みんなみすべくきたすべく

あ~ 夏休み

メルボルン海j
 
 ちょっと動くだけでも汗がでます。
  あせもも出来ます。
 外に出たら、容赦ない照り返し。
 毎年毎年、暑いけど、もう若くないので、ずいぶんな暑さにうんざりです。
 真っ黒になって、市民プールに歩いた、中学時代が、うそみたい。

 ここしばらく、まとまったお休みの取れなかった夫と、ちょっと出かけてきます。
 私自身は、英国に居る娘の陣中見舞いも、旅程の前半に組み入れています。
 あくまでも、陣中見舞いながら、美術館の予約も入れています。ふふふ

 9月になったら、また書き続けるつもりです。ただ、パソコンがどんどん不穏になってきている・・・

☆写真は、オーストラリア メルボルン近郊の海。長女がお世話になったブラウンさんパパと飛び上がるトーマス。(撮影:&Co.A)

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金糸

金糸j
 英語で、漆器のことをジャパンというのでしたね。英国で上等の金糸のことをジャパニーズというんだって!と、娘が話してくれました。
 化繊の金糸じゃすぐにプチっと切れてしまうらしく、本物の金糸は、英国でも,もちろん日本でも貴重品。

 そんなとき、目にしたのが、「男達の色彩」と言う連載の京都の染色家 吉岡幸雄氏の文「金箔・金糸」
(2013年4月号 Agora) 
≪・・・金箔は細く切られて金の糸にもなる。宋の時代、金箔から造る織物が考案された。それまで金の地金を細く切り裂いて糸に巻き、金の糸にしていたが、絹織物に太すぎてなじまなかった。金箔を薄紙に貼って細く切り、糸にする技法は「金襴(きんらん)」と称されて日本へも運ばれ、人々の憧れを誘ったが、やがて日本でも繊細緻密な和紙を用いて,箔で金糸を造るようになり、より細やかな糸が織り込めるようになった。金襴織が帯や茶道の仕覆(茶道具の袋)などで尊ばれるようになったのである。・・・・・・とりわけ、金の加工技術において、和紙という日本の風土が育んだ精緻な紙があればこそ、繊細で洗練された日本の金箔、金糸が発展したのである。≫

☆写真は、正絹に銀メッキした後、金着色した糸と正絹に金箔の糸。値段は、現在25倍!(金の価格で変わるのです)うーむ、日本の着物、振袖が高価なはずです。糸から、本気。どっちが、どっちかわかる?

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電車で読みにくい文庫本があります。(その2)

ウィーントラムj
 電車で読みにくい文庫のもう一つは、デカダンスの小説。19世紀末のフランス文学が中心なのですが、退廃的で、ええっ!というおぞましい世界が展開することが多く、ドキドキ・・・

 ボードレーヌ等の詩ではなく、オスカーワイルドやジョリス=カルル・ユイスマンス・・・。
怖いもの見たさで読むには、隣の人が、「え?この人何読んでるんや?」とのぞかれないか、ビクビク。
 その一語。そのきわどい文言。それだけ読みたくて読んでるんじゃない!!!って、首からぶら下げるわけにいかないし・・・

 でも、そのジョリス=カルル・ユイスマンスの「さかしま」(渋澤 龍彦訳 河出文庫)には、マラルメも、ギュスターブ・モローも出てきて、それに帯には三島由紀夫が絶賛している言葉がでていて、やっぱり読んでみなくちゃ・・・と思って、読んだけど、私には、つまらないという批判さえあったシュティフターの方が断然好きだわ・・・電車で落ち着いて読めるし・・・

☆写真は、ウィーン トラム 終点。

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電車で読みにくい文庫本があります。(その1)

