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みんなみすべくきたすべく

結局は言葉である。

カーディフ城j
(承前)
 吉田健一著「英国に就て」 (ちくま学芸文庫)の「英国の絵」という文の中に、≪人間の精神活動の面で最も発達した文学との比較が、英国の絵を考える上で多少の手がかりになる。その文学でも英国の自然が扱われていて・・・≫と、文学と絵画ー英国風景画の関係を説こうとしています。・・・・とはいえ、この人の文の特徴で、一文が長い!で、読解力のない者には、繰り返し読んでみないと、うーん、わからん、という箇所が多いのも本当のところ。ただ、イギリスびいきとしては、そのシンパシーから、読む努力と、自分流の解釈をしてみました。

 英国の風景画は、≪世界の絵の中で特異な流派のものに属していて壁を背にその魅力が明らかになる≫といいます。確かに、ロンドンの狭いホテルの一室にさえ小さな風景画が飾られ、また、トイレにまで絵があって、日頃シンプルな壁に接している日本人には、かなりの異文化体験。

 ≪詩の言葉に接してそのまま眼を風景画に向けるときに≫その風景画は絵なのだろうか?などと書いているのを読むと、むむむ、難解。
 とはいえ、2012年秋に見に行った英国水彩画展でも詩の朗読や音楽があって、絵画を鑑賞するのが楽しいものになったのを思い出します。詩ひとつで風景の奥行きが見えそうな気がするのです。丘の向こうの家、牧草地の向こうの木々、そして佇む人がいれば、その人の心・・・・。このとき、吉田健一ほどの言葉で表現できずとも、単純に、絵画と詩の世界がつながって楽しい・・・と思いました。

 さて、文には、さらに難所があります。
 ≪英国の自然がなしている種類の環境で精神が全面的に働くには視覚に限定された絵のようなものよりも、もっと深奥の所に根差す言葉の世界の方が適しているということである。英国で絵に詩を求める必要はなくて、それは英国の詩にあり、その詩にも英国の自然はあって、人間がたとえば故郷の安息に置かれて全く人間であることを得た時に自在に使うことができるのは結局は言葉である。≫

 ふーむ、これって、イギリスの詩人アリンガムの詩を読んだ時に伝わることとつながってる?
 ま、乏しい読解力の読者が、この小さな詩を思い出せただけでもよかった。
≪「思い出」(瀬田貞二訳)「幼い子の文学」中公新書)
池に四羽のあひる   向う岸に草地   春先の青い空   飛んでいる白い雲   
ささいなことだのに   長年覚えていて   思い出すたび涙が出る≫

☆写真は、英国 ウェールズ カーディフ城(撮影:&Co.H) 
 

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