みんなみすべくきたすべく

宿なき人の如く  いや 遠くわれ歩まん。

 たんぽぽj
ランボオ「そゞろあるき」
≪宿なき人の如く  いや 遠くわれ歩まん。 ≫(永井荷風訳 岩波文庫)

(承前)
 スイスに行く前に紹介したランボー「感触」 (堀口大學訳)は、ランボー15歳の作品でした。「地獄の季節」や「飾画篇」にも惹かれますが、個人的には、特に、初期の作品、つまり、15歳やそこいらのランボオの詩が好きです。素直でみずみずしい。天才ならずとも若者共通の感性を見ることができるからです。

 さて、Sensatioin「感触」(堀口大學訳)は、宇佐美斉訳では「感覚」、金子光晴訳では「Sensatioin」、中原中也訳では「感動」、永井荷風訳では、「そゞろあるき」となっています。堀口大學訳(→)と永井荷風訳では、ずいぶんと印象が違うでしょう?
そゞろあるき
≪蒼き夏の夜や 
麦の香(か)に酔ひ野草(のぐさ)をふみて
小みちを行かば
心はゆめみ、
我足さはやかに
わがあらはなる額(ひたい)、
吹く風に浴(ゆあ)みすべし。

われ語らず、われ思はず、
われたゞ限りなき愛
魂の底に湧出(わきいず)る覚ゆべし。
宿なき人の如く
いや 遠くわれ歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。≫(続く)
☆写真上、ニーダーホルンニーセン山を望む。写真下は、蒼き夏の夜in モルジュ。
          夏の夕暮j

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また夕ぐれを知るなり。

レマン湖夕j
ランボオ「酔ひどれ船(未定稿)」
≪また夕ぐれを知るなり。白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり。人のえ知らぬ不思議をも偶(たま)には見たり。≫(上田敏訳 岩波文庫)

(承前)
 さて、だらだらとスイス報告をしてきましたが、アルチュール・ランボー(ランボオ)の詩を見直す、いい機会になりました。
 
 ランボー(ランボオ)の詩は、何人もの人が訳しています。
 今回は小林秀雄訳のものをよく紹介しました。これは、「地獄の季節」「飾画」という詩篇の入る「地獄の季節」(岩波文庫)の中に入っていたものでした。力強い勢いを感じました。
 スイスに持って行ったのは堀口大學訳(新潮文庫)ですが、少年の頃からの詩が入って居て、個人的には、これが一番好みです。
 過激な訳だと思ったのは、中原中也訳(岩波文庫)でした。
 全詩集の宇佐美斉訳(ちくま文庫)は、注意書きが充実していました。また、中原中也訳の解説を担当するのが宇佐美斉でもあり、解説の「季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える」の中原中也小林秀雄のエピソードは興味深いものです。
 金子光春訳「イリュミナシオン ランボオ詩集」(角川文庫)は、一番穏やかな訳のような気がします。
 上田敏訳は「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)の中の「牧羊神拾遺」にある2編が、ランボオのものでした。
 永井荷風訳「珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選」(岩波文庫)にも、一つ入っています。

 ちなみに、1854年生まれのランボオ「酔ひどれ船」は1871年の作、「地獄の季節」は1873年、「イリュミナシオン」1874年です。つまり、最後のでもランボオ20歳!・・・で、その後、公に、詩作という作業を絶っています。

 その絶筆は、スキャンダラスで、若き天才が夭折し絶筆するのとは違います。
 閃光の如く現れ、消えた後は、放浪したり、商人になったり・・・・・37歳でマルセイユに戻ったものの、客死のような状態でした。
 その後の手紙*はありますが、本当に、その後の詩作、彼のノートはないのだろうかと思います。(続く)

*「ランボオの手紙」(租川孝訳 角川文庫)
☆写真上下スイス レマン湖モルジュ。朝のレマン湖の向こうには、モンブランが写っています。
モンブランかもめjj

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時にまた、順風のあって、我に翼を供す。

ふぃんらんどj
ランボー「酔いどれ船」
≪時にまた、順風のあって、我に翼を供す。≫(堀口大學訳 新潮文庫)

(承前) ヘルシンキは、晴れていました。雲がぽっかりぽっかり浮いていて、それこそ、マリメッコの模様みたいでした。山は見えず、湖や池や森が見えました。集落も時折ありました。
 
 フィンエアーの機長が「セッパラ」さんだという、機内放送を聞いたときは、嬉しくなりました。
 ああ、あのセッパラ家の子どものひとりだろうか?
 また、何かで「エルッキ」という名前も耳にしました。
 ああ、あの子が大きくなったの?

知らない人は知らないでしょうけれど、
とびきりすてきなクリスマス」は、マサチューセッツ州に住む大家族、フィンランド系セッパラ家が心に残るクリスマスを迎える話です。その主人公の男の子がエルッキ。
 今年のクリスマスは、この大事な一冊を読み返すことにします。
*「とびきりすてきなクリスマス」(リー・キングマン文 バーバラ・クーニー絵 山内玲子訳 岩波)
                   ふぃんらんど2j

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空はただよふもののためにひらかる

へるしんきj
ランボオ「酔ひどれ船(未定稿)」
≪星てる群島、島々、その狂ほしく美はしき 空はただよふもののためにひらかる、 そもこの良夜(あたらよ)の間に爾はねむり、遠のくか。 紫摩金鳥の幾百萬、ああ當來の勢力(せいりき)よ。≫(上田敏訳 岩波文庫) 

