(承前)
中公新書「オスカー・ワイルド 〈犯罪者〉にして芸術家」の後半は、世紀末を賑わせた裁判が中心となっているのですが、出獄後、亡くなるまでのエピソードに、興味深い人との関わりも出てきます。
その中の一人が「アーサー・ランサム」!!!
アーサー・ランサムは、「オスカー・ワイルド研究」を書いているのです。
≪その本がもたらす災難など全然予想だにせず、私はワイルドについて調べ続けていた。≫と「アーサー・ランサム自伝」第一部第15章「重なる災難」は始まります。
また、続く第16章「ダグラス裁判」は≪1912年から13年にかけての冬は、悪夢の連続だった。≫と始まります。
「ダグラス裁判」・・・つまり、ワイルドの没落を招いた「相方(あいかた)」アルフレッド・ダグラス卿です。ダグラス卿は、わずかな許しがたい言及に執念深く飛びつき訴訟を起こしたようです。
この裁判は、結果、アーサー・ランサム側が勝訴します。
ランサムの書いた「オスカー・ワイルド研究」という本は、当時の書評によると「ワイルドに関しての、穏健で冷静で公平で洞察力のある本・・・ふさわしくてきっちりと書いておくべきだった本」と激賞されもしていて、煽情的な方向を取っていなかったことが勝訴につながります。が、この苦い経験のあと、ランサムは言います。≪私は、いかなる犠牲をはらっても、二度とふたたびこんな災難に巻き込まれる不運にぶつかりそうな本は書くまいと決心していた。≫(続く)
*「オスカー・ワイルド 〈犯罪者〉にして芸術家」(宮崎かすみ著 中公新書)
*「アーサー・ランサム自伝」(神宮輝夫訳 白水社)
*「アーサー・ランサムの生涯」(ヒュー・ブローガン文 神宮輝夫訳 筑摩書房)
*「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ(アーサー・ランサム 岩田欣三・神宮輝夫訳 岩波)
☆写真は、スイス レマン湖
(承前)
ワイルドを読み返すきっかけになった「カンタヴィルの幽霊・スフィンクス」(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)に入っていた「模範的億万長者ー感嘆符ー」は、肖像画にまつわる小編でした。そして、ワイルド唯一の長篇小説「ドリアン・グレイの肖像」(福田恒存訳 新潮文庫)も、肖像画という共通点。
とはいえ、この2作品は、嘘みたいなハッピーエンドと、おぞましい筋立て・結末という、ずいぶん違う肖像画の話なのです。
アイルランドからロンドンに出てきたワイルドは、肖像画家フランク・マイルズと貸家をシェアし、そこに多数の著名人が顧客として訪れ、そこから華麗な人脈を築いたようです。肖像画が生活の間近にあったわけですから、そこから生まれた作品とも言えましょう。この作品が書かれたのは、ワイルドが社交界でもてはやされ、様々なことが順風に乗り、傲慢な空気がワイルドの周りに漂っていた頃ですが、後に、裁判にまで引っ張り出される作品になろうとは、ワイルド自身、予想だにしなかったでしょう。
美貌の青年ドリアンは、自分が描かれた肖像画を見て呟きます。
≪「悲しいことだ!やがてぼくは年をとって醜悪な姿になる。ところが、この絵はいつまでも若さを失わない。・・・(略)・・・ああ、もしこれが反対だったなら!いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、老いこんでいくのがこの絵だったなら!そうなるものなら―――そうなるものなら―――ぼくはどんな代償でも惜しまない。この世にあるどんなものだって惜しくない。そのためなら、魂だってくれてやる!」≫
