまりました。マルタンとマルチーヌの子どもたちが、生まれ故郷にかえってきたのでしょうか?≫
いつも、マルタンとマルチーヌの最期では、胸が痛くなり、この新しいカワセミたちの登場では、ああ、よかったと思うのです。
「かわせみのマルタン」の最後はこうです。
≪きょうは、なにもかもが、青くすんでいます。空も、水も。そして四つのつばさは、青空よりもこい青です。そして、水は、うたいながら流れていきます。≫
*「かわせみのマルタン」( リダ・フォシェ文 フェールド・ロジャンコフスキー絵 石井桃子訳・編 童話館・福音館)
☆写真下は、口にザリガニの子か、なにか足のあるものを口にくわえています。すぐに食べちゃいました。二枚とも京都府立植物園 
「勝川春章と肉筆美人画展」から続き
(承前)
出光美術館の「勝川春章と肉筆美人画展」の最後には、喜多川歌麿と葛飾北斎が並んでいました。歌麿の描く美人画は、春章のそれに似ていますが、春章門下だった北斎(勝川春朗)は、ずいぶん、自分の個性が強く出ています。(歌麿と北斎の関係について小説「北斎と応為」に面白い記述があるのですが、それについては、また今度)
北斎のは、以前にも見た「月下歩行美人図」です。揺れる藤の花の着物をまとい、歩く美人。お顔だけが真っ白で、他は地味に控えめに。月の光も控えめに、お顔だけが際立って。
北斎は、他の美人画とちょっと違う。他のは、みんな色鮮やかな綺麗なおべべ。それに、楚々と立ち、楚々と座る。 北斎の描いた着物が綺麗でないわけではなく、色鮮やかにしないことによって、月の光に照らされた美人を照らし出しているのです。しかも、こっぽりの音も聞こえそうなくらいな歩幅の歩き方。「わしゃ、急いでおりんす」という声も聞こえそう。
ただ、静かに鑑賞されんがための美人画と、鑑賞する人を試しているような美人画。後者は、観ていて楽しい。
ちなみにこの前行った、京都細見美術館に展示していた北斎の有名な春画も他と違う視点で描いていて、ふーむ、ふむ、ふむと観てきたのでした。
さて、綺麗な勝川春章の肉筆画でしたが、やっぱり、北斎よねぇ・・・と思って、太田記念美術館の「勝川春章ー北斎の系譜」に行きました。(続く)
*「北斎と応為」(キャサリン・ゴヴィエ著 モーゲンスタン陽子訳 彩流社)
チケットをいただいて今年も大阪場所に行きました。
ざわざわざわと、小屋の雰囲気満載です。
江戸の両国国技館もこんなんだろうか?
小さな子どもたちの声援や、地元から駆け付けた人たちの声援も頼もしい。
それと掛け合うように、対戦力士の応援団。
地元の力士には、大声援。
それなのに、負けてしまうと、それこそ、地響きするような大きなため息。 「あーあ」
応援力士の目に入りやすい場所で、手書きのしこ名を掲げ、「応援してるで」と、猛アピール。
昔、テレビで見ていた相撲より、ずいぶんあっさり勝負がつくような気がします。
何より早く、まわしをとって、よつに組む・・・減ってきた?
物言いがついて、結果が発表されるまで、観客は、「とりなおし!」「とりなおし!!」の大合唱。
ともかく、一番でも多く見たいんだものね。 
出光美術館の「勝川春章と肉筆美人画ー〈みやび〉の女性像」(~2016年3月27日)に行きました。生誕290年記念とありました。
この人の門下には、北斎もいて、この人が当時の浮世絵師たちに多大な影響を与えたらしいのに、よく知らないから見に行きました。太田記念美術館でも「勝川春章〈北斎誕生の系譜〉」(~2016年3月27日)をやっていて、合わせて行きました。
先に行ったのは出光美術館。
写真に写る「美人鑑賞図」が一番初めにあって、おお!
喜多川歌麿(1753?~1806)の「深川の雪」(→→)に雰囲気似てる!どっちも艶やか!
