みんなみすべくきたすべく

夏休みが終わる

色づくモミジj
 今日で8月も終わり。
 あ!ご近所の楓も紅葉し始めている!

 昨夏は、いつまで夏が続くのかとうんざりしながら秋になっていましたが、今夏は、うんざりするほど雨が降り過ぎました。八月中後半は日照時間がいつになく短く、セミが鳴く青空の朝があると、ほっとしました。理想的な夏って、なんなのだろう?
 
 さて、2週間ぶりに行ったご近所散歩で、カモさん親子に対面でき、その大きくなった姿に、驚きました。成鳥と同じような大きさになっているコガモたちの生えそろった羽は美しい。とはいえ、相変わらず、子どもたちを一望できるところに居る母カモの羽は、少々乱れ、輝きが失われ、身を挺して子育てをした母カモの毎日を見るようでした。心なしか、身体も一回り小さくなったような・・・
                    コガモjj
母カモjj
 実は、明日から、つらつらだらだらと、訪英報告を書くのですが、英国のテムズ散歩では、十分すぎるほどカモさんを見たのです。
 で、ご近所散歩に出かける前、夫が「カモさん親子はどうしているかな?」というものですから、「イギリスで、あれだけ、カモさん見たやん?」というと、「イギリスのは、ただのカモや。公園のは、ずっと気にかけてきたから、かわいいやん」「ほんま、そのとおり」
☆写真は、子ガモ、母ガモ、テムズガモ

                    テムズカモj

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ふしょうふずい

テムズ散歩j
「久しぶりにテムズのロックに行きたい」という夫が居て、
夫唱婦随の妻としては、「はい、お供させていただきます。」
そういえば、夫婦で行ったのは、数年以上前。

ふふふ。
テムズロック&フットパス地図持ってる。
イギリス古代地図持ってる。
(ローマンブリテン地図も持ってまあす!)
あの辺りには、あのお屋敷がある、ある。
美術館は何やってるかな?
ふふふ、ふしょうふずい。

・・・・ということで、このブログも夏休みします。

☆写真は、英国テムズ川 フットパスとロック ウィンザー辺り(撮影は二枚とも&Co.I)

                  ろっくj

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残暑お見舞い申し上げます。

          カンナj
 子どもの頃、8月半ば、まだまだ暑いのに、なんで残暑見舞いやねん!暑い中、まっ只中やん!などと、思っておりました。

 が、先日の吉田健一訳の「麦を打つものが風に言った」(ベレイ詩)を書いたとき、こっちも夏にぴったり!と思ったのが、ランボオの「Sensation」
 ただし、こちらは、骨太というより、ロマンの香りが・・・(暑苦しい?)
 手元には、堀口大學、中原中也、永井荷風、3人の訳詩。

 堀口大學のつけたタイトルは「感触」(ランボー詩集 新潮文庫)
 中原中也のつけたのは「感動」(ランボオ詩集 岩波文庫)
 永井荷風のつけたのは「そゞろあるき」(珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選 岩波文庫)

 堀口大學の「感触」が、声に出すには楽しいけれど、
 今日のところは、永井荷風が「仏蘭西近代抒情詩選」に選んだ たった一つのランボオ。

「そゞろあるき」( 「珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選」 永井荷風訳 岩波文庫)
 蒼き夏の夜や
 麦の香に酔ひ野草をふみて
 小みちを行かば
 心はゆめみ、
 我足さわやかに
 わがあらはなる額、
 吹く風に浴(ゆあ)みすべし。

 われ語らず、われ思わず、
 われたゞ限りなき愛
 魂の底に湧出(わきいず)るを覚ゆべし。
 宿なき人の如く
 いや遠くわれは歩まん。
 恋人と行く如くうれしく
 「自然」と共にわれは歩まん。

 タイトルもずいぶん意訳ですが、最後の行が他の二人と違って、永井荷風の照れ隠しのような気がして、ほんとは、シャイな人かもしれない、と思った次第です。

 参考までに、堀口大學の最後の行は
≪…天地(あまつち)の果てしかけ――女なぞ連れたみたいに満ち足りて。≫
中原中也は
≪天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。≫
☆写真は、カンナ。昔は、真っ赤なカンナをよく見かけたけどなぁ。