・・・・と、その願いは現実になるというのが「ドリアン・グレイの肖像」なのです。(続く)
*「ドリアン・グレイの肖像」(福田恒存訳 新潮文庫)
*「オスカー・ワイルド〈犯罪者〉にして芸術家」 宮崎かすみ著 中公新書)
☆写真は、スイス オーバーホーヘン城
(承前)
「幸福な王子ーワイルド童話全集」(西村考次訳 新潮文庫)の「若い王」の中にこんな言葉があります。
≪芸術の秘密は秘密のうちにもっともよく習得されるものであり、美は、知恵と同じように、孤独な崇拝者を愛するものである。≫
うーん、難解。
同じく「若い王」から、
≪ しばらくすると、王は席から立ちあがり、彫刻した煙突の付属部にもたれながら、ほのかに明りのついた部屋を見まわしました。美の勝利を表わす豪奢な綴れ織りが壁にかかっています。瑪瑙と瑠璃玉をはめこんだ、大きな戸棚が、一隅を占めており、粉をふりかけてモザイク造りにした金の、漆を塗った羽目板づきの奇妙な作りの飾り棚が、窓に面して立っていて、その上には、ヴェネチア硝子の精巧な台つきの杯と、黒い縞のはいった瑪瑙のコップがのっています。青白い罌粟(けし)が、眠りの疲れた手からでも落ちたかのように、寝台の絹の掛布団に刺繍してあり、縦溝彫りの象牙の高い平刳形が、びろうどの天蓋を支えており、その天蓋からは駝鳥の羽毛の大きな房が、白い泡みたいに、格子細工になった天井まで飛び出しています。笑っている青銅のナルシスが、磨きたてた鏡を頭上にのせています。卓上には紫水晶の平たい鉢が置いてあります。 屋外には……≫
と、まあ、細かい描写。この宝石と刺繍に関する描写は、長編小説「ドリアン・グレイの肖像」でさらにパワーアップして、延々と書き綴られているところがあり、ワイルドが、調度や宝石や衣装、布、刺繍に目がくらんで、心惹かれているのがよくわかります。
そして、ワイルドの晩年を思うと、美の崇拝者ワイルドは、美に振り回され、結果、支配されてしまったのかもしれません。
それは、「美」という概念と、贅沢やら、快楽やらの概念がごちゃまぜになってしまった結果???(続く)
☆写真は、スイス オーバーホーヘン城 昨日の人魚の飾り物を後ろから撮っています。
(承前)
ワイルドの戯曲「サロメ」を読み返してみました。ビアズレーの絵のついている「サロメ」 (福田 恒存訳 岩波文庫)ではなく、「まじめが肝心」も入っている「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」(西村孝二訳 新潮文庫)です。
戯曲「サロメ」は、言葉を繰り返していくことによって、重みを増していく、深みにはまっていく面白さが味わえます。
どろどろした深みに入るのが、この話の真髄でもあるのですから。
サロメがヨカナーンにいいよる台詞。
ヘロデがサロメの機嫌をとる台詞。
それらの表現の細かいこと。
以前、ビアズレーの絵のついた「サロメ」を読んだときは、言葉の面白さより、その絵の強烈さに押されていたのかもしれません。また、モローのサロメの絵の印象が優り、ワイルドの戯曲「サロメ」本体の言葉の粘っこさの記憶が遠のいていたような気がします。
さて、「カンタヴィルの幽霊」等の中編、それに「ウィンダミア卿夫人の扇」「まじめが肝心」の戯曲などは、言葉のやりとりが生き生きとした娯楽性の高い作品です。華美なビクトリアン。
反対に、暗くて重い戯曲「サロメ」、ハッピーエンドではない9つの童話、陰湿な世紀末の長篇「ドリアン・グレイの肖像」、そして、ビクトリアンどころではない、世紀末どころでもない長詩「レディング牢獄の歌」。ワイルドは享年46歳ながら、いろいろ書きました。(続く)