特急j
 
 電車で読みにくい文庫本の一つは、思わず、声を出して笑ってしまうユーモア小説。「ボートの三人男」は、その筆頭。下品な笑いじゃないところが、再読を促します。

 日本物にも笑える類は、時々あります。

 思い出すのは、長男がまだ家に居た頃、新聞に連載していた歌人穂村弘の欄。ちょっと(ずいぶん)視点が変わっていたので、二人ですごく楽しみにしていて、「今日の穂村君読んだ?」と話すのが、長期浪人していた息子との会話だったような・・・
 それで、今、文庫本になっている彼のエッセイ「にょっ記」「にょにょ記」(文春文庫)も、可笑しい。ゆめゆめ、電車で読むなかれ。
 それに、行間多すぎて、すぐ読めちゃうから、遠出に持参するには向いてない。ユーモアというより、笑いを取るって感じかな。再読はないかな。

**ユーモアhumor:人の心を和ませるようなおかしみ。上品で、笑いを誘うしゃれ

☆写真は、大阪駅で並んでいたら、向こうのホームに入ってきた特急電車。若者たちが写真を撮っているので、おばさんも真似て、パチリ。

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海文堂書店

アーディゾーニの絵j
 1914年創業 神戸元町の「海文堂書店」が店を2013年9月末に閉じるというNEWS

 「海文堂」は、神戸元町通りの真中辺りに、ずっとありました。昔は、西元町辺りまで栄えていましたから。
だから、神戸で生まれ神戸で育った本好きは、神戸の中心の本屋さんと思っていました。

 高校から付き合ってきた夫とも、何度も行きました。元町通りのすぐ東には、高校の教科書を扱っていた日東館があったし、元町通りに入ると丸善もありました。本屋さんをはしごするデートは、安上がりで、ちょっと賢くなったような気がしていました。

 昔の建物の時、二階への階段を上ると海事関連の専門書など(多分)の本が並んでいて、ただの高校生には敷居の高い印象がありました。それでも、帆船の素敵なブックカバーをつけてもらうと、一気にお洒落な本になりました。神戸の「海文堂」で買ったんだぜ。

 そして、書店全体の床面積の割合にすると、結構大きな面積を占めていた絵本・児童書部門。ここには、子どもの本を愛するお姉さん。この人の手から、何冊の子どもの本が子どもに届いたでしょう。そして、その子どもも大きくなって、次の子どもに・・・と、思っていたのですが、残念です。

☆写真は、ロンドン ハムステッド エリナー・ファージョンの家の前ですが、写真右の黒い車の奥が、ファージョンの家で、写っていません。この写真を撮ったような位置で、アーディゾーニが描いたイラストが「エリナー・ファージョン伝 夜は明け染めた」(アナベル・ファージョン吉田新一・阿部珠理 筑摩書房p164) に出ています。それに気づいたのは、写真が出来上がってから。で、写真に写っているのは、ファージョンではなく、子どもの本を愛するお姉さん。実際には、この挿絵はルーマー・ゴッデンが書いたファージョン追悼文“Tea with Eleanor Farjeon”( The Eleanor Farjeon Book Hamith Hamilton) の挿絵なので、この女性は、やはり、ファージョンでなく、恐らくゴッデン。

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若い学生たち

        メリーゴーランドj
 学生たちの答案を採点していて、その顔や声が浮かぶのは、小さな教室のおかげです。
 実技教科でもあるので、ペーパーテストだけで、点数をつけません。ただ、実技のうまい下手でも点数をつけません。まだ、現場に出てない人たちが、どうやって意欲的に自分の実技にしようとしているかを加味しています。

 初めての実技が旨く行かないのは当たり前です。そんなときに、こうしたら?と言うと、「もう一回やってみる」「これでいい?」と素直に言える人は、意欲が感じられるので、ペーパーテストの足らずを補うことができます。ところが、こうしたら?というと、「前はこうでもできた」「先生も、こうなってるやん」という返答する人は、随分、損をしていると思います。
 
 学ぶことで一番大事なのは、謙虚な姿勢であり素直な心だと、毎回、若い学生たち(そうでない人もいますが)から、教えてもらっています。

 家庭事情の複雑な学生が、時々、居ます。世の中を斜に見て、ナニカに怒っている様な風情です。大笑いしたことがあるんだろうか…と、気にかかります。
 また、中には、若い担任が、休み続ける学生のことを細々聴こうとすると、「誰でも人には言えないことが一つや二つあるんやよ」と、反対に担任を諭す18歳の子もいます。その子自身も、複雑な家庭事情を抱えています。
 大人の階段を昇るのは、大変なことです。

