みんなみすべくきたすべく

岡田美術館所蔵

桃李交枝j
(承前)
 三井記念美術館の隣、日本橋三越の前を通ったら、「RIMPA」とポスターが貼ってあって、友人との待ち合わせには、少々時間もあるし・・・ということで、入場してみました。

 あれれ、これって、昨年行った箱根の岡田美術館にあった!と思ったら、この展覧会は「岡田美術館所蔵琳派名品展ー知られざる名作初公開ー」(~2015年2月2日)でした。
 あの広い岡田美術館で見たものが、デパートのギャラリーでこじんまりと展示され、混雑していました。

 今回、一番記憶に残ったのは、琳派ではなく、速水御舟の「桃李交枝」(写真右下)
 この絵のタイトルがいいなぁ。絵とぴったり。
 桜じゃなく、梅でもなく、楚々として品があって、枝の交わり方も、主張し過ぎないところがいいなぁ。
 
 と、会場を出、絵葉書を物色していたら、写真左の綺麗な木蓮も見つかったものの、「あれ?会場の木蓮図って、速水御舟だった?こんなにすっきりしてなかったよね」
 ともあれ、絵葉書は「桃李交枝」と「木蓮図」を買うものの、リストを見てみると、うーん。会場にあったのは、鈴木基一の「木蓮図」で、速水御舟の「木蓮図」は、今、箱根で展示中だとか。箱根への誘い水だったかな?*「大観・春草・御舟と日本美術院の画家たちー速水御舟「木蓮」久々の公開」展(岡田美術館:~2015年3月31日)
 それから、この箱根 岡田美術館の「深川の雪」は今年も展示されるようです。*「あの歌麿が帰ってきた!-『深川の雪』再公開ー」展(2015年4月3日~8月31日)(続く)

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屏風絵

屏風j
 (承前)
 京都文化博物館で見た、円山応挙の八曲一双「保津川図屏風」は、迫力のある重要文化財でした。
 先日、上京する際に何を見ようかと調べていたら、三井記念美術館「雪と月と花ー国宝 雪松図と四季の花々ー」展(~2015年1月24日)で、国宝の円山応挙が展示されているとあったので、重要文化財より格上とは、いかに?と見に行きました。
 「雪松図屏風」というこちらは六曲一双の屏風です。
 うーん、国宝と重要文化財の違いが素人にはわからんなぁ、保津川下りの迫力の方が好きやけど・・・と、思って居たのですが、離れて見ると、おお!松の立体的なこと!屏風を折って初めて伝わる立体感。平たく置いたままだと、この松の生々しさは半減するでしょう。雪の表現も離れて見た方が、ずっと美しい。

 ただ、京都文化博物館展示の「保津川図屏風」それに、千總ギャラリー展示の「嵐山春秋図屏風」は、すいていて、離れて見るのも自由自在ながら、やっぱり東京は、平日でもそこそこ人が居て、離れてゆっくり見るのも簡単ではないのが残念。

 屏風絵や大きな作品は、離れても見えるような広い空間の美術館でないと作品の持つ魅力が半減するのを感じます。かつて、速水御舟の「名樹 散椿図」を狭い展示室で見て、少々残念だったのを思い出します。(続く)
☆写真は、「雪と月と花ー国宝 雪松図と四季の花々ー」の案内紙の「雪松図屏風の雄松」左はチケット。

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明治刺繍絵画

福寿草j
 2週間前、京都文化博物館に「千總460年の歴史―京都老舗の文化史」展(途中入れ替えで、~2015年2月11日:第二会場の千總ギャラリーは2015年1月20日~2月11日)を見に行ったものの、第二会場は、まだ会期でなかったため行けませんでした。そこで、今回、第二会場にだけ行ってみました。
 三条西入の会場階下は、お洒落なジャパニーズティーサロン。階上は、一部屋だけのギャラリーで、展示品も多くありません。が、ここに今、展示されているのが、かの超絶技巧の明治刺繍絵画作品であるのは知っていましたから、清水三年坂美術館三井記念美術館での感動よ、再び!と思って行ったら、もっと、すごいことに。
 清水三年坂美術館所蔵のものも展示されていましたが、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の、超超超絶技巧の大作が並んでおりました。こりゃ、すごい。

 西村總左衛門作「水中群禽図刺繍額」は、どうみても、絵筆で描いた絵画のようです。背景が白っぽいのは、地の色ではなく、ぜーんぶ刺してました。
 また、同じ作者の「嵐山春秋図刺繍屏風」は、屏風であることの利点を熟知した作品です。京都文化博物館で見た円山応挙の「保津川図屏風」と同じ保津川ながら、視点も技も異なるところが面白い。
 この信じられない技の屏風は、嵐山の連なる情景を丁寧に刺し、保津川の勢いも応挙とは違った描き方で表現しています。

 会場には作品リストもなく、絵葉書も売っていないので、せめて図録でもと思いましたが、この「嵐山春秋図刺繍屏風」の写真が、屏風としての立体ではなく、ただの平面にした写真で、実作品の生き生きとした情景が感じられなかったので購入しませんでした。屏風は、立てて、折ってこそ、屏風。(続く)
☆写真上は、千總ギャラリー入口。
 下は、ギャラリー階下のティーサロンで飲んだ抹茶きなこ豆乳ラテ。
                                抹茶きなこ豆乳ラテj

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映画「6才のボクが、大人になるまで。」

        プラットフォームj
 昨日のグランド・ブダペスト・ホテル」も、映画「6才のボクが、大人になるまで。」も、ゴールデン・グローブ賞のドラマ部門で賞を取ったとか。ともに、アカデミー賞候補だとか・・・

