孟母三遷の教えのよろしく、初めの子どもが生まれてから3番目の子どもが社会人になるまで、3度引っ越しました。今は、4件目。
その2番目の家は、線路沿いの家で二階建ての小さな古い借家でした。そこは、いわゆるドアではなく、襖で部屋が仕切ってありました。家が古いのと、子どもが小さいのとで、襖の紙は、どこも、ビリビリに破れていました。そんなとき、破れたところの上に貼ったのが、当時「子どもの館」(福音館)についていた(と思う)いろんな画家の一枚絵でした。パッチワークさながら、楽しい雰囲気だけは出ていたと思われます。
時を経て・・・・書店で手に取ったのが、ハンス・フィッシャーの「メルヘンビルダー」。
あるじゃないですか!うちの襖に貼っていた一枚絵。襖に貼られた絵を指差しながら、話をしてやった遠い昔が思いだされます。
「メルヘンビルダー」には、写真の「しあわせハンス」「赤ずきん」など、グリムのお話が9つ入っています。最後に野村泫氏の一枚絵の解説もついた大型絵本です。
*「フィッシャーが描いたグリムの昔話 メルヘンビルダー」 (ハンス・フィッシャー絵 佐々梨代子・野村泫訳 こぐま社)
(「銀の枝1」から続き)
(承前)
スイカズラ以外にもサトクリフには重要な花があります。サンザシ、ニオイアラセイトウ、ニワトコ、ハシバミ、ハリエニシダ、マンネンロウ イトシャジン・・・香り、色だけでなく、花言葉やその花の持つ民俗的な意味までも含みながら、その風景を描いています。そして、その風景は、読む者の五感に訴え、その風景に立つ人物の心にまで迫るのです。
≪・・・低地の茶色っぽい草の中にはイトシャジンの花が咲いていた。そしてチョーク層の土地に住む青い蝶が日光の中に飛びかっていた。草地はさわるとあたたかく、タイムの匂いがしていた。ジャスティンは昨夜の事件の後で―――ポウリヌスが死んでしまったというのに、このあたりがあまりにも穏やかなことに耐えられない思いをした。・・・・・≫
*「銀の枝」(ローズマリー・サトクリフ 猪熊葉子訳 キーピング絵 岩波)
☆写真は、スイス クライネシャイデック付近 イトシャジン(糸沙参)。
サトクリフに出てくる英国のイトシャジンは、もう少し茎の部分の長い、釣り鐘状の花が揺れるものだと思います。
(harebell、the bluebell of Scotland)
花言葉は、従順, 悲嘆, 誠実。上記文章のシーンに適した花だと思いませんか?
参照:英米文学植物民俗誌(加藤憲市著 富山房)
(「銀の枝 1」から続き)
(承前)
どちらかといえば、すでに夏目漱石関連に疲れていたので、久しぶりのサトクリフ「銀の枝」(岩波)は新鮮な水のようにごくごく。 おもしろかったぁ!
「銀の枝」「第九軍団のワシ」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」は、サトクリフのローマン・ブリテン4部作です。
サトクリフの作品には、いつも切っても切れない友情が描かれていて、それが読むものの共感を呼び、心は、すぐにローマン・ブリテン。
このローマン・ブリテンという言葉、受験期には知りませんでした。(賢い人は知っていたと思いますが)
ローマに支配されていたブリテンは、歴史年表を見ると、はいはい、およそ450年ね。はい、わかりました・・・じゃないんですよね。サトクリフが「ともしびをかかげて」のカーネギー賞受賞時に言ったように、「そうだわ、ローマ軍はただの占領軍じゃなかった。なにしろここに450年もいたのだから!」450年もあれば、ブリトン人の血は、ローマ人の血と混じり合い、家族は代替わりする、住まいは変わる、様々な365日の積み重ねが450年!
サトクリフのこの着眼こそが、歴史を見る大事な視点だと理解できたのは、大人になってからでした。サトクリフの歴史小説に、学生だった頃に出会っていれば、もっと歴史の成績も違ったものになったであろうに・・・
それにまた、先日紹介した長編歴史小説「ロンドン 上下」も面白いには面白いのですが、深いところに、ズドーンと来るのは、サトクリフの歴史小説なのです。若者が主人公ということで、より、前向きな力や勇気を感じとることができます。もちろん、知恵のある大人、温かい気持ちを持った大人も、必ず登場します。(「銀の枝3」に続く)
*「銀の枝」「第九軍団のワシ」「ともしびをかかげて」「辺境のオオカミ」(ローズマリ・サトクリフ 猪熊葉子訳 キーピング、ホッジス絵 岩波)
☆写真左は、英国バースのローマ人像。右は、ロンドンリージェントパーク イングランドのプライドという薔薇。
以前、サトクリフの作品の聖地巡りを、ずいぶんしたのですが、残念ながらデータの写真がありません。


・・・確か、「夏目漱石の美術世界」展に関連して、色々読んでいたはずでした。が、ターナーの『金枝』から、何故か、やっぱり、ローズマリ・サトクリフの「銀の枝」も読み返したのでした。
で、気づいたのは、「銀の枝」というタイトルで、輝く「銀」にばかり気を取られていたものの、もしかしたら、 「枝」が重要なのでは?
