みんなみすべくきたすべく

筆齢九十歳

北斎虎j
 辻惟雄「あそぶ神仏―江戸の宗教美術とアニミズム」 (ちくま学芸文庫)を読みました。
 以前、買って積んだままの「奇想の江戸挿絵」(集英社ヴィジュアル版)と同じ著書だと気付く前に、表紙のひょうきんな表情の虎の絵に惹かれ手にとりました。

 北斎の「雪中虎図」の一部です。この前、神戸市立博物館で見た虎とは(「南蛮美術企画展 美術セレクション animal編ー聖フランシスコ・ザヴィエル像公開とともにー」(~2015年8月30日)、一味も二味も違う虎です。

 この絵は、「画狂老人筆齢九十歳」と署名のある北斎亡くなる三か月前の作品です。
 辻惟雄は本文の中で、この絵をこう解釈しています。
≪深々と静まり返った夜の雪、鋭い爪を立てた虎が空中を遊泳するかのように音もなく画面をすり抜けて行こうとしている。眼は前を見つめ、妖しく輝いている。毛皮の模様も、胴や脚、尾も、波立つような曲線をつくり、そのうねりは虎というより蛇か龍を思わせる。このふしぎな雰囲気をもつ虎は、死を間近に控えた北斎の分身であるかのようである。≫

 北斎の奥の深さは、底知れず、まだまだ知らないことばかり。

 で、個人的には、この虎の絵の突き抜けた感が好きです。
 上方を見つめる眼は穏やかに光り、毛皮の曲線は、あくまでも優しく柔らかく、空中浮遊して、あちらを目指す。右足の一搔き、左のもう一搔き、口角のあがった虎。向うには待っているものがあるにちがいない・・・・もうすぐだ。・・・・きっと、死が近いなんて思いも寄らない。前へ前へ。

 2006年に神戸市立博物館「江戸の誘惑―ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展」で見た、北斎最晩年の絵「李白観瀑図」の突き抜けた感にも驚きましたが、同じ「齢九十歳」と署名のある、二枚の絵が、我々に見せてくれるものの大きさを感じます。(続く)

☆写真は、「江戸の誘惑―ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展」図録の「李白観瀑図」と
「あそぶ神仏―江戸の宗教美術とアニミズム」の表紙。

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祇園 囃子

洛中のj
 京都の祇園祭は、宵山や山鉾巡行だけかと思いがちですが、駅でお囃子がまだ聞こえていたので、このひと月は、祇園祭月間ということだと思っていました。正確には2015年は7月1日から29日までのようです。
 その最後の日に、祇園でお食事会があり、お店の人が、「今日で祇園祭は終わりですから」と、山口誓子の「洛中のいづこにゐても祇園 囃子」と書いた紙を添えてくれました。床の間には、薙刀鉾の掛け軸。デザートは、「粽(ちまき)」。京都の家の軒先に下がっている笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守りではなく、食べられるちまき!
 
 さて、昔、昼間、子どもは見てはいけない…空気さえあった花見小路。今や、ラフな服装のアジア系観光客で溢れ、あるいは、簡便に着れる浴衣姿の若い観光客も多く、さながら、映画村のよう。

         timakij.jpg

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バスに乗って

 バスj
 車をやめて以来、市内を走るバスに乗ることが増えました。
 今のような暑い時期は、遠回りでもわざとバスに乗って、身体を冷やしてから帰宅します。
 およそ20分の車中です。

 自分で運転していないので、ぼんやりしたり、うとうとしたり、ずいぶんと楽です。
 山に向かうし、海も見えるし、緑も多いし、のぞき込むと、今なら川で遊んでいる子どもたちも見えます。
 そして、乗客のほとんどが、年長者という時間に乗るので、若輩者には、その言動も興味深い。
 
 先日、杖をつき、ずいぶんと腰の曲がった男性が乗られました。入り口近くのハンデキャップシートが空いていたので、そこに着席。
 その後、足取りの軽やかな白髪の年配の男性が乗車。その人は、運転席に向かい、自分の目的地に行くバスかどうかか確認。 すると、杖をついた男性が、大きな声で「この席、空くよ!わしは、まだ若いから、この席に座ればいい!」と、杖をつき立ち上がり席を譲られました。その勢いに、他の客も引いてしまったのか、他の席が譲られることもなく、バスは出発。
 うーん、席を必要とされていたのはどちらの男性だったのか、一目瞭然。
 彼らの年齢差は、若輩者には全く不明。
☆写真は、英国 ウィンブルドン(撮影:&Co.H)

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聞くだけ野暮

ブルックj
「もしも、詩があったら」 (アーサー・ビナード 光文社新書)
 アメリカ出身の詩人アーサー・ビナード氏の新刊新書です。
「もしも」という言葉の魅力と魔力を楽しめる一冊です。
重い詩あり軽い詩あり、和訳あり(もとの英語もあり)、古今和歌集あり、シェイクスピアあり、演歌あり・・・
目次はⅠ「もしも」と出会う Ⅱ恋する「もしも」Ⅲ世界を見つめる「もしも」Ⅳ「もしも」と生きる、となっています。
つまり、いろんな角度から「もしも」につながる詩を選び、詩を作るうえで、重要な役割を果たす「もしも」という言葉に迫っています。

「あとがきにかえて」の中で≪詩というものは、役に立つか立たないのか?つきつめれば。それは「聞くだけ野暮」の部類に入る。「上半期決算報告書の見栄えを良くするために、役に立つのか」という意味なら、おそらく役に立たないだろう。○○ノミクスを転がす効果を詩に求めても、それはお門違いというもの。でも「自分と自分の愛する人びとが生きのびるために、役に立つのか」といった次元であれば、もしかしたら詩は有用かもしれない。ぼくも詩人のハシクレとして、「もしも」の力に助けられながら作品を書いている。≫

そして、イギリスのマザーグースの「ゴータムの賢者」を原文と和訳を並べて載せ、英国ジョン王の頃のゴータム人の知恵を、現代日本に生かす提案を書いています。さて、上記写真は、イギリスの挿絵画家レズリー・ブルック*が描いた『ゴータムの3人の賢者』の一枚です。

≪ゴータム村の賢者が三人つれだって
茶碗に乗りこみ港から海へ出た・・・ああ
もしもその茶碗がもう少し丈夫だったら
この歌はもうちょっと良かったのだが≫
*‟Oranges and Lemons ――Nursery Rhyme Picture Book“(Leslie Brooke Frederick Warne London)
*レズリー・ブルックは「金のがちょうのほん」(松瀬七織・瀬田貞二訳 福音館)の作者です。