 「6才のボクが、大人になるまで。」は、ドキュメンタリーではなく、同じ俳優陣で12年間も映画を撮り続けるのは、映画としては画期的な試み。ちょっと他人の暮らしを覗き見しているような気分。
 ありがちではあるけれど、波乱に富む少年期ーそう、原題は「少年時代(Boyhood)」ー映画として問題提起しやすい生活。親の離婚、虐待、思春期の揺らぎ、恋・・・・
 つぶらな瞳の6歳の男の子が、声変わりし、はにかみ、最後はひげの青年に。その成長は、本当にいつのまにか・・・
 2時間半以上の映画の中で、少年がごく自然に大きくなっていくのを観られるのが、この映画のうまいところ。
 さりげなく、その年の流行だとか、政治の流れだとか、テレビ映像だとか、ゲームだとか、携帯だとかスマホだとか、時代の進行を淡々と提示。そして、お母さん役もお父さん役もおねえちゃん役も、みんな体型や髪の色が変わっていく。

 少年成長ドキュメンタリーを観たような気分で、映画館を出るものの、もう、この映画の少年の少年時代を知ってしまったなぁ。もしかして、「18歳の青年が30歳になるまで。」なんて続編があったら、観るかもしれないなぁ、が、面白くないだろうなぁ・・・などとひねた感想。

 それより気になったのは、この少年役の青年俳優の肩幅の狭さとちょっと猫背の歩き方ー確かに、それがナイーブな青年を演じるには合っていたけれどー実際に、どんな12年間を過ごしたんだろう?

☆写真は、ロンドン キングスクロス駅に設えられた「ハリーポッター」プラットフォーム(2011年撮影)
 映画の中で、「ハリーポッター」コスチュームに身を固めた少年が「ハリーポッター」の2冊目を手に入れるシーンがあります。この笑顔、素の子どもの顔で、とても嬉しそうでした。

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みつけてもらった

みつまたつぼみj
 いつもは、ハリウッド映画とあんまり関係ない映画を選んで観ています。だから、アカデミー賞にもさほど興味がないものの、アメリカのテレビ部門も含めた賞であるらしいゴールデンブローブ賞のコメディ・ミュージカル部門を見てびっくり。
 夏頃、見に行った「グランド・ブダペスト・ホテル」が、選ばれているじゃありませんか。多分、新聞の映画評かなにかで、見に行ったのだと思うのですが、映画館通いというほどではない映画好きとしては、ちょっと嬉しかったから不思議なものです。自分が投票したのでなく、ましてや関わったわけでもないのに、自分のチョイスを認められたかのような気分です。

 拙ブログでぼそぼそと書く読書感想文に反応してくださって、「あの本、面白かった」とお声ををいただくのも、同様の気持ちです。
 
 また、料理をふるまうと「おいしい」という言葉だけでなく、「どうやって作ったの?」と問われることは、やっぱり嬉しいこと。
 
 どれも、ちっぽけな自分を見つけてもらえたようなささやかな喜び。

☆写真は、みつまたの蕾 東京三菱一号館中庭。

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ニワトコ茶

         紅茶j
 (承前)
 ニワトコ(エルダー)は、エルダー水で飲むことができるし、エルダーフラワーティとして飲むこともできます。
 乾燥させた花の入る飲料水やお茶は、とてもいい匂いです。優しい香りです。ちょっとマスカットに似ています。そして、妖精のおかげか、ティで飲むと、結構何杯も香りを楽しむことができます。
 
 で、英国製のエルダーベリーティというハーブティを買ったら、全然、優しい香りではなく、いわゆるハーブティ・・・ちょっと薬効のありそうな香りだったので、フラワーとベリー(実)じゃ、こんなにも違うのかと思いました。調べてみると、風邪予防にいいらしい。そういえば、スイスメイドのエルダーキャンデーもいただいたことがあります。これものど飴でした。

≪古代エジプト時代以前より使われていたとされ、生またはドライにした花や葉、果実、根の皮などが利尿、緩下、発汗、鎮痙などに使用される他、ミントと共にいれたティは風邪の治療に使われる・・・・≫(「シェイクスピアのハーブ」熊井明子著 誠文堂新光社)
☆写真は、英国オックスフォードのホテルのティールームに並ぶ、紅茶の茶葉。  

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この木陰ばかりは避ける

エルダーベリーj
 (承前)
 「黄金の壺」の初めで、重要な環境設定に使われるのは、「にわとこ(ニワトコ)(エルダー)」でした。

 この花のことを初めて知ったのは、多分、サトクリフの「トリスタンとイズー」だったと思います。この本には、いえ、この本だけではなく、サトクリフの話には、たくさんの植物が効果的に配置されていて、興味深々、一時期、熱心に調べた時期がありました。で、購入したのが「英米文学植物民俗誌」(加藤憲一著 冨山房)でした。
そこには、ニワトコ(セイヨウニワトコ)
    ○6~7月頃,クリーム色がかった小さな花をびっしりつける。
    ○この木の発気には一種の麻酔性があって,昼寝をするのにもこの木陰ばかりは避けるという。
    ○枝はいくら切っても伸びるので,不死の象徴○憐憫,熱意
    ○古いゲルマン神話では,すべての妖精はoak やelder の根元に住んでいると
     されている。イギリスでは,日没後はこの木に近づかないがよいという。
と、あります。
 この木には一種の麻酔性!うーん、だからですね。「黄金の壺」の魔法の世界の入り口にも、「トリスタンとイズー」の妖しい世界への入り口にも、ニワトコがはえているんだ!

