「彫刻家の娘」 (トーベ・ヤンソン文 講談社)
この本は、2月19日のブログに書き、その「クリスマス」という章にも触れました。
「クリスマス」の章には、モミの木と、それに繋がる思いが綴られています。
≪小さい子どもにとって、クリスマスは大きなできごとだ。子どもが小さければ小さいほどそうだ。モミの木の下にひろがるクリスマスはとてつもなく大きい。それは赤いリンゴが実をつける緑のジャングルだ。糸につるされたやさしい表情の天使たちが、悲しげにくるくるまわりながら原生林への入り口をみはっている。原生林はガラス玉にうつされて、はてしなくひろがってく。モミの木のおかげで、クリスマスは安らぎをもたらすものとなる。≫
そうかぁ・・・「安らぎ」、確かにこれは、とても大切な事。
やっぱりモミの木がなくちゃぁ ・・・
ということで、遅ればせながら、モミの木もどきのグリーンを買いました。
バルサムモミのように力強くなくても、クリスマスシーズン、部屋に緑があるのはいいいものです。
平和なクリスマスが過ごせることに感謝します。

(承前)
「クリスマスツリーの12カ月」の文は、エレン・ブライアン・オベットですが、この作家は「12種類の氷」(エレン・ブライアン・オベット文 バーバラ・マクリントック絵 福本友美子訳 ほるぷ)も書きました。
初氷から夢の氷までの12の氷。
晩秋から春までの話。
リンクの氷ができ、リンクの氷の上で繰り広げられるスケート靴を履いた世界。
大きな事件など起こりませんが、静かで、ぴんと張った空気の中、子どもたちの楽しい世界が書かれています。
挿絵は、最近たくさん翻訳されている マックリントック。
「シモンのおとしもの」では、愉快な隠し絵を楽しませてくれました。
この画家は、センダックの後押しもあって、NYに行き、その後、次々、絵本を出版しています。
センダックに影響を受けたような絵もありますが、センダックのような濃密な描き方とは異なり、万人受けする明るい描き方の画家です。
そして、この「12種類の氷」でのイラストは、線のみで勝負しています。スケートシーンの美しいこと。
*「シモンのおとしもの」(バーバラ・マックリントック 福本友美子訳 あすなろ書房)
☆写真は、スイス 6月頃のバッハアルプゼー(撮影:&Co.A)
(承前)
「クリスマスツリーの12カ月」 (エレン・ブライアン・オベット文 アン・ハンター絵 湯本香樹実訳 講談社)
「クリスマスツリーはどんな1年をすごしているのでしょう?」で、始まるこの絵本は、1月から順番に「1月のクリスマスツリーが すきなのは だあれ?」「2月・・」「3月・・」と12月までの1年間、バルサムモミに集まる鳥や虫や動物たちを描いています。もちろん、「12月のクリスマスツリーをすきなのは、わたしたち!」という子どもたちも登場します。
≪・・・クリスマスツリー農園で、ツリーをえらんだら、
そりにのせて 小屋までひっぱっていくよ。
小屋でツリーのお金をはらって、あたたかいリンゴジュースをのみ、
クリスマスクッキーを、みんなでたべる。
おとうさんのくるまのルーフに、ツリーをくくりつけるのを
農園の人がてつだってくれるんだ≫
そうかぁ。クリスマスツリー農園というのがあるのですね。
いいなぁ・・・と思っていたら、文を書いたエレン・ブライアン・オベットも絵を描いたアン・ハンターも、メイン州とバーモント州のクリスマスツリー農園のそばに住んでいるとありました。
それに、この絵本のように農園のバルサムモミではないものの「おもいでのクリスマスツリー」もバルサムモミでしたね。
また、巻末に、農園の人たちの12カ月として、クリスマスツリー農園の人たちが毎月出会う鳥や虫や動物のことを一言ずつ紹介しているのも読んで楽しい。(続く)
☆写真は、スイス インターラーケン トゥーン湖を見下ろす。
(承前)
「おもいでのクリスマスツリー」 (グロリア・ヒューストン文 バーバラ・クーニー絵 吉田新一訳 ほるぷ出版)
「おもいでのクリスマスツリー」は、絵本の形式ですが、小学生に読んでほしい1冊です。