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暑中お見舞い申し上げます

あしながj
 暑いのは、毎年のことだけど、台風や高温や大雨や、なんだか、強烈度が年々増している?
        清流j
 大雨のせいで、川の水量は多く、透明度も高い。
むくげj
 毎夏、えっーと、どっちがムクゲで、どっちがフヨウ?といいながら早朝散歩。この花々は一日花なので、早朝は、とても綺麗。
          ふようj
☆写真は、ムクゲ、フヨウ、英国バスコットパークでみたRose of Sharon
                イギリスフヨウj
 

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金色の髪のお姫さま

シェーンブルン宮殿j
 先日の「ボヘミアングラス展」の後、チェコの昔話集を引っ張り出してきました。
 「金色の髪のお姫さま」(カレル・ヤロミール・エルベン文 アルトゥシ・シャイネル絵 木村有子訳 岩波書店)
 昔話が、大きな声で糾弾できないことを例え話や、遠回しの言い方で表現し、伝えて行った成り立ちを思うと、チェコという国の背景を感じることのできる「チェコの昔話集」です。
 タイトルになっている「金色の髪のお姫さま」という話には、髪をくしけずる姫の絵が出ています。
 その絵で、真っ先に思い出したのは、ウィーンの皇女エリザベートのことでした。
 長い綺麗な髪を侍女にくしけずってもらう間、半日ほども、エリザベートは、そのそばで本を読んでもらったり、語学を習ったりしていた等という解説を、シェーンブルン宮殿(上の写真)の案内にありました。

 昔話とエリザベートの時代は異なり、髪の色も違いますが、髪の毛の美しさの表現は、きっと似ているのじゃないかと思います。
≪金色の髪のお姫さまはある王さまの娘で、むこうの島の水晶の城に住んでいる。毎朝、空が明るくなってくると金色の髪の毛をとかすんだが、その輝きが空から海まで届くほどだ。・・・≫

 この話の始まりは≪あるところに、ありとあらゆる動物のことばがわかる、とてもかしこい王さまが居ました。この王さまが、どうやって動物のことばがわかるようになったのか、これからお話しましょう。≫と、あり、まず、主人公がいかに動物の言葉を解することができるようになったのかが、示され、次のステージでは、年老いた王さまのために金色の髪のお姫様を探し出すという流れです。ハエを助け、アリを助け、カラスを助け、金の魚を助け・・・すると、今度は窮地に陥った主人公をそれぞれが助けてくれると言うわけです。
 で、ここで終わりかと思いきや、年老いた王さまのためのお姫さまじゃ、めでたしめでたしというわけにいかず、その王さま、目の上のたんこぶの消去が必要で、意外とあっさり。さて、この話ができた頃の、チェコの目の上のたんこぶは、何だったのでしょう。

☆写真は、ウィーン シェーンブルン宮殿(エリザベートの夏の宮殿)

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わたしが外人だったころ

ささきまきj
 「わたしが外人だったころ」 (鶴見俊輔文 佐々木マキ絵 福音館)
 哲学者鶴見俊輔氏の訃報。
 ・・・といっても、この人の思想の多くを知っているわけではありません。
 が、今、手元に取り出したのは一冊の絵本 「わたしが外人だったころ」。

 16歳の著者がアメリカ合衆国に渡り、ハーヴァードに入り、入学三年目に戦争が始まり、卒業式の日に交換船に乗って帰国。2か月半の航海を終え横浜に。その後、徴兵検査。海軍では、英語力を生かし「敵側で読んでいる新聞に近い新聞を作れ」という命令を受けたり、病気がひどくなったり、何度も船を乗り換えて帰国。空襲、敗戦。
 感情に流されることなく、一方に肩入れすることなく、時にユーモアを交えながら、青年時代のことを書き綴っています。

 開戦を著者に知らせてくれたのは、アメリカでの友人でした。
 その友人が言います。
≪「戦争がはじまった。これから憎しみあうことになると思う。しかし、それをこえて、わたしたちのつながりが生きことを祈る」≫
 ところが、日本に戻った著者は、アメリカを憎むことができず、自分が撃沈か空襲で死ぬとしても、憎むことはないだろうと思うのです。

 この本は、起承転結のあるお話ではありません。また、明確な答えが書かれているわけではありません。青年の目を通して見た、戦争前後のアメリカでの暮らし、その後の暮らしが、平易な言葉で淡々と綴られています。
 が、静かに伝わります。「人と人とのつながり」の持つ意味、「外人」という言葉が持つ意味。福音館たくさんのふしぎシリーズの一冊として出た哲学書です。

 この本は、今こそ、誤った方向しか見えていない権力欲に侵されている人に届けて欲しい一冊です。漢字も難しくないし、言い回しも難しくないので、その人たちにも読めるはず。

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南蛮美術館

ザビエルj
(承前)
 ボヘミアングラス展の会場を出ると、企画展室につながっていました。
「南蛮美術企画展 美術セレクション animal編ー聖フランシスコ・ザヴィエル像公開とともにー」(~8月30日)が開催されていました。

 実は、この小さな展示の方が、チェコから来ていたボヘミアングラスより楽しめました。
 というのは、江戸期を中心に展示された作品は、動物に関わる絵とはいえ、空想で描いたライオンや、目が大きすぎる虎、洋画風に描かれた馬や象の姿は、なかなか面白い。願わくば、北斎のお茶目な「雪中虎図」や「月見る虎図」があったら、もっと、面白かったのに・・・
 また、それぞれのキャプションも、子どもの見学も意識した平易な表現で、楽しいものでした。

 完成度の高い作品が多いとは言えませんが、これらが、博物館の展示であることを考えると、たくさんの人が、その作品の背景やつながりを知るには、敷居の低い取り組みだと思いました。
 通の好みや学究、評判がいいからいいなどという鑑賞の枠にしばられない自由な鑑賞こそ、広い視野に立って芸術を鑑賞できる人を育てるものだと考えました。もちろん、いいものを見ることがいい目を育てるとはいえ、敷居が跨げないようでは、始まりませんからね。
 
 最近では、夏休みの課題に美術館や博物館に行くとこを課すことがあるようですが、まずは、楽しい、まずは、面白い、から、子どもたちを誘ってほしいものです。本当は、課題で行くのでなく、もっと日常にあればいいのに・・・と思います。

・・・そうそう、教科書でおなじみの「聖フランシスコ・ザヴィエル像」の絵は、ホールに飾られ、教科書をぼんやり見ていたのではわからなかった、絵の下に描かれた書にも気づきました。この絵は、年間公開日数が決まっているらしく、この企画展にコラボしたようです。
 当時、確か、教科書のキャプションに神戸南蛮美術館所蔵と書かれていて、神戸の学生としては嬉しかったのを覚えています。(今は、神戸市立博物館蔵です。)

