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みんなみすべくきたすべく

にんじん

にんじんjj
(承前)
 ヴァロットン展で、懐かしさのあまり、声をあげたのは、
 「『にんじん』の挿絵ってヴァロットンだったの?」

 いつ読んだのでしょう?多分小学校高学年の頃、箱入りで、薄緑色の表紙で(この記憶正しいかなぁ)、この挿絵、この挿絵。思いだした!(調べたら、多分 旺文社文庫だったよう。)

「にんじん」 (ルナアル作 岸田国士訳 ヴァロトン挿絵 岩波文庫)
 うーん、読んでみましたよ。
 こんな話だったっけ?
 こんなん虐待の話やん。
 にんじんの母親、言語道断やわ。
 こんな本、よく小学生が読んだこと!
 挿絵がついてるから、子どもの本と思ったんでしょう。内容が、ほとんど思い出せなかった所を見ると、絵だけ見て、ちゃんと、読んでなかった?絵や本の質感は、しっかり覚えているのに・・・

 が、しかし、今読み返してみると、実は、変な行動を取っているかに見える≪にんじん≫は、子どもらしい感性で、しかも大人を醒めた視点でよく観察しているのがわかります。子どもの頃、こんな感触、あった、あったという感じです。特に、一人でいるときの気持ち。この感じは読んだ覚えがあります。異常なお母さんの行いのことより、≪にんじん≫の心の方を覚えています。当時は、虐待という言葉も知らなかったはずで、「それにしても、きついお母さんやなぁ」ぐらいにしか捉えてなかったのだと思います。 ところが、今は、自分自身が母親になったせいもあって、にんじんの母親の異常さがわかります。こんなん、ありえへん。

 次に、今、読んでみると、単に短い文の並びで、この本が成り立っているのではないことに気付きます。
 つまり、どこから読んでもよさそうなのに、実は、時系列があって、虐待されるままになっていた彼が成長し、母親にたてつき、さらには、絞り出すように、父親に訴えるのです。
≪・・・今日は、僕自身のために正義を叫ぶんだ。どんな運命でも、僕のよりゃましだよ。僕には一人の母親がある。この母親が僕を愛してくれないんだ。そして僕がまたその母親を愛していないんじゃないか。≫

 そして、一見、蛇足のようにも思える、最後の最後「にんじんのアルバム」というほんの数行ずつのメモのような三十の文を読むと、些細な出来事まで書き残し、訴えたかった、作者が背負い続けていたものを感じました。(続く)

☆写真左が「にんじん」(岩波文庫)の挿絵、右は三菱一号館美術館所蔵のヴァロットン版画カード。下チケット。

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