勝川春章(1726?~1793)の「美人鑑賞図」の華やかで美しいこと。
この肉筆画展での一番の収穫は、その掛け軸の表具をずいぶん楽しんだということでした。いわば、浮世絵版画の美人画は、似たようなものが多く、段々、いい加減に見て行く個人的傾向があるのですが、肉筆画に関しては、どれも一つとして同じ表具がなく、どれも華やかで個性的なので、その表具を眺める楽しみを見つけたという次第。
刺繍あり、染めあり、織あり。
花模様あり、吉祥文あり、幾何学様あり。
ともかく、艶やかな美人画の表装ですから、派手な色というのではなくとも、どこか華やかで凝って居ました。
が、しかし、図録をみても、表装は写っていないんですよね。たまに写って居るのもありますが、その表具についての解説はありません。本画、本紙ではないからなのでしょう。それに、修復して時代が新しかったりすることも問題なのでしょうけれど、ちょっと着目してみると、なかなか凝っていて面白い。
ほら、勝川春章「美人鑑賞図」でも、掛け軸を手元で鑑賞していますね。(続く)
「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展『印象、日の出』から『睡蓮』まで」(京都市立美術館:~2016年5月8日)は、予想通り平日でも混雑しておりました。(もうすでに東京・福岡を巡回、新潟は京都の次)ただ、日本の絵巻きなどの混雑とは違いますが、特に目玉の「印象、日の出」前は人だかりでした。
パリ、マルモッタン・モネ美術館で見た時と、印象がちょっと違うモネの「印象、 日の出」。ちょっと、青すぎない??日の出の時刻より、海が明るくない??
パリ、マルモッタン・モネ美術館の自然光で明るい館内と、京都市立美術館の暗い館内でLED照明の違いでしょうか。
大体、パリ、マルモッタン・モネ美術館では、「あれれ?これってもしかしたら、『印象、日の出』?」と、思ってしまうくらい、さりげなく展示してあって、「これが、印象派の名前の由来になった、あの絵」という仰々しさがなかった記憶があります。
「モネ展」は、モネの画の変遷がわかる内容で、わかりやすい展示だったと思います。また、ルノアールによる肖像画や、モネ自身の収集品のドラクロアやピサロ、ロダン、シニャックなども並んでいて、モネの周りにも少し近づける感じです。ただ、最晩年のジヴェルニーの大量の絵は、部屋に合わせた数合わせのような気がしました。
睡蓮と花のコーナーでは、睡蓮を中心に花の絵が展示されていましたが、パリ オランジュリー美術館で見た部屋いっぱいの「睡蓮」が圧倒的な印象で心に残って居るがゆえ、それ以来、どのモネの「睡蓮」の絵を見ても、ふーんとしかならないのは、個人的な悪癖なんだろうと思います。
☆写真は、画集「モネ」(岩波)の「印象、日の出」のページに、「モネ展」チケット半券。
「カラヴァッジョ展」に続いて行ったのは、東京都美術館は「ボッティチェリ展」(~2016年4月3日)でした。
こちらは、カラヴァッジョの10点より多い20点以上であるものの、「ボッティチェリ展」と銘打っても、工房のものや、師匠のフィリッポ・リッピやその息子の作品も並んでいました。
日伊国交150周年記念だから、あれもこれも来るかなと期待していましたが、一番心に残ったのは、日本の商社がもっている「美しきシモネッタの肖像」(写真左の横顔の人)。
すごーく近くで見られたこともあって、(つまり、夕方で、すいていた)まじまじと細かいところまで鑑賞できました。うーん、美しい!肩や首周りのレースの細かい模様までも見えたので、これだけでもボッティチェリ展に行った甲斐があったというもの。
それで、会場の解説にあったのですが、ボッティチェリは、19世紀英国のラファエル前派に評価されたようです。それまで、ヨーロッパではあまり知られていなかったのが、再発見という形だったようです。そうか!それでですね。ロンドンナショナル・ギャラリーには、何枚かボッティチェリの作品があって、意外だなぁと思った謎が解けました。
で、後半ボッティチェリとその工房の作品というのも並んでいるのですが、工房の作品とボッティチェリ自身の作品は、カ・リ・リ・ロのような素人でもわかってきたので嬉しかったです。ボッティチェリの描く人の口角に注目して!そしたら、多分、わかるから。多分ね! 
