出版された本というのは、奇妙な守護神に見守られている
(承前)
さて、シャミッソーの「影をなくした男」は、シャミッソー自身が友人宛てに原稿と一枚の画を同封して送ったものです。が、あくまでも、原稿は、影をなくしたペーター・シュミレールが書いたもので、一人の誠実な人間が友情を見込んで赤裸々に綴った告白だとかなんとか、シャミッソーのところに届けに来たのは、灰色がかった長い鬚をはやし、すり切れた黒いクルトカを着て肩から植物採集の箱をぶら下げた男が持ってきたものだとかなんとか、ま、大真面目に書いているのです。
また、その原稿を読んだ別の友人は、ドイツにはこの哀れな影をなくした男シュミレールのことを少なからずわかってくれる人がいるはずだと言い、このお話を公刊してしまいます。
≪出版された本というのは奇妙な守護神に見守られているもので、まま見当ちがいのところにまいこみはしても、とどのつまりはしかるべき人の手に落ち着くさだめになっている。いずれにせよ、その守護神はまこと精神と心情のこもった作品に対して目に見えない帳(とばり)の紐をにぎっており、すこぶる巧妙にそいつを開け閉めする術(すべ)を心得ているものだ。・・・≫
そして、その友人同士の返事には、さらに興味深いことが。
≪ぼくはこれをホフマンに読んできかせたときのことを忘れない。ホフマン先生ときたら、ぼくが最後の一行を読み終えるまで、それはそれは夢中になって聞きほれていたものだ。そして、作者の知己を得るのも待ちきれず、つね日ごろ、模倣のたぐいをひどく忌みきらっていたご当人だのに、影をなくすというすてきな着想の誘惑に抗しきれなかったのだろう。さっそく「大晦日の夜の冒険」の中で、エラスムス・シュピーゲルという人物を登場させて、失われた鏡像についてものがたっている。さほど成功作とも思えないがね・・・≫
このホフマンこそが、「クルミわりとネズミの王さま」のE.T.A.ホフマン(1776~1822)なのです。(続く)
*「影をなくした男」(シャミッソー 池内紀訳 岩波文庫)
*「クルミわりとネズミの王さま」(ホフマン作 上田真而子訳 岩波少年文庫)
☆写真は、英国マーロー テムズ河堰
以前、英国のクルックシャンクのことを調べていたら、ドイツのシャミッソー「影をなくした男」の挿絵を描いているとわかりました。その絵の載る本を見ていませんが、岩波文庫の「影をなくした男」(池内紀訳)を読みました。電車用の薄っぺらい文庫本です。エミール・プレートリウスの挿絵がなかなか洒落ていて楽しいです。とはいえ、クルックシャンクの挿絵なら、もっと、人を喰ったような絵になっていたのではないかと思います。
「影」をなくす代わりに「金貨の出てくる袋」を手に入れるという話です。
こんな交換話は、≪ゲーテ(1749-1832)「ファウスト」に於ける「魂」≫、≪ディケンズ(1812-1870)「憑かれた男」に於ける「記憶」≫などが思い浮かびますが、このシャミッソー(1781-1838)「影をなくした男」は、初めは友人の子どもに向けて書いたらしいので、ゲーテやディケンズほど深いものではなく、とはいえ、影をなくすことで人生の辛酸をなめることは共通しています。その分、面白おかしく読み進むことができます。
「ファウスト」におけるグレートヒェンの役回りが「影をなくした男」ではミーナだし、
「ファウスト」の悪魔、「憑かれた男」の亡霊が、灰色のマントの男となっています。
大体、金貨の出る袋だか、後半、唐突な登場の七理靴だとか、子どもたちになじみやすい、魔法の小道具が出てくるのも魅力です。 なにより、結構つらい思いをしているのに、最後は前向きで、シャミッソー自身が植物学者だったこともあって、取って付けたような七理靴の登場に、妙に納得してしまうのです。(続く)
*「影をなくした男」(シャミッソー 池内紀訳 岩波文庫)
*「ファウスト」(ゲーテ作 柴田翔訳 講談社文芸文庫)
*「憑かれた男」 (ディケンズ 藤本隆康訳 あぽろん社)
☆写真は、英国バスコットパーク庭園
「まほうつかいのむすめ」 (アントニア・バーバー文 エロール・ル・カイン絵 中川千尋訳 ほるぷ)
エロール・ル・カインの絵本の多くは、装飾過剰気味ともいえる華麗なタッチの絵本です。その中でも、この「まほうつかいのむすめ」は、東洋の雰囲気の漂う西洋の冷たい国という背景になっています。
長い黒髪のまほうつかいの「むすめ」は、黒檀や象嵌の家具に囲まれ、ある場面では十二単衣にも見える、東洋風の衣装に身を包んでいます。鳥になって飛翔する場面は、中国の山水画を思い出します。池に描かれた蓮、そして、その周りに描かれた病葉は、伊藤若冲がお得意とする葉に似ています。そして、最後のシーンでは、鶴が飛び、大きな松のような木が生えています。ただ、向うには、いわゆる西洋の塔のあるお城。
雪のシーンでは、針葉樹林が描かれ、北欧風、魔法使いの乗る馬は、西洋風。
・・・・と、まあ、まほうつかいの世界なのですから、こんな不思議もありかと思います。それに、著者アントニア・バーバーの養女がベトナム戦争孤児であり、その子の希望でこの絵本の画家がエロール・ル・カインになったとありますから、東西の融合は、さらに深いものを表現しているとも言えます。
