
昨年、「うれしい」と紹介した女の子も残念なことに退学し、次の学年も、また新たな退学者を出し、「頑張ってほしい」と願う大人の心と裏腹に、若い人の思いが勝り・・・
いろんな形で入りやすくなった大学ではありますが、文を書くのが苦手・・を、通り越して、いわば、書けないような人も、大学生になりうる昨今です。少々文章が書けなくて、○×や記号で越える得る学校生活も、あるいは、実技能力だけで越え得る学校生活も、最終的に就職には、筆記試験が伴うことが多いのが現実です。
そんな筆記能力のついてないまま大学生になった彼は、案の定、大学の単位が取れず、留年ということになり、大学をやめ専門学校に。
新学期は、彼のプライドが、すねたような授業態度に出ていました。が、毎回授業前に読む絵本だけは、聴いていました。
ある日、学生一人ひとりが絵本を読む時間のとき、彼は、とても手慣れた様子で読みました。「なかなか、いいやん」というと、いつもはぶっきらぼうな返事しかしない彼が、「そりゃそうや、本屋でバイトしてるとき、小さい子に読んでやってるもん」「え?そうなん?うまいと思ったわ。いいバイトやね・・・」というと、「ふふ」
夏休みも明けると、今度は彼の方から「来月から毎月、読み聞かせ、やらせてくれるねん」「そうなん?すごーい」「本もまかされてん。来るんは10人くらいかな?」で、秋の絵本や大勢の前で読み聞かせしやすい絵本の話を二人でしました。
その後。
「どうやった?」「あのな、30人くらい来てくれてん。お母さんたちもいたけどな。結構多いやろ?それに、出版社の営業の人も来てて、『今度から、紙芝居の枠、使っていいよ』って、言ってくれたしな」
「そりゃ、よかった!GOOD!」
その日の授業の最後は、こちらの設問に学生が文章で答えて提出というものでした。机の間を、私が回っていると、いつも殆ど書けない学生が居て、「箇条書きでもいいから、書いてごらん」等と指導していたら、絵本の読み聞かせをやり始めた彼が向こうの席から言うのです。
「俺が、なんで大学やめたか知ってるか? 今まで言わへんかったけどな。・・・・書かれへんかったからや。俺、今度は書くんや。おまえも何でもいいから書け。書く練習せなあかんのや。」
ちょっとしたきっかけが「自信」になり、一歩前に。
若い力は、いつも私にも力をくれます。
☆写真は、スイス レマン湖
京都 清水三年坂美術館では、いつも目を見張って帰ってきます。
前に行った「京薩摩」もその前の七宝(並河靖之)のそれぞれの超絶技巧に絶句しましたが、今回もすごーい!すごーい!の繰り返し。「絹糸で描いた刺繍絵画の世界」(~2013年11月17日)
一部、名前の残る人の作品もありましたが、多くが"unknown"。つまり明治の職人さんたちの仕事。よくまあ、これだけ、一針一針で、色のグラデーションが出せること。会場入ってすぐの「瀑布図」なんて、刺繍に見えず、絵画というより実写みたいに見えます。
この展覧会は、英国からの里帰り展でもあります。すなわち、これらの超絶技巧の刺繍絵画は、蒔絵や七宝、陶磁器などと同様、欧米に輸出されたようです。パンフレットの解説にあります。
≪明治時代、京都を中心に絹糸の刺繍で描かれた絵画作品が大量に作られていたことを知る人は少ない・・・≫、 それらの中で、状態良く残ったもの、退色や虫食いから守られた貴重なもの、が今回、展示されていて、昨年末は英国オックスフォードのアッシュモレアン美術館で大規模な展覧会が、すでにあったようです。
多分、信じられない時間と労力をかけて出来た作品なのです。ぱっとみただけでは、刺繍したなどと気付きません。完全に絵画に見えます。もしかしたら、糸の質量の分だけ、立体でもあり、光の当たり方で、輝くことに関しては、絵画を上回る魅力があります。また、描かれたライオンの毛の質感は、まるで本物のそれのようです。
これらは、竹内栖鳳らの下絵によっても、仕上げたともありますから、次は、やっぱり、竹内栖鳳を見に行こう!(京都市美術館 ~2013年12月1日)
☆写真は、「刺繍絵画の世界」展のパンフの「老梅鷹図衝立」。実物見なきゃ・・・
美容と健康にザクロはいいとか・・・ジュースは飲んだことがあるけれど、実を実際に食べたことはないなぁ…などと、酸っぱいもの好きなカメラマンは、よだれを垂らしながら、公園のザクロの写真を撮りました。
ラファエル前派集団のダンテ・ガブリエル・ロセッティが、ウィリアム・モリスの奥さんのジェインをモデルに女神「プロセルピナ」の絵を描いていますが、その手にはザクロの実。
さて、昨日のギリシャ悲劇は、少々苦手なのに、ローマ神話・伝説のオウィディウス「変身物語」は、何度か読み返しているから自分でも不思議です。その中に、プロセルピナとザクロの件があります。
冥界にかどわかされたプロセルピナが天界の母親の元に戻れる条件は、冥界の食べ物を口にしてはいけないということでした。が、≪・・・手入れのよい庭園を、無邪気にそぞろ歩きしていたおりのことですが、たわんだ枝からざくろの実をちぎり取って、黄色っぽい皮をむくと、七つの粒を取り出して、口にふくんだのです。≫で、それを見ていた少年が告げ口し・・・。という話です。