*「カンタヴィルの幽霊・スフィンクス」(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)
*「ウィンダミア卿夫人の扇」(厨川圭子訳 岩波文庫)
*「サロメ/ウィンダミア卿夫人の扇」(西村孝次訳 新潮文庫)
*「サロメ」(ビアズレー絵 福田恒存訳 岩波文庫)
*「幸福な王子」(西村孝次訳 新潮文庫)
*「ドリアン・グレイの肖像」(福田恒存訳 新潮文庫)
☆写真は、スイス オーバーホーヘン城内
(承前)
閑話休題。
西村孝二訳「サロメ/ウィンダミア卿夫人の扇」(新潮文庫)に入っている「まじめが肝心」を読みました。
あとがきには、ワイルドの最高傑作とまで書いています。
確かに、面白い。ごちゃごちゃ込み入って、ややこしいと言えばややこしいけれど、丁寧に読み進めば、途中から、ははん?ああなるでしょうね。と思ったように話が展開していくのが、可笑しい。
「ウィンダミア卿夫人の扇」より、さらにシェイクスピアに近いような気がします。特に、「間違いの喜劇」に、似ている。「間違いの喜劇」は双子の話でしたが、こちらは、・・・・・。今から読む人のために、この最後のどんでん返しは、読んでからのお楽しみ。
ただ、シェイクスピアと違うのは、ビクトリアンな上流階級のてんやわんやですから、お茶の時間のきゅうりのサンドウィッチにこだわり、バタつきパンにこだわり、ティーケーキを嫌がり、マフィンの取り合いになる・・・
さて、誤解し合っている若い女同士、田舎の領主館(マナーハウス)住まいのCと ロンドン住まいのGのお茶のシーンは、いかが?
≪C: (愛想よく)「お砂糖は?」
G: (高慢ちきに)いいえ、結構でございますわ。お砂糖なんてもう流行おくれでしてね。(C、怒って相手をにらみつけ、角砂糖ばさみをとりあげて角砂糖を四つ茶碗に入れる。)
C: (きびしく)ケーキ、それともバタつきパン?
G: (うんざりしたという調子で)バタつきパンを、どうぞ。ちかごろ上流のお宅ではケーキはめったに出しませんわ。
C: (ケーキをとても厚く切って、盆にのせる)これをさしあげて。(執事、指図通りにして、従者と一緒に出て行く。)
G:(お茶を飲んで顔をしかめる。すぐお茶碗を下に置き、手をのばしてバタつきパンをとろうとして、見ると、ケーキだとわかる。)≫(続く)
*「ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 厨川圭子訳 岩波文庫)
*「サロメ/ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 西村孝次訳 新潮文庫)
☆写真は、ロンドンのホテル
(承前)
加えて、ワーズワースは「ティンタン寺より数マイル上流にて詠める詩」の中で≪われら、この地上にありて生きる限り、喜びより喜びへと導びくは自然の恩典なり。≫といいます。
ところが、そのワーズワースをオスカー・ワイルドは、こんな風に批判します。
≪「なるほどワーズワースは湖畔には行ったが、石という自然の中に自分がすでに潜ませていた教訓を読み取ったにすぎなかった。」≫
これはワイルドの「嘘の評論」という評論の中にある「人生は芸術を模倣する」、その帰結として「自然も芸術を模倣する」という思想、自然主義批判の言葉のようです。(「オスカー・ワイルド〈犯罪者〉にして芸術家」 宮崎かすみ)
さて、この「オスカー・ワイルド〈犯罪者〉にして芸術家」には、オスカー・ワイルドのかなり派手な、ちょっと理解に苦しむ「ワイルドな」生涯が紹介されています。彼の生き方、考え方、そして美意識が、作品に反映されていく背景が、わかる様な気がします。なるほどね、そういうことだったの。
