みんなみすべくきたすべく

フィクション部門

中之島秋バラ紫j
 ルドウィッヒ・ベーメルマンスの絵本「マドレーヌ」シリーズ(瀬田貞二訳 福音館)、クリント・イーストウッド監督映画「ジャージー・ボーイズ」と明るいもの続きの後、こんなに暗いものを書くのも、切り替えが大変…とはいうものの、この三部作については、必ずや書き残さなくちゃ・・・

 映画「悪童日記」に行くか「ジャージー・ボーイズ」に行くか、少々迷った末、原作を先に読んで、その重さに耐えかねていたので、楽しそうな「ジャージー・ボーイズ」に行った次第です。

「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」 (アゴタ・クリストフ 堀茂樹訳 ハヤカワepi文庫)

 こんなに読みやすい翻訳の小説はなかなかありません。
 内容は、悲惨で、かなりエグイ。特に、淡々と事実だけ書いていく手法の「悪童日記」は、人間の根源に迫ろうとする作家の表現だとはいえ、かなりの迫力。この「悪童日記」だけを映画にしたようですが、この内容をどうやって映像に残すのかに興味があったものの、もう読むだけでげっぷが出そうでした。十分でした。 【ただ、この映画がPG-12指定(小学生以下は保護者同伴が望ましい作品)で、先日の「ウィークエンドはパリで」と同じなので、実際には、どうなのかはわかりません。】

 先日のC.S.ルイスの「悪魔の手紙」を「ノン・フィクション部門」に書いたのが、少々おかしいように、この「悪童日記」他二冊「ふたりの証拠」「第三の嘘」を「フィクション部門」に書くのも、もしかしたら違うのかもしれません。
 というのは、この話で描かれる架空の場所で、架空の人物たちに起こった多くのことは、第二次世界大戦の下、作者の生地ハンガリーで、戦争という蛮行の結果から生まれたのだとしたら、この三部作は「ノン・フィクション」という部分を持つ「記録」ともいえましょう。(続く)
☆写真は、大阪 中之島秋バラ。

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映画「ジャージー・ボーイズ」

中之島秋バラビルj
(承前) 
 クリント・イーストウッド監督「ジャージー・ボーイズ」は、1960年代のフォー・シーズンズの歌が満載の映画です。
 といっても、ビートルズ以前のヒット曲なので、リアルタイムで楽しんだわけではありません。軽い感じのなじみやすい曲が多いので、たくさんの人がカバーし、その何曲かは、たくさんの人が耳にしていると思われます。特に「君の瞳に恋してる(〝Can't Take My Eyes off you")」や、「シェリー」は、知ってる人が多いはず。

 「アメリカンドリームの栄光と影」あるいは、「アメリカ不良少年サクセスストーリー」と片付けしまうには、あまりに面白い映画でした。
 二時間以上の映画でしたが、あっという間!長くても足にしびれは来ません。なぜなら、座席で足踏み鳴らしているから。
 ただ、気を付けないといけないのは、できるだけ、すいた時間で隣近所が空席の頃がいいと思われます。鼻歌歌ってしまうから。

 ボーカルのフランキー・ヴァリを演じるジョン・ロイド・ヤングの美声。この人、舞台版ミュージカルの「ジャージー・ボーイズ」を演じた人だそうです。キュート!そのお声に、うっとり。
 最大の見せ場で「君の瞳に恋してる」を歌ったときなんか、感動して、ちょっとうるうる。WEBで本家のフランキー・ヴァリと聴き比べてみましたが、もしかしたら、映画のジョン・ロイド・ヤングの甲高すぎない声の方が好みかも…

 うるうるしたあと、エンディングロール、出演者で踊って歌う「シェリー」。
 劇場を出た後も、足取り軽く、若造の若造のための唄みたいな「シェリー」のメロディが、シニア料金対象者の頭の中でぐるぐる。
 単純なものですから、映画「レ・ミゼラブル」のときも、映画「マンマ・ミーア」のときも、しばらく、映画の曲がぐるぐるぐるしてましたねぇ。今なんか、フランキー・ヴァリ&フォー・シーズンズのYouTube聞きながら、これを書いているという始末。
 うーん、もう一回見たいくらいです。

☆写真は、大阪中之島のバラ園の秋バラたち。今を盛りと咲いています。

            中之島秋バラj

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目でお話を考え、色でお話を描いた

ニュージャージーj
(承前)
  瀬田貞二は、「絵本論」(福音館)に、ルドウィッヒ・ベーメルマンスは、≪一面すぐれた随筆家としても有名で≫とし、そのエッセイ『お父さん』を一部載せています。
 これは、ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノの書いた「ベーメルマンス マドレーヌの作者の絵と生涯」 (福本友美子訳 BL出版)」の中にも載っています。(『お父さん、大好きなお父さん(1953年「科学と人間」より)
≪・・・「パパは、絵で考えるんだ。だって目に見えるものは全部絵だもの。・・・・楽しい夢ならたいてい色がついているよ。・・・・ああ、絵をかくほうがいいね。文を書くのは骨が折れる。」・・・≫

 確かに、ルドウィッヒ・ベーメルマンスの作品は、≪目でお話を考え、色でお話を描いた≫(瀬田貞二「絵本論」)、楽しい夢の延長にあるように思います。どの作品ものびのびと明るい。

 リリアン・スミスが指摘した≪・・・ベーメルマンスが『マデライン』のなかで、色を使って描いたパリの画は、気楽な、別に深刻味のあるものではないが、一人ならず本格的な画家――たとえば、ヴラマンクのような人の影響を示しているとはいえないだろうか。・・・≫という箇所とも重なります。確かにヴラマンク前半のエネルギッシュな絵の雰囲気と明るさとつながるのです。(拙文「ヴラマンク」の項

  さて、写真は、「ベーベルマンス―マドレーヌの作者の絵と生涯」(ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ著 福本友美子訳 BL出版)です。上は、表紙カバー。真ん中に広げているのは、「ニュー・ジャージ州の湿原から見たエンパイアステイステートビル」(油彩)1959年作。そのノート走り書きには、こんな言葉が、
≪ニュージャージー州の橋を書く――ここでは躍るような色彩にいつも魅了される。輝き、紫、そして夜になると藍色の染料の海があふれだすようだ――太陽がしずむほんのつかの間――それに抵抗する物体――建設中の橋――上に道路が通る橋――空が最後の輝きを見せ、やがて消え――真っ暗な夜になる。≫
  この絵をルドウィッヒ・ベーメルマンスが描いた頃、ニュージャージーには、その後すぐ、アメリカの音楽界をリードするグループがいました。ジャージー魂を持つ青年たちでした。(続く)

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物語が絵から発酵してくる

ホワイトワインj
(承前)
 「ロンドンのマドレーヌ」(江國香織訳 BL出版)は、作者ルドウィッヒ・ベーメルマンスが亡くなる前年、1961年に出版されたものです.
ルドウィッヒ・ベーメルマンスの死後、孫のジョン・ベーメルマンス・マルシアーノが祖父ルドウィッヒの「マドレーヌ」の描き方を踏襲しつつ、「マドレーヌとローマのねこたち」「マドレーヌとパリのふるいやしき」など数冊(江國香織訳 BL出版)を編集・出版しています。

 ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノのマドレーヌは、アニメーションとしても活躍しているらしく、祖父の描いたマドレーヌより、お目々がくりくりになっています。「ロンドンのマドレーヌ」が「マドレーヌといぬ」より、少々ラフな描き方になったのと違った意味で、ラフな絵に。

 四冊のマドレーヌ(「げんきなマドレーヌ」「マドレーヌといぬ」「マドレーヌといたずらっこ」「マドレーヌとジプシー」福音館)の訳者瀬田貞二は「絵本論」 (福音館)の中で、≪ルドウィッヒ・ベーメルマンスの描いた四冊のマドレーヌの絵本を、見るたびに、純度の高い果実酒をのみほすようなすがすがしい気持になります。そうとしかいえないのは、いつもいつも楽しく酔わせるような陽気な活気があって、それがみな闊達自在な絵から物語を発酵してくるためでしょう。物語が絵から発酵してくる例は、そんなに多くありません。≫としています。

 この二代にわたって書き続けられている今年75周年のマドレーヌという絵本を並べて眺めると、新しいマドレーヌの絵本たち(ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ作)は、おじいちゃん(ルドウィッヒ・ベーメルマンス)の描いたマドレーヌの遠縁のマドレーヌにしか見えなくなります。

  とはいえ、 ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノの書いた「ベーメルマンス マドレーヌの作者の絵と生涯」 (福本友美子訳 BL出版)という本は、絵だけでなく、手紙などの資料も多く、祖父を愛する孫が生んだ一冊といえましょう。そして、画家ルドウィッヒ・ベーメルマンスの仕事の奥の深さとその実力を知ることのできる1冊となっています。(続く)
☆写真は、スイス レマン湖ほとりニヨン。

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みはりにたっていました

門前の馬j
 ルドウィッヒ・ベーメルマンス(1898~1962)の「マドレーヌ」のシリーズには、パリだけでなく 「ロンドンのマドレーヌ」(江國香織訳 BL出版)という絵本があります。

 ロンドン案内をする絵本なのですが、 「マドレーヌといたずらっこ」 (瀬田貞二訳 福音館)のペピートのお父さんがスペイン大使なのでロンドンに住むという始まりです。巻頭のページを12人の女の子たちが紹介しています。いつもは、マドレーヌ以外の女の子たちの個性がわからないものの、この巻頭では、少しずつ違って描かれているのが楽しい。また、もう一人の主人公の「馬」さんが、イギリスと絡むのも楽しい。

 ただ、愛すべきミスクラベルの印象が薄いのは、ちょっと残念だし、もともとラフなタッチの画風なのが、さらにラフ・・・雑な描き方のシーンもあって、それも残念。(続く)

☆写真は、ロンドン ホワイトホールにあるホースガード門前。「ロンドンのマドレーヌ」では、マドレーヌとペピートが、馬に乗って、≪みはりにたっていました≫のシーン。

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おとしもの絵本

ボストン公園の人たちj
(承前)
 バーバラ・マクリントックの絵本は福本友美子訳で、複数の出版社からたくさん出ています。「12種類の氷」(エレン・ブライアンオベット文 バーバラ・マクリントック絵 福本友美子訳 ほるぷ)のイラストも手掛けています。

 シモンのおとしものはパリの話でしたが、 「シモンのアメリカ旅行」という続編も出ています。今度は、アメリカ各地で落とし物をする話です。が、旅行先が、アメリカ全土にわたっていて、個人的にアメリカ全土になじみが少ないので、パリでの落としものの方が楽しめました。二冊とも、落とし物探しは、なかなか難しく侮れません。

 加えて、パリの「シモンのおとしもの」は、みんながそれぞれのヒントを見せながら、シモンの家まで届けてくれるのですが、アメリカ旅行の方は、一緒に行ったおばさんの家にすべて郵送されるという展開。おばさんの家の住所、みんな知ってたの?ということも含めて、無理があるんじゃないかと思います。

 とはいえ、巻末の解説を読むと、各シーンには、アメリカ人の子どもに知ってほしい地歴情報があり、浅学のおばさんにも勉強になりました。

☆写真は、シモンがふでばこを落としたボストン公園。「かもさんおとおり」(マックロスキー 渡辺茂男訳 福音館)にも、この写真と似たようなシーンが描かれています。(撮影:&Co.T1)

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パリのお菓子屋さん

          ノートルダム正面j
(承前)
 「マドレーヌといぬ(ルドウィッヒ・ベーメルマンス作画 瀬田貞二訳 福音館)は、1951年の絵本ですが、バーバラ・マクリントックが2006年に描いた「シモンのおとしもの」 (福本友美子訳 あすなろ書房)にも、パリが描かれています。
 こちらは、ご丁寧にパリの地図のみならず、各シーンの場所の説明まで巻末についています。
 
 シモンが家に帰るまでに、いろんなものを落として帰るのですが、その落とした場所が、よーく見ると、細かいながらも、描かれているので、「どこに落としたん?」と探す楽しみのある絵本です。お話を楽しむというより、絵から答えを探す一冊です。また、パリに行ったことがある人には、シモンの落とし物を探すとともに、その場所がどこかを思い出す絵本でもあります。

 ルーブルやノートルダムはよくわかるのですが、個人的に、「ここ、行ったことある!」と、嬉しかったのは、シモンがカバンを忘れてきたお菓子屋さんでした。ルーブルのすぐ近くのお菓子屋さんで、ここの喫茶コーナーで、家族で休憩し、とても美味しかったので、日本に帰る日に、もう一度、持ち帰る分を買いに行ったお店でした。「シモンのおとしもの」の解説によると、≪1870年代初頭からキャンデー・ケーキ・マジパンなどを売っている。≫とありました。

 そうだったのかぁ・・・今度行ったら、また行こうと、思って2012年に娘とパリに行ったとき、このお店を探したものの、結局見つけられませんでした。たまたま見つけられなかったのか、改装していたのか。どっちにしても、マクリントックの描いた店内そのままのお店は、今でも懐かしい思い出です。ここでも、エクレア食べたし、かわいい形のマジパ食べたし、ホテルにケーキを持ち帰ったし、ふわふわオムレツも食べたんだ!(続く)
☆写真は、シモンが上着を落としてきた、パリのノートルダム大聖堂。

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パリの絵本

ルーブルからj
(承前)
 映画「ウィークエンドはパリで」は、パリの観光案内映画のようでしたが、絵本にもあります。

 ほら、「マドレーヌといぬ」(ルドウィッヒ・べーメルマンス作画 瀬田貞二訳 福音館)の表紙は、写真に写るポン・デ・ザール橋(芸術橋)と向うのフランス学士院。(写真は、パリ ルーブル美術館から、橋向こうのフランス学士院を望む。)

 「マドレーヌといぬ」の中で、モンパルナスの墓地の絵に、いろんな文化人の名前が描かれているのを面白く思っていました。そうしたら、映画「ウィークエンドはパリで」でも、サルトルやボードレールやベケットの墓をたどり、その詩句をそらんじるシーンがありました。ただの墓地ではなく、人智の凝縮された墓地。