さて、名前のないまほうつかいの娘は、自分の本当の名前を知りたくて、また母親がどこなのか知りたくて、父だと名乗るまほうつかいに問いただします。すると、まほうつかいは、
≪「むすめよ、おまえには母はいない。そのむかし、孤独にたえきれなくなったわたしが、宮殿の壁に咲く一輪のバラに、つよいまほうをかけて、おまえにしたのだ。」
「それならわたしを、もういちどバラにしてください」むすめはいいました。「そうすれば、ほんとうのことかどうかわかるでしょうから」
「いいだろう。しかし一日だけだぞ。」≫
☆写真は、今朝、今年一番に咲いたバラ(スパニッシュ・ビューティ)。この別嬪さんの写真が使いたくて、バラの出てくる話にしました。他のバラの話は、かつて海ねこさんで載せてもらっています。
土曜や日曜のみの散歩なので、この季節、雨や雑用で一週間、散歩をお休みすると、花の盛りが過ぎてしまうことも多々あります。来年も咲くし、他でも咲いているのはわかっていても、よその家の花ですら、自分の身内みたいに、勝手に気になっています。
駅に行く途中の公園には、手入れのよくないフジが咲いていましたから、さぞや、散歩コースの公園のフジは…案の定、盛りは過ぎていましたが、やっぱり立派。桐の花と藤を近くに植えたら、この時期、目の前が、うす紫色に包まれるだろうな、などと夢想します。

なんじゃもんじゃの木の近くにはカモたちが子育てをする池があります。そのそばの茂みに、もぐりこんでいった一羽のカモさん。しばらく見ていましたが出てきません。茂みのそばには、もう一羽。何をするでもなく、ずっと周りの様子を気にしています。ああ、あの茂みの中には、巣があって、卵があるのかもしれません。
東北から届いた摘み立て「こごみ(クサソテツ)」を、おすそ分けしてもらいました。こごみはあくが少なく、ぬめりがあって、身体に良さそう。さっと茹で、マヨネーズ醤油で食べました。
春は、新じゃがに新玉ねぎも美味しいけれど、一度にたくさん茹でて、連日、食べ続ける筍は格別。
気温が上がってきたので、そろそろ終わりが近い?と思いつつ、やっぱり、この日も筍ごはん。
それに、妖しく輝く銀色に目がくらみ、「サヨリ」のお刺身を買いました。
「細魚」と書くサヨリ、スリムなからだを、斜めに斜めに切っても、食べるところが少ない春の一品。
生煎り酒でお刺身や生湯葉を食べるのが、最近の我が家のブーム。
東京から帰ってきた娘と3人で、美味しい春だといいながら、すっきり冷やした純米吟醸酒を一杯ずつ。
ごちそうさまでした。
神戸ファッション美術館の「超絶刺繍Ⅱ―神に捧げるわざ、人に捧げるわざー」展(~2015年6月28日)を見に行きました。
まずは、祭礼やハレの場での刺繍の豪華さを競う展示内容でした。日本の京都祇園祭薙刀鉾の装飾品や、長崎くんちの長崎刺繍の匠の技は、壮麗で、目を見張るものばかり。が、かつて清水三年坂美術館や千總ギャラリーで見た明治刺繍の超絶技巧とは、少々異なります。
また、18世紀ロココ時代のイギリスやフランスの衣装の刺繍は、以前、英国バースの衣装美術館で観たものと重なりますが、絢爛豪華なもの。この頃から、フランスのもの方が、お洒落な気がするのは、気のせいかなぁ。
加えて、20世紀初頭からのパリのオートクチュールドレスの数々は、お洒落で、素敵なものが多いこと。
そんななか、一番印象的だったのは、写真に写るインドのガガラと呼ばれる女性用ギャザースカートの刺繍。350センチ×85センチという踝丈のスカートに施された刺繍。すごい。
カースト制度の靴直し革職人層の人たちが王侯貴族の要望に応えて、目の詰まった高度なチェーンステッチで、豊穣、健康を象徴する毬果(松かさ)文様を刺繍したものですが、結局、誰も着なかったこのスカート、出来上がるのに一体何年かかったのだろう。???ちなみに、このインドの松かさ模様、そののち西欧ではペイズリー柄として流行していくのです。
超絶明治刺繍もそうでしたが、このインド刺繍にしても、職人さんたちが、昼も夜もずーっと作業し続けた結果、生まれた力作。これらの超絶作品は、近くで目を凝らさないと刺繍作品だとわからず、描いたり染めたりしたように見えてしまうくらいです。
☆写真は、図録のガガラのページ。 
(承前)
今年は、伊藤若冲(1716~1800)生誕(かぞえ)300年、琳派創始者とされる本阿弥光悦が洛北鷹峯に芸術村を築いて(1615)、満400年ということで、京都相国寺承天閣美術館『 伊藤若冲と琳派の世界 京都が生んだ異才若冲と華麗なる琳派の絵師達』 (~2015年9月23日)が開催されています。
世間的には、琳派の尾形光琳300年忌記念行事の方が、目立っています。別々にではありますが、もうすでに見たことがあると諦めた「燕子花と紅白梅図」(東京根津美術館~2015年5月17日)は、すごい人出だろうなぁ。
が、相国寺承天閣美術館は、すいていて、ゆっくり鑑賞できます。第一展示室には、少しずつとはいえ、俵屋宗達、尾形乾山、鈴木其一、酒井抱一、それに尾形光琳も並んでいます。第二展示室の若冲の襖絵や墨絵を意識したのか、華麗なる琳派の中でも、落ち着いた感の強いものが並んでいたと思います。