≪・・・・船が錨を下ろした小さな入り江には、ニワトコの木がいっぱいに花をつけている険阻な谷から流れが注ぎ、雲雀の歌とかぐわしい土の匂いが、海鳥の叫びや冷たい潮の香とまじりあっていた。・・・≫(続く)
*「黄金の壺」 (ホフマン・神品芳夫訳 岩波文庫)
*「トリスタンとイズー」(ローズマリー・サトクリフ 井辻朱美訳 沖積舎)

☆写真は、英国ケルムスコットマナーのニワトコの実?のはず。日本のニワトコは熟すと赤いのですが、セイヨウニワトコは熟すと黒い実に。

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黄金の壺

      ルーブルj
   「黄金の壺」 (ホフマン・神品芳夫訳 岩波文庫)
 妖しげな光を放つ小蛇ゼルペンティーナに恋する大学生アンゼルムスの話です。
純情な大学生という設定。失態のあと、彼が自分の苦難を嘆く場所が、エルベ川のほとり、人けのない塀から外に突き出している「にわとこ」の木陰の芝生でした。

≪「・・・・バターつきパンを落とすときはいつもバターのついたほうが下になる…新調の上着を着て外出するたびに、たちまち脂のしみをつける・・・妙なところに出ている釘にひっかけてのろわれた穴をつくってしまう・・・枢密顧問官殿や奥方に出会ってあいさつするときには、取った帽子がぼくの手からはなれて飛んで行ってしまう・・・つるつるの床に足を滑らせて、ぶざまにひっくり返ってしまう・・・市の立つ日にはいつもお店の壺をふみつぶしては弁償しなければならない・・・≫と、彼がやらかした失態はまだまだ続き、世を嘆いていると…..アンゼルムスに聞こえてきたのが、不思議なざわつき。クリスタルの鈴の発するい三和音のような響き。そこに、緑がかった黄金色に輝く小さな3匹の蛇。「これはにわとこのしげみにたわむれる夕日の仕業なんだ」と思うも、彼を見つめる魅惑的な濃い青い二つの瞳・・・で、彼は恋に落ちるわけです。

≪にわとこのしげみは身をゆさぶりながら言った――「あなたはわたしの木陰に横たわり、わたしのかおりがあなたをつつんだ。それでもあなたにはわたしのことばがわからなかった。かおりはわたしのことばになりますよ。愛の炎がともされるのなら・・・そよぎはわたしのことばになりますよ。愛の炎がともされるのなら・・・あかりはわたしのことばになりますよ。愛の炎がともされるなら・・・」≫

 どこでもいそうな若者の失態は、身近でわかりやすくて現実的、にわとこのしげみ周辺の不思議な世界は幻想的。この対比のまま、この作品は進んでいき、その結果、不思議すぎるでしょう?だけど、あるかもしれないな・・・と読者を引き込んで行きます。この手法は、若き日の作品の「黄金の壺」から、「くるみわり人形とネズミの王さま」や「牡猫ムルの人生観」とつながります。(続く)
*「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン ラルフ・マンハイム英語訳 渡辺茂男日本語訳 イラストレーション モーリス・センダック ほるぷ出版)
*「クルミわりとネズミの王さま」(ホフマン作 上田真而子訳 岩波少年文庫)
*「牡猫ムルの人生観」(ホフマン作 秋山六郎兵衛訳 岩波文庫)
☆写真は、パリ ルーブル美術館

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何 読んでくれるの?

壁j
 本当は、絵本の授業を担当したいのですが、なかなかそうもいかず、2つの教育機関で保育の授業の一科目を担当しています。結構、守備範囲が広いので、絵本に大きく時間を割けません。
 とはいえ、子どもたちに関わろうとする学生さんたちに、一冊でも楽しい絵本に出会ってもらおうと、授業の前に絵本を1冊読むことにしています。
 本来の科目の先生というより、絵本の先生と言われるのは嬉しいことだし、授業の前に廊下で会うと、「今日、何読んでくれるの?」と、聞かれるのも嬉しいことです。

 そうなのです。読んでもらうのが好きな人は多いのです。
 お母さんたちと絵本を楽しむ会を続けて来られたのも、本の学習会というより、お母さんたちに絵本を読む会だったからかもしれません。
 読んでもらって楽しかったら、それを貴方に関わる子どもたちにも分けてあげて・・・という思いで、読んでいます。

 今年度、学生さんたちとのやり取りで印象に残るのは、春一番初めに読んだ絵本の主人公の名前をあだ名に付けてくれたことでした。ん?何の絵本かって?3人兄姉の一番末っ子のおちびさんの話。ま、私が単に背が低いからでしょうけど、気に入ってました。
☆写真は、金沢21世紀美術館の壁。

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模索中

         ギネスj
 およそ35年ぶりの夫婦二人の生活です。
 3人の子どものうち、2人は入籍・結婚し、末っ子も東京に一人暮らし。
 単身赴任、海外留学、海外ホームスティ、一人暮らしなど、私以外は、みな一年以上、家を出た経験があります。
 家を守ってきたというのか、他を知らんというのか・・・
 ま、とりあえず、注文し過ぎの野菜、大盛りのおかずに、四苦八苦しながら、ボソボソボソと夫婦二人の食事です。