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ボヘミアングラス展

グラスj
 避暑を兼ねてすいている美術館に行くのは夏の楽しみの一つかもしれません。
それで、神戸市立博物館に「ボヘミアングラス」展(~2015年8月30日)に行きました。

 プラハ国立美術工芸博物館所蔵のボヘミアングラスが、時代を追って展示されています。最後は、現代のアバンギャルドな作品で〆られていました。

  チェコ(ボヘミア)の歴史を考えると、余り多いとは言えない展示品の背景も少し見えるような気がしました。
 というのは、宮廷好みのシノワズリーものの多いこと、時々見受けられる小さなバラの模様が、ウィーンの磁器窯、マリア・テレジアご用達だったアウガルテンのものと似ていること、あるいは、ニンフェンブルグというドイツミュンヘン郊外の磁器窯のバラにも似ていること、また、写真左に写るグラスは、ドイツ マイセングラスとはいえ、チェコのボヘミアングラスの会社で作られたと考えられること。・・・・など、隣国に侵略され、翻弄されながらも、自国のアイデンティティーを、ボヘミアングラスに託していったチェコという国が垣間見える展示でもあったと思います。

 ただ、チェコ本体に残ったものが少ないのか、思ったような精密なものは少なく、やっぱり、この時代なら、日本の方が、精密だし精巧だし、センスいいよなあ等と、日本を思い、会場を後にしたら・・・(続く)
☆写真は、ボヘミアングラス展の案内紙の上に、葡萄の葉っぱ模様のワイングラス

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海で泳ぐ

        オーストラリア沖j
 夫が何を思ったか、トライアスロンをやってみると言いだしたのは一年前。
 正式なトライアスロンではなく、初心者チャレンジコースのトライアスロンで、距離もそれぞれが短く、距離だけ聞けば、普段のランニングや自転車こぎやスイミングをつなげれば、できそうなもの・・・でした。

 が、問題は、一斉に泳ぐ海・・・家族でリゾート地で泳いだことはありますが、本気度が違うし・・・
 彼は、三種目の中では、水泳のクロールを苦手としていました。で、個人レッスンを受け、なんとか、自己流クロールから脱出し、トライアスロン用の水着にしっかりした耳栓を購入、カ・リ・リ・ロのタイムには追いつかないまま(25メートルです)、現地に出発。無事に帰ることだけを祈って「いってらっしゃい」
 
 結果オーライ。
 自転車が、借り物で、ママチャリみたいなものだったから、順位が云々・・・???
 本格的に自転車購入等という声に発展する前に、他の会場での事故のネットNEWSを見ていただきました。

 もちろん、60歳を超えてもトライアスロンをやってらっしゃる方はいます。が、そんな方は海で泳ぐのが平気だろうし、日頃の鍛え方も違うはず、第一、もっと若い頃からやっていたのだろうと思います。
 というのも、初心者コースの結果記録名簿を見ると、10代から40台までの名前しかなく、60歳は、彼一人。
 ま、完走、おめでとう。

 ☆写真は、オーストラリア東に広がるグレートバリアリーフ地帯のサンゴ礁。飛行機から写しました。今回のチャレンジトライアスロンとは全く関係ありません。念のため。

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小さなたね

ひまわりjj
小さな たね」(ポニー・クリステンセン作 渋谷弘子訳 さ・え・ら書房)

 木版に着色?したような、粗削りで素朴な感じのする絵本です。登場する人たち動物たち、植物たちまでもいい顔しています。
 お話は、友だちと一緒に種をまいて育て、収穫し、感謝し、また次の種をまく・・・です。
 出版社の案内には小学校低学年~と書いていますが、もう少し小さい子どもたちとも、この絵本の楽しさは分かち合えると思います。

 新芽が出るのを待ち、新芽が出ると、男の子も女の子も犬もウサギも身体全体で喜び、実がなるのを待ちます。
「上へ上へと大きくなるもの」と、ひまわりを見上げ
「下へ下へとおおきくなるもの」と、ラディッシュや人参をのぞき込み、
「あっというまに大きくなるもの」で、ナスタチウム、
「ゆっくりゆっくり大きくなるもの」で、スイカやカボチャを描いています。
それに、ミニトマト、とうもろこし、えんどうまめ・・・・

そして、
≪わーい、とうとう食べごろだ!
とれたての実は、プチッとかむとあたたかい。
口にひろがる あまくてすっぱい夏の味。≫

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こんぴらふねふね

        こんぴらふねふねj
 金比羅さんのことを、もう少し。
 金比羅さんには、二回行ったことがあります。
 一度は、2004年秋の「金刀比羅宮のすべて 平成の大遷座祭斎行く記念――奥書院特別公開ー」。
 もう一度は、家族で行った25年以上も前のこと。子どもたちが小さかったのと、金刀比羅宮にあんなにたくさんのお宝があることを知らなかったので、すごーい階段上って、参拝して・・・でした。 ♪こんぴらふねふね~♪などと歌いながら登ったと思います。娘はその時、この歌を覚えたといいますから。
 
 それで、今この歌詞を調べてみると、ほとんど間違いなく歌えるのに、なんと、これはお座敷遊び歌・お茶屋遊び歌だって!しらんかった!が、何の歌だった?夫は、おばあちゃんがよく歌っていたなぁと言い、カ・リ・リ・ロ自身は、母が歌って居たような気がすると言い、手まり歌?せっせみたいな手遊び歌?・・・うーん、思い出せない。
 元は民謡らしいのですが、このシュラシュシュシュっていうちょっとふざけた匂い、なかのごりって、何?ぞずさんって、何?そして、この歌には終わりがない!・・・等、学校で習う歌にはない、可笑しみのある歌です。

♪♪金毘羅船々(こんぴらふねふね)
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう)
那珂の郡(なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん)
一度まわれば
金毘羅船々(こんぴらふねふね)・・・・♪♪♪
☆写真は、スイス レマン湖に浮かぶおもちゃのヨットではなく、本物のヨット。

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こんぴらさん

        襖絵j
 終了してしまいましたが、(~2015年7月12日)大阪あべのハルカス美術館で「昔も今も、こんぴらさんーー金刀比羅宮のたからものーー」展をやっていました。

 2004年秋に香川県の金刀比羅宮で、「金刀比羅宮のすべて 平成の大遷座祭斎行く記念――奥書院特別公開ー」というのがあって、125年ぶり、奥書院、一般公開というふれこみで、その125年ぶりという数字に慌てて出かけました。なので、あべのハルカス美術館のは行かなくてもいいかな…などとぐずぐずしていたら、友人が、よかったよと教えてくれたので、終了間際に行ってきたという次第。 
 