そんな告げ口屋の少年は、そのあと、人間にとって凶兆となるみみずくにされ、また、プロセルピナ自身は、ユピテルによる調停により、一年の半分を天界の母親と、半分を冥界の夫とともに暮らしたのでした。
うーん、ウィリアム・モリスのケルムスコットマナーに行った時、モリスは、妻のジェインを残し、このマナーハウスを留守にすることが多かったという説明を聞きました。が、3階には、ダンテ・ガブリエル・ロセッティのパレットやなんやかやが置いてありました。意味深長。・・・どころか、そのままやん。
*「変身物語」 (オウィディウス 中村善也訳 岩波文庫)
大体、ギリシャ悲劇など読みこなせるわけがないものの、岩波文庫の新刊のところにあったので、ついつい買ってしまいました。 「バッカイ―バッコスに憑かれた女たち」 (エウリピーデス 逸身喜一郎訳 岩波文庫)
神ディオニューソスと人の競り合い、その狂信者の女たちの話なのですが、だれが、神で人なのか、よく似た片仮名が続いたら、混乱するわ・・・
すでに、登場人物紹介のところで、図に書いて整理しなくちゃ、大混乱。
「カドモス: テーバイの建国者。ディオニューソスを生んだセメレーの父。いまや老人となり、国の実権を孫ペンテウスに譲っている。」
「アガウェー: カドモスの娘。セメレーの姉妹にしてペンテウスの母。バッカイとなったテーバイの女たちの中心人物」
セメレーと神ゼウスの子だからディオニューソスは神で、そのいとこのペンテウスは人なのですね。だけど、ディオニューソスの母セメレーは人なので、ディオニューソスは神としてどうよ?というところから悲劇が・・・。それに、ペンテウスを生んだ母親アガウェーが、ディオニューソスの側に付いて、我が子ペンテウス殺しに加担・・・うーん。
ディオニューソスは、別名バッコスといい、豊穣とワインの神。ブドウからワインを作るのを伝えたとも言われ、また、酩酊の神でもあるところから、バッカイと呼ばれる狂信的な女たちを率い、結局ペンテウスの母までも狂わせていくわけです。わかってくると、面白くなってくる。
とはいえ、さっさと、頭に整理され入ってきたのは、この箇所のみかもしれません。
≪不幸とは、轡(くつわ)をはずした口舌と放縦にまかせた無分別の 行き着く先のこと。
静かな分を弁えた(わきまえた)生活と、思慮の深さは 大波に翻弄されることなく 不動のままであり、家々を崩壊から守る。神々は 大空高く住むとはいえ 遠くまで 人間界を見はっているのだから。小賢しいことは知恵ではない。・・・・・(後略)・・・≫
☆写真は、スイス ニヨン 公園花壇(?)にたくさん植わっているワイン用ブドウ。あまり、日本には入ってきていないらしいスイスワインですが、レマン湖の南向き斜面の多くには、葡萄畑が見えました。もちろん、この公園も日当たりのいい南斜面。
創業百年の「岩波書店」の本には、今までずいぶんお世話になり、我が血肉となってきました。「岩波の子どもの本」「岩波の児童書の愛蔵版やシリーズ」「岩波少年文庫」から始まって、「岩波新書」「岩波文庫」それに岩波の単行本等など、理科系の夫と、理科系とは縁遠いカ・リ・リ・ロ両方で、岩波の売り上げには、ほんの微々たるものですが貢献してきました。
最近では、書店の文庫本売り場に行くと、果てしなく並ぶ他社の文庫本に、くらくらし、よくわからなくなるので、まずは、岩波文庫のコーナーに行き、ついつい新刊本を、買ってしまいます。手に負えるのか???
それと、「復刊」の帯や「他では読めない重版」などという帯、ああ、手が伸びます。また、積ん読(つんどく)じゃないの?
岩波の児童書でも岩波文庫でも、すぐ絶版(品切れ)になってしまうので、半ば、強迫観念にも似た購入意識も持っているしなぁ・・・いかん、いかん。
けっこう、地味な商いのようで、そのブランド力は、洗脳にも似ています。岩波なら、よい。????子どもから墓場まで・・・の商法にどっぷり浸かっておりますね。ふーむ。
☆写真は、レマン湖遊覧船の飾りとなっている舵。中心の真鍮の部分には1915年と見えます。つまり、1913年創業の「岩波」より若いってこと。
え?もう色づいたイチョウ並木?・・・いえ、いえ、これは、日本ではなく、さっさとセーターを着込んだ娘が送ってきたロンドン郊外の写真。しかも、テーマはヤドリギ。この写真じゃ、ヤドリギがほとんどわからない。
ただ、7月の写真と比べてもらえば、どれがヤドリギか、わかるかも。(下の写真も7月のもの)
それに、これだけ、本体の木が黄色く色づいていたら、もうすぐ散って、ヤドリギの全貌も近々、わかるでしょう。特派員が忘れなければ。(撮影:&Co.H) 
暑い暑いと言っていた10月の初め。
一気に台風や秋風の吹いた10月中旬。
そんな頃、スーパーの店内放送で、「いよいよ秋後半になりました」というのを聞いて、え?昨日まで夏みたいやったのに・・・
日本ご自慢の秋が、もう半分過ぎただなんて!
