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みんなみすべくきたすべく

密約のようなものがあるに違いない。

スイスみずうみj
(承前)
 天野山、金剛寺「日月山水図屏風」の実風景を白洲正子は、
≪…作者は誰ともわからないが、私にはなんとなく、この辺に住んだ坊さんが、毎日山を眺め、山で修業をしているうちに、ある日感得した大自然の曼荼羅のように思われる。・・・・(中略)・・・・別に特定の場所ときめる必要はないが、先年巡礼の取材で槇尾山へのぼったとき、山上からの眺めが、あまりによく似ているので、私は驚いた。今述べたことは、その時漠然と感じたものを記したにすぎないが、巧くいえない。自然と芸術の間には、作者だけしか知らない密約のようなものがあるに違いない。≫

そうか!密約のようなもの・・・。鑑賞するものは、その密約を探ろうと、その芸術に近づくのですね。
それが、絵画ならば、見つめ、離れ、そばで目を凝らし、離れ見る。
音楽ならば、聞き、一心に耳を傾け、聴く。
文学ならば、読み、また、読む。

そして、絵画や文学に描かれた風景そのものを確認したくなり、芸術に表現されたそのときの空気さえも味わいたくなる。
人それぞれとはいえ、自然と芸術の間にある、作者との密約に迫る方法は、奥が深いと思います。

*「かくれ里」(白洲正子著 講談社学芸文庫)
☆写真は、スイス トゥーン湖を見下ろす。
 ホドラー展(~2015年4月5日:兵庫県立美術館)にもトゥーン湖の絵は来ていました。ホドラーの風景画は、「日月山水図屏風」と同じく抽象画だったので、自然と画家との確かな密約があると思います。

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