みんなみすべくきたすべく

短編小説部門

ミルフィーユj
(承前)
 このまま、モーパッサン短編集に行きたいところですが、書店で目に入った今までの装丁と趣の違うサマセット・モーム「ジゴロとジゴレットーモーム傑作選」です。
 
 新訳で楽しむ8篇ということで訳者は金原瑞人、新潮文庫です。
 サマセット・モームの短編傑作選は、粒ぞろいの面白さ。どの話も、背景も結末も違うのに。
 好き嫌いはあるにしても、どれを一番面白かったなんて、決めることができません。やっぱり、サマセット・モームは面白い
 というわけで、カ・リ・リ・ロ的2016年「短編小説」部門は、「ジゴロとジゴレットーモーム傑作選」にします。
 
 「サナトリム」という話は、結末がちょっとハートウォーミング。先のモーパッサン「脂肪の塊」とは異なる読書の面白さを味わえます。ただ、話の一部に、ブリッジの話が出てきて、要を得ない者には、しんどい部分があるにはあるのですが、そこは、話の盛り上がりでもあって、なんとか、読み進むと、ほっとする流れになっていくのです。

 「アンティーブの三人の太った女」や「ジェイン」は、今この年齢で読んでこそ、面白さを堪能できた短編かもしれません。
 「アンティーブ・・」のほうは、現代でいうなら、ダイエット・ダイエット・ダイエット、あるいは、「ダイエットは明日から」といったところでしょうか。古臭さのない、なんともおかしい話です。
 「ジェイン」は、中年のダサいご婦人が、いかにしてロンドン社交界の人気者になっていくか、の話ですが、若い燕を袖にするところがなんとも小気味よいわ。ふふふ

 どちらかというと、表題になっている「ジゴロとジゴレット」が、一番、ありきたりな感じのする話だった気がします。(続く)
 
*「ジゴロとジゴレットーモーム傑作選」(サマセット・モーム 金原瑞人訳 新潮文庫)
☆写真は、スィーツアミューズメントパークのような某所、ティールームのミルフィーユ。食べにくいけど、美味しいに決まってるやん!

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中編小説部門

ローストビーフj
 (承前)
 堀口大學の訳に惹かれてから、堀口大學の生涯も読み(大著なので、読了したものの、まだ書けてない)・・・しているうちに、ちょっと、訳本の見方が変わってきました。

 今まで読めなかった翻訳本を読める訳で読んでみる、違う文庫本で読んでみる、あるいは、再読してみる・・・そんな一冊が、モーパッサンの中編小説「脂肪の塊」でした。(新潮文庫)
 訳者は、堀口大學の後に続いた青柳瑞穂です。(ピアニスト青柳いずみ子の祖父)
 一言でいうなら、面白かった!これまた、早々にカ・リ・リ・ロ的「2016年 中編部門」1位なのです。

 ひどい「奴ら」と「脂肪の塊」と呼ばれる女性の対比。最後の啜り泣きは、そのシーンが目に見えるよう、聞こえるよう。読んでいて、胸がつまります。
 食べ物で盛り上げるのがフランスっぽい。
 鼻持ちならない「奴ら」を書くのがうまいフランス文学。

 訳者青柳瑞穂解説によると、≪中編小説(ヌーヴェル)というのは、短編(コント)のように、きちんと、まとまっていず、そうかといって長編(ロマン)のように堂々たる骨格もなく、どっちつかずの、締りの無いところのあるものである。・・・(中略)・・・ところが、この「脂肪の塊」「テリエ館」だけは例外で、始めから終りまで、読者を楽しませ、喜ばせて、倦ませるところがない。構想それ自身が、すでに独創的で面白い上に、細部にわたっても、作者の驚くべき注意力が行き届き、文章の妙と相俟って、それからそれへと小さな当て場を見せてくれる。けだし、モーパッサンとしても、時間と努力を充分にかけ、心血を注いだ証拠であろう。≫(続く)

*「脂肪の塊・テリエ館」(モーパッサン 青柳瑞穂訳 新潮文庫)
☆写真は、スイスのホテルの日替わりハーフボードのスターター。こんな、ようさん食べられへん。
  

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脂肪の塊

うずらjj
(承前)
 堀口大學つながりで、書いていたはずが、いつのまにか、「マノン・レスコー」に行き、青柳瑞穂訳で、モーパッサンにつながりました。・・・と、思ったら、サマセット・モームにもつながる!
 モーパッサンは「マノン・レスコー」の当時の版の序文を書き、激賞しているようで、モーパッサン「脂肪の塊」とアベ・プレヴォー「マノン・レスコー」の訳者青柳瑞穂は、堀口大學に師事しました。そして、これらは、岩波文庫でなく新潮文庫だし(このことにも、意味があるので、いつか書こう)、モーパッサンをお手本にしたと言われるのがサマセット・モームだし。

 文学をきちんと学んだ人や読書家には、何を今更、驚いているのだと言われるようなことでも、この年齢になって、新しいことを知る喜びはあるもので、よかった、よかった。ただ、言ってみれば、「マノン・レスコー」も「脂肪の塊」も、「椿姫」も、娼婦つながりなので、娘に言わせると、「最近、お母さんは、娼婦ものにはまっているんやねぇ」

 大体、このタイトルは、ダイエット中の人の目に触れてはいけない言葉です。話は、プール・ド・スイフ(脂肪の塊)と綽名の付いた、いわゆる闇の女と、一緒に馬車に乗りあわせた「奴ら」―――葡萄酒卸商人夫妻、県会議員で事業主の有力者夫妻、名門伯爵夫妻、尼さん2人、共和国実現を待つ民衆主義者の男―――の話です。時代は独仏戦争の終わり、許可をもらって旅に出た一行。早朝4時半集合だったので、食べ物の用意をしていませんでした。ただ一人用意していたのが、プール・ド・スイフ(脂肪の塊)。
 お人よしの彼女が取った行動。それは、傲慢な「奴ら」と食を分かち合うことでした。(続く)