(承前)
 初めてフィンエアーに乗ってヨーロッパに行きました。
 諸事情からいつもと違う航空会社にしてみました。

 実は、ヨーロッパに一番早く着くというフィンエアーの謳い文句も知っていたし、複数の経験者から、評判を聞いていたので楽しみにしていました。
 今まで、ヨーロッパまで、直行便で12時間かかって行くと、最後の3時間にあきあきしていたのですが、関空から9時間でヘルシンキに着くのは、すごく「楽」。その後、乗り継いでも、飛行時間は合計12時間かかりません。
 ヘルシンキはそんなに大きな飛行場ではないものですから、乗り継ぎ時間も、さほどありません。ただ、ヘルシンキ空港には、日本・韓国・中国の直行便が来ているので、空港内は、人が溢れておりました。 

 また、機内は、マリメッコデザインで統一され、すっきりしていましたが、見たい映画がなかったのは残念でした。ま、あっという間のヨーロッパでしたので、薄っぺらい「ランボー詩集」(堀口大學訳 新潮文庫)を充分に楽しみました。
☆写真は、ヘルシンキ空港とフィンエアー機内食。(続く)
                      機内食
  

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夢想するのは、はかないわざさ。

雲の上j
ランボオ「渇きのコメディ Ⅳ あわれなものおもい」
≪北の国へでもいってみようか。それとも葡萄の実たわわな南の国か。――ああ、夢想するのは、はかないわざさ。≫(金子光晴訳 角川文庫)

(承前)
 スイスに行こうと決めると、山に行くのか、湖に行くのか迷います。まさしく、「北の国」か「南の国」か。

 空まで届く美しい山々は、見る者の襟を正します。身が引き締まる思い。が、その大きさがゆえに、懐も深い。
 静かな湖面は、見る者の心を和ませます。心が解放されます。
・・・・ということで、どちらもあきらめられない・・・

 が、少しわかったことがあります。
 一つは、「そこに山があるから登る」という気持ち、です。
 「かかってこい!」と挑発するかのように山がそびえ立っていますから、危険を承知で挑むのでしょう。軟弱なトレッキングしかしない者でも、気分は同じです。磁石のようにひきつける力をアルプスは持っていると思います。

 もう一つ気付いたことがあります。
 個人的に、湖や水辺に惹かれるのは、生まれ育った環境が、瀬戸内海の穏やかな海のそばだったからではないかと。
 電車に乗ると、須磨辺りから延々と見える瀬戸内海。
 遠くに大阪湾の南岸が見え、穏やかな日はさながら湖のようなのです。
 そして、葡萄こそ作っていないものの、多くの日々が気候温暖。(続く)

☆写真上は、ニーダーホルン ケーブルカーからニーセン山を望む。写真下はレマン湖畔の葡萄。いずれ、ホワイトワインに。 
       葡萄j
      

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パン屋はにんまりほほえんで 昔の小唄をひとくさり。

                三食パンj
ランボー「のぞき見する子どもたち」
≪おいしいパンの焼ける音。パン屋はにんまりほほえんで 昔の小唄をひとくさり。≫(堀口大學訳 新潮文庫)

(承前)
 さて、いつか、フランスのパンより地元のBと書いたことがあります。
 地元のBはまだずっとひいきにしていますが、今回、これをしのぐ?並ぶ?パン屋さんを二軒見つけました。

 どちらもモルジュの街にありました。一軒は、おばちゃんたちがせっせとやっていて、私のつたない英語が通じないので、英語の少しわかるおばちゃんを他のコーナーから引っ張ってきて、お店のお薦めを教えてくれました。
 昔、よく食べた三食パン(ジャム・クリーム・あんこ)みたいな形のパン。チーズ、サラミ、ハムがはさんであります。おいしいバターが塗ってあり、キュウリのピクルスをはさんでありました。おいしいに決まってるやん。(写真上)

 もう一軒は、モルジュの朝市の時、すでに外のカフェは満員で店内でも列をなしていたパン屋さん。葡萄畑の帰りに寄ったらば、大きなケースが、ほとんど空。とはいえ、残っていたのをかろうじて手に入れたら、美味しいぃ~。(写真下:朝市で買ったプルーンと、ミニトマトも美味しい!)

 日本ではバターが高くて品薄ですが、きっと、ふんだんにバターを塗っているんだろう、使っているんだろうというお味。ドイツ語圏のパンも美味しかったけど、やはりフランス語圏のパン、小さな街にもおいしいものが。(続く)
お食事j

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程遠き街の響きを運ぶ風 葡萄の薫り、ビールの薫り。

       葡萄畑とレマン湖とj
ランボオ「物語Ⅰ」
≪程遠き街の響きを運ぶ風 葡萄の薫り、ビールの薫り。≫(中原中也訳 岩波文庫)

            葡萄2
(承前)
 ヴェヴェイから単線電車に乗って、シャブレーという村に着きました。ここから葡萄畑を回る小さな車に乗るのです。
 レマン湖を見渡す、葡萄畑の中腹です。
 お客は我々と、インド系夫婦と白人女性の計5人。しかも、ワイナリーに着いた後は、我々以外は、ケーブルでヴェヴェイに降りて行きましたから、最後は貸し切りでした。
        葡萄案内写真j
 さてさて、小さなアトラクションのような車は、でこぼこ道を進みます。がたんごとん、がったん、ごっとん。
見晴らしは抜群。レマン湖を眼下に見ながら、葡萄畑を東西に進みます。
葡萄畑j
それぞれの村の名前は葡萄の品種に関係があるようで、出発点のシャブレーも、折り返し点のシャルドンヌ(シャルドネ)も。
            わいなりj
ワイナリーでは、試飲もさせてくれました。街で買うよりずっと安いものの、重さもあって、ほんの少ししか購入しなかったのを、少々後悔していました。
 すると、猛者もいるもので、かつて、スイス人の友人とワイナリー巡りをした人は、箱で買って、日本へ送ってもらったそうな・・・彼女いわく、すぐなくなったけどね・・・そうなんだ・・・・(続く)
わいなりなかj
                           akawainn7j.jpg