 絵画や屏風、襖絵は、持ちだすことができますが、壁にまで描かれたものは、その設えでしか目にすることができない贅沢なもの。
 
 まず、若冲「花丸図」の襖絵の上段の間の部屋じゅう、隅々まで描かれた花の絵にも驚きました。元は若冲の描いた部屋があと3つあったというから、さらに、驚きです。今はその3つを岸岱が描きなおしていて、若冲の部屋は上段の部屋だけに。
 そして、岸岱が描いた群蝶図のある菖蒲の間に入った時に、遠くまで足を運んでよかったと思いました。蝶が乱舞し、次の部屋に誘ってくれるような気がしたからです。蝶は、天井と鴨居の間、長押上小壁(天井と鴨居の間)に描かれていました。

 院主が暮らす私的生活のための奥書院には、若冲、岸岱の、金が濃厚な装飾があり、表書院(客殿)には、金砂子を捲いたとされる応挙のダイナミックな襖絵があります。どちらも、渾身の作品だということが、その空間に立つとわかります。信仰の対象としての金刀比羅宮ならでは、です。

 とはいえ、 誰しも金刀比羅宮に行けるとも限らず、金刀比羅宮に足を運べるのは、健脚であることも条件ですから、あべのハルカス美術館で、お参りした気分になるのは、それはそれで有難いことでした。(続く)

☆写真は、2004年に買った絵葉書「花丸図」(若冲)と、「金刀比羅宮の美術ー思いもよらない空間芸術」(伊藤大輔著 小学館)掲載の「菖蒲の間」東面。

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つまらないことを思い出した

ロンドンひまわりj
 
 台風一過・・・とならなかったものの、とにかく台風は多くの雨を降らせ、行きました。そして、いよいよ、小学校も夏休み。

 歳のせいか、昔の些細なことを思い出すのが増えました。
 といっても、事実の羅列ではなく、その時の表情や雰囲気、その時の感情を思い出すのです。
 
 先日、子どもたちが下校していく時間に歩いていましたら、子どもたちは当然のことながら、ふざけあいながら、リラックスしながら歩いていました。そのとき、一人の子が、すっと自分のマンションに入っていきました。そうやって、一人抜け、二人抜けしながら、子どもたちは帰路についているのですが、思い出したのです。自分が中学校の時のこと。 
 中学校のそばに住んでいた私は、校区の端に住む子たちと、通学時間が全然違っていました。公立の中学校の校区は広く、多分、中学生の足でも、30分以上歩かないと、家に帰れない子がいたはずです。私は、門を出てすぐ右に折れ、バイバイ!ああ、みんなは、ぺちゃくちゃふざけながらバイバイ!と、帰っていきます。なに話して帰るんだろう?なにふざけてるんだろう?みんなともっと一緒に居たいなぁ・・・・

 別の日、思い出したのは、高校の時、整美委員(?)が、毎日、「今日の掃除は何班です。」と、にこやかにいうその笑顔。大阪の街のラッシュの人混みの中、その笑顔を見たような気がしたのです。
 
 歳のせいとか、言っている場合じゃない?
 ええっと、これは、暑さのせいにしておこう。

☆写真は、ロンドンのひまわり。

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権力欲

         イケニびっぐべんj
 (承前) 加藤高明 元総理大臣のことは知識でしかなく、その背景はまったく知りませんでしたが、財閥系の娘婿であったとわかりました。また、今に至っても直系が政治家という流れではなさそうです。
  吉田茂の家系からも、岸信介の家系からも、お城の殿様の家系からも、世襲のように総理大臣が出て、あるいは、某国にも続いた大統領が居て・・・。親は、子に苦労させたくない想いがあるとしたら、総理大臣や大統領は、トップとしての苦労が少ないのでしょうか?それとも・・・よほど美味しい汁があるにちがいない。

  ここで思い出すのは、精神科医 中井久夫氏のいう「権力欲」という言葉。**

 さて、「滞英偶感」には、こんなレポートもありました。
≪先年下院の議員に四百磅(ポンド)の歳費(*給与のこと)を給することとなりたる其当時は、種々の反対論起り・・・≫
 この給与に関しては、労働者議員が出てきた背景もあるのですが、給与を慈善事業に寄付してしまう者も出てきて、≪議員に歳費を受くるの義務を負わしめたるには非ず。≫と、続けます。そして、≪尚お議員の職務が従来の如く到底片手間には勤まらざることとなり、漸次専門的に成行けることも亦、議員に歳費を支給すべしとの議論を生ずるに至れる一原因と見るを得ん。≫

 つまりは、議会制民主主義の初めの議員たち、給与なしの名誉職だったということですね。確かに、議員の仕事は片手間じゃ無理な仕事だけど、今の日本の議員に当てはめても、給与なしで暮らしていけそうな人が多そうに見えますねぇ。
 国民のために働いているのか、自己の「権力欲」のために動いているのか。ん、もう!

*「滞英偶感」 (加藤高明著 中公文庫)
**「時のしずく」(中井久夫 みすず書房)
☆写真は、ロンドン ビッグベンとイケニ族の女王ブーディガ像

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「滞英偶感」

ユニオンジャックj

 以下は、いずれ、UPしようと書いていた文ですが、それはないでしょうの気持ちで昨日の今日、UPしました。明日も続きます。
「滞英偶感」 (加藤高明著 中公文庫)
 文庫の帯に「英国贔屓の面目躍如」などと大書してあったので、購入。
 後に総理大臣になる加藤高明(1860~1926)なる駐英大使や外相歴任の人物が、当時、匿名で時事新報に連載していたレポート(実際に見聞した英国の政治・議会、税制、婦人参政権、新聞、文化風俗等)と後の講演録が入っています。
・・・と、加藤高明については、受験の時に覚えたかもしれない名前の一つに過ぎず、アングロファイル(イギリスびいき)の一点で手に取ったわけです。

 うーん。確かに、この人、かなり、英国に心酔しています。筋金入りの英吉利贔屓です。そんなにイギリス人を持ちあげなくても、そんなに日本人を下げなくても・・・と思うのですが、その文は、読みやすく、なかなか面白いのです。

 ただ、細かいことを言えば、偏った見方がないわけではないものの、現在の誰かさんを筆頭に誰かさんたちも、一度これくらい、深くモデルを追求し、その上で、政治を構築してほしい。