「エニシダの一枝」という一章があります。大事な目印にエニシダの「枝」を使っています。
また、祭壇にささげる花輪を作るため、ハナミズキの「枝」を折るとき、主人公ジャスティンは、自分を見つめる気配を感じます。それは、物語の伏線の一つです。
そして、また、風が葉の落ちたイバラのしげみのねじくれた「枝」の間を抜けるその時というのは、話の大きな転機。
なにより、「銀の枝」というのが、話の重要な位置をしめる銀の九つのリンゴにつながる、リンゴの木なのですが、そのリンゴの木は、物語の随所に出てきます。
≪・・・わたしの考えでは、リンゴの木というものには、・・・・ほかの木がもちあわさないものがあるのですよ。『リンゴの木に、歌、そして黄金』・・・≫と、重要な役回りのポウリヌスが言います。
不安感の払拭できないジャスティンが、小さな暗い中庭で見るのは、
≪・・・満月を過ぎたばかりの月がやっと昇ってきて、その光が彼らの上の劇場の壁の先端を白くしていた。そして井戸のそばのリンゴの木もその光に触れて銀色に輝いていた。・・・中庭に動くものは何もなかった。動くものといえば、リンゴの木の銀色の枝の間を飛び回っている銀色の夜の蛾だけだった。≫
登場人物たちの心情や物語の展開を、花・植物でも表現することの多いサトクリフの作品には、何度読んでも新しい発見があります。
(「銀の枝 2」「銀の枝 3」に続く)
*「銀の枝」(ローズマリー・サトクリフ作 チャールズ・キーピング絵 猪熊葉子訳 岩波)
☆写真は、英国 コッツウォルズ キフツゲート・コートガーデンの見晴らしのいい場所に咲いていた黄色いスイカズラ(吸い葛。忍冬。Honeysuckle。)
≪ジャスティン自身は明日はほとんど確実に死ぬだろう、とわかっていた。月に照らされた世界や夜の空気のなかにただよっているスイカズラのかすかな香り、それに雄を求めて鳴くキツネなどを、このように急に刺されるような痛みで認識するには、死という重い代償を必要とするのだ。≫
石井桃子氏は、2008年101歳で亡くなられました。
そんな石井桃子氏の新刊、つまり単行本未収録のエッセイを収録した本が出ました。 「家と庭と犬とねこ」 (石井桃子 河出書房新社)です。以前、刊行された「石井桃子集1~7」 (岩波)の「エッセイ集」の一部も入っていますが、殆どは、初収録のようです。
そのなかで、「波長」という文章があります。(1954年)
≪虫がすくとか、気が合うとかというよりも、もっとほかに、人間には、まだわかっていない科学的な法則―――例えば、体質とか、気質とかで、ぴったり理解しあえる人間とか、物の考えかた、感じかたがあるような気がする。私が、それを「波長が合う」というものだから、友だちにおかしがられたり、おもしろがられたりするのだが、このじぶんの波長を、ほかの人のなかに見いだすことが、人生の幸福の一つなんではないかしらと、私はよく考える。 それで、心配になるのだけれど、本を片っぱしから、ぽんぽん読みすてるくせがついてしまうと、そういう本にめぐりあっても、気がつかないで、行き過ぎてしまうのではないかしら。≫
そして、文末に、
≪・・・私は、人生をゆっくり歩けば、ひとりや二人は、きっとこんなにわかりあえる友だちや作家にぶつかるのではないかと思う。このあわただしい時代に生きている若い人たちを、気のどくに思うと同時に、このごろ、足もともあぶなそうに見えてきたじぶんにも、おちつけ、おちつけ、と自戒する。≫
これは、石井桃子氏47歳の文章です。
彼女が、101歳という天寿を全うされ、しかも、ずいぶんご高齢になっても、訳の手直しをされていた人生を知っています。ゆっくり丁寧に生きられたのです。
今や47歳より、ずいぶん年長になるも、いまだ、ガサツな生き方をしている我が身、そんな手合いは、≪おちつけ、おちつけ、と自戒する。≫と付箋に書いて、おでこに貼り、時に噛みしめないとなりませぬ。
☆写真は、英国コッツウォルズ バーンズリーハウス庭のブランコ。
奈良でミュージックフェスタというのをやっていて、その一環で、ドイツの人形劇オペラ「魔笛」を見ました。
大きな会場ですから、もちろんスクリーン(↑)に映し出される人形たちや背景を楽しみます。
人形たちは、いわゆる腕にすっぽりかぶせるアナログな人形たちなのに、小さなカメラは、その場で画像処理できたり、小道具にデジカメの動画が使ったり、と今様な技術とコラボして、スピード感も出せる人形劇となっていました。
また、人一人で動かせる背景画だったり、ダンボールであったり、簡易操作できる背景なので、幕間なく、物語が展開します。人形の顔のドアップも可能だし、フェイドアウトも可能です。つまり、人形劇を見ているというより、舞台の上で上演されている映像をみているという感じでしょうか。
で、「魔笛」には、何人かの登場人物がいますが、歌は、一人のカウンターテナーの歌手が歌い、人形の台詞は2人の人形使いがやり、舞台の上で楽器演奏をする人(兼 合唱 兼 擬音)8人、総勢11人ということになります。