台風がまた来ている今は、もう下旬も下旬、11月が近い。
そういえば、この辺りでキンモクセイの香りがしたのは、つい2-3日前のこと。遅すぎる…
この辺りのキンモクセイ開花の時期に関しては、確固たる自信があるのです。
長男の誕生日頃、キンモクセイが咲き始め、夫の誕生日を過ぎる頃、散ってしまいます。
そう、およそ毎年、10月上旬。
長男を出産し、実家に戻りタクシーから降りると、キンモクセイの匂いに包まれました。
高校の通学路にキンモクセイがありました。当時、一緒に登校していた夫が「誕生日に、いい匂いがするねん」と言っておりました。
毎年ずーっと、10月上旬頃に決まって咲いていたキンモクセイが、やっと今年は下旬に登場。我が家には、気象庁が唱える異常気象より、よほど、よくわかる気象状況でした。
(承前)
センダックの作品には、伸び伸び身体を伸ばしている子、指先まで力を入れて発散している子など、のびのびキャラクターがたくさんいます。
心から楽しかったり、嬉しかったり、心底怒っていたり、爆発したり・・・それぞれですが、センダックの描く子どもたちを見ていると、こちらまで、解放された気分になります。
写真上部右絵の「きみなんかだいきらいさ」は、とても小さい絵本で、本棚のどこかに迷子になってしまいがちな一冊です。小さい画面いっぱいに怒りを表す子どもたち、画面の端と端にいる子どもの距離感。色を多く使った絵本ではなく、赤が効果的に使われています。子どもたちが楽しんでいる部分、仲直りした部分。小さいながら、よく出来た絵本です。
・・・と、のびのびのイメージを膨らませていたら、やっぱり忘れられないのが、ピカソ「浜辺を駆ける二人の女」、そして、大きな大きなマチスの「ダンス」。この二枚を、実際に目の前にした時も、心が解放されたのを覚えています。 いいなぁ・・・この人達・・・
縮こまった生き方をしてきた私は、ぴっちにせよ、マックスにせよ、ピカソにせよ、マチスにせよ、自由に伸び伸びとしている絵が好きなんだと、再認識した次第です。
ちなみに、写真上部左絵は、"Open House For Butterflies"(ルース・クラウス文 センダック絵 Haper&Row)の第一ページの子どもたちです。そこには、こう書いてあります。「おっきな声を出したいときに知っておくといいこと、それは、おっきな声で歌うこと」
*「きみなんかだいきらいさ」(ジャニス・メイ・ユードリー文 センダック絵 こだまともこ訳 冨山房)
☆写真は、センダックの絵が随所に掲載されている"Making Mischief -A Maurice Sendak Appreciation"(Gregory Maguire MORROW)を開いた上に、ピカソ「浜辺を駆ける二人の女」"Deux Femmes Courant sur la Plage"(パリ ピカソ美術館で購入)、マチス「ダンス」"The Dance"(ロンドンのエルミタージュ美術館展で購入)の絵葉書を置いています。
(承前)
「こねこのぴっち」と「かいじゅうたちのいるところ」の好きなシーンを思い浮かべながら、昨日の文は書いたのですが、他に、あんなに、発散したり、伸びをしている絵はないかなと思い巡らせたときに、次に浮かんだのが、やっぱりセンダックの作品でした。 「月夜のこどもたち」 ((ジャニス=メイ=アドレー文 センダック絵 岸田衿子訳 講談社)(写真上部右)
この本は、本当に綺麗な本で、感動的ですらあるのですが、講談社の本は、たぶん間違いなく、もともとの色合いが出せてないと思っています。
原書を実際に見たことがないのに、こんな推測をするというのは、「センダックの世界」(セルマ・G・レインズ 渡辺茂男訳 岩波)に掲載されている「つきよのこどもたち」の深い青色とずいぶん違うのを知った時からでした。(写真上部左)
先日、参加した「印刷から読み解く絵本の会」でも、青色の出し方については、とても難しいとおっしゃっていたことを思い出しても、この「つきよのこどもたち」は、こんな色じゃないはずと、思い込んでしまうのです。
・・・おっと、こんなことを書くつもりじゃなかった。「伸び伸び」とした絵を思い起こしていたんだった!
で、次に思い出したのも、同じセンダック「おふろばをそらいろにぬりたいな」(写真下部)。身体が指先まで伸びきっています。他にも、「あなはほるもの おっこちるとこ」「うちがいっけんあったとさ」「きみなんかだいきらいさ」などなどなど、伸びてる子どもたちがセンダック作品にはあちこちに描かれているぞ!