 他に、「マドレーヌといぬ」には、セーヌ河にシテ島、サクレクール寺院にパッサージュ、それにエッフェル塔・・・映画と同じようにパリを巡るのが楽しい。
 また、サンジェルマン・デュ・プレのカフェ ドゥ・マゴも描かれているのですが、ここに家族で行ったときには、子どもたちもみんな大きくなっていたので、絵本の「マドレーヌ」に描かれていたことを忘れて、このカフェで、サルトルたちが議論しあったとか、ピカソたちも来たということしか話題にしなかったことを思い出します。結局、絵本の「マドレーヌ」を思い出したのは、パリの真中にある「マドレーヌ寺院」というギリシャ神殿みたいな建造物を見たときでした。名前が一緒なだけ・・・多分、今は、それも忘れて、その近くの某食料品店での買い物や、某有名カフェでのエクレアの味しか覚えていないだろうなぁ。

 閑話休題。
 ルドウィッヒ・ベーメルマンス作画のマドレーヌのシリーズには、他に「げんきなマドレーヌ」「マドレーヌといたずらっこ」「マドレーヌとジプシー」がありますが、そのどれにも少なからずパリが描かれています。(瀬田貞二訳 福音館)*「マドレーヌとジプシー」にはパリ郊外のフォンテーヌブローのお城まで。(続く)
 

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映画「ウィークエンドはパリで」

              エッフェル塔j
 イギリス映画なのに、パリが舞台。
 イギリス バーミンガム大学をくびになった、堅実で融通の利かないタイプの旦那――ん?どこかにもいる???――と、一見軽はずみに見える、本当は優しい、辛辣な妻――ん?どこかにもいる???――が、結婚記念日に、パリに行って喧嘩、不平不満の言い合いをする映画です。
 
 個人的には、もっと、イギリス映画の匂いを期待していたのですが、そこは、パリが舞台。途中に流れる、バックの音楽の効果もあって、フランス映画のような雰囲気が・・・
 それに、夫婦の服装もイギリスの田舎のインテリご夫婦とは思えないおしゃれなもの。ストールや帽子、小物が小粋。

 ま、テーマはイギリス版「団塊世代の今」 「初老夫婦の積み重ね」ってとこなのですが、パリの景色の素敵なこと。

 息切れしながらたどりついたモンマルトルの丘で、パリを見渡しながら妻は「住むならパリね」とつぶやきます。
 贅沢なロイヤルスィートルームから見えるエッフェル塔。
 いわば、商店街のパッサージュ。
 ただの墓地といえば墓地のモンパルナス墓地。
 昼間は、恋愛成就の南京錠がぶら下がりすぎで、美観が損なわれているものの、夜は一気にロマンチックなポン・デ・ ザール橋。
 おしゃれなカフェやレストラン。
 ロダン美術館にも夫婦は行っています。

 もし、「ウィークエンドは コッツウォルズで」だったら、景色はもちろん、夫婦げんかの厳しさも違っていたでしょうね。パリだから、こんなに剣呑が似合う?(続く)

☆写真は、パリ エッフェル塔

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数少ない務め

向かい合うj

 やっと扇風機を片付け、リビングの椅子に座布団をのせ、足も冷えてきたのでソックスを履き、掛け布団も冬用に。

  さて、掛け布団を替えたら、温かく、ほわほわほわと眠れるのはいいのですが、ふと、夜中に目が覚めて、眠れなくなったときが、いけません。朝方やっと眠れたら、おおおっーと!!!目覚まし止めてた!

 一年を通して、目覚ましが鳴る前に先に止めています。
 眠りがいつも浅く、上質な睡眠がとれているとは思いません。
 朝起きると、首がこっているときもあって、ゆったり眠れているとも思いません。
 ぐっすり、ゆっくり寝たーい。
 思う存分、寝ることのできる夫が羨ましいと、常々思っています。

 ま、春先やこんな季節のいい頃、年に1-2回、寝過ごしても、「たまにやから、仕方ない」と言ってくれる家人に感謝して、数少ない妻の務めを果たすべく、明日から目覚まし時計に負けません!
☆写真は、英国 バスコットパーク。

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思い起こせば

    馬車j

 思い起こせば、30年前、車の免許を取りに行きました。ちょうど30歳なので、年齢分は、費用がかかると言われながら、どんくさいものですから、もっとかかったと思います。

 やっとのことで取得できた免許は、ぜん息の息子のためにとったものです。ゼイゼイ言ってぐったりしている子を、それにしょっちゅう中耳炎で熱を出すような子を、お医者さまに連れていくためでした。その時には、長女も生まれていましたから、車は我が家の脚代わりになりました。
 小さいおもちゃのような赤い軽四でした。

 そのうち、山の上に引っ越すと、駅までの夫の送迎にも、そして、また次女をつれての買い物にも利用しました。
 が、結局、高速道路に乗ったのは、数えられるくらい。
 つまり、近場でウロウロドライバーでした。
 
 するうち、今のマンションに引っ越してきましたら、駅まで平坦だし、距離もまずまず・・・ということで、家人の送迎もほとんどなくなりました。
 車の運転が基本的に好きでない私は、ますます乗らなくなりました。
一家に一台の車なのに、10年で30007キロと少ししか乗ってないことからも、わかるでしょう?
 
 夫は、車の免許を持っていません。独立した長男は、維持費のかかる自家用車を持たず、レンタカー専門。
・・・・ということで、赤い軽四で始まり、白い車、やっぱり赤い車と乗り継いできた車を手放すことに。

 さて、手放す予定の少し前の晴天の朝。燃えないゴミ持ち込み制度を利用するため、海辺の処理場までドライブしたら、目に入る景色がまぶしくて、ちょっと感傷的な気持ちになりました。

☆写真は、ロンドン バッキンガム宮殿 ロイヤルミューズにたくさん展示されている馬車の一つ。

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ノンフィクション部門

                こわいかおj
 今年読んだノンフィクション部門で一番面白かった本のこと書いておかなくちゃ、と思っているうちに、これまた月日は流れ・・・ 作者は、「ナルニア国物語」のC.S.ルイス。訪英前に買って積んでおいた文庫本を電車読書に充てたというのが、実のところです。

 「悪魔の手紙」 (C.S.ルイス 中村妙子 ちくま文庫)
  ただ、この本が、ノンフィクション部門と言い切っていいのかどうか。
  現役を引退した悪魔スクルーテイプがその甥、悪魔の初心者である甥に書いた手紙集という形を取った文だからです。悪魔が手紙を書くのですから、フィクション部門ともいえるものの、背景にあるのは、第二次大戦と ヒトラー。
 
 キリスト教徒であり宗教家でもあるルイスが、悪魔という神とは真反対の存在を借り、手紙という形を取り、悪魔見習いの甥を指導するのですが、言うことは、ことごとく、常識的な思考とは真反対。善が悪であり、悪が善である。

 読みながら、悪魔に加担せぬよう、「・・・といっているのは、・・・・ではないということだから」と、頭の中は、真反対に考え、読み進みます。悪魔が書いた手紙を、そうじゃない、そうじゃないと唱えながら読む面白さ。時々、え?だから?と、悪魔的思考に引き込まれつつも、また頭のいつもとは違うどこかが反応し、ふむふむ、これは悪魔の考えね。と、確認しながら読む作業の面白いこと。倍読んでいる感じなのです。
 もちろん、大真面目に論じている宗教書の類です。これは。
 
