みんなみすべくきたすべく

秋は忙しい

へいあんじんぐうj
秋は忙しい。
栗きんとんの美味しい店に行くために、京都散歩のコースを考え・・・
黒豆の枝豆を枝からチョキチョキ切って茹で、
茹で加減を味見し続けているうちにおなかがいっぱいになり・・・
という間に、11月なると、一気にクリスマスの絵本が並ぶ日々。
文庫の復刊は見逃せないし、新訳も忘れてはいけない。
もちろん、読書は楽しく、深みにはまり・・・
そういえば、足を運びたい美術鑑賞もあるし・・・
運動もしなくちゃいけない。
はい、2キロ泳ぎました。
秋も忙しい。
☆写真上、京都 平安神宮赤鳥居 下、スイス オーバーホーヘン城の栗。

        スイスの栗j

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無鄰菴

          庭園内j
  京都 無鄰菴(むりんあん)に行きました。京都は紅葉を前にしても観光客が多いものの、ここは、まだ静かでした。

  無鄰菴は、元老 山懸有朋の別邸で、七代目小川治兵衛の作庭した庭、母屋、洋館、茶室があります。
洋館2階には、狩野派による金碧花鳥障壁画で飾られた部屋があります。(照明が落としてあり、窓が閉じられているので暗くてよく見えませんが、孔雀などを見ることができます。)その部屋は、政友会総裁伊藤博文・総理大臣桂太郎・外務大臣小村寿太郎そして元老 山懸有朋の4人で日露開戦直前の外交方針を決める会議が開かれたようです。
母屋j
 そんな歴史の舞台になった邸宅も現在は京都市に寄贈され、庭は国の「名勝」に指定されています。(参考:無鄰菴配布資料)
紅葉前の今は、低木の色とりどりの実が楽しめました。赤や黄色 紫に 黒い実までも、手入れよくありました。
                    コムラサキシキブj
☆写真上は、名勝指定されているお庭。琵琶湖疏水を引き込んだ庭には滝もあり、流れもあり、池もあり。中:母屋の中で坪庭を見ると、その向こうも見えます。中:コムラサキシキブ 下:名勝指定の庭の外壁。向うに東山。着物を召したご婦人たちが、道向こうの南禅寺目指して歩いてらっしゃいました。いいお日和です。 

おばちゃんたちj

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失せもの多し

        標識j
 もともと整理整頓のできない体質に加え、昨今は、失せもの多し・・・の日々。
 ああ、こうして大事なことも忘れていくのだとなさけなくなりますが、初めから、きちんと決まったところに置けば、失せものはなくなるのだろうか?
 
 物だけでなく、覚える気がないとは言え、特にテレビに出てくるような人の名前は覚えられません。 
 が、父親とよそのおじちゃんを間違えて抱きついた3歳の頃のこと、大好きだった幼稚園の先生の名前(ちふる先生)、小学校一年のとき、階段を踏み外し脳震盪を起こし、その後、目覚めたときの周りの様子(今の失せもの多しは、このときの後遺症なのか?)。・・・いわゆるエピソード記憶と言われる脳の奥底に入った思い出は、ずいぶんしっかりしているのにねぇ。
 反対に、受験の時に頭に入れ込んだつもりの年号や公式と同じように、消えゆく脳の上っ面の意味記憶。
 
 ま、いろんなことを削除していかなきゃ、容量オーバーなのだと、前向きにとらえましょ。今のところ、失せものもなんとか出てくるんだし。
☆写真は、スイス ヴェンゲン
 

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やきもののまち

                       煙突j
(承前)
 常滑のやきもの散歩道には、たくさんの焼き物が使われていました。昨日のでんでん坂の壁は昭和初期の焼酎瓶だし、坂道には土管生成時にできた廃材をたくさん使って、滑りにくくしていました。それから明治期の土管を使った土管坂もありました。重要有形民俗文化財に指定されている登窯は以前に見た京都五条の河井寛次郎記念館にあったものよりずっと大きいものでした。
のぼりかまj
 セントレア空港も近く、中国などからのお客さんも多いようでしたが、来られる方は、常滑の急須の良さをご存じの上で来られるとか。
 なにゆえ、常滑の急須なのか・・・昨日の接客上手な女性の受け売りをするなら、常滑の土は、鉄分が多く、お茶を入れたときにお茶の タンニンと反応し、苦さがとれ、お茶がまろやかに。
 また、常滑の急須は茶こしの部分も陶器製だということ。細かい網目なので、茶葉も出てきません。
 そして、購入の決め手になったのは、軽くて、水切れがよかったからでした。

 さてさて、使ってみますと、気のせいか、二煎目三煎目までまろやかに飲めるような気がします。

☆写真は、蔦の絡んだ煙突。登窯。常滑焼の店先で綺麗に咲いた睡蓮。
                        すいれんj

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常滑焼

でんでん坂j
 美味しいお茶を飲むと、リフレッシュできます。
 コーヒーは、苦手で、どうしても、それしかない時以外飲みません。
 紅茶は、毎日。ハーブティーもよく飲みます。もちろん、日本茶は欠かせない・・・ものの、本当は、誰かに入れてもらうのが一番美味しい。
 そんなとき、常滑焼の急須で入れたお茶は美味しいのだと、複数から教えてもらい、常滑に行ってみることに。
 常滑は、名古屋とセントレア空港の間に位置しています。

小さな丘を中心に、その窯はあります。散歩道コースの案内も充実して、あちこち、ふらふらのぞきながら歩くことができます。それに、古い家や作業場を改造し、若い人たちが店を開いたり、工房にしたり。
 中でも、急須の取り扱いを丁寧に説明してくれた女性は、地元の人じゃなく、関西の人。しかも、我が家の近く出身のお嬢さん。大阪に比べると、時が止まったかのような静かな集落で、陶芸家になるべく研鑽をつんでいる様子。若い人が粛々と、自分の夢や目標に向かっているのは、嬉しいこと。頑張れ!