この人のこの生き方なら、ここまでも書くだろうなぁ。ついていけないけど・・・
とはいえ、オスカー・ワイルドの感想文続きます。
*「ワーズワース詩集」(田部重治訳 岩波文庫)
*「オスカー・ワイルド〈犯罪者〉にして芸術家」 宮崎かすみ著 中公新書)
☆写真は、英国 湖水地方 (撮影:&Co.I)
(承前)
実は、「ウィンダミア卿夫人の扇」のあと、しばらく、ワイルドのことを書いています。が、自分が書いた文を、朝、読んでいたら、こりゃ、ウィンダミア湖といったら、「ピーター・ラビット」でしょ・・・
もはや、25年くらい前、初めての英国旅行先に選んだ一つが、湖水地方でした。「ピーター・ラビットの世界」と「アーサー・ランサムの世界」に触れるためでした。この時のことは、いろんなところで文にしましたが、お話の景色が、そのまま残って居る美しい湖水地方に魅了され、そのまま英国びいきがヒートアップ。
ウィンダミア湖を渡ったニアソーリー村に暮らしたポター(1866~1943)と、ウィンダミアのほとりの別荘で執筆したワイルド(1854~1900)。活躍の時期が少々違うとはいえ、時代もさほど大きく変わらないのに、しかも、同じ湖水なのに、空気の吸い方が違うところが面白い。
ポターは、その自然を愛で、土地を離れず、最後は畜産家として暮らしました。しかも、ナショナルトラストという自然保護の基盤となる事業に自分の土地を寄付するという人生でした。
が、ワイルドは、派手な生き方で、当時の社交界でもてはやされたものの、晩年は、投獄され、パリでひっそり客死・・・
そんなこと比べても、ワイルドは、大人の小説や戯曲で、ポターは子どもの絵本じゃないか、という声もありましょう。とはいえ、ワイルドも童話と称した作品を書き残しているのです。
湖水地方で、忘れていけないのは――もちろん、ランサムですが――ポターやワイルドと時代が異なり、また、ウィンダミアではなくグラスミアに居住した自然派詩人ウィリアム・ワーズワース(1770~1850)が居ます。
ワーズワースの「早春の歌」の一節に、こんな言葉がありました。
≪「自然」はその美しき創造物(つくりもの)に、我が心に流るる人間の魂を結びつけたり。≫(続く)
*「ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 厨川圭子訳 岩波文庫)
*「サロメ/ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 西村孝次訳 新潮文庫 )
*「ピーター・ラビット」シリーズ(ベアトリクス・ポター文・絵 石井桃子訳 間崎ルリ子訳 福音館)
*「ワーズワース詩集」(田部重治訳 岩波文庫)
☆写真は、英国湖水地方。ベアトリクス・ポターの住んだ家と菜園。(撮影:&Co.I)
(承前)
「ウィンダミア卿夫人の扇」は、これを原作とした映画が10年程前にあったとき、原作「ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 厨川圭子訳 岩波文庫) を買ったものの、映画も行かず、結局、読まずに本棚の奥深く眠っておりました。
今回「アーサー・サヴィル卿の犯罪ー義務の研究」に、ウィンダミア卿夫人最後の招宴が最初の舞台となっているので、「ウィンダミア卿夫人の扇」もと思って読んでみましたが。違うウィンダミア卿夫人でした。
というのも、「ウィンダミア卿夫人の扇」の夫人には、子どもが居るのですが、「アーサー・サヴィル卿の犯罪」の夫人は、子どもがいないと書かれています。
ワイルド自身が、英国湖水地方ウィンダミア湖の別荘に出かけ、ウィンダミアという名前を気にいっていて、一気にこの「ウィンダミア卿夫人の扇」を書き上げたといいます。