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ロシアのわらべうた

みかえしj
(承前) 
 ウクライナの上空を、うちの飛行機は飛んでいません、と、いち早くHPに出していた日系の航空会社。ロシアの上空をヨーロッパ系の飛行機は飛べない?え?もしかして、アンカレッジ経由?
 などと、きな臭い報道は聞こえてくるも、せめて、ここでは、もっと、小さい頃からの文化交流に励みたい。
 
 昨日のバスネツォフ絵たなかともこ編訳のロシアのわらべうた ねこくん いちばで ケーキをかったは、チュコフスキー達6人の15編のわらべうたの編集でした。
 偕成社から出ている「ロシアのわらべうた」 も、バスネツォフの絵ですが、こちらは、チュコフスキーが集めたロシアのわらべうた22編からなっています。
 チュコフスキーは、子どもたちが大好きだった絵本「わにがまちにやってきた」の作者で、大きな重たい本「2歳から5歳まで」という子どもたちの言葉を集め記録した、ロシアの作家、詩人、翻訳家です。

≪「カササギおばさん」
  カササギおばさん おかゆをたいて
  おきゃくさんを よびました
  だけどおきゃくが こないから
  子どもたちに やりましょう
  この子にやって
  この子にやって
  この子にやって
  この子にも
  だけどこの子にゃ あげないよ
  まきわりイヤイヤ やらないし
  水くみイヤイヤ いかない子≫

 あれあれ?チェコのわらべうた 「かあさんねずみがおかゆをつくった」に、ちょっと似てますねぇ。 
 
*「さんびきのくま」(トルストイ文 バスネツォフ絵 おがさわらとよき訳 福音館)
*「ロシアのわらべうた ねこくん いちばで けーきを かった」(ユーリー・ワスネツォフ たなかともこ編訳 岩波)
*「ロシアのわらべうた」(コルネイ・チュコフスキー編 Y・バスネツォフ絵 田中潔訳 偕成社)
*「小さなお城」(サムイル・マルシャーク文 ユーリー・ワスネツォフ絵 片岡みいこ訳 平凡社)
*「ねこのいえ」(サムイル・マルシャーク文 ユーリー・ワスネツォフ絵 片岡みいこ訳 平凡社)

*「わにがまちにやってきた」(チュコフスキー 内田 莉莎子訳 瀬川 康男絵 岩波)
*「2歳から5歳まで」(チュコフスキー 樹下節訳 理論社)
*「かあさんねずみがおかゆをつくった」(チェコのわらべうた ヘレナ・ズマトリーコーバー絵 いでひろこ訳 福音館)

☆写真は、バスネツォフ絵の絵本4冊の見返し。ウサギの絵が、「ねこくん いちばで ケーキをかった」右下は「さんびきのくま」左上は「ねこのいえ」左下は「ロシアのわらべうた」のかわいい豚さん。見返しのはじめと最後で絵が違い、昨日の写真に写る表紙と裏表紙でも違った豚さんが描かれています。もちろん、本文の「うそっこばなし」の豚さんの絵も違います。≪…ブタの巣からは ぽん、ぽん、ぽん!かわいい コブタが かえったよ…≫

☆上記「カササギおばさん」や「うそっこばなし」は、 丸木俊絵の「ロシアのわらべうた」 (内田莉莎子訳 架空社)にも掲載されています。こちらのいくつかには、楽譜もついています。

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おーい くまを つかまえたよ

4くまj
 福音館の絵本「さんびきのくま」の絵を描いたユーリー・ワスネツォフの「ロシアのわらべうた ねこくん いちばで ケーキを かった」が岩波からでました。きれいな楽しい絵です。民族色も、そこかしこに見えます。
 ここに出ているのは、本国では手遊び、足遊びなど、ということです。たとえ、メロディやリズム、動きがわからなくても、小さな子どもたちと、一緒に楽しめる言葉と絵が並んでいます。

 「おーい くまを つかまえたよ」
≪おーい くまを つかまえたよ
    それなら こっちへ つれといで
 だめだよ うごかないんだもん
    それなら おまえだけ こっちへ おいで
 だめだよ はなしてくれないんだもん≫
(続く)