そして、第二展示室の絵画や屏風絵、襖絵は、若冲づくしです。
2000年に若冲没後200年「若冲展」が、京都国立博物館で開催されたときに来ていた襖絵の数々は、今や相国寺承天閣美術館に鎮座しています。
お気に入りは、「葡萄小禽図襖絵」です(写真)。襖絵なのに、じっと見ていたら、どこかのワイナリーの壁のような気もして、古さを感じません。何年か前に来たときもここに並ぶ襖絵が楽しかったのを思い出します。屏風絵とか襖絵は、平板の画集では味わえないので、足を運んで、作品の前に立って、鑑賞するのが好みです。
それに、「群鶏蔬菜図押絵貼屏風」(6曲一双)では、青物商だった若冲の真骨頂でもある、鶏と野菜のコラボが見られ、とても楽しい。他の「群鶏図押絵貼屏風」も見たことがありますが、この、「群鶏蔬菜図押絵貼屏風」は、まわりに描かれている野菜のせいか、ほのぼのなごみます。ひよこも可愛い。
かの売茶翁もあったし、片足立ちの鶏(「中鶏左右梅図」)や、元の作品よりずっと可笑しい「鳳凰図」(元の作品は林良筆の「鳳凰石竹図」)・・・などなど。若冲の作品の中でも、そのとぼけた顔のモデルたちや一気に書き上げている墨絵には、いつも元気をもらっています。
☆写真は、2000年「若冲展」図録を広げたところ
やっぱり静かで大きな図書館はいい。
書架あたりには、誰も居ない。
半年ぶりに行ったけれど、利用者の少ないこと、貸出の少ないこと・・・ああ、もったいない等と言っても始まらないので、恩恵を有難く頂戴します。
本の揃う書店もわくわくするけれど、買えないと思うとストレスが・・・
古書店も発見があってわくわくするけれど、多くは背表紙を眺めるだけ・・・
それに比べて、大学図書館の本の多さ!
これだけ多いと、あきらめもつく。全部は読めないんだから。
が、しかし、1989年発行の本、今回初めての貸し出しだというのは、どういうことだろう???
開いてみたら、パリパリとページが離れる音がした。
そうか・・・ アーヴィングの「文学の変転」で、2世紀以上も開かれることがなかった本の話から比べると、たった、25年ほどのこと。
*「スケッチ・ブック上下」(アーヴィング 齋藤昇訳 岩波文庫 挿絵:F.O.C.Darley Smillie Huntington Bellows R.Coldecott)
☆写真は、英国 オックスフォード
(承前)
「スケッチ・ブック」の「文学の変転」の中で、アーヴィングは、文豪としてのシェイクスピアの消息を四つ折り版の本に話します。
すると、本は笑い出し、「流れ者風情の鹿泥棒と称するのか、無知蒙昧の徒と称するのか、いかにも詩人らしい風貌のシェイクスピアによって、文運も盛んとなり永久化されるのか」というのです。
≪ 「私」(アーヴィング)は食い下がります。
「シェイクスピアは何よりも詩人であったんだ。…(略)・・・他の文人たちは頭でものを書くが、シェイクスピアは心でものを書くので、人情の機微を知る人であれば、彼のどの作品を読んでも理解できるというわけだ。」
「しかも、シェイクスピアは悠久不変の自然を忠実に描写することに長けていたのさ。・・・・(略)・・・・真の詩人の場合は、その作品のすべてが明瞭簡潔にまとめ上げられて感動を伴い華麗に彩られている。詩人はとびきり精錬された言葉を選んで、きわめて崇高な思想を語る。詩人は自然と芸術のなかに潜む最も秀逸と思われるあらゆる事象を通して、その思想をあらわにする。詩人は間近で展開する人の営みの風景を活写することで、その思想を豊かにするのだ。さらに言えば、詩人の作品の中には時代の精神、こんな表現を使わせていただけるならば、その詩人の生きた時代が醸し出す香りを読み取ることができるのだよ。…(後略)」≫
ここでも、「自然と芸術」という言葉がでてきました。
先日来、吉田健一も白洲正子でも、このような言葉に出会いました。たまたま、新刊だったり、新訳だったり、再読だったり、偶然にしても面白いめぐりあわせだと思いました。
*「スケッチ・ブック上下」(アーヴィング 齋藤昇訳 岩波文庫 挿絵:F.O.C.Darley Smillie Huntington Bellows R.Coldecott)
*「英国に就て」 (吉田健一著 ちくま学芸文庫)
*「かくれ里」(白洲正子著 講談社学芸文庫)
☆写真は、英国 ストラトフォード・アポン・エイボン郊外 シェイクスピアの母親の生家(撮影:&Co.T1)
(承前)
「スケッチ・ブック」に入っている「文学の変転」という硬いタイトルのエッセイの中身は、永い眠りから覚めた本との対話という、お話の世界のようです。とはいえ、そんなファンタジーの世界のような形を取りながらも、書き綴っている内容は、柔でないところが、面白いところです。
2世紀以上の眠りから覚めた本は、
自分が全世界の読者のために書かれた本で、寺院の本を蝕む虫のために書かれた本でないといい、図書館は後宮(ハーレム)ではなく、宗教的な建物に付属する高齢者介護施設のようなものだと示し、後世に残る作品のために腐心した数々の先人の末路を憂い、言語の変転を経て、時代の荒廃と流行の変化に翻弄されるだろうと示唆します。
さらに、言語や消えて行った本や作品について、その眠りから覚めた本の嘆き節は延々と続きます。
