みんなみすべくきたすべく

秘密の場所

        グリーンノウトピアリーj
 絵本「三びきのやぎのがらがらどん」(瀬田貞二訳 福音館)の作者、マーシャ・ブラウンの講演「庭園の中の三人」(1994年)と、1990年に東京・大阪で行われた講演「左と右」の原稿が訳され、東京子ども図書館から刊行されています。( 「庭園の中の三人 左と右」松岡享子・高鷲志子訳 東京ども図書館 2013年9月)
 後者の講演は、私も聞きに行きました。それは、哲学的な内容で、マーシャ・ブラウンが、折に触れ、「左と右」と言って、話にアクセントを取っていたような気がしますが、なにしろ、25年も前のこと。今回の原稿訳文で、確かめるしかありません。

  さて、そんな講演録の「はじめに」のところ。
≪・・・絵本は楽しむものです。これが絵本のいちばんの存在理由で、たいていの場合には、これが最上で唯一の存在理由です。・・・≫と、きっぱり言い切っている箇所があり、「確かに!!!」と、大向こうから声を掛けたいくらいです。

 また、≪・・・よい絵本は、経験そのものです。ドラマはどこかほかのところで起きるのではなく、本そのものの中で、見え、聞こえるのです。成長するにつれ、ある一つの経験からの連想が別の経験を豊かにし、ついには、心の中に、夢や驚きや冒険を隠しておく秘密の場所をつくるのです。そして、長い人生を通じて、私たちの内なる子どもが、いくたびもこの場所に戻り、そこに蓄積されたものから生きる糧を得るのです。・・・≫

*** ちなみに、庭園の中の三人というのは、「ちいさいおうち」(岩波)のバージニア・リー・バートン、「もりのなか」(福音館)のマリー・ホール・エッツ、「ひゃくまんびきのねこ」(福音館)のワンダ・ガアグのことです。

☆写真は、英国 ヘミングフォード村 グリーン・ノウ物語シリーズ(ルーシー・M・ボストン 亀山俊介訳 評論社)の舞台になったマナーハウス庭。

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春霞じゃない

六本木ヒルズj
春霞じゃない。
黄砂でもない。
晴れているのに、空が白い。
向こうの山が見えない。
マスクをするのを嫌う夫でさえ、今朝は、マスクをして出勤。
東京にいる友人にメールをしたら、「真っ青な空」というお返事。
東京の娘にメールをしたら、「こちらは青い、行ってきます」と返事。

インフルエンザ流行時にマスク。
厳しい寒さの時は、口元が暖かいのでマスク。
花粉症の時もマスク。
そのうち、マスク型に日焼けする人も出現?
笑い事じゃない。

☆写真は、2014年2月の東京六本木ヒルズ。最近、こんな青い空、阪神間であまり見ない。

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冬の拝観

チケットj
 京都は、なかなか商売上手です。桜や紅葉の頃は、来るなと言っても、観光客で溢れかえります。また、歴史ある祭りでも、人が溢れます。がしかし、京都の冬は寒い。花も少ない。建物が古く、もちろん、木造なので、冷えるんどす。だから、観光客も減ります。

 そんなとき、「冬の特別拝観」(~2014年3月18日)と称して、普段は非公開の各寺所蔵の文化財が公開されます。スタンプラリーもやってます。3つスタンプを集めるとお抹茶が、「ちょっと」お安くいただけます。
 スタンプラリーに入っていませんが、先日の若冲所縁の宝蔵寺も、冬の特別拝観でした。
 
 宝蔵寺の次の週に行ったのは、妙心寺です。この寺は大きな禅寺で、その中の本堂はいつも公開されていますが、特別拝観では3つの院や庵が公開されました。そんな中、「妙心寺 大法院」に行きました。新緑の頃や紅葉の頃に、公開される、露地庭園という茶室までの作法も伴う優雅な庭がありますが、院内は、初公開となっていました。

 目玉は、「襖8面にわたって百羽の鳥を墨一色で描いた土方稲嶺(ひじかたとうれい)筆「叭叭鳥(ははちょう)図」です。JRポスターの「京の冬の旅」に、舞いの井上八千代さんの後ろに写っている襖絵です。部屋のふすまに生き生きと飛び回るムクドリの一種の叭叭鳥。(写真のチケットに写ってます)

 本堂や書院を見学する時に、所蔵文化財の説明をしてくださる方が居て、ふーむ、なるほど・・・と思うのですが、その日は特に寒い日で、冷えました!京都の冬の寺社の鑑賞は、厚手の靴下が要りますんえ。

妙心寺梅jj

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真面目な名所案内

壁面j
 先日の大雪の上京のお供に持って行った本は、「謎解き 広重『江戸百』」(原信田実著 集英社新書 ヴィジュアル版)でした。
 たくさんの図は、嬉しいものでした。作者は、いわゆる芸術系の研究者でなく、翻訳者で浮世絵研究家。従って、絵画という視点より、歴史的背景から謎解きに迫るという手法です。また、この新書には、歌川広重の「江戸名所百景」の全図が掲載され、それも、巻末、描かれた年代毎にまとめられていて、広重入門者には有難い。また、描かれた場所の特定地図も掲載されているので、東京に土地勘のある人には、楽しいだろうと思います。

 するうち、浮世絵太田記念美術館に足を運んだら、ああ、これ、本に掲載・説明されていた浮世絵!と、訳知り顔で、鑑賞したのでした。
 
 が、しかし、私は北斎の方が、やっぱり好みです。確かに、広重の絵は、花や鳥や猫など、うまく配置されているし、雨や風や雪も絶品だけど、うーん、いかんせん、人の動きや表情にぎこちないのがある。
 それに、「江戸百」の中の大胆な構図と思われる作品も、やっぱり北斎のセンスとは違うなぁ・・・
 とはいえ、真面目な名所紹介の風景図にも、隠された意味があったんですねぇ。