 そんな接客上手な女性のお薦めで購入した急須。
 美味しくできるかどうかは、もはや急須のせいにできません。

☆写真上は、地元の廻船問屋のお屋敷前の通称でんでん坂。昔は、ここから海がよく見え、「船がきたぞぉ。」と伝える「伝の山。でんでん山」だったから、ついた名前のよう。
 写真下は、散歩コースの中間の公園にあった陶器の壁。(続く)
                        常滑j

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赤き木の実と やさしき最後の花

ノブドウj
 「初秋の歌」(堀口大學詩)
≪・・・・・(前略)・・・ おお!秋よ!   躍るが如き足どりの   悦しき汝が歩みに連れて   赤き木の実と   やさしき最後の花とは   汝が過ぐる道に溢るる。・・・・(後略)・・・≫(「月光とピエロ」 日本図書センター)

(承前)
  「綺麗!」と撮ったノブドウの写真が使いたくて、堀口大學の詩を無理やり見つけました。
  
 堀口大學は訳詩集「月下の一群」(岩波文庫)やヴェルレーヌやランボーの訳詩のみならず、本来は詩人です。
 その詩作の一つ、「夕ぐれの時はよい時」は、心に残る詩です。多分、昔、教科書に載っていたような気がするのですが、どこで初めてであったか。
 優しい繰り返しのあるこの詩は、「初秋の歌」と同じ「月光とピエロ」に掲載されています。

≪夕ぐれの時はよい時。   
かぎりなくやさしいひと時。
 ・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・
夕ぐれの時はよい時。   
かぎりなくやさしいひと時。
夕ぐれ時、    自然は人に安息をすすめる様だ。
風は落ち、    ものの響きは絶え、   人は花の呼吸をきき得るような気がする、 
今まで風にゆられてゐた草の葉も   たちまち 静まりかへり、   
小鳥は翼の間に頭(かうべ)をうづめる・・・・・・
夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。≫

*「堀口大學詩集」(現代詩文庫 思潮社)

          のぶどう2j

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一生の傑作

ヴェヴェイ塔j
ポオル・ヱ゛ルレエヌ 「落葉」 
≪秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。・・・・≫(海潮音:上田敏全訳集 岩波文庫)
 
(承前) 
 上田敏訳で有名なポオル・ヴェルレーヌの詩ですが、もしかしたら、上田敏が訳したおかげで、こんな異国の地、しかも、こんなに時の流れた同じ秋にも、思い出すことができるのかと思います。

 この詩の作者ヴェルレーヌは人として、弱いところの多い詩人だったようです。その分、人の心の奥底の部分も表現し得るのかもしれないなと思います。が、やっぱり、詩は、その国の言葉で、音にして楽しむのが大事なことでもあろうかと。

 堀口大學はその訳詩選「月下の一群」にも、このヴェルレーヌ「秋の歌」を選んでいますが、後に刊行した「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)の訳と、その訳はずいぶん違っています。

 その変化のいきさつを、堀口自身がこう書いています。
≪・・・原作の字面は、単に「秋のヴィオロンの」となっており、日も風も入ってはいない。十年ほど前まで僕も「秋のヴィオロンの」として安心していたが、ふとこのヴィオロンは秋の風の音だと気づいた時から、風の一字を入れることにした。これで最後の連の「逆風」とのつながりも妥当性を増すことになる。一生の傑作とも言うべきこの絶唱が成った時、ヴェルレーヌはまだ二十歳だった。原作の、ささやくような音声と憂いに満ちた魂の風景には、この詩人の一生の詩の特徴が要約されている。・・・≫(続く)
ヴェルレーヌ「秋の歌」
≪秋風の ヴィオロンの 節ながき啜り泣き もの憂きかなしみに わがこころ 傷つくる。・・・・≫(堀口大學訳 新潮文庫)


☆写真は、スイス ヴェヴェイ ゲーム博物館。
  

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片肘つきて頭支ふる夢心地

ランボーj
ヴェルレエン「暖き火のほとり」
≪暖き火のほとり、灯火(ともしび)のせまきかげ、片肘(かたひじ)つきて頭(かしら)支ふる夢心地・・・≫(永井荷風訳 岩波文庫)

  昨年オルセー美術館展で、アンリ・ファンタン=ラトゥールの「テーブルの片隅」という絵を見ました。

 8人の男たちが、テーブルにつき、あるいはそばに立ついわゆる複数の肖像画です。それぞれ実在の人たちのようですが、全員目を合わすことなく、集合しています。左端がヴェルレーヌ、その隣がランボーです。スキャンダラスな結末を迎える2人、その後、詩作から離れるランボー。昨日の祖川孝の言うように野蛮人の風貌には、見えません。

 堀口大學は「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)の解説で、ランボーの風貌をこう書いています。
≪若々しい美貌、高い背たけ、がっちりした体格、明るい栗色の頭髪、気味わるいほど碧く澄んだ瞳≫

 さて、この絵のランボーとヴェルレーヌの座り方は気になるところです。青年ランボーは、片肘ついてあごをのせ、遠くを見つめています。隅に居るヴェルレーヌは、ランボーの影になっているように見え、しかも少々貧相に見えるのは、結末を知っている者の思いこみ?

・・・・と、思って居たら、先の堀口大學の解説に、ヴェルレーヌのことは、こう書いています。
≪怒りやすくて多情な、悪の誘惑に脆いこの詩人・・・若い頃は、実に気の毒なほど醜かった。・・・・・一番よく似ているのはオランウータンだというのが定評、女たちはひと目で瞳を反らした。自分でもこれを知って、われとわが醜貌をカリカチュールに描き、黄いろい笑いを浮かべながら、眺めていたものだという。ために彼は婦女子に対してはなはだしく内気にならざるをえなかった。≫(続く)

☆写真左は、ヴェルレーヌの描いたランボー(「ランボオ詩集」中原中也訳 岩波文庫)下は、アンリ・ファンタン=ラトゥールの描いた「テーブルの片隅」、右はロンドンを散歩するランボオ(右)とヴェルレエヌ(フェリックス・レガメー筆)(「ランボオ詩集」小林秀雄訳 創元社ライブラリ)

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野蛮人の風貌?