*「脂肪の塊」(モーパッサン 青柳瑞穂訳 新潮文庫)
*「マノン・レスコー」(アベ・プレヴォー  青柳瑞穂訳 新潮文庫)
*「椿姫」(デュマ・フィス 吉村正一郎訳 岩波文庫)
*「カルメン」(メリメ 堀口大學訳 新潮文庫)
 
☆写真は、パリ 鶉のフォアグラ詰め。(撮影:&Co.H)

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支えてきたのは

細見j
 18歳以上なので、なんなく入場できました。
 娘が英国に居るときに、大評判になっていたらしい日本の春画展。
 東京でも永青文庫でやっていました。それも、大入りだったとか。
 で、京都細見美術館に行きました。(~2016年4月10日)
 狭い会場に人がいっぱい!
 今まで何度も行った細見美術館ですが、こんな混雑は初めて。
 しかも、平日のお昼に美術館に行ける中高年の男性の多いこと。
 たいていの美術展なら、そんな男性もお一人か、ご夫婦で来られているのに、今回は、「連れ」たちと来てる人が多い。
 こんな美術展も初めて。
 
 いわば、怖いもの見たさの感覚で行ったものの、
 綺麗な浮世絵や肉筆画なら、このテーマで見なくても、他にいっぱいあるし、
 着物や背景の凝った版画なら、このテーマでない方が、しげしげと鑑賞できるので、
 もうこのテーマの展覧会には行かないと思う。
 
 ・・・と、帰宅して、すでに鑑賞済みの娘に報告すると、
「今も昔も、この手の画を支えてきたのは、男性諸氏だということやね」

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カフェのギャラリー

       作品j
 駅への行き帰り、いつも前を通っていたカフェのギャラリー、気になる展示もあるものの、入ったことがありませんでした。
 
 が、駅の近くの道、ひょこり出会った、本当に久しぶりのお友達ご夫婦。
 「なんで、こんなとこ歩いてるん?」 
 「夫が、ギャラリーで写真展やってる。」 
 
 行ってみました。
 小さなカフェの壁をぐるりと、お仲間たちの素敵な写真や絵や書。店内には、10人以上のお客様。みんなお仲間関連なのか、コーヒーを前に、あるいは作品の前で、ゆったり歓談されています。
 多分、カ・リ・リ・ロより年長の落ち着いた方ばかり。
 売るとか買うとかに関係がないから、生臭くない・・・
 作品展を口実に、集まったんだろうなぁとお見受けできました。

 なんか、いいなぁ・・・カ・リ・リ・ロもいつか、こんな機会があったら、久しぶりの方と、お会いできるかなぁ・・・歳を重ねるのはいいなぁと思いながら、小さなお店を後にしました。 
☆写真は、ウェルカムボードの上にリングピロー。

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マノン・レスコー

      マノンj
(承前)
 さあ、今度は「マノン・レスコー」(1731年)です。これは、「カルメン」(1845年)「椿姫」(1848年)とは大きく時代が違います。その分、少々、素朴で荒唐無稽な可笑しさが漂います。
 「マノン・レスコー」(アベ・ブレボォ 青柳瑞穂訳 新潮文庫)正しくは、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』です。

  末っ子の持つ岩波文庫「マノン・レスコー」は河盛好蔵訳だったのですが、新潮文庫の訳者青柳瑞穂は、堀口大學に師事とあったので、この機会には、新潮文庫でしょ。と読みました。

 1731年の作品とは思えないのは、訳の軽妙さでしょうか。意固地に初めの訳にこだわらずに、改訳し、現代でも読みやすいものに仕立てています。この青柳瑞穂訳というのも、他に読み漁らなければ・・・うーん

  さて、話はというと、娼婦ものの元祖とも言われる話で、骨抜き男もあっさり登場。もちろん、したたかなでなマノンもマノンですが、≪朝から晩まで彼女のそばについているというていたらくだった。そして、もう1時間が基準ではなく、一日が基準になっていた。いよいよわたしの財布は完全にからっぽになったので・・・・≫と、自ら告げる『騎士』も『騎士』。おいおい、しっかりしろよ。
 
 さらに、このお人よしのおぼっちゃまは、最後にこんなことまで言います。
≪ぼくたちはふたりともあまりに美しい魂と、あまりに善良な心を持っているので、≫(はぁ???誰が???)
≪義務を忘れて平気で生きていることなどのできる人間じゃない。・・・・・・・(中略)・・・・ぼくたちのように、いつも恋の鎖でしっかり結ばれていることに自信があれば、結婚の鎖だってこわがることはないさ。≫(うぇー!それまで、賭博、詐欺、不貞に浪費の繰り返しだったのは、どこの誰?誰?誰?)

 ・・・・で、このマノン・レスコーを激賞する一人にモーパッサンが・・・ということで、次はモーパッサン、この際、青柳瑞穂訳で読みます。(続く)

☆写真は、フランス フォンテーヌブロー宮殿にあった椅子のエンブレム「M」

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椿姫

つばきj
(承前)
 次は、 「椿姫」 (デュマ・フィス作 吉村正一郎訳 岩波文庫)。

 原作は、あの「乾杯の歌」の華やかなメロディからイメージするよりも、ずいぶん、暗く切ない。
 公爵の庇護下とはいえ、男性の出入りも多い絶世の美女、娼婦マルグリット。その彼女に惚れた青年アルマン。純愛を貫こうとすると無理が生まれ、結局、後悔だけが残る結果に。

 読みやすく、娯楽性に富んだ読み物として、今まで支持されてきたのがわかります。翻訳も版を重ね続けていますから。
 今読むと、ストーカーじゃないの?と思うような素行もありだし、嫉妬深いのが、女性というより、若い男性の方だし。
 ともあれ、働かずして、生きていける人たちが居た時代。容貌を武器にせざるを得なかった娼婦たち。