≪・・・ところで、私がこの世を去る時分であったろうか、世間で騒がれていたひとりの文人がいたんだ。彼の辿った文人としての運命を伺いたいのだが、当時においては、この文人は一時的に脚光を浴びているに過ぎない人物と思われていたんだ。それもあって、評論家たちは彼をまったく相手にしなかった。その理由はこうである。彼は教養に乏しく貧しい憐れな生い立ちには同情するが、ラテン語は苦手だしギリシャ語はからきし駄目なんだ。何しろ,鹿泥棒をするために国中を駆けずり回らなければならなかったんだから。この文人の名前は確かシェイクスピアとかいったと思う。無論、彼の名はとっくの昔に忘却の彼方に葬られたことだろうな。≫
この「スケッチ・ブック」が書かれたのが、1819~1820年。
今、読んでいるのが2015年ですからこの眠りから覚めた本が在ったとしたら、およそ400年後ということになりますよね。が、シェイクスピアの書いたものは、まだ生きている。しかも、英国だけでなく、世界中に広がって・・・
それが、なにゆえか、アーヴィングは続けます。(続く)
*「スケッチ・ブック上下」(アーヴィング 齋藤昇訳 岩波文庫 挿絵:F.O.C.Darley Smillie Huntington Bellows R.Coldecott)
☆写真は、英国 ストラト・フォード・アポン・エイボンにあるシェイクスピアの妻アン・ハサウェイ生家。(撮影:&Co.T1)
(承前)
アーヴィングの「スケッチ・ブック」が、新訳も含め今まで複数の人に訳されてきたのは、この随筆集に読者を引きつける力があるからでしょう。
今回の完訳版には、挿絵も入っていて、挿絵好きとしては大満足なのです。下巻のクリスマスエッセイ部分には、コルデコットの挿絵が「Old Christmas」からほんの一部ではありますが、使われています。ちなみに、アーヴィング「ブレイスブリッジ邸」(齋藤昇訳 岩波文庫)の挿絵は、全部コルデコットです。
クリスマス関連の文のことは、春には書く気がしないので、いずれ、クリスマスシーズンに書くことにして、有名なリップ・ヴァン・ウィンクル(いわば、浦島太郎物語ですね)や、ジョニー・デップ主演の「スリーピー・ホローの伝説」も、またの機会にして、「文学の変転」といういかにも、難しそうなタイトルなのに、ちょっとおかしい話の紹介を。
≪英国のウエストミンスター寺院の奥、その図書館で、アーヴィングが思索したりしながら、四つ折り版の本をコツコツ叩きながら弄んでいたら、真鍮の留め金が緩み、その小さな本は深い眠りから覚めた人間のように生あくび。少ししゃがれたような咳払いを、響かせるとおもむろに口をきいたのである。≫
おお、なんと自然に本がしゃべりだすことよ。映画や、アトラクション施設で、肖像画が喋ったり、壁から人が現れ出たり、ドアノッカーが口をきいたり・・・と一緒ですよ。言葉だけで楽しめるイリュージョン。
この本は蜘蛛の巣に苦しめられ、寺院の寒さと湿気に長い間晒されていたので風邪をひいたらしいものの、最初はひどくしゃがれて途切れがちの声も響きが鮮明になってくると、その本が弁舌巧みな本であるということが判明。その言葉は古めかしく陳腐な感じもするし、アーヴィングの時代からすると発音も粗雑と思われるような抑揚。この本は自分の立場を悲嘆するととともに、文学上の不満についても愚痴をこぼし、この本が二世紀以上も開かれなかったことを嘆きます。・・・
さて、どんな話をしたかというと・・・(続く)
*「スケッチ・ブック上下」(アーヴィング 齋藤昇訳 岩波文庫 挿絵:F.O.C.Darley Smillie Huntington Bellows R.Coldecott)
岩波文庫からアーヴィングの「スケッチ・ブック」の新訳、しかも完訳がでるのを岩波の広報誌「図書」で知ったとき、ついに出た…と思いました。
今まで、新潮文庫 角川文庫 それに岩波文庫の旧訳というので読んでいましたが、いかんせん、どれも全訳ではありませんでした。
しかも、クリスマスの話だけ集めたコルデコット挿絵の「Old Christmas」という原書の古本を持っているのですが、これにしても、訳されていないのがあって、誰か訳して!状態でした。
そして、全訳出版案内。まず、クリスマス以外の随筆の詰まる上巻が2014年11月に出ました。そうか・・・下巻の多くの話はクリスマスだもんね。12月になったらクリスマスのが読めるぞと、上巻からさっさと読んでスタンバイ。ブログにも書こうっと。・・・・
すると!12月の「図書」に案内がない!うっそー。結局、出版は1月でした。クリスマスの話の詰まった「スケッチ・ブック」は、なんとか、冬場に間に合ったというところでしょうか? (続く)
*「スケッチ・ブック上下」(アーヴィング 齋藤昇訳 岩波文庫 挿絵:F.O.C.Darley Smillie Huntington Bellows R.Coldecott)
*「スケッチ・ブック」(アーヴィング 高垣松雄訳 岩波文庫)
*「スケッチ・ブック」(アーヴィング 吉田甲子太郎訳 新潮文庫)
*「スケッチ・ブック」(アーヴィング 田部重治訳 角川文庫)