上野の国立西洋美術館と東京都美術館に行くには、金曜の夕方から行くのがお薦めかもしれません。8時まで開館しているのでゆっくり見ることができます。多分、昼間より人も多くない。
まず、駅に近い国立西洋美術館では、「カラヴァッジョ展」(~2016年6月12日)が開催されていました。日伊国交樹立150周年記念らしく、隣の東京都美術館の「ボッティチェリ展」(~2016年4月3日)も同様です。どちらも、東京でしか開催されないようで、イタリアに行く予定もないので、行ってみました。
大きな国立西洋美術館だし、どれだけカラヴァッジョが集まるんだろうと思っていたら、なーんや、10点でした。(現存する真筆は60点強と言われているようです)他は、同時代の画家たち。
もともと、特に好きな画家ではないものの、その生涯が裁判や殺人や暴力につながっているという天才画家の変遷に触れられればと思いましたが、やっぱり、10点じゃ、よくわからない・・・ともかくも、1571年生まれで1610年没のカラヴァッジョ、その光の描き方は、その時代の他の絵に比べても群を抜いて斬新でした。ただ、「トカゲに噛まれる少年」は、ロンドンナショナルギャラリーにあったもう一枚の方が、今回イタリアから来たのより、もっとインパクトがあったような・・・(大きさなのか、色合いなのか、よくわかりません)
「風俗:占い、酒場、音楽」「風俗:五感」「静物」「肖像」「光」「斬首」「聖母と聖人の新たな図像」というテーマ毎に展示されていましたが、強い個性の発揮されたもののほとんどは、カラヴァッジョだったと思います。
また、見てみたかった「聖マタイの召命」は来ていなかったものの、「エマオの晩餐」という絵を見ると、他の福音書関連の絵も見たくなりました。
(承前)
「ゆかいな若冲 めでたい大観 HAPPYな日本美術」展(~2016年3月6日:山種美術館)は、そのタイトル通り、ユーモアあふれる作品や、吉祥画と呼ばれるものがたくさん展示されていました。鶴と亀、松竹梅、七福神、蓬莱山と冨士山や、干支に伏見人形や寒山拾得、このそれぞれのコーナーに若冲の作品がおよそ一つずつのように展示されていました。
若冲の作品には、今まで目にしたことのないのも何点かあって、どれも楽しかったのですが、写真左小さく写る「仔犬に箒図」は、細見美術館にある同じ「子犬に箒図」(写真左)の眼光鋭い仔犬と比べると、ずいぶんほのぼのした絵柄です。前を向いて、にらんでいるものより、緩い。
禅で「払う」とか「清める」という意味を持っているらしい箒の前の、仔犬の後ろ姿です。
寒山拾得の「箒」に仔犬が、戯れているのか、守っているのか。単に寝ているのか。
また、この掛け軸がやさしい空気を伝えているのは、上部に書かれた「仮名」の「賛」にあるような気がします。(ちなみに、細見美術館の「賛」は、漢文で、丹崖和尚の書を写したもの)
禅語のようで、この場合、横に押された印で、左から読むのだろうと教えてもらったのですが、何が書いてあるのかは読めていません。ただ、犬に仏性が有るか無いかを説いた話に基づくものであろうとのこと。
☆写真は、「若冲展」(没後200年)の図録「仔犬に箒」(細見美術館蔵)を広げた上に、山種美術館の案内紙
イカナゴをもう一度買いに行ったら、目についたのが、イカナゴの親の「フルセ」。
カ・リ・リ・ロの子どもの頃は、イカナゴよりこっちが主流だったと思うのですが、うちの家だけだったのでしょうか。市場に、この「フルセ」のくぎ煮専門店があって、並んで買っていました。
その時、ちょうど小学校入学前のカ・リ・リ・ロは、母と一緒に、お店に並んでいました。購入後、ぱっと走り出したら、そこへ車が・・・。が、すんでのところで、車は止まり、カ・リ・リ・ロはびっくりして、しりもち。足を擦りむいただけでしたが、運転していた人と病院へ。ま、事なきを得たものの、「フルセ」の思い出につながる大昔のことです。どの辺に店があったか、今もはっきり覚えています。
ところで、 なにゆえ、そんなにイカナゴに肩入れするのか、不思議に思われるでしょうね。
イカナゴは気温の上昇とともに、日に日に大きくなって、カ・リ・リ・ロの調理しやすい大きさの時期は短いということ。
カ・リ・リ・ロのお鍋二つでは、一日に2キロしかできないということ。
日曜は漁がないし、雨などの天候でも漁のない日があること。
なにしろ、鮮度第一の小さい魚なので買ったその日のうちに調理しなくちゃならないこと。
さてさて、また、明石の魚棚に昼過ぎ出かけましたら、イカナゴ一日で半額になっていました。1キロ1000円。写真のタコは、いわゆる明石のタコ。
暖冬で産卵が遅れ、例年より解禁が遅かったいかなご。
明石の魚棚でも1キロ2000円でした。他は、もっと高価という情報。
とはいえ、やっぱり、春はこれ。
・・・と、いかなごの写真だけでは地味(?)なので、お雛様前限定発売だった小さな生菓子。美味しい3月。

エルマーのリュックサックの中身が気になったのは、子どもの頃で、エルマーのリュックサックのデザインが気になったのは、大人になってからでした。
「エルマーのぼうけん」シリーズで、リュックサックと訳されていても、この形(→→→)は、末っ子が小学校にあがるときに、用意したランドセルとよく似ています。末っ子は、2月生まれで身体も小さく、小学校まで歩いて40分かかるので、少しでも軽いものと思って、用意したランドセルでした。
それに、最近、大阪の街で、リュックサックの人が増えたような気がします。大阪の街に、外国人観光客が増え、街中でリュックサックを背負うことに、抵抗が減ったのかもしれません。
カ・リ・リ・ロ自身は、重い荷物が負担になりだした10年以上前から、リュックサックを利用してきました。夫も背広にリュックサックという出で立ちで、もう何年も通勤しています。
両手が空く気軽さから、重宝するものの、街中で、あるいは、通勤に使うとなれば、山登り用の機能性より、お洒落なものを探し、背中のどのあたりに背負うのがダサくないかという若い人の意見に従っています。
もちろん、リュックサックは、エルマーのように「ぼうけん」にいくときのためにも、必要です。
*「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」「エルマーと16ぴきのりゅう」(ルース・スタイルス・ガネット文 ルース・クリスマン・ガネット絵 わたなべしげお訳 子どもの本研究会編集 福音館)
☆写真は、スイス ニーダーホルン
(承前)
「エルマーのぼうけん」の最後は「エルマーと16ぴきのりゅう」です。
エルマーは、「エルマーとりゅう」で家に無事に帰ったものの、りゅうは、そのまま一人で故郷の「そらいろこうげん」に飛んでいきます。
すると、お父さんとお母さん、13匹のきょうだいたちのピンチ!