確かに一気に書き上げられた勢いがあります。当時、大ヒットした舞台だというのも納得がいきます。軽妙洒脱、言葉のやりとりが生き生きしています。
ちょっとしたすれ違い、ちょっとした誤解・・・これは、英国自慢のシェイクスピアと同じ流れです。人生のささいな行き違いを、巧みな構成で、あっと言わせ、莢に納める。たった24時間の男女の心の動きを、軽さあり、重さありで読ませてくれます。台詞の妙があり、小道具の妙があり。
「扇」という美しく豪華な小道具が、開かれ、そして、閉じられるのも、また楽し。(続く)
*「ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 厨川圭子訳 岩波文庫)
*「サロメ/ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 西村孝次訳 新潮文庫 )
早々ですが、2016年で一番面白かった「ユーモア小説部門」の発表です。
オスカー・ワイルドの「カンタヴィルの幽霊」です。
「カンタヴィルの幽霊・スフィンクス」(南條竹則訳 光文社古典新訳文庫)の中に入っている中編です。
話は、イギリスの幽霊が出る屋敷をアメリカ人が買うという話です。ね!もうわかるでしょ。この展開。
書いてしまうと面白くないからこれ以上は書きませんが、ともかく、面白かった!だって、可笑しいじゃないの。
電車の中で読んでいて、ニヤニヤを押さえるのが大変。
やっぱり、英文学は好みなのが多い・・・まだ、ここにはUPしていませんが、最近、ずっとフランス文学が続いているのです。先日、ジイドのところでも書きましたが、オスカー・ワイルドは、アンドレ・ジイドと同時代で、しかも、ドロドロした経歴。
オスカー・ワイルドがこんな愉快なことも書けるなんて、思いも寄りませんでした。軽妙な訳のせいでしょうか、古臭い感じがしませんでした。
この文庫に入る「模範的億万長者ー感嘆符ー」という短い小説は、ありきたりながら、イギリスぽい。長篇「ドリアン・グレイの肖像」*の横道ショートショートショートという感じです。(肖像画という点以外は、まったく違います)
また、「アーサー・サヴィル卿の犯罪」というちょっとした推理小説は、意外なことに結構ハラハラして面白い。それに、この話の発端は、「ウィンダミア卿夫人」の最後の招宴なのです。(ただし、「ウィンダミア卿夫人の扇」*の夫人とは違う夫人です。)
楽しい一冊でしたが、ページ数の関係で、付録として友人のエイダ・レヴァーソンの文が複数載っているのは、全体として少々違和感がありました。(続く)
*「ドリアン・グレイの肖像」(オスカー・ワイルド 福田 恒存訳 新潮文庫)
*「ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 厨川圭子訳 岩波文庫)
*「サロメ/ウィンダミア卿夫人の扇」(オスカー・ワイルド 西村孝次訳 新潮文庫 / この文庫には、「まじめが肝心」も入っています。)
☆写真は、ロンドン 自然史博物館。
最近、電車で感じるのは、座っている若い男性が増えたんではないか、ということです。
初めは、若くても疲れやすい軟弱な奴らだ。などと思っていたのですが、どうも、違う。
以前は、戸口の辺りで群れていたり、戸口などでもたれたりしていたと思います。坐ったら、がぉーと寝ていたり、漫画読んでる子も多かった。
おばちゃんを押しのけてまで座席に着くなんて、かっこ悪いといった風情もありました。
そう!今は、ゲームをしなければならないので、座らなければならない?
それとも、何か画面で検索し続けている?