☆歌川広重も相撲絵を描いていますが、この写真、東京 両国 国技館 壁面に写る行司は、誰の作品を大きくしたのか不明。入場せず、入場門付近から撮ったので、入場門も少し写ってしまいました。

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一枚の絵

                         やぶこうじj
(承前)
 他にほとんど人の居ない館内、葛飾応為「吉原格子先之図」の前、格子の向こうを眺めているもう一人の客みたいな立ち位置で、鑑賞していたら、もう一人、同じように見とれる若い女性。ギャラリー・グラスを持って熱心に見ています。私が離れると、位置を変え、まだ見ていました。

 二階のギャラリーで広重や応為の他の刷りものを見て、降りて行くと、階下の応為「吉原格子先之図」を、彼女は、まだ、眺めているではありませんか。30分は、その絵を鑑賞?研究?吟味?していたわけです。私も、もう一度、眺めてから退出しましたが、彼女は、まだそこにいました。

 若い研究者だったのでしょうか?それとも画家の卵?
 一枚の絵の持つ力を感じます。
 ロンドン ナショナルギャラリーのスルバランの小さな静物画もそうだったなぁと、思い出しながら、浮世絵 太田記念美術館を後にしました。

☆写真は、やぶこうじ。京都妙心寺大法院庭。

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葛飾応為

oui j
 作品数が少ないと、ついつい追っかけをしたくなる代表がフェルメールです。
 さらに、作者の確定ができていないがゆえに、現存の作品が10点余と少ないのが、日本の葛飾応為です。

 葛飾応為は、葛飾北斎の三女で、北斎が「おーい」「おーい」と呼んだから「応為(おうい)」だとか、諸説あるらしいのですが、本名はお栄。
で、今のところ3応為を見ました。

 2006年神戸であった「ボストン美術館 肉筆浮世絵展」にあった「三曲合奏図」。先日見た「大浮世絵展」での「夜桜図」。そして、この度、東京 浮世絵 太田記念美術館で見た「吉原格子先之図」。

 北斎とは全く違う、美人画です。「肉筆画展」のときも「大浮世絵展」のときも、いろんな作者の作品が大量に並ぶ中、たった一枚しかなかったのに、記憶に残る美しさ。

 「三曲合奏図」は、その指先の美しさも繊細で、楽曲が聴こえてきそうなほど。
 「夜桜図」は、多くの作品に埋もれそうになりながらも、存在感を表していました。

 それで、太田記念美術館の「吉原格子先之図」。
 綺麗です。着物の模様も細かく丁寧です。
 北斎の影響か、外で立っている人達にも微妙に動きがあって、格子の直線といいリズムを奏でています。もちろん、提灯の光の輪と格子の対比。
 西洋の絵のような雰囲気のただよう光と影。浮世絵の流れとは違うところに咲いた一輪の花。
 花魁の一人ひとり、提灯を下げる大人や子ども、ひっそりした息づかいと、婀娜やかな息づかい、華麗な世界なのに哀しみをたたえている。そんな光と影。
 もっと、彼女の作品が多かったら?彼女が男に生まれていたら?彼女の父親が北斎でなかったら?・・・と、思うことは色々ありんす。

「三曲合奏図」は、現在、名古屋ボストン美術館の「北斎展」(~2014年3月23日)で見られます。その後、神戸、北九州、東京と巡回するようです。
「夜桜図」も、東京「大浮世絵展」での出展は終わったものの、この後、名古屋市立博物館で見られます。(2014年3月11日~5月6日)
東京 浮世絵太田記念美術館の「葛飾応為 吉原格子先之図 -光と影の美」は、2014年2月26日まで。
今すぐなら、名古屋と東京で一枚ずつ見られます。3月中旬なら、名古屋で2枚見られます。はい。(続く)

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そっちとこっちは違う

      東京タワーときどきオブジェj
 なんか、最近、某NEWS番組がおかしくない?
 オリンピック観戦は楽しいし、競技や演技に感動し、また、いろんな人間ドラマに感動するのですが、だからと言って、スポーツ番組ではないのに、延々と、スポーツに時間をとって、大事なNEWSを伝えていないのは、やっぱり、おかしいのじゃないかい。スポーツ特番で、じっくり報道すればいいではないですか。

 確かに、メダリストたちの活躍は、テレビ観戦者にも励みになるし、力を出し切った笑顔に、救われる思いがするし、また、強くて美しい演技に、涙しながら、感謝したいのはこちらの方ですと言いたい。
 ・・・とは、いえですよ。元々、1時間しかないNEWS番組としては、時間をとりすぎでしょう。特別時間枠にするなら、いざ知らず。他に伝えなきゃならないことが伝わってこない。不用意な発言をしている人たちの報道が、某局と某局では、一日遅れるというのは、どういうこと?すぐ隣の国や、ちょっと離れた隣の国や、海の向こう遠く離れた隣の国や、隣じゃなくてもいろんな国々や・・・他にも報道しなきゃならないことがあるでしょう。オリンピックの間にも世界も、政界も動いているんだから。

 それに、第一ニュースに、スポーツ・芸能関連が延々と続くこともあるのは、どういうこと?ミーハーで興味津々の芸能ニュースだとしても、この番組って、スポーツ・芸能情報番組でしたっけ?と、毎晩9時に思うことが増えたのです。
 誰か、操作しているのだろうか。自局で検証したら、どう?できないなら、何故?