 加えて、昨秋に車を手放したので、送り迎えの仕事から解放!
 今まで、人が集まって晩御飯を食べても、アルコールの乾杯に参加できませんでしたが、最近は、みんなと一緒に乾杯できるようになったのが嬉しい。
 それに、晩酌もできるようになりました。といっても、うちには、ワイングラスしかないので、せいぜいワインや冷酒を1-2杯。今やワイン売り場も720mlの清酒売り場も充実しているのを発見し、今までとは違ったトピックが夫婦の間に生まれました。

 それにしても、2人鍋の美味しくないこと。みんなでお鍋つついて美味しいのは、あの「ワイワイがやがや」が、いい出汁になっていたのですね。

☆写真は、英国ファリンドンのパブ。

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ゴリオ爺さんとロメオとユリア

ヴェンゲン虹j
(承前)
 「世界の十大小説」でサマセット・モームのいう最後のところ、
≪・・・・偏見に従って、色をつけて、しばしばけばけばしい色をつけて眺めるのだった≫ 
 そうそう、わかる、わかる。
 そうなのよね、味の濃いものについつい惹かれるように、けばけばしい色に惑わされ、読んでしまうのが、バルザックなのでしょう。きれいごとじゃない、心の奥にある偏見を、ほーれ!と書いている。

 が、バルザック「ゴリオ爺さん」を読んだ後で、スイスの作家ケラーの 「村のロミオとユリア」 を読み始めたら、そうそう、この清々しさが読みたかった。パリのドロドロも面白いけど、やっぱり疲れるわ。同じドイツ語圏オーストリアのシュティフターが恋しかったんだよぉ。

 ただ、「山のロミオとユリア」も清々しいのは初めだけで、ご想像通り、両家の対立の半端ないこと。村の暮らしもパリの暮らしも、同じか?などと思う間もなく、また初々しい二人が登場するものの、最後は「ロミオとジュリエット」のように悲劇。(ただし、シェイクスピアほど、混みいってません)

 それに、「ゴリオ爺さん」と比べるのもおかしいけれど、確かに「ゴリオ爺さん」のほうも悲劇といえば悲劇だし、金銭にまつわる嫌らしさという点でも共通しているといえば、共通しているものの、「ゴリオ爺さん」の最後で、ウージーヌがリベンジを誓うところなんぞ、やっぱり「人間喜劇」の一冊だと思えます。虚栄を皮肉る。それって、ちょっと笑える。人間て馬鹿ですね・・・って。

*「ゴリオ爺さん」(バルザック 平岡篤頼訳 新潮文庫  高山鉄男訳 岩波文庫)
*「世界の十大小説」(モーム 西川正身訳 岩波文庫)
*「水晶 他三篇―石さまざま」(シュティフター文 手塚富雄、藤村宏・訳 岩波文庫)
*「村のロメオとユリア」(ケラー 草間平作訳 岩波文庫)
   ・・・・・・この草間平作という人、この話を東大法学部の学生の時、有り余る時間を十分にかけて、楽しみながら、苦しみながら訳した。とありました。それにしては、こなれた訳で読みやすい。で、この人は?と調べると、ああ、また奥が深かった。

☆写真は、スイス ヴェンゲンの谷合にかかる虹

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バルザックさん

              バルザックj
 (承前)
 バルザック「ゴリオ爺さん」を読みました。
人が(カタカナの名前の人)、次々出てくる前半は、これだれ?こっちは名前でこっちは苗字?など、よろけながら、しがみついていきましたら、悪党が悪党らしくなってくるところから、あるいは、これって、主人公は、ゴリオ爺さんと違って、青年ラスティニャックと違うん?と読みだしてから、やっと、面白くなってきました。(まず、新潮文庫で読みました)

 ま、どろどろのパリの社会。その裏。立身出世の光と影。何が愛で、何が慾なのか。登場人物が多い分、わかりだしたら、それぞれの絡みが面白くなってくるのです。
 ゴリオ爺さんみたいな人いるかなぁ?現在ならいないよなぁ?当時も、いないと思うなぁなどと考えるものの、ラスティニャックみたいな青二才いるよなぁ、現在でもいるよなぁ、もっとひどいよなぁ・・・

 バルザックの「人間喜劇」は90篇の長短編からなる壮大なシリーズで、その中心的存在が「ゴリオ爺さん」だといいます。ゴリオ爺さんの長い長い舞台セリフのような終末の言葉も気合が入っています。
 
 ともあれ、上の写真、ロダンの作ったバルザック像を見てもわかるように、バルザック自身が人間喜劇の本当の中心に居たような自信満々の俗まみれの人だったらしいのが、また面白い。
 だいたい、オノレ・ド・バルザックの「ド」って、貴族なのかと思うけど、自分が勝手につけた本名バルサさんだというから、かなりの慾と上昇志向なのがわかります。しかも、バルザック・ダントラーダという古い家柄の紋章の入った金銀器を集めていたなんて知ると、大きい体で小さいことと、思うのです。ははは、世界の文豪になんて失礼なこと。

 サマセット・モームは、「世界の十大小説」の「バルザックと『ゴリオ爺さん』」の章で、こう書きました。
≪…バルザックこそ、私が躊躇なく天才と呼びたいただ一人の小説家である。・・・・・天才と才能とではまるで違う。才能を持った人は沢山にいる。才能は稀ではない。だが、天才は稀である。才能は器用で手際がいい性質のもので、生まれてからあとでも身につけることができる。ところが、天才は生まれながらのものであって、しかも不思議なことに、重大な欠陥と結びついている場合が多い。・・・・・バルザックが持っていたのは、まさにこの想像力による創作をなし得る本能的な能力にほかならない。・・・・・リアリストではなく、ロマン主義者であったので、人生をあるがままに眺めないで、同時代の人々と共に持っていた偏見に従って、色をつけて、しばしばけばけばしい色をつけて眺めるのだった。≫(続く)