≪ルーシーの住む村では、毎年、教会に飾るクリスマスツリーを、輪番で立てています。その当番に当たった年の春、ルーシーとお父さんは、クリスマスツリーにぴったりのバルサムモミを見つけ出し、しるしに赤いリボンをつけておきました。
「うちでは、バルサムモミをたてよう、ルーシー。バルサムモミは、だいたんな男しかのぼっていかないような山の、とても高い、ごつごつの岩にそだつけれど、天にとどくほど高くのびて、クリスマスツリーにはぴったりの木なのだよ。」
ところが、夏になるとお父さんは兵士となって、海の向こうの戦場に・・・
そして、クリスマスが近づき、お母さんとルーシーは、だいたんな男しかのぼっていかないような山の、天高くそびえる、ごつごつの岩のところまで登っていき・・・≫
月明かりの中、お母さんとルーシーが、リボンのついたバルサムモミを見つける絵の美しいこと。
うつくしいドレスを着たルーシーが両腕を静かに高く左右にあげている絵の可愛いこと。
こうやって、美しい絵本のことを書いていると、絵本は、実際に手にとって、ページを繰ってみなきゃと、強く思います。(続く)
☆写真は、スイス ミューレン。メンヒ・ユングフラウを望む。
(承前)
手持ちのクリスマス絵本には、題名に「モミの木」や「クリスマスツリー」とついた絵本が10冊以上あります。絵の中にツリーが描かれているものは数知れず、クリスマスの絵本にツリーは欠かせないものです。その中でも、バーバラ・クーニーのクリスマス 絵本に「ちいさなもみのき」と「おもいでのクリスマスツリー」があります。
昨年の12月18日のブログにも「ちいさなもみのき」のことを書きましたが、今夏、スイスのトレッキングをしていたら、写真のようなモミの木の類をたくさん見かけ、この絵本のことを思い出しながら撮ったので、今年も登場「ちいさなもみのき」 (マーガレット・マーガレット・ブラウン文 バーバラ・クーニー絵 かみじょうゆみこ訳 福音館)です。
文は、小さい子の本をたくさん出しているマーガレット・ワイズ・ブラウン(「クリスマス・イブ」「おやすみなさいおつきさま」などなどの作者)です。
≪森のはずれに立つ一本のちいさなもみのきは、まだ種だった時に風に吹かれて野原の土の上に落ち、七回の春・夏・秋・冬を過ごしましたが、みんなと離れて立っているので少しさびしく思っていました。
「誰かと一緒にいたい、森のみんなと一緒にいたい」
そんなとき、シャベルをかついだ男の人がやってきて
「ちいさすぎもせず おおきすぎもせず
かたすぎもせず やわかすぎもせず
わたしのむすこに ぴったりだ
つよく いっしょに のびていくんだ」
と、もみのきをそっと掘り返し、足の悪い息子の元に持ち帰りました。
もみのきは男の子の足もとに飾られ、クリスマスツリーになりました。そして、クリスマスが終わると、またもりのはずれに帰りました。・・・また冬が来て・・・春が来て・・・また冬が来て・・・≫(続く)

*「クリスマスイブ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ベニ・モントレソール絵 矢川澄子訳 ほるぷ)
*「おやすみなさいおつきさま」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 クレメント・ハード絵 瀬田貞二訳 評論社)
☆写真は、スイス ミューレン。
30年以上前、長男が生まれ、まずは、小さなイミテーションツリーを飾りました。
一軒家に引っ越すと、大きなイミテーションツリーを飾りました。するうち、それは、小さかった甥に譲り、我が家では、モミの木を買い、年々大きくなっていつか部屋に入りきれなくなりました。そして、次に、マンションに引っ越して、小さいモミの木にしたら、次第に弱り、ついに枯れて・・・今年はモミの木がない。
そんなこんなで、今年は写真に写る、アドヴェントツリーなるものを購入しました。昨年、購入し、家族も大喜びだったハンパーも同時に着きました。
わくわくしながら、1日からアドベントウィンドーを開けてみました!