*「さんびきのくま」(トルストイ文 バスネツォフ絵 おがさわらとよき訳 福音館)
*「ロシアのわらべうた ねこくん いちばで けーきを かった」(ユーリー・ワスネツォフ たなかともこ編訳 岩波)
*「ロシアのわらべうた」(コルネイ・チュコフスキー編 Y・バスネツォフ絵 田中潔訳 偕成社)
*「小さなお城」(サムイル・マルシャーク文 ユーリー・ワスネツォフ絵 片岡みいこ訳 平凡社)
*「ねこのいえ」(サムイル・マルシャーク文 ユーリー・ワスネツォフ絵 片岡みいこ訳 平凡社)
***「ロシアのわらべうた」 には、丸木俊絵 内田莉莎子訳 架空社のものもあります。

☆写真に左下に写るのは、「おーい くまを つかまえたよ」のページ。左上は、「さんびきのくま」の表紙。
右上は、「小さなお城」のクマのアニキがやってきたページ。右下は、「ロシアのわらべうた」の表紙。

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台風のあと

かもさんおやこj
雨が降り続いた大きな台風も、ようやく去ったとき、
「カモさんたちはどうしているだろう?」と、夕方まだ早いうちに、散歩に出ました。
 先週、母親カモが居なかったのが、夫婦で気がかりでした。

 いました!!
 お母さんのそばに、3羽のコガモたち。
 台風初体験のお疲れでしょうか?さすがに3羽とも、お母さんのおひざ元。
 まだ、羽は小さいものの、すっかり、身体の色はお母さんと同じ。
 身体の大きさも、お母さんに近く、パッと見たときは、どれがお母さん?
 けれども、やっぱりお母さんは、お母さん。しっかり、向うを見つめておりました。
 

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母親の表情

          モリゾj
(承前)
 パリ マルモッタン美術館で、ベルト・モリゾの作品の数々に出会ったとき、おお!という感動ではありませんでしたが、そのやさしい視点が気に入りました。
 東京新国立美術館の「オルセー美術館展」には、「ゆりかご」という作品が一点だけきています。モデルとなったのは、モリゾの姉とその娘のようです。母親の視線は、子どもをやさしく見守っているようにも見えますが、心の中には、少々、うつろな部分を抱えていそうな表情です。

 私自身、子どもを産んだことは確かにこの上なく幸せなことであったのですが、社会的な存在としての自分が消えてしまった・・・と、当時は、虚しい気持ちを抱えていたことを思い出します。
 若かったので、社会とつながることイコール職業を持つこととしか考えていなかったのだと思います。この絵のように、美しい情景ではなかったとはいえ、子どもの顔を、ぼぉーと眺めていたことを思い出します。しかしながら、たぶん、それは、ほんの短い時間だったのではないかと思うのです。子どもは、すぐに声を出したり、泣いたり、手を動かしたり、目を開け、微笑み、まだ寝返りこそできない時期でさえ、「生きていますよ、どうぞ、関わってくださいね」と、表現するので、結構、ぼんやりする時間は短かったはず。

 子どもたちとかけがえのない時間を、慌ただしく過ごしているうちに、空虚な気持ちなんか、どこかに忘れていたというのが、実際のような気がします。
 するうち、仕事を持つことだけが社会とつながることではないと理解し、若かった母親も大人になっていきました。

☆写真の絵ハガキは、右手前がモリゾの「ゆりかご」(オルセー美術館)左は、モリゾの「すり鉢で遊ぶ子どもたち」(マルモッタン美術館)中央白黒写真は、パリ シェイクスピアカンパニー書店のもの。

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オルセー美術館展で コートールド美術館を思い出す

コートールドj
 (承前)
 「オルセー美術館展」には、ドガも何枚か来ていました。
 「バレエ」関連作品の数々のうち、今回来ていた「バレエの舞台稽古」を見ていると、パリ オルセー美術館は他にもあったなぁと思い出し、果ては、ロンドン  コートールドにあったドガの彫塑作品を思い出しました。

初めて、ロンドン コートールド美術館に行ったとき、何に衝撃を受けたかというと、ドガの彫塑の数々でした。ドガのバレエに関する絵は、何らかの形で目にしたことがありましたが、こんなに躍動感のある立体――小さい、しかも美しい――を造っていたのは知らなかったので、新鮮な驚きでした。
 ドガの、その小さな立体群は、もしかしたら、夜な夜な、美術館が寝静まった後、踊っているのではないかと思わせるほど、生き生きとしていました。展示の仕方も、こじんまりとしていたので、その部屋は、彼女たちの練習場のようにも思えたのです。
(今、WEBでコートールド美術館のドガのレクチャー動画を見ると、踊り子たちがガラスケースに入っているのが見えますから、これじゃ、踊りまわれないかも?と思うものの、当時は、ガラスケースに入っていなかったはずという勝手な思い込みのままにしておきます。)