*「ゴリオ爺さん」(バルザック 平岡篤頼訳 新潮文庫 高山鉄男訳 岩波文庫)
*「世界の十大小説」(モーム・西川正身訳 岩波文庫)
☆写真は、パリ ロダン美術館の庭にあるバルザック像

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本 読んでないなぁ

ハムステッドj
 かつて、ディケンズ講読の聴講生として女子学生に混じって座っていた頃、今の若いもんは、本 読んでないなぁなどと偉そうなことを感じていたら、教授が、「ところで、カ・リ・リ・ロさんは、サマセット・モームの『人間の絆』は読んだかね?」  
 がーん!!読んでなかった。で、慌てて読んだら、こりゃ、面白い。これは、世界十大小説に入るやん・・・と思ったら、
 「世界の十大小説」は、サマセット・モーム自身が書いていて、この「人間の絆」は入っていませんでした。(もちろん、私自身の十大小説には入ります。)

 そのあと、「月と六ペンス」「夫が多すぎて」「サミングアップ」「お菓子とビール」「短編集」」「アシェンデン」(以上岩波文庫)「昔も今も」(ちくま文庫)と立て続けに文庫本を読み漁りました。(挫折したのもあったけど、また、読み返したら、ここに書こう。特に面白かったのは「夫が多すぎて」)

 それで、 「世界の十大小説」 (かつては、岩波新書で出ていましたが、現在は、岩波文庫)も、大昔に読んだままで、やっぱり読み返さなくちゃと思っているうちに、またまた月日が流れ・・・

 ああ、目次を見ると、「高慢と偏見」「ディヴィッド・コパーフィールド」「嵐が丘」「白鯨」しか、ちゃんと読んだ記憶がない!「赤と黒」「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」は、たぶん、挫折したんじゃなかったか?確か「赤と黒」は、末っ子に強く薦められたものの、再挫折。同じく、強いお薦めのあった「ボヴァリー夫人」「ゴリオ爺さん」にいたっては読んでもいなかった。(続く)

*「人間の絆」(上中下) (モーム 行方昭夫訳 岩波文庫)
*「世界の十大小説」(上下)(W.S.モーム 西川正身訳 岩波文庫)
*「月と六ペンス」(モーム 行方昭夫訳 岩波文庫)
*「夫が多すぎて」( モーム 海保眞夫訳 岩波文庫)
*「サミングアップ」(モーム 行方昭夫訳 岩波文庫)
*「お菓子とビール」(モーム 行方昭夫訳 岩波文庫)
*「モーム短編集」(上下)(モーム 行方昭夫編訳 岩波文庫)
*「アシェンデン」(モーム 中島賢二 岡田久雄訳 岩波文庫)
*「昔も今も」(サマセット・モーム 天野隆司訳 ちくま文庫)
☆写真は、ロンドン ハムステッドの路地

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錦市場の若冲

錦j
 京都文化博物館に行くときはいつも、錦市場の西端(高倉入口)を横に見て北上するコースなのに、今回まで、写真のような若冲の幕がかかっているのに気づきませんでした。
 この幕の下に、若冲の描く鶏の絵のモニュメントもあるものの、狭い道にもかかわらず車の量が多いので、うまく写せません。この辺り、老舗やなんだか面白そうなお店が、たくさんあって、楽しいのですが、いかんせん、車が多い・・・
 
 錦市場のホームページを見るとこの幕やモニュメントは2013年に設置されたこと、また、若冲が青物問屋の主人として残した仕事とともに、その青物を描いた作品についても少し紹介されています。

 さて、アーケードを歩くと、アーケードの中にも、垂れ下がっています。大阪天神橋筋のアーケードも華々しく飾られていますが、錦市場は、若冲を前面に押しています。ただ、それに目を留めるより、みんな、右左とお店を伺うのに忙しいのだけれど。
 また、安全なアーケードの中は、行くたびに、若い人が入りそうな小洒落た新しいお店や、立ち食いできる店が増えています。観光地としての市場と地元の食材市場としての共存。市場が生き抜く知恵とはいえ、ここでしか見ない食材に出会える機会が減るのは、寂しいなぁ。

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寒山拾得

寒山拾得j
 千總のように老舗でなくとも、あるいは、さらに系図をたどることができるおうちでなくとも、京都に古くからお住いのおうちには、いろんなお宝があるのだと思います。
 古いものに囲まれて大きくなる京都の人は、日本の古き良きものを、愛する心が他より育ちやすいかもしれないと思います。季節感も大切にしているのを感じます。

 以前、古筆のお稽古に通っていた祇園のお茶屋さんには、いつも季節の花が生けられているだけでなく、掛け軸、器・・・季節感満載でした。ま、ここは、客商売ですから、当然と言えば当然の設えかもしれません。が、お稽古の場を先生のおうちに替えても、やっぱり、お玄関の花と掛け軸は、季節や、そのお稽古のテーマに沿ったものになっています。

 写真は、先生の所蔵する仙厓「寒山拾得」。この絵が掛けられる半月前、細見美術館で「仙厓と鍋島」展に行った話をしたら、所蔵の仙厓を見せてくださったというわけです。巻物を手にする寒山は何か天を指し、箒を手にする拾得は、何故か下を向いています。さあて、天や月という字は読めるものの、この禅図の示すものは??