☆写真左は、「スケッチ・ブック」の「クリスマスディナー」挿絵、右は「Old Christmas」の「ChristmasDinner」の挿絵。両方とも、ランドルフ・コルデコット
(承前)
ファージョンの「イタリアののぞきめがね」の中で好きなのは「アニーナ」という章に続く「トリポリの王さまが パスタをもってきた」の話です。
今でこそ、イタリア料理の食材コーナーに、いろんなパスタが並んでいるので、このお話に出てくる面白い名前のパスタが、多分イタリアでは、実際にあるんだろうと想像できますが、初めて読んだときは、ファージョンの想像力の産物なのかと思っていました。
≪マカロニ、バーミセリ、星型、文字型、貝、鈴、木の実、リンゴのたね、はりのさき、ノミの目、馬の歯、聖人さまのたね、オリーブのたね、麻のシーツ、ハート型、ダイヤモンド型、鳥のはね、聖母マリアの涙≫
・・・・はたして、どんなパスタなんだ?と思いつつ、上のパスタの写真を娘に送ると、「耳たぶ」みたいと言いました。
はい、その通り。オレキエッテ(耳たぶ)というパスタです。
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)
☆写真上は、オレキエッテ・ブロッコロ(ブロッコリー)。下のイタリアンカクテルは、シチリアンミモザ。

(承前)
実は、今日のオリーブの写真も散歩で見つけたオリーブの木です。ご近所には、庭木や玄関前の鉢植えにオリーブを植えてらっしゃるおうちが、少なくないのですが、この塀越しに見つけたオリーブの木には、たわわになっていました。12月初めの散歩です。
で、ファージョンの「イタリアののぞきめがね」のなかの「オレンジとレモン」。
白の王子の家来ペッペは、鳥のように口笛を吹く人で、いつもオリーブの木の上にいます。
そして、このペッペもトカゲも、じつは、「オレンジとレモン」の前の章「ブリジエットのイタリアの家」で、お話の伏線として出てきています。白の王子でさえも。
以下は、「ブリジエットのイタリアの家」の章。
≪わたしたちは、オリーブ農園の門にはいりました。オレンジやレモンの木が植わっていて、まるで王子さまのご殿のように見える、農園主の真っ白い家を通りすぎて、坂道をオリーブ畑までおりていきました。オリーブの木の上には、男たちが座って、鳥のようにうたったり、口笛をふいたりしていました。≫
リアルなものがファンタジックなものに変身する楽しさ、です。
「イタリアののぞきめがね」の前の章で、何気なく登場したものが、次の章では、主役であったり、重要な役回りであったりしながら、イタリアの空気を伝えていきます。
ん?前の話のあれじゃないの?次の話ではどうなっているんだろう?を楽しみにページを繰って行くのです。(続く)
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)
散歩道で、レモンがなっているのを見つけました。
散歩道は、この木より上にあるので、(つまり、家は散歩道の下)、大きなレモンの木の上方に実がなっていても、よく見えます。阪神間は割と温暖な地域とはいえ、まさか、こんなに立派なレモンがなっているとは・・・(その木の上方には、あといくつか残っておりました。多分、この木のある家の人は、上方にレモンが残っているのを知らないと思います。)
「オレンジとレモン」というお話が、ファージョンの「イタリアののぞきめがね」に入っています。
白の王子が育てているオレンジとレモンの実と、黒の王女の育てている実の大きさを比べる話です。重要な小道具は望遠鏡。
王女の実を見るために、王子が、王女のお城に入るには、トカゲくらいの大きさでないと石垣の隙間から入れません。そこで、望遠鏡の、ものが小さく見える端を石垣の方に向けてから、望遠鏡と石垣の間に王子が立つと、あら、不思議。王子はトカゲのように小さくなって妖精のように石垣の隙間をくぐり抜けることができます。
この話を子どもの時に読んだなら、秘密裏に、この方法に何度か挑戦して、身体を小さくする訓練をするのではないかと思います。
さて、オレンジとレモンの実の大きさ比べ。
実は、王女の持っていたのは、ライムとキンカンの実だったものの、家来のペッペの判定は、見もしないで「王女」にくだります。
≪こうなると、王子と王女は、もう結婚するほか、ありませんでした。そこでふたりは結婚しました。≫(続く)
*「イタリアののぞきめがね」(エリナー・ファージョン文石井桃子訳エドワード・アーディゾーニ絵 岩波)
(承前)
カロッサの「幼年時代」ともう一冊、同時期に読んだお医者さんの本「時のしずく」は、精神科医 中井久夫氏のエッセイ集です。あとがきには「回顧的」な文章が多いとあります。論考あり、思い出あり、追悼ありの五部構成です。
中井氏の精神科医としての専門書やその訳書、あるいはギリシャ詩訳の本を読まなくても、エッセイ集でその人となりに近づけるのは、有難いことです。中でも「秘密結社員みたいに、こっそり」という文は、少年少女のための寄稿文だったようで、よりわかりやすく、説得力のあるものです。
この文は、
≪私は時々思うのだが、今、学校でいちばん放置され、理解されないのは、知的な好奇心に早く目覚めた人ではないだろうか。・・・≫で始まります。