 クリスチャンではない私には、こんなに2倍楽しめる人生哲学の本なんて、そうあったものじゃないと感じ、帰国後一気に読んでしまったというわけです。

 ルイスは、「面白い話」を目指していたのか、「なるほど、宗教は深いものだ」と意図していたのか、どっちに近いのでしょう。偽悪ぶって書く手法の究極の人物――悪魔――の姿をとって、キリスト教的宗教観を表した面白さ。

 クリスチャンの中には、この本をふざけてると怒った人もいるだろうなぁ。
 が、クリスチャンでない人が、こんなに楽しんだのだから、狭い了見で、「悪魔の手紙」を読まない方がいいのではないかと。
☆写真の、怖い顔は、多分、英国バスコットパークのお屋敷(だったと思う)。

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物語の始まり

オックスフォード街中j
(承前)
 「トールキンとC.S.ルイス 友情物語 ファンタジー誕生の軌跡」 (コリン・ドゥーリエ著 成瀬俊一訳 柊風舎) には、ルイスとマートン学寮図書館副司書のロジャ・ランスリー・グリーンとの交流についても触れています。グリーンは、トールキンやルイスの開く「インクリングス」の集会にも参加していました。

ルイスは、グリーンに言います
≪「この本がいいものかどうか、私にはわからない。問題なのは――書き続けるべきかどうかということなのだ。知っての通り、トールキンは気に入ってない。私が最初の二章を朗読したら、この物語には同意しかねると、非常にはっきり言ったよ。気に最初の数章を朗読してもいいかね?どう思うか、聴いて欲しいんだ」≫≪・・・そこで、ルイスは彼に後に「ライオンと魔女」*になるであろう物語の最初の三章を読んで聞かせた。グリーンは聞いているうちに、畏怖の念に襲われた――世界で初めて、最も偉大な児童書の一つに耳を傾けていることを、はっきりと感じたのである。・・・・≫

 ルイスは「書き続ける価値が本当にあるかね?」と聞き、グリーンは「もちろんです!」と答えます。そして、ルイスは ナルニアの物語シリーズの第一作の原稿を、グリーンに手渡すのです。
そして、こんなことがある前、第二次世界大戦の頃、疎開児童たちがルイスの家に滞在し、ルイスは一つの物語を書き始めるものの、すぐに投げ出します。それが、以下の書き出しです。
「この本は、アン、マーティン、ローズ、ピーターという名前の四人の子どもたちのお話です。でもほとんどは末っ子のピーターに関することです。子どもたちはみな、突然、ロンドンから疎開しなければならなくなりました。・・・・」

 物語の始まりには、ちゃんと始まりも用意されているのですね。
 ご存知のようにナルニア国の初めはこうですから。
「むかし、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィという四人の子どもたちが、いました。この物語は、その四人きょうだいが、この前の戦争(第一次世界大戦)の時、空襲をさけてロンドンから疎開した時におこったことなのです。・・・・・」(続く)

*「ライオンと魔女」他「ナルニア国物語」(C.S.ルイス文 瀬田貞二訳 ポーリン・ベインズ絵 岩波)
☆写真は、英国オックスフォード市内。

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オックスフォードの学者二人

オックスフォードallsouls colledge j
 この文と次の文は、ブログを書き始めた頃、お友達に本を紹介してもらい、書いていたのですが、先日訪問していたオックスフォード所縁の学者二人、トールキンとC.S.ルイスということで、UPしてみました。

 「トールキンとC.S.ルイス 友情物語 ファンタジー誕生の軌跡」 (コリン・ドゥーリエ著 成瀬俊一訳 柊風舎)
 興味深いタイトルです。「指輪物語」と「ナルニア国物語」。二つのファンタジーの作者が、どう関わり、離れて行ったのか。そして、結びついていたのか。

心に浮かんだ語句や名前から物語を生んでいったトールキン。
想像的な物語はつねに不意に浮かぶ絵から始まったと言うルイス。

 この二人を知るためには、キリスト教の話を抜きにすることができません。それで、宗教心のない、また、深く洞察したことのない者にとっては、読解できず、読み飛ばすような箇所も多かったのは事実です。それでは、二人の関係に迫れません。しかも、巻末のルイスの主要著作リストを見ると、おびただしい数の著作・論文が掲載されています。しかも、その多くが翻訳されています。C.S.ルイスは、「ナルニア国物語」*と、せいぜい「喜びのおとずれ」「子どもたちへの手紙」*など2,3の著作しか読んだことのない者にとっては、ルイスの築いた奥の深い世界に、驚くだけでした。
 反対に、ルイスの書くスピードに疑問を持っていたトールキンは、分野がルイスと異なるとはいえ、掲載されている主要著作の数が違います。「指輪物語」に長い年月、心血を注いだのが、よくわかります。

≪・・・トールキンは、彼がずさんだと考えるやり方でルイスが『ナルニア国物語』を生み出すスピードを不安に思っていた。トールキンは準創造という考え―― 一貫性を持つ想像上の二次的世界を作ること――に導かれ、ルイスよりはるかに長期間をかけて、『指輪物語』に骨折って取り組んでいた。ルイスはファンタジーについての考え方では自分と一致しているように思えるものの、一つの世界としてのナルニアは、中つ国の創造に自分が注いだ愛情に満ちた配慮を反映していなかった。しかも、トールキンは、彼の友人と同じように、大人の読者向けの妖精物語を作る必要性から四苦八苦していた。子ども向けの妖精物語を書くのは尤もなことだが、自分たちの戦いは、本当は大人向けの現代文学としての英雄ファンタジーとロマンスを確立することにあるとトールキンは感じていた・・≫(続く)

*「ナルニア国物語」(全7巻)(C.S.ルイス ポーリン・ベインズ絵 瀬田貞二訳 岩波)
*「喜びのおとずれ」(C.S.ルイス 早乙女忠・中村邦生訳・冨山房百科文庫)
*「子どもたちへの手紙」(C.S.ルイス 中村妙子訳 新教出版)
☆写真は、英国オックスフォード オールソウルズカレッジの日時計(だと思う)。

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古都の知新館

国立博物館j
(承前)
 京都国立博物館の同じ敷地に新しくできた「平成知新館」は、すっきりモダンな建物です。写真上の京都国立博物館本館(明治古都館)ファサード上部装飾を見てもわかるように、博物館本館は、明治とはいえ、歴史的雰囲気漂う建造物です。それと同じ敷地に新館を立てるとなると、そのバランスも難しいはず。

 そんな場所の南門(チケットブース・ミュージアムショップなど)が、モダンで機能的で、すっきりしたのは、数年前のことでしたが、それは、単に、入場口としての機能性を重んじた作りだからかと思っていました。そうしたら、今回「平成知新館」が、その南門の正面突き当りにでき、入場門(南門)と新しい建物の統一性を見ました。建築家谷口吉生が両方の設計者です。