カウンターテナーの男性が、なかなかユーモアのある歌い手で、声を素早く使い分けながら、体つきや物腰までもなりきっていく様子を見るのも、楽しいものでした。もちろんその音域の広さはさすがです。彼の歌う「鳥刺しパパゲーノ」も「夜の女王のアリア」もよかった。
人間の演じるオペラ「魔笛」全体を見たことがありませんから、この人形劇オペラが、どれくらい人形劇用に演出されているものなのか、その違いはよくわかりません。が、演出は、伝統的なものを踏襲しながらも、アヴァンギャルドな面もあり、そして、人形の持つ可笑しさや哀しさを伝えています。特に、有名なパパゲーノとパパゲーナの掛け合い「パ・パ・パ・パパゲーノ」では、人形ならではの大はしゃぎ。前の座席の大きなドイツ人男性が「ヒャッヒャッヒャッ」、「ウォホッホッホ」などと楽しそうに笑うので、私も一緒に「フッフッフ」
あっという間の80分でした。
☆写真は、人形劇が始まる前の舞台とスクリーン。スクリーンの下にあるのが人形たちの舞台。
下の写真は、ウィーン楽友協会のモーツァルトの小品ばかりの演奏会のアンコール。(ま、お上りさん向けですね。)真ん中の赤いドレスの女性がパパゲーナ、その隣がパパゲーノ。黒い服の人が指揮者。

デジカメ片手に近所を散歩するのは、夫の休みの朝だけです。しかも、夫の所用もあって、また天候もあって、週に一回がやっとのこと。
そんなとき、今日はどっちから歩こうかと考えるヒントになるのは、その前の週の花の様子です。
近くの公園の池や水辺は、黄菖蒲から始まって、花菖蒲、睡蓮・・・で、今週は蓮(はす)が見頃だろうと思って行くと、咲いていましたよ!
以前は、写真を全く撮ろうとしなかった夫ですが、スマホのカメラで綺麗に撮れ、しかも簡単に保存できるので、こまめに、毎月、待ち受け画面を、旬の花の画像にしておられます。
☆写真は、オオガハス。下の写真は、ツユクサの仲間で、葉も紫のトラデスカンティア・パリダ(と、いうらしい)

(「金枝篇1」から続き)
(承前)
フレイザーの「金枝篇」は1890年代に生まれ、最終的に1930年代の研究ということで、その頃の視点で書かれています。また、フィールドワークでなく、文献研究のみであったため批判もあったようです。しかしながら、その想像力と知的好奇心の広がりは果てしなく、その結果、生まれたこの大論文「金枝篇」は、現代においても、人文科学・民俗学の金字塔であることは間違いないと思われます。(と、読みこなしてない者が言うのも、おこがましい。)
そんな大著の内容をここで、紹介できるほどの筆力はありませんが、100年以上も昔、英国から遠く離れた日本のミカドについて触れている箇所はとても興味深いものでした。
ミカドの記述には、源頼朝や3歳のミカド(崇徳天皇のこと?)や、神無月のことも書かれています。
≪彼(ミカド)が地面に足をつけることは、不面目きわまる零落と考えられた。太陽と月は彼の頭上を照らすことさえ許されなかった。身体から出る余分なものの、彼の場合は一切取り除かれることなく、髪も髭も爪も切られることはなかった。彼が食べるものは何でも、新しい器で調理された。≫という記述を読み、1990年の日本の即位の礼や大嘗祭などの一連の儀式のときに、確か、床や地面に直接、天皇の足がつかないようにしている、とあったのを思い出します。
そして、現代も、京都祇園祭のお稚児さんが、地面に足をつけてはいけない等の制約を持っていることからも、地面という位置の意味を考えます。 (「金枝篇 3」に続く)
*「初版 金枝篇 上下」 (J.G.フレイザー 吉川信 ちくま学芸文庫)
☆写真は、祇園祭 長刀鉾に乗るお稚児さんの掛け軸。
(「ターナーそっくりですよ」から続き)
(承前)
ウィリアム・ターナーの絵『金枝』とそこに描かれた伝説は、ジェイムズ・フレイザーの大研究「金枝篇」全13巻(初版1890年13巻1936年)のイメージの発端となり、冒頭と巻末に取り上げられます。
それは、ネミの森の湖畔に立つ黄金の木、その金枝はディアーナ(ダイアナ)が治めるものの、その枝をめぐる「森の王」の悲劇。
翻訳されている岩波文庫「金枝篇1~5」 (ジェイムズ・フレイザー著 永橋卓介訳)は、全「金枝篇」の簡約本です。詩的な表現もありますが、基本的には論文なので、なかなか手ごわく、すべて読了したわけではありません。
また、 「初版 金枝篇 上下」 (J.G.フレイザー 吉川信 ちくま学芸文庫)もあり、訳はこちらの方が読みやすいような気がしますが、簡約本よりさらに内容が少ないです。また「図説 金枝篇」(サー ジェームズ ジョージ フレーザー著、メアリー ダグラス監修 サビーヌ マコーマック編集 内田 昭一郎訳 東京書籍・ 吉岡 晶子訳 講談社学術文庫上下)というのも訳されていて、図や写真があるので、知識の足りない部分の補いができる一冊です。
フレイザーの「金枝篇 The Golden Bough」に興味を持ったのは、ターナーの「金枝」の絵からではありませんでした。20年近く前、ローズマリー・サトクリフの「銀の枝」 The Silver Branch(猪熊葉子訳 岩波)を読んだ後だったと思います。この「銀の枝」が、とても面白い本なだけに、もっと背景を知りたいと思いました。銀の枝があるなら、金の枝という表現もあるのだろうか?また、金と銀 ペアで語られるのだろうか?等など考えているうちに「金枝篇」に出会いました。