そして、「権力欲」という言葉に導いていきます。権力欲の塊の人たちにも聞かせてあげたい話です。
≪ただ、うっかりすると知識欲は権力欲の手段になりさがってしまう。権力欲はサルやその他の動物にも立派にある。知識欲は動物にないとはいわないけれど、人間の人間であるもとはこちらだろう。ただ、新しいだけ知識欲はひ弱く、権力欲は古いだけしぶとい。基本的な三大欲望という睡眠欲、食欲、性欲だって、権力欲の手段になりさがることが少なくない。 そうなると何がどう変わるか。三大欲望は満たされるとおのずとそれ以上求めなくなり、おだやかな満ち足りた感じに変わる。ところが権力欲だけ満たされるほど渇く。そしてその手段になった他の欲望は楽しさ、満足感がみごとに消え失せる。・・・≫
さて、この本には、阪神間の末席に住む者に興味深い「阪神間の文化と須賀敦子」という一文が入っています。この文は「須賀敦子全集第4巻」(河出書房新社)の解説に寄稿された文で、この文については、遠い昔に読んでいた須賀敦子を読み直してから、いずれ、また感想文を書こうと思います。
*「幼年時代」(カロッサ 斎藤 栄治訳 岩波文庫)
*「時のしずく」(中井久夫 みすず書房)
☆写真は、スイス クール
(承前)
確かに、カロッサの「幼年時代」は、子どもの目に映ったもの、子どもの頃の心の動きを描いているのですが、単に、子どもの頃の記憶の断片エピソードをつないでいるわけではありません。「幼年時代」と題されたように、その「時代」というものを表現したのだと思います。短編集の形を取っているものの、初めから読んでいくと、最後「時代」が終わるほろ苦さが残ります。A.A.ミルン「プー横丁にたった家」でクリストファー・ロビンが、もう「ぼく、もうなにもしないでなんか、いられなくなっちゃたんだ。」と、プーに言うシーン、あれと通じています。
「幼年時代」の前半では、「そうだ、そうだ、この感触。あったよなぁ」と、懐かしみ読み進むものの、後半で、胸にぐっと迫るものが増え、こんなところで、涙が出そうになる??
喧嘩し、傷つけた相手の子、親身になって、助けてくれた女の子、魔法は消え、子ども時代は終わり、いろんなことと「折り合い」をつけて大きくなっていく・・・
最後から二つ目の「劔」という一文。
自分の作った大事なものと交換したサーベルを、振り回していたら、知らぬ間に部屋に入ってきていた母親の指を傷つけてしまいます。医師であった父が処置をし、サーベルを取り上げます。そのあと、母親は、その繃帯の交換をカロッサ自身にさせ、それが、毎晩の楽しいお祭りのような出来事になって、母親の傷が癒えたのちも、女友達エヴァのなんでもない手を冗談で巻くようになります。母親はこの繃帯の巻き方の練習を続けるように励まし、二人の子どもも毎日いっそう几帳面に、いっそう心をこめて實行するのです。
≪・・・大きな、おそらくは永遠の別離が私たちの前に切迫していたのであった。誰もそれを言いはしなかったが、私たちの回りの空氣はこうした避けがたいものを孕んでいて、互いに出會っても、なんとはなしにこれまでとちがっていて、お互いが犯したいろんな愚かしい不法なども思い出されるのであった。・・・≫
少年は、学校に行くため、家を出、少女は、曲馬師になるためにミュンヘンに。(続く)
*「クマのプーさん プー横丁にたった家」(A.A.ミルン文 石井桃子訳 E.H.シェパード絵 岩波)
*「幼年時代」(カロッサ 斎藤 栄治訳 岩波文庫)
☆写真は、英国ケルムスコットマナー階段の窓
上七軒、北野天神にほど近いところに散椿で有名な地蔵院があります。この椿は、速水御舟「名樹 散 椿」(重要文化財)にも描かれています。
さて、「北野をどり」まで時間があったので、再訪してみました。
前の時より10日ほど早いので、境内の枝垂桜はまだでしたが、散椿の方は、華々しく散っておりました。前回より、ピンクの椿が多く、同じ樹でも、五色同時に咲くのは難しいと思われます。
その年その年で、咲き方も違うのも、面白いことです。 
(承前)
上七軒の歌舞練場は、天神さんの横ですから梅の意匠も見られますが、紋章は、団子模様。演目にも「舞姿つなぎ団子」などとあります。昨日の写真の提灯にも今日の写真下のお茶碗にも、つなぎ団子模様。
「北野をどり」のパンフにありました。
≪天正15年(1578年)太閤秀吉の催した北野大茶会の際、七軒茶屋で作ったみたらし団子を献上したほうびに与えられた「法会茶屋株」。以来、みたらし団子の販売権と「お茶屋」の営業権を得たことから、上七軒の紋章には今も「つなぎ団子」が用いられています。≫
もう一つ賢くなったこと。
お茶屋さんというのは今や芸妓さんや舞妓さんを呼んで飲食できる京都の花街に限られたもののようですが、お茶屋と言ってもティールームじゃないのにと思って居たら、やっぱり、京都は何でも歴史があるねぇ。
≪文安元年(1444年)に北野社殿が一部焼失。時の将軍が社殿造営を命じ、その門前に参詣人に社殿の余材を使って休憩所として、7軒の茶店が建てられ、それが上七軒の名前となったと伝えられている。≫
本当にお茶屋さん(ティールーム)だったんだ!