え?あろうことか、本来なら、1日~24日の窓を開けたら、キャンディーやチョコレートが入っているはずなのに空っぽ(オンラインの写真には写っていた)・・・
それもそのはず、ちゃんとオンラインの文章には書いておりました。「この窓にはお菓子などを入れることができる。」とな。そういえば、オンラインの別ページには、お菓子のレフィルが売っていた。ま、日本のチョコレートや飴でもいいのです。
とはいえ、ツリーがないと、やっぱり寂しい・・・(続く)
何年か前、目に何か入って、しばらく痛かったので、目医者さんに行ったらば、「加齢で、まばたきの反応も遅くなっているからね」と、さらっと言われ、そうかぁ・・・と、自覚していたのですが、最近、しょっちゅう、指を負傷します。包丁による傷、やけどによる傷、窓ふきをしていたら、窓に指を挟むという傷、OH!
年末だからとか、老眼だからとか、片手を負傷しているから、かばおうとして余計片手に負担が行くから等という屁理屈を考えても仕方にない。ま、反応が遅い。(単に、粗忽なだけとも言えますが、こんなに指を怪我したことは、かつてないような・・・)
以前は、あれして、これして、こうやって、と考えながら動いていたのが、もう済んだっけ?あれ、どこいった?これ、なんで、持ってる?ええー、忘れてた!が増えてきました。ま、許容量を超えている。(単に、物覚えが悪いだけとも言えるような・・・)
とはいえ、クリスマスプディングは届いているし、ホットワインのスパイスも大丈夫。お菓子もチョコレートもそろっているぞ。これで、クリスマスもなんとかなるさ。
それに、友人の車で連れて行ってもらった丹波篠山で、お正月の黒豆も、栗の甘露煮も準備万端。これでお正月もばっちり!?
☆写真は、兵庫県篠山市 黒豆の老舗の軒先。
「魔法の樽 他12篇」 (マラマッド作 阿部公彦訳 岩波文庫)
おお、またNYのユダヤ系作家。すでに他社から何冊か翻訳されているらしいのですが、浅学な私自身は、初見の作家でした。
この作家も、お話運びがうまく、短篇集ということもあって、あっというまに読み終えてしまいました。多くが、すとんと終わり、え? ん?という感じなのですが、それまでの積み上げが丁寧なので、納得がいきます。
そして、ユダヤ系の作家の文学には、民族の背負ったものを表現しようとする使命感を感じます。いつも、どの話もと言うことではありませんが、やっぱり、底に流れるものは奥深いもの。
短篇集「魔法の樽」の中の一つ、「湖の令嬢」は、一目ぼれした女性についた嘘、自分はユダヤ人でない。そこが物語の骨になり、そして、最後は重く重い事実と対峙する話です。
≪・・・彼女をイタリアから連れ出すためには先に結婚していないといけないので、式もキリスト教会ですることになるだろう。ことを早く進めたいから、それも仕方ないと彼は思った。毎日誰かがやっていることだ。彼はこんな風に決断したが、まだ何か引っかかるものがあった。ユダヤ人であることを否定するよりも------だいたいユダヤ人であることでどんな得をしたというのだ?悩みが増え、蔑まれ、忌まわしい記憶ができただけだ――――それよりも愛する者に対する嘘が問題なのだ。一目惚れに嘘。これが心の傷となって彼を苦しめた。しかし、そうするしかないのだから、あきらめよう。・・・≫
☆写真は、スイス レマン湖早朝。
伊丹美術館の「ベン・シャーン 線の魔術師」展(~2013年12月23日)に行かれた人から、メールやお手紙が来ます。
小学校の図工の教科書でベン・シャーンに逢った旦那さまと二人で行かれた人。
感動した勢いのまま、帰りの電車からメールを下さり、その後も、周囲の人たちに熱く語って動員に貢献なさっている人。
高校のときにベン・シャーンの作品に出会って以来、心にその名を刻み、この度、その作品と再会された人。(写真右下に写る「麦の穂」がそれ)
他にも、皆さんそれぞれに楽しまれたご様子。分かち合えて嬉しいです。
そんななか、先日、図録に疑問を呈したものの、後から行った人たちは、会期途中でも購入すらできなかったとお聞きしました。
確かに、売れずに大量に余ってしまうのも大変だと思います。ましてや、先日書いたように、少々お洒落な(多分、経費がかかったと思われる)図録だけに、在庫を抱えたくないのはわかります。が、しかし、それって、展覧会に来る人の数を低く見積もりすぎていませんか?