(「のびのび2」に続く)
*「月夜のこどもたち」 (ジャニス=メイ=アドレー文 センダック絵 岸田衿子訳 講談社)
*「おふろばをそらいろにぬりたいな」 (クラウス文 センダック絵 大岡信訳 岩波)
*「あなはほるもの おっこちるとこ」 (クラウス文 センダック絵 わたなべしげお訳 岩波)
*「うちがいっけんあったとさ」 (クラウス文 センダック作 わたなべしげお訳 岩波)
*「きみなんかだいきらいさ」 (ジャニス・メイ・ユードリー文 センダック絵 こだまともこ訳 冨山房)
「ハンス・フィッシャー―世界でもっとも美しい教科書」(真壁伍郎著 編集工房くま)には、フィッシャー自身の文も収録されています。
「学校の壁画について」という短い文です。
≪・・・絵を目にする若い人たちは、こうしたまがい物には敏感で、すぐにノーをいうか、拒絶反応を示します。画家が自分で体験しているものだけを、彼らも体験します。絵は巨大な姿を描いた、自信たっぷりな、複雑な構図のものなどではなく、慎ましやかな、それもはっきりした線で描かれたもので十分なことが多いのです。子どもたちにとっては、単純で、抽象的な絵が、より身近に感じられます。わたしたちおとなが先入観で思っている以上に、そうした絵の方が子どもたちの想像力をかき立てるのです。・・・≫(真壁伍郎訳)
確かに、フィッシャーの描く世界は、単純な線が自由自在に動き回り、どんどんつながって行くような楽しさがあります。色で誤魔化していない、フィッシャーの力量を感じます。
また、文末で、フィッシャーは言います。
≪校舎に絵を描く画家にとって、より素敵なことは、絵を描いているときに、子どもたちが感動しながら一緒に参加してくれることです。≫
美しい教科書といい、学校の壁画といい、大人だから、画家だからという上からの目線のないスイスの教育の姿勢を見るような気がします。
(つづく)
☆残念ながら、フィッシャーの壁画を目にしたことはありませんが、スイス Trunの小学校で、カリジェの壁画を見ました。(写真の上下とも)
この村はカリジェの村なので、他にも彼の壁画がたくさんあります。その写真は、古本海ねこさんにも掲載してもらいました。
「ハンス・フィッシャー―世界でもっとも美しい教科書」(真壁伍郎著 編集工房くま)は、銀座教文館で、「フィッシャー展」が開催された際に出版された冊子です。
中には、いかにして、美しいスイスの教科書が誕生したか、いかにして、フィッシャーが、教科書の挿絵に参画したについて書かれています。そして、そこには、一人の優れた教育者(チューリッヒ州の小学校の先生)アリス・フーゲルスホーファが存在したこと・・
また、巻末には、フィッシャーの講演録と、フィッシャー自身の「学校の壁画について」という翻訳文も掲載されています。カラーの参考図版もついています。
昨日、紹介した二年生用3冊と三年生用の教科書のほかに、フィッシャーは、カード式の教科書を一年生用に作っています。その題名が「にわのあかいばら」。これはスイスの人ならだれでも知っている民謡らしく、フィッシャー以前は、小学校三年生用教科書のタイトルが、「庭の赤いバラ」で挿絵がクライドルフ!(初版1923年)らしい。うーん。クライドルフにフィッシャーに、カリジェ!凄い、ラインナップ。
日本の国語の教科書のように、このお話は赤羽末吉、このお話は山脇百合子・・・というのじゃなくて、一冊丸ごと、その画家ですからねぇ。
そして、フィッシャー最後の教科書(三年生用)「水は流れる ここから あそこへ」の完成本は、フィッシャーの亡くなる二日前に、フーゲルスホーファから、彼に届きます。折り返し書かれたフーゲルスホーファへのお礼の手紙には、こう書いてありました。
「わたしたちの愛するもの、この教科書に、ゲーテのことばを添えましょう。
いまはもう、どんな苦労も必要もない! バラがあるのだから、ただ、咲くだけだ。」
(つづく)
*****この小さくとも宝の詰まった冊子を教文館のお土産に下さり、「にわのあかいばら」全文を手書きで書き写してくださった友人に感謝します。
(承前)
昨日の石井桃子「お子さまむけ」の文末は、こうです。
≪(スイス図書展を見て)・・・小さい時から、こういう色や形を見せられている子と、いない子と、ちがってくるのは当然だな、と思うと同時に、日本じゅうのお母さんにこういう展覧会を見るチャンスがあったらなぁ、しみじみ考えないわけにはいかなかった。≫
50年前のスイス図書展がどんなものだったのわかりませんが、スイスの子どもたちが使っていた教科書は手元にあります。「こねこのぴっち」の画家、ハンス・フィッシャーが挿絵を描いたものを4冊です。
優しい色調で描かれています。なかには、詩や、お話などが入っているようです。お話には、「赤ずきん」や「ヘンデルとグレーテル」、「ブレーメンのおんがくたい」など、日本人にもなじみ深いものもたくさん入っていて、ドイツ語を読めずとも、眺めていると優しい気もちになれます。多分、詩だと思われる作品にも、鳥や花のカットがついていて、こちらは、読めないのが残念。
また、教科書なので、後ろに、使った子のサインを書きいれる紙が張り付けているのもあります。綺麗な状態なので次の年度の子どもに渡していくのでしょう。大切に使わないと次に回せないから、子どもたちは丁寧に扱い、それで、いい状態で、日本の私の手元にきているのだと思われます。
教科書には、素敵な名前(題名)がついています。
(二年生用三冊)
「こけこっこー 三時だよ」(写真中央下赤い表紙)
「かっこう かっこうと 森でよぶ」(写真左上)
「風だよ 風だよ 天からの子どもさ」(写真右上)
(三年生用4冊中1冊:まだ見たことがありませんが、他三冊はアイロス・カリジェ!の挿絵らしい。)
「水は流れる ここから あそこへ」(写真左下)
これらの題名訳は「ハンス・フィッシャー―世界でもっとも美しい教科書」(真壁伍郎著 編集工房くま)に寄りました。(写真右下:青い表紙)
(続く)
石井桃子エッセイ集「みがけば光る」 (河出書房新社)に『おんなと靴下』(週刊文春1961年4~5月号文芸春秋)という短期連載の文が載っていて、その中の「お子さまむけ」という文は、「ソ連児童図書と挿絵の原画展」と「スイス図書展」に出掛けられたときの文章です。
≪・・・まず、スイス展にはいって、その本のつくり方のすばらしさに目をうばわれた。内容はドイツ語で読めなかったが、しかし、あの美しい印刷、紙質を見ると、その内容だけが貧しいだろうとは考えられなかった。堂々たるおとなの本にまじって、子どもの本も心がおどるようにすばらしかった。この展覧会に出してあるのは、その国の最上のものだというなかれ、美術的センスでは世界から尊敬されている日本では、最上等の子どもの本でも、けっして美しいとはいえない。日本ではお子さまむけといえば、どうでもよいということである。・・・・・・≫
この文が書かれて50年以上経っています。ここに引用した最後「日本では、お子さまむけといえば、どうでもよいということである」という厳しい言葉。
50年以上を経て、「いえ、そんなことはありません。」と、はっきりと応えられるのは、その当時、子どもだった私たちのはずなのです。「どうでもよい」とまで、思わぬにせよ、上っ面だけ繕って、子どもやその周辺の教育、福祉が、華美に、しかも騒々しくなっているだけではないのかと、思う今日この頃。いの一番に改善されてしかるべき、人を育てるということ・・・それが後回しになっていないか。50年以上前の子どもも危惧するのです。(つづく)
☆写真は、スイス クライネシャイデック近くの人工池。腕のいいカメラマンなら、逆さアイガーが撮れる。
この前は石井桃子エッセイ集 「家と庭と犬とねこ」が出ましたが、続いて出たのが、この「みがけば光る」です。(二冊とも河出書房新社)
ここにも、前著と同じく丁寧に生きられた石井桃子さんの視点を読み取ることができます。個人的には、有名な「太宰さん」という文章より、「ヘレン」という文の中のヘレンさん、あるいは、「友だち」と題された文のMさんと言う市井の人の言葉や生き方に惹かれます。石井桃子さんが、励まされたように、読み手も励まされるのです。
アメリカに滞在する石井桃子さんは、ごく一般的なアメリカの感謝祭の夕餉にMさんに招待されます。帰りのバス停で、老人のMさんと石井さんは、二人になります。
≪・・・日本をたつ時の、不安な気もちは、ひとっかけも、私の心のなかにないのです。私は、地球上で日本とは背なかあわせの大陸の、人かげもない林の中の道に立っていながら、さびしくもなんともないのです。私は、その時、ごく自然な気もちで、自分の感じをMさんに話しました。
「石井さん、だれでも、いま、その人の立っているところが、世界の中心なんですよ」とMさんはいいました。
私は、小さい時、おとなのなかにあると思った、重石が、このことばのなかにあるように思いました。「きょうは、ほんとにありがとうございました」と、心からいって、私はバスにのりました。人間は、ひとりひとりが、世界の中心なんだ。そして、そこにしっかり立って、まわりの人と手をくめばいいんだ、もたれかかってはいけない、あまえれば、くるしくなる・・・こんなことを考えながら、私は雑踏のニューヨークにもどっていきました。≫
スカイプで、英国に居る娘にこの箇所を読みました。彼女はじっと聞いておりました。いまだに、読んでもらうのが好きな彼女です。
☆写真は、ロンドンの地下鉄のエスカレーター。
マンションに住んでいます。道をはさんで、向かいにもマンションがあって、いわば、前の道は、谷間の道になっています。
余り車も通らない静かな所なので、道での会話がよく聞こえてきます。特に、朝の登校班の集合時は、ちょっと楽しみでもあります。
さらに、月曜や休暇明けは、思わず、聞き耳をたててしまいます。
一人の元気な子が、休日に行ったところが手に取るようにわかったからです。
「つぎは、だれそれ・・・だれそれぇ」と、車掌さんの口調だと、電車に乗ったのですね。
「うぃーん、ぶー、ぶー」と走って来た時は、前日ドライブでしたね。
「いらっしゃいませ。何々さま、おはようございます。」・・・うーん、その口調はホテルマン?
長く休んでいた子が居たときは「誰誰ちゃん、久しぶりやなぁ。また一緒に行けるなぁ」・・・・・
が、多分、もうその子も現在3年生。「おはよう」の声も小さくなって、集まっている気配もあまりないのが寂しい。
☆写真は、英国滞在中の娘の通学路だった公園の鹿たち。鹿によるトラブルが相次ぎ、怖くなった娘は、この通学路をやめました。(撮影:&Co.H)
「岩波の子どもの本」の中に「ひとまねこざる」もあります。今は大型絵本でシリーズ化されていますが、うちには、「岩波の子どもの本」の小型の「ひとまねこざる」がありました。長男がとても好きだったので、よく読んでいたら、ボロボロになり、大型絵本6冊をそろえた頃、処分してしまったようで、今は、手元にありません。
が、あの頃、既に、スパゲッティーという言葉が定着していたのに、おさるのジョージが食べるスパゲッティーが「うどん」と訳されていて、ええっ!と思ったものでした。(光吉夏弥訳)*今は、「すぱげってぃー」になっています。
「ナルニア」のターキッシュデライトがプリンだし(瀬田貞二訳)
「ひゃくまいのドレス」がきものだったし(石井桃子訳)。
外来語や外国の食べものの認知が進んだ今となっては、かつて、訳者がご苦労なさったのがよくわかります。
最近、男女二人のペアを「アベック」と言ったら、「それは、カップル」。
「スラックス」といったら、「それは、パンツ」。
爪に塗るのを「マニキュア」と言ったら、「それは、ネイル」。
・・・と若い人に指摘されるように、「すぱげってぃー」もいつか「ぱすた」に変わって行くんだろうか?
*「ひとまねこざる」シリーズ(H.A.レイ作 光吉夏弥訳 岩波)
*「ナルニア国物語」シリーズ(C.S.ルイス ポーリン・ベインズ絵 瀬田貞二訳 岩波)
*「ひゃくまいのドレス」(エレナー・エスティス文 ルイス・スロボドキン絵 石井桃子訳 岩波)
☆写真は、屋久島のお猿さん親子(撮影:&Co.A)
“「岩波の子どもの本」に出会ったのは、小学校の図書室だったと思います。”と、コメントを書いただけで、小学校の図書室が記憶の中に立ちあがってきました。
窓の下に続く本棚、壁には、背の高い棚。
日焼けした木綿の、しかも継ぎのあたった白いカーテン。
教室のとは明らかに違う大きな木の机、木の椅子、…当時は、まだ庶民の生活に少なかったテーブル文化。
貸し出しカウンターは、立派で仰々しく、貸し出しカードの小さな引きだし。秘密が詰まっていそうな気がしました。本を出したときに、本の代わりに入れておく代本板。その板は妙な台形で、2㎝かそこいらの分厚い板で、端はささくれだっていたり、角が丸くなっていたり・・。
背表紙がよれよれしながらも、きちんと並んだ「岩波の子どもの本」・・・きかんしゃやえもん、どうぶつ会議、ふしぎなたいこ、おそばのくきはなぜあかい、そして、ちびくろさんぼに、こねこのぴっち・・・・
本の好きな女の子が、6年生のとき図書担当でもあった担任に指南され、次々、読んでいった宮澤賢治。が、図書館の隅の棚で誰も触らないように見えたアーサーランサムのシリーズも教えてほしかった・・・このときリアルタイムで出会わなかった無念さが、大人になって、飢える(かつえる)ように出向いた英国児童文学訪問につながっているのかもしれません。
教訓抜きの楽しい世界に、リアルタイムで出会ったのは、「エルマーのぼうけん」(福音館)と「長くつ下のピッピ」に「ドリトル先生」。それに、ケストナー。他の本にもたくさん出会ってきたはずなのに、他は覚えていなくて、感想文の賞をもらった本の名前すら覚えていなくて、こうやって思いだすのは、ほとんどが岩波の頑丈な本たち。そして、二階の端っこにあった図書室。
☆写真は、ロンドン ビクトリア&アルバート ミュージアムの図書室。ここの外からの写真は昨年撮って、こちら
(承前)
実は、西洋美術館の「ル・コルビュジエと20世紀美術展」で、一番気になったのは、何枚かのピカソの作品でした。
ピカソが展示されているとは知りませんでしたが、不思議なことに、ピカソの作品は、よく似た絵が並んでいても、オーラを放っていて見つけられました。そして、そばで、作者名を確認すると「ああ、やっぱり、ピカソ。」
ピカソは、大作でも、小品でも、あるいは、描き方が違っても、ピカソじゃないの?と感じることができる気がします。そこが、魅力でもあります。
そんな中、ピカソとは反対の意味で、あ!こんなところにあの人の作品が・・・と、見つけるのもちょっと面白い。
それは、西洋美術館の常設展に飾られていました。ナティエ(1685年 - 1766年)の「マリ=アンリエット=ベルトレ・ド・プルヌフ夫人の肖像」です。
おお、ナティエじゃないの?それで、「あら!貴女ここにも居たの?お久しぶり・・・」と、微笑むご婦人にご挨拶しました。てっきり、パリ ジャックマール=アンドレ美術館でみた若き「ダンタン公爵夫人」の後の肖像画だと思ったのです。
それに、ロンドン ナショナルギャラリーのバラを胸元に刺した「マノン・バレッティの肖像」も同じ女性かと。それで、上野にあるのが、一番年長かな?等と思いながら帰宅し、調べてみると、全然違う人!
ナティエの他のご婦人の作品もよくよく比べたら、ちょっとした違いはあるものの、おお、どれもこれも似てる!微笑み具合が一緒!!
一度、彼女らが一堂に会した作品展を企画してほしいなぁ・・・みんな艶然と同じ笑みをたたえながら、心の中では、「あら?あの人って・・・」「んっま、彼女って、結構・・・」等と思惑が飛び交う会場。ちょっと面白いんだけど・・・
☆写真は、我が10月の薔薇。マノン・バレッティ婦人の胸元のピンクのバラも綺麗です。
有名建築家の建てた建造物のおっかけをしているわけではありませんが、関西空港とポール・クレー・センターが、どこか似ていると、気づくのは楽しいものです。どちらも、設計は、レンゾ・ピアノ。
関西空港に向かう大阪湾に忽然と現れるごみ焼却場と、ウィーンの郊外に向かうとき、忽然と現れるタワー(これもゴミ焼却場でした)が、絶対、同じ設計者だと思っていたら、やっぱりね。フンデルトヴァッサー。
私の住む街にある、ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)は、フランク・ロイド・ライトの設計によるものですが、同じライトによる旧帝国ホテルの画像をみると、おお、ヨドコウと一緒!ヨドコウのお父さんと言う感じです。
で、上野の国立西洋美術館本館を設計したのは、スイス生まれのル・コルビュジエ(1887-1965)で、日本では唯一の作品らしい。いつか、どこかの国で彼の他の作品に出会ったら、おお、ル・コルビジェ!と判断できるでしょうか。
ル・コルビジェのことを知ったのは、例の英国文化論の講義でしたが、建築家のル・コルビジェが、建築設計だけでなく、絵画や彫刻なども残した多彩な芸術家とは、知りませんでした。(というか、授業の英語が聞き取れていなかった・・・)
それで、「ル・コルビュジエと20世紀美術展」(2013年8月6日~11月4日)では、彼の絵画や彫刻を、彼自身が設計した西洋美術館という空間で鑑賞できるというなかなかない機会でした。
キュビズム等から影響を受けたような作品がたくさん並んでいて、多彩な人だということがわかりました。
ただ、無機質な室内によく似合う、ル・コルビジェの絵画作品は、私には、無機質すぎて好みの作品が見つけられませんでした。(つづく)
☆写真は、東京 国立西洋美術館 本館前のエミール=アントワーヌ・ブールデル(1861年-1929年)「弓をひくヘラクレス」
年に何度もない外泊のとき、せっかくだからと、ゆったり過ごせるホテルを探します。若い時は、単に寝るだけだから、と簡単に決めていました。ただ、その頃は、若いお嬢さまなので、治安だけは気にしていました。
旅館でおいしいものを食べるのが好きな人もいるでしょうし、旅館の至れり尽くせりのサービスや温泉が好きな人も居るでしょう。が、私は、旅館のあのサービスが苦手です。
今や、WEBで検索や評判を知ることができるので、好みのホテルに近づけます。
重いスーツケースを運ばないといけないときは、駅に近いかとか。
ルームサービスの朝ご飯が好きなので、それが充実しているかとか。
窓を開けたら、圧迫感がないかとか。
とはいえ、こんなことは、実際に行って見ないと、こちらのニーズにぴったり合うかどうかは、わかりません。 が、しかし、ホテルの近くに公園があるか、また、散歩できそうか、は、今や画像でもわかるので助かります。
で、結局、国内外共に、リピートしているホテルはどれも、川べりか、水辺か、公園の近くか、なのです。
☆写真は、英国 マーローテムズ川沿い コンプリートアングラーホテル
L.S.ロウリー(1887~1976)というイギリスの画家の知名度は、日本で低く、「ロウリー、WHO?」というところでしょうか?私自身も、英国文化論という英国人教授の授業を受講するまでは、まったく知りませんでした。そんな画家の没後、初めてとも言える(らしい)大きな回顧展が、ロンドン テートギャラリーで催されました。そのほとんどの作品が、英国マンチェスターにありますから、マンチェスターに行けない人間にとっては、ロンドンで作品を見るチャンスでした。(2013年6月26日~10月20日)
イギリス、マンチェスターが工業地として発展していく様を中心に作品があります。会社員のロウリーは、「日曜画家」と言われたことに、「だとしたら、私は毎日が日曜だ」と反論しました。マンチェスターの街とサッカーを含めた人間を描いています。建物は、定規で描かれたように、下手な遠近法だし、工場に出入りしようとする人々は、没個性。「日曜のみの画家」と揶揄されても仕方ないようなタッチです。仏蘭西のユトリロに人をうまく描けないところが似てます。
なので、私自身もこの画家は、デッサンがうまくない、少々偏った画家なのかと考えていました。が、不思議に心を惹きつけるものがあり、ずっと忘れないでいたのです。この人の作品に会いたい・・・
が、私の認識不足でした。きっちり、美術学校で学んでいる時の自画像などは、別人かとも思えるほど繊細で、トラディショナルです。ユトリロの他にも、ピサロやドガ、シスレーなどの作品ととも並べられていました。
ところが、端正に描かれた絵よりも、後から描かれた、工場に黙々と入っていく人々、淡々と帰っていく人々、サッカー場に足早に歩く人々の絵に目が引き付けられます。黙々と煙を上げるすすけた英国工業化の時代、そして、その街。
直線的で鋭角な街、丸みを帯びた風景に癒されてきた人々が、目的に向かって、もくもくと進む。適当に描かれているような群衆が、その朝やその午後、その夕方の空気を表現しているのです。いい加減に描かれているような人一人ひとりが、その歩幅や向きの違いから息づいてくるのです。
わざわざ、予約を取って見に行ってよかった展覧会でした。
短期間のロンドン滞在ですから、効率よく動かないと、予約を入れた2つの美術展を回れないし、紅茶買いに行けない!で、ビクトリア&アルバート、モリスルームでお昼を食べよう!ということになって、行きました。トレイもモリス柄(写真下)。
嬉しそうに、モリスルームの写真を撮っているのは私くらいのもので、他のみなさんは歓談お食事中。
いつもは、このV&Aの近くに泊まり、夜にここに来ることが多いものの、今回は、早朝スイスに飛んでいく都合上、真昼間に来たのです。食べに来たのが目的なので、鑑賞は娘ご推薦のジュエリールームだけ。新旧、歴史を感じさせる豪華絢爛なものから、アヴァンギャルドなものまで。今まで来たことのない部屋だったので、ずいぶん堪能させてもらいました。綺麗!うっとり!

もう10月なのに、未練たっぷり、夏休みの話を延々と続けています。
今夏は、富士山登頂した娘、フランスで研修してきたお嫁さん、米国ボストンのカモさん親子に会って来られたお友達、英国児童文学の旅で楽しまれたお友達、そして、写真の英国コッツウォルズ地方のバイブリー村に行かれたお友達(ご夫婦、ご家族)が3組いて、それぞれから、土産話を聞いたり、メールを見たり、ブログを読んだり。そして、バイブリー村に行かれた2組は、偶然、同日同時刻に、近辺にいたらしいというから、世間は狭いものです。
バイブリーは、とても小さな村ですから、宿泊施設も限られ、食べるところも限られています。で、3組とも、カ・リ・リ・ロも泊まったり、食べたりした2つのホテルに行かれ、楽しいひと時を持たれたようでした。
ただ、昼間のバイブリー村は、混雑しきりのようで、もし、いずれ行く予定で、ゆっくり散策されるおつもりがあるなら、この村に泊まり、朝夕の散歩をされることを提案します。かの国に食事のことは期待できませんが、朝の散歩は、田舎でも、ロンドンの街中でも、十分期待できます。
混雑の原因は、もちろんこじんまりと落ち着いた村の魅力にもありますが、ウィリアム・モリスが「イギリスで最も美しい村」と称賛した文言が旅行案内等に掲載されていることにも一因するかもしれません。ちなみに、フランスの美しい村は、先日書いたイヴォアール村。
☆写真は、2005年3月の英国コッツウォルズ バイブリー村、上は、アーリントンロウ。下は、アーリントンロウの方から見たスワンホテル。このホテルの内部は、古本海ねこさんで掲載させてもらっていた「本の小部屋でティータイム」のタイトル写真です。その窓から写したのが、拙ブログ2012年5月2日の写真で、もう一軒のホテル、バイブリーコートホテルの暖炉の写真は、2012年12月27日です。

2013年8月、ベルンの街は中心部も教会も、いろんなところで、工事が目立ちました。特に世界遺産に登録されている街の中心部の工事は、一方通行であったり、仮設の階段になったりして、すっきりしませんでした。夏休みだったので、人もたくさんだったし。広場では、イベントをやっていたし・・・
フランス語圏を離れたので、食事に期待していなかったら、イタリアも隣の国ということで、イタリアンぽい食事が多く、昼も夜も外(カフェ)で食べました。
そんな雑踏ではあるものの、朝は、みんなまだ寝ていて、早起き日本人の散歩にはうってつけ。
スイスの首都の、それも街の中。緑多き道ではないし、テムズ川散歩のようにゆったり感はないものの、そこは、さすが、世界遺産。趣深い・・・
古い建物というのは、ミステリアスで、それなのに、今、実際に人が暮らしている。なんか、わくわくします。
ま、いわば、長屋のように繋がっている建物といえば、そうですが、年経るうちに、それぞれが少しずつ個性を持ち、その中の生活が感じられ、昼の雑踏とは違う、街の良さを感じることができたのです。
壁に素敵な絵を描いているところがあったので、シャッターを切ろうとしたら、窓を開けて、くつろいだ姿の若い女性がタバコ吸ってる!目があったので、結局、その建物は、写せなかったものの、一日の始まりが世界遺産って、どんな感じ?なんだろう。彼女には、ただの日常なんだろうけど。
☆写真上は、ちょっと小高い丘からベルンの古い街並みを撮りました。(この下に昨日の熊さん達が住んでいます。)朝日に輝くこの時の美しさは息をのむようなものでした。帰ってからわかったのですが、クレーも同じ場所で、写生をしたとみられる作品があります。写真下は、古い街並みの内部。