 「英国の議員政治」の章の「言論の自由」のレポートの一部は、次のようです。特に最後の一行、重いんだけどなぁ。
≪英国にては夙に(つとに)言論の自由を尚び(たっとび)、社会主義者の過激なる言論に対してすら全然不干渉の態度を執れる程なれば、況して(まして)神聖な議会に於て此点に重きを置くは当然の事にして敢て怪しむに足らずと雖も(いえども)、議会にては特に言論の自由を尚び、自己の言論に対して他人の干渉を許さざるは勿論、他人の言論に対しても毫(ごう)も干渉を加えず、ギヴ・アンド・テーキ(与えて取れ)の主義に基きて、自党に言論の自由を保留すると同時に、反対党の言論に対しても充分の尊敬を払い、之に対して妨害を試むるは士君子の最も恥ずべき行為となせり。左れば、多数を恃み(たのみ)て少数を圧迫するが如きことは英国にては絶えて見ざる所にして、万一斯かる圧制手段を以て反対党を屈服せしむるが如きことあらんか、忽ち與論の反抗に遭うて、昨日の多数党も今日の少数派と一変するの常なり。・・・≫
(続く) 
☆写真は、ロンドン
 

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痛いやないの

ビールj
 夏を感じる、なんて、おっとりしたものじゃなく、夏が痛い。痛いくらい暑い・・・平熱より高い気温って、どういうこと?
 昔、クラブ活動の時や遠足など、「水の飲み過ぎは疲れの元」などと言って居たのは、どこへやら・・・水分、塩分、忘れぬようにの大合唱。
 
 日の光を避けながら泳いでいるものの、紫外線は容赦なく、プールに入ってきて、今や、ミラノマダムと称してもいいかも・・・そんないいものじゃないけど、ともかく、娘に言われるのは「よく焼けてるねぇ」。そのプールの記録。年明けから半年で、ずいぶん泳ぎ、もうあと少しで琵琶湖一周。

☆写真は、スイス BernのBeer

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また 暑くなる

ぬけがらj
 先週後半から「セミ」が鳴きだしました。
 早朝の散歩にも関わらず、すでにセミが鳴き、汗が出ます。

 散歩の途中で見つけるセミの抜け殻の多いこと。
 梅雨明け宣言は、まだ 先のこと。

 が、しかし、夏が来たなと感じます。
 あーあ、また暑いぞ。
 
          あさがおj

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「消灯!」の声がかかるまで

      らんさまいとj
(承前)
 「空飛ぶ船と世界一のばか」(アーサー・ランサム文 ユリ・シュルヴィッツ絵 神宮輝夫 岩波)は、アーサー・ランサムが、ロシアの昔話を再話して刊行した「ピーターおじいさんの昔話」(アーサー・ランサム著 ドミトリー・ミトローヒン挿絵 神宮輝夫訳 パピルス)の中に入る22編のうちの一つです。同じ神宮輝夫の訳ですが、こちらは、「空飛ぶ船と世界一のお人よし」というタイトルになっています。馬鹿よりお人よしの方が緩い感じはしますが、馬鹿の方が、賢くなる変化が大きくて面白いのになぁ・・・(ちなみにお人よしは、最後、器量よしの若者になります。)
 
 もちろん、再話者のアーサー・ランサムは、かの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの作者です。世にいうランサマイトというこのシリーズ愛好者の末席の端っこ隅つつきとしては、このランサムサガと呼ばれる12巻を隅々まで読み返し、書き綴っておきたいことは山ほどあるものの、今回は、この「ピーターおじいさんの昔話」のまえがきにあったランサム自身の言葉を書き写すのみにしておきます。*** 「ピーターおじいさんの昔話」は1915年に出され、1938年に新版がでます。(1929年より9年あと!)そのときの前書きです。

≪・・・・冒険物語の方法はさまざまに変わるけれど、フェアリー・テイル(特にフェアリーがまったく、あるいは、ほとんど出てこないもの)は(私のように)ただ話をまとめて読者に手渡す編集者の力などに関係なく、話そのものの生命によって、いつまでも生き続けます。それでも、これははっきりいえるのですが、ツバメ号とアマゾン号の子どもたちが小さかったとき、彼らはこの本のフェアリー・テイルをそらでおぼえていました。ツバメ号とアマゾン号の本を読んだ人たち(それから、まだ自分では読めない人たち)も、この本に集めたような話をおぼえていて、夜、キャンプ・ファイアに土をかぶせて「消灯!」の声がかかるまで、仲間に話してきかせたり、きかせてもらったりできたらいいなと思います。≫

*「空飛ぶ船と世界一のばか」(アーサー・ランサム文 ユリー・シュルヴィッツ絵 神宮輝夫訳 岩波)
*「ピーターおじいさんの昔話」(アーサー・ランサム著 ドミトリー・ミトローヒン挿絵 神宮輝夫訳 パピルス)
☆写真は、ランサムワールドの写真はがき。1988年にT.Nさんが写されたもの。T.Nさんお元気ですか?

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出来過ぎの話を楽しむ

             エンジェルトランペットj
(承前) もう少し、「空飛ぶ船と世界一のばか」とグリムの「六人男、世界をのし歩く」を見てみたいと思います。

 グリムの「六人男、世界をのし歩く」の始まりは、単刀直入で昔話らしいスピード感があります。それに比べ「空飛ぶ船と世界一のばか」は、説明が多く、本題に行く前に手間取ります。・・とはいえ、8人乗ることができる船を手に入れてこその話ですから、そこも必要だといえます。

 さて、全体を見ると、主人公に肩入れできるのは「空飛ぶ船と世界一のばか」のばか息子です。
 というのも、グリムの「六人男、世界をのし歩く」は、
≪どんな技でも心得ている男が、戦争で勇ましく働いたものの、小さい銅貨3つでお払い箱になり、怒って、森に入っていくと・・・≫という始まり方です。怒っていることはわかるのですが、少々大人の理由が背景にあります。

  「空飛ぶ船と世界一のばか」は、
≪むかし、むかし、としをとったひゃくしょうのふうふがいてえ、むすこが三人あった。上のむすこふたりは、かねをかりてもだまされないくらい、りこうだったが、三番めは、世界一の大ばかだった。このむすこときたら、子どものようにむじゃきで、ときには、子どもより、もっとたあいがなかったから、人にわるいことなんかしたことがなかった。≫
 饒舌ではありますが、戦争帰りの大人と、人にわるいことなんかしたことがないばか息子じゃあ、子どもが肩入れしやすいのは、自ずとわかります。

  また、グリムの「六人男、世界をのし歩く」のお姫様は、むきになって、能力のある男と競争し、結果、負けてしまう箇所があります。負けて認めるなんて、子どもの本意じゃありません。しかも、そのあと、お姫様と結ばれるどころか、立ち消えになって、最後は、≪6人が宝物を持ち帰り、それを6人で分けて、死ぬまで楽しく暮らしました。≫という結末。お姫さま抜きの結末です。