ローズマリー・サトクリフは、ターナーの「金枝」の絵を知っていただろうし、フレイザーの「金枝篇」も知っていただろうと、勝手に推測はしたものの、結局は、サトクリフの「銀の枝」と「金枝篇」のつながりはわかりませんでした。
(「金枝篇 2」に続く)
☆写真は、公園の睡蓮。
「声に出して読んであげて 1」から続き)
(承前)
夏目漱石「坊ちゃん」の中で、
≪・・・「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね。」と赤シャツが野だに云うと、野だは「まったくターナーですね。あの曲がり具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ。」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。・・・≫
と、英国人画家ターナーが登場。そして、この画というのが、『金枝』。
私自身も、若い頃は、まったく坊ちゃんと同じで、ターナーとは何の事だか知らないので、飛ばして読んでいたと思います。
その後、ロンドン テート・ブリテン美術館で、この『金枝』に出会ったとき、「おお、これね、赤シャツたちが言ってたのは」
そして、今回、ターナーの『金枝』は「夏目漱石の美術世界展」に来ていました。
「曲がり具合ったら・・・」などと野だがいうものの、殆ど曲がっていない、ひょろひょろの松の木です。
松の様子だけなら、赤シャツの言う通りの松もありますが、そこをターナー島と名付けるほど、瀬戸内海の様子と、『金枝』の舞台になったイタリア ネミ湖の様子が似ていたとも思えません。というのも、 「金枝篇」 (ジェイムズ・フレイザー著 永橋卓介訳 岩波文庫)では、この絵の風景を≪幽寂と孤独のおもむき≫、≪この淋しい湖畔≫、≪聖なる場所≫等と表現。また、≪不可思議な、そして繰り返される悲劇の舞台≫となる風景とします。
うーん、瀬戸内海ののどかで明るい海と、ちょっとイメージ違うなぁ。 (「金枝篇 1」に続く)
☆写真は、スイス ラウターブルンネン (撮影:&Co.A)
今は昔、大学受験のときに児童文学科のあるところを受けたくらいですから、当時から子どもの本に興味があったのだと思い返します。結局は、幼児教育に進み卒論は絵本。さらに小学校の教員になりその後退職。母親となって、子どもが大きくなって通った大学院では、絵本を介したテーマの修士論文を書きました。つまり、ずっと、絵本や子どもの本の周りをぐるぐる、うろうろ、きょろきょろ。
その中で、一番長い間、学んだと思えるのが、3人の子どもたちと、絵本や児童文学を声に出して読んでいた期間でした。この時期だけが、学校に行っていなかったとも言えますが、いろんな本に出会い、知りました。
毎日、毎日、子どもたちに読む。声に出して読む。読んであげるというより、一緒に楽しむ。3人の子どもたちだけでなく、自分の中に住む子どもに読んで聞かせているともいえますから、読むのが楽しくて仕方がなかった。
大人になって黙読すると、ついつい斜めに読んでしまい、読解できていないことも多々あります。
が、しかし、一文字一文字、声に出して読んでいた絵本や児童文学は、面白いほど私の耳も楽しませてくれ、子どもたちと、その臨場感を共有していました。充実の時間でした。
今、子育て、真っ最中のあなた!声に出して絵本を読んであげて。
きっと、あなたも楽しい時間が持てますよ。
☆写真は、京都 伏見 藤森神社紫陽花。
(「本の装幀」から続き)
夏目漱石の名前は、日本で教育を受けた者ならほとんどが知っているはずで、全編読んだかどうかは別にして、作品も1、2はあげられるはずです。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」・・・
この度、ほんの何冊か漱石を読み返して今更ながら気づいたことの一つに、この人の日本語の流れの美しさでした。生き生きと、次々に言葉が進み、まるで、その人が、旧知の人であったかのようです。特に、 「坊ちゃん」など、一気呵成に話が進み、リズムがあって、楽しい。内容を読み取ることも大事ですが、言葉のリズムの楽しさは、もっと広く知らしめてもいいのじゃないかと・・・
話はかわって、
「古筆」のお稽古のとき、源氏物語「雨夜の品定め」を、先生が現代語訳で読んでくださったことがあります。すっと頭の中に入ってきました。
その昔、高校のとき、この「雨夜の品定め」を習った時のことを思い出していました。
男の人が女の人の品定めをしているなんて!と、憤慨しながらも、古語分析を学習していたと思います。だから、今回、読んでもらって、「へぇー、そういうことだったの」と感心しきり。
一緒に受講した友人とは、「こんな話、高校生にはようわからんやろう」と、話し合いました。友人は、高校のときの先生が、にやにやしながら「君らにはわからんやろう」などと言っていたことを思い出していました。
ということで、今、学生に指導している古文の先生!現代国語の先生!