☆写真は、六本木ヒルズから、東京タワーを見る。手前のバラは金属製の背の高いオブジェです。

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後期ラファエル前派の展示

唯美j

 雪に変わる前の冷たいものに打たれながら、娘と二人、東京 三菱一号館美術館に行きました。
 都心にあって、この一角は、低層のレンガ造りで、なんかほっとします。
 年代順に見たいなら、六本木でやっている「ラファエル前派展―英国ヴィクトリア絵画の夢」(~2014年4月6日)が先なのですが、天候事情で、三菱一号館の「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860‐1900」(~2014年5月6日)から行きました。
 
 多くの作品が、英国 ロンドン ビクトリア&アルバート博物館のものなので、さながらV&A展とも言えそうな展示です。(別の美術館の所蔵品もあります)
 元々、V&Aは、娘のお気に入りの博物館で、英国滞在中に、校外学習で出掛けていました。私にしても、ロンドンで泊るのは、この美術館の近くなので、おなじみの作品が多かったものの、実際のV&Aは大きすぎて、何度行っても、全部見切れていないのが、本当のところです。それに、今回は、日本語のキャプションが付いているのが心強い。

 絵画だけでなく、家具や調度も出ているので、この時代の英国の雰囲気を知るには面白いと思います。ウィリアム・モリスバーン・ジョーンズワッツ、レイトン・・・・後期ラファエル前派ということなのでしょう。

 中でも、ホイッスラーのエッチングは、見たことがなかったので(と、思うので)新鮮でした。
 ラスキンと裁判沙汰になった「黒と金色のノクターン―落下する花火」や、映画「ミスタービーン」で登場する「灰色と黒のアレンジメント―母の肖像」、あるいは、先日の浮世絵展でも似た雰囲気のあった「青と金のノクターン―オールド・バターシー・ブリッジ」とは、どれとも様子が違うエッチングでした。この人の絵は、どこか暗さを伴っていると思っていたら、エッチングで単色のせいかどうか、暗さを感じませんでした。特に、ラスキンのヴェネチア考に対抗するべく作られた「ヴェニス12点のエッチング」の何枚かは、その裏にある対抗心を思うと、ちょっと微笑ましく、楽しめました。(ラスキンと名誉棄損で争い勝訴したものの裁判費用がかさみ、自邸を売却したらしい)
(「ヴィクトリア朝の挿絵 1」に続く)

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ただただ、笑顔が見たい

雪と自転車jj
 引っ越しの荷物は届かない、することない・・・出掛けるのも無理できない・・・で、東京のホテルの部屋でオリンピックLIVEや特集を見ていました。

 実力があるのに、当日の結果が出なかった選手。画面にその表情が映し出される度に、「よく頑張ったやん」「あなたの実力は皆知ってるよ」と、声に出して見ていました。私自身小さいので、小柄なアスリートには、より肩入れしてしまいます。あんなに大きな人達に囲まれて、それでも強いなんて、凄いこと。何しろ日本で一番の成績なんだから。普段は、世界でも一番だし。

 若者たちが、大舞台でいい結果を生みだすのは、頼もしい。日々精進してきた成果なのですものね。
 年長さんも頑張っている。延々と維持するのって、半端ない気力と努力なのでしょう。
 団体競技で結果を残すのは、さらに大変でしょう。
 さて、終盤近く、楽しみな競技が残っています。ただただ、笑顔が見たいです。

☆写真は、こんな日に、自転車をかついで登った人がいる六甲山(撮影:&Co.A)

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大安吉日

宝蔵寺梅j
上の写真は、京都裏寺町宝蔵寺の梅の花。(2月12日)・・・で、日差しも春めいてきたなァなどと思っていたら、その週末は関西でも雪、関東でも北日本でも雪、大雪。

 そんな折、娘は東京に引っ越しました。
 交通手段が使える前に、と予定を一日早め、上京したものの、
 荷物は指定した日に届かず、やむなくホテルに。
 荷物の行方不明はまる一日続きました。
 することがないので、雪にも負けず、靴に滑り止めバンドを装着して、美術館鑑賞や銀座でお茶を敢行。
 結局、道路わきに雪が残るものの、晴天 大安吉日の引っ越しになり、終わりよければすべてよしということに。

下の写真は、東京三菱一号館美術館中庭。横なぐりの雪、見えますか?まだ、ふり始めです。このあと、大雪に。
        雪の中庭j

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若冲と売茶翁

売茶翁j
 (承前)
 京都 宝蔵寺所蔵の「竹に雄鶏図」(写真、下に写るカード)が、若冲の初期の作品だと、みなされたのは、ごく最近のことで、初公開のようです。他の鶏図と同じように、勢いのある筆使いの鶏でした。正面を向いているので、ちょっとぽっちゃり感があります。
 そして、その隣にかかっていた拓版画「髑髏図」(写真、左のパンフレット)は、インパクトのある図柄もさることながら、そのキャプションをみて、びっくり。
 「売茶翁高遊外賛」とありました。画にも「一霊皮袋 皮袋一霊 古人之語 八十六翁 高遊外」とあります。
おお!これは、まさしく、この拝観当日の朝刊(写真右上)に出ていた「売茶翁」ではありませんか。

 朝刊の記事は、在日アメリカ人の学者がこの売茶翁という禅僧の生涯・思想を英語の伝記にしたという記事でした。
 掲載されている絵のおじいさんが売茶翁らしく、描いたのは伊藤若冲です。
 つまり、その朝まで、全然知らなかった売茶翁関連の絵、それも若冲によるものを二枚も、その日に目にしたということです。

 記事によると、売茶翁の肖像を若冲や池大雅のような当代屈指の絵師がこぞって描いたのも、それを欲しがる人が多かったからだとあります。・・・売茶翁 WHO?

 「僧の中には貪りの心を持ち、施しの多い信者にこびへつらったり、布施を求めてはかりごとをしたりする者もいる、それよりは茶売りをしながら、修業をする方がよい」と喝破し、当時の宗教界の退廃を鋭く批判し、都の市街やその名所で煎茶を作り教えを説いた生き方が、人々の共感を呼んだと、ありました。

 宝蔵寺で見た「髑髏図」は、売茶翁の肖像画ではありませんが、その人の言葉を欲しがった当時の人々のために生まれたものだったのかと思うと、一枚の掛軸が、より一層身近に思えました。
 この、日頃、非公開の若冲の作品ですが、2月8日が若冲の誕生日だったこともあり、公開されたようで、しかも、来年は生誕300年らしく、今後も誕生日頃には、見られるのではないかと、見逃した人にも希望的観測が・・・

