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マラルメ詩集

セーヌはしげたj
 新聞に(日経朝刊2015年7月25日)「口ずさめるマラルメ新訳詩集、読者広げる」とありました。
≪19世紀フランスの象徴派詩人ステファヌ・マラルメの新訳(岩波文庫)の発行部数が翻訳詩集としては異例の売れ行きを示している≫そうな。
 ポイントは≪口ずさめる日本語を使い歌心を吹き込んだ≫ところらしい。
 また、≪鈴木信太郎による旧訳の評価も高いが、新訳は今の読者の耳に快い言葉遣いになっている。清新な訳で、仏近代詩の最高峰を味わえるようになった。≫とまとめていました。

 訳者の渡辺守章は注解で、こう書いています。
≪「半獣神の午後に」おける「余白」の、異常なまでの肥大化と細分化、そしてその音楽的効果に注目するのがよいと思われる。言いかえれば、この三つのヴァージョンを、「音声化」してみる、つまり、「声に出して読む」ことで、詩句の〈身体性〉のレヴェルを測る作業である。≫・・・むむむ???

 ということで、新聞に引用されていたのは、新訳「半獣神の午後」一部です。
≪半獣神よ、幻想が 遁れる(のがれる)ように消えたのは、青く/冷たい、あれは涙の泉、きよらかなほうの女の眼から。≫

では、旧訳はというと、
≪半獣神(フォォヌ)よ、夢は清浄(しょうじょう)無垢の少女(をとめ)の、/涙の泉と、冷やかの眞青(まあお)の眼より 遁るるぞ。≫
 
 確かに、新訳の方が声に出しやすい。けれど、旧訳の、声に出して読みにくい「眞青(まあお)」という音、「冷やか」と合わさって、深い青さ、深い心情を出していると思います。
ただ、特に「半獣神の午後」は、当初韻文戯曲として劇場進出を目指していたようですから、声に出す、音楽的要素を持つ、ことは翻訳に置いても重要なことなのだと思います。(続く)

*「マラルメ詩集」(渡辺守章訳 岩波文庫)
*「マラルメ詩集」(鈴木信太郎訳 岩波文庫)
☆写真は、パリ セーヌ河にかかるアレクサンドル三世橋

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