 旧正門の西門の正面突き当りには、博物館本体(明治古都館)、南門の正面突き当りには「平成知新館」ができたというわけです。しかも、その南門は、京都国立博物館の南に位置する三十三間堂の南大門とも一直線で結ばれている設計だとか。京都の町が、碁盤の目のように直線的に成り立ったことを鑑みても、その設計の意図に感心するのです。

 そのうえ、写真下に写る水中の丸い輪は、もともとあった方広寺というお寺の回廊柱のあった位置を示すらしく、水の中だけでなく、通路や床にもその印が見られて、現代の設計が、古いものに敬意を表したのがわかります。
  
 加えて、内部も、日本の大きな美術博物館には珍しく、順路がなく、好きな展示場所に入っていけるのが、ちょっと嬉しい。ロンドンV&Aほど大きくはありませんが、空気が少し似ていると思いました。
 外観も内部も、そして、そのコンセプトも、古都にできた平成の博物館として楽しみなものとなりました。
         知新館水j

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平成知新館

                 知新館j - コピー
 (承前)
 「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展(~2014年11月24日)の開催されている京都国立博物館の同じ敷地に「平成知新館」がオープンし、その記念展「京へのいざない」展(~2014年11月16日)が開かれています。副題に「ズラリ国宝 ずらり重文」とあり、確かに、げっぷがでそうなくらいずらずらずらーっと、日本のお宝が展示されていました。

 今回は、仏像と絵巻と書のところしか見ていませんが、他にも、絵画や小袖や陶器などなどなど、たくさんの京都のお宝が展示されています。

 これから、順次、この博物館所蔵の作品が展示されていくのかと思うと、楽しみが増えました。特に、外国の観光客の人たちには、一堂に会した京都のお宝を、この「平成知新館」で鑑賞できるのは、お得かも?何しろ、列をなしていないので、すぐに入場できるというのがいい。

☆写真、奥の白い建物が京都国立博物館の敷地にある「平成知新館」。正面入り口まっすぐに伸びた道は、さて、どこに?(続く)
 

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鳥獣戯画

すってんころりんj
 「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展(~2014年11月24日)に行きました。京都国立博物館です。2013年に保存修理が完成したそうで、全4巻一挙公開でした。(ただし、前期後期、違う箇所展示)

 絵巻の鑑賞は、みんなじっくり見るので、人がなかなか進まず、混雑するので、朝早く行ったつもりですが、やっぱり、混んでいました。9時半開館で10時に着きましたが、入場制限にかかりました。
 初めの高山寺や明恵上人コーナーは、かなりショートカットして臨んだものの、鳥獣戯画でも一番有名なカエルやウサギなどの出てくる甲巻の前では、また列を作り直し、並んだ末に、やっと、御目文字。

 アニメーションの原点とも言われる、この絵巻、やっぱり、楽しい!なんでこんなに自由で生き生きと描けるんだ?
 金も銀も使っていないけれど、見ているものを惹きつけます。言葉がなくても、絵を見るだけでお話がわかる。うーん、絵本の原点!
 筆一本で描き上げる日本の古い芸術。絵具を重ねる西洋の絵画にはない潔さが、観ているものの心まで解放してくれそうです。描かれたどの顔も可笑しいのは、画家が楽しんで筆を走らせたからだと思います。いやいややらされた仕事にはない、楽しみの分かち合いがそこにありました。
 正式には、鳥獣人物戯画というらしく、鳥獣だけではなく、甲乙丙丁4巻目の丁巻などは、ずいぶん、荒っぽい描き方の人物戯画です。やっぱり、動物たちの出てくる甲巻が図抜けて、巧みで面白い。(続く)
           
          京博カエルj

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思い込み

マダムXj
 (承前)
 思い込んでいました。思い違いも甚だしくてお恥ずかしい。「画家の母の肖像」と、「マダムXの肖像」が同じホイスッラーによるものだと。

 先日、東京の「オルセー展」に来ていた「灰色と黒のアレンジメントNO1 画家の母の肖像」(写真一番下)が、京都国立近代美術館の「ホイッスラー展」に並んでいないのは、会期時期が近いとはいえ、少々寂しいなと思いました。パリでも、ロンドンでも見ているのですが、今回京都近代美術館で展示されている、「画家の母の肖像」とよく似た構図で描かれた「灰色と黒のアレンジメント No. 2:トーマス・カーライルの肖像」が、「画家の母の肖像」と並んで展示されていたら、さらに面白かっただろうと思います。片や、オルセー美術館所蔵、片や、デトロイト美術館所蔵。同じ日本ですれ違い。

 とはいうものの、何年か前ロンドン ナショナルギャラリーでも「ホイッスラー展」をやっていたとき、「画家の母の肖像」と「マダムX」(写真左上)来てたよね。あのインパクトのある「マダムX」・・・・???と、ナショナルギャラリーの過去の展覧会で確認するも、「ホイッスラー展」など見つからない!!!でも、「母の肖像」も「ミセスX」もあったぞ。「もしかして、肖像画展だった?」???

 そこで、「マダムX」のポストカードを裏返したら、え、えっー!これって、ジョン・シンガー・サージェントだったのぉ?そういえば、確かに白のシンフォニーなどと画風が違う!*ジョン・シンガー・サージェントは、「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」を描いた画家じゃないの!!

 勘違いも酷いもんだ。でも、同じ展覧会だった・・・・と思う・・・・ような気がする・・・
 
 今度は、本棚を家探し・・・すると、図録こそないものの、作品リストが出てきました。2006年「パリのアメリカ人展1860~1900」という展覧会に2枚ともあったのでした。
 「ホイッスラー展」などと、一人の画家の作品を集めてきただけの展覧会じゃなかった。その「パリのアメリカ人展1860~1900」には、ジョン・シンガー・サージェントの作品もジェイムズ・マクニール・ホイッスラーの作品も数多く出展されていて、見ごたえがあったと、記憶しているのに・・・情けない。

追記:もっと情けないことに、このブログの「ナショナルポートレートギャラリー」と題した文に、このマダムXの絵ハガキ使って少々の説明まで自分で付けてた!

☆写真、右上「灰色と緑のハーモニー シシリー・アレキサンダー嬢」ホイッスラー作・テート美術館所蔵。1998年神戸に来た「テート美術館展」図録

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ホイッスラー展

 ホイッスラーj
 京都近代美術館の「ホイスッラー展」(~2014年11月16日)に行きました。行ったのは9月で、まだ向かいの京都市立美術館で「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展―印象派を魅了した日本の美」(~2014年11月30日)が未公開の頃だったので、幸いにも混雑していず、そのエッチングの作品を鑑賞するには、ぴったりでした。

  エッチング鑑賞中、「このテムズの連作、いいなぁ。いろんな視点のテムズ川、いいなぁ。ヴェネチアの連作もいいわぁ。画集など、売っていたらどうしよう?買ってしまうやんか!」などと勝手にドキドキしていたのも嘘のよう、絵ハガキですらたった一枚しかなかった。それに、京都近代美術館自体も作品リストを用意していず(WEBでは12ページのPDFファイルになっています)この企画のホイッスラーLOVEを疑いたくなりました。