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「ベロン」及ヒ「ゼネーヴァ」府ノ記

ヴェヴェイの街j
(承前) 
 さて、もう一度「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中校注 岩波文庫)に戻ります。この本のスイス編三章目のタイトルは≪「ベロン」及ヒ「ゼネーヴァ」府ノ記≫です。
 ベロンは、ベルン、ゼネーヴァは、ジュネーブのことです。
 
 一行は、ベルンからレマン湖に向かうのですが、
≪豁然(かつぜん)トシテ前ケ、「ヴェヴェー」邑ノ人家、皎然(こうぜん)トシテ湖岸ヲ走ル、前後ノ峰容、水ニ鑑シ霞ヲ拖(ひ)キ、ミナ俊逸ノ姿アリ、真ニ快絶ノ景ナリ、此辺湖岸ノ地ハミナ葡萄ヲウユ、凡(およそ)葡萄ハ平地ニ宜シカラス、其根ハ水ヲ忌ム、故ニ傾斜ノ坡ニ於テ種ユ、渓谷河墳ノ地ノ如キハ殊ニ其土宜ニカゝルト云・・・・≫
 
 この日誌から100年以上たった今も、この風景は変わらず、近年、この葡萄畑の斜面は、世界文化遺産に登録されたようです。
 そして、レマン湖畔のニヨンがローマ軍入植地であり、その近郊斜面が、ローマ軍のためのワイン造りに貢献したというのも納得です。
 ただ、陽光燦々、葡萄畑に適した土地ながら、斜面で作付面積が少ないのか、あるいは、自国消費だけで充分なのか、日本で、スイスワインを目にすることが少ないのは残念です。(続く)
☆写真上は、葡萄畑からヴェヴェイの街が見えます。下は、葡萄畑。葉が色づく頃の夕焼け時は、さぞ、美しいことでしょう。

            葡萄畑j

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鏡の池の底深く、歌留多を遊び、

チェスj

ランボオ「歴史の暮方」
≪人は、女王様や恋しい女を喚(よ)ぶという鏡の池の底深く、歌留多を遊び、西空には、聖女や面帕(かずき)や楽人や伝説の色を読むという。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 ヴェヴェイの街はずれ、遊歩道の端には、ゲーム博物館がありました。
 博物館には、古代からのサイコロから始まってドミノやトランプ、また各国のゲームが展示されているらしい。庭に、大きなチェス。 カフェの入口に、ドミノ模様。雨戸の模様は、トランプのクローバー。
どみのj  
            クローバー模様j 

が、いかんせん、その日は閉館していましたので、もとは城塞だった塔の上に上がってみました。
塔j
 13世紀に建てられたというこの塔、全方向、よく見えます。湖の東西。ヴェヴェイの街に、その向こうに広がる葡萄畑。(続く)
向うは葡萄畑j

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夏の暑熱は、歌唄わぬ小鳥に託され

ベベイ桟橋j

ランボオ「Fairy」
≪夏の暑熱は、歌唄わぬ小鳥に託され、為すこともない放心は、昔日の恋、褪せた匂いの入江を横切り、価も知らぬ喪の船を促した。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 レマン湖畔、ヴェヴェイの街は、8月に見に行った「チャップリンからの贈りもの」という映画でシンパシーを勝手に感じていました。(その日の写真を、チャップリンの銅像の写真に変えています。)
街並みj
 レマン北湖畔の街は、モントルー、ローザンヌ、ニヨン、モルジュ。それに、ヴェヴェイ。
  ローザンヌ以外は、どこもこじんまりとしていて、それぞれの特徴がある町です。
 
 その中でも、ヴェヴェイの街は、チャップリンが住んでいただけでなく、丘の上には今なお、いろんなお金持ちが住んでいるんだろうなぁと思わせる落ち着いた街です。
 一番にぎわう場所に、古い路地や15〜19世紀の歴史的建物、湖に面しては、取り澄ました高級ホテル。加えて、駅の近くに、ネスレの本社があるからか、ニヨンやモルジュよりも人も多い。
 モルジュのダリアのプロムナードもいいけれど、湖岸沿いの遊歩道も、ちょっと素敵じゃありませんか?
遊歩道j
 この遊歩道の向う端で、モルジュの朝市で買ったフルーツとサラミ、それと、パンでランチにしました。(続く)
                 すずめj
☆写真は、映画「チャップリンからの贈りもの」にも出てきた船着場。一番下は、レマン湖を前に、スズメがたくさん集まっている男の人。多分、パンを食べているのでしょう。

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言葉の数々と掘出しもの、即時の所有。

    朝市2j
ランボオ「見切物」
≪売物。様々な計算の応用と未聞の諧調の飛躍と。人々の思いもかけなかった言葉の数々と掘出しもの、即時の所有。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 モルジュでは朝市が週二回開かれますが、葡萄畑に遠足に行く朝に行ってみました。調理せずに食べられるものを調達しなくちゃ・・・
朝市1j
 野菜の色とりどり綺麗なこと。思わず、場所を間違えて、普通にお買い物をしそうになったくらい、食指ののびるものが多かった。野菜や果物、パンにチーズ、サラミやソーセージ、手作りジャムや、ハーブティ・・・
 美味しいプルーンとミニトマト、それに牛肉のサラミ(他に、豚肉、鹿肉がありました)を買いました。手作りリップクリームも買いました。
 京都錦市場で、干物や京野菜を、写真に撮っている外国人とまったく同じ。
            スイカとチーズj
さらみj
☆写真は、モルジュの朝市風景です。スイカの写る写真は、大型車で来て、チーズと肉を売ってました。スイカとチーズの取り合わせ。うーん。写真一番下の若いお兄ちゃんがやっているサラミ専門の出店で、サラミを購入。試食させてくれるとき、自分の分も切っていたのが楽しかった。