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伊藤家の菩提寺

宝蔵寺門j
 京都、冬の特別拝観で、1週間ながら(2014年2月6日~12日)、寺の所蔵品と伊藤若冲の作品2点を見られる機会がありました。
 場所は、京都、裏寺町蛸薬師上る、宝蔵寺。
 若冲は、錦市場の青物屋さんの後継ぎながら、結局、画業に生きた人でした。その青物屋さんは、錦市場の東南に位置していたらしいので、宝蔵寺が菩提寺です。
 火災で焼けて、昭和に再建された宝蔵寺は、こじんまりとしていて、寺の多い京都、しかも寺町の裏、裏寺町となったら、油断すると見過ごしそうな、小さな寺でした。
 
 ところで、最近、地方の法事に行くことがあって、ゆっくり堂内を見渡していたら、壁に掛けられた仏画や、また置かれている仏具が、わりと新しく綺麗でした。(その寺は400年くらい前、徳川家康の元和時代(1615~1624)とご住職が話されていました。)
 購入したら、高いだろうなぁ・・などと、下世話で不届きな視線でいたとき、頭上にあった、黄金の灯篭に、現代の名前が彫り込まれているのが見えました。寄進なのですね。・・・ということで、奥に飾られた仏画も寄進だろう・・・と、すると、かつてのお寺の襖絵も、彫刻も、そして仏画を初めとする画も、みな、寄進されたものだったということに、今更ながら、納得した次第。

 閑話休題。
 伊藤家が、菩提寺である宝蔵寺に絵を寄進したのも当たり前。数が少ないくらい・・・(続く)

☆写真は、南天や万両の赤い実が綺麗だった裏寺町、宝蔵寺の門を見たところ。

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(前向きな)小さいおばあちゃん

石壁かぼちゃjj
 機嫌よく通っていたプールが閉鎖されるということになったとき、おともだちの86歳の彼女は、いち早く他の施設を探しに行きました。
 ぐずぐず文句の多い若い衆を尻目に、結局、いさぎよく、次のプールを決められました。

「次のとこなら、地下に食べるところもいっぱいあるよ。Tでしょう。Nでしょう。Kでしょう。」
「よく、ご存知ですねぇ」
「服の店も多いけど、お金使わんようにしないとね。ま、あと、二年で米寿やから、一年会員があるのにしとかないと、もったいないから、あそこに行くことにしたんよ。」
・・・・・ふーむ。
「あそこはね、私の育ったところの近くでもあるんよ。昔はね(80年前です)、財閥系Sの倉庫があってね、馬が通ってたよ。馬糞を拾う人なんかもいてねぇ。今や、ウオタア・フロントとか言ってるでしょう。えらい違いやわ。」

 彼女の前向きな姿勢、いつも、お洒落で綺麗になさっていた姿、本当に人生の先輩として、お会いするのが楽しみでした。亡くなった母と同じ生まれ年だったせいもあって、同じように前向きでお洒落だった母が生きていたらと、母を重ねながら、お話していたものです。・・・と、感傷的になっていたら、
「今度、梅田にお昼でも食べに行かへん?でも、火曜はあかんよ、公民館で歴史のお勉強の日やからね。」

☆写真は、レマン湖フランス側イヴォアーヌ。中世の石壁に元気なカボチャが出来てます。

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関東平野

             ミューレン方向j
 確か、小学校の頃、山脈や平野などを習った時、我が大阪平野と同様に、関東平野と習ったと思います。
 
 地図で見たら、大阪平野は、とても小さいのに、なんと関東平野の広々と大きいことよ。神戸生まれ神戸育ちの私の認識では、海と山が迫り坂の多い我が神戸は、広々とした平野でなく、狭いところや・・・と捉えておりました。
 地図で見ても、関東平野は、緑一色に塗られています。

 ところがです。実際に東京に行くことが増え、歩くことも増えたら、坂は多いは、そしたら、谷も多いは・・・大阪平野より、あるいは京都盆地の方が平らじゃありませんか!
 学術的には、何メートル以上の高低差で、山とか台地とか丘とか、谷とか名づけるのでしょう。が、平野と言い切れるの?あの坂・・・あのアップダウン。
 いつか、渋谷駅に着いた時はびっくり!いつのまに、こんな高いところ走っていたの?渋谷って、本当に谷だったのね。そういえば、坂の付く地名、谷の付く地名、△△台・・・の多いこと。
 この前行った森鷗外の観潮楼跡も、高台だったし、すぐ横には団子坂という坂あるし・・・

☆写真は、スイス ミューレンの崖の上。

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そばかすの少年

      グリーンノウアプローチj
 (承前)
リンバロストの乙女」も「そばかすの少年」もリンバロストの森での少女と少年の物語です。
 昨日も書いたように、100年前の価値観が大きく出ている成長物語でもあります。
 が、しかし、現代にも通じるテーマが書かれています。
 「児童虐待」です。片や、ネグレクトというものに近く、片や、実は虐待ではなかったものの、その疑いがなかったわけでなかった・・・という設定でした。

 「そばかすの少年」は、名前がなかったのです。「そばかす」というのが、顔にそばかすがあった彼の名前でした。しかしながら、彼の勇気と誠実さは、人の心の善意を呼びおこし、たくさんの人の支えを得ていきます。

 出来すぎでしょ?と思うような話の展開も、彼のそれまでになめてきた苦労を思うと、よかったね、と思わず、彼に駆け寄り、握手をしたいくらいです。しっかり、握り返してもらえる左手で。彼は、左手しか使えませんでしたから。