 加えて、表具の生地にも目が行くようになったのは、こんなに間近で鑑賞できるようになってからです。紙を留めている「一文字」というところに注目!紺地に金のゼンマイ。おしゃれでしょう。

 古筆のお稽古と言っても、相変わらず読めない書けないのままだし、いいお声にぐっすり眠り込んでしまうものの、古筆の周りに楽しみを見つけられるので、今しばらく通います。

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京都老舗の文化史展

       円山応挙j
   「千總460年の歴史―京都老舗の文化史」展が京都文化博物館で開かれています。(途中入れ替えで、~2015年2月11日:第二会場の千總ギャラリーは2015年1月20日~2月11日)

 1555年に法衣業を創始し、今に続く老舗の歴史展ですが、パリ万博の時の写真を含め、当時の下絵、当然、さらに古い友禅の振袖や刺繍など、丁寧な仕事の紹介・展示されています。
 円山応挙の「写生図鑑」と「保津川図屏風」がありました。(神坂雪佳「元禄舞図屏風」は、後半展示)
 八曲一双の大きな「保津川屏風図」は、すべてを並べてこそ、「おお!」と上流から下流に至る水の勢いがわかります。「写生図鑑」に描かれるように、丁寧なスケッチが、大胆な水の流れにも生かされています。また、ちょっと離れて見ないと、全貌がわからない。
 こんな大きな屏風、飾る場所があり、多分、季節によっては 別のものを出していた邸宅。老舗とはいえ、持つべきものは持っていたんですねぇ。
☆写真は、「千總460年の歴史展」の案内紙。一番上が円山応挙「保津川図屏風」その下神坂雪佳「元禄舞図屏風」
 

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摘み続ける努力を

ふじさんjj
 2015年で戦後70年ということを踏まえ、「今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たちがみな、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。」という文書が昨秋、新聞記事になりました。(2014年10月20日 日経)
「摘み続ける努力を」・・・いい言葉だなぁと思い、記事を切り抜きました。

15年ほど前、家族5人でパリに行ったことがあります。
帰りの飛行機を待つシャルルドゴール空港で座っていたのは、まだチェックイン前のベンチでした。
何度か、アナウンスが流れましたが、よくわからん我々でした。
すると、階段を隔てたちょっと離れたところのベンチ席の人々が移動し始めました。
人けのなくなったベンチに一つの小さなスーツケース。
近くには、ロープが張られました。物々しい出で立ちの人たちが増えました。(もともと、シャルルドゴールには武装した人たちがいました。)
しばらくすると、スーツケースに何かつながれました。ボン!
白い煙と、匂い・・・空いたスーツケースから、衣服が溢れました。
一気に、周りの空気もほぐれ、係り員は、その荷物を運んでいきました。

 それだけです。
 昨今のパリの騒ぎを知り、あるいは、地球上で起こっているたくさんのことと、その火種を思うと、「争いの芽を摘み続ける努力を」、世界中ですることの難しさと大変さを考えます。
☆写真は、今年の富士山。(撮影:&Co.To)

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まどそうじやのぞうのウンフ

まどj
(承前)
 「せきたんやのくまさん」は、声に出して読むと、一段と楽しさの増す一冊です。
同時に購入したと思える「まどそうじやのぞうのウンフ」は、子どもたちによくわかる絵本の1冊なのに、長らく書店でも図書館でも見かけません(書庫にはあるようですが)。

 「せきたんやのくまさん」のシリーズも、この「まどそうじやのぞうのウンフ」もお仕事をする絵本です。
 しかも、「窓掃除」のお仕事を象の鼻から水をふきかけてするなんて、わかりやすい!
 エッツの絵本「もりのなか」で、象が水浴びをし、ライオンが髪をとかしたら、《ぼくの散歩》についてくるように、象の鼻をホース替わりとして使うなんて、納得!

 しかも、この絵本の始まりは、無駄がなく子どもにわかりやすい。
≪ぞうのウンフは、まどそうじやでした。ウンフは、あおいふくをきて、ぽちぽちのついた スカーフを くびにまいて、あかいサドルの3りんしゃを もっていました。≫
 
 じゃあ、象の窓掃除屋さんが来たことをお客さんに知らせるのはどうするか?3輪車についている「大きな銀色のベル」を鼻!で鳴らして知らせるのです。うーん、わかりやすい。そのページの絵は、ウンフが3輪車のベルを磨いている絵です。足元には、シルバーボリッシュ(銀磨き)がありますから、3輪車のベルは銀?あるいは、銀メッキ?

 それで、3輪車のサドルの下に水を入れたバケツを下げ、仕事にでかけ、その水を鼻で吸い込みお客さんの窓に吹きかけ、ふき取るといった仕事内容。
 で、ここでまたもや納得するのが、なくなったバケツの水の補充。そのお客さんの家で、次に使う水を入れてもらうのです。うーん、合理的!

 そして、最後。
≪たまごを ひとつ ゆでて、ごはんに しました。≫の絵は、もちろん、子どもたちの好きなゆで卵。もちろん半熟のはず。スプーンが添えてありますからね。

*「まどそうじやのぞうのウンフ」(アン・ホープ作 エリザベス・ハモンド絵 石井桃子訳 福音館)
*「せきたんやのくまさん」(フィービ&セルビ・ウォージントン文絵 石井桃子訳 福音館)
*「もりのなか」(エッツ作 まさきるりこ訳 福音館)
☆写真は、英国 ファリンドンで食べたアップルクランブル、カスタードクリーム添え(あまーい!!!)が写っています。

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絵を見ればわかる

くさかりきj
 (承前)
 「せきたんやのくまさん」のシリーズは、読者へのお楽しみがたくさんあるので大好きです。文に書かれてなくても絵を見ればわかることがたくさんあるのです。

 せきたんやのくまさんは家に帰るとお茶を飲み、絵本を見、一人でねまきに着替えて眠ります。さて、うまもうまのお茶を飲み・・・とまでは書いていますが、うまさんが家に帰ったら、しっぽの赤いリボンは、どうなっているでしょう?