 「空飛ぶ船と世界一のばか」の最後も、少々、説明過多ですが、次のようです。
 ≪ばかむすこは、王女様と結婚したために大金持ちになり、そのうえ、とてもかしこくなったので、宮殿の人たちは、ばかむすこのいったことなら、なんでもおぼえておいて、まねをするくらいだった。王さまもおきさきさまも、ばかむすこがすっかり気にいってしまった。王女さまはといえば、もうばかむすこにむちゅうだったそうだ。≫
 出来過ぎでしょっ!(続く)

*「グリムの昔話1~3」(フェリクス・ホフマン編・画 大塚勇三訳 福音館)
*「空飛ぶ船と世界一のばか」(アーサー・ランサム文 ユリー・シュルヴィッツ絵 神宮輝夫訳 岩波)
*「ピーターおじいさんの昔話」(ア―サー・ランサム著 ドミトリ・ミトローヒン挿絵 神宮輝夫訳 パピルス)

☆写真は、今を盛りのエンジェルトランペット。

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空飛ぶ船と世界一のばか

空飛ぶ船j
 久しぶりに「空飛ぶ船と世界一のばか」 (アーサー・ランサム文 ユリー・シュルヴィッツ絵 神宮輝夫訳 岩波)をゆっくり眺めていたらシュルヴィッツの絵が、お話にぴったりで、横開きの大型絵本の醍醐味もあって、やっぱり楽しい!

 お話は、いろんなご自慢の能力のある者たちを従えて、三番目のばか息子が、いつのまにやら、美しい若者になり、お姫さまとむすばれました…のロシアのお話です。

 突出した能力が「シナの五人きょうだい」にも似ているしグリムの「六人男、世界をのし歩く」にも似ています。ただ、この話は人数が多い。したがって、話も長い。世界一のばかを入れて8人。だから飛ぶ船が必要だとも言えます。

 世界をひとまたぎするような男はよく話にも出てきます。シャミッソーの「影をなくした男」も七里靴というのを履いていました。千里眼やきき耳、力持ちなども昔話ではよく出てきます。

 ただ、この話で、オリジナリティを感じるのは、薪を並べたら軍隊が現れる「薪もち」とか、天気を変えることができる「ワラ男」で、かなり独特です。が、しかし、ロシアという国を考えると、もしかしたら、そんな能力が存在したのかもしれないなどと考えられるのも興味深いです。(続く)

*「シナの五人きょうだい」(クレール・H・ビショップ文 石井桃子訳 クルト・ビーゼ絵 福音館 かわもとさぶろう訳 瑞雲舎)
*「グリムの昔話1~3」(フェリクス・ホフマン編・画 大塚勇三訳 福音館)
*「空飛ぶ船と世界一のばか」(アーサー・ランサム文 ユリー・シュルヴィッツ絵 神宮輝夫訳 岩波)
*「ピーターおじいさんの昔話」(アーサー・ランサム著 ドミトリー・ミトローヒン挿絵 神宮輝夫訳 パピルス)

☆写真は 「空飛ぶ船と世界一のばか」(岩波)を広げた下に、シュルヴィッツ絵「よあけ」(瀬田貞二訳 福音館)、その下にシュルヴィッツ絵「あめのひ」(矢川澄子訳 福音館)の見返しを開いています。

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廬山寺

源氏庭j
 京都御所の東 廬山寺(ろざんじ)に行きました。今、ちょうど、庭の桔梗の花が見頃だという情報から出かけました。

 廬山寺自体は、初めからここにあったわけではなく、豊臣秀吉の都市計画による移築や度々の火事による再建で、今に至っています。

 そして、この地は、時代考証研究の結果、紫式部邸宅址だったことが判明しているようで、写真に写る枯山水庭園は、その名も源氏庭。案内には、平安期の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭とあります。花期の長い桔梗が、6月から9月末まで静かに花開く、とあります。

 訪れた時は、爽やかな風が吹き、桔梗が楚々と揺れる様子が、風情のあるものでした。
 実際には、紫式部さん、どんな庭を眺めながら執筆したのでしょうね。
邸宅跡j

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もとのこころを しるひとぞくむ

      人造湖j
「いにしえの のなかのしみず ぬるけれど もとのこころを しるひとぞくむ」 古今和歌集雑上(和漢朗詠集 懐旧)
・・・と、文字通りのカナ釘流でカナを練習していましたら、
 ずいぶんご無沙汰しているお友達からメールが来て、昔、私が綴った文集を今も読んでくださることがあるとのこと。うーん、なんて嬉しい。
 また、現在、ブログも読んでくださって、気になった本には、アプローチなさっている旨、書かれていました。

 古(いにしえ)のカ・リ・リ・ロのなまぬるい水を、今も汲みに来てくださる人がいる…有難いことです。 

☆写真は、スイス ユングフラウに登る途中 クライネ・シャイデック近くの人造湖。

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難破船

       難破船j
(承前)
 初めてロンドン テイトギャラリーの、ターナールームに行ったとき、光の入るその展示室に驚きました。日本の美術館は、総じて照明を落とし、自然光などもってのほかという感じでしたから。

 また、写真上のような描き方がターナーだと思いこんでいたので、写真下の「難破船」の絵を見た時も、驚きました。会場がとてもすいていたので、ゆっくり見ることができ、さらに、帰りももう一度、見たことをはっきり覚えています。
 しかも、そのときに購入したターナーの絵葉書は写真に写る絵葉書、この一枚だけ。
 それほど、インパクトのある一枚が、どのようにして描かれたかについても、誇張があるとはいえ、映画「ターナー、光に愛を求めて」の中では、身体を張って海に挑むターナーが描かれていました。

 実は、この「難破船」という絵の前に、長いこと立って見ていたら、船酔いしそうな感覚に襲われたことも思い出しました。北斎の「神奈川沖浪裏」も、迫力満点の絵ですが、初見で、波に翻弄される小舟の人々に目が行く人は少ないのではないかと思います。
 ところが、こちらの荒波の絵は、そこに在る人間の鬼気迫る様子に引き込まれ、見ているものもつい、船酔いしそうになるのです。
☆写真下が「難破船」(1805)。写真上は、「吹雪ー港の沖合の浅瀬で信号を発しながら、測錘で水深をはかりつつ進んでいく蒸気船。エアリアル号がハリッジを出発した夜、作者はこの嵐の中にいた」(1842)どちらもテイトギャラリー。
 