さて、昨年、書き続けたロダンとカミーユの文ですが、その資料として、川口市アートギャラリーから、図録「二人のクローデル展」を取り寄せました。カミーユの弟ポール・クローデルのことが知りたかったからです。今は昔、2007年の展覧会です。電話で問い合わせたとき、在庫があると聞いて、とても嬉しかったのを覚えています。誰しも、その美術館に足を運んで、生の作品に出会えるわけではありませんので、図録の在庫も必要なものだと思うのです。
☆写真は、右上 芸術新潮2012年1月号「絵本を作った」の項「伝道の書」を開いたところ。右下は、伊丹美術館図録「麦の穂」。左は、Alastair Reid の言葉遊び・詩にベン・シャーンが絵をつけた絵本「Ounce Dice Trice」(NYRB)
(承前)
「唱歌・童謡ものがたり」 (読売新聞文化部 岩波現代文庫)の71曲の中で歌えなかったのが10曲程度ありました。
その中の一曲、「桜井の訣別」(作詞 落合直文 作曲 奥山朝恭)
題名を初めて目にしたなら、歌詞も初めて(なんと!6番まである)。
これは、歌えないので本文を読んでみることに・・・
すると、戦前の日本人なら知らない者のない唱歌とありました。≪主人公は、大楠公・楠木正成・正行父子。神戸の湊川の戦いを前に、父が息子に後事を託し、涙を払って死出の旅に赴く。「太平記」屈指の名場面の背景に<青葉>を設定した直文の美意識と文学的感性の鋭さには、脱帽するほかはない。≫
ふーむ、戦後生まれなので、知らない。
かつて、この所縁の地、湊川神社で、この歌のテープを流していた・・・とも書いてありました。私も幼い頃、よく行ったことのある湊川神社ですが、聞いた覚えがない。(蛇足ながら、神戸の人なら、この湊川の神社のことを楠公さんと言います。)
<…忍ぶ鎧の袖の上に…>
<…父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討死にせん…>
<…御供仕えん死出の旅…>
<…己れ討死為さんには・・・>
<…此世の別れの形見にと…>
<…あわれ血に泣く其声を…>
といった文言が1~6番まで入っています。やっぱり、知らない。
本文には、こんなことが書いてありました。
≪名曲は時代を越えて生き続けると言われる。本当にそうだろうか。いかに優れた歌でも社会の変動とともに否定され、忘れられてしまうという実例はいくらでも存在する。まして、軍歌や戦前の国民唱歌のように、当時の国家の要請に呼応して人口に膾炙(かいしゃ)した歌はなおさらである。・・・≫
が、この歌を全く知らない戦後生まれの私は、思います。愛される歌は、やっぱり歌い継がれるし、国を越えても愛すべきメロディは引き継がれるのではないかと。時代を越えて生き続ける魅力のある歌は、口伝えで伝わっていくはず。だから、この「桜井の訣別」は、当時、皆が知っていて名曲だったとしても、歌い継ぎたい愛唱歌ではなかったのですね。いかんせん、この歌のことしらないのです。
☆写真は、スイス ベルン 大聖堂。お口から歌じゃなくて雨が出る。
「唱歌・童謡ものがたり」 (読売新聞文化部 岩波現代文庫)
「この新聞読んでないので、連載を本にしてもらってよかった。さあ、読もう!」
と、開けてみると、当然のことながら、歌詞が!