 「せきたんやのくまさん」のシリーズのことは、かつて海ねこさんにも書かせてもらっているのですが、視点を変えるとまた違った楽しみが見えてきます。
「せきたんやのくまさん」の移動手段は、馬さんと荷馬車。
「うえきやのくまさん」は、赤い手押し車。
「ゆうびんやのくまさん」は、自転車。
「パンやのくまさん」は、車。
「ぼくじょうのくまさん」に至っては、なんと!トラクター!
(参考までに「まどそうじやのぞうのウンフ」は赤いサドルの三輪車。)

 幼い子どもの身近な乗り物、憧れの乗り物。「せきたんやのくまさん」が1948年作で、「ぼくじょうのくまさん」が1985年ですから、馬からトラクターへ。 
 とはいえ、乗り物の様子が変わっても、絵の中に描かれている家の中の様子や田園の風景は、今もあんまり変わりないのが、イギリスの楽しいところ。(続く)

*「せきたんやのくまさん」(フィービ&セルビ・ウォージントン文絵 石井桃子訳 福音館)
*「パンやのくまさん」*「ゆうびんやのくまさん」(フィービ&セルビ・ウォージントン文絵 まさきるりこ訳 福音館)
*「うえきやのくまさん」*「ぼくじょうのくまさん」 (フィービ&ジョーン・ウォージントン文絵 まさきるりこ訳 福音館・童話館)
*「まどそうじやのぞうのウンフ」(アン・ホープ作 エリザベス・ハモンド絵 石井桃子訳 福音館)
☆写真は、英国ケンブリッジ構内で芝刈りをする「うえきやのくまさんおじさん」

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せきたんやのくまさんのうまさん 

             せきたんj
 アイスランド映画「馬々と人間たち」で「せきたんやのくまさん」を思い出し、この小さな絵本を引っ張り出してきました。
 「せきたんやのくまさん」のシリーズは、今や「うえきやのくまさん」「パンやのくまさん」「ゆうびんやのくまさん」「ぼくじょうのくまさん」の合計5冊が邦訳されているのですが、引っ張り出してきた我が家の「せきたんやのくまさん」は、現在出ているものより一回り小さい。しかも、3人の子どもと楽しんだので、ボロボロ・・・
 長男が1980年生まれで、その時に同じ大きさの「まどそうじやのぞうのウンフ」と同時購入した模様。(こちらもボロボロですが、作者は全く違います。)

 で、年季の入った「せきたんやのくまさん」に居ました。居ました。おしゃれにしっぽを赤いリボンで束ねた、ずんぐりした小型のうまさん。
≪いつものひは、あさごはんがすむと、せきたんやのくまさんは、にばしゃにのって、うまに、「はい!はい!」といいます。すると、うまは、ぱかぱか ぱかぱか あるきだします。≫
≪そこで、くまさんは うまに、「さあ、うちへかえろう!」といいました。すると、うまは ぐるっとまわって、ぜんそくりょくで、ぱかぱか ぱかぱか ぱかぱか、はしりはじめました。ぱかぱか ぱかぱか ぱかぱか!≫

 ああ、この「ぱかぱか ぱかぱか ぱかぱか」を何度読んだことでしょう。
 ・・・・ぱかぱか ぱかぱか ぱかぱか!子どもたちに読むのが、ただ 楽しかった。たぶん。子どもたちも、ただ、楽しかった。 (続く)
*「せきたんやのくまさん」(フィービ&セルビ・ウォージントン文絵 石井桃子訳 福音館)
*「パンやのくまさん」*「ゆうびんやのくまさん」(フィービ&セルビ・ウォージントン文絵 まさきるりこ訳 福音館)
*「うえきやのくまさん」*「ぼくじょうのくまさん」 (フィービ&ジョーン・ウォージントン文絵 まさきるりこ訳 福音館・童話館)
*「まどそうじやのぞうのウンフ」(アン・ホープ作 エリザベス・ハモンド絵 石井桃子訳 福音館) 
☆写真は、ロンドンのホテルの暖炉前。

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映画「馬々と人間たち」で思い出したこと その2

         イケニj
(承前) 
 小柄なアイスランド馬は10世紀以上も原種を保たれている純血馬。そこで思い出すのが、午年に英国ホワイトカントリーで見かけた小柄な馬たち。
  アイスランドは9~10世紀は無人で、その後スコットランドやアイルランドのケルト人たちが移り住んだらしいので、あの英国の馬たちは、アイスランド馬の親族に違いない。どちらも長い歴史を見てきた馬たちだと思うと、遠くを見つめるあのまなざしにも深さを感じます。そして、映画の最後で、画面狭しとばかりに映し出される馬々の今を生きる息吹は圧巻。

 映画の中で、ヨハンナという若い女性が、勇猛果敢に逃げ出した馬たちを引き連れて帰ってくるシーンがあります。きりりと、かっこいい!そこでまたまた、思い出したのが、イケニ族の ブーディカ女王
 