で、エルマーにもう一度ヘルプを出します。
エルマーは、またもやリュックサックに、色々詰めて出発です!
≪ふえが十六。ぜんぶちがうねいろのもの。らっぱが十六。ぜんぶちがうおとのもの。うんどうかいにつかうピストル一ちょう。それから、ピストルのたま。じょうぶなひもを一たば。いたチョコ六まい。ほしいちじく六はこ。それからエルマーは、まえにつかった、よくきれるジャックナイフ・・・だいどころのひきだしから、かいちゅうでんとう・・・≫
・・・ま、三冊目ともなると、リュックの中身が、何に使われそうか、ちょっと想像できそうで楽しい。
作者のルース・S・ガネットは、娘ばかり7人のお母さんになったのですが、この三冊目が刊行された時は、まだ二人の娘のお母さんでしかなかったのです。14人は欲しかったでしょうねぇ。
*「エルマーのぼうけんをかいた女性 ルース・S・ガネット 」(前沢明枝著 福音館)
*「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」「エルマーと16ぴきのりゅう」(ルース・スタイルス・ガネット文 ルース・クリスマン・ガネット絵 わたなべしげお訳 子どもの本研究会編集 福音館
(承前)
「エルマーのぼうけん」の二冊目は、 「エルマーとりゅう」ですが、その中心になるカナリアやその「カナリア島」が生まれたエピソードも、「『エルマーのぼうけん』をかいた女性 ルース・S・ガネット」(前沢明枝 福音館)で明らかにされています。
友だちの家のカナリアは、友だちがピアノを弾き始めると、ピアノの音と競うかのように声を張り上げて歌います。それをうるさがり、嫌がる友だちはカナリアをカゴからだし、窓を開け放したままにすると、やがて、カナリアは外へ飛んでいってしまいます。友だちは何事もなかったようにふるまうものの、ルース・S・ガネットは、
≪なんだか、カナリアがかわいそうでねぇ。あのカナリアは、どこへ行くんだろう、これからどうやって生きていくんだろうって思ってね。逃げたカナリアたちが楽しくくらせる『カナリア島』っていうのがあったらいいのにって思ったの。≫
で、エルマーとりゅうは、みかん島からカナリア島に飛んでいきます。
リュックサックの中には、みかん69個のほかに、りゅうをたすけにいったときつかった、いろいろなものの、のこりがはいっていました。
≪ももいろのぼうつきキャンデーが、七本。(これは、また、きっとやくにたつとおもってのこしておいたのです。)わごむのたばが、はんぶんばかり。チューインガムが三まい。よくきれるジャックナイフ。それに、からのアサぶくろです。・・・≫
さて、そのまた最後に残ったわごむのたばの半分とチューインガムは、カナリアに。まだ残っていたぼうつきキャンデー4本はりゅうに。もらってきた金貨三袋はおとうさんに。お母さんには金時計と鎖。そしてエルマー自身は、銀のハーモニカ。
そして、冒険が終わり、エルマーはなにか食べるものを探しに冷蔵庫の方に飛んでいったのです。(続く)
*「エルマーのぼうけんをかいた女性 ルース・S・ガネット 」(前沢明枝著 福音館)
*「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」「エルマーと16ぴきのりゅう」(ルース・スタイルス・ガネット文 ルース・クリスマン・ガネット絵 わたなべしげお訳 子どもの本研究会編集 福音館
☆写真は、エルマーに、かわいそうなりゅうの話をしたのらねこではなく、公園在住ののらねこ。