☆写真は、英国 ハンプトンコートに出来た臨時のメリーゴーランド。(撮影:&Co.H)

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鯰絵

      ちゅらj
 
(「絵が語る言葉を充分理解するだけの知識」から続き)
(承前)
 「鯰絵――民俗的想像力の世界」は、オランダ人の文化人類学(民俗学)教授コルネリウス・アウエハントが、表した研究・調査(論文)を、日本人4人が訳し、あるいは解説し、しかも、日本語の堪能な著者本人が校正・協力したという一冊です。

 「鯰絵」という浮世絵・錦絵(版画)は、1885年の安政の大地震で、大量に作られるようになった護符のようなものであり、わかりやすい形での情報提供という面も持っています。が、多くの浮世絵・錦絵が、ただの包み紙や緩衝材として消えていったり、遠く外国に散逸したりしたように、この「鯰絵」も、この教授の地道な調査・研究がなかったら、もっと闇の中に紛れてしまったかもしれないものだと知ります。実際、私は、よく知らなかった。

 という研究の小難しい背景はさることながら、研究とは程遠いおばちゃんが読んでも面白い一冊なのは、図版が多いこと。多様なこと。それにまた、なんとも「なまず」の顔のひょうきんなこと、可愛いこと。しかも、掲載されている図版のほとんどは、絵としても、鑑賞に耐えるものだというところが、江戸の力量を感じるのです。また、受け入れた庶民のセンスの良さ。

  地震と鯰というなんだか非科学的なつながりも、実は鯰に電気受容力があり、地震を感知する能力が高いものであるという後世の大真面目な研究でわかってきているように、当時の民間の伝承も、いいかげんなものではないことがわかります。
 つまり、知性とユーモアを併せ持ったのが、「鯰絵」だということです。

 そして、なにゆえ、「鯰絵」が、この頃大量に出回ったかという「解説文」
≪・・・安政大地震といえば、時代的には、幕末の変動期の真只中であり、一方に社会的・政治的不安が高揚していた時期である。この時点での世界の破局が具体化し、世直し鯰を発現させたのである。・・・≫を読むと、今も地震の国、日本で、何が「世直し鯰」となるのだろうと考えます。

*「鯰絵――民俗的想像力の世界」(C.アウエハント、小松 和彦、中沢 新一、 飯島 吉晴、古家信平訳 図版多数 岩波文庫 )
☆写真は、沖縄 美ら海水族館(撮影;&Co.A)

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絵が語る言葉を充分理解するだけの知識

    ひまわりj
(「ホガース 2」から続き)
(承前)
 こんな言葉に出会ってしまいました。それは、最近出た「鯰絵――民俗的想像力の世界」 (岩波文庫)の前書きにありました。
≪鯰絵(なまずえ)が語りかけてくる声を、私がはじめて聞いたのは、もう10年以上も昔のことになる。はじめのうち、鯰絵はなんとなく親しみやすい口調で話しかけてきた。やがて二者の間に簡単な対話が交わされるようになったが、この対話はすぐにとぎれてしまった。そのころの私にはまだ、鯰絵の語る言葉を充分理解するだけの知識がなかったので、とうていすぐには答えられそうもないややこしい疑問の山にぶつかってしまったからである。その時以来、私は、鯰絵が表象する世界全体に、それが表現しようと意図しているものに、また、絵と詞書(ことばがき)の背後に潜んでいるものに、繰り返したちもどって思索をこらすようになったのである。・・・・・≫

 うーん、物語る絵をもっと楽しむには、「絵が語る言葉を充分理解するだけの知識が必要」とな。

 そうですよね。一枚の絵を見ても、何も知らないで見たときと、その背景の様々が理解できているときとでは全然違う。

 本でも一緒。昔、読んだときと、ちょっとは背景がわかって読んだ時では、飛び込んでくる文言が違う。
 
「物語る絵」が好みだというからには、もっと「物語る絵」に近づいて対話できるよう精進しなければ・・・
(「鯰絵」に続く)