 したたかな女性に振り回される骨抜き男性の登場無くては、「カルメン」も「椿姫」もないのですが、「カルメン」が力強く骨太な感じがするのに対し、少々、女々しいのが「椿姫」。
 「カルメン」の作者のメリメが考古学者で政治家になったような背景と、偉大な父デュマの息子で、出生に負い目を感じていた作者の背景がもたらした違いでしょうか。

 さて、「椿姫」で、青年アルマンがいかにして、マルグリットに出会い、別れたかを語るきっかけになるのが、マルグリットが亡き後に残った、アルマンのサイン入りの本「マノン・レスコー」(アベ・ブレボォ 青柳瑞穂訳 新潮文庫)でした。(続く)

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枝垂れ梅

枝垂れ梅j
 「梅が香を袖にうつしてとどめてば春は過ぐとも形見ならまし」 (読み人しらず 古今和歌集)

 咲き始めてから一月以上も経つのに、まだしばらく梅の花を楽しめそうです。今年の冬は暖かかったから、早咲きの梅にも出会うことができ、それで、花期が長いと思うのでしょうか。

 2月なので、寒いのは寒いものの、陽射しが明るく、重いコートが似合わないような気がします。颯爽と軽いコートを着ている人がまぶしい・・・

 枝垂れの桜もいいけれど、ご近所の枝垂れの梅もきれいです。
 紅梅は白梅の亜品種で、一重、八重、枝垂れなどの栽培種がある。とありました。

          しだれうめj

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アカシアの花を一輪

         ミモザj
(承前)まずは、「カルメン」(メリメ 堀口大學訳 新潮文庫)から。

  情熱的な女性がフラメンコを躍る。真っ赤なバラをくわえ、あの衣装で・・・というイメージしかなかったのですが、この原作は、考古学者が見聞きしたことで成り立っています。最後の章などは、ジプシーについての民俗的な考証になっているのです。

 言わば、 主人公は、カルメンではなく、山賊になってしまったホセですが、毒婦「カルメン」に振り回された挙句の果て、殺人。また、華麗な闘牛士リュカスももう少し出てくるかと思いきや、結構,端役。が、しかし、強烈な個性の彼女は、時代を超えて人の心に印象付けられます。

≪あの女はいくつもの穴のあいた白絹の靴下をのぞかせる、真っ赤な短いペチコートをつけ、火色のリボンで結んだ赤いモロッコ皮のかわいらしい靴をはいていました。あの女は肩とシュミーズのあいだにはさんだアカシアの大きな花束を目立たせるために、かぶっていたマンティーヤをうしろにはねのけました。あの女は別にアカシアの花を一輪、唇のすみにくわえていました。そしてコルドヴァの牧場の牝馬のように、腰をふりながら歩いていました。≫

 え?カルメンの唇に加えた花は、真っ赤なバラでなく、アカシアだったの?原文cassieは、アカシアの類で、いわゆるミモザの類。黄色い小さな花は赤い服装に強烈に映えます。それに、放浪のジプシー女性の香りづけとして、胸元に甘い香りのアカシアは、理に適っています。ただ、小さなミモザより、情熱的なイメージだけなら真っ赤な薔薇かなぁ。・・・・とはいえ、バラもミモザも棘があるけれど。
*堀口大學訳(新潮文庫)も杉捷夫訳(岩波文庫)でも、アカシアとなっていました。(続く) 

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カルメン

        朱バラjjj
「カルメン」 (メリメ 堀口大學訳 新潮文庫) 
堀口大學の訳書です。
 あの有名な「カルメン」の原作です。♪チャンチャカチャンチャン チャカチャカチャン♪と、あのメロディは、ぱっと思い出せたのですが、じゃ、「椿姫」は?と問われたとき、ん?と困ってしまいました。どちらの舞台も見たこともない身の上。ストーリーすら、よくわからん。(とはいえ、一旦思い出した「乾杯の歌」は、一日中、♪チャチャチャーン チャチャチャチャチャチャチャチャチャーン♪)

 で、作者は「カルメン」がメリメ。「椿姫」がデュマ・フィス。
「カルメン」(1845年)がスペインで、「椿姫」(1848年)はパリ。
舞台原作で、作家がフランス人、時代も近いという共通点がありました。

が、結局のところ、なーんも知らん・・・と、思っていたら、フランス文学好きの末娘の知るところとなり、「カルメン」だけ読んでいたんじゃ、だめです。という、たってのお薦めで「椿姫」も読むことに。そして、「マノン・レスコー」も。(続く)

*「椿姫」(デュマ・フィス作 吉村正一郎訳 岩波文庫)
*「マノン・レスコー」(アベ・ブレボォ 青柳瑞穂訳 新潮文庫)
☆写真は、ロンドン リージェントパークの薔薇

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ブルワリー見学

ビール看板j
 ビールが好きでもないし、滅多に口にもしないというのに、工場見学に誘ってもらい、ほいほい付いて行きました。
 麦芽をそのまま食べたり、麦芽汁だけを試飲したり、そして、もちろんビールの試飲も。
 見学予約したその時間は、たまたま、友人と私の二人だけの見学ツアー。
 それなのに、一人のガイドさんがついて、ご丁寧なこと。

 昔、小学校に勤めていた時に、引率した社会見学以来の工場見学でしたから、けっこう楽しく、工場併設レストランのランチも美味しく、いつのまにか、人でいっぱいになった工場を後にしました。

                          キリンjj

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ブレーメンのおんがくたい

       ブレーメンj
 ハンス・フィッシャーの「こねこのぴっち」(岩波)については、以前にぬけぬけと、書きましたが、フィッシャーは、とても好きな絵本画家の一人です。
 
  写真右、フィッシャーの「ブレーメンのおんがくたい」は、話のスピーディな展開と合って楽しさが倍増します。それは、フィッシャーの描く軽やかでリズミカルな線から生まれてくるものだと思います。糸が(線が)紡ぎ出されてくるという感じがします。
 