源氏物語にせよ、夏目漱石にせよ、テキストだけを配って、「さて、どういう変化か?」とか「これは何を指しているか?」等と分析する前に、ちょっと耳から伝えてもらっていれば、イメージも湧きやすく、高校生なりに解釈できたものを。
まずは、声に出して読んであげて。
(「ターナーそっくりですよ」に続く)
☆写真は、京都 祇園 花見小路
先日、京都 伏見の藤森神社に行きました。紫陽花苑があって、いろんな色の紫陽花が咲き誇り、きれいでした。この神社では、5月に駆け馬神事もあるようで、一直線に参道馬場がありました。
藤森神社の最寄り駅は、墨染(すみぞめ)です。
光源氏は、藤壺中宮の死を悲しみ、古歌「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」≪上野岑雄(かむつけのみねを)古今和歌集≫を思い出します。この時は、二条城の桜を見ながら、「今年ばかりは薄桃色の桜が薄墨色に咲いて欲しい」と。
で、実際に墨染にある墨染寺(ぼくせんじ)の桜は、まだ見たことがないので、来年行こう!
そして、近くには、深草(ふかくさ)。
梅の頃小野隨心院のはねずの梅のことを書きましたが、小野小町に会いに行った深草の少将の悲恋物語です。
「深草は、この辺りだっだのね。そりゃ、小野まで遠い」とか、
「確かに駅前は、けっこう草が生い茂って草が深い」とか。
この辺りは伏見街道沿いで、史跡の多い一帯です。また、鳥羽街道という駅もあり、直違橋(すじかいばし)方面という表示も見え、なんだか、日本史や、古文や漢字のお勉強になる地域でした。というか、京都の古い地域全体の地名を知るだけで、随分、いろんなことがわかりそうです。まだまだ、行く所あるなぁ・・・
☆写真は、藤森神社の紫陽花
(「孫の目」から続き)
「夏目漱石の美術世界展」では、漱石が、自書の装幀にこだわったのがよくわかる展示もありました。(「装幀と挿画」の展示)
「吾輩は猫である」 (三巻)の装幀は、お茶目です。
橋口五葉の描いた上編表紙ジャケットの擬人化された猫の背景は、猫の好物、ネズミと魚の模様、手には、人の様なお人形。女の人や、眼鏡をかけた人(誰??)。開けると扉の挿絵は、魚模様の前のエジプト風猫、これまたよく見ないと分からない模様は、ネズミと魚。
中編の扉に至っては、アール・ヌーヴォーなカマキリ模様。下編の扉もアール・ヌーヴォーなフリージア。上編の挿絵画家は、中村不折でしたが中編途中から浅井忠に変わっています。英国の文豪ディケンズも、挿絵画家クルックシャンクをくびにし、画家を何人か変えたのを思い出します。個性のぶつかり合いでしょうか。
遊び心のある本の装幀は、西欧のアール・ヌーヴォーを完全に意識し、また、当時、西欧で多かったらしい、本の小口を未裁断のまま残す「アンカット」綴じです。(読者は自分でカットする)
「吾輩は猫である」以外の本にも、アール・ヌーヴォーの影響は如実に表れています。
流れるようにくねくねと描かれた植物が「石蕗(つわぶき)」であったり、「鉄線(テッセン)」であったり、「烏瓜(カラスウリ)」であったり、青海波と桜が並んでいたり・・・日本風・東洋風アール・ヌーヴォーです。ともかく美しい本造りを目指していたのがわかります。
英国のアーツ&クラフト運動のウィリアム・モリスが、ケルムスコットプレスで、自ら本を造ったように、漱石も最後には、自装本「こゝろ」を造った行為と重なります。
西欧のアール・ヌーヴォー自体、もともと日本の浮世絵や工芸が影響しています。しかも、漱石のブックデザインに影響を与えたであろうと展示されていた早世の画家ビアズリーも、日本的過ぎるとまで言われているらしいので、漱石が、西欧から持ち込み、斬新だと思って推進したブックデザインも、実は、足元から生まれていたのだとわかります。
(「声に出して読んであげて 1」に続く)
☆写真は、パリの地下鉄(メトロ)出入り口。まさにアール・ヌーヴォー。
(「素人ばなれしていても」から続き)
(承前)
「芸術新潮」2013年6月号の特集は「夏目漱石の美術世界展」でした。その中に、漱石の孫で、漫画家・コラムニストの夏目房之介が、「趣味の効用」という一文を寄せていて、漱石自筆の画について、身内ならではの評がありました。
≪漱石の趣味であった書・漢詩・俳句はかなりレベルが高いように思う。・・・・・さて、書と比べると、相当にレベルが低いと言わざるをえない漱石の趣味が、絵である。・・・・絵は、不幸にして残ってしまった。どころか東西の玄人作品と並べて美術館に展示されたりする。漱石自身が知ったら青くなるだろう。≫
≪また、美術館に展示された漱石の絵を、長男とともに観ていたとき、思わず笑ってしまった絵もある・・・床の遠近が狂っており、屋根のように斜めにしか見えない。立ち姿の僧は、すました顔をしているが、じつは必死に落ちないように頑張っているように見えてしまう。漱石ファンには顰蹙を買うだろうが、おかしいものはおかしい。≫