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右手に、夏の曙は

          もるじゅだりあ2j

ランボオ「轍」
≪右手に、夏の曙は、この公園の片隅の木の葉や露や物音を目覚まし、≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 レマン湖は、相変わらず、優雅に美しくありました。
 今回は、モルジュという街に泊まりました。スイス報告初日に使ったモンブランの写真は、ここで撮りました。
 モルジュは、花の街というキャッチフレーズ通り、湖岸沿いの遊歩道には延々、今を盛りと、ダリアの花が咲き誇っていました。
もるじゅだりあ1j
 このダリアたちの花壇にそれぞれ、番号がふってあるのは気づいていましたが、次の朝早くから一斉に、分担の場所を、お世話をなさっている方々を見ました。それぞれの花壇に自信と誇りを持って、手入れなさっている姿に、ちょっと感動しました。ダリアも幸せものです。

                    働く人j

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青空などは暗いのだ。

はなj
ランボオ「飢え:地獄の季節」
≪ああ、遂に、幸福だ、理智だ、俺は天から青空を取除いた。青空などは暗いのだ。俺は自然の光の金色の火花を散らして生きた。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

 (承前)
 多分、シーニッゲ・プラッテ植物園に行っても、遠くの山々は見えないだろうと思っていましたが、結構長く乗る登山列車ものんびりできるので、行ってみました。案の定、遠くはなーんも見えませんでした。
 途中のホドラーポイントからのトゥーン湖も、すっきりせず、またもや残念。
ホドラーポイントj
 が、ホドラーポイントほど近く、チーズを山小屋に運ぶ女の人。先導するのは黒い犬。働く人は皆りりしい。
チーズと馬j
               犬と馬j
☆写真は、シーニッゲ・プラッテ植物園のエリンギウム・アルピウム(セリ科)、ホドラーポイントの向こうのトゥーン湖、途中見かけた働く人。

 

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丈高い、『美しい人』

              頂上j

ランボオ「Being Beauteous」
≪雪を前にして、丈高い、『美しい人』。死人の喘ぎと鈍い楽の音の輪につれて、この尊い身体は、魔物のように、拡がり、慄えて、昇って行く。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前) 
 霧模様なので、山岳鉄道に乗って、遠くの景色を眺めることができなかったのは残念でした。
 それでも、時折雲間から、いえ、空の上から、山の頂が見えると、心はざわつきます。
 ともかく窓の上まで山なのですから。
登山列車j
  で、今回も歩いてみましたが、三山ともすっきり拝めるという贅沢はなく、雲の下の岩肌や、途中の氷河を見ながら、奇跡のように楽しんだ、以前の連なりを思い起こしたのでした。その分、木を見て森を見ないというわけで、ここでも、ブルベリーの発見はありましたけれど。
 そんな天気の中でも、自転車の人はいます。若い女性でした。(続く)
自転車j
☆写真上から3枚は2015年。写真一番下は2013年。左からアイガー・メンヒ・ユングフラウ。ユングフラウの前の白く尖ったところだけ、上の写真にも写っています。

三山はれj

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どのみちわしは飲みこむはずだ 木苺さては草苺、

ブルーベリーj
ランボー「何がニナを引止める」
≪どのみちわしは飲みこむはずだ 木苺さては草苺、お前の味を、おお、愛らしい花の肉よ!≫(堀内大學訳 新潮文庫)

(承前)
 霧の中でも、小雨の中でもやっぱり、平坦なトレッキングは、我々のお気に入り。
 ・・・・・・そこには、ブルベリーがあるからです。ラズベリーも。

 ブルーベリー、見つけるのが上手になったので、ずいぶんといただきました。

 雨に濡れて、光っていたこけももの赤い実は、どんな宝石よりも美しい。(続く)

上記、ランボーの詩は、こう続きます。
≪盗人のように、そっと接吻(キス)してゆく風にお前は笑ってじゃれかかる、好意を見せてお前の邪魔する野ばらの枝に、わけてもことに、お前は笑ってじゃれかかる ≫
***2013年9月にもブルーベリーなどの写真と文を紹介しています。この赤い「こけもも」を「つるこけもものクランベリー」としていたのは間違いだったので、写真も文の一部も訂正しています。2013年は少なかったのですが、今年は、たくさんみかけました。

赤い実蜘蛛の糸j

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楡の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆われた。

霧のロープウェイj
ランボオ「錯乱Ⅱ:地獄の季節」
≪楡の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆われた。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 山登りは、子どもの頃、六甲山がせいぜいで、高校修学旅行の上高地・白馬方面も、確か、ロープウェイ利用だったような。
 そんな山とは縁遠いおばさんが、ぐずついた天候の中、山道を歩いても、無事に帰って来られるのは、一つは、ロープウェイとかケーブルで上がったところに在る平坦な道ばかり選んでいることと、複数回歩いたことのある道だったこと。そして何より、スイスの山道の管理が行き届いていたことだったと思います。 

 以前行ったときは、その前週が、記録的な集中豪雨で、山道があちこち寸断されていたにもかかわらず、我々が歩くときには、すでに、標識を点検し、崩れた道を補修していました。もちろん、ヘリコプターが何機も飛び、補修に全力を挙げているのがわかりました。スイス山岳部は、トラックではなく、ヘリコプターで資材を運んでいるようです。
 今回は、小雨や霧、程度だったものの、日本の山じゃ、坂だし、険しいので決行しないと思われる素人トレッキングも可能でした。