 目の病気が進んだ、晩年のドガの残した彫塑作品、あの小さな踊り子たちは、コートールド美術館の小さな会場にこそ似合っていたと思います。コートールド美術館にあったドガの絵画「二人の踊り子」も、立体の踊り子たちと一緒に、一層華やかに見えましたから。(続く)

☆写真は、ロンドン コートールド美術館とその中庭。夏になると、中庭には噴水が出ます。
 

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イアソンとメディア

jモロー階段
(承前)
  「オルセー美術館展」4室目のギュスターブ・モロー「イアソン」。有名な「サロメ」じゃないからでしょうか。そのときは、何故か、人垣もなく、ゆっくり鑑賞できました。大きな絵なのに、パリ オルセー美術館で見なかった様な気がするのは、その滞在の時、ギュスターブ・モロー美術館で、たくさんのモローを見たせいでしょうか。
 こうやって、モロー1枚だけ見るのも、なかなかいいものです。パリのギュスターブ・モロー美術館だと、明るい部屋なのに重い雰囲気もありましたから、素直に、女性(メディア)の足に絡まっている花がきれいなどと思わなかったかもしれません。

 イアソンは、美しい若者、背後の女性は、メディア。若いイアソンは、足元の竜(グリフォン?)の上に立ち、自ら「やった!」と刀の柄(刃は竜に刺さっている)を掲げていますが、実は、メディアの手にある薬(眠り薬)のおかげもあって、この戦果だと絵は物語っているわけです。
 そこには、メディアが余裕の表情で、「はいはい、よかったわね」と、イアソンの肩に手を置いています。イアソンを可憐な男の子のように描くことによって、メディアの隠された激しい気性を際立たせているような気がします。のちに、イアソンの新妻になる女性に毒を盛り焼死させるといったメディアですから。
 うっとりみつめるのではなく、しっかり、きっちり、きっぱり!おんなはつよーい!

 この話は、オウィディウス変身物語」 (中村善也訳 岩波文庫)にあり、この「イアソン」の絵の背後の柱に絡まる布にラテン語でその物語が描かれているらしいです。(続く)

☆写真は、パリ ギュスターブ・モロー美術館階段

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ミレーの晩鐘

      模写j
(承前)
 「オルセー美術館展」では、まだまだ人垣のできる第二室にミレーの「晩鐘」はありました。
 かつて、フォンテーヌブローの森にほど近いバルビゾン村のミレーのアトリエに行ったとき、ミレー自身の作品は、ほとんどなく、パリ オルセー美術館で、この「晩鐘」を、見たわけです。
 このとき、たくさんの絵に埋もれて、この静かな絵は、在りました。今回の「オルセー美術館展」でも、やっぱり、ざわめきの中に在りました。そして、ふと、思うのです。もしかして、この絵は、展覧会や美術館にあるのは本意じゃないのではないか?どこか、静かな部屋にひっそりと、飾られ、その絵と交流することのできる時間と空間が必要なのではないか?と。

 私自身は、すいている美術館であれば、日本で見ても、どこで見ても、幸せなのですが、世間には、世界中の美術館に行って、そこにある、その作品を見ることを第一義にしている人もいます。うーん、それって、その絵は、その美術館に飾られるためだとか、後世に買い取ったお屋敷用に画家が描いたのではないと考えると、そんなに重要なことかなぁと思うのです。

 だからといってはなんですが、パリのオルセー美術館に行かずとも、混雑していないときに東京の新国立美術館「オルセー美術館展」に来ている作品を鑑賞することは、豊かな時間となると思います。入館料金分、「元を取らなくちゃ」、「ぜーんぶ見なくちゃ」と、初めから丁寧に丁寧に観ていくと、最後は疲れてしまうでしょう。ここは、いっそ、人だかりの絵は、あきらめて、ゆっくり見える絵に絞って鑑賞すると、結構面白いものです。日本においては、知名度の低い画家であっても、各人の感性に合うものもあるはず。(続く)
☆写真は、パリ郊外バルビゾン村 ミレーのアトリエにあった「晩鐘」の模写(作者は不明)。