そして、漱石が≪・・・鬱陶しい自己からの逃避と解放たる趣味の行為≫として描き残した画を≪・・・たしかにヘタだが、しかし漱石の心境を思うと、楽しそうで安堵する。≫と、思いやります。画の結果ではなく、画に向かう漱石の心持ちを温かく想う孫。研究者や他人にはない視点です。身内としての思いや葛藤、様々な心の向こうにある言葉が並んでいました。この「趣味の効用」と名付けられた文は、実は、愛情深いものでした。
(「本の装幀」に続く)
☆写真は、東京 根津美術館庭園。
6月10日は、モーリス・センダックの生誕85周年だったらしく、GOOGLEのトップページには、 「かいじゅうたちのいるところ」のマックスが! クリックすると、マックスが走り出して、そこはもう、かいじゅうたちのいるところ。ヨットに飛び乗るマックス。 「まよなかのだいどころ」の面々や「おいしそうなバレエ」の面々も、どんどん走っていきます。さあさ、みんなで向かったその先に、センダック生誕を祝うケーキが待っていました。
楽しくて何度も見てしまいました。娘のスマホでは、動かなかったらしいので、たまには、パソコンがいいときも。
昨年亡くなったセンダックの追悼じゃなくて、生誕85周年。
「かいじゅうたちは不滅」と想う作り手の心が伝わります。なにより、面々のしんがりが、センダックの愛犬のシェパード ハーマンだったのが、嬉しかったです。このアニメ―タ―も、センダック好きなんや・・・
このシェパードは、 「まどのそとのそのまたむこう」や「ミリー 天使に出会った女の子のおはなし」にも、大きく描かれています。
*「かいじゅうたちのいるところ」(センダック 神宮輝夫訳 冨山房)
*「まよなかのだいどころ」(センダック 神宮輝夫訳 冨山房)
*「おいしそうなバレエ」(ジェームズ・マーシャル文 センダック絵 さくまゆみこ訳 徳間書店)
*「まどのそとのそのまたむこう」(センダック わきあきこ訳 福音館)
*「ミリー:天使に出会った女の子のおはなし」 (グリム童話 センダック絵 神宮輝夫日本語訳 ラルフ・マンハイム英語訳 ほるぷ)
(「美術館でくすくす」から続き)
(承前)
漱石は、晩年(といっても享年50歳!)自らも、画を描きました。
漱石が津田青楓に書いた手紙に「私は生涯に一枚でいいから人が見て難有い気持ちのする絵を描いて見たい山水でも動物でも花鳥でも構わない只崇高で難有い気持ちのする奴をかいて死にたいと思ひます文展に出る日本画のやうなものはかけてもかきたくはありません・・・」
描けても描きたくない・・・ふーむ、ちょっと誰でも言えないぞ、こんなこと。
とはいえ、鋭い評論家が優れた作者とならないのは、「夏目漱石の美術世界展」での漱石自身の書画の展示、特に画でよくわかります。うーん。漱石なら、一体なんと言うだろうかなどと思いながら、ここの展示は、手短に見ました。幼小の頃から骨董や書画に囲まれ、倫敦で美術鑑賞、文化的素養はピカ一な漱石ならではの作品と評する人もいるでしょう。が、「絵画の領分―近代日本比較文化史研究」 (朝日選書)*や今回の「夏目漱石の美術世界展」図録の巻頭文「漱石の中の絵―王若水の『懸物』をめぐって」の著者、芳賀徹氏は「素人ばなれしていても玄人地味ない彼の晩年の画作」と言っています。
そして、ここでは、漱石自身が、黒田清輝の「赤き衣を来たる女」に宛てた言葉を、そのままお借りして、漱石の自筆絵にコメントします。「けれども其以上に自分は此絵に対して感ずる事は出来なかった。」
(「孫の目」に続く)
*「絵画の領分―近代日本比較文化史研究」(芳賀徹 朝日選書)
☆写真は、 奈良法華寺の菖蒲。
(「上野に行ったお上りさん」から続き)
(承前)
先日の東京弾丸美術館ツアー「百花繚乱展」「もののあはれ展」のあと、3館目が、この「夏目漱石の美術世界展」(~2013年7月7日)でした。結局、ここが一番時間をとり(時間がかかり?)、愉しみました。
文学と美術が目に見える形で展示されるという楽しみもありましたが、なんといっても、美術館で笑うのは、なかなかない体験です。かつて、鑑賞ガイド氏のユーモアあふれる言葉に笑ったことはあるものの、絵を見ながら、漱石の辛辣な評論のキャプションを、くすくす笑いながら読むのは楽しいものでした。
それは、「漱石と同時代の美術」の展示。
漱石独特の皮肉な表現、厳しい表現で、美術批評をしていています。確かに鋭い目で見ているけれど、自分の好みが勝っていて、自分本位な感じは否めません。
例えば、今尾景年 「躍鯉図」には、「鯉は食ふのも見るのも余り好かない自分である。ことに此踊り方に至っては甚だ好かないのである。」
安田靫彦「夢殿」には、「自分は安田靫彦くんの『夢殿』といふ人物画を観て何といふ感じも興らなかった。」
中村不折「巨人の顔」には、「自分は不折君に、此巨人は巨人ぢやない。ただの男だと告げたい。きたならしい唯の男だと告げたい」