ポストj
(承前)
 さて、「ランボオの手紙」(角川文庫)を訳した祖川孝のあとがきを読むと、ちょっとびっくり。

≪彼は(ランボオ)無論、憂愁の美など根つから持ち合わせない性格で、むしろ生活者の厳しさを有つてゐるマティアリストと思はれる、全くの山男で、人間に對し、社會に對し、狂暴に挑みかゝつてゐる。人間の顔を見てさへ虫ずの走るやうな胸糞の悪さが肚の底から思はずこみ上げてくる野蛮人の風貌を呈してゐる。・・・・≫

 そうかなぁ・・・野蛮人の風貌というのは比喩でしょうか?実際の彼は男前に見えるけど…
 憂愁の美を根っから持っていないとか、虫唾が走るとか、胸糞が悪いとか…すごい言葉が並んでいる・・・・
 そこまで言う?
 
 確かに、ランボオが送った手紙を読んでいると、傲慢な印象。田舎からパリに打って出ようとする、いわゆる未成年の青年の精一杯の背伸びを、そこまでいうかなぁ。才能はあるけど、後ろ盾のない若者の虚勢じゃないの?それに、ランボオとヴェルレーヌの一件は、いわば、痴話喧嘩でもあって、どっちもどっちなんだけど。

 ふーむふーむ????と思っていたら、そのあとがきの最後の最後に、訳者の個人的な事情が書かれていました。
≪・・・この譯業にとりかかったのは、・・・当時、わたしは事業の失敗やら女のことで、いっそ死んでしまひ度いほどのつらひ思ひをさせられてゐた最中だったが・・・・・・・(中略)・・・・その時のわたしを救ってくれたものは、矢張りこの「ランボオ」であった。旅の空は大抵わたしひとりであったが、時々、女もゐた。・・・・(後略)≫
 ほっほー。大変だったんですねぇ・・・・・・(続く)
☆写真は、スイス ヴェヴェイの雑貨屋さん店先。

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僕は誓って善良になる。

お庭j
(承前)
  堀口大學に「空前絶後の詩人」と称された若き天才は、勢いに乗り尊大です。あふれ出る言葉を残します。

 若い頃の(といっても、たかだか10代)の手紙を読むと、彼が傲慢だと言われる言葉がたくさん出てきます。(「ランボオの手紙」角川文庫)
が、しかし、平凡なおばちゃんの目から見ると、「はい、はい、わかった、わかった」という感じすらあるのです。背伸びして、突っ張って・・・だって、若いんだもの。これからだもの。まだ、失うものさえないんだもの。・・・・こんなこと書いたら、ランボー研究者やシンパに咎められそうですが、この若者があがけばあがくほど、愛おしい。もちろん、若い頃、ランボーを読んでも、こんなこと感じませんでした。
 
 冒険、正義、憧れ、憤り、そして、見栄に虚勢・・・分別臭い大人が書かなかったこと・・・そして、若者らしい素直さとずるさ。

「ヴェルレエヌがランボオに発砲した事件の前、ランボオがヴェルレエヌにしたためた手紙の書き出し」
歸って来てくれ給へ、歸って来てくれ給へ、親愛なる友よ、ただひとりの友よ、歸って来てくれ給へ、僕は誓って善良になる。君に對して不機嫌にしていたのも、ただの冗談を、意地を張ってゐただけのことだ。なんとも云へないほど僕は後悔しているのだ。歸って来てくれ給へ。さうすれば、そんなことはすっかり忘れられてしまふだろう。あんな冗談を君が眞に受けたとはなんと不幸なことだろう。これで二日、僕は泣き通しに泣いてゐる。歸って来てくれ給へ。勇気を出してくれ給へ。親愛なる友よ。なんにも失はれてはゐないのだ。もう一遍、旅をしさへすればいい。僕たちはこちらで、うんと勇気を出して、辛抱づよく生活しよう。ねえ、後生だから。それに、さうした方が君のためにもいいのだ。歸って来てくれ給へ。・・・・・・・・・≫ 

 そして、この手紙の後、手の平を一気に返す「したたかさ」。(続く)

*「ランボオの手紙」(祖川孝訳 角川文庫)
☆写真は、スイス オーバーホーヘン城庭。

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空前絶後の詩人

夕日j
ランボー「酔いどれ船」
≪・・・神秘なる畏れに染みし夕陽(せきよう)の、
菫色(すみれ)に凝(こご)り赤々と靉靆(たなび)きわたるも。≫(堀口大學訳 新潮文庫)

(承前)
 堀口大學に敬遠されていたかのようなランボーの訳出も、やっと、 「酔ひどれ船」(→)から始まります。(1934年)
 ランボーは、すでに上田敏(→)永井荷風(→)などたくさんの人が訳し、また28歳の小林秀雄も1930年に「地獄の季節」(→)を刊行していました。
 結局、堀口大學訳の「ランボー詩集」は、1949年から増補されていき、1951年に新潮文庫版初版として整えられます。【参考:「訳詩集」目録(思潮社)など】
 そして、新潮文庫のあとがきに、こう書くのです。

≪・・・見ようによっては、フランスの現代詩はすべてランボーの遺産だとも言いうるほどだ。・・(中略)・・・大ランボーは冒涜と敬神、純と不純、地獄と天国のおのおのに片足ずつを踏みこんで立つ。彼にあっては、足は人間の土地を踏み、胸は神秘の天上に接し、頭脳は予言の星に触れていた。これは通った道の両側におびただしい未開墾地を残した開拓者であった。この意味で空前絶後の詩人であろう。≫(続く)
☆写真は、スイス レマン湖対岸の夕日に染まる山。

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秋ぢや!秋ぢや!