 松居直は、「ハンス・フィッシャーの絵本覚書」という文の中で、この絵本のことを、こう言いました。**
≪さし絵をとおして聞こえてくる動物たちの声や音楽、泥棒と音楽隊のおおさわぎ、その間にある真夜中の静けさ。最後の上下に並んだベッドに眠る動物たちの画面は、なんと、みごとに物語の完結を語り、めでたしめでたしを絵で描いています。『さし絵は言葉の最も深い意味において、一種の視覚的なストーリーテリングです。』という、アメリカの絵本作家、マーシャ・ブラウンの言葉が納得できるではありませんか。≫**

 さて、グリム童話の中でも、「ブレーメンのおんがくたい」は、展開のわかりやすい話の一つで、たくさんの画家が、絵本にしていています。中には、ぬいぐるみのような動物たちが行進したり、泥棒たちがいい人そうだったり、シュールな画風とお話が合っていなかったり・・・と、色々、見受けられます。
 とはいえ、写真左下は、グリムの昔話1に入っている「ブレーメンの音楽隊」フェリクス・ホフマンの挿絵で、写真左上のゲルダ・ミューラー「ブレーメンのおんがくたい」は、昨秋翻訳されました。

*「こねこのぴっち」 (おはなしとえ:ハンス・フィッシャー やく:石井桃子 岩波)
*「ブレーメンのおんがくたい」 (グリム童話 ハンス・フィッシャー絵 せたていじ訳 福音館)
**「ハンス・フィッシャーの世界」(小さな絵本美術館)
**「翻訳絵本と海外児童文学との出会い」(松居直著 シリーズ松居直の世界3 ミネルヴァ書房)
*「ブレーメンのおんがくたい」(ゲルダ・ミュラー作 ふしおみさを訳 BL出版)
*「グリムの昔話」(フェリクス・ホフマン編・画 大塚勇三訳 福音館)

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本の話は、「既読の人」同士でしたほうが絶対おもしろいのである。

本棚j
 斎藤美奈子という文芸評論家の「文庫解説を読む」は、岩波「図書」に連載されていて、いつも、その毒にあおられながらも、楽しみにしています。その連載の感想文や、彼女の著書の感想文を書こうとしているものの、ともかく、この人の読書量が半端なく、彼女の書くものに登場する本を、読んでから・・・なんて言っているうちに、どんどん先に進んでいき、追いつきません。

 そんななか、「名作うしろ読み」(中公文庫)というのが、新刊の平置きになっていました。目次を見ると「子どもの時間」という章もあって、ピッピや点子ちゃん、ドリトル先生、プーというなじみある名前が並んでいました。

 というわけで、購入したこの新刊「名作うしろ読み」なのですが、タイトル通り、名作の一番後ろ(最後)の文から、名作の魅力や、そうでもない空気を伝えようとする一冊です。

 彼女はこの本の「はじめに」で、こう言って、本好きを、誘います。
≪未読の人にはこのようにいってさしあげたい。「つべこべ文句いっていないで、読もうよ本を」
 これだけは保証しよう。本の話は、「既読の人」同士でしたほうが絶対おもしろいのである。≫

そして、この本のあとがきの最後の一文は、≪評論のラストはとかく説教臭くなるのが問題だ。≫で、終わります。

それでです。
今回文庫版のためのあとがきの最後の一文はというと、≪願わくは名作のオコボレを少しでも長く頂戴できますように。≫ 

*「名作うしろ読み」(斎藤美奈子 中公文庫)
☆写真は、スイス オーバーホーヘン城内 書棚

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コンタクト・ゲーム

 コンタクトゲーム1
 先日、大雪のワシントンから息子が帰ってきてほっとしたら、次は、末っ子がパリに出張です。
 仕事とは言え、今?パリ?・・・・と、母親は、いつまでたっても子どものことが気になります。
 が、たまに、みんなが集まると望外の喜びがあるものです。

 お正月も、みんなが揃うことが難しくなった今、嫁いだ娘がいうことには「こんど、みんなが集まったら、コンタクト・ゲームしたいなぁ」

 「コンタクト・ゲーム」というのはドイツのゲームで、持ち札を出して、道、線路、川をつないでいくゲームです。5歳から99歳、2人から10人向き、西ドイツ製とありますから、1990年以前の製造です。また、あるとき、同じものもらったので、うちには2箱分の「コンタクト・ゲーム」、すなわち、二倍の道と線路と川というわけです。

 うちは、テレビも見ず、いわゆる電子ゲームもありませんでしたから、家族がそろうと、人生ゲームやスコットランド・ヤード、UNOやかるた、百人一首など、アナログなゲームを楽しんできました。
 するうち、みんなが揃うことが珍しくなってきて、自ずと「コンタクト・ゲーム」もお蔵入り。
 
 で、この度、久しぶりにやりました、「コンタクト・ゲーム」。

 いわば、単純につないでいくだけのゲームなのですが、終盤は、他の人の札に眼を配りつつも、自分もつないでいく。簡単そうに見えて、人数が増えると、結構難しいのです。ゲームにつきものの、勝敗がないわけではないのですが、勝つために、意地悪な作戦に出たり、負けて地団太踏んで悔しがったりと、勝ち負けにこだわるよりも、ともかく「つなげる」。他を排除したり、貶めたりしている暇があったら、「つなげていく」ことに専念する。
 「つなぐ」ことがすべてです。
 「つながる」ためには、人を蹴落とすわけにはいかないのです。

 さて、もう誰もつながる持ち札がなくなって、ゲームオーバーになったとき、ゲームの参加者は、床に広げられた共同作業を満足げに眺めるのです。それは、昔、子どもたちとやったときも、今回、大人の(いい年齢の)子どもたちとやったときも、同じでした。 
      コンタクトゲーム12