ともかくも、眼は、画面にくぎ付け。だから、前に、座席を必要としている人が立って居ても、わからない。
先日、一列7人席全員が、若い男性で、画面に見入っていたのには、ぎょっ。
ま、若い男性だけではないけれど・・・
☆写真は、 スイス シーニッゲプラッテ行の登山電車
「わいわいきのこの おいわいかい」 (タチヤーナ・マーヴリナ絵 レーマ・ぺトルシャーンスカヤ カランダーシ)
(承前)
子どもたちを科学の世界に導く絵本をもう一冊。昨秋に出た「わいわいきのこの おいわいかい」。
この絵本巻末にも菌類研究者の「きのこはかせのかいせつ」という解説がついています。
お話仕立てで、きのこの名前を紹介していくのですが、タチヤーナ・マーヴリナの絵は、生き生きと楽しい。
ロシアのきのことはいえ、いろんなきのこたちが、集まってきます。
≪みんな のんだり たべたり わいわいわい。≫
そこへ、図々しく、みなを押しのけ食卓に着いたのが、赤い帽子のベニテングタケと白い帽子のドクツルタケでした。(写真左、ハチやアリに追い出されています。)
≪ふたたび、おきゃくさんの きのこたちは がっきを えんそうしたり、うたったり、おどりの ステップを ふんだり わいわいわい。≫(写真右)
☆写真は、「メルヘン・アルファベット(ロシア昔話)」(T.マーヴリナ作 田中友子訳・文 ネット武蔵野)を広げた上に「わいわいきのこの おいわいかい」を広げています。
*翻訳されているタチヤ―ナ・マヴリナの絵本は、「ロシアの昔話」(内田莉莎子訳 福音館)の挿絵、「おかしのくに」(みやかわやすえ訳 福音館)「ちょうちょ」(コヴァリ文 中村千春訳 新読書社)「ゆき」(コヴァ―リ文 田中泰子訳 ブックグローブ社)「太陽と月とカラス」(斉藤君子 ネット武蔵野)。
(承前)
「おしゃれなクララとおばあちゃんのぼうし」(エイミー・デ・ラ・ヘイ エミリー・サットン絵 たかおゆうこ訳 徳間書房)の画家エミリー・サットンの絵本は、2014年~2015年に相次ぎ邦訳されています。
その1冊「クリスマスイブの木」」(デリア・ハディ 三原泉訳 BL出版)は、とても綺麗な絵本で、話もわかりやすいといえばわかりやすいのですが、主人公がモミの木なはずなのに、モミの木を手に入れたホームレスの少年がどうなってしまうのかに、心が動き、クリスマスストーリーの満足感が半減してしまうのは、残念でした。
もう1冊は、 「ちいさなちいさな―めにみえないびせいぶつのせかい」 (ニコラ・ディビス 越智典子訳 出川洋介監修 ゴブリン書房)。
この絵本は、菌類の専門家が監修者として参加し、「微生物の大仕事」として巻末で説明文を寄せています。
≪おおきな どうぶつが いる。ちいさな どうぶつも いる。そんなこと しってるって?≫と始まります。(写真に写るページ:枝の先5枚目の葉の上に蟻が描かれているのが見えますか?)
≪それじゃ、ありの しょっかく いっぽんに なんぜんまんも のっかれるような ちいさな いきものが いるってこと、しってる?≫と続き、微生物の世界に入っていくのです。
微生物にはどんな種類があるのか?どんなところに居るのか?どうやって増えるか?・・・わかりやすいエミリー・サットンの絵と共に、子どもたちを科学の世界に導く絵本の1冊です。(続く)
「おしゃれなクララとおばあちゃんのぼうし」 (エイミー・デ・ラ・ヘイ エミリー・サットン絵 たかおゆうこ訳 徳間書房)
クララの大切にしていたおばあちゃんの帽子が、破れてしまったので、直してもらいに行く話です。直してもらいに行く道すがら、ロンドンの有名店や百貨店が描かれ、着いたところは、V&A博物館で、その建物の内部の様子も描かれています。玄関のシャンデリアもカフェ!も。(→)(→)
この絵本は、そのV&Aの出版部門が作った絵本なので、当然ですが、V&Aに行ってみたくなる絵本に仕上がっています。イギリスびいき必見です。
もちろん、絵も楽しい。クララが夢見るドレスは、これ→
