コンサートチケットをいただき、久しぶりの生演奏会に行きました。金曜でもない平日の夜にもかかわらず、席はほとんど満席でした。定例コンサートなので、リピーターも多く、顔見知りも多いようで、ちょっとした社交場のようでもありました。
個人的には、音楽通とは、ほど遠く、演奏の良し悪しの聞き分けにも、ほど遠く・・・が、生演奏は、やっぱり魅力的。その空間自体が心地よい。とはいえ、うっとり眠ってしまうことがないように、お昼寝して臨んだ結果、ヴァイオリン協奏曲やベルリオーズの幻想交響曲全体を楽しむことができました。
もしかしたら、耳より、目で鑑賞しているような不届き者なので、
ハープの人って、第二楽章まで、どこに居て、その後、どこに行ったの?もっと、聞きたかったなぁとか。
打楽器の人は、第三楽章の雷鳴の時まで、どこにいるんだろうか?とか。
シンバルの人って、辛抱強いのね。最後の最後まで、じっとしている・・・とか。
ああ、舞台そでに引っ込んだあの人が、あの「鐘」を鳴らしているのね・・・とか。
演目は、
ベルリオーズ:歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 作品61
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
☆写真上は、アガパンサス。下は浜木綿。どちらも今を盛りと咲いています。 
(承前)
「辻征夫詩集」(谷川俊太郎編 岩波文庫)を読み終えた帰りの電車は、娘と一緒になりました。
その詩集の中に、これ、娘なら、絶対共感すると思った詩がありましたから、彼女に見せました。
ちょっと長いそのままの引用です。
≪「だれもいない(ぼくもいない)世界」
(世界中でそこでしかいたい場所はないのに
別の場所にいなくてはならない
そんな日ってあるよね)
十歳くらいのときかな
ひとりで留守番をしていた午後
そおっと押し入れにはいって
戸を閉めたんだ。
それからすこうし隙間を開けて
のぞいてみた
だれもいない
(ぼくもいない)部屋を!
なぜだかずうっと見ていて
変なはなしだけど
そのままおとなになったような気がするよ。≫
・・・・実際にこんなことやっていた娘だったので、紹介しました。すると、ちょっと涙腺が緩んだように見えた彼女、「わかる!わかる!そうそう」と言いました。「最初の括弧書きのところも、いいなぁ、よくわかる・・・」
・・・で、今こうして書き綴っていると、私自身もこんなことをし、こんなこと感じていた十歳の頃を思い出しました。
☆写真は、英国バスコットパークに咲いていたButterfly Bushと思われる花に飛んできたButterfly。
(夢の続き)
岩波文庫の「辻征夫詩集」 (谷川俊太郎編)を電車のお供にしました。
この人の詩は、この人が、そばで喋っているような気になる、平易な言葉です。
現代詩ですから、韻だとか、リズムだとか関係なさそうな場所で、詩ができています。
とはいえ、短い言葉で、深い想いを表現するのですから、その言葉の連なりは、読む者の心に静かに届きます。
この文庫には、谷川俊太郎が選んだ辻征夫の詩が入っていて、辻征夫と対談をしていて、あとがきのようなものを書いていて、もう一人の現代詩人としての仕事をしています。
辻征夫の自費出版による第一詩集だった「学校の思い出」の中の
「沈黙」も、やっぱり「夢」つながりの詩でした。
「辻征夫詩集」の一番初めに掲載されています。
≪いきなり電話が鳴ったので
ぼくは目覚めてしまったのだ
夢の中でぼくは
一冊の詩集を読んでいたのだが
その中の一篇がすばらしかった
思わず
すばらしいと僕は呟き
夢だなぞとは夢にも思っていなかった
・・・・・・・(中略)・・・・・・
すばらしいことはみんな夢の中で起こった
ぼくらはそれを思い出せないで暮らしている
・・・・・・・(後略)・・・・・・≫
すごくわかる気がして、この詩集のページを繰っていきました。(続く)
☆写真は、英国 バスコットパーク庭。
東京藝術大学美術館の「ヘレン・シャルフベック展ー魂のまなざし」(~2015年7月26日)に行ってきました。
フィンランドの国民的画家による初の回顧展とありましたが、まったくしらない女性画家でした。
新聞や雑誌で紹介されている絵「快復期」の少女の絵(下写真左下)と、自画像(上写真右)の画風が全く違うので、そこにも興味がありました。
先日書いた、ベルト・モリゾ(1841-1895)カミーユ・クローデル(1864-1943)、特にカミーユとは、ほとんど同時代のヘレン・シャルフベック(1862~1946)です。彼女は、師弟関係ではなく、画家仲間の19歳年下の画家との失恋が、大きな痛手となったとありましたが、彼女の画風の変遷と、最後の研ぎ澄まされていく自画像を見ていると、女の人が、画家として生き抜くことの大変さを見たような気がしました。
ヘレン・シャルフベックは、いろんな画家の影響を受けています。エル・グレコやホイッスラーの影響(下写真右)は、一目でわかります。
また、画法を模索し続け、最後は、自己を見つめ、衰えていくもの(自分や果物)を描いています。
・・・・・なんだか、息苦しくなって、会場をあとにしました。
☆写真上は、東京藝術大学美術館の「ヘレン・シャルフベック展ー魂のまなざし」入口付近。
写真下は、下「快復期」右「お針子」上「日本の花瓶にはいったスミレ」の絵葉書 
(承前)
「エドワード・アーディゾーニ展」での、アーディゾーニの変わらぬ画風。だから、どれも見たことありそうで、でも、やっぱり一枚一枚違う。
描くこと自体が好きな人なのだと伝わります。手書きのクリスマスカードや、絵手紙の類までも多いこと。
ところで、新聞にピカソ(1881~1973)の絵はがき(ピカソの素描付きで、フランスのアポリネールに送ったものの、宛名がスペイン語で本人に届かなかったらしい)が見つかり高額で取引されたとありました。以前パリのピカソ美術館に行ったとき、ピカソが、いろんな紙の裏や箱にまで何か描きなぐっているのを見て、ピカソが、とにかく描くのが好きな人だとよくわかりました。・・・・そして、アーディゾーニ(1900~1979)も、ひたすら描いている。