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赤ちゃんのはなし

        紅梅枝j
(承前)
  ロベルトのてがみ (マリー・ホール・エッツ作 こみやゆう訳 好学社)はメキシコからアメリカに来た家族の話でしたが、エッツは「クリスマスまであと 九日ーセシのポサダの日(アウトラ・ラバスティダ゙文 田辺五十鈴・訳 マリー・ホール・エッツ絵 冨山房)や、 「ジルベルトとかぜ」 (マリー・ホール・エッツ作 たなべいすず訳 冨山房)、 「赤ちゃんのはなし」 (マリー・ホール・エッツ文・絵 坪井郁美訳 福音館)にも、ヒスパニック系の子どもたちを描いています。
 
 もしかしたら、「赤ちゃんのはなし」で生まれてきたあの赤ちゃんはロベルトかな?などと思いながら、「赤ちゃんのはなし」を引っ張り出してきました。
 最後のページで赤ちゃんが笑う絵は、表紙の絵と同じなのですが、最後の絵では、本当に笑っているようで、見る方も、にっこりしてしまいます。表紙には、お話がなく、最後の絵にはお話がありますからね。

 絵本では、胎児から出生、そして、上の子どもたちとの関わりが、順に描かてれて行きます。そして、最後で、小さなきょうだいたちが赤ちゃんを笑わせようと、いろんなことをします。いないいないばあをしたり、顔にしわをよせたり、でたらめな言葉にふしをつけて歌ったり・・・
≪そのときです。そのでたらめのことばが赤ちゃんに通じたのは。赤ちゃんは、その音が気にいりました。だって、おもしろい音だもの!≫

 昨年の梅の頃、結婚した娘は、一度流産したものの、今は、次の妊娠の安定期です。
 若い夫婦は、この絵本を持ち帰り、二人で楽しんだようでした。

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ロベルトのてがみ

ロベルトj
 「ロベルトのてがみ」 (マリー・ホール・エッツ こみやゆう訳 好学社)

 「ロベルトのてがみ」は、 「もりのなか」や「ペニーさん」シリーズなどのマリー・ホール・エッツの絵本です。
 エッツの絵本は、今の日本の出版状況からいうと、地味な絵本です。
 でもね。
 どの絵本も、しみじみと心に響きます。何度も、どこかにエッツの絵本のことを書いたことがありますが、この「ロベルトのてがみ」は初見でした。

 エッツは、絵本作家になる前は、セツルメント活動(貧困地区住民の生活全般を援助する社会事業)をしていて、たくさんの子どもたちと出会っています。その経験から、生まれた絵本もたくさんあり、この「ロベルトのてがみ」も、そうです。

 お話が少々長く、大人の事情も出てくるので、主人公のロベルトより大きな子どもたちに読んでほしい一冊です。

 メキシコからアメリカにやってきたロベルトの家族は6人です。お父さんもお母さんも英語が喋れず、スペイン語だけで暮らしています。学校へ通っているお兄ちゃんのマルコだけが英語を話すことができました。
 ロベルトは、やんちゃに毎日を暮らしていますが、ある日、お母さんが家を出て行って・・・
 大人が読むと、ちょっとウルウルくる結末ですが、それはタイトルの「ロベルトのてがみ」と上記写真中央に写る、拙い文字から推測できるでしょう。

 ともかくも、エッツの子どもを見る目が素晴らしい。
 子どものいたずらなんて、子どもの側からしたら、さほど悪気がないのに、結果、ルール違反ということがある現実を冷静に見ています。
 棒付きキャンデーのことも、赤ちゃんの耳たぶの糸のことも、目玉焼きのことも、猫がひっくり返したゴミばけつのことも、お母さんに渡した花のことも、小石のことも、牛乳のことも・・・・

 ともすれば、上から目線で、福祉を語る本や絵本の多い中、「ロベルトのてがみ」は、子どもの心に沿って話が進みます。(続く)

*「もりのなか」「またもりへ」(マリー・ホール・エッツ作 まさきるりこ訳 福音館)
*「ペニーさん」(マリー・ホール・エッツ 松岡享子訳 徳間書店)
*「ペニーさん動物家族」(マリー・ホール・エッツ 松岡享子訳 徳間書店)
*「ペニーさんのサーカス」(マリー・ホール・エッツ 松岡享子訳 徳間書店)

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砂狐

    リージェントパーク赤j
☆写真は、ロンドン リージェントパーク薔薇
≪「こんにちは」と王子さまがいいました。そこは、バラの花の咲きそろっている庭でした。「こんにちは」と、バラの花たちがいいました。王子さまは、バラの花をながめました。花がみな、遠くに残してきた花に似ているのです。「あんたたち、だれ?」と、王子さまは、びっくりしてききました。「あたくしたち、バラの花ですわ」と、バラの花たちがいいました。「ああ、そうか・・・」そういった王子さまは、たいへんさびしい気もちになりました。考えると、遠くに残してきた花は、じぶんのような花は、世界のどこにもない、といったものでした。それだのに、どうでしょう。見ると、たった一つの庭に、そっくりそのままの花が、五千ほどもあるのです。≫(「星の王子さま」(サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波)

(承前)
 「星の王子さま」のいろんなキーパソンの中でも、キツネがいう、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。」という言葉。多感な中学生だった頃に、しっかり心に刻まれました。

  このキツネが、 人間の土地の「砂漠のまん中で」に出てきたときは、あ!これ、これ!と、嬉しくなりました。

≪・・・たぶんそれはフェネック、一名砂狐(すなぎつね)という、兎大の小肉食獣、大きな耳のあるあいつにちがいない。ぼくは好奇心を押えかねて、一匹の足跡についていく。足跡は、ぼくを導いて、狭い砂の川の方へ行く。そこでは足跡がすべてはっきり印させる。ぼくは、扇形の三本指からなっている、美しい跡に感心する。ぼくは、このわが友が、明け方静かに跳び歩きながら、石の上の露をしゃぶっている姿を想像する。・・・(中略)・・・・足跡が、ぼくを巣穴へ導く。奥にいるフェネックは、ぼくの足音に驚きながら、たぶんぼくの言葉を聞いているだろう。ぼくは彼に言う。(ぼくの小さい狐よ、ぼくは今度はさんざんだ、だが不思議なことには、こんなひどい目に遭ったことも、きみの生き方に、関心をもつ妨げにはならなかった・・・)≫(「人間の土地」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)