 そばかすは、森に自分の「部屋」を持ちます。「植物学者が見たら、大騒ぎしてうらやましがりそうな光景」の自分の「場所」でした。
≪そばかすは、物入れの扉を一辺の壁にして、大きな『部屋』をつくっていた。木の枝にからまる大ぶりの野ばらのつるが部屋のほかの三方を囲み、壁の一部はマロウとハンノキ、イバラ、柳、ミズキでおおわれている。下のほうは、ぎっしりと咲き誇るカルミアの薄いピンクの花と、黄色いセントジョーンズワートの花で埋めつくされ、ネナシカズラの黄褐色の糸のように細いつるが、あちこちにからまっている。部屋の一方のすぐ近くに湿原が迫り、蒲がぼうぼうに茂っているのだがその手前に水ヒヤシンスを一列、青い花の美しさを損なうことなく植えこんだ。そこからそばかすの部屋に続くのぼり斜面には、いまにも花が咲きそうな狐火花を一列に植えた。・・・・≫
 と、この後も花やつる性樹木が次々植えられ、ここに続く箇所だけでも、他に、ざっと20種の植物名が、列記されています。
 そばかすを勇気づけ励ましたのは、周囲の人間と、大きな自然だということがわかります。

*「リンバロストの乙女 上下巻」(ジーン・ポーター 村岡花子訳 角川文庫)
*「そばかすの少年」(ポーター 鹿田昌美訳 光文社文庫 /村岡花子訳 角川文庫)

☆写真は、英国ヘミングフォード村 グリーン・ノウシリーズの舞台となったマナーハウスの庭。

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二月の鳥

       冬の河口j
 (承前)
 「リンバロストの乙女」「そばかすの少年」の作者ジーン・ポーター(1868~1924)は、「博物学者として著作もあり有名であるが、若い人に人生の方向を示す作品に主力を注いでいる」と、村岡花子氏のあとがきにあります。確かに、主人公たちは、大変な苦労をしながらも、前に進む勇気ある少女・少年です。そして、主人公たちは、大きな幸せを得、成人する・・周囲には、厳しい人間も存在するものの、ほとんどが、その主人公にとって、力になってくれるいい人で、お金や功を成すことが、幸福の到達点でもある・・・と、まあ、わかりやすい100年前のアメリカの価値観で描かれた二冊です。

 この二冊で特筆すべきは、細かい自然描写です。
 森に住む蛾の標本で学費などを生みだすリンバロストのエルノア、森番として、一日のほとんどを過す、そばかす。物語のキーワードとして、あるいは、伴奏として、自然が大きな役割を担っています。
 作者は、博物学者でもあるだけに、その自然描写は、特に丁寧で、目に見えるようなシーンが多く書かれています。

 さて、「リンバロストの乙女」エルノアの母親が、二月のことをこう、表現します。
「二月は冬鳥のものだよ。沼地のみみずくが求愛したり 鷹が番ったり、からすでさえ知恵づくのは二月だからね。こういうものは正真正銘のわたしたちの鳥ですよ。貧乏人のように、わたしたちはいつでもこの鳥たちと一緒にいますからね。おだやかな晩、この二月の沼地の音楽家たちの声をお聞かせしたいですよ、フィリップ。ああ、その真剣なことといったら!二十一年間というもの、わたしは夜はみみずく、もっと小さいふくろうや、狐や、あらいぐまなど、この森にのこっているあらゆる住民の声を聞き、昼は鷹や、こがねしとどや、きつつきや四十雀、からすなど、冬の鳥すべての声に耳をすました。 たった今、思いついたのだけれど、二月の特徴は麻晒しでもなく、砂糖作りでもない、わたしたちの鳥の愛の月ですよ。・・・」(続く)

*「リンバロストの乙女 上下巻」(ジーン・ポーター 村岡花子訳 角川文庫)
*「そばかすの少年」(ポーター 鹿田昌美訳 光文社文庫 /村岡花子訳 角川文庫)
☆写真は、ご近所、二月の河口。

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作曲

ベートヴェンの小径j
 実は、「リンバロストの乙女 上下巻」(ジーン・ポーター 村岡花子訳 角川文庫)は「そばかすの少年」の後に紹介しようと思っていたのですが、音楽を小馬鹿にした出来事があったので、以下の箇所の紹介だけでも、先に。

 リンバロストの森に住むエルノアは、哀しい過去に縛られた母親からの愛情を受けずに育ちます。が、周囲の大人の支えられ、学業だけでなく、バイオリンにも才能を見せます。ただ、バイオリンも母親には過去に繋がる思い出となる為、秘かに習得したものでした。

「・・・エルノアは良心的な学生なので、ほとんど教室で首席をとおし、どの方面でもすぐれた成績を示した。バイオリンの関心は年とともに強くなっていった。・・・・(中略)非常に巧みになったので、どんな作曲家の作品を弾いても聞く者の耳を楽しませたが、エルノアが自分で作ったものをかなでるときには言いつくせぬ喜びがこもっていた。なぜなら、その時には風が吹き、水はさらさら音をたて、リンバロストの森は日光や、影や、黒い嵐や、白夜の歌を歌うからであった。」

 ここには、音楽を奏でる喜び、作曲で表現できる喜びが、短い表現ながら描かれていると思います。

*「リンバロストの乙女 上下巻」(ジーン・ポーター 村岡花子訳 角川文庫)
*「そばかすの少年」(ポーター 鹿田昌美訳 光文社文庫 /村岡花子訳 角川文庫)

☆写真は、ウィーン郊外 ベートヴェンの小径への案内。

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映画「鑑定士と顔のない依頼人」

        モナリザj
 映画「鑑定士と顔のない依頼人」は、結末を知ってしまうと、楽しみが半減してしまうので、多くを書けないなぁと、ぐずぐずしていたら、上映も終わってしまった。が、しかし、映画よりもっと凄いペテンの話が実在して、ええっー!と絶句。片や美術分野、片や音楽分野。

 実際のペテンの話は後味がすこぶる悪く、映画のペテンの話も少々後味が悪いとはいえ、映画の方は、あれは、そういうことだったの?へぇー、あのセリフは、ここにつながるか?等と、あとあとまで楽しめます。実際、2回目以降リピートで見た人は割引料金という設定があったほど、なかなかの興業上手。長めの映画だったにも関わらず、飽きず見させたのも、娯楽として合格なのじゃないかと思います。