うーん、こりゃ、歌わないと。
窓も閉め切ってるし、誰もいない。
はい、延々71曲中およそ60曲。♪(時に触りだけ、時に複数回、歌ってみました。)
トップバターが「早春賦」というのもいいなぁ。もちろん大好きな「朧月夜」は繰り返すし、「夏の思い出」は、中学校の課題曲だったのよねぇ。そうそう、これも大好き!「冬景色」(作詞不詳 作曲不詳)
♪さぎりきーゆる みーなとえの
♪ふねにしーろし あーさのしも
♪たーだ みずとりの こーえはして
♪いまだ さーめず きーしのいえ
当時、「狭霧、さぎり」のロマンチックな響きにノックダウン。「さ」!「さ」が付くだけで、一気に美しさが増す日本語の素晴らしさ。
「たーだ」っていうだけで、静寂を破る鳥の声しか聞こえない世界。
2番の「げーに」なんて、ふだん使わないからより大人っぽくて魅力的。「げに」から一気に現代口語から文語調。
3番「嵐吹きて雲は落ち、時雨降りて日は暮れぬ」・・・ああ、このこのさり気ない漢文調。大きな自然を単純な言葉ですっぱり。
♪からす なーきて きーにたかく
♪ひとは はーたに むーぎをふむ
♪げーに こはるびの のーどけしや
♪かえりざーきの はーなも みゆ
♪あらし ふーきて くーもはおち
♪しぐれ おーりて ひーはくれぬ
♪もーし ともしびの もーれこずば
♪それとわーかじ のーべのさと
(続く)
☆写真は、冬の散歩。河口のユリカモメ。
奈良の大和文華館「文学と美術の出会い―平安時代から江戸時代の物語絵」展(~2013年12月26日)に行きました。お庭は大きく展示室は小さく出展も少ないものの、誰も居ない状態です。絵巻を鑑賞する時は、手に取れない以上、ずっと横歩きで眺めるしかありませんから、独り占めで鑑賞できるのは、有難いこと。
会場には、源氏物語や伊勢物語、軍記物やお伽草紙など、絵巻や屏風や掛軸、ほか画帖・扇面、様々な形をとって、展示されていました。また、絵巻や屏風ではないのですが、「伊勢物語 古意」(賀茂真淵)や「よしやあしや」(上田秋成)という、伊勢物語の図入り解説書も興味深いものでした。
かつて、宗教と関係していった西欧の絵画。
物語と出会って、自由に生き生きと描かれていった、日本の絵画。
絵本をめくる楽しみと絵巻をほどいていく楽しみは同じです。文があり絵があり、文があり絵があり。話が進むと絵も進む。
また、絵巻や屏風絵に見られる雲に仕切られた絵の展開は、漫画のコマ割りの様な役割を果たしていて、それも面白い。
ただ,私自身、その書面の文字を読みこなせないのは、この上なく 残念。
☆写真は、奈良の大和文華館。いまだ赤いもみじ。


【「やまなしもぎ」という民話を思い出す今日この頃。】
むかし、あるところに、おかあさんと三人の兄弟がすんでいました。おかあさんは、からだの具合がわるくて 寝ていましたが、ある日、兄弟を呼んで「おくやまの やまなしが たべたいな」と言いました。そこで、一番目の太郎がまず出掛け、「ゆけっちゃ かさかさ」となっている方に行くように、山のふもとにいたばあさまに教えてもらうも、「ゆくなちゃ がさがさ」という右の道に入っていき・・・げろりっと、ぬまのぬしに飲み込まれてしまいました。
【ああ、右の道に行ったら、あかん!あかん!右は絶対だめ!】
次は、二郎が左の道に入っていくも、同じように飲み込まれ、最後に気立てのいい三郎がまん中の道を行き、
「ひがしの えだは おっかないせ、
にしの えだは あぶないせ、
きたの えだは かげうつる、
みなみの えだに のぼりんさい、
ざらんざらん」 と、助けてもらい、
やまなしは もぐは、太郎二郎は 助けるは、お母さんは 元気になるは・・・どんとはらい。
【というような、ことにならんかのう・・・】