きりのなか5はれた
  が、しかし、霧が、あんなに急に出て、あんなに急に晴れるなんて、いい勉強になりました。(続く)
☆写真は、スイス グリンデルワルト, Pfingstegg 行きのロープウェィ。真中の二枚は、一分後に同じところを撮った写真。写真下は、ミューレンで「おーい、待って!」

霧の中jj

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粗布重ねその上に独りごろんと寝ころべば

  椅子j
ランボオ「七才の詩人」
≪粗布重ねその上に独りごろんと寝ころべば、粗布は、満々たる帆ともおもはれて!・・・・≫(中原中也訳 岩波文庫)

(承前)
  チューリッヒ国立博物館で、「カリジェ展」をやっていると、聞いていたので、行きました。(~2016年3月10日)
 「ウルスリのすず」が実写版の映画になったようで、それを記念して(?)、カリジェ作品と山の生活展の様相でした。
 カリジェの作品と並んで、山の椅子や山小屋の設えの展示もあって、美術館ではなく博物館で開催された理由がわかるような気がしました。
すずj
 カリジェが絵を描いた「ウルスリのすず」は、とてもわかりやすい展開です。
≪鈴行列のお祭りには、鈴を身に着けて行列するのですが、ウルスリが手に入れたのは小さな鈴。
大きい鈴の子が行列の先頭になれるのですから、ウルスリはしょんぼり・・・
そんなとき、ウルスリは思いつきます。山の夏小屋のあのくぎにずっと前から大きい鈴がかかっていたことを。
で、ウルスリは山の夏小屋へ。ところが、たどりついたウルスリは、疲れて寝てしまい・・・≫

*「ウルスリのすず」(ゼリーナ・ヘンツ文 カリジェ絵 大塚勇三訳 岩波)
☆写真上は、「カリジェ展」にあった山の手彫り椅子、写真中は、ミューレン途中にあるチーズ小屋、写真下は、トゥーン湖畔オーバーホーヘン城の庭にある小屋。

       のきしたすずj

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昔の戸棚、お前こそ、どっさり話を持ってるな!

            国立博物館j
ランボー「戸棚」
≪昔の戸棚、お前こそ、どっさり話を持ってるな!話がしたくてたまるまい、そうらしい、そっと開け閉て(あけたて)するたんび、お前の扉がきしむもの。≫(堀口大學訳 新潮文庫)


(承前)
 スイスパスが外国人には、便利なものであるのは、間違いないのです。日にちを選んだり、区切ったりして日程を選ぶと、スイス鉄道、バス、湖周遊船も、どれでも乗車・乗船できるし、山岳鉄道も割引がききます。*山岳鉄道(ベルナーオーバーラント周辺)のパスは、また別にあって、現地で購入するのですが、これも便利!
 それに、何と言っても、博物館や美術館などの入場が無料!
トゥーン湖のお城も、今回出かけたチューリッヒ国立博物館も入館無料!日本でもJRの周遊券はあるけれど、外国人観光客にお得で便利になっているんだろうか???
 
 雨模様の山岳地方をあきらめて行ったチューリッヒ国立博物館は、チューリッヒ駅のすぐそば。
 太古のスイスから、現代のスイス産業に至るまでの展示が中心です。伝統工芸や精密機器なども展示されていました。
博物館の建物は、古くからのままのものを使い、内装は新しく改装という部分もありましたが、古いままの部屋もあって、建物そのものが、博物館然としていました。(続く)
ステンドグラスj
 ペチカj
外装j

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出発だ、新しい情と響きとへ。

風を受けるヨットj
ランボオ「出発」
≪知り飽きた。差押えをくらった命。―――ああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。  出発だ、新しい情と響きとへ。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

(承前)
 トゥーン湖畔シュピーツ駅から、長いトンネルを抜け、乗換て、東に行くとイタリアへ。西に行くと、レマン湖(写真)の方に。
 その乗換駅VISP(フィスプ)で、一人の黒人の若者が、鉄道乗換表示をプリントアウトした紙のSIONという文字を指さし「OK?」と夫に聞くから、夫は案内板を見て、確かにその駅は止まるので、「SION、OK!」と答えました。が、怪訝そう。夫は案内板に書かれているSIONの表示を指さし、もう一度「SION,OK!」
 ところが、その若者と一緒だった女性は、別の人に聞きに行っています。
 で、その男女で「行くみたい・・・」のような会話をしたものの、男性は、また戻ってきて、今度は私に聞いてきます。私も案内板を指さし「SION,OK」!と答えました。
 さあ、列車が入ってきました。まだ躊躇している彼らをみて、そばに居た他の客たちも「OK!OK!」と乗るように促しました。
・・・・・さて、SION駅に着いたとき、彼らが降りたのが見えたときは、ほっ。

 レマン湖畔にあるシヨン城 Château de Chillon(写真下右手)ではなく、スイス南東のヴァレー州の州都シオン SION。
 アルファベットになじみがない彼ら、鉄道の案内板のことを知らない彼ら。荷物の多さから、観光客ではなかった彼ら。今頃、葡萄を収穫する季節労働にでも就いているんだろうか。
 そして、今、メディアが伝えるシリア難民の姿を見ると、憂慮すべきこと、難しい問題ではあるけれど、人のたくましさというものも見ることができます。(続く)