 好き嫌いは別にして、アメリカ人でありながら、英国で作品を作り、印象派に影響を与えた英国人ターナーとパリ印象派モネの間に位置し、英国ラファエル前派を擁護したラスキンと一悶着起こし、日本の浮世絵やいわゆるジャポニスムから大きな感化を受けているホイッスラーの立ち位置は、面白いもの。案内には「ジャポニスムの巨匠、ついに日本へ」とあります。
 また、作品名に、音楽用語から、シンフォニーだとか、ノックターンだとか、ハーモニーなどと付けているのも興味深いし、複数のトラブルを抱えたような一徹の画家という視点も面白い。

 そういえば、2005年にロンドン テートブリテンで「ターナー・ホイッスラー・モネ展」というのがあって、この三人のロンドン風景の比較、水辺の様子、当時のロンドンの霧が3人に与えた影響など、興味深く面白いものでした。こんな3人展、日本じゃ考えられないなぁ・・・(続く)

☆写真は、「ホイッスラー展」パンフの「白のシンフォニーNO3」左下「ノクターン 青と金色 オールド・バタシー・ブリッジ」これは、歌川広重「名所江戸百景 京橋竹がし」と並んで展示されています。右下エッチング「テムズ連作」。バラの蕾横の小さなマークは、日本の家紋の蝶に似せた、ホイッスラーのサイン。このサインを展示作品の中で見つけるのが楽しかった。

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ロンドンにもロックあるやん!

りとるべにすj
 だらだらと訪英報告を書いていたら、月日が流れ、秋もたけなわ。
 噴火はする、皆既月食はきれいに見える、強力な台風は来る・・・・・・・・・・・・
 アルバムのつもりで、写真の整理していたのが、いけない。もういい加減に英国訪問報告を終わりにします。
 
 とはいえ、ロンドン最後の日に思い付きで行ってみたリージェント運河。
 ロンドンの真ただ中にありながら、リトルベニスと銘打った地域。
 いつか、ここから、ゆっくり、観光船に乗って、カムデンのロックまで行ってみよう!
 自然災害だけでなく、空爆や伝染病や、不穏な事どもが多くて、気楽に行けなくなってきたとはいえ。

☆写真上は、ロンドン、リトルベニス。下は、見やすい時間、見やすいお天気だった皆既月食。
                     皆既月食j2

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ウサギとリスとカササギと

ケンジントンガーデンj
 たった一泊のロンドンながら、朝の散歩は欠かせません。こんな街中の公園にも、いろんな花や小動物。

 写真は、ヘンリー・ムーアの〝The Arch"です。ロンドンケンジントンガーデンズに、こつ然と立っています。この写真には、すごく遠くとすごく近くに、木々や緑や水ではないものが写っています。

 まず、〝The Arch"の脚の間を、ズームアップすると、ほれ。突き当りに見えるのは、ケンジントン宮殿。その前の像は、おお、なんと!ワッツの、≪Physical Energy ≫。この足を上げた馬さんは、ケンジントン宮殿の方を向いていたんですね。
                        ケンジントンj
 さらに、近くをズームアップすると、なんとうさぎさん!(〝The Arch"の左脚元にいます。)
ウサギj
 歩いていくと、逆さづりのリスさんがセイヨウサンザシ(?)の赤い実を食べてます。
さかさリスj
 最後に、意外ときれいな羽を持っていたカササギさんをお見かけしました。

かささぎj

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色を作る展(その3)

        ウッチェルロj
(承前)
 「色を作る展」の色の最後は、金と銀でした。
 金も銀も高価ですから、ここぞというところに使ってきた歴史が展示されていました。
 そして、銀は黒ずんでしまうのは仕方ないことでした。

 この写真のウッチェルロの三部作の一枚「サン・ロマーノの戦い」でも、白馬の首輪や馬上の領主の甲冑・被り物などに、金も銀も使われていたようです。金はおよそそのままだとしても、銀の方がかなりくすみ黒ずんでしまい、往時の絢爛豪華さが欠けているとのことで、一部だけがコピーされ、金や銀で彩色、展示されていました。で、この特別展の後、本館の本物を見ると、確かに、かなり渋いものになっておりました。(下の写真 展示作品は、Probably about 1438~40 182センチ×320センチ)
 ウッチェルロの三部大作「サン・ロマーノの戦い」のうち、ロンドンとパリの2枚しか見ていないので、いつか、フィレンチェ、ウフィツィ美術館でもう一枚見られるといいなと思います。馬上の領主や兵士より、生き生きと描かれた馬を見たいです。 

 出陣前、興奮気味の馬たち。その息遣いが聞えそうな、ルーブルの一枚。
 果敢に前に出ていく馬たち。その騒然とした空気も伝わりそうなナショナルギャラリーの一枚。
 勝敗が決しようとするウフィツィの一枚。画集で見ると、馬上の大将の顔は隠れ、横たわっている馬がいます。
 これら三枚の絵がそろって飾られていた フィレンチェ メディチ宮殿は、さぞ、目もくらむばかりのまばゆさだったはず。当時は金も銀も輝いていたことですしね。
          原画j

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色を作る展(その2)

          ナショナルギャラリーj
(承前) 
 ロンドン ナショナルギャラリー「色を作る展」で、印象に残ったのは、ドガの絵に使われている「赤」でした。
ドガは、ついつい、バレエ関係の絵画にばかり目が行っていたので、「こんな絵もあったんや・・・」と「髪をすく(Combing the Hair: La Coiffure)」を見ながら、説明を読みながら、あるいは、色の重なりの断面図を見ながら、改めて、ドガの魅力を感じました。(続く)

☆写真下に写るのは、二冊の子ども用解説書のドガのページにポストカードを置きました。一番下は、赤い色合いを青や緑に替えたらどうか?と子どもに投げかけているページ。P11と見えるページは、赤が虫や植物の根からも作れると書いてあるページです。
 ロンドンの美術館に行くと、図録が重く、また解説の英文も読了できないので、子ども用の解説書や子ども用の無料案内書を持ち帰ることが多いです。その点、子どもたちへの配慮が行き届いているなと感じます。日本では、子どものための資料を用意できているとは思えません。
 今開催されている、京都国立博物館の「国宝鳥獣戯画と高山寺」展(~11月24日)には、「こどももおとなもたのしめる」とあり、フリガナ付で平易な文章の簡単な解説も用意されています。が、それには、「展覧会をもっと楽しむための鑑賞ガイド」と書かれ、子どもだけのためのものではありません。

               ドガj

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色を作る展(その1)

 つきあたりj
 ロンドンで唯一行った美術館が、ナショナルギャラリーでした。(写真上、ネルソン提督像奥突き当り)
 2014年8月に、ロンドンナショナルギャラリーでやっていたのは、「Making Colour」展でした。
 昨年の≪フェルメールと音楽展≫が面白かったので、今回の≪Making Colour 色を作る展≫も楽しみでした。
 ナショナルギャラリー所蔵の何枚かの絵に使われている色で区分して、色の成り立ちから、その将来にまで触れ説明していく流れでした。