 この映画を見たかったのは、ミステリー映画を見たかったというより、宣伝に使われたポスターに写る、鑑定人の後ろに大量の女性の肖像画があったからです。知名度の高い肖像画もあれば、あれって誰の作品?というのもあって、楽しみでした。ま、この大量の女性の肖像画が、映画の設定の中で重要な小道具となるのですが・・・
 また、美術鑑定士の話なので、そのほか、いろんな美術品が登場するだろうと予測できたし・・・
 
 ええっー!という映画の展開は、後で、思うと、ふーんと、納得するものでもあるけれど、実際のペテン話は、ふーん、なんていう域じゃない!が、ペテンを許した側にフィルターがなかったとは言い切れないところが、実話の後味の深さ。

☆写真は、フランス フォンテーヌブロー宮殿に展示されていた、大きな壷の側面のレリーフ。レオナルド・ダ・ビンチが、モナリザを描いているシーンらしい。すごいズームで撮ったので、ぶれてますが、肉眼じゃよく見えなかったので、写真を撮って初めて、モナリザのモデルがそばで奏でられる音楽にリラックスして微笑んでいるという設定がわかりました。それに、ダビンチがすでに、キャンバスに輪郭描いてるし・・・

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受験の時期

三峰山j
 知っている限り、以前から、大学受験の時期って、大雪になったり、インフルエンザが流行ったり・・・

  受験生も大変だぁと思うものの、かつて、息子が資格試験を受け続けていた居た頃、5月・・7月・・と、さほど、季節に文句が言えない時期でも、やっぱり、その時はその時で、気を使うこともあったので、受験というのは、学力だけでなく、そのときの環境も背負いながらの、受験なのだと、いうことがわかります。

 が、しかし、40年以上前の自分の時のことは、さっぱり覚えていないということは、意外と、本人は、勉強だけに集中している??

 とはいえ、頑張ってね!(・・・と、特に、関東の甥に向かってエールを送ります。)

☆写真は、奈良県三峰山(撮影:&Co.A)

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目をおさらのようにして

ポスターj
(承前)
 「プーと私」には、≪子どもたちは、目をおさらのようにして、「餌をなげられた魚のように、その人の話にくいついた」・・・≫と、ありましたが、子どもたちに一度でも食いつかれた経験のある人なら、子どもたちと過ごす時間の喜びを知ることになります。子どもたちを育てる大人だけでなく、教育・保育・福祉現場はもちろんのこと、図書館や公民館、学校・幼稚園などで、子どもたちの前で絵本を読んだり、お話をしたりするボランティアのおばちゃんたちも然り。

「プーと私」の後半には、アメリカを中心に子ども・少年・児童図書館に関わる文が続きます。

 アメリカの児童図書館の礎を築いた人であるアン・キャロル・モーア女史のことをモーアさんと呼び、モーアさんの言葉、「子どものための仕事は威厳をもってやりたいもんだ。」を引きながら、彼女がチャチなまにあわせ仕事は、賛成できないらしいと、「モーアさん」という文の中で述べています。

 また、「アメリカの子ども図書館」という文の中では、「子どもは、けっきょく、いいものはわかるんです」というアメリカの児童図書館員の言葉を引き、児童図書館員たちが持つ子どもたちへの信頼感を、羨みます。

 そしてまた、「児童図書館の条件」という文の中では、カナダの児童図書館の草分けで「児童文学論」を表したリリアン・スミス女史との会話を記述しています。
≪「なかなか、お話というのが、じょうずにできなくて・・・」と、私がいうのをきいて、スミスさんは、「私だって、へたですよ。だけど、あなた自身,語りかけるものをもっている時、子どもは耳をかたむけるものです。」≫

 ここで、子どもに関わる大人は、石井桃子の表したことを復唱したいと思います。
 子どもを信じ、威厳をもった大人が語りかけるなら、子どもたちは目をおさらのようにして、話に食いつくということを。
 ヒュー・ロフティングは、まさに、そういった人だったのです。

*「プーと私」(石井桃子 河出書房新社)
*「児童文学論」(リリアン・スミス 石井桃子・瀬田貞二・渡辺茂男訳 岩波)
☆写真は、ロンドン 大通りに面したフランス人学校の図書室に貼られたポスター。

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餌をなげられた魚のように

           くまのみj
(承前)
 石井桃子は「プーと私」(河出書房新社)に収録されている「『ドリトル先生』の作者とヒュー・ロフティングという人」の中で、ロフティングのことを、こう書いています。
≪「ドリトル先生」の物語は、どれも奇想天外な事件にとみ、ユーモアにあふれ、読み終わったあとで、「われわれは、みなきょうだい」という、あたたかい気もちを私たちのなかにのこしてくれます。……(中略)・・・ほんとうの人間らしさというもの、お金や位や、学問や見えや、そういうものに左右されない、ほんとうに人間としてもっていたいあたたかい心、それをもって貫きとおしたドリトル先生というひとりの人物を、生き生きとつくりだしたという点で、私は、ロフティングをほんとうにえらいと思うのです。   ロフティングのなかに、ドリトル先生のような気もちがなかったら、ドリトル先生はつくりだせなかったでしょう。ロフティングは、気もちのうえで、ドリトル先生にかなり似た人であったにちがいないと、私は考えます。≫

 続いて、アメリカの図書館でロフティングが、子どもたちを前に話したエピソードがアメリカの図書館員の言葉で紹介されます。≪子どもたちは、目をおさらのようにして、「餌をなげられた魚のように、その人の話にくいついた」・・・≫そして、子どもたちは、目の前に立って話している、背の高い立派な紳士こそは、ドリトル先生その人だと考えてしまったと、書かれています。

 ふむ、ふむ。さて、さて、私自身にしても、その場にいたら、「餌をなげられた魚のように、その人の話にくいついた」と思います。ドリトル先生はやっぱり実在しているんだ!ほらね。と。(続く)

「ドリトル先生シリーズ」 (ヒュー・ロフティング 井伏鱒二訳 岩波)
☆写真は、沖縄の海。くまのみ(撮影:&Co.A)