絵本のタイトルに「おしゃれな」とついていて、内容も帽子や靴やドレスが出てきますから、V&Aの展示がファッションに近い分野に偏っているかというと、服飾関連は、ほんの一部です。博物館ですからね。が、充実していることも確かです。
それに、お土産店も、洒落たものばかりおいてあるので、いつも目移りしてました。(続く)
☆写真は、V&Aミュージアム カフェ。
「美女と野獣」 (ローズマリー・ハリス再話 エロール・ル・カイン絵 矢川澄子・訳 ほるぷ出版)
京阪神地方は、暖かい冬の日が続いたせいか、うちでも、バラが咲きました。まだ咲きそうな蕾もいくつか・・・
例年は、短く切り添えて冬を迎えるのですが、ひょろひょろ伸びる枝もあって、咲きました。
以前、海ねこさんで薔薇にまつわる子どもの本を紹介した時に、「美女と野獣」のことを書いたことがあります。
野獣(ケダモノ)の住む御殿には、バラの咲き乱れる庭があり、絵にもたくさんのバラが描かれているのにも関わらず、「冬のバラ」のイメージと、この絵本が重なります。
美女―――末娘(キレイさん)が、父親にねだったものは、一輪のバラだったこと。
暗い野獣の御殿や庭のイメージが冬と重ねられること。
美女が野獣から離れている間に、御殿の花園のバラがみんなしおれる夢をみること。
・・・等など、恐ろしくかつ華やかに見える世界に、存在感を持って、登場するのがバラなのです。
(承前)
「英国の夢 ラファエル前派展」で、ケート・グリーナウェイの絵と並んでいたヘレン・アリンガムは、詩人のウィリアム・アリンガムの妻で、英国の田舎を中心に風景画を描き続けました。
ウィリアム・アリンガムは「妖精の国で」(リチャード・ドイル絵 矢川澄子訳 ちくま文庫)の作者で、ロセッティやテニスンとも親交があったようですから、自ずと妻の絵画もラファエル前派集団の流れとなったようです。が、バックはそうでも、他のラファエル前派集団の画風とはちょっと違うと思うのは、素人考えというものでしょうか。
今まで見たヘレン・アリンガムの田舎の絵は、どれも、穏やかな空気が漂い、特に主張することもありません。ラファエル前派の絵全般が、少々重苦しいのに比べ、ずいぶん、楽な気分で眺められます。それは、詩人の夫の穏やかな作風と重なるような気がします。 (→)
☆写真中央下は、ヘレン・アリンガムの絵葉書(「ピナーの田舎家」)。写真左がヘレン・アリンガムのピナーの田舎家で、右の大きな絵は、ケート・グリーンナウェイの描いたアングルの違うピナーの田舎家。この田舎家が取り壊される前に。二人はピナーに出かけそれぞれのイメージで4枚描いたとあります。ここに写るのは、その3枚。(The Art of Kate Greenaway-A Nostalgic Portrait of Childhood.(Ina Taylor :Webb & Bower
(承前)
「英国の夢 ラファエル前派展」には、ミレイやハント、ロセッティなど、ラファエル前派の中核を担う人の作品もあり、その後半の流れも展示してありましたが、個人的に興味深かったのは、ケート・グリーナウェイの水彩と、ヘレン・アリンガムの水彩が並んでいたことでした。
絵本で、ケート・グリーナウェイの描く少女たちは、いつも、ファッショナブルなコスチュームに身を包んでいます。水彩に描かれると(写真右絵葉書「お嬢さんたち」)さらに布や毛皮の質感までも描かれています。が、いつも表情がない。他のラファエル前派の描く顔つきと同じです。だから、この人も、ラファエル前派の一員なのかぁ・・・ラスキンの擁護もあったようだし・・・
そんなケート・グリーナウェイと親交があったのが、ヘレン・アリンガムでした。ヘレン・アリンガムは、詩人の夫ウィリアム・アリンガム亡き後、ケートと同じロンドン、ハムステッドに住みました。(続く)
☆写真左は、「ケート・グリーナウェイのハムステッドの家の前に立つ少女たち」と説明にあります。The Art of Kate Greenaway-A Nostalgic Portrait of Childhood.(Ina Taylor :Webb & Bower)