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ラスキンさん

               ラスキンj
 (承前)映画「ターナー、光に愛を求めて」では、絵にも描けない美しい風景だけでなく、ビクトリア時代の時代の変化や英国絵画世界の動きを、少し知ることができます。

 例えば、ロンドンから船でマーゲイトまで船で通っていたターナーですが、ウォータルーから鉄道が敷かれ、ターナーの主治医が列車でやってくるとか。
 ハイドパークに建設中の水晶宮(ロンドン万博)の高さに驚いたり。
 カメラの登場で、スケッチブックを持たずに、出かけるようになるだろうと、ターナーが予言し、自らカメラに収まったりとか。(ターナーは、生涯、スケッチブックを携え、残されたその数300冊ともありました。)
 
 また、英国絵画のロイヤルアカデミーの展示の様子や、コンスタブルとターナーのライバル意識だとか、ターナーのあとの、ラファエル前派につながっていく様子だとか。

 中でも、一番、興味深かったのは、美術評論家の若かりしジョン・ラスキンが、甲高い声で持論を展開していくところでした。
 そのぼっちゃまらしい自由奔放さが、新しいものに臆することなく、ターナーを擁護し、ラファエル前派を擁護することにつながっていくのでしょう。
 英国絵画が、光のターナー以後、ラファエル前派集団のこてこてした重い絵画に移行したのも、絵画の世界で、ラスキンの影響力が大きかったということなのでしょう。
 また、ターナーを擁護したラスキンが、のちにターナー後半の絵の継承者のようなホイッスラーと争ったのも、おぼっちゃまらしい気まぐれだったのかもと、考えるのも面白かったです。
 
 写真下は、「オフィーリア」の画家、ジョン・エヴァレット・ミレイの描いた、ジョン・ラスキンです。映画の中でラスキンを演じていた俳優さんは、そっくりです。
 この絵を描いたミレイは、映画の中で、ターナーの時代からラファエル前派の時代に変わる象徴のように、その絵(「マリア―ナ」が映されました。また、ミレイがラスキンを描いたのは、ラスキン夫妻、ミレイ、その弟で行ったスコットランドでの休暇のようですが、その際、ラスキンの妻と恋仲になり、結局、結婚します。そのスキャンダルの発端になるラスキンの妻の孤独も、映画の中で、少し描かれていました。

 いずれにしても、映画の中の若きラスキンが、のちのいくつかのスキャンダルや訴訟につながる人物を暗示させる描かれ方は興味深く、英国近代絵画に大きな力を持っていくラスキンの一面を見るような映画でもありました。

 なお、写真上は、2012年「巨匠たちの英国水彩画展」の図録で、ターナーがスイス トゥーン湖に、行って描いた水彩画「トゥーン湖をノイハウスの船着場から望む」です。ターナーは1841年から45年にかけて毎年スイスに出かけていたようです。そして、この絵をラスキンは気に入り、他のスイスでの山の絵と一緒に何点か所蔵したとありました。うーん、ここにもニーセン山が描かれています。ホドラーのときも、クレーのときも忘れていたニーセン山。古くはターナーも描いていたなんて・・・(続く)

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映画「ターナー、光に愛を求めて」

      たーなーj
 映画「ターナー、光に愛を求めて」を見ました。
 ターナーの作品は、ロンドンでたくさん見ることができますが、初めてロンドン テートギャラリーに行ったとき、ターナーだけの部屋があり、光が自然に入ってきていて、その採光に驚いたものです。

映画のタイトルにも「光」とあるように、ターナーと光は切り離せないのでしょう。
 映画の中でも、「光」は意識され、風景だけでなく、アトリエや絵の所蔵室でも柔らかい光が差し込む設えになっていました。

 実際、ターナーの影響はパリの印象派といわれる人たち、特にモネに見ることができるし、あるいはホイッスラーにもみることができます。
 が、本場のイギリスでは、ターナーの後、いわゆるラファエル前派集団が台頭し、パリの印象派のような絵画傾向とはなりませんでした。何故なんだろうと、ずっと思っていたのですが、どうも、ターナー個人の生き方も少しは関係があるのでは?と映画を見て思いました。

 映画を見る限り、かなり変なおじさんがターナーでした。演技のうまい俳優さんでしたが、ずいぶん、誇張もあるのではと思いながら、映画を見ました。それで、家で〝Turner at Petworth”という画集のイントロダクションに出ている絵を(上記写真)見ると、体型も映画そのままだし、コウモリ傘をいつも携えていたところも同じだし、床に布が散らかっている様子も、パトロンがそばにいて、夢中で描いている様子もそのままだし・・・ということで、やっぱり、映画は、ずいぶんターナー本人に近かったのだと。
 とすると、悲しみでいっぱい、憐れを身体いっぱいに表現した下女、最後を看取った婦人とのささやかな幸せの日々も事実に近いのかもしれません。

 なんにしても、映画監督自身が、ターナーの風景画を意識し、素晴らしい風景の映像を見せてくれます。文字通り、絵に描いたような風景が、広がっていました。(続く)

☆写真は、‟Turner at Petworth”という図録に出ているS.W.Parrott作 Turner on Varnishing Day at the Royal Academy1846:写真左中下に白く点在するのは、この写真のせいではなく、もとの絵についた傷みだと思われます。25.1×22.9センチの小さなもの。シェフィールドのラスキンギャラリー蔵。

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慾に負け、深く考えずに、行動しちゃう。

1135建立j
(承前) 
 とはいえ、現代小説が肌に合いにくい理由が、計算が苦手の一言で片づけていいのか・・・などと考えていたら、計算が苦手イコール てきとーな性格つまり、雑い・・・に思い当たりました。 そうかぁ。

 カ・リ・リ・ロのようながさつな読み方をする者は、飛ばし読みをしているので、現代小説のように、細部に、その計算のヒントがある場合、それも読み飛ばしてしまい、ん?と思って、何度も引き返して読まないとわからない。計算間違いをよくしたのと同じ。このブログの推敲もよくいい加減になっているのと同じ。

 ところが、近代英国小説は、少々読み飛ばしても、大体の流れはわかり、雑な読書のカ・リ・リ・ロにはぴったり!ということが、この年齢になって判明。心理描写というより行動描写が多く、グダグダ言わずに行動しちゃう。慾に負け、深く考えずに、行動しちゃう。・・・ははは!とってもわかりやすい。

 思うに、きちんと丁寧に読む人は、古典から現代の作品まで、なんでも読みこなせるんだろうなぁ。うーん、今更、遅い・・・
 とはいえ、まだまだ読みたい本がいっぱい!