*「人間の土地」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)
*「夜間飛行」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)
*「星の王子さま」(サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波)

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本棚の隅の隅から引っ張り出しました

       星の王子様j
(承前) 
 サン=テグジュペリの「人間の土地」「夜間飛行」を読み、「星の王子さま」も、本棚の隅の隅から引っ張り出しました。600円の表示のある岩波愛蔵版、中には鉛筆で小さく1969年12月25日とあるので、クリスマスプレゼントに買ってもらったものだと思います。中三の時です。

 絵がついているので、子どもの本と思われがちですが、本当は、中学生以降に出会うのがいいかと思います。
 大人になりかけの子ども・・・そんな頃に出会ったのは、タイムリーで、ラッキーでした。当時から、心に残る言葉がいくつもあるからです。当時、図書室にあったこの本を読み、いつか、自分のそばに置きたいと願っていたような記憶があります。
 
 そして、あの頃は、読んでなかったと思われる訳者あとがきには、ちゃーんと「南方飛行(南方郵便機)」「夜間飛行」「人間の土地」の紹介もあります。
 訳者内藤濯は、言います。
≪訳筆をすすめてゆくうちに、もとの文体の美しさにおされて、気おくれしたことが、一度や二度ではありませんでした。でもそこを、さほど不体裁ではなく切りぬけることができたのは、児童文学に深い経験をもっていらっしゃる石井桃子さんが、何かとめんどうを見てくださったからです。≫

 石井桃子さん!そうだったのか。よかった!!!(続く)

*「人間の土地」「夜間飛行」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)。
*「星の王子さま」(サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波)

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白梅

蕾j
 つぼみが可愛く、おしべも可愛く、丸っこい梅。
 新しい枝に花が咲き、古い幹や枝は、くねくね苔むす。
 今度は、野暮用ではなく、お稽古で京都に行きました。
 梅といえば、北野天満宮。嵐電北野白梅町駅から歩きます。
 白梅古木j
 今年は、天神さんの日にかち合わなかったので、無事、梅苑に入れました。
 満開に、少々早いせいか、人が意外と少なく、久しぶりに、ゆっくり歩くことができました。
秋に公開されていた御土居の一部も梅苑の続きで解放されていて、そちらの梅も綺麗でした。また、梅苑よりも境内の梅は、早咲きが多いのか、見頃。
白い梅j
 とはいえ、やっぱり、春はお菓子から。
 梅苑の入場券にはお茶券ついてます。
梅おかしj
 さて、茶店の前には、蝋梅、紅梅、白梅のそろい踏み。
              蝋梅j

 

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南方郵便機

ポストj
(承前)
 「夜間飛行」(サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)の後半には、サン=テグジュペリの処女作「南方郵便機」が入っています。
 どちらも、時空を越え、話がつながっていくので、精読をしなければ、なかなかしんどい話です。
 オペレーターとのやり取りを、時として交え、臨場感を高めていきます。
 実際にサン=テグジュペリが飛行士だったわけですから、フィクションといえでも、迫真の交信なのです。
 
 今や、地球の反対側にも、すぐメールが届き、話すことすら、すぐ隣の部屋で居るように喋ることができます。
 が、ここに至るまで、人が伝達する方法の歴史を思うと、どんな場合も命をかけてでも運んでいたことに気づきます。飛脚だって、馬車だって、船だって、誰に襲われるかもしれない。飛行機は、自然と闘うことが必須。
 
「南方郵便機」の最後は、この交信で終わります。
≪★★★サン・ルイ・セネガルよりツールーズに告ぐ。フランス・アメリカ機、東部テメリスにて発見さる。操縦装置に数個の弾痕あり。賊軍はなお付近にあり、搭乗者惨死、機体大破。ただ、郵便物は無事、直ちにダカールへ向け空輸せり。
★★★ダカールよりツールーズに告ぐ。郵便物、無事ダカール着。≫(続く)

*「人間の土地」「夜間飛行」(サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)
☆写真は、英国ホワイトホースカントリーのロングコット村のポスト。

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紅梅

          赤い梅j
抹茶j
 野暮用で、ちょっと京都に行きました。
 用はさっさと済ませ、錦市場に行くと、まあなんと!日本人じゃない人で溢れ返っています。
 食べてる、食べてる。食べている。
 
 うちの晩御飯も調達し、お茶に入ると、ふふふ・・・
 抹茶飲み比べというお濃茶とお薄という欲張りなメニューについてきたのが生菓子「紅梅」!
 ちなみにお菓子は二種類から選べました。
 夫の選んだのは、「うぐいすもち」。
 春はお菓子から・・・

                     うぐいすもちj
錦j         

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「夜間飛行」の愛読者

          やかんひこうj
(承前) 
 実は、サン=テグジュペリ「人間の土地」より先に「夜間飛行」を読んでいました。こちらは、フィクションで、当時の郵便機を舞台とし描いたものです。訳者は、どちらも堀口大學。また、表題の「夜間飛行」と処女作「南方郵便機」が載っています。

 「夜間飛行」の序文はアンドレ・ジッドです。
≪サン=テグジュペリは、この小説の中に取り上げた事柄は、何もかも知りつくして書いている。絶えず危険に遭遇してきている彼の体験が、彼の書いた小説に、模倣しがたい実録的な興味を与えている。僕らは今日まで、無数の戦争小説や架空の冒険を取り扱った小説を与えられてきたが、それらの作品にあっては、作者が時にその才能に弾力性のあることを立証するくらいが関の山で、これを読む真の冒険者や実戦家の笑いを買うのを禁じえなかった。文学的価値からいっても僕の大いに推賞するこの小説は、他方実録としての価値を持つ。かくて思いがけずも合せ備えることになったこの二つの特色が『夜間飛行』に、その例外的な重要性を付与しているのである。≫
 ・・・・と、賛辞を惜しみません。