今まで使ったハムステッドの写真は、(→)(→)(→)(→)
年末、慌ただしいのに、上京する用があって、ただでは帰阪できないので(?)、渋谷BUNKAMURAザ・ミュージアムでやっていた「英国の夢 ラファエル前派展」(~2016年3月6日)に行きました。(新潟・名古屋は済んでいて、あと山口に巡回)
リバプール国立美術館蔵のものが展示されていました。「ラファエル前派」は、ロンドンのテートブリテンや、ロイヤルアカデミーで、観ていますし、2014年には日本にも来ていました。が、リバプールは行ったことないしなぁ・・・で、行きました。
ラファエル前派の絵は、手に入れて、部屋に飾っておきたいと思わない絵が多いのですが、それは、その中に在る暗さに起因していると思います。色合いや、人物の表情の無さ、あるいは、その絵の中に描かれている象徴的なもの、隠喩・・・。
が、しかし、反対に、それらを読み取る作業は「物語る絵」を読む作業でもあり、興味深いことも事実。
写真に広げた、ジョン・エヴァレット・ミレイの「春(林檎の花の咲く頃)」にしても、右隅に描かれた鎌が物語るものは、その前で寝ころぶ少女の未来を暗示しているらしい。
また、写真に写る絵葉書の画家ウォーターハウスは、夏目漱石お気に入りの画家の一人でしたが、この絵「デカメロン」にしても、一体どの話を聞いているんだろう?と思うものの、どのお嬢さんも何となく熱が入って居ない聞き方のように見受けられます。ウォーターハウスの他のお嬢さん、いつもみんなこんな顔してるなぁ・・・人魚もニンフも・・・(続く)
☆写真に広げているのは、「ラファエル前派画集『女』」(ジャン・マーシュ 河村錠一郎訳 リブロポート)
昔、子どもの頃、年賀状は、郵便局の指定する早目の投函を目指し、律儀に、早く出しておりました。融通の利かない、たいそう真面目な子どもでした。
概ね、その態度は続きましたが、印刷などが便利になっていくにしたがって、投函がずるずると年末に近づいて行きました。
そして、ついに、今回、年賀状住所が、以前のパソコンのままで、それを起動するにも労力がかかり、プリンターも素直に動かない・・・等と判明したときから、年賀状を作るのが億劫になり、ずるずるずる・・・結果、12月31日に投函した有様。
60歳を越え、ダウンサイズするので年賀状は出さないと電話があった友人もいて、そうか、そうなんだ、と考えたり・・・
仲のいい人の安否はメールで確認しているしなぁ。1年に一回、それも一方通行の近況報告って、何だろう?と、考えたり・・・
基本的には、面倒が先に立っているのに、理屈を考え、ついにぎりぎりの大晦日。
が、やっぱり、年賀状をいただくと、嬉しい。
屁理屈こねてないで、今度の12月(!)には、早目にすっきりします。
☆写真は、京都 銀閣寺
2015年の年末は、いつにもまして忙しかった。
おせち料理の作り方を、いちいちメールで聞いてくる娘が居たからです。しかも、携帯のメールなので、打つのが遅い母親としては、ストレスがかかります。
出来上がれば出来上がったで、写真が送られ、味の感想・・・親としては、せっかくの成果にノーコメントというわけにもいかず、せめて、絵文字で返信。
ここまで書くと、さも娘が頑張っているかのようですが、実は違う。メールで返信するより、電話した方が早いと、直接喋ったときのこと。そばで、ゴトゴト音がする。「何の音?」「あ、今、横できんとん作ってくれている・・・」
そうなのです、娘の伴侶は料理が出来、手先も器用と来ているから、見た目も綺麗なおせちを作っておりました。
はい、ごちそうさま。
☆写真は、2015年11月新幹線から撮った冨士山。
穏やかなお正月になりました。
それにしても暖かい。
今年もよろしくお願いします。
☆下の写真は、元旦の海。日の出を見ようと、老若男女、たくさんの人たち。左向うに見える塔の頭は、フンデルトヴァッサー作の大阪舞洲環境局。 