*「やまなしもぎ」(平野直 再話 太田大八 画 福音館)
☆写真は、食べてはいけないと表示されていたタマヒョウタンボク。神戸森林植物園。
(承前)
「ベン・シャーン 線の魔術師」展に行って、「ハレルヤシリーズ」に感動したことは書きました。が、家に帰って、細かく解説を読みながら、もう一度、楽しみたいと思って図録を買ったのに、ハレルヤシリーズはたった二枚。他の連作、ラッキードラゴン、シェイクスピア「ハムレットーテレビ脚本」すら、それらの少数を載せているだけ。
従来の図録より表紙が厚紙で、お洒落な大判ノートの雰囲気が漂う図録です。うーん。これは画集であって、図録と言わないのか?個々の解説もない。ま、後ろに出展リストが付いているので、図録の一派なのかもしれません。が、しかし、他にこの展覧会の図録がない以上、展覧会を楽しんだ人が家に帰っても楽しむには、この図録を購入するしかない。
図録は、お洒落でいいセンスより、記録だということを忘れた自己満足になっていたような・・・企画者サイドで印象に残る素敵なものを、一般の観覧者は期待していません。企画者の才能を見に行ったわけではないのですし、画集なら、他にあるでしょうし。
以前、受講していた英国人の教授による「英国文化論」では、一時期、テキストに、「テート・ギャラリー展(1998年)」の図録を使用されていたことがあります。「ベン・シャーン展」とは、出品点数が違うとはいえ、また、いろんな画家の展示だったとはいえ、どの絵も「図で記録」され、どの絵にも解説がついておりました。だから、会期が終わっても、あるいは行った事がなくても、ある意味、その展覧会をもう一度楽しめました。つまり、こういう、ありきたりな図録こそ、展示物に敬意を表しているものだと思うのです。
丸沼美術館のコレクションが素晴らしかっただけに、今回のお洒落な図録には、複雑な思いが残りました。
☆写真は、左ベン・シャーン「A Partridge in a Pear Tree」右ポップアップ絵本「The 12 Days Of Christmas」(R.Sabuda)8日目、8人の乳しぼり娘。
(承前)
2012年の「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト――写真・絵画・グラフィック・アート」展の名古屋にも、伊丹美術館の「ベン・シャーン展 線の魔術師」(~2013年12月23日)にも早々と足を運ばれた友人の旦那様がいらっしゃいました。
なにゆえ、ベン・シャーンに惹かれていらっしゃったのか?ちょっと、興味がありました。
で、お尋ねすると・・・・小学校の図工の教科書にBen Shahnの「When the Saints」が載っていて、絵から音楽が聴こえてきた・・・それにショックを受けたのが最初。とのこと。
その絵をWEBで見ました。確かに、確かに、聴こえます。トランペット サキソフォーン クラリネットを演奏する三人の男たちが描かれた絵です。豊かな感性の少年が、ずっと心に育んでいた名前、ベン・シャーン。
子どもたちに、本物を。嘘やごまかしのない本物を・・・と、思います。(続く)
*ちなみに、「When the Saints」は『聖者の行進』『聖者が町にやってくる』です。多くの人が耳にしたことがあるジャズです。そういえば、父の持っていたルイ・アームストロングのLPレコードに入っていたなぁ・・・と、書いていたら、ルイ・アームストロングのあの歌声が聴こえました。
☆写真は、ベン・シャーン「A Partridge in a Pear Tree」の12日目、踊る12人のレディの前にポップアップ絵本「The 12 Days Of Christmas」の11日目 11人の踊るレディ。(R.Sabuda作)