  それで、もう一人、時代も国も、背景も異なる現代人が、この「夜間飛行」を推薦しています。文庫には彼の推薦がする帯が付いています。この人の作品を読んだことはありませんが、昨年度の芥川賞を取りました。「夜間飛行」を推薦するような人ならば、と思って、その受賞作品を予約したら、複本あるにもかかわらず、なんと400人近くが待っていました。ちなみに、この作家の子どもの本のお薦めの一冊は「いやいやえん」。ふふふ(続く)

*「人間の土地」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)
*「夜間飛行」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)
*「いやいやえん」(なかがわりえこ文 やまわきゆりこ絵 福音館)
☆写真は、新潮文庫「夜間飛行」「人間の土地」の表紙。(宮崎駿 絵)

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「人間の土地」の愛読者

      そらのうえj
(承前) 
 「人間の土地」「夜間飛行」 (サン=テグジュペリ著 堀口大學訳 新潮文庫)の表紙は、宮崎駿が書いています。
 宮崎駿は、少年時代はパイロットに憧れ、のちに航空技術者をモデルにしたアニメーション映画「風立ちぬ」を制作します。数々の有名なアニメーション映画を一本も見たことがないので、それらの仕事についてはなんとも言えませんが、「人間の土地」「夜間飛行」の表紙絵は、控えめでありながらも、飛行機にたいする愛が感じられる、ちょっといい絵だと思います。
 しかも、「人間の土地」訳者あとがきのその後に、宮崎駿自身の「空のいけにえ」という一文と、「人間の土地」を読んだ人にしかわからない一枚の絵(地図)が載っています。宮崎駿が「人間の土地」の愛読者だということがよくわかります。

 さて、「人間の土地」の訳者あとがきに、この本を強く推す言葉が出ています。
 一つは、アカデミー・フランセーズ会員エドモンド・ジャルー≪これは近来久しく現れたことのないすぐれた書だ≫
 次に文芸評論家アンドレ・ルソー≪『人間の土地』が、あらゆる中学校、高等学校、あらゆる青少年学校で、賞典本として授与されることを希望する≫
 最後に訳者堀口大學≪世にも現実的な行動の書であると同時にまた、最も深遠な精神の書でもある『人間の土地』は、必ずや読者の心に、自らの真実、自らの本然に対する《郷愁》をふるいおこし、生活態度に対しよき影響を与えずにはおかないと訳者は信じるものだ。≫(続く)
☆写真は、スイス上空

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ぽつりぽつりと、花を咲かせているにすぎない事実

     下にニーセンj
(承前)
  「人間の土地」( サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)の「飛行機」「飛行機と地球」という文を読んでいると、次々と、心に迫る言葉が続き、息が詰まりそうになります。

 ≪ぼくらの直線的な弾道のはるかな高さからぼくらは発見する。地表の大部分が、岩石の、砂漠の、塩の集積であって、そこにときおり生命が、廃墟の中にわずかな苔の程度に、ぽつりぽつりと、花を咲かせているにすぎない事実を。≫

 ≪ぼくは世界の果てから帰ってきたのですよ、それでぼくは苦い孤独の匂いを、熱の砂嵐の渦巻を、熱帯地方の目ざめるばかりの美しい月かげを身にしみこませて帰ってきたんですよ!・・・・・・・(中略)・・・・ぼくは裏庭よりもっと遠いところを見てきました!裏庭のやぶかげなんか、ものの数でもないですよ!あんなものなんか、あちらの砂漠や岩山や処女林や大沼に比べたら、ものの数にもはいりません。あなたは知っていますか、人と人が出会うと、いきなり鉄砲を向けあう土地がこの世にあると?あなたは知っていますか、凍りつくほど寒い晩、屋根もなければ、ベッドもなければシーツもなしで眠らなければならないような砂漠が存在するということだけでも・・・。≫

 そして、最後の章「人間」の最後の一行は、この一文です。
「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。」 (続く)
☆写真は、スイス上空 ニーセン山が見えます。

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ああ 水!

           すいすみずj
 (承前)
「人間の土地」 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)は、「定期航空」「僚友」「飛行機」「飛行機と地球」「オアシス」「砂漠」「砂漠のまん中で」「人間」の8つの文でできています。

 文字通り「砂漠のまん中で」は、サン=テグジュペリ自身が、リビア砂漠で不時着遭難、水なしに歩き続け、そして生還した奇跡を迫真の筆で書いたものです。
 3日目で、やっと遊牧民に出会い助かるわけですが、そのときの「水」を口にしたときの文がこれ。生命の源泉である「水」のことをここまで表現できた文を他に知りません。

≪ああ、水!   水よ、そなたは、味も、色も。風味もない、そなたを定義することはできない、人はただ、そなたを知らずに、そなたを味わう。そなたは生命に必要なのではない、そなたが生命なのだ。そなたは、感覚によって説明しがたい喜びでぼくらを満たしてくれる。そなたといっしょに、ぼくらの内部にふたたび戻ってくる。一度ぼくらがあきらめたあらゆる能力が、そなたの恩寵で、ぼくらの中に涸れはてた心の泉がすべてまたわき出してくる。・・・・・(中略)・・・そなたは、単純な幸福を、無限にぼくらの中にひろげてくれる。≫(続く)
☆写真は、スイス ミューレン 

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随筆部門

        上空j
 続けてオスカー・ワイルドを読んでいるうちに、食傷気味になっていました。
 そんなとき、堀口大學の訳本でも、どうしても先に、ここに書きたかったのが「人間の土地」 (サン=テグジュペリ 新潮文庫)。
 こんなすっきりした文があるでしょうか。ワイルドの後だから余計かもしれませんが、ともかく、ほっとしました。
 無駄なく、淡々と事実を伝えようとする作者の姿勢を感じます。
 しかも、堀口大學の訳は詩的で、美しい。その上で、また読みやすい。