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オルセー美術館展

          オルセーパンフj
(承前) 
 上京のついでに、時間の都合で選んだ美術展が「オルセー美術館展」(~2014年10月20日)でした。混んでいると予想され、少々、二の足を踏んでいたのですが、余りにも多いパリのオルセー美術館で、見忘れたものもあるかもしれない・・・と、行きました。

 朝一番も案の定、混んでいます。特に最初の部屋、マネの作品の部屋。目玉の「笛を吹く少年」等、そこそこ大きな作品なのにほとんど見えませんでした。もういいや、と、飛ばして次の部屋に行っても、まだ、人が垣根を作っています。

 全部で9室あるうち、4室目くらいになりだすと、人垣も減り、作品によっては見やすい状況になりました。
 「ルノアールだ!」「セザンヌだ!」{モネだ!」とかいう声のする絵のところは、人が集まりやすいのは、日本の開催ならではのことかもしれません。
 写真左のモネの「草上の昼食」は、418×150と、248.7×218の大きな大きな作品二枚ですが、「これって、パリのオルセーのどこにあったんやろう?」と娘と二人、「初見やねと」いいながら、見ました。このあたり(8室目)になってくると、ずいぶん、見やすい。マネの「草上の昼食」もオルセーにありますが、今回はさすがに来ていませんでした。が、パリ オランジュリー美術館からは、セザンヌの「草上の昼食」を借り展示していました。せっかく借りたんだから、この小さい一枚を、モネの横に並べてもらったらよかったなぁ。また、ついでなら、パリ ピカソ美術館からもピカソの「草上の昼食」を一枚借りてほしかったなぁ。  
 欲張るなら、「草上の昼食展」があったら、面白いかも。他にも描いている人いるらしいし。
(続く)

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オルセー行ったことないなぁ

オルセーセーヌ河畔j
  以前、家族5人でパリに行き、オルセー美術館にも行こうとしたものの、篠突く雨の中、風邪をひきそうな薄着の末っ子のおかげで、オルセーに並ぶのをやめたことは書きました
  その後、彼女は友人たちや母親と、行きました。すでに行っていた息子は、その後も行きました。美術館に興味のない、もう一人の娘は、多分、今後も行かないと思います。

 ところが、オルセーという言葉を耳にするたびに、「ぼくは行ってないなぁ・・・」とつぶやく父親が我が家に約一名おるのです。
「行った」「見た」を、モットーとする彼ゆえに、パリ オルセー美術館そのものに「行った」。フランス絵画を「見た」。が、重要関心事だと思われますが、とりあえず、現在、東京新国立美術館で開催されている「オルセー美術館展」(~2014年10月20日)に誘ってみました。すると、予想通り、一緒に行かない。ということで、私は、かの娘と二人で行きました。

 その後、父親は娘に会うと、やっぱり言いました。「お父さんは、オルセーに行ったことないなぁ」(続く)

☆写真は、セーヌ河から見たオルセー美術館

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からだをふりふり かもあるき

                     arukij.jpg
 毎週、かもさんたちを見に行きますが、今週は、ずいぶん大きくなっているように思いました。コガモたちは、池から上がって、「はなを つんと うえにむけ、からだをふりふり かもあるき」
お母さんも慌ててついていきます。

 毎日、カモを見守るご近所のおばちゃんが言いました。
「あかん、あかん、陸に上がったら。昨日、イタチが来て、お母さんカモが威嚇して騒いだとこやないの!ほらほら、池に戻り!」
 浅い水たまりの池や流れの水辺には、白いひもが張り巡らされ、カラスからカモさんたちを守っていますが、イタチはねぇ、なかなか大変だ。

 各地ニュースにならなくとも、いろんな水辺で人とカモさんたちの交流があるんだろうなと思います。
 心なしか、お母さんガモ、やつれたと思いませんか?

追伸:この文を書いた次の朝、どこにも、コガモしか見つからない!!!いつもは、コガモたちをじっと見つめるお母さんガモがいない・・・お父さんと久しぶりの逢瀬に違いないカモ・・・でも、まだコガモたちが飛べないので、そんな留守するはずないカモ・・・まさか?

かもはは

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暑中お見舞い申し上げます

                 ひまわりj
 子どもの頃、夏休みに入ったら、先生に「暑中見舞い」を書いていたなぁ(書かされていたなぁ)と思い出します。今は、個人情報守秘とかで、書かなくなったのかしらん?

