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みんなみすべくきたすべく

ボヴァリー夫人

アパルトマンj
 短編集「愛書狂」の表題にもなっているにフローベール15歳の時の作品「愛書狂」を、面白いものだと読んだものの、恥ずかしながら、フローベールの代表著作を読んだわけではありませんでした。するうち、書店に「ボヴァリー夫人論」(蓮實 重彦著 筑摩書房)という大著が平積みされていました。重そうだし、価格もかなりだし。ともあれ、この本は、この著者のライフワークに違いないという匂いのする一冊でした。蓮實 重彦さえ、読んだことがない・・・・

 万一、この「ボヴァリー夫人論」を読む機会があったとしても、本体の「ボヴァリー夫人」を読まなきゃね。ということで、岩波文庫 伊吹武彦訳の「ボヴァリー夫人 上下」を読みました。サマセット・モームの言う「世界の十大小説」の1冊だし。

 うーん、今でいう、不倫小説です。なので、興味津々、一気に読めます。などと、一言で言ってしまえないのが、この話が今も残る所以でしょうか。

 文学を学問として学んだことがないので、この小説の位置づけは知りません。が、次は、どうなるのかとページを繰らせる力のある話です。当時なら、きわどすぎる部分も、その一つの力となっているかもしれません。あるいは、男性作家が、ここまで女性を描けるかという興味もあります。それでも、男性擁護の視点ははっきり見えていますから、当時の読者の中心層が男性なら、さもありなんです。

 ボヴァリー夫人のモデルは誰かという質問に対して、フローベールは、「ボヴァリー夫人は私だ」と答えたようで、≪ボヴァリー夫人、エンマの絶望はまさしく作者自身のそれであり、彼の味わった理想の挫折、悲哀と幻滅が主人公エンマに託されている≫と、下巻表紙キャプションにあります。

 そうなんだ・・・・本人が男性で、主人公を女性に託す形は、たくさんあります。反対も、然り。昨秋、書いた「悪童日記」三部作がそうでした。

 が、この前読んだ、ゴングール兄弟の「ジェルミニィ・ラセルトゥウ」 (ゴンクウル兄弟作 大西克和訳 岩波文庫)
も、こりゃあ、落ちて行きすぎでしょう。と何度も思いながら読んだことを思い出します。表現として、その方が面白いとはいえ、当時は、フェミニズムの視点などなかったので仕方ないのでしょうか。

 という意味でも、かの大書を読んでみたいと思いつつも、近くの図書館にも大学の図書館にもないなぁ・・・
☆写真は、パリの街角、アパルトマン。こんな風におしゃれな外観の建物が多いところがロンドンと違う。

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