 「人間の土地」は、 「星の王子さま」の著者サン=テグジュペリの随筆集です。8つのタイトルの文が入っています。
 サン=テグジュペリは、コルシカ島の基地を発進したまま帰還しなかった飛行士であり、作家でした。その彼が、実際にリビア砂漠で生死の極限をさまよった話などが入っています。

 想像力で書いた文でないので、その迫真の息遣いに、はらはらします。
 極限から生還した人だれもが、洗練された文章を書けるとは限りません。
 したがって、この「人間の土地」は、未曾有の文学作品と言っても過言じゃないと思います。
 そこで、この「人間の土地」は、早々と、2016年随筆部門の1位にします。(続く)

*「星の王子さま」(サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波)
☆写真は、フィンランド ヘルシンキ上空(多分)

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レディング牢獄の歌

        モリス部屋j
(承前)
閑話休題。
 「美」を追い、「美」に支配されたかのようなオスカー・ワイルドの晩年の詩「レディング牢獄の歌」は、当時、レディング監獄に投獄されたときのことを綴った長詩ですが、ここには、「美」という言葉が見当たりません。もちろん、調度も宝石も、刺繍も。色彩すらも無いに等しい。
 かろうじて、比喩として薔薇が出てきます。
≪さり乍ら、乳白の薔薇も紅薔薇も   獄牢(ひとや)の空にはよう咲かぬかもしれない。  こゝで、あの人達がわれらに呉れるものとては、  壺の破片(かけら)か、小石か、燧石(ひうちいし)の破片(かけら)である。≫

 筆が進み過ぎた感のある童話、言葉のやりとりが面白い戯曲、自らの「美」を描いた小説。ビクトリア朝社交界の寵児であったワイルドは、快楽を求め続け、その後年は、牢獄であり、終焉は、享年46歳、パリの宿での客死。

 もう、そろそろ、ここいらでワイルドをやめて、堀口大學に行こう・・・・・

 上記「レディング牢獄の歌」は「ワイルド全詩」(講談社文芸文庫)の日夏耿之介訳です。
 うーん。堀口大學びいきとしては、日夏耿之介訳に対し、なかなか素直になれません。(このことは、いずれまた)

*「ワイルド全詩」(オスカー・ワイルド 日夏 耿之介訳 解説は井村君江  講談社文芸文庫 )
☆写真は、ロンドンのホテル。ウィリアム・モリスづくし。

★★★ 「レディング」という街の博物館には、サトクリフの「第九軍団のワシ」の「ワシ」があるのよ!!
*「第九軍団のワシ」(ローズマリ・サトクリフ 猪熊葉子訳 ホッジス絵 岩波書店)

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暴力は絶対だめ!

サクシフラガ・アイゾイデスj
 連日のように、幼い子どもが虐待を受け、痛ましい結果になるニュースが流れます。
 信じられないような動機と、一様に、「しつけ」という言葉。
 幼い子どもが、粗相をするのは当たり前。泣くのも、わめくのも、彼らなりのコミュニケーション手段。

 かつて、自分自身も、なんで、泣きやまへんの?とイラッとしたことがないとはいいません。
 が、しかし、こんな可愛い笑顔、表情、動作、言葉・・・。幸せを分けてもらう方がずっとずっと多かった。

 「長くつ下のピッピ」の作者リンドグレーンは1978年ドイツ書店協会平和賞の受賞の際「暴力はぜったいだめ!」(岩波)とスピーチをします。そこでは、今まで人類が絶えず暴力に訴えてきたことを話し、その根本的解決を考えようとします。いつかはこの世界を動かすことになる現在の子どもが、今までどう扱われ育てられてきたかのか。ゲーテの言葉「人は自分が愛する人からのみ学ぶものである」を引用しながら、暴力に頼ったり手綱を引き締めたりせずに、子どもを育てたならば、永遠の平和を実現しうる新しい素質を持つ人間を生み出すことができるだろうか?と問います。

≪・・・子どもたちは、日常的に見たり、聞いたり、読んだりして、ついに暴力は、当たり前に起こるのだと思うことでしょう。ですから、物事を解決するには、暴力以外の別の方法があることを、わたしたちはまず自分の家庭で、お手本として示さなくてはならないのです。・・・・’中略・・・そうすることで、もしかすると、少しずつではあっても。世界平和に貢献できるかもしれません。≫

*「暴力は絶対だめ!」(アストリッド・リンドグレーン 石井登志子訳 岩波)
*「長くつ下のピッピ」(アストリッド・リンドグレーン 大塚勇三訳 岩波) 
☆写真は、スイスの花サクシフラガ・アイゾイデス。

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下弦の月

下弦の月j
 早朝の散歩で見た下弦の月。(写っているのが見えますか?)
 木々は、左が十月桜、右が蝋梅。(写真では、区別がつかないかも・・・左が薄桃色。右が黄色)

 高校野球の21世紀枠で、母校が出場するとか・・・創立100年近い学校の歴史で初めて。
 昔、息子がとても勝てそうもない野球部(部員は3年生が10人)に属していた高校三年夏の最後の試合を見に行きました。彼らなりに頑張ってもコールドゲーム。それでも、みんな泣いていて、青春の1ページを見せてもらいました。
 そんな彼の自慢は、その年の夏の高校野球覇者が横浜の松坂大輔たちで、自分たちは、大阪大会一回戦負けはしたけれど、松坂世代と言われる時代の一員であること。
 そして、今でも、一回戦も危うい彼の母校の試合に、時折、足を運んで応援しているよう。
 今春、「枠」とはいえ、わが母校が出場できたように、息子の母校も出場できる日が来るでしょうか。

 立春間近、白梅も咲き出しました。 
          白梅j

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