*「鯰絵――民俗的想像力の世界」(C.アウエハント、小松 和彦、中沢 新一、 飯島 吉晴、古家信平訳 図版多数 岩波文庫 )

☆写真は、京都 亀岡市近郊(撮影:&Co.Ak)

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ホガースのこと 2

                        ハムステッド曲がり角j
(「ホガースのこと 1」から続き)
(承前)
「風刺画で読む十八世紀イギリス―ホガースとその時代」 (小林章夫・齊藤貴子著 朝日選書)にこんなことが書いてありました。

≪・・・イギリスが本来誇るべきは、何より言葉の文化だ。イギリス歴史文化の真骨頂が言語芸術にあるということ、これはもはやどこの誰にも否定できない・・・絵画は、感覚にダイレクトに訴えることはできても、内容の伝達は必然的に一瞬の間に限られる。この意味において、視覚芸術は言語芸術に比べると決定的に分が悪い。たとえ、象徴使用、すなわちシンボリックな図像の使用による多義性は持ちえても、「語る」ことができないというまさにその一点において、詩や小説のような内容の連続性を持ちえないのである。こうした叙述性の欠如に由来する視覚芸術の限界を、ホガースはのちに連作絵画という手法で打破することになるわけだが、そこに至るはじめの一歩として、彼はイギリスの文芸そのものに目を向けた。・・・・≫

 そうか!「語る」のか!

 そして、夏目漱石は自分の「18世紀英文学」の講義の中で、ホガースのことを、こう絶賛します。
「ホガースという人は疑いもなく一種の 天才である。恐らく古今独歩の作家かもしれない」(講義内容は、「文学評論」上下 岩波文庫)ここでも、「語る人」が「語るもの」に着目したのがわかります。
 
 ああ、「物語る」絵・・・ホガースのような連作絵画も日本の絵巻も、美しい連作タペストリーも、そして絵本も、みーんな面白い。
 とはいえ・・・(「絵が語る言葉を充分理解するだけの知識」に続く)

☆写真は、ロンドン ハムステッド
 

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ホガースのこと 1

                                jロンドン灯
  (「同じ絵でも」から続き)
(承前)
 初めて、英国の画家ウィリアム・ホガースを知ったのは、 「瀬田貞二の絵本論」 (福音館)でした。
その後、ロンドンナショナルギャラリーで見ました。また、サセックスのホテルの壁にずらっと並んだ「当世風結婚」シリーズを目にしたりしました。あれって、本物だったのでしょうか。版画のそのまた、プリントだったのでしょうか。
 それで、1998年に、神戸で「テート・ギャラリー展」があり、そのときに、ホガースの『ストロード家の人々』『ああ、いにしえのイギリスのロースト・ビーフ代〔カレーの門〕』『ホガースの使用人の六つの頭部』3枚も来ていて、油絵も描くんだと知りました。

 そして、何年間か「英国文化論」を受講したとき、この「テート・ギャラリー展」の図録をテキスト代わりに使う授業の年度もあり、この3枚の絵について講釈をお聞きしました。

 次に、ホガース以外の収集品も所狭しとおいてあるサー・ジョン・ソーン・ミュージアムというロンドンの小さな博物館(街中のお屋敷)に行ったとき、迷路のようになった家の奥深く、ガイドのおじちゃんが、恭しく開けてくれた中にあったのが、ホガースの油彩「放蕩息子一代記」。英語のガイドのほとんどわからずとも、おじちゃんが指し示す方向を見れば、ちゃんと物語る絵があるので、みんなと一緒に「はっはっはっ」「ひっひっひっ」「ふっふっふっ」「へっへっへっ」「ほっほっほっ」と、楽しみました。(笑い方が微妙なのは、物語る題材が微妙だから)
(「ホガースのこと 2」に続く)

☆写真は、ロンドンのホテルの4階から建物の裏を撮りました。

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