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「晩年の父」

日比谷公園j
 大体、森鷗外など、挫折し、ほとんど読みこなせていないのに、鷗外の娘の書いたものを先に読むか?と思いつつも、岩波文庫の重版「他では読めない」の帯がまぶしく、ついつい買ってしまいました。 「晩年の父」 (小堀杏奴著 岩波文庫)

 「晩年の父」の文章はいわゆる美文調ではありませんが、平易で読みやすく、何より「鷗外」が、とてもいいお父さんだとわかるのが、気分いい。
 お父さん森鷗外「舞姫」の、言語道断の後味とは全く違う。
 鷗外って、結構いい人やん。かなり、いいお父さんやん。
 他の子どもたちが書いた鷗外のことを読んでいませんが、この作者は、三番目の子どもで、しかも娘で、父親の余裕の気持ちが手伝うのか、大甘なお父さんなのです。姉の茉莉も溺愛していたらしい。

 ただ、著者70歳昭和54年発表の最後の文「はじめ悪しければ終わり善し」(「原題 はじめて理解できた『父・鷗外』」)は、前記の文体と全然違い、穏やかな空気が減り、著者の執念のようなものを感じます。
 世間から、何と言われようと、子どもには唯一無二のお父さん。しかも、それが愛情深い父親であったならなおさらです。
「舞姫」の結末と実際の結末。なぞは謎を呼ぶものの、子どもには、想像すらしたくないことでしょう。しかも、文豪であり、軍医であり、官僚であった 自慢の父親や家族を根ほり葉ほり研究材料にされた被害者意識が、「この文でもう最後にして。」と言わせています。

 この本は、「この書を最愛の母上に捧ぐ」とし、立場の弱かった母親に捧げられています。
「晩年の父」という題名ながら、本当は、「晩年の父と過ごした美しい母」としたかったかもしれないなと思います。父のすべての愛情は、母とその子どもたちにあったと子どもは信じたい。
 舞姫のモデルと文通をし、最期になって、目の前で妻に焼かせた手紙と写真。舞姫に最期まで、父の心があったかもしれないなんて、母の子どもなら思いたくない・・・

 杏奴は言います。≪勿論『舞姫』に書いてある事は殆ど事実ではなく、その人が子供を生んだ事も狂気になったことも全然創作である。二人は最初からある期間を限って同棲すると言う約束のもとに成立した関係であるが、女は父を諦めきれず、とうとう後を追って日本へ尋ねて来た。父は友人に頼んで、女が船からあがらぬうちに金を与えて帰ってもらったそうである。≫
 実の子どもならではの弁護です。
 「その人→女」と表現が変わるところが、心の痛みを物語っています。
 が、乗船名簿記録などから、≪とうとう後を追って≫という表現も、≪船からあがらぬうちに≫という表現も、事実は違うもののようです。しかも、≪二人は最初からある期間を限って同棲すると言う約束のもとに成立した関係≫という具体的な断定表現すら、危うい。(続く)

☆写真は、東京日比谷公園。この鶴の噴水は、明治38年頃(1905)の古いもの。
 鷗外親子も日比谷公園近くの日本料理屋へ行った事があると「晩年の父」には書かれているので、この噴水も見たかしら?森鷗外(1862-1922)小堀杏奴(1909-1998)

 

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