A Partridge in a Pear Tree
(承前)
先日、ユダヤ系作家の「聖なる酔っぱらいの伝説」(ヨーゼフ・ロート作 池内紀訳 岩波文庫)のことを書いた最後に、(後日に続く。外国から無事届くはずのものを待ってます。)と書きました。その待っていた本が、この「A Partridge in a Pear Tree」でした。
伊丹美術館の「ベン・シャーン展」(~2013年12月23日)で見て、どうしても欲しくなって、調べたら、本国アメリカよりいい状態でリーズナブル、しかも1949年(私家版は1948年)というのがあったので、イギリスの田舎から購入。どうして、こんな初版がイギリスの田舎にあるのか、考えるだけでもわくわく。
手元に届いた本を見たら「この本は、1949年の夏 Curt Valentin のためにMGCによって印刷されました」とありました。ん?このCurt Valentin って誰?まさか、元は、娘に作ったとはいえ、その名前じゃないし・・・で、調べたら、1902年生まれのドイツハンブルグ生まれ、ベルリンでギャラリーを開き、出版業もするも、ヒットラーに退廃的とされ、NYに移住。NY移住後は、Curt Valentinギャラリーの運営と、何冊かの絵のついた本や詩集の限定版などを出版した人らしい。(1954年没)
さて、展覧会ならケースに入っている この本を 絵本好きの人達と、直接手にとって、分かち合いました。
本はめくってこそ、生きてきます。絵本は、読んでこそ(歌ってこそ)生きてきます。・・・・と、楽しんでいたら、ちょっといいお話を聞きました。(続く)
☆写真は、ベン・シャーンの「A Partridge in a Pear Tree」の下に「The 12 Days Of Christmas」というポップアップ絵本(R.Sabuda作)
(承前)
日本でクリスマスと言えば、多くの人が12月24日25日と捉えています。じゃあ、「クリスマスの12日」というのは、いつ?
これは、12月26日~1月6日までの期間、25日に生まれた幼子を三人の博士たちが探し、見つけた出した期間を指しているようです。
つまり、日本では25日の夜には、街のウィンドーがお正月飾りになってしまうのですが、イギリスなどでは、1月6日まではクリスマスツリーを飾っているわけです。もちろん新年を祝うという意味も大きいはずです。
で、「クリスマスの12日」という歌を絵本にしたものがあって、ベン・シャーンも、娘のために作ったのが、写真に写るそれ。
題名が「A Partridge in a Tree なしの木のヤマウズラ」となっているのは、なしの木の一羽のヤマウズラから、数が、毎日どんどん増えて行く、数遊び歌だからです。
♪さあ、クリスマスはじめの日のおくりものは~♪一羽のヤマウズラ~♪ さあ、クリスマスふつかめのおくりものは~♪二羽のキジバト それに一羽のヤマウズラ~♪・・・『クリスマスの12日』(エミリー・ボーラム絵 わしずなつえ訳 詩 CD付き 福音館)
(続く)
☆写真は、右『芸術新潮』2012年1月号「ベン・シャーン特集号の」沼辺信一さん執筆による「ベン・シャーンの歌が聴こえる」のページの「クリスマスの12日」の絵のところ。左、伊丹美術館図録。左下、1949年版〝A Partridge in a Tree”。
(承前)
「ベン・シャーン展 線の魔術師」に、合わせて、詩人のアーサー・ビナード氏が講演されました。
ベン・シャーンの作品「ラッキードラゴンシリーズ」を構成した絵本「ここが家だ」の1時間半の講演のはずでした。が、予定は大幅に伸び、3時間近くの熱弁。しかも、少しの「アメリカなまり」もない日本語。語彙が豊富なだけに、下手な日本人より、はるかに理解しやすくユーモアにも満ちていました。もちろん、毒(薬?)も含みながら、一気にお話しなさいました。