               シニョン城j

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インテルラクゲン

インターラーケン船着場j
(承前)
「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)には、こんなことも書いてあります。
≪「インテルラクゲン」村ハ、「チュン」湖首トノ間ヲ隔テタル地峡ニテ、湖水ハ東西ニタゝヘ、山嶺ハ南北ニ聲エ、中ニ平野ノ一面ヲ開ク、村北ニハ「ブリンスェル」湖尾ノ水、大河ヲナシテ「チュン」湖ニ流レ落ツ、村家ハ其河岸ニヨリテ街ヲナス・・・・≫
 トゥーン湖(チュン湖)と川でつながっているのがブリエンツ湖(ブリンスェル湖)なのですが、ここはインターラーケン(インテルラクゲン)オストという山岳鉄道の起点駅であり、船着場(写真上)でもあります。そして、駅前の集落は、開け、今やお洒落な装い。

 インターラーケンオスト駅は、行く度に、どんどん整備されています。
 そして、どんどん、中国の人たちが溢れていました。中国の人たちは、列車や山岳鉄道をリザーブし、大型バスが入れるところまでは大型バスで移動。総人口が多いので、観光客も凄い数。あとは、韓国の若い人たちも多く、それに比べ、日本人、特に若い人たちは影が薄かった。

 我々は、トレッキングやアジアでは有名どころでないところばかり行って居たので、アジアの人たちをあまり見かけなかったものの、大きな駅、飛行場、大きなホテルは、大阪の比じゃなく、溢れていました。
 インターラーケンの新しく設置されたトイレのトイレットペーパーのすぐ上に、中国語とハングルだけの注意書きを見かけたのには、ちょっと、びっくり。日本の海外旅行が盛んになり始めた頃には、日本語で注意書きがあったんだろうか?(続く)

                     オストj

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瑞士蘭山水ノ記

トゥーン湖畔jj
文庫j
(承前)
 「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)の「瑞士蘭山水ノ記」の章には、こんなことが書かれています。
≪車ヲ出テ船ニ移リ、翹首(ぎょうしゅ)スレハ、白峰翠嶺、相環拱シテ、一鏡ノ湖ヲ開、此日朗晴ナレハ、空青倒(さかさま)ニ浸シ、雲日共ニ清ク、皆奇絶ト叫ハサルナシ、湖尾ノ水壮ニシテ、色ハ鴨緑ヲナシ、両崕ヲ拍テ流レ落ツ、船ハ其岸ヨリ軔(とめぎ)ヲ発セリ、瑞士ノ水ハ、雪水ノ融セルモニテ、其色異常ニ緑ナルヲ以テ、水ニ鑑ミル白峰青芩(せいしん)モ、殊ニ晶美ナリ、湖上ノ山ハ、峰頂突兀(とつこつ)トシテ、険奇ヲ争ヒ兀立ス、近キハ峻険、遠キハ嶄巉(ざんざん)タリ、前ニ当ルヲ、 「ネセン」山ト云、高サ七千二百八十尺、特ニ険怪ニテ、湖景ノ眉目タリ ・・・・・・・・≫

うーん、やっと出てきた「ネセン」山=ニーセン山!!!(続く)

☆写真上は、トゥーン城からトゥーン湖を望む。絵は「特命全権大使 米欧回覧実記」の実録絵。キャプションは瑞士ノ「ベロン」郡「チュン」湖ノ津頭(即チ「アゝル」河上流)、写真の教会と共に、左手にはニーセン山が描かれています。
          ニーセン船j

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瑞士国ノ記

スピーツ湖畔j文庫2jj
(承前) 
 実は、「ランボー詩集」に興味を示さなかった夫ながら、彼は、別角度からスイスにアプローチしておりました。
 それは、初夏辺りから読み始めていたらしい 「特命全権大使 米欧回覧実記」 (久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)という全5巻の岩波文庫です。(文は、全文カタカナと漢字の日誌です。)

 詩集を楽しめない夫と、ノンフィクション5巻を読めない妻、ということです。が、しかし、帰国して、スイスだけでもと、読んでみました。
  米欧を回覧する目的の使節団(岩倉使節団)一行が米国から始まりヨーロッパ各地を回り、その5巻目で、やっとスイスに入ります。時は、1873年明治6年。

≪自国ノ権利ヲ達シ、他国ノ権利ヲ妨ゲズ、他国ノ妨ケヲ防ク是ナリ、故ニ内ニハ文教ヲ盛ンニシテ、其自主ノ力ヲ調達ス、教育ハ独逸語ノ部分殊ニ盛ンナリ、教育ノ淶(あまね)クシテ、民ニ礼アリ学アリ、生業ニ勉強スルコト、此国ヲ最ト称ス・・・・・・≫
 
 そして、独、仏、以(伊)の三人種でなるこの国は、
≪・・・此国ノ民ハ、ヨク財産ヲ平均シテ、貧疲ノ戸甚タ少シ、国中協和シ、他国ノ人ニ交接スル懇切ナルハ、純粋共和国ノ気質ニ教育セラレタリト謂フヘシ、人ミナ辺幅ヲ修メス、礼儀ヲ簡ニシテ、真率瀟洒ナリ、其学術教育ハ一般ニ行届き、文明国ノ最上等二位ス・・・・≫

・・・と、スイスの教育を絶賛しています。
 三人種でなる、いわば、複雑に入り組んだ国が、今、現在も、三つの言語を公用語としながら、永世中立国で在り続けるのは、教育に力を入れてきた底力だと気付かされます。
 目先の経済や誰かの傘下に入ることに力を注ぐのではなく、教育に力を。それは、すぐには芽を出さず、力を見せずとも、将来、その国の礎になるのですから。
 そしてまた、観光資源で成り立つ国だとはいえ、観光客に懇切に接するのは、100年以上昔からだったのですね。(続く)

☆写真は、シュピーツ駅からシュピーツ城、トゥーン湖を望む。写真下は、「特命全権大使 米欧回覧実記」の中の記録絵。≪瑞士「ベロン」郡「チュン」湖の景≫とキャプションがついています。*ベロン=ベルン チュン湖=トゥーン湖

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季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える

シュピーツ城j
ランボオ「幸福」
≪季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える…≫(中原中也訳 岩波文庫)

(承前)
 トゥーン湖畔、ニーセン山側にあるのが、シュピーツ城。時間がなくて、入場しませんでしたが、ここは、美術館になっているようでした。残念!