 「青」からスタートして「金銀」で終わります。
 貴重な青はラピスラズリという綺麗な石を使って作られる貴重品だったことは知っていましたが、安価な代用品が経年と共に色が変色してしまったという現実の絵画も飾られていて、時代を超えて残っていく名画には、素材にもこだわりがあったのだとわかります。
 かつては、藍の染付の器として静物画に描かれたものが、今では、グレイッシュな器に変身していました。絵の前には、美しい藍の染付の器が置かれ、説得力のある展示となっていました。

 ところで、本来は、美術館には、さほど興味のない夫ながら、この美術展は、私よりも熱心に!!鑑賞していました。何故か?
 それは、絵画そのものより、絵に添えられた説明、色の作り方に興味があったからのようです。

 それにまた、今までで初めて夫と美術館に行ってよかったと思ったのは、色の生成の説明の中に、鉱物の単語が何度も交じり、もともと、読みこなせない説明文ながら、夫の単語力で、「へぇー、水銀 はいってるんや」「ふーん、硫黄つかうからかぁ」「ふへぇー、虫も色になったん?」と、彼の読解力のおかげで、ずいぶん助かったのです。
 その展示会の後、常設の本館に行くと、夫の絵画の見方が、今までと変わっているのが面白かったです。
 「貴重やいうても、青もけっこう使ってるやん」
 「この絵は、展示で緑のところにあったなぁ」
 
 というわけで、もちろん、一人の画家の作品を集めた展示、そのグループや時代の展示、ドコソコ美術館展などなど、美術館には色々な企画があるけれど、2013年の「フェルメールと音楽展」のように、楽器や、その描き方に特化したり、今回のように、色の生成に特化したりする展示も、美術鑑賞の幅を広げる面白い企画だと思いました。(続く)
☆写真下は、ロンドンナショナルギャラリー前のトラファルガー広場のライオンさん。

                   ライオンj          

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午年の英国

            ビッグベンj
 ビッグベン前のブーディカ像を見て、そう遠くないナショナルギャラリーまでは、歩いて行きました。
 途中の道には、いわゆる首相官邸のあるダウニングストリートがあるのですが、そこには小さな人だかり。
 未確認なものの、あの白いカッターシャツは、多分、キャメロン首相の後ろ姿?この頃は、かのスコットランド投票もヒートアップしていなかったので、なんだか、ゆったり歩いていたような・・・
ダウニングj
 さらに、行くと、今度は、もう少し多くの人だかり。ああ、ここね。衛兵交代のあるホースガードっていうのは・・・
門の騎馬兵と写真を撮る人だかりなのでした。が、中で何かやってるよ!
 終了直前の衛兵交代でした。知ってたら、もう少し早く来てしっかり見たかったなぁ。(11時からのようです)
 なにせ、今回の旅は、ケルトの白馬から現代の馬まで、馬に所縁があって、午年の英国超短期滞在なのですから。(続く)

          ロンドンうまj

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まじらなかったことはない

スーパームーンj
 (承前)
 「ケルトの白馬」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)で、「まざっていく」こと、「第九軍団のワシ」(猪熊葉子訳 岩波)で、「まじっていく」こと。この「闇の女王にささげる歌」(ローズマリー・サトクリフ作 乾侑美子訳 ほるぷ出版)では、「まじらなかったことはない」ことについてです。

 ≪世継ぎの姫エスィルトは、ジギタリスのようなそばかすのある白い肌に青い目、母親に似て背が高く、そのほかほとんどのことが、見かけも心も母親似でした。父のプラスタグスからエスィルトが受けついだのは、日ざしの中の栗毛馬そっくりの髪の色だけでした。 そうしてネッサン、夏至の火の燃えているあいだに生まれたおちびさんは、ほかのだれでもなく、あくまでもネッサンでした。ただ、この姫の内には、古い民の姫がひそかに生きているようでした。あの小さな肌のあさぐろい人々、馬の民がくるよりさらに前に、この地にいた人々の血が流れていました。というのも、征服した民の血が、征服された民の血と、どういう形にしろ、まじらなかったことはないのですから。年老いた乳母が、そういうことだったとうけあいました。が、そういう乳母自身があさぐろい肌の人々の一人なのです。 ネッサンは小鳥みたいに小さく、髪は黒く、大きな目は雨を思わせる灰色でした。・・・≫

 また、サトクリフの「アネイリンの歌――ケルトの戦いの物語」(本間裕子訳 小峰書店)では、色が黒くてがっしりした父親に愛されていないと思っている色白で痩せ型の少年プロスパーが主人公となっています・・・が、これは、また別の話です。
☆写真は、2014年9月9日のスーパームーンと言われた月。下は、ぼんやり遠くに写るアフィントンの白馬。
               
               ケルトの白馬遠いj

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部族の蜂起から変わる

      イケニ女王j
(承前) 
 サトクリフの「第九軍団のワシ」をはじめとする何冊かのローマン・ブリテンものを読んでいると、ローマ人の立場、あるいは、ローマ化されていったブリテンの視線で読み進むので、自ずと、ブリテン島に溶け込んでいった、あるいは溶け込もうとするローマ人側にたって読んでいます。

 ところが、 「闇の女王にささげる歌」 (ローズマリー・サトクリフ 乾侑美子訳 評論社)は、卑劣な侵略者としてローマ人(軍)を描いているものですから、今度は、原始的な殺戮を繰り返す女王であっても、そりゃ、ローマが卑怯やから仕方ないね。という視点になります。人間の尊厳すら踏みにじったら、そりゃ、怒るわ!
 
 そして、その怒りを、サトクリフは、残忍さで読み進めなくなるくらいの表現を使っても、描き切りました。
 この話を読んでいると、侵略者・征服者と、被征服者の争いの繰り返しが、地球のどこかで、もう2000年以上も続いているのだとわかるのです。現在の地球上で実際に起こっているような問題が、あるいは、清算してこなかった現実が、ほとんどすべて、この話の中にはあるからです。

 サトクリフは、あとがきでこんなことを書いていました。
≪女王と姫たちへのローマ人のあつかいは、単に残忍で粗野だというだけでなく、もっと悪い、命そのものへの冒涜、ということになります。また、そのあとに起こったことも、部族の蜂起から、聖戦へと変わります。そうして、聖戦ほど、あらゆる戦いのなかでもっとも残虐で無慈悲な戦いはありません。≫(続く)
       
         こうまj

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イケニ族の女王

ロンドン像横j
(承前)
 昨日のカエサル像は、ニスイス ニヨンの街はずれ、人通りのないところに立っていましたが、イケニ族の女王ブーディカ像は、凄い人並に囲まれています。ただ、この日、女王ブーディカ像を見ているのは、カ・リ・リ・ロくらいなものです。そう、この像は、ロンドンの真ん中、国会議事堂の時計ビッグベンの真ん前の地下鉄出入口に設置されてます。しかも、像の下にはテント張りのお土産屋さんもあって、銘板すら見えません。

 ルブリンの仲間のイケニ族が北に移動し、「ケルトの白馬」」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)は終わりました。のちのイケニ族の女王の話は「闇の女王にささげる歌」 (ローズマリー・サトクリフ作 乾侑美子訳 ほるぷ出版)です。サトクリフの作品には珍しく、女性が主人公です。