幼少のころから、ご自宅にベン・シャーンの画集があったこと・・・から、絵本「ここが家だ」の構成と文に携わっていく流れのお話といえば、そうなのですが、絵本の絵のもつ力が強すぎて、文作りは困難を極めたこと、当時、訳した「放射能病」という言葉に、今は疑問を持っていること(病気じゃないやん!って)等など、絵画、言葉、そして、核のこと、・・・
アーサー・ビナード氏の、知名度の高さもありますが、狭い会場は、満員御礼。立ち見も多く、絵画から興味を持った人、言葉から興味を持った人、「第五福竜丸」の持つ現代につながる事象への関心から足を運んだ人など、聴衆も様々だったような気がします。(続く)
☆写真は、伊丹美術館で「ベン・シャーン展」に合わせて、東欧からNYに渡ったユダヤ系移民たちの思い出の味をアレンジしたカフェ・スタンドのベーグルとお茶。お茶は手前の木イチゴのジャムをなめながら飲むロシア風。ベーグルに貼ってあるシールや下に写る絵は、ベン・シャーンが描いた、彼自身がベーグルを食べている絵。
(承前)
伊丹美術館の「ベン・シャーン――線の魔術師」展には、二回足を運びました。
一度は、開期の初め頃、ほとんど人の居ない状態の時。
二回目は、同館で行われたアーサー・ビナード氏の講演会の時でした。
二度とも、時間をかけ楽しんだのが、「ハレルヤシリーズ」という楽器を持つ人たちの連作です。イディシュ文字を装飾している画は輝き、楽器を持つ人たちはそれぞれが美しい。近くで見てもよかったけれど、壁から離れて全体を見ると、さながら、楽の音が聞こえてきそう。きっと、これは、一枚ずつバラバラで鑑賞するより、また、本と言う形にするより、こうやって、並べられてこそ、真価を発揮するような気がします。
それから、最後の展示室にあったリルケ「マルテの手記」から生まれた石版画集「一行の詩のためには・・・」の24枚のリトグラフは、それまでの空気と変わり、涙が出そうになるような穏やかで包み込むような空気が漂っていました。後から知ったことですが、ベン・シャーンが亡くなる前年に残した作品だということもあって、何か突き抜けた空気を感じたのかもしれません。
「マルテの手記」は、ベン・シャーンが愛した小説で、その小説の一節に思いを込めて、作品に残したようです。「マルテの手記」の一部、その一句、一句を、絵にしています。(続く)
☆写真の絵ハガキは、その一部です。右上隅にグレーが少ししか写っていないのが、「飛ぶ鳥の姿」、その左「心を悲しませてしまった両親を」「静かなしんとした部屋で」「小さな草花のたたずまい」「星くずとともに消え去った旅寝に夜々」、右中、「産婦の叫び」右下「少年の日の思い出を」「少年時代の病気を」「扉Ⅰ」。加えて、昨日のポスター・チケットなどの絵「愛にみちた多くの夜の回想」。明日掲載予定の「海そのものの姿」も「マルテの手記」の一句から描かれています。
桜の頃も、紅葉の頃も、何にしても、美味しいものがついていると、その楽しみは倍増。
賑わいすぎる京都の観光を支えているのも、花や葉っぱや仏像や寺社仏閣だけでなく、美味しいもの・・・ということも充分考えられます。
写真は、言わずもがな、美味しそうでしょう?抹茶ぜんざい。ほろ苦い抹茶とあまーいぜんざい。香ばしいやきもち。うふふのふ。(石清水八幡宮門前の創業1764年のこのお店、初めは大津だったようで、広重の「東海道五十三次」の大津宿に描かれている老舗。名物走井餅も、もちろん、美味しい。)
それに下の写真に写る小さな小さな柿は、老爺(ろうや)柿。食べられないだろうけど・・・
この生け方のバランスと掛け軸。日本人の美意識。食べもんだけや、おへん。