秋の日j
「秋のピエロ」
≪泣笑ひしてわがピエロ 秋ぢや!秋ぢや!と 歌ふなり。≫(堀口大學詩 「月光とピエロ」)


秋晴れの日々が続きます。
秋の味覚を求めて、丹波篠山に行きました。
黒豆枝豆は今が旬。
ここの牛蒡は美味しいし、自然薯も忘れない。もちろん、栗のお菓子は必須です。
車の助手席は、秋の景色が楽しめて楽ちんです。
信号待ちで撮ったのが、上の写真。
下の写真は、金木犀と夏の名残り。
                  なつとあきj


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詩眼

夏のゆうぐれj
スイス報告のとき、訳されたランボー詩集を並べ、ぼそぼそ書き綴っていましたが、結局、堀口大學の訳に一番惹かれていました。

 が、しかし、佐藤春夫に贈られた堀口大學訳詩集「月下の一群」 (岩波文庫 講談社文芸文庫)には、ランボーが一篇も選ばれていません。
 序には≪大戦後の今日に至る最近半世紀の仏蘭西詩歌の大道に現れた詩人及びその作品を、私の詩眼で評価し選択して作られたのがこの集である。1925年≫と書かれています。堀口大學(1892~1981)33歳の訳詩集です。
 当時、自身の詩眼に合わなかったのか、満を持そうとしていたのか。あるいは、思い入れが深すぎたのか。はたまた、諸般の関係か。
 とはいえ、堀口大學が、疎開先に持参したのは、メルキュール・ド・フランス版「ランボー詩集」の廉価版一冊だったし、戦後最初の訳詩発表は、ランボーの「感触(のちに感覚と改訳)」だったようです。(参考: 「堀口大學 詩は一生の長い道」長谷川郁夫著 河出書房新社)

堀口大学は、詩人・訳者として89年の生涯を全うしますが、その間には、改訳もあります。
 したがって、戦後初発表の訳詩「感触」も、以前、紹介した「感触」(→)も、少々違います。永井荷風訳「そゞろあるき」(→)とも比べてみるのも面白いです。
≪夏の夕ぐれ青き頃、行くが楽しき小径沿ひ、
 穂麦に刺され、草を踏み、
 夢心地、あなうら爽(さや)に
 吹く風に髪なぶらせて!

 もの言わね、ものは言はね、
 愛のみの心に湧きて、 
 さすらひの子のごと遠くわれ行かめ
 天地(あめつち)の果てしかけ――女なぞ伴へるごと満ち足りて。≫(続く)
☆写真は、スイス モルジュ レマン湖 夏の夕ぐれ青き頃。

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詩を楽しむ

       古い教会j
ライラックの枝のクロウタドリ(ジェイムズ・リーヴズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)を楽しむ会に行ってきました。
 以前、銀座教文館に申し込むも満席だった会が神戸でありました。
 訳者自らが、聞かせてくださる詩は、本当に楽しく、あっという間の時間でした。

 リリアン・スミスの「児童文学論」(岩波)、瀬田貞二の「幼い子の文学」(中公新書)、C.D.ルイスの「詩を読む若き人々のために」(筑摩書房)、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」(新潮社)、アニス・ダフの「つばさの贈り物」(京都修学社)、ルース・ソーヤーの「ストリーテラーへの道」(日本図書館協会)、ジェイムズ・リーヴズ本人の「A Golden Land:Stories,Poems,Songs,New and Old」(Longman Young books,Ltd.)の序文などを引用し話される内容もさることながら、やっぱり、詩は耳から楽しまなくちゃ・・・が体感できました。
 
 「ライラックの枝のクロウタドリ」の中から、このブログにも載せた「ボートにのって」の他に20以上の詩、加えて、ご自分で訳されたA.A.ミルンの詩、刊行されているデ・ラ・メア「孔雀のパイ」(瑞雲舎)、R.L.スティーヴンスン「ある子どもの詩の庭で」(瑞雲舎)の中の詩をいくつも折り交ぜた濃密な時間が過ぎました。

 何より、訳者ご本人からあふれ出る喜びが伝わってきて、より一層楽しかったのだと思います。

≪「家へ帰る時間」(ジェイムズ・リーヴズ詩 間崎ルリ子訳)
・・・・・(前略)・・・
 家へ帰る時間だよ、
 とささやきながら
 小鳥はみな、
 ねぐらへむけて飛びさった。
 今はもう、輝くものはなにもない。
 ただ、金色の風見鶏が光るだけ。
 家へ帰る時間だよ!
 教会の塔の、大時計がいう。≫
☆写真は、英国 ヘミングフォードグレイ村の教会。

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哲学の道

哲学の道j
 (承前)
 特別拝観にふられたので、哲学の道を、これまた40年ぶりくらいに歩いてみました。銀閣寺や、その周辺は、観光バスなどで乗り付ける団体旅行者や修学旅行の学生たちが多くいましたが、一歩、哲学の道に入ると、ほとんど観光客ももいなくなります。行き交うのは、せいぜい欧米系の個人旅行者。
 とはいえ、哲学するより、お茶したくなる店のなんと多いことよ。
 40年ほど前は、哲学するより、お金を使わないデートコースだったのですが、これじゃ、お茶代がかさむなぁ・・・
 
 哲学の道は銀閣寺あたりから熊野若王子神社のあたりまで続いています。桜の頃は、混雑するだろうけれど、さわやかな秋晴れの下、「生きている幸せ」を感受しながら、歩くのも、人生の大事な一コマ。

☆写真上は哲学の道と疏水。水は綺麗です。写真下は、京都大学哲学科の先生だった西田幾多郎の歌碑。1981年建立とありますから、40年前はありませんでした。「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾は行(いく)なり」。味のあるいい字ですねぇ。
                西田j