  テムズ沿いの ブーディガ像を実際に見てみると、作品を読んだイメージと違う女王がそこにいることに気づきます。実際の像は、勇猛であるものの、エレガントさと、女性特有のしなやかさを表現しているような気がします。
 サトクリフの描いたブーディカ女王は、確かに、女性としての美しさも、女王としての責任感や、気品や勇気をも持った女性ではありましたが、時代的に見ても、もっと素朴で、荒々しく、たくましい女性だととらえています。
 馬の種族といわれていたイケニ族だけに、立派な女王の戦車を引っ張るロンドンの像。でも、これでは、まるで、敵方ローマの女性の像のようにみえます。(ローマの女性は戦いませんでしたが)馬もスマートだし。

  「闇の女王にささげる歌」を歌うのは、「竪琴」のカドワンです。
≪女王ブーディカの命の歌なら、馬の群れのことも歌いましょう。森と沼地のあいだに広々と広がる牧場で草をはむ馬たち。誇らしげに頭を上げる雄馬、足ばかり長い二歳馬、訓練された戦車用の馬、子をはらんだ雌馬たちのことを。さらに、沼地の果てに巨大な翼を広げて落ちていく夕日のことも。葦の茂る湖とまがりくねる小川とが、落ちる日の輝きを受けとめて天に投げもどし、ついには大地と空とがともに燃え上がるかと見える、あの夕映えのことも歌わねばなりません。秋の夜、北から渡ってくる雁のこと、カッコウの声がくぐもる真夏の森の外れの、緑の香る木下闇(こしたやみ)のこと、戦場におもむく王の青銅の盾をいろどる赤い渦巻き模様のこと・・・。≫(続く)

          仔馬j

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まじっていく

             カエサルj
(承前)
 「ケルトの白馬」のイケニ族ルブリンの時代(~紀元前1世紀)から、100年以上経ると、「第九軍団のワシ」の舞台、ローマンブリテン(紀元後1世紀~)の時代になります。 
  「第九軍団のワシ」には、こんなことが書いてあります。
≪・・「叔母と叔父は、カミラとよびます。でも本当の名前はコティアよ。」少女はいった。「あの人たち、なんでもローマ風が好きなの。おわかりでしょ。」
「あなたはローマ風が好きじゃないんですか?」マーカスはたずねた。
「わたしが? わたしはイケニ族なのよ!…(略)・・・」
・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
「カミラとよばれればラテン語で返事をするわ。でも着物の下のわたしはイケニよ。夜着物をぬぐ時、わたしはいうの。『ほら、これで明日の朝まではローマとはおわかれよ!』 ≫

 このコティアの言葉から、部族の誇りと、今の生活との折り合いをどうつけているかが、よくわかります。いがみ合うだけでなく、戦うだけでなく、個人のレベルでは、敷居を低くし、友好的に「まじっていく」のが、常だったのでしょう。ただ、それには、時間が必要だということも、サトクリフの作品群からわかります。
 サトクリフは、英国の歴史を書きながらも、その中身は、歴史のデキゴトを書いているわけではありません。「人」 と「人」を描いているからこそ、こうやって、時代も異なり、国も異なる読者を魅了できるのだと思います。

 ≪エスカやマーカスやコティアのような人間間のことなら、このへだたりはせばめることができ、そのへだたりを越え互いに触れ合うことができるようになる。そしてそうなれば以前にそのようなへだたりがあったことは問題ではなくなるのだ。≫(「第九軍団のワシ」より)(続く)

*「ケルトの白馬」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)
*「ケルトの白馬/ケルトのローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ちくま文庫)
*「第九軍団のワシ」「銀の枝」「辺境のオオカミ」 (ローズマリー・サトクリフ著 猪熊葉子訳 ホッジス挿絵 岩波) 

☆写真上は、スイス ニヨンのカエサル像。下は、テムズ河畔に居た小ぶりで足ががっしりした馬。
≪…マーカスはローマで時々御したアラブの馬たちのことを考えた。この馬たちはアラブの馬たちよりも小さかったーー背丈は掌の幅で計って十四くらいだろう、とマーカスはあたりをつけたーー毛足が長く、体の大きさに比して、そのつくりはがっしりしていた。しかしそれなりに調和がとれていて、全くすばらしい一組だった。…≫(「第九軍団のワシ」より)

うしじゃない馬j

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まざっていく

餌を食むj
(承前)
  ≪イケニ族は馬を飼育する『馬族』で、野生の馬を慣らし仔馬を育てて、馬の数を増やしていく。だから彼らにとって財産とは、金銀ではなく、所有している馬の数だった。力強い雄馬、調教前の二歳馬、仔馬を産んでくれる雌馬、二頭立ての戦車をひくよう調教された軍馬・・・・。白亜の丘陵地帯にたどり着いた彼らは、この草原が馬の放牧に適していることを見てとった。こここそ、自分たちの土地…。≫(「ケルトの白馬」 ローズマリ・サトクリフ 灰島かり訳 ほるぷ出版)

 こうやって、サトクリフは、まず初めに、イケニ族であるルブランたちが、いずれ白馬を書くことになる布石を打ちます。が、サトクリフの面白さは、この構成力だけではありません。

 ≪征服者の血には必ず、先住民の血が混ざっていた≫ルブランを主人公に据えることにより、歴史が、年号の羅列や征服者や為政者たちのものではなく、いわゆる無名の人間一人一人が生まれ、生きた証しだと表現するところに、面白さがあると思います。それは、サトクリフの他の歴史小説「第九軍団のワシ」「ともしびをかかげて」「銀の枝」「運命の騎士」「太陽の戦士」「王のしるし」などにも、共通しています。

 歴史は、他を排除していくことだけでなく、まざっていくという事実でもあり、あるいは、簡単に百年といっても、その間に世代は変わっていくのだという事実でもあります。こんな当たり前のことに着目する歴史小説に、それまで出会ったことがなかった私は、初めて、サトクリフに出会ったとき、目から鱗が落ちました。(続く)

*「ケルトの白馬」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ほるぷ出版)
*「ケルトの白馬/ケルトのローマの息子」(ローズマリ・サトクリフ作 灰島かり訳 ちくま文庫)
*「第九軍団のワシ」(ローズマリー・サトクリフ著 ホッジス挿絵 猪熊葉子訳 岩波)
*「ともしびをかかげて」(ローズマリー・サトクリフ著  キーピング挿絵 猪熊葉子訳 岩波)
*「銀の枝」(ローズマリー・サトクリフ著 キーピング挿絵 猪熊葉子訳 岩波)
*「辺境のオオカミ」(ローズマリー・サトクリフ著 キーピング挿絵 猪熊葉子訳 岩波)
*「運命の騎士」(ローズマリー・サトクリフ著 キーピング挿絵 猪熊葉子訳 岩波)
*「太陽の戦士」(ローズマリ・サトクリフ著 キーピング挿絵 猪熊葉子訳 岩波)
*「王のしるし」(ローズマリー・サトクリフ著 キーピング挿絵 猪熊葉子訳 岩波)

☆写真上は、ホワイトホースカントリーの馬。下は、「白馬」を望むロングコット村の13世紀の教会(The Parish Church of St Mary the Virgin)。新しい窓は18世紀のもの。

                    チャーチj

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