そういえば、先日見た、洛中洛外図にも門前にお茶を供するような店がずらっと並んでいました。
「北野をどり」パンフレットには、こういった歴史的な解説だけでなく、きれいどころのポートレート、演目の台詞や、歌詞などもそのまま掲載されていて、楽しい一冊です。
歌詞は、予想通り、大人な歌詞であり、語呂のいい遊び歌です。
☆写真上は、上七軒歌舞練場中庭の苔むす桜。下は、お茶席で出たお抹茶と美味しい上用。席によっては、芸妓さんがお茶をたて、舞妓さんが運んでいました。お菓子は手でちぎって食べましたが、隣の席の心得のある人は、ちゃーんと菓子切り持参でした。そして、お皿は、下の大きな懐紙(?)に包んで持ち帰ります。 
くじ引きで「北野をどり」のお茶付の券が当たったので、いそいそと出かけました。
京都の五花街は、祇園の二つ(甲部、東)、先斗町、宮川町と、上七軒。
四大踊りは、「都をどり」「鴨川をどり」「京をどり」「北野をどり」。
出かけたのは、上七軒の「北野をどり」。
上七軒以外の花街は、祇園を中心としたところにあるのですが、上七軒だけは、北野天満宮のすぐ隣、いわゆるかつての洛中の北西と、一つだけ離れた場所の花街です。
「都をどり」を何回か見に行った友人から、春らしくて楽しいよと、聞いていたので、楽しみにしていました。
お三味線に、いいお声。
きれいで粋なお姐さん。
それに、かわゆい舞妓さん。
華やかなお着物に明るい舞台。
表に立つのは、女性ばかり。
宝塚歌劇の原点のようです。
第一部の舞踏劇は、「四条かぶき」という、阿国と葛城、それに山三の芸と恋の人情話。
第二部は舞姿つなぎ団子という歌舞。
フィナーレ「上七軒夜曲」で、総出演するところなんかも、わくわく。
仰々しくなくてわかりやすく、シンプルな春のお楽しみでした。
隣の席の年配のご婦人「毎春来てるのよ。ここのは踊りがうまくてね。」と、身を乗り出して、曲に合わせて体が揺れています。春の喜びが、身体から溢れてました。(続く)
☆写真は、上七軒歌舞練場の中庭。右手側が舞台と客席。左手側はお茶席。通路の下は池。

「子どもはみんな問題児。」 (中川李枝子著 山脇百合子絵 新潮社)
あれ?大人の新刊コーナーに、山脇百合子さんの表紙だ!文は、もちろんお姉さんの中川李枝子さん。
「ぐりとぐら」でおなじみの絵が、ぱっと目に入りました。
1982年に出た「本・子ども・絵本」(中川李枝子著 山脇百合子挿絵 大和書房)は、書店の児童文学の棚にあります。今回のこの本は、レジ前の新刊コーナーに置かれているので、広く、いろんな人の手に届いたらいいなと思います。先日の松岡享子さんの岩波新書「子どもと本」も、児童文学の棚ではなく、岩波新書に並んでいるわけですから、読者の裾野が広がることを願います。
「子どもはみんな問題児。」は、子育て応援エッセイです。軽い調子で書かれていますが、中川李枝子さんが保育士をやっておられた経験に基づいて、とても大事なことが書かれています。心理学や、教育や、などと言わずに、読みやすく、子育て情報に振り回されそうな人に、ぜひ、読んでほしい一冊です。
≪「読み聞かせ」ではなく、子どもと一緒に読む≫という言葉は、微力ながらも個人的にも言ってきたことと同じなので、ほっとします。
そして、最後に≪子育ては甘いものじゃないけれど、生きがいそのものです。≫と言い切るところも、そうそうと、うなずく場面でした。
そんななか、昨日書いた「手を当てる」と、通じるものを感じたところ。
・・・中川李枝子さんが、勤務していた保育所に、何をするのも丁寧で清潔家で子どもの顔をふくのが大好きな保母さんが居ました。
≪お湯で絞った温かいタオルで、口の周りやほっぺたをしょっちゅふいてやっている。子どもがうっとり気持ちよさそうにしている間に、みるみる汚れがとれて、いいお顔が出てくるのをみると、「私も一度、ああやって顔をふいてもらいたい」とうらやましくなったものです。≫
手を当てる・・・手をかける、手塩にかける・・・この手でやってきたことも、色々あったなぁ、と子育てが終わってしまった今、思い返します。
*「ぐりとぐら」(なかがわりえこ文 おおむらゆりこ絵 福音館)
☆写真の桜は、階段を上ったところにある1本の古い大きな桜の木。昨日の下の写真を反対側から撮りました。
回転ずし、カラオケ、エステは、およそ縁がないなぁ…回転ずしは、ロンドンで一回、カラオケは、同窓会で一回・・・ましてや、エステは無縁だと思っていたら、結婚した娘が、嫁ぐ前に、肩ほぐし付、オーガニックフェイシャルエステの券をプレゼントしてくれました。
うーん、気持ちいい。
当然、リラックスできる環境設定もありますが、人の手で触られることの心地よさ。うとうとしてしまいました。
「手当て」する・・・の、言葉の意味が本当によくわかります。