☆写真は、英国 ハーレー・オン・テムズ村の旅籠。1135年に建てられたようです。ここの古い窓ガラスの写真は、かつて、古本海ねこさんに書かせてもらっていた「本の小部屋でティータイム」で、おしまいと書いた写真です。

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夢か現か、現か夢か

はすj
(夢の続き)(承前)
 タブッキは、「イザベル ある曼荼羅」(和田忠彦訳 河出書房新社)を刊行しないまま亡くなってしまいます。最後の推敲こそ未了なものの、一部の人の目には触れている原稿で、完成度も高いと、死後、刊行されたわけです。

 ああ、これで、イザベルのことがわかる!
 「リクイエム」(タブッキ作 鈴木昭裕訳 白水社 1992年 日本語版1996年)から長きにわたって、いらいら待っていた読者もいたでしょうね。

 結論から言うと、もしかしたら、「リクイエム」よりこの「イザベル ある曼荼羅」の方が完成されているかも?と思います。読みやすく、わかりやすく展開していきます。

 とはいえ、次はどこへ?次のつながりは?という楽しみはあるものの、個人的には、娯楽としての読書という感じになりませんでした。タブッキを続けて読み過ぎたせいかもしれません。
 何冊かのタブッキで見つけていた「夢」というキーワードは、この話自体には登場せず、この話全体が、夢か現か、現か夢か・・・みたいな世界でした。
 D.G.ロセッティから始まって、夏目漱石ミケランジェロ、そして、このタブッキの「夢のなかの夢」など、「夢」をぐるぐるまわりしてきましたが、この辺で、このキーワードを「砂曼荼羅」が風で消えてしまうように終えたいと思います。
 
 計算されつくした構成の現代小説は、その計算を解いていくのが読者の愉しみなのだろうと思います。文字通り計算の苦手なカ・リ・リ・ロには、先に読んだフィールディングや、ディケンズやサッカレー、ウィルキー・コリンズのような英国大衆小説、無駄に長いときもあるけれど、あまり、深く考えなくてもいい話が、好みなのだとよくわかりました。(続く)
*「ジョウゼフ・アンドルーズ(上下)」 (フィールディング作 朱牟田夏雄訳 岩波文庫)
☆写真は、京都深草石峰寺の蓮。

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絵も変質することはありえないのか?

アントニウスj
 タブッキを読み続けていたら、新聞や雑誌の書評欄にタブッキの新刊「イザベラ その曼荼羅」(和田忠彦訳 河出書房新社)が紹介されました。書評を読まないまま、図書館に予約。それで、しばらく待って、入手。が、最初、少々取っつきにくいので、解説から目を通しました。
 すると、この「イザベラ」は「レクイエム」(鈴木昭裕訳 白水社)のどうも続編(後編)らしいということが判明。ええっ?じゃあ、「レクイエム」から読まなきゃということで、また図書館で借りました。

 ということで、「レクイエム」の感想から。
 全体に読みやすかったものの、食べ物に関する記述が饒舌すぎるような気がします。が、後ろに詳しい料理解説が出ているくらいですから、本篇のなかではリアリティを表現する重要な位置づけだと、理解できます。
 ただ、「インド夜想曲」や「供述によるとペレイラは・・・」ほど、すっきりした構成ではないように思います。

 また、この本にも、「夢」というキーワードがありました。
≪今日はぼくにとって、とても不思議な日なんです。夢をみている最中なのに、それが現実のようにも思えてくる。ぼくは記憶のなかにしか存在しない人間にこれから会わなければなりません。≫と、進めていくのです。≪あなたの魂、ではなかった、あなたの無意識は、こういう日は大忙しのはず≫だと。
 いろんな人たちが登場します。麻薬中毒の青年、足の悪い宝くじ売り、タクシーの運転手・・・若き日の父、国立美術館のバーテンダー、模写画家・・・イザベル、物語売り、食事相手、アコーディオン弾き。

 で、印象に残ったのはリスボン国立美術館で『聖アントニウスの誘惑』という絵を見て、思いめぐらせるところです。
≪わたしはいま、ふたたびここにもどってきた。なにもかも、昔とかわっていた。絵だけが変わらずここにあり、わたしの訪れを待っていた。だが、ほんとうに昔のままなのだろうか?絵もまた変わっていないのか?つまり、わたしの見方がかわったというそれだけで、絵も変質することはありえないのか?≫

・・・結局、重要な位置づけのように思えるイザベルは登場人物としてほんの少し影が見えるだけのでした。なんら、行方もわからぬまま終わってしまった次第です。いわゆる起承転結の形の話でないのが、現代文学なのかなぁ・・・ふーむ(続く)

☆写真は、イタリア人作家タブッキが在住したポルトガル リスボン国立美術館にあるヒエロニムス・ボスの『聖アントニウスの誘惑』(油彩祭壇画)ではなく、同じヒエロニムス・ボスによる同じ『聖アントニウスの誘惑』です。こちらは、スペイン マドリード美術館にあり、前者は3対のものですが、これは一枚の絵となっています。

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島とクジラと女をめぐる断片

イルカj
(承前)
 須賀敦子訳のタブッキを次々読んでいったのですが、「島とクジラと女をめぐる断片」(タブッキ著 須賀敦子訳 青土社)は、短篇というより、タイトルにあるように、断片集です。クジラとアソーレス諸島につながる作者の習作のような感じで、ついていけないものも多かったです。
 
が、最後の「ピム港の女」は、詩的な空気が漂う佳品でした。もちろん、短篇です。タイトルは「ウツボの唄」じゃダメなんでしょうけど、歌の部分はキーワードです。
≪ウツボを釣るのは月が満ちてくる時期の日が暮れてからで、魚を呼びよせる言葉のない歌があった。最初は声を低くしてゆっくり、そしてふいに激しく歌いあげる。まじめな歌だ。あれほど、せつない感じの歌は聞いたことがないよ。まるで海の底からたちのぼってくる、というのか、さまよう霊がうたっているような。≫

 そして、最後に作者自身のあとがきとして、「一頭のクジラが人間を眺めて」というこれも詩的な短文があります。
 その最後の最後、クジラが人間を見て、
≪彼らはときにうたうことがあるが、じぶんのためにだけだ。そして、彼らの歌は呼びかけではなくて、胸を刺すような哀しみの呻きに似ている。彼らはすぐに疲れる。日が暮れると、彼らを運んできた小さな島のうえで休息するのだが、たぶん眠りこけているのか、さもなければ月をみているのだろう。音も立てずに、彼らは去る。やっぱり、彼らは悲しいにちがいない。≫(続く)

☆写真は、バリ島沖、イルカウォッチングの写真(撮影:&Co.Ak)
     
     ふねうしろj

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