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ドゥーリトル先生のお話

           チープサイドj
 「ドリトル先生シリーズ」 (ヒュー・ロフティング 井伏鱒二訳  岩波)は、誕生日やクリスマスや、お小遣いを貯めてや、いろんなことをして、揃えていった記憶があります。動物語を話せる人・・・いるかもしれない、いや、きっといる!と思うのが、このシリーズの最大の魅力でした。それに、次々、起きる事件も、さもありなん、と、いつもわくわくしながら読んだものです。

 ところが、小説「黒い雨」の作者とドリトル先生の翻訳者が同じ人だと知るのは、ずいぶん後のことでした。
 また、翻訳の妙に気づくのはもっと後で、子どもの頃は、オシツオサレツを筆頭とする仲間たちのネーミングの新鮮さに夢中になったものです。さらに、大人になって、雀のチープサイドという名前が、ロンドンに実在する地名Cheapsideだと知るのは楽しいことでした。

 「プーと私」(石井桃子著 河出書房新社)の中の「井伏さんとドリトル先生」という文に、「石井桃子集7」 (岩波)に既載ながら、ドリトル先生翻訳秘話が書かれています。ドリトル先生シリーズと井伏鱒二、そして表には出ない存在とはいうものの、大きな風を吹き込んだ石井桃子。

 ドリトル先生の話を井伏鱒二に語った石井桃子の熱意が、井伏鱒二の心意気とつながり、当時、戦争中にもかかわらず、 「ドリトル先生アフリカ行き」は翻訳刊行され、戦後は12巻まで刊行されていくのです。

≪さて、私は、こうして友だちから送られた「ドゥーリトル先生のお話」をたいへんおもしろく思い、次に井伏さんをお訪ねすると、早速その粗筋をお話した。  井伏さんは、目をパチパチさせながら、その話を聞き終え、「いい話ですね。いい話ですね。日本の子ども話って、糞リアリズムで厭味だ。こういうふうにいかないんだなぁ。」とおっしゃった。≫(続く)

☆写真は、セントポール近くに住むロンドン雀チープサイドの子孫。オーストラリアに移住し、メルボルン雀となっていました。(撮影:&Co.A)

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「プーと私」

      羊j
「プーと私」 (石井桃子著 河出書房新社)

 石井桃子の文で、単行本になっていないものを集めたこのシリーズの三冊目です。前の2冊は「家と庭と犬とねこ」「みがけば光る

  題名からもわかるように、今までの2冊に比べ、海外児童文学とその周囲を中心にしたエッセイ集です。 表題の「プーと私」の「クマのプーさん」から始まって、「ピーター・ラビット」「ドリトル先生」「ピーター・パン」「マーティン・ピピン」・・・と続いていきます。

 そうか、これも、これも、石井桃子氏のおかげで楽しめたんだ!と、改めて感謝。

くまのプーさんとの出会いやミルンのことについては、この本に収録される前に、岩波「図書」等でリアルタイムに読んでいたものの、それ以外は、未読がほとんどで、わくわくしながら、ページを繰って行きました。

読者にしてみれば、さも、その英国児童文学が、初めから日本語で書かれたかのような錯覚すら覚え、らくらくと楽しげに翻訳なさったかのように思える石井氏でさえ、翻訳する作品との相性があるようで、プーさんとピーター・ラビットに出会った「とき」が、異なるのは、興味深いことでした。

今ではよく知られている、「くまのプーさん」と石井桃子氏との出会いの夜、彼女は、本を犬養家から持ち帰り、夢中で読み終え、こう続けます。
≪・・・といっても、作者についても、作者がどういういきさつでその本を書いたかも、すこしもわかったわけではなかったが、とにかく、その本の中には、私がはじめて知る、たんのうできる世界が充満していたのである。≫

 そして、この「とき」から、「ピーター・ラビット」「ドリトル先生」「ピーター・パン」「マーティン・ピピン」・・・と続いていくことを思うと、この「とき」というのが、「瞬間」という漢字なのか、「運命」という漢字なのか。(続く)

☆写真は、ピーター・ラビットの故郷、英国 湖水地方。(撮影:& Co.I) 
くまのプーさんの故郷、アッシュダウンフォレストで、朝ご飯を食べながら、窓の向こう、羊が点在しているのを眺めたことを思い出します。

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All Butterflies

ALL BUTTERFLIES j
 いつのまにか、ABCの絵本が手元に増えていて、せっかくだから、みんなに見てもらおうと用意したら、翻訳されたものと日本のもの10冊以上、原書、英語以外にも、チェコ語のラダやハンガリー語やフランス語や、なんやかやも含めてやっぱり10冊以上、それにクラシックなオズボーンコレクションやなんやかでも数冊。

 文字の基本であるアルファベットを、子どもに楽しく教えたいという親心が発端となり、各種、古今東西、いろんなABC絵本があります。

 その文字で始まる物を絵にしたり、文字そのものの形を絵にしたり、その文字の入る言葉で お話言葉遊び にしたり・・・手を変え、品を変え、というか、作家自身が、子どもたちに伝えよう、子どもたちと楽しもうという姿勢のものが多く、ついつい、大人のアルファベット初心者をも魅了するということになるのだと思います。

 写真下は、マーシャ・ブラウンの「ALL BUTTERFLIES」の表紙です。
All Butterflies→Cat Dance→Elephants Fly?→・・・と、二言葉で、ABCをつないでいき、最後は、Your Zoo で終わります。どのシーンも、見返しの部分も美しい木版画で描かれています。

 もう一冊は、「ブライアン・ワイルドスミスのABC」のBのページ。単刀直入に「Butterfly 蝶」の絵が描かれています。この本は、我が家では二冊目です。大胆な描き方に惹かれ、私が学生の頃に買ったものを、子どもたちが、眺め、ボロボロになってしまったので、新たに嫁入りしてきた1冊です。

*「ALL BUTTERFLIES」(マーシャ・ブラウン Charles Scribner's Son,NY)
*「ブライアン・ワイルドスミスのABC」(らくだ出版)

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       金の看板j
 身体が暖かくなる食事を作ろうと、生姜をすり、レンコンをすり、蕪をすり、大根をすり、山芋をすり・・・
 冬場、いろんなものをすります。で、調子にのって、すっていたら、たまに、爪も一緒に、あるいは、皮膚も一緒にすっていることもあって、スリリングな食事となります。

 まあ、これは、私が鈍いせいだとも言えますが、あの綺麗な爪の細工をしている女性たちは、すりものをしないのでしょうか?
 それから、間違っても、その綺麗な爪の女性に、そのキャップ開けてとか、缶ジュース開けてとか言えません。

 ・・・とすると、その女性たちは、台所仕事などしないのか?
 と、思い、一応主婦で、きれいな爪の人に聞いてみると、「普通に台所仕事できるし、お米もとげる。一度塗ると、長いこと持つのよ」と、言われます。
 ほんとかなぁ・・・???

