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みんなみすべくきたすべく

長じて 家を持つようになったら

   白い紫陽花j
(承前)
 東京に生まれ、ずっと東京に住んでいた鏑木清方でしたが、68歳から93歳で亡くなるまでは、鎌倉に住み、その住居は、今、鏑木清方記念美術館となり、四季折々、花が咲く庭園があるようです。そして、その花の中でも特に紫陽花はお気に入りで、自らの画号を「紫陽花舎(あちさゐのや)」と用いることもあったくらいとのこと。

 それは、子どもの頃からの想いと強く結びついていることが、随筆集「明治の東京」 (鏑木清方著 山田肇編 岩波文庫)を読むとわかります。
≪私が紫陽花を好むようになったのも、ここいらで見かけたその花の魅惑からである。前に行った天主教会の庭にも沢山あったし、殆ど門並といってもいいほど、あるいは柳の深く垂れた葉陰に、あるいは古びた鎧戸の下に、大きい手鞠のように、浅みどり、空色、うす紫、七変化といわれる花の妖しいかがやかしさ。中にもそれは明石町とは水を隔てた築地一丁目の河岸に裏側には薔薇、表側には紫陽花を植えて生垣をつくった家があった。私はよく子供心に、長じて家をもつようになったら、この生垣をこしらえたいと願ったが、その望みは今に果さぬ。≫
≪築地一丁目の河岸に、内側に薔薇、外側には紫陽花を植えならべて生垣とした大きい邸があった。わたしがあじさいに魅力をおぼえたのはこれからで、成人したら、こういう垣のある家に住みたいと願った・・・・・・≫

 これは、英国のチャールズ・ディケンズにも同じような話があります。ディケンズが、子どもの頃、ケント州チャタムの街道沿いにあったギャッズヒル・プレイスと呼ばれていた邸宅の前を通ったとき、「一生懸命働きさえすれば、いつか、これと同じような家に住めるようになる」と言われ、「いつか手に入れたい」という目標になって行きます。そして、大人になって、その家が売りに出されるのを知ったディケンズは、その邸宅を購入し、子どもの頃からの夢を叶え、後にここで「大いなる遺産」を執筆することになるのです。
 
 そして、こんな夢や野望は、画家や作家だけでなく、もちろん、実業家にも。(続く)

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