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みんなみすべくきたすべく

エリーゼ・ヴィートゲルト

       レマン連絡船j
(承前)
「鷗外の恋 舞姫エリスの真実」(六草いちか 講談社)
  たまたま、「晩年の父」(小堀杏奴 岩波文庫)を読み終えた頃、日経の書評(2013年10月20日)に「それからのエリス いま明らかになる鷗外の『舞姫』の面影」(六草いちか 講談社)が出ていました。
 面白そう・・・図書館にあるかな?・・・新しいので、まだなかったのですが、その代わりに、前作「鷗外の恋 舞姫エリスの真実」がありました。ということで、「鷗外の恋 舞姫エリスの真実」から読み始めました。

 まあ、なんと、根気のいる調査でしょう。今まで、あまた鷗外の研究本もあり、「舞姫エリス」の謎解き・調査もある中、学者でないこの六草いちかという著者の仕事の綿密で深いこと。いわば、人間の好奇心が成せる技で、学究精神とも少し違う。
 舞姫のモデルと言われる女性が、実際に日本に来日したのに、それも鷗外帰国と、さほど時間を経ずして、来日したのに、しかも、1888年にドイツから一人の若い女性が日本に来るのはよくよくのことだったのに、後日不当とも思える表現 「金さえ握らせれば片がつく」「路頭の花(賎女)」「人の言葉の真偽を知るだけの常識にも欠けている、哀れな女の行く末」と、冷静な判断を欠いたエリスへのイメージ。

 事実を知りたい著者を突き進ませたのは、一女性が一女性の名誉を取り返す執念だったかもしれません。偶然や幸運を味方につけながら、エリスを、エリーゼ・ヴィートゲルトと特定したのです。

  今までの学者たちが、文献を読みあさり、フィールドリサーチをし、推論の域から事実に近づこうとしたのと、この著者が、決定的に違うのは、著者はドイツ在住のライターであったために、ドイツに密着して古地図や公文書や教会の記録等などなど、つぶさに調べ上げ、事実から核心に迫って行った点です。もちろん、凄い読書量に裏付けられていますが・・・
 そして、後日、「エリス」の写真を見つけ出し、次なる著書「それからのエリス いま明らかになる鷗外の『舞姫』の面影」として、エリスのその後の実像に迫るに至るわけです。

 六草いちか氏は最後に言います。≪私は、『舞姫』を初めて読んだとき、豊太郎のふがいなさに憤慨し、男の身勝手さが正当化されているようなこの作品を嫌悪した。しかし、鷗外が「何を書いたか」ではなく「なぜ書いたか」を考えたとき、鷗外への誤解が解けた。≫(続く)
☆写真は、スイス レマン湖の定期連絡船

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