厳しい暑さには、それに負けないエネルギィが必要です。
骨太なのに、繊細さを併せ持つ、吉田健一訳の「麦を打つものが風に言った」(ベレイ詩)は、どうでしょう?

過ぎ行く翼で
世界を飛び回り、
口笛に似た囁きで
影が濃い森の木を
静かに揺する
身軽な出で立ちのものよ、

私はお前達にこの菫を、
また百合や他の草花を、
それから今咲いたばかりの、
ここにある赤い
薔薇の花を、それから
この白頭翁(おきなぐさ)の花も捧げる。

お前達の息で穏やかに
この野を吹け、
私が精出して
この暑い日盛りに
麦を打つ間に。        (吉田健一訳「訳詩集 葡萄酒の色」より)

「訳詩集 葡萄酒の色」 は、当初、私家版500部限定で世に出たらしいのですが、今は、岩波文庫
で、読むことができます。中でも、シェイクスピアのソネットの訳は、素晴らしいと思います。

☆写真は、兵庫県佐用町ひまわり(撮影:&Co.A)

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鱧のお吸いもん

なぎなた鉾j
暑い 暑い 京都でも、元気な東アジアの観光客は相変わらずたくさん。
先日、そんな京都で昼食会がありました。
小さな集まりですが、参加者の半数以上が、和服!
浴衣ではなく、夏のお召しです。
どの人も、涼しげに見えます。
色合いも涼しげ、帯も涼しげ。
季節の植物をあしらったり、素材が見るからに、さらっとしていたり・・・
髪もすっきり、小物もすっきり、日傘もすっきり。
もちろん、男性の和装もすっきり、きりり。

先日、東京で浴衣を着る若者が増えたとメディアが伝えていましたが、一時的なブームではなく、一年を通して和服を愛する人の多い街、京都ならではの、集まりでした。

☆写真上は、祇園祭 薙刀鉾の掛け軸。下は、とろける様に柔らかい鱧とずいきのお吸い物。京都の夏は、鱧とずいきなのだとか・・・
                          はものおすいもんj

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イチイの木

イチイj
(承前)
 「Song of Robin Hood(ロビン・フッドの歌)の最後「ロビン・フッドの死」に登場するのは≪イチイの木 English Yew≫ です。
 バートンは、この木を選んだ理由を二つあげています。
 ≪一つは、イチイは、ロビン・フッド時代の弓として、重要だったからであり、
  もう一つは、イチイは神聖な木で、どの教会の敷地にも植えられ、弔いの儀式にも使われるからである。
  そして、常緑樹であるイチイは、永遠の生命の象徴なのである。≫

 イチイの木については、「英米文学植物民俗誌」(加藤憲市著 冨山房)に詳しい。
≪yewは材質が固く、弾力性に富むので、古くはこれで弓を作った。火薬の発明前はyewは、もっとも強力な武器であったから、イギリスでも歴代の国王は競ってyewの植樹を奨励し、教会墓地だけでなく、城内にも植えた。≫
≪yewは、材質の特性から腐りにくく…木目も美しいので、弓だけでなく、古くは、イス・羽目板・床板にも用いた。有毒な葉や種子から家畜を守り、その上、教会の風よけとしても役立った。yewは、教会墓地の木だから、悪魔が恐れるともいった。≫
≪なお、和名の「イチイ」は「一位」でこれで笏を作ったことによる。≫

 さて、 「ロビン・フッドのゆかいな冒険」 (ハワード・パイル作 村山知義・村山亜土訳 岩波)のエピローグに、こうあります。
≪小人のジョーン。小人のジョーン、わしの親友よ、世の中のだれよりも、一ばんわしのすきな友だちよ、おまえにたのむ。この矢が落ちたところに、わしの墓を掘ってくれ。わしの顔を東に向けてうずめるのだ。そしてわしの墓にいつも緑の葉がしげり、わしのくたびれた骨が静かに休めるようにしておくれ。≫

 この「ロビン・フッドのゆかいな冒険」のハワード・パイルの挿絵も素敵ですが、バートンの「Song of Robin Hood」にも、数々の名シーンが描かれていますから、日本語で「ロビン・フッドのゆかいな冒険」を読みながら、「Song of Robin Hood」のページを繰っていくとしましょう。

☆写真は、英国ヒドコットマナーガーデンのイチイのトピアリーとそのまま大きくなったイチイの木(多分)

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