 結局、トゥーン湖を横切ったのも入れて二周したことになりました。観光客の目玉は、簡単に行くことができる(登山ではありません)ユングフラウ(ヨッホ)などの高い山ですが、この湖の周りにも、見るものがたくさんあって、ぐずついたお天気のおかげで、思わぬところに行くことができました。路線バスからの景色もよかったし。

  かつて、トゥーン湖を見下ろす(写真)、シュピーツの丘のホテルに泊まった方は、「トゥーン湖の美しい景色を忘れられません。」と、ご連絡くださいました。
トゥーン湖水j
 それにしても、スイスの鉄道も、バスも船も、時間通りの働き者。特にドイツ語圏のスイス鉄道や山岳鉄道の人たち、ドイツ語もフランス語も、多分、公用語のロマンシュ語も、そして、英語も、人に応じて喋り分けていて凄い!

 このことは、すでに1873年、特命大使使節団が「米欧回覧実記」(久米邦武編 田中彰校注 岩波文庫)に書いておりました。明日はランボーを休んで、この本の瑞士(スイス)のこと。(続く)
☆写真上は、シュピーツ駅辺りから写したシュピーツ城。写真中は、シュピーツの向かいニーダーホルンへ上るケーブルから撮ったトゥーン湖。写真下は、ニーセン山を背景に進むトゥーン湖遊覧船。          ニーセン遊覧船j

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積る恐れも苦しみも 空を目指して旅立った。

トゥーン城j
ランボオ「一番高い塔の歌」
≪時よ、来い、ああ 陶酔の時よ、来い。よくも忍んだ、覚えもしない。積る恐れも苦しみも 空を目指して旅立った。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)

 (承前)
 トゥーン湖の西端に位置するのは、小さな城下町のトゥーン。12世紀に建てられたそのままの姿のお城は、湖岸になく、湖を見渡す急な坂の上。優雅な佇まいなものの、中は少々無骨。大広間がそのまま博物館仕様に。武器や甲冑だけでなく、トゥーンに縁のあったホドラーやリルケ、クライスラーなどの写真も飾られていました。
トゥーン丘j
 優雅な邸宅仕様の湖岸オーバーホーヘン城に比べ、高みからの見晴らしは最高のトゥーン城は、要塞としての意味合いが濃いのでしょう。
         トゥーン町j
 街は、小さなベルンという感じで、お天気がよければ、もう少し散策したい街でした。(続く)
                   アーレ川j

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湖水々々(みづうみみづうみ)

ふなつきばj
ランボオ「涙」
≪やがて嵐は空を変へ、暗くした。黒い国々、湖水々々(みづうみみづうみ)、竿や棒、はては清夜の列柱か、数々の船着場か。≫(中原中也訳 岩波文庫)

(承前)
 オーバーホーヘン城のそばには、定期船の船着場があるにはあるのですが、それとは別に、ひっそりと庭影に在るのが、もともとの城のためにだけある船着場(写真上)は、正面にニーセン山を望む、絶好のロケーション。ここから小さな舟をこぎ出して、日がな一日、湖に浮かんでいたら・・・・・・・・陽に焼けるだろうなぁ。
 きっと、夜は、星も綺麗だし、さすがハプスブルグ家、素晴らしいところにお城をお持ちです。

 さて、今まで、ニーセン山のそばを通りながらも、見逃していたのは、トゥーン湖の南側に鉄道が伸び、ニーセン山のすぐふもとを走っていたため、気づかなったのだと納得しました。
 今回、トゥーン湖の北側をバスに乗り、ニーセン山を望むと、およそ湖の端から端まで、ニーセン山が拝めることがわかりました。 オーバーホーヘン城のある湖北側は、切り立った山(岩場)が湖に迫りすぎているため、鉄道が敷けなかったのでしょう。そんな湖北側の、ほんの少しの土地を見つけたのですね。(続く)
                     湖の見張り台j
☆写真上は、オーバーホーヘン城の船着場からニーセン山を望む。昨日の丸ガラス越しの写真は、写真中の湖に突き出した廊下の丸窓から撮りました。一番下の写真のオーバーホーヘン城の絵葉書に写るように、晴れたら、アイガー・メンヒ・ユングフラウも見えるようです。
             
             えはがき3まいj

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動かぬ灰色の空をいただく曇り日の陽影

まるまどj
ランボオ「街々」
≪動かぬ灰色の空をいただく曇り日の陽影、諸建築の皇帝的光彩、また、地にしく永遠の雪、これはいったいどう言ったらいいものか。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)
 
(承前) 
 ホドラーの絵に何枚か描かれていたトゥーン湖。
 湖岸には、いくつかの小さなお城。
 ニーセン山が見える北側の湖岸にあるのは、オーバーホーヘン城。
 とても小さいもので、宮殿というより邸宅。
         オーバーホーヘン屋敷jオーバーホーヘン旗j
13世紀創設のこの城は、初めはハプスブルグ家のもので、増設したりして、いろんな様式の部屋がありました。その後スイス独立でハプスブルグ軍が退散したのち、今は、内装も歴史展示館のようにし、武器や家具調度、おもちゃなんかも展示してありました。
ペルシャ風j
 このお城は、湖に突き出す形で存在するので、全貌を写真に撮れませんでしたが、庭もきれいな可愛いものでした。(続く)
        にわからj

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ああ、はや遠い、小鳥の歌、泉の声。

      ニーセン船からj
ランボオ「少年時」
≪辿る道は起伏して、丘陵を、えにしだは覆い、大気は動かず。ああ、はや遠い、小鳥の歌、泉の声。行く着くところは世の果てか。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)


(承前) レマン湖周遊の船に乗るのは、スイスに行ったときの愉しみの一つでしたが、それをやめ、急遽、ベルナーオーバーラント地方に戻った我々にも、楽しみは、残っていました。それも、ラッキーなことに。

 ニーダーホルンからロープウェイ、ケーブルを乗り継いで降りたらば、おお!定期船が!
 「乗ります!乗りまーす!」と、手を振って走っていくと、セーフ!