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銀閣寺

      銀閣寺j
  秋の特別拝観とかで、銀閣寺に行ってみました。すごーく久しぶり。40年ぶりくらいでしょうか。

 ここは、相国寺の塔頭寺院で、正式名は、東山慈照寺。ちなみに金閣寺も相国寺の塔頭寺院で、正式名は、鹿苑寺。

 相国寺承天閣美術館には、若冲の襖絵がありますが、こちらは与謝蕪村と池大雅の襖絵。これが特別拝観でした。(~2015年12月6日)若冲、蕪村、池大雅は、先日読んだ「若冲」に、登場していたので、いつもの拝観より身近に感じていました。

 が、しかし、他の寺社の特別拝観と同じように考えていたら、ここは、一時間ごと5分前から25人申し込みということで、11時すぎに着いた者は、約一時間待っても、どうだろう?という感じだったので、やむなくあきらめ、お庭を散策。もはや、色づくモミジの葉。
 展望所まで登ると、吉田山と京都の町が見えました。
それにしても、金閣寺が金箔であるように、銀閣寺は銀箔かというと、そうではなく、黒漆塗りだったので、ずいぶん、落ち着いた佇まいでした。苔むす庭園も風情があります。
 東山の奥深く、沈みゆく満月、夕暮れの三日月…足利義政公も、いいところにお住まいでしたね。大体、境内敷地後ろの山の名は「月待山」。(続く)
いろづくj

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ぐりとぐらとすみれちゃん

かぼちゃj
「ぐりとぐらとすみれちゃん」 (なかがわりえこ と やまわきゆりこ 福音館)
 9月末、ピンボケのカ・リ・リ・ロは、街のハローウィン飾りを見て、そうか、日本でも、ハローウィンを盛大にやるようになったなぁ・・・などと9月30日が、ハローウィンと思いこんでいたら、10月末だというではありませんか。そうだよね。もとは収穫祭なんだもの。・・・・それにしても、イベント飾りの早くなったこと!

 かつて、ハローウィンは、日本の子どもたちのイベントではありませんでした。いつの頃からか街ではカボチャの飾りつけが増え、ご近所では,仮装した子どもたちがウロウロしているのを見かけることが増えました。
 ま、お祭りが多いのは楽しいこと。クリスチャンでなくても、クリスマスがいつの間にか定着したように、ハローウィンも、秋のイベントとして定着するのでしょう。

 ハローウィンとは一言もいいませんが、1963年生まれの「ぐりとぐら」にも、かぼちゃを楽しむ「ぐりとぐらとすみれちゃん」(2000年刊)があります。
 すみれちゃんが持ってきたかぼちゃが硬くて切れない!ということで、すみれちゃんのおかあさんがいつもやっている方法でやると、ほら、ご覧のようにひびが入り、ちゃーんと、いろんなご馳走ができ、みんなで美味しくいただきました。ぐりとぐらは、その種をどうしたとおもいますか?

☆写真は、そのひびが入ったかぼちゃの絵ですが、実物の小さいかぼちゃには、フォークがささっておりますぞ。ふ・ふ・ふ。これは、サラダかぼちゃといって、皮ごと生で食することができるので、簡単に切れます。

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苦節40年余

             ダリアj
 ともかくも、 「若冲」(澤田瞳子 文藝春秋)は、夫婦で初めて、同時期に読んだ小説となりました。
 妻は、春頃に図書館に予約し、入手した「若冲」でしたが、夫は、夏頃、なんらかの書評で読み、予約し、未だ数十人待ちの「若冲」でした。

 以前にも書いたように、夫は、美術館・博物館では、さっさと退室するし、先日の「ランボー詩集」 (堀口大學訳 新潮文庫)も肩透かし・・・なかなか、共通の文系会話はできません。苦節40年余。今回ようやく、接点ができました。
 2000年京都国立博物館「若冲展」の図録や他、関連本を出しておくと、真剣に見入る姿がありました。そこに、一縷の希望が・・・?ま、ぼちぼちですね。

☆写真上は、スイス モルジュのダリア。下は、若冲の「菊花流水図」の一部。このダリアと菊、ちょっと似ていると思います。
菊花流水図j

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先進と保守が入り混じった町

         おおかわj
(承前)
 「若冲」(澤田瞳子 文藝春秋)の「雨月」という章の中心人物は蕪村です。京生まれの若冲とは違い、大坂毛馬の水呑み百姓の出だという蕪村が嘆きます。

≪京は先進と保守が入り混じった町で、他国の者には冷淡な扱いをする。それも表向きは出自など知らぬと言い繕いながら、裏に回ってこっそり異郷の者を排除にかかるのだ。≫
≪余所事への関与を嫌う京の者は、他人のことを表立っては噂しない。問われれば答えるが。そうでない限りなるべく口をつむぐ。・・・・いくら俳句と絵双方に秀で、宗匠と呼ばれようとも、京の人々が水呑み百姓の出の蕪村を心から尊敬するはずがない。≫

 うーん、歴史と伝統、誇りと自信、それらを守り抜くための排他性。ここまでとはいわずとも、今も大きく変わってないようなところもある京都。

 さて、蕪村は、トラブルを起こした娘に襖越しに語りかけます。
「次の春が来たらな。わしと一緒に、毛馬に行かへんか。毛馬の堤にずらりと桜が咲く様は、それはそれは見事なものじゃ。一度お前に、あれを見せてやりたいんや」

☆写真は、季節外れですが、毛馬の堤と続く大阪大川沿いの桜です。大川は毛馬で淀川と接し、毛馬には蕪村公園が設立されています。

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眼は節穴。

山門j
(承前)
「若冲」(澤田瞳子 文藝春秋)の「鳥獣楽土」という章では、八坂門前の一角にあるうら寂しい道具屋での、若冲と媼のやりとりが書かれていて、若冲の絵に対する一つの意見と、一つの絵画論が展開されています。

≪「絵師とは、人の心の影子。そして、絵はこの憂き世に暮らす者を励まし、生の喜びを謳うもの。いわば人の世を照らす日月(じつげつ)なんやで」≫
ふんふん、そう、そう。日々、芸術に励ましてもらう者としては大きくうなずいたものの、次に若冲の絵をけなすところでは、そうかなぁ、そうかなぁと思うばかり。