 エンディングロールで流れる音楽も、北欧とはいえ、どこかアイリッシュミュージックに似ている。ケルトっぽい。そういえば、アイルランドの歌手エンヤのCDにブーディカ女王を歌った「ボーディセア」(Boadicea)がありますね。
☆写真は、ロンドン テムズ河畔にあるブーティカ女王像

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映画「馬々と人間たち」で思い出したこと その1

      ひつじj
 午年の内に観たかったのに上映館も少なく上映期間も短く、ひつじ年になって、やっと観ました。観ていたら、いろんなことを思い出しました。
 
 この映画の主人公は、アイスランド馬です。小柄でパカパカ パカパカ・・・安定して走ります。そこで、まず、思い出したのが、 「せきたんやのくまさん」の馬さん。パカパカ パカパカ。

 馬さんの優しい目・・・人類をずっと魅了し続けてきたんだとわかります。なんでも知ってますよと、静かに佇む馬さん。
 ストーリーは、アイスランドの谷間という厳しい自然の中で「男と女と馬の数だけ愛の物語が生まれる」という広告の文言通り、予測しがたい展開、可笑しく哀しいユーモアが溢れます。

 こんな映画、昔も見たよ、と、思い出しました。そう、アイルランドの村の英国映画「ウェイクアップ!ネッド」これも、寒村の人々の可笑しくて哀しいユーモアが溢れていた・・・
 これら二本の映画、貧しさや自然の厳しさなんか吹き飛ばす大らかな人間の営みの映画です。それに今度は、馬さんが加わっています。

 画面いっぱいに映し出されるアイスランドの大自然。そこを駆ける馬々。思い出した!モンゴルの風景のこんな映画あった・・椎名誠監督の「白い馬」。ナランて男の子、可愛かったなぁ・・・「スーホの白い馬」の話が出てきていた。(続く)

*「せきたんやのくまさん」(フィービ&セルビ・ウォージントン文絵 石井桃子訳 福音館)
*「スーホの白い馬」(モンゴル民話 大塚勇三再話 赤羽末吉絵 福音館)
*「ナランー草の国の少年たち」(椎名誠 文・写真 新潮文庫)
☆写真は、英国オックスフォード テムズ流域

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文を書きたい人

                  打出分室j
 街の大きな書店に行くと、こんなに本が出ているのかと、いつも驚きます。文庫や文芸の売り場辺りしかうろうろしませんが、文を書く人がこんなに多いのかと思います。
 もちろん、新訳や新版の古典と呼ばれるものより目につくのは、こんなんしらんかったという作品や作家たちがあふれていることです。個人的に、もの知らずとはいえ、ともかく、ようさん(たくさん)ありますねぇ。

 それに、本にならずとも、文章表現媒体が数多くあり、文を書く人、書きたい人の多さがわかります。

 書くのが好きだといっても、備忘録であり、読書感想文であり、個人アルバムの拙ブログでさえも、少しは下調べもし、全体の流れを考え、写真の使い方や並べ方を工夫し、少々労力を必要とするのですから、本にするなんて、さぞや・・・・

 コメント欄もなくカウントもしない一方通行の拙ブログながら、どこかで誰かとつながっていたら、嬉しいなぁ。と、思いながら、文を書いています。たまには、どうつながっているかも知りたいけれど…

☆写真は、小川洋子「ミーナの行進」(中央公論新社)や村上春樹「風の音を聴け」(講談社)に出てくる図書館分室。新館ができるまでは、この蔦の絡まる古い図書館が本館でした。

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圧力鍋

水仙j
 圧力鍋で黒豆を炊くだけでなく、友人に教えてもらって、ご飯も圧力鍋で炊くようにし始めました。老夫婦二人のご飯なら、蒸らす時間を入れてもおよそ15分もあれば食べられるし、なんだか同じお米でも、もちもちもち。

 その勢いで、昨日は七草粥を作り、あっというまにお正月が過ぎたなぁなどと思っていたら、娘からメールが・・・「七草粥食べたよ!」
 そうかぁ・・・ちょっと嬉しい。別に、個人的な風習でもなんでもないのに、ちょっと伝わったものがあったかもと、ほっとしました。
 彼女も圧力鍋で作ったんだろうか?それとも、あの上等のお鍋で、コトコトコト?今度会ったら、聞いてみよう。

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黒豆

黒豆j
 どこのおうちでも、気合の入るおせち料理があるかもしれません。我が家は黒豆。
 母は豆類が好物だったので、お正月の黒豆に、本気で取り組んでいたのが、よくわかりました。
 今や、我が家も黒豆には力が入ります。といっても、賢い圧力鍋のおかげで、コトコト何時間も火を入れなくて済むのがらくちん。
 黒光りのために入れるさび釘が、見つからなくなってきていたので、数年前からは、市販の鉄の小片(卵の形をしています)を入れています。
 そして、出来はどうかと、お鍋を早く覗きすぎて、失敗しないように、ぐっと気持ちを押さえて、丸一日、ふたを開けずにそのままに。
 で、次の日、味見をするときの嬉しいこと!パーフェクト!!!
 
 写真には、写りを考えて、和栗も入れていますが、市販の甘煮は甘すぎて、我が黒豆と一緒に食べると、黒豆の上品な甘さが損なわれるので、写真以外は、黒豆だけで賞味しました。 

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あけましておめでとうございます

           謹賀新年j
 元旦の朝は、まだ晴れていて、ご近所に初詣に出かけたら、すでに長蛇の列。
 今年もよろしくお願いします。

お正月jj

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