 レマン湖に比べると、ずいぶんこじんまりしたトゥーン湖の水の色は半端なく綺麗なのです。
 連絡船は、ニーセン山にどんどん、迫り、ちょっと感動的。
 同乗していた小学生たちは、おやつを食べるのに一生懸命でしたけれど。(続く)

☆写真は、ニーセン対岸(ベアテンブフト)から乗った連絡船から、撮りました。ホドラーとクレーの描いたニーセン山は、ここ→ 

                        ニーセンふねj

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天使らは羊毛の衣をひるがえす。

ニーセン晴れj
ランボオ「神秘」
≪斜面の勾配、鋼と碧玉(エメラルド)との草叢に、天使らは羊毛の衣をひるがえす。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)


(承前)
 これまで、二度、スイスアルプスに行ったものの、どちらもお天気に恵まれ、スイスの夏は、いいお天気なのだと勝手に思い込んでいました。ところが、今回の霧のかかった山道や、雲の垂れこめた日の多い山岳地方(ベルナーオーバーラント)滞在は、うーん、今までと違うなぁ。もし、初めて来て、こんなだったら、リピートしないかも等と、フラストレーションを抱えたまま、後半、レマン湖に移動しました。

 が、しかし、天気予報によると、最後の日の午前中はベルナーオーバーラント地方も快晴ということで・・・・
 そーれっと!レマン湖からわざわざもう一度、ベルナーオーバーラント地方に戻りました。もちろん、次の日は帰国ですので、日帰りです。こんなとき、日本で買っていったスイスパスという切符は、とても有効。

 お天気が崩れかけの初日に上がったニーダーホルンは、大パノラマ風景でしたから、快晴の日に全貌を見たいという欲が勝ちました。(続く)

☆写真上は、ニーダーホルンから撮ったトゥーン湖とニーセン山。写真下は、我々のベンチ前のご夫婦。眼下にトゥーン湖、左手奥に、アイガー・メンヒ・ユングフラウなどが、時折雲間から姿を見せてくれました。

         ニーダーホルン夫婦j

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深い池は、絶え間なく蒸発する。

          ニーセン霧湖j
ランボオ「断章」
≪深い池は、絶え間なく蒸発する。白い西空を負って、どんな魔女が身を擡げ(もたげ)ようとするのだろう。どんな菫色の樹の葉のむらがりが降りて来ようとするのだろう。≫(小林秀雄訳 岩波文庫)


(承前)
  自称「お天気女」で今まできたものの、今回は、その効力も衰え、旅程の半分は、いつもより、ぐずついたお天気。
 スイスでは、早朝、山の天気情報をやっていますから、それを見ながら、行動可能な範囲を考えたり、気温が上がって雲が山にかかるまでに等と思案しながら、毎日予定を立てました。

 今回は、今まで見落としていたニーセン山を拝むことを楽しみにしていました。ホドラーにもクレーにも、そして、ターナーにも描かれた三角形の山。

 写真のような日も、また別の快晴の日も、その神秘的な山は、トゥーン湖のそばに、腰を据えて在りました。どこから見ても、その孤高の佇まいは、不思議なことに三角形なのです。(続く)
☆写真は、トゥーン湖とニーセン山。

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僕は夏の曙を抱きしめた

モンブランj
(承前) 「ランボー詩集」(堀内大學訳 新潮文庫)を携えてスイスに出かけ、旅の終わりの飛行機で、今までに詩集を読んだことがない夫に「夏の夕ぐれ青い頃、行こう楽しく小径沿い、・・・」とか、「僕は夏の黎明を抱きしめた。」など、たった一行だけを見せたのですが、「うーん、日本の夏の夕暮も明け方も、暑くて、こんなことないなぁ」

・・・・・・確かにそうです。がしかし、日本においても夏の夜明けや夕暮のちょっとした涼しさや美しさに感動したりするやん!
 せめて、気持ちよく過ごせた旅の終わりなら、少しは共感するかな・・・などと思い、期待したのが間違いでした。

   さて、「ランボー詩集」を持って行ったのは、行く前に、目にした沼辺信一さんのブログの一文。≪「僕は夏の曙を抱きしめた J'ai embrassé l'aube d'été」というランボーの詩句に導かれ、まだ見ぬスイス・アルプスのひんやり肌に心地よい風を想像しながら聴く。≫→→
 「ああ、そうそう!ランボーね!」

 今回のスイスは、今までとほとんど同じようなところに行ったので、新鮮味のない報告にならぬよう、少しは工夫してみます。
 携えたランボーの詩と共に。(うーん、できるかな????)

 まず、
 ランボーのイリュミナション(飾画)の「黎明」・「夜明け」の1行目です。
 堀口大學訳「僕は夏の黎明を抱きしめた。」(新潮文庫)
 小林秀雄訳「俺は夏の夜明けを抱いた。」(岩波文庫)
 宇佐美斉訳「ぼくは夏の夜明けを抱きしめた。」(ちくま文庫)
                                        (続く)
☆写真は、スイス モルジュから見た朝のモンブラン(ニヨンから見た朝のモンブランは

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