≪「・・・・人の生きる喜びや悲しみ、山々や生き物たちの晴れやかな美しさが描けへんお前らなんぞ、本物の絵師やあらへんわい」≫と、切り捨てる媼に「じゃあ、なぜ、若冲の絵を喜んで求める人がいるのか?」と、若冲は問います。
 すると、媼は
≪「それはそいつらが、お前の絵の奇抜さや彩りの華やかさに眼を奪われ、絵のまことを見てへんからやわ。気の毒になあ、今お前の絵をもてはやしている奴らの眼は、すべて節穴なんやで」≫≪(二百年か三百年も経ったら)おぬしの絵なぞ、きっと世人より忘れ去られておろうよ。もっとも千年も時が流れ、人が野の草花や生きることの美しさに気付かず、ただ他人を嫉み(そねみ)、己の弱さに耽溺するばかりの世となれば、また違うかもしれんがのう」≫

うへぇー。節穴ね。気の毒やて。まだ千年たってないからね。伊藤若冲(1716-1800)
若冲の絵は、確かに奇抜であったり華やかであるものも多いのですが、可笑しいユーモアが見え隠れするのもあって、ふーん、そんな見方しはる人、居るんや・・・。
若冲の集中力に眼を見張り、いろんな描き方にも、いちいち感心し、驚嘆してきた者としては、若冲を奇想の絵師と思ったことがありません。だから、若冲の絵を描かしめたものは何か?という作者の推理に納得しないのかもしれません。(続く)

☆写真上は、後半の舞台となった京都石峰寺山門。写真下は、重要な位置づけの京都相国寺
相国寺j

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小説「若冲」

            若冲j
 図書館に予約して数十人待って、やっと読みました。 「若冲」(澤田瞳子 文藝春秋) 
 若冲の作品が生まれた意味を推理する内容です。
 ・・・・で、本当にその推理かなぁと思いながらも、最後まで一気に読んでしまいました。特に後半は、人間ドラマがつながり合い、面白く読めます。が、最後まで、その推理じゃないんじゃないかと思いながら・・・
 時代考証だけでなく、知名度の高い若冲の作品をフィクションにしていくわけですから、なかなか大変な作業だったと思います。が、そのことが若冲のモチベーションだったの?という気持ちは、最後まで払拭されませんでした。

 読んでいると、ああ、あの作品ねと画が思い浮かび、楽しい。
 へぇ、あの作品は、そういうことだったのと、興味深い。
 加えて、京都のなじみある地名や寺社が出てきて、それはそれで楽しい。(京都人なら、なお、楽しいでしょう。)特に、6月に行った羅漢さんの伏見石峰寺は、後半の中心にもなっています。
 若冲以外にも、蕪村や応挙や・・・これまた、楽しい。
 実在の場所・人・作品、そして、今も変わらぬ、京都を舞台に書かれた面白い作品なのです。

 が、願わくば、タイトルが「若冲」でなく、実在の絵師の名も変え、「これらは、実在の絵師たちをモデルにした話です」というキャプションがついたような小説だったら、もう少し心穏やかに読めたかもと、素人は勝手なことを思います。ま、それじゃ、売れなかった?(続く)

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秋のホテル

ホテルデュラックj
 今夏、スイスのホテルを探すとき、○○○・デュ・ラック という名前のホテルが複数見つかりました。
 デュラックといえば、華麗な絵を描いたエドモンド・デュラックが思い浮かびますが、デュ・ラックが「湖の」というフランス語だということさえもピンと来ていませんでした。じゃあ。エドモンド・デュラックさんって、湖エドモンドさんってこと?

 さて、今度は、ホテル・デュ・ラックという言葉で探すと、英国ブッカー賞受賞の「秋のホテル(原題:ホテル・デュ・ラック)」(アニータ・ブルックナー著 小野寺健訳 晶文社)が見つかりました。
 行く前に読んでみたら、ガンガンに暑い日本の夏の日だったせいもあって、なんだかピンとこず・・・・というのも、人生に疲れた女性作家が、格式高いジュネーブ湖(レマン湖)畔のホテルに泊まり、そこで出会う人たち、わけありそうな人たちとの交流を通して、自分を見つめ直す、といった話です。邦題に「秋の」とついているくらいですから、夏の騒々しさの消えた、しっとり落ち着いた話の展開です。淡々と。英国ブッカー賞の本を多く知りませんが、「日の名残り」(カズオ・イシグロ 土屋政広訳 中央公論社 ハヤカワepi文庫 )に流れていた空気にちょっと似ていました。

 が、しかし、夏とは言え、実際に曇った日にジュネーブ湖畔(レマン湖畔)、ヴェヴェイの街にある「ホテル・デュ・ラック」の前を通ると、そこは、格調高そうな立派なホテル。昼間っから、しっかりスーツを着込み、片手にシャンパンを持った男性陣が庭で談笑していて、我々の泊まったようなホテルではなさそうなのがわかりました。(結局、我々は、別の街の二つのホテル・デュ・ラックに泊まりました。)

 アニータ・ブルックナー「秋のホテル」の書き出しはこうです。
≪窓から見えるのは、どこまでもつづいている、灰色の世界だけだった。灰色の庭には名前も知らない、葉の固そうな木しか生えていず、この庭の向こうには広大な灰色の湖が麻酔をかけられた患者のようによこたわっているはずなのに、対岸は見えない。・・・・≫

         ヴェヴェイ曇りj

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重大な過誤

      木陰j
(承前)
 「ヴィクトリア」 (冨原眞弓訳 岩波文庫)は、モダニズム文学の先駆者となったハムスン(1859~1952)作とありました。うーん、知らんなぁ・・・と、思ったら、解説によると、
≪ハムスンが「難儀な」作家であるのは、高齢になってから「やってしまった」重大な過誤と無関係ではない。≫ノルウェーが中立を保つ中でも、おおっぴらにドイツ帝国への共感を表明したことに関係しているようです。で、後の文学者たちに影響を与えたにも関わらず、一般の読者層は広がらなかったようです。