上記写真の向こうに写るアーディゾーニの書いたクリスマスカード集(“MyFather and Edward Ardizzone-A Lasting Friendship Illustlated with Ardizzone Christmas Cards ” Edward Booth-Clibborn Patrick Hardy Books)を手に入れたとき、
「いいなぁ。こんなクリスマスカード、もらえて・・・」と、とてもうらやましかったものです。
のちに写真手前「エドワード・アーディゾーニ 友へのスケッチ」(ジュディ・テイラー編 阿部公子訳 こぐま社)が出た時も、「うーん、クリスマスだけじゃなかったのね。筆まめな人!」と、感心したものでした。
この本の編者のジュディ・テイラーが「はじめに」の部分で、アーディゾーニの手紙類を集めた時のことを書いています。≪ある時は、スケッチ、ある時は水彩画の描かれたアーディゾーニからの手紙類を、受け取った人々が大切にしてきたから、40年以上の期間の手紙が集められた。≫
さて、上記写真に写るワインのご婦人たちをのぞき込んでいるのがアーディゾーニなのですが、文面には、贈り物のワインのお礼と感想が書かれています。≪・・・若々しく酸味がある。というよりむしろじっくり熟して美味しいのです。≫
こんな洒落たお礼状、そりゃ、大切に保管するに決まってます。
自慢じゃありませんが、読むのはほとんど、文学系の本。科学系の本は滅多に読みません。(必要な専門書は読まざるを得ませんが・・・)
必要な専門書に近いといえば近いけど・・・「増補 オオカミ少女はいなかったースキャンダラスな心理学」 (鈴木幸太郎 ちくま文庫)は、電車で一気読み。
かつて、教育系の学生だったとき、オオカミに育てられた女の子たち(タマラとカマラ)の話は、心理学の授業で聞き、多分、教科書のようなものにも写真が出ていたのを記憶しています。
月日は流れ、学生ではなく教員となり、保育系の学校で使った資料にも、その話は出ていました。直接、心理学を指導したわけではないので、参考程度でしたが、インパクトの強かったこのオオカミに育てられた少女たちの話は、≪ヒトとして生まれてきても、人間の環境で育たないと、つまりヒトの間で育たないと、「人間」になれないことを示す例≫(P45)として、紹介したことがあり、学生たちも心理学の授業で聞いたと言っていました。
が、しかし!その話が、どうも正しいデータがなく、写真は改ざんされたものである等と、「増補 オオカミ少女はいなかったースキャンダラスな心理学」の著者は検証していきます。
確かに、不審なところだらけです。が、鵜呑みにしておった・・・そうだったのか・・・
へぇー。しらなんだ。の話は、このオオカミに育てられた少女たちの話だけでなく、天才馬や、環境の異なるところで育った双生児の研究、プラナリアの学習や、乳児の恐怖の研究など、どこかで聞きかじったような、インパクトの強い研究発表を、見直しています。研究者の人間関係までにも論及し、スキャンダルな心理学という副題らしく、読みやすく書かれた一冊となっています。
ここに取り上げられたどの研究も、おおよそ単一の結果で、あとから、同じ結果を導き出せないということが核心となっています。
これって、わりと最近、大騒ぎになった研究結果(若い女性研究者で注目度の高かった)事件と、なんら変わりがないなぁと思いました。つまり、センセーショナルな研究発表は、いつの世でも、ふつーの人の耳目を集め、スキャンダルと紙一重にあるのだと。 ☆写真は、英国テムズ川沿いのブラックベリー
(承前)
夏至の詩?と思うのは、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」からイメージをつなげていっただけ・・・
≪「フェアリの 國」
夕ぐれ
夏のしげみを ゆくひとこそ
しづかなる しげみの
はるか奥に フェアリの國をかんずる≫(八木重吉)
昨日の「やさしいけしき」「草にすわる」(市河紀子選詩 保手濱拓絵 理論社) も、掌に入る小さな本で、抽象的なカットのついたきれいな本でした。
が、しかし、図書館で上記「フェアリの國」の入った八木重吉詩集「秋の瞳」を手にしたときは、その詩集の暖かさまでも手にした気がしました。もちろん、選詩集と違い、八木重吉本人の詩集であり、しかも、復刻版なので、旧仮名遣いの上に、紙まで今の紙のようにつるんとしていないような造りの本です。
よくもまあ、図書館の棚に埋もれてしまわなかったと思うほどの地味で小さな造りの本です。復刻される前の本体は、【大正14年印刷定価價七拾銭】とありました。巻頭のタイトルは、八木重吉自身の自筆印刷のようです。挿絵もカットも何もついていません。中は、ほんとうに詩だけ。読めば愛おしさが増します。
その詩集の「序」は、書き残さずにはいられません。
≪私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私
には、ありません。この貧しい詩を、これを讀んでくだ
さる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友
にしてください。≫
*「秋の瞳」(八木重吉著)(名詩復刻 詩歌文学館〈紫陽花セット〉昭和58年発行 ほるぷ)
☆写真は、兵庫県養父市の蛍。(撮影:&Co.Hi)
「やさしい けしき」 (市河紀子選詩 保 そして、まどさんと同じ7つの詩が選ばれているのが、八木重吉。
知りませんでした。
夭折の詩人らしいのですが、
この選詩集で、一番心を惹かれたのはこの人の、短い、短い詩でした。
≪「雨」手濱拓絵 理論社)
このタイトルは、まど・みちおの詩から来ています。