 そうだとしたら、やっぱり、ドンくさい私が、あの綺麗な爪にする日は、来ないということに。
 いわば、爪も皮膚もたんぱく質だけど、ネイルに施した綺麗な色やものは、化学製品だから、お食事の中に入るのは、よくないでしょう?
☆写真は、スイス ベルンの街で見かけた看板。

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我にかくれん

冬桜j

「居眠りて我にかくれん冬ごもり」 (蕪村)

 以前は、部屋に炬燵があって、寒い時はもぐりこんで、横になるとついつい居眠りしてしまったものです。それに、炬燵カバーが短くて、肩まですっぽりできないので、肩は冷えてクシャンということもありましたねぇ。

 今の住まいは、マンションで、畳の部屋がなく、炬燵もありません。リビングが床暖房なので、みんなそこでごろごろ。冬場乾きにくい洗濯ものも、一緒に広げていますから、もし誰か、この部屋を俯瞰したなら、そりゃ、大小、生モノ乾きモノが散らかってますねぇ。

 もちろん、炬燵同様、床暖房でも居眠り可能です。低温火傷まではいきませんが、これはこれで、顔が乾燥してぱさぱさします。それに、我にかくれん・・・などという内向きな居眠りではなく、ただドテッと、ZZZ・・・

 とはいえ、寒い日、暖かい日、明日は立春。

☆写真は、ひっそり咲くフユザクラ。左下の緑の屋根は、東京 両国国技館。(撮影*&Co.A)

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入門書

          笠富士j
 先日、上京した時、大浮世展に行けるかどうか定かでなかったので、旅のお供にもって行ったのが岩波新書「北斎」(大久保純一著)でした。

 岩波新書にしては珍しくカラーの表紙絵(「諸国 瀧廻り 下野黒髪山きりふりの滝」)に惹かれ、新刊早々、買っていたものの、積んでおいた本でした。
 中には、図版も多く、北斎の生涯の仕事の流れがわかります。が、読み進めば読み進むほど、もっと北斎のことを知りたい、もっと作品について知りたいと言う気持ちが勝ってきます。奥が深すぎます。幅が広すぎます。

 著者が後書きでいうように、この本は、入門書という位置づけです。著者は、謙虚に、こう言います。
「・・・あらためてこの絵師の画業の並外れた幅広さと、それぞれのジャンルにおける完成度の高さを自分なりに再認識して終わった観さえある。」
 そのうえで、「・・・その質的な高さと影響力の大きさからして、もっと積極的に絵画史の研究対象とされるべきことを、いまさらながら強く感じた。」

 素人ながら、まったく同感です。
 もともとは、北斎の自由闊達さが好きで、楽しんできたのですが、さらに北斎を楽しみたいと強く思うようになりました。

☆写真は、いわゆる笠富士。2013年8月(撮影:&Co.A)

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Auld Lang Syne

AULD LANG SYNEj
(承前)
 上京の目的とはズレるものの、なんとしてでも文化探訪がしたかったので、部屋探しの近くで行けるところはないかと、目論み、見つけたのが娘の部屋ではなく、文京区立森鷗外記念館でした。

 ここは、小さな展示やイベントで、集客するタイプの記念館のようですが、今回は、鷗外に届いた作家たちからの年賀状の展示「鷗外への賀状」展(~2014年1月26日)でした。
 年賀状ですから、展示品は小さく、数もさほど多くありません。が、2013年鷗外生誕150年に作られた新しい記念館で、コンピューター画像による展示もあり、明るい画面で、各人の文字や文を眺めることもできます。これは、ベルンのポール・クレーセンターでも楽しんだ画像処理の鑑賞です。ページを繰りたい展示物や退色によって見にくい展示物など、手にとって見たい気持ちを満足させてくれるものです。
 年賀状は、それぞれにセンスがあって達筆だし、その一言が、味があって、なるほど、と感じいりました。
 中でも、一番見たかったのは、パンフレットに掲載されている写真右に写るアンティークな葉書でした。AULD LANG SYNE(2)と見えます。これは、そう、「蛍の光」です。スコットランド人の愛するスコットランド古謡なのです。この葉書に載っているのは、後にロバート・バーンズが書きくわえた詩と、少し違う個所もありますが、元々は古謡なので、伝わり方で違いがあるのではないかと考えます。
 旧友と再会し思い出話に花を咲かせ、酒を酌み交わすといった情景の一部が記載されています。新年によく歌われるそう。

「Auld Lang Syne」は、「Old Long Since」のこと。
 意訳は、「過ぎ去った日々」のようなことかと思います。

我が友よ この手をとって、
君の手も こちらに
飲み干そうじゃないか 我らが友情と 遠い昔のために
過ぎ去った日々のために
今も続く 親愛の この 一杯を 酌み交わそう 
過ぎ去った日々のために        (拙訳)

 かつて、ディケンズのクリスマスストーリー講読ゼミにお邪魔していたことがあり、THE HOLLY-TREEという話の中に、何度かこの歌が登場し、話のバックミュージックとして覚えていたことも手伝って、賀状を受け取った鷗外ならずとも、懐かしい気もちでいっぱいになりました。

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