科学的にも、タッチしてもらうことの効果が言われているようですが、難しいこと抜きに、癖になりそうな心地よさでした。
ちなみに、劇的な効果は出ませんでした。
重なるときは重なるもので、美容院のポイントがたまり、ヘッドマッサージというのもしてもらいました。
うーん、気持ちいい。
人に頭を預けるのですから、完全に信頼することが大事なのだと思います。
いつものシャンプー係りの女性だったので、よけい安心したのか、完全に寝てしまいました。
こっちも劇的な効果は見受けられませんでした。
どちらも宗教でも医術でもなく、単に人の手で、心をほぐしてもらえる体験をさせてもらいました。
☆写真上は、東京隅田川の桜(撮影:&Co.H)
下は、神戸 六甲山のふもと、坂の上から、神戸の海を見渡す。右端は湾岸ブリッジ。

(承前)
スティーブンソンといえば「宝島」。
岩田欣三訳を読んでいないものの、以前、海ねこさんにも書いたように、ワイエス絵亀山龍樹訳というのが、個人的には最強の組み合わせです。
ワイエスの描く挿絵は、周囲の緊迫した空気までも感じられ、食うか食われるか、気迫に満ちた表情、指先、足先までも力が入っています。
そして、訳は、ごろつきたちの臨場感あふれるやりとり。たとえば、他訳では「しずかにしろ」とあるところを「ものども、だまれ」。「せがれがいる」は、「おれにもがきがひとりいる」などなど、悪ぶる言葉が次々と。
中でも、ジムがリンゴ樽の中で耳にするシルバーの会話。読んでいる者は、リンゴ樽に潜んでいるジムの耳になって、シルバーたちの会話に耳をすますのです。
≪「ふん、おれはな、場かずをふんでいるんだ。どのくれえ、わけえ、いせいのいいやつがおしおき場にぶらさがって、一ちょうあがりになったかを、この目でとっくりごらんになってきたと思うんだ?そういうはめになったなぁ、みんながせっかちで、あわててことをはこんだからなんだぞ。海のことなら、このシルバーさまは、ちったあごぞんじのつもりなんだ。わかったか、すっとぼけやろう。だまって、へまをやらかさず、おれのさしずどおりの針路をすすんでりゃ、馬車にふんぞりけえれるご身分にもなれらあ。そうともよ。ところが、おめえらのやることときちゃあ、すぐにもラムを一ぺえやって、あげくがしばり首だなぁ。」≫
内容は具体的で、説得力があります。さらに言葉に凄みを持たせることによって、有無を言わさず、説得(強制)しています。
それにしても、ラム酒だとか、フリント船長だとか、船長の肩近くに彫ってあった入れ墨(首つり台とそれにぶらさがっている男の絵)・・・どれも、これも、「ツバメ号とアマゾン号」を初めとするランサム・サーガでは、なじみのモチーフで、アーサー・ランサムも宝島ファンだったのがよくわかります。
*「宝島」(亀山龍樹・訳 講談社フォア文庫)(N.C.ワイエス画 学研)(中村徳三郎・訳 岩波文庫)
*「ツバメ号とアマゾン号」等(ランサム・サーガ)(アーサー・ランサム文絵 神宮輝夫訳 岩波少年文庫)
*「アーサー・ランサム全集」(アーサー・ランサム文絵 岩田欣三・神宮輝夫訳 岩波)
「若い人々のために 他十一篇」 (スティーヴンスン 岩田良吉訳 岩波文庫)
(承前)
この本の訳者岩田良吉(1898~1986)を、ここに記しながら、ん?もしかして???と調べると、やっぱり!!!
あの「アーサー・ランサム全集」(岩波)の一部の訳者 岩田欣三と同じ人ではありませんか!
ほとんど勘のみで調べたものものの、スティーヴンスンもランサムも、私の好きな作家なので、もしかしたら、もしかしたら・・・などと調べたのです。
そうしたら、良吉の名前でスティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」(岩波文庫)を訳してるし、岩田欣三の名で、スティーヴンソン「宝島」も「びんの小鬼」も訳していたみたいです。
また、改めて知ったのですが、ジャック・ロンドン「荒野の呼び声」(岩波文庫)も「名犬ラッド」(ターヒューン 岩波少年文庫)も訳していました。どれも、ずいぶん昔に読んだにしても、外れがない作品ばかりなので、勝手にシンパシーを感じています。ということで、今は出ていない、ハドソン「ラ・プラタの博物学者」(岩波文庫)も、復刊を待って読みたいものです。
が、しかし、復刊本はいいけれど、この「若い人々のために」の印刷は、版木が摩耗しているのか、プリント技術の問題か、老眼には厳しい、不鮮明な印刷なのです。しかも、旧漢字など、もともと、よくわからない馬鹿者に、さらに不鮮明な印刷でごちゃごちゃになっているのは、酷というものです。(続く)
*「アーサー・ランサム全集」(アーサー・ランサム文絵 岩田欣三・神宮輝夫訳 岩波)
☆写真は、スイス ニヨンの街のウィンドー