まどさんの詩は、いつも柔かくて好きです。そんなまどさんの詩が一番たくさん7つ入っています。
他には、谷川俊太郎、工藤直子、島崎藤村、宮沢賢治、三好達治・・・
雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでゆこう≫
「草に すわる」 (市河紀子選詩 保手濱拓絵 理論社)
こちらのタイトルは八木重吉の詩です。こちらには、八木重吉が5つ選ばれています。
≪「草に すわる」
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる≫
(続く)
☆写真撮影(&Co.A)
映画「画家モリゾ、マネの描いた美女 名画に隠された秘密」を見ました。
パリ マルモッタン美術館で、ベルト・モリゾ(1841-1895)をたくさん観てから、彼女の押しつけがましくない優しい絵に惹かれています。
そんな彼女自身の生き方が知りたくて、映画を観に行きました。
女性の職業画家が多いとは思えない時代に、あるいは、女性の生き方が今よりもっと制約のある時代に、どう画家として作品を残したのかに興味があったのです。
少しだけ、時期はズレるものの、同じパリでは、カミ―ユ・クローデル(1864-1943)も居ましたからね。カミーユの時に、思ったことは、2012年秋( →)( →)( →)(→)に書き綴りました。カミーユが悲惨な方向に向かっていくのに、モリゾは暖かい絵を書き続けたという違いも気になりました。
カミーユが、ロダンと師弟関係にあり、苦しみ抜いたのに比べ、映画では、モリゾは、師弟関係(のような関係)にあるマネとの感情に苦しむものの、結局は、マネの弟と結婚、娘をもうけ、幸福な結婚生活を送ったところが、画風に出るのでしょうか。
映画の中では、モリゾの「ゆりかご」(オルセー美術館所蔵)も出てきます。その絵をきっかけに彼女は認められていく設定でしたが、この絵のことを拙ブログ(2014年8月10日)で≪子どもをやさしく見守っているようにも見えますが、心の中には、少々、うつろな部分を抱えていそうな表情です。≫と、書きました。そのモデルとなったお姉さんのうつろな部分について、映画の中で、ちゃんと説明してくれているので、胸のつかえが下りたような気分です。
☆写真は、オルセー美術館日本語案内に掲載されたマネが描いた、ベルト・モリゾの二枚。左「紫の花を持ったベルト・モリゾ」右「バルコニー」座っているのがベルト・モリゾ。
この前、公園の池に行ったら、珍しく、さぎがいて、カモもいて、睡蓮が咲いていて、蓮も咲いていて、そろいぶみ。
ただし、今年の黄菖蒲、花菖蒲は、手入れが悪いのか、今一つ。
カモさんは二羽、若い夫婦のようです。
・・・・と思って居たら、一羽が池から飛び、かつてコガモがいた浅い水辺で首を伸ばして「ぐぁ」
そしたら・・・池の周りをそっと歩いているのは、白い猫。
カモさんなりの威嚇だった?
うーん、コガモは、まだかいな?
☆写真上の蓮の向こう、一羽のカモさん写ってます。見える? 
(承前) 清水正和氏と須賀敦子氏の対談は、叶わぬ夢となりましたが、須賀敦子は、タブッキとは対談しておりました。須賀敦子全集別巻には、須賀敦子と何人かの人との対談/鼎談が掲載されているのですが、外国人はアラン・コルノーというフランスの映画監督とこのタブッキだけです。
須賀敦子が、タブッキの作風やその背景に迫る企画なのでしょうが、途中何度か、須賀敦子が質問するのでなく、「須賀さんのイタリア行きの話を少し聞かせてください」とか、「須賀さんは私にとって、とてもミステリアスな人物だったのですけれど、なぜパリに留学なさったのですか」と、タブッキが、自然に須賀の話を聞きだすのが面白い。
一回目の対談の〆に、タブッキがいうのです。「今日はお話しできてとても嬉しかったです。」答えて須賀が「私こそ。」
須賀の方が年長だったとはいえ、多分、対談相手として、お互いの波長が合い、リスペクトしあった結果ではないかと思います。
タブッキは、当初、発表した短篇小説がなかなか受け入れなかったことから、2人の対談では、短篇小説について語る場面もありました。
≪長篇小説は、明らかに、開かれた形態です。何でも受け入れる母胎ですね。思ったものを何でも入れることができます。しかも時間量もはるかにあり、二、三か月ほうっておいてからまた先を書くということも、長篇小説なら許されます。短篇ではそうはいきません。短篇小説はとてもうるさいのです。まさにその場で完成しなければなりません。・・・・とても厳しいものです。≫
短けりゃ簡単ってものでもないのが、よくわかります。個人的には、まどろっこしい展開の長篇よりも短篇が好みですが、少々食傷気味になってきた「夢」の話から離れて、英国の18世紀長篇小説に手を出したら、やっぱりこれも面白かった。(続く)
*「須賀敦子全集」(別巻)(河出書房新社)
*「夢のなかの夢」 (タブッキ作 和田忠彦訳 岩波文庫)
☆写真は、くちなしの花。いい香りですが、意外と、真っ白の綺麗な花だけを見つけるのは難しい。すぐ黄変してしまいます。
(承前)
須賀敦子は「遠い水平線」を訳し終え、ジュール・ベルヌの「海底二万海里」を読み、彼女自身もネモ館長に魅せられ、ジュール・ベルヌにいいようのない尊敬を覚えたとありました。
それよりなにより、 「海底二万海里」を買いに行ったときの様子が、さらにまた親近感を覚えます。
≪・・・書店の、児童文学書の棚でみつけた、ずっしり重たいこの本を手に取ったとき、ながいこと忘れていた、子どものころの夏休みの読書を思い出した。他にもうひとつ新書版の訳があったが、冒頭の一行をよみくらべてみて、清水正和氏の訳が気にいったのと、本の重さがこころよかったので、こっちを買うことにした。ちょっとギュスタブ・ドレを思い出させる、原書からとったエッチングの挿絵がはいっているのも、この版をえらんだ理由のひとつだった。≫
重さとか挿絵・・・そして、清水正和氏の訳!!!
ここで、夢想します。
フランス文学者清水正和氏(1927~2002)は、イタリア文学者須賀敦子氏(1929~1998)が子どもの頃通っていた学校と同じ市にお住いでした。清水氏は、フランスだけでなく、イタリアの美術にも造詣が深かった先生でしたから、その市に関係した時期がずれていたとはいえ、お二人は年齢も近かったし、どこかで対談されたなら、どんな話になっただろうかと・・・これは、叶わぬ夢の話。(夢に続く)
*「遠い水平線」(タブッキ著 須賀敦子訳 白水社)
*「制作」上下 (エミール・ゾラ 清水正和訳 図版あり 岩波文庫)
*「海底二万海里」(ジュール・ヴェルヌ 清水正和訳 A・ド・ヌヴィル絵 福音館)
*「神秘の島」上下(ジュール・ヴェルヌ 清水正和訳 J.フェラ絵 福音館)
*「レ・ミゼラブル」上下(ヴィクトル・ユゴー 清水正和訳 G.ブリヨン絵 福音館)
(夢の続き)(承前)
タブッキが続きます。次は「遠い水平線」です。
≪・・・その夜、彼は夢を見た。もう何年も見なくなっていた、あまりにも遠いころの夢だった。子どもじみた夢、彼はさわやかで、無心だった。夢をみながら、奇妙なことに、やっと、その夢に再会したような自覚があった。そして、そのことで、彼は解き放たれたように、もっと無心になった。≫
死体置き場の番人スピーノが、それまでの謎解きに一つの結論を出し、最終章の前の章の最後で、夢を見たのです。
身元不明の死体の正体探しというのが、この中編小説「遠い水平線」の内容です。
身元不明者ですから名前がなく、仮の名前がカルロ・ノーボディ(Nobody)。
訳者あとがきに、作者タブッキは、『海底二万海里』のネモ館長の話を少年時代の思い出としてたびたび言及しているとありました。このネモという名前がカルロ・ノーボディを想起させるとあります。ネモ(Nemo)はラテン語で誰でもないを意味します。(続く)
*「遠い水平線」(タブッキ著 須賀敦子訳 白水社)
*「海底二万海里」(ジュール・ヴェルヌ 清水正和訳 A・ド・ヌヴィル絵 福音館)
☆写真は、英国 ドーバー (撮影:&Co.I)
(夢の続き)(承前)
・・・というわけで、タブッキにはまってしまったものの、どれから手を付けようかと思い、やっぱり須賀敦子訳だろうということで、須賀敦子訳のタブッキを読みました。(もしかしたら、須賀敦子訳に、はまっているのかも?)前述の「供述によるとペレイラは・・・」と、「インド夜想曲」「遠い水平線」「逆さまゲーム」(以上、白水社Uブックス)「島とクジラと女をめぐる断片」(青土社)どれも、中編、あるいは、短編集です。
須賀敦子は、友人に薦められ、「インド夜想曲」を読むまで、タブッキという作家を知らなかったと言います。
ミステリー仕立てのこの話「インド夜想曲」は、インドの風俗の中でこそ成り立つ、ヨーロッパテイストが鍵です。
映画のような流れで、読み手の気持ちを急がせます。実際、映画になったようです。最後は、ネタバレになるので、書きませんが、「ん?そうなん???」昨年、読んだアゴタ・クリストフの「悪童日記」三部作の最後を読んだ時と同じ感触でした。
こんなに一気に読めてしまうのは、須賀敦子訳のおかげかもしれません。いわゆる、語りの中で、話が進んでいく面白さなのですから、やっぱり、日本語訳の巧い人でなくちゃ。
この話にも、夢の話は出てきました。が、この本の冒頭には、こんな言葉が、
≪夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。モリス・ブランショ≫
で、すぐさま巻頭「はじめに」には≪これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である。不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。・・・≫と。うーん、謎解きのような言葉から「インド夜想曲」が始まります。(夢は続く)
*「供述によるとペレイラは・・・」 (タブッキ作 須賀敦子訳 白水社Uブックス)
*「インド夜想曲」(タブッキ著 須賀敦子訳 白水社)
*「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」 (アゴタ・クリストフ 堀茂樹訳 ハヤカワepi文庫)
(夢の続き)
2015年のまだ半ばですが、今年読んだ一番面白い「中編小説」に「供述によるとペレイラは・・・」 (タブッキ作 須賀敦子訳 白水社Uブックス)を選びます。
「夢のなかの夢」(タブッキ 和田忠彦訳 岩波文庫)が面白かったので、他のタブッキも読んでみました。複数翻訳されているので、どれから読もうか思案したのですが、イタリアの文学賞を受け、彼の最高傑作と言われると紹介されていたので「供述によるとペレイラは・・・」にしました。
須賀敦子訳もいいのでしょう。一気に読んでしまいます。推理小説ではないのに、推理しながら読んでしまう面白さ。大体、「供述によると、」で始まる文なんか、それほど見つかりません。実際の供述筆記でもない限り。
つまり、供述せねばならない状況下に居るペレイラ。砂糖入りレモネードが好きな肥満体で、世の中が不穏な中、新聞の文芸担当で、フランス語の翻訳をし、人が良くて、今も、先立った妻を愛しているペレイラ。風采があがらないインテリという設定のペレイラ。文学がこの世でなによりも大切なものだとずっと信じてきたペレイラ。
読み進めば進むほど、「この人何しでかして、供述してんの?」という迷路に入り込みます。周りの人物の方が癖があり、多分、そっちの方に行くだろうと予測をつけながらも、読み進んでいきます。
推理小説風ですから、あまり内容を紹介するのはやめにしますが、このタブッキという作家、よほど「夢」には、惹かれるものがあるようで、この「供述によるとペレイラは・・・」でも、何度か、夢の話が、少しながらでてきます。(この後、何冊か読み続けたタブッキにも、多くの夢の話が入っていました。)
≪夢はなによりも個人的なことだから、どんな夢をみたかは、だれにも話してはいけないと、わたしは祖父に教えられました。いや、とカルドーソ医師がいった。あなたは治療のため、ここに来られたので、わたしはあなたの医者です。あなたの心理は、あなたのからだにつながっているですよ。だからどんな夢をみられるか、それを知る必要があります。・・・≫(夢は続く)
☆写真は、スイス ローザンヌ湖畔カフェ
京都 清水三年坂美術館で、またまた超絶技巧展をやっています。「蒔絵の小箱展」です。(~2015年8月16日)
これまで観た並河靖之の七宝も凄かったし、明治の刺繍絵画も凄かった、京薩摩もねぇ。
というわけで、今回は「蒔絵の小箱」。小さくてかわいい。入れるものがなくても、つい集めたくなる小箱好き女子にはたまりません。
以前と違うのは、保証料(5000円)か、身分証明書自体を預けるものの、200円で単眼鏡(ギャラリー・スコープ)を借りられることでした。そうだよねぇ、肉眼ではよほどの眼力でないと判別できないのです。
その機器のおかげで、よーく見えました。
本当に凄いのです。…としか表現できないのが残念ですが、ともかく、信じられない細かさで美しいものが作られています。
昔からの小箱好き女子が大事にしていたのでしょう。保存状態も良く、「わあ、きれい」「わぁ、きれい」の連呼で、鑑賞し終えました。モダーンなデザインの紅葉柄と黒字に菊模様の小箱が特に印象的でした。が、どれも作者が無銘。
清水三年坂美術館HPには、≪蒔絵は日本独自に発展した漆器の装飾技法で、幕末・明治期にその技は極致に達した。鎖国の開けた19世紀には、西洋人たちをも魅了し、おびただしい数の蒔絵の小品が海を渡っていった。≫とあります。
信じられらない労力をかけた工芸品と呼ばれた作品たちが、海外でより評価され、大切にされたのがわかるものの、やっぱり、国内でもっとしっかり伝承してきたらよかったのに・・・と悔やまれます。
ただね、現代でも職人たちは、その労力と技術を評価されてないことが多い・・・と、身近な家族を見ていて思います。
「ガリバー旅行記」のジョナサン・スウィフト「召使心得 他四篇 スウィフト風刺論集」 (原田範行訳 平凡社ライブラリー)を読みました。
大人になって、「ガリバー旅行記」(ジョナサン・スウィフト文 C.E.ブロック絵 坂井晴彦訳 福音館)を読むと、風刺臭を嗅ぎ取れますが、子どもの頃読んだときは、そんな匂いより、そのファンタジックな世界、ありそうな気がする架空の世界の事ごとに、心を惹かれ、風刺などということは、ほとんど感じず読んでいました。(多分、抄訳だったと思われます。)
その作者が、徹底的に風刺、皮肉、それに毒気、中には、悪い冗談が過ぎるとも思える文を書き連ねているのが、「召使心得」他4篇です。
たとえば、「淑女の化粧室」の初めはこうです。
≪五時間も(いや、それより早くできる方なんておられませんが)、お化粧三昧のシーリア様が、女神よろしくお部屋をご出発、レース、金襽、薄絹に飾られて。≫と、まずは軽くジャブ。
その後、召使たちがシーリア様の散らかった部屋に入り、五感を駆使して、その一部始終を報告するのが「淑女の化粧室」なる文章。
また、「召使の心得」は、まず「総則」から始まって、執事、料理人、従僕、馭者、馬丁、家屋管理人並びに土地管理人、玄関番、部屋係、侍女、女中、乳搾り女、子供の世話係、乳母、洗濯女、女中頭、女家庭教師の心得と続き、補遺として首席司祭の召使の定め、宿屋での召使の役目となっていて、
数限りなく心得はあるものの、その総則にこんなことが書いてあります。
≪三回か四回ほど呼ばれるまでは出て行かぬこと。口笛を吹かれてすぐに出ていくのは犬くらいのもの。「誰かいるか?」などと旦那さまに呼ばれて出て行く召使などいるはずがありません。「誰かいるか」などという名前の召使はいませんから。≫
さて、最後にもう一つ、
≪あらゆる過失は、かわいがられている犬や猫、猿、鸚鵡、カササギ、子供、あるいは最近クビになった召使のせいにしてしまいましょう。そうすることで、自分も助かるし、仲間に迷惑をかけることもない。それに旦那さまや奥さまには、叱る手間やわずらわしさを省いてさしあげられます。≫
ただし、ここに書き写した(書くことのできた)のは、まだまだまーだまだ序の口です。
☆写真は、英国 バスコットパーク 裏庭 ローマ風テンプル
大学時代の友人が、某大学の保育教育系の先生をしていて、その科目のゲストティチャーとして、絵本の話を一コマ2クラスにしてきました。
一回きりの話ですから、あんなことも、こんなことも話したい、伝えたいと思うものの、いかんせん持ち時間は一時間ずつ。ということで、現場での絵本の扱い方を話し、何冊かの絵本を読みました。絵本の楽しさだけでも伝わってほしいと、のぞみました。
2クラス目は、教卓の前にいつもかぶりついている女の子たちがいると事前に聞いていたので、楽しみでした。 一回きりの先生という物珍しさが手伝ったのか、全体に熱心に聞いてくれていました。絵本も食い射るように見てくれました。
さて、授業が終わり、各人、出席表や、今回の感想などを提出するために教室の前にやってくるのですが、そのかぶりついていた女の子、部屋を出る間際、振り返って言いました。「絵本、コンプリートするからね!」
こんなとき、若い人の使う「コンプリートする」の意味は、「完全なものにする」とか「制覇する」といった意味なのでしょうか?
ともかく、彼女が絵本を好きになってくれたこと、もっと絵本を読むからね!・・・という気持ちは伝わり、話に行ってよかったと思いました。
と、同時に、可能性に満ちた18歳という年齢が羨ましくもあり、頼もしくもあり・・・エネルギーをありがとう。おばさんもコンプリートするからね!
☆写真は、スイス ユングフラウヨッホ
(承前)
「ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーブズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)の訳者あとがきに引用されているのは、オンリーコネクトⅢのアーディゾーニの言葉です。≪アーディゾーニは、「ウォルター・デ・ラ・メアとジェイムズ・リーブズと、エリナー・ファージョンの詩や散文の挿絵を描くことは無上の喜びだった」と言っています。≫
そうなのです。今の小さな子どもたちは、絵本のアーディゾーニにまず、出会っていくのでしょうが、個人的には大人に近くなってから出会ったアーディゾーニは、「チム」だったのか?「ムギと王さま」だったのか?というくらい、ファージョンの本を介してもアーディゾーニと出会ってきました。
写真に写る本は、英国の古本です。洋書が本棚に並んでいると、背の文字(タイトル)は首を横にして読むという、日本人(私個人)には面倒な作業です。そんななか、アーディゾーニ挿絵の本は、とても見つけやすいのです。背表紙に、彼独特の手描きの文字が印刷されているからです。
*「「オンリーコネクトⅠ~Ⅲ 児童文学評論選」(イーゴフ/スタブス/アシュレイ編 猪熊葉子/清水真砂子/渡辺茂男訳 岩波)
☆写真下から、“JamesReeves Complete Poems for Children”(Heinemann社)、 「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」(阿部公子訳 こぐま社)、“J.M.Barrie's Peter Pan The Story of the Play Presented by Eleanor Graham and Edward Ardizzone Hodder & Stoughton社)、“The Eleanor Farjeon Book”(Harmish Hamilton 社)、“Eleanor Farjeon's Book Stories-Verses-Plays Puffin Books)
(承前)
上の写真は、英国オックスフォード テムズから分かれた運河で撮りました。
「ハヤ号セイ川をいく」の「ハヤ号」みたい!と思いながら撮りました。
以前「ハヤ号セイ川をいく」(フィリッパ・ピアス文 足沢良子訳 E.アーディゾーニ絵 講談社)について書いたときに使った写真と、まったく暮らしぶりの違う地域の写真となりましたが、家の敷地から水辺に出て、マイボートに乗る造りは同じです。ただ、アーディゾーニの挿絵、お話に近しいイメージは、今回使う写真でしょう。
そして、「ライラックの木の枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)にこんな詩が、ありました。
≪「ボートにのって」
朝の空の下、
川はやさしくぼくらをゆする。
歌って、歌って、歌ってゆする。
アシのゆれるしずかな調べの中を
ぼくらはゆったり、ゆられてただよう。
午後になってもそのままで、
ボートのなかにねころんで、
ゆらり、ゆらりとただよっていく、
灰色の柳の葉の下を。(後半 略)≫
(続く)


(承前)
「ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 間崎ルリ子訳 こぐま社)の訳者あとがきには、ジェイムズ・リーブスが書いた「黄金の国」の序文を引用している箇所があります。それは、子どもが詩を楽しむことについてですが、以下は、その後半部。
≪・・・・子どもは親しいものーー自分の家、飼っている動物、窓から見えるものなどーーの詩を楽しむが、同様に手の届かないものや知らないものなどの詩も楽しむことができ、そうすることによって、親しいものは永遠の生命をもつようになり、知らないものは身近になり、それに対する興味が目覚め、好奇心がかきたてられるようになる。ユーモア、悲しみ、いろいろな人や土地に対する関心、自然の喜び、動物や超自然のものへの興味などが子どもの心の中で目覚め、その子どもの精神を作っていく。≫
また、訳者は、「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」(阿部公子訳 こぐま社)の「日本語版によせて」の執筆者の一人、英国児童文学評論家ブライアン・オルダーソン氏が2012年に講演したことに触れ、
≪その講演の中で、「アーディゾーニは、自分の作り上げたイメージを読者に押しつけるのでなく、その詩、またはお話がもつ世界と雰囲気のヒントを描き出し、読む者がそれに自分自身の想像力をはばたかせて豊かなイメージを作り上げる手伝いをする」というようなことを言われましたが、まことにその通りだと思います。≫
ジェイムズ・リーヴズは「子どもの精神を作っていく」、
「アーディゾーニは・・・・豊かなイメージを作り上げる手伝いをする」
その二人が組んで仕事をするのですから、子どもたちにとっては幸せなこと。(続く)
☆写真右挿絵は、アンデルセン「ナイチンゲール」(“Ardizzone's Hans Andersen ---Fourteen Classic Tales ”Translated by Stephen Corrin Andre Deutsch社)
写真中央表紙絵は、ファージョン「エルシー・ピドック ゆめでなわとびをする」(“Eleanor Farjeon's Book ---Stories、Verses,Plays”Puffin Books)
写真左挿絵は、ファージョン“On the Road”(from “Kaleidoscope”Oxford社) 三冊ともアーディゾーニ挿絵。
(承前)
「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」(阿部公子訳 こぐま社)の1週間後、続けて出版されたのが、 「詩集 ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)です。
写真の右に写るのが、それです。
ん?英語のタイトル?いえ、いえ、日本語のタイトルの書かれた表紙を裏返すと、原書の表紙も印刷されているという、買った人にだけあるお楽しみ。(図書館の本じゃ、こういうわけにはいきません)
先日書いた「ある子どもの詩の庭で」 (スティーヴンソン詩 まさきるりこ訳 イーヴ・ガーネット絵 瑞雲舎)、「孔雀のパイ 」 (ウォルター・デ・ラ・メア詩 エドワード・アーディゾーニ絵 まさきるりこ訳 瑞雲舎)、そして、今回の「ライラックの枝のクロウタドリ」(ジェイムズ・リーヴズ詩 エドワード・アーディゾーニ絵 間崎ルリ子訳 こぐま社)も、訳者は、間崎ルリ子さんです。先日まで文庫活動を長年続けられ、子どもに近いところにいらした訳者だからこそ、どの詩集も、子どもの心に寄り添って訳されたと思います。
子どもの本の訳だから簡単ではなく、子どもの本だからこそ大変な作業なのだと思います。ましてや、詩!(続く)
☆写真右は、 「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」(阿部公子訳 こぐま社)
写真中は、“JamesReeves Complete Poems for Children”(Heinemann社)
写真左は、“The Eleanor Farjeon Book”(Harmish Hamilton 社) 3冊とも、アーディゾーニ絵
***ちなみにクロウタドリの写真は、古本海ねこさんで連載していた「子どもの本でバードウォッチング」に載せてもらっています。
「エドワード・アーディゾーニ 若き日の自伝」 (阿部公子訳 こぐま社)
この本の帯に、先日亡くなった長田弘の言葉が・・・
≪人生を織りなすのは「懐かしさ」。
アーディゾーニこそ「懐かしさ」の巨匠だった。≫
確かに人生も終盤に入ると、「懐かしい」思いが折に触れ湧いてきます。もしかしたら、長田弘の最晩年の仕事であったであろう、この言葉、重みを感じます。
「アーディゾーニ 若き日の自伝」はタイトル通り、絵本「チムとゆうかんなせんちょうさん」*や「ムギと王さま」*の挿絵などの画家の自伝です。しかも、嬉しいことに、ほとんどのページに絵が!
転居を繰り返し、転校をし、戦争が起こり、就職し、美術を学び・・・
・・・・という若き日は、今の日本人の感覚からすると波乱にとんだものといえるかもしれませんが、書かれているのは、少年時代に見たこと感じたことが中心ですから、どこか「懐かしい」思いで読み進んでいきます。
時代も違うし、国も違うのに懐かしい・・・誰しも子どもの頃があって、今がある。結局、誰しも、あの頃は、楽しいことが多かった。
石井桃子の言葉も思い出します。 「石井桃子のことば」 (とんぼの本 新潮社)
≪子どもたちよ 子ども時代を しっかりと 楽しんでください。
おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の「あなた」です。≫
(続く)
*「チムとゆうかんなせんちょうさん」(E.アーディゾーニ作 瀬田貞二訳 福音館)
*「ムギと王さま」(ファージョン文 E.アーディゾーニ絵 石井桃子訳 岩波)
☆写真は、フランス レマン湖 イヴォワールの教会。
(夢の続き)(承前)
ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ある子どもの詩の庭で」(まさきるりこ訳 イーヴ・ガーネット絵 瑞雲舎)には、いくつかの眠りに関係する詩があります。
「夏の寝床」「夜に見るもの」「ふとんの国」「眠りの国」「眠りにつくとき」「お日さまの旅」「月」「寝床への道ー北西航路 (1おやすみ 2 影の中を進んでいく 3 港で」「おはなしの本の国」「小さな国」
中でも「ぼくのベッドは舟」は、海へこぎ出す気持ちが、宝島に通じています。
≪ぼくのベッドは小さな舟だ
ばあやがぼくを着がえさせ
水夫の服に身をかためさせ
舟にのるのをてつだって、
くらやみの中にこぎ出させてくれる。
夜になったら舟にのりこみ、
岸にいるみんなに、おやすみなさいという。
それからぼくは目をつむり、
どんどん海へとこぎだしていく。
ぼくにはもう、なにも見えない聞えない。・・・(後半 略)≫
そして、もう一つ「ふとんの国」の初めは、いつ読んでも心が痛い。
≪病気になって、寝ていたときは、
あたまの下に、まくらをふたつと、
おもちゃをぜんぶ、そばにおき、
それで一日、たのしくあそんだ。・・・(以下略)≫
小児喘息だった長男が、小学校を休む日、彼は「長くつ下のピッピ」(岩波)のシリーズや西遊記(福音館)など、重くて分厚い本を布団のそばに積み上げていたことを思い出します。
息が苦しくて、階段を上るのもやっとのことだった彼。本を引きずり上げ、本を一段ずつ上の段に載せ、自分は這い上がるようにして、二階の布団にたどりついた彼。手伝わなくていいからと。(夢は続く)
☆写真は、スイス レマン湖 船の国旗はフランス。対岸はフランスです。
(夢の続き)
タブッキ「夢のなかの夢」(和田忠彦訳 岩波文庫)には、 「宝島」のロバート・ルイス・スティーヴンソンの夢も入っています。
それは、1865年6月のある晩、スティーヴンソンが15歳の時、エジンバラの病室で見た夢です。
≪呼吸器官の調子が悪いせいで空気を必要としている彼は、楽に呼吸できる帆船に乗っています。風が肺のなかを澄んだ空気で満たし、喉の苦しみも鎮まっています。≫
帆船は滑走し、島に到着。歓迎を受け、輿に担がれ島の洞穴に。
進んでいくと、巨大な鍾乳石の並んだ部屋の真ん中に、銀製の宝箱が一つ、中には一冊の本。それは、どこかの島の、旅や冒険や、少年や海賊たちの物語の本で、表紙には彼の名前。
・・・・で、山の頂上の草原で、その本を開く少年のスティーヴンソン。
実際にその頃、スティーヴンソンは入院していたのでしょう。病弱だったスティーヴンソンが見た夢が、心地よい風に滑走する帆船であり、島の歓待であるのは、大いに考えられること。
さらに、スティーヴンソン「ある子どもの詩の庭で」 (まさきるりこ訳 イーヴ・ガーネット絵 瑞雲舎)の中にも、ベッドの中の詩や眠るときの詩がたくさんあって、タブッキのフィクションを待たずとも、スティーヴンソンの夢の一端を知ることができます。(夢は続く)
☆写真は、スイス レマン湖 ヨット帆走。風に乗って、集団で帆走しているのを眺めていると、こちらまで空気をいっぱい吸ったような気がしました。
(夢の続き)(承前)
で、タブッキ「夢のなかの夢」(和田忠彦訳 岩波文庫)です。
≪…(前略)・・・そこのおまえ、言葉にはださずキリストの指が言った。おれかい?おどろいてミケランジェロ・メリージは訊き返した。おれはお召しを受けるような聖人なんかじゃないぜ。たかが一介の罪深い民のおれが選ばれるはずがない。だがキリストは聞く耳持たぬというように表情ひとつ変えはしなかった。そして差し伸べた手に疑う余地はなかった。ミケランジェロ・メリージはうなだれて、テーブルにおいた金貨を見つめた。おれは盗みもはたらいたし、とかれは言った。殺しもやった。この両手は血で汚れている。・・・・・(中略)・・・・・・・
キリストはかれのそばまで来ると、そっと腕にふれた。わたしはおまえを画家にした、とかれは告げた。だからおまえには絵を描いてほしい、これから先おまえは天命にしたがって歩むがよい。・・・・(後略)・・・≫
この「おまえを画家にした」という言葉に、強く惹かれました。
荒くれ者の無法者が描き続けた世界。
カラヴァッジョの作品の多くには、おぞましい世界が目をそらすことなく描かれ、あるいは、妖しげな世界が描かれています。当時の他の絵画と比べると、あるいは、この後に続く絵画を見ると、この画家の残したものの大きさは、計り知れません。それに、カラヴァッジョが残した唯一の静物画と言われる「果物籠」になぜ引きつけられるのか・・・
タブッキが「夢のなかの夢」で書いたくらいのことがなかったら、カラヴァッジョは世に残らなかったのかもしれないと思ってしまうのです。(夢は続く)
☆写真は、左カラヴァッジョ「聖マタイの召命」(岩波美術館「バロックとロココ」)。
右「果物籠」(イタリア・ルネサンスの巨匠29 バロックの誕生 ジョルジョ・ボンサンティ著 野村幸弘訳 東京書籍)