 重大な過誤・・・この作家の場合は、政治との関わりですが、ランボーとヴェルレーヌの痴話喧嘩は、発砲事件の警察沙汰だし、ヴェルレーヌ自身にも、大いに問題ありだし。ランボオの訳者の小林秀雄と中原中也、それに、「細君譲渡」の谷崎純一郎と佐藤春夫、男女のこととはいえ、女性の人権をどう考えていたのか、わからないし。はたまた、画家のカラヴァッジョは、殺人者だったし・・・他にも多々あるスキャンダル。

 作品だけを見て、読み、すればいいことだろうけれど、作品に関心が深まれば深まるほど、その背景が知りたくなるのは、カ・リ・リ・ロだけだろうか。…深みにはまっていく気配。ふーむ。
☆写真は、スイス レマン湖畔 モルジュ

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自然のさまざまな美しさに眼を開かせてくれた。

      グリンデルバルト教会j
 「ヴィクトリア」 (クヌート・ハムスン作 冨原眞弓訳 岩波文庫)
 ヴィクトリアという女性を愛したヨハンネスの話です。
 例によって、岩波文庫の薄っぺらさで手に取りました。表紙の絵は誰でしょう?印象派のようにも見えるし・・・と、思って居たら、6月に見に行ったフィンランドの女性画家ヘレン・シャルフベックでした。ノルウェーの話なので、北欧つながりの画家ということでしょうか。

 話は、子どもの頃からの純愛を貫こうとする粉屋の息子ヨハンネスと、城の令嬢ヴィクトリア。純愛小説とも言えますが、のちに詩人となるヨハンネス、没落していく令嬢ヴィクトリア。自然描写は美しく、幻想の世界は時空を超えるものの、難解ではなく、自然に読むことができる話でした。
≪花崗岩の石切場へと続く道すがら、李(すもも)、アネモネ、菫の花に気づく。いくつか折り取ってみると、懐かしい匂いに過去の日々へと呼びもどされる。遠くでは隣の村の青い丘がなだらかに浮きあがり、湾の対岸では郭公(かっこう)が啼きはじめる。・・・≫

  訳者解説ではヘンリ・ミラーの言葉を引用しています。
≪・・・彼(ハムスン)は何時間もの純粋な歓びを与えてくれた。自然のさまざまな美しさに眼を開かせてくれた。まったく魔術的としか思えぬ方法で、愛の苦悶に捕らわれた男と女の魂の秘密をあらわにしてくれた。・・・≫(続く)
☆写真は、スイス グリンデルワルトの教会、山道のカルナ・ブルガリス。
           こけももとエリカj 
 

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サージェントの肖像画

ローズj
(承前)
 写真右が、「おだまり、ローズ  子爵夫人付きメイドの回想」(ロジーナ・ハリソン 新井潤美監修 新井雅代訳 白水社)の表紙を飾るローズの主人ナンシー・アスター(1879~1964)です。
 この絵は、ナンシーたちのロンドンの家に、今も飾られている夫人の肖像画でジョン・シンガー・サージェントが描いています。

 写真左は、サージェント素描集に出ている、ナンシー子爵夫人です。きりりとした眼差し。英国初の女性下院議員として1945年まで議員だったようですが、この絵の右隅には1923年とあり、働く婦人の誇りと気概が伝わってくる画です。

 つまり、同じ画家がナンシーの若い頃と壮年のナンシーを描いたわけですが、以前、肖像画について書いたように、一枚の人物画が、その背景まで表していて、面白いと思います。

 「おだまり、ローズ」と言われ続けながらも、ナンシーの最期を看取ったローズ。彼女の肖像画があったらどんなだったでしょう。(若い頃のポートレートは、本の中に出ています)
☆写真下は、今は、ホテルとなっているクリブデン宮殿の中、先祖の肖像画でしょうか。
              肖像画j

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おだまり、ローズ

  クリブデンj
 子爵夫人のメイド、ロジーナ・ハリソンの書いた「おだまり、ローズ  子爵夫人付きメイドの回想」(新井潤美監修 新井雅代訳 白水社)を読みました。

 ずいぶん、刺激的なタイトルですが、気位の高い子爵夫人、ナンシー・アスターの口癖のようで、文中にもよく出てきました。高飛車にものをいう夫人で、それに負けていないメイドのローズとは、よくやりやった仲のようです。使用人が、雇い主と言い合えるというのは、そこに信頼関係が築かれているからで、文中にも、派手に言い争う2人の姿以外に、使用人たちの家族までも大切にする夫人の様子も書かれていました。
 夫人は、アメリカ生まれで、幼い頃には苦労もし、離婚もし、英国子爵と恋愛結婚、その後、英国下院議会初の女性議員となります。そして、その付き合いの幅は広く、歴史の教科書に出てくるような政治家や、文学者、文化人との交流、そして、王室までも含む社交界がメイドの眼から書かれています。そして、日々の生活も。
 
 個人的には、登場する地名何か所かに親近感を覚え、特に10年近く前に行ったクリブデン宮殿が、話の舞台ということは、嬉しいことでした。
 また、デコレーターという屋敷内に花を飾る庭師頭フランクが、花の活け方に迷いを持っていた時に吹っ切れた場所にも親近感が・・・、同じ時に行ったクッカムだからです。
≪・・・ クッカムの教会に行くために徒歩で丘をくだっていたときのことだ。ふと、丘の斜面に伸びている細い小道と、その両側に広がっている草地が目に入った。草に囲まれて、野生の花がそれは見事に咲き乱れている。おれは教会の帰りにそこで足を止め、じっくり観察した。穂の形の花もあれば、中ぐらいの花も小さい花もあって、さまざまな色が一つに溶けあっているように見えた。・・・(中略)・・・‟あの絵を頭に焼きつけておけば、失敗しっこない。あの野原をお手本にするんだ。≫
 ということで、その通りに花を活けたら、奥様(子爵夫人)が認めたというエピソード。
 このエピソードは、場所への懐かしさもさることながら、花を活けるという意味も示唆していて興味深かったです。(続く)
            クリブデン天井j
☆写真上中:英国 クリブデン宮殿の庭、内部。下、クッカムの教会で、結婚式やってます。
                クッカム結婚式j

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なにもかも 教えてくれたのは 誰?

ユングフラウヨッホj
「なにもかも小林秀雄に教わった」 (木田元著 文春新書)
 スイス報告をしているとき、小林秀雄の訳を多く使い、小林秀雄という名前に敏感になっていたら、木田元が「なにもかも小林秀雄に教わった」などというではないですか。

 木田元は、2014年に亡くなった哲学者ですが、その著書や訳書を読んだわけではありません。
 修士論文を書くとき、指導教授が、木田元を個人的に支持していたこともあり、折に触れ、木田元の名前が出てきて、さも、よく読んだような気になっていましたが、たった一冊、メルロー=ポンティ『眼と精神』(木田元・滝浦静雄共訳 みすず書房 )を読んだのみにすぎません。が、しかし、修士論文を書いていた時に、この本が、支柱となったのを思い出します。
 その木田元の師匠が小林秀雄?ということで、「なにもかも・・・」を手に取ったわけです。
 読みだすと、何もかも小林秀雄ということでもなさそうで、本人も言うように、大きな影響があった人物ではあったけれど、実際には、他のたくさんの人物から影響を受け、書物を読み、考え、したようでした。
 後半のハイデガー・・・のくだりは、哲学書のような空気が漂い、新書版としては、重厚でした。
 たくさんの本が紹介されているので、読みたいものが増えました。
☆写真は、スイス メンヒとユングフラウの稜線の中央にあるのが、ユングフラウヨッホ。ヨーロッパで一番標高が高い駅。ニーダーホルンから望遠で撮りました。

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白鳳展

白鳳j
 もう終わってしまいましたが、奈良国立博物館「白鳳」展(~2015年9月23日)。
開館120年記念特別展と銘打ち、花ひらく仏教美術とありました飛鳥でも天平でもない時代白鳳、7世紀半ばから平城京に遷った710年までの時期のようです。

 終了1週間前に行ったので、特別展示の期間限定の仏さまは、持ち場にお帰りになって居て、展示が完ぺきとは言えませんでしたが、穏やかな表情の仏さまには、心が癒されました。というか、楽しかったのは、イケメンの仏さまの多いことと関係あった?写真左に写る国宝月光菩薩(薬師寺)のイケメンぶりと若々しい肉体美。写真右は、美しいお顔、すっきりしたスタイルの重要文化財の観音菩薩立像。
 山陰地方の仏さまも含め、大小取りまぜ、全国白鳳の仏さま大集合といった感がありました。

 もう一つの目玉が、改修中の薬師寺 東塔のてっぺんの相輪の水煙とそれを支えるさっ管が、目の前に降臨していることでした。改修中ならでは可能になったこと。普通なら、見上げてみるだけで、細かいところは見えませんからね。

 そんな水煙のデザインや、天蓋付属品の飛天模様(写真下)、各出土品の模様などを見ていると、かの取り消しになったロゴのデザイナーも、日本の伝統デザインにインスパイアされていたら、盗作等という汚名もなく、奥の深い、歴史から着想を得たと胸を張れたのにねぇ、と思います。

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ただ、文字数が多いだけ。

マーモットj
 実は、夏の終わりに、スマホに変えました。夫はスマホ、私は旧式の携帯だったのですが、普通に使っていても、あまりに高い料金でした。で、若い人の助言を聞き、シムフリーとかいうシステムの格安携帯に変えました。なんだか、変更はややこしく、いまだに慣れてはいませんが、なにしろ、月々の支払いが1万円も違うとなったら、意地でも、使いこなさななくちゃ。(と、言っているうちに、料金を下げるとかなんとかいう話題が、世に出てきていますが・・・)

 それで、今では、うち以外でも、このページが見られるのです。画期的なことです。
 が、スマホで見たら、このページ、全部同じ大きさの写真になるのですね。意識して、ずらしたレイアウトも、みんな一律同じの縦並び。
 こう見えても、毎日のページは、企画校正・編集・レイアウトまでを一人で担当、鋭意努力しているものですから、少々がっかり。
 しかも、字面も、愛想なく、ただ、文字数が多いだけ。読む気、せぇへんやん!
 
 そうなのです。小さな画面の小さな字をじっと見つめていると、それをやめた時、周りの物に焦点が合わない!老いているとはいえ、こんなに眼を酷使していいの?・・・・と、言っている間にも文字数が増えて行きます。
☆写真は、スイス インターラーケン 船着場、マーモットの像。

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梨木神社

梨木神社j
  京都 梨木神社、大きな鳥居のある参道は、直進できません。旧参道には、立派なマンションが建っているからです。

 鳥居をくぐり、すぐに左折し右折し右折すると、梨木神社正面に。ここには、萩がたくさん植わって居て、満開の頃に来たら、さぞや、眼を見張る美しさだろうと思いますが、この日はもはや、ほとんどの花が散り、咲いていても、終了間際。残念!
 替わりに、京都三名水といわれる「染井の水」を飲みました。

 梨木神社の隣には、蘆山寺があります。7月に桔梗を見に行った、紫式部邸跡でもあります。
 そして、梨木神社の案内には、こんなことが書かれていました。
≪この辺り(中川のほど)は、「源氏物語」でも貴族の別邸がある地域と設定され、「花散里」が住むとされている。また「帚木」で源氏が空蝉と会う場所もこの辺り・・・≫
 
「風吹けば 源氏の里に 萩ぞ散る」 香梨梨露

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