和田英作「H夫人肖像」には、「光線が暗いのではなくつて、H夫人の顔が生れ付き暗い様に塗ってあるから気の毒である。其上此夫人はいやだけれども義理に肖像を描かしてゐる風がある。でなければ、和田君の方で、いやだけれども義理に肖像を描いてやった趣がある。」
木島桜谷「寒月」に至っては、「兎に角屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である。」と、酷評。二年連続で二等賞を受けたこの作品と前年の作品も酷評するという念の入れよう。
好意的な評論の作品もあるにはあるのですが、手放しで誉めるのは、信条に合わないようです。他に、横山大観、坂本繁二郎、朝倉文夫、黒田清輝なども評論の対象になっていました。
(「素人ばなれしていても」に続く)
☆写真は、2月にお稽古に行ったら、飾ってあった横山大観の掛け軸。
漱石は、横山大観の「瀟湘八景」をこう評しています。(写真の掛け軸ではありません)
「君の絵には気の利いた様な間の抜けた様な趣があって、大変に巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着な所も具へてゐる。」
(「読んでから見る」から続き)
(承前)
上野の美術館・博物館・東京藝術大学周辺、特に上野駅から離れるにしたがって、緑も多くなっていきます。木がどれも大きい。幹が太くて、堂々としていました。子どもたちも駆け回って楽しそうだし、憩いの場所としていいなぁ。ロンドンのハイドパークの大きな木を思い出したりしますが、ハイドパークの方が、もっと広い場所に大きな木で公園そのもの、上野は、上野の森といった風情です。
こうやって、お上りさんが、その奥まったところにある東京藝術大学美術館まで行くと、そこでは、「夏目漱石の美術世界展」(~2013年7月7日)をやっていました。関西にもいい感じの場所にある大学がいくつかありますが、ここは本当に素敵な場所にありますね。今更ながら、羨ましい。ま、藝大ですから、こうでなくちゃ。
「夏目漱石の美術世界」展は、「吾輩が見た漱石と美術」「漱石文学と西洋美術」「漱石美術と古美術」「文学作品と美術 『草枕』『三四郎』『それから』『門』」「漱石と同時代美術」「親交の画家たち」「漱石自筆の作品」「装幀と挿画」で構成されています。
ただ、漱石の作品に出てくる全ての西欧絵画が、来日しているわけではなく、実際にきているのは、ほんの一握り。それに、けっこう重要な位置を占めているミレイのオフィーリアが来てないのは(写真のみ展示)、なんとも寂しいことでした。(が、2014年1月に「ラファエル前派展」として、東京六本木森アーツセンターに来るらしい。)
とはいえ、ウォーターハウスの人魚や、ターナーの金枝や、ミレイのロンドン塔の王子たち、若冲や横山大観、それに、漱石の思い入れたっぷりの装丁本も展示されていました。そして、漱石自筆の書画も。
(「美術館でくすくす」に続く)
☆写真は、旧東京藝術大学の奏楽堂。
「サッカー、ワールドカップ出場、よかった」と、NEWSを見ていたら、渋谷の交差点で面白いアナウンスをしている「おまわりさん」が映っていました。興奮した若者たちに、「12人目のチームメートのみなさん」とか、「こんな嬉しい日に怒りたくはない」等など、語りかけています。「おまわりさん」コールも起こっています。信号を守り、歩道で待つ若者たちも、平和な国を象徴するようだったけれど、押さえつけてばかりいては、余計、頭に血が上るのですから、うまい鎮め方だと感心しました。それに、そのおまわりさんは、「そこのきみ!」と特定を名指すことなく、「みなさんもイエローカードは嫌でしょう」等と、さりげなく、全体に語りかけたのも、うまかった。
で、思い出したのが、先日、上野の東京藝術大学美術館に行く前に行った、山種美術館最寄り駅のおまわりさん。
お上りさんである私は、WEBからプリントアウトした地図を見ながらも、ええっと。どっち?JRの高架が、こっちだから?うーん・・・
ええい!そばにあった交番に、「すみませーん、山種・・・」「はいはい、よく聞かれるんだよね。だから昨日、こんなの印刷して貼ってみたんだけど・・・」と、指差す先のガラス戸のところに、私の手にある地図と同じものが貼ってある・・・
とはいいながら、大きな身体の優しいおまわりさんは、「ここをね、まっすぐ行って・・・」と、丁寧に教えてくれました。
いつも、思うのですが、「現場」のおまわりさんは、気は優しくて力持ち(の人が多いかも)。
☆写真は、2012年ロンドンオリンピック女子サッカー(日本対スウェーデン戦前)(撮影:&Co.H)
(「The Three-Cornered World」から続き)
(承前)
確か夏目漱石「草枕」の一部は高校の現代国語の教科書に出ていたのだと思います。その時が、私にとっての初見。そのリズムのある文章は印象的でした。全文を読むために、文庫本を買ったと思いますが、それはあくまで、現代国語の続きで、中身の芸術論はよく理解できない学力でした。
次は、絵本という観点から「物語る絵」をもっと知りたいという思いが高じ、英国ラファエル前派にはまっていた20年近く前、「草枕」や「倫敦塔」「幻影の盾」「薤露行」等を再読しました。「夏目漱石も、ミレイのオフィーリア見たんや」
で、今回、また読んでみたのは、現在、東京藝術大学美術館で催されている「夏目漱石の美術世界展」(~2013年7月7日)のキャッチコピーに「みてからよむか」というのがあって、いやいや、「読んでから見よう」と思ったからです。先日のグレン・グールドや、以前の「自転車に乗る漱石」等もその流れの中でした。とはいえ、そもそも膨大な量の夏目漱石の作品とその関連そして研究、ほんの氷山の一角しか読めなかった・・・・
歳をとって、読みなおすと、昔と全然違う文字が見えてきます。高校のとき現代国語で習った「草枕」とは別物のよう。また、資料として読みとろうとしていた前回のときとも、違う文字が見えました。こうやって、古典と呼ばれる数々の文学を、歳を経て読むのが、最近の楽しみの一つです。当然ですが、夏目漱石も奥が深く、何より語調がよく、文が流れるよう。(ただ、時折見え隠れする、この人の高飛車な物腰にはなじめない・・・が、そこが面白いとも言えますが。)
そこで、本に居並ぶ美術品が一堂に会したら、きっと楽しいだろうなと、「読んでから見る」夏目漱石の美術世界展に、行きました。英国から来日した作品の何点かは、現地で見たものでしたが、今度は、漱石目線で作品に近づく面白さがありました。
芸術は、人それぞれ、時代や時期それぞれ、いろんな楽しみ方ができるので、きりがありません。
(「上野に行ったお上りさん」に続く)
☆写真は、夏目漱石の美術世界展図録のウォーターハウス「人魚」の上に、英国RAのポストカード、今回のチケットを並べてみました。
★ウォーターハウスの「人魚」と思しき作品については夏目漱石「三四郎」(岩波文庫他)に書かれています。
(「ジョナサン・コット」から続き)
「草枕変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド」 (横田庄一郎著 朔北社)
この本は、グレン・グールド弾く「バッハ ゴルトベルグ変奏曲」を愛聴してきた著者が、1955年の録音と1981年の演奏の相違に、夏目漱石「草枕」の影響を見出そうと、「草枕」とグレン・グールドの残された言動から、アプローチしていった本です。
グレン・グールドの死後、彼の1500冊の蔵書の中で、手元に置いていたのは、ボロボロになった聖書と書き込みの多い英語版「草枕The Three-Cornered World」(夏目漱石文 Alan Turney訳 ロンドン ピーター・オーウェン社1965)だったこと。しかも、「草枕」は日本語版も合わせて4冊彼のもとに残り、ラジオで「草枕」を自分で要約し朗読紹介したこと。あるいは、従姉に2晩、「草枕」を電話で朗読して聞かせたこと。・・・・・グレン・グールドは、かなり、「草枕」に心酔していたのです。初めて手にした35歳のときから亡くなるまでの15年もの間。
グレン・グールドと「草枕」が結びついたのは、アラン・ターニー氏の英訳の功績も大きく、グレン・グールドの心に「草枕」のスピリットが届いたといえますが、「草枕変奏曲」の著者は、当時清泉女子大学教授だったアラン・ターニー氏本人の話を聞き、「The Three-Cornered World」の前書きの一部を訳し紹介しています。
≪・・・・・漱石の内面は他のどんな小説よりも『草枕』からうかがうことができる。何よりも、ここには漱石の思想と意見が簡明直截に表れているからである。その国民を文学によって知ることができるという説が本当なら、明治以来のどんな書物よりも『草枕』こそ日本人を知ることができるというものである。≫
英語のタイトル「The Three-Cornered World」は、「草枕」本文から。
「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」(「草枕」 夏目漱石 岩波文庫他)
(「読んでから見る」に続く)
☆写真は、京都 建仁寺両足院唐門付近 白砂と苔、そして、青松。

暗くなって、バルコニーに出てみたら、あっ!ホトトギス!
あの子の声、じかに聞くの久しぶり!忍音ですよぉ。
が、しかし、ここは住宅地。
家家に緑はあるし、緑地も多いけれど、ん?山の中じゃない、山も見えるけど、ちょっと遠い。
どこ?もう一回聴きたいと思って耳をすますも、聴けませんでした・・・
空耳なんだ。そりゃそうよね、この前住んでいた家のように、山がすぐそばじゃないもの。
以前の家では、暗くなってからや夜明けごろ鳴いていたのをよく聞きました。
「テッペンカケタカ」
・・・・その後、帰宅した娘に話すと、「今、歩いていたら聞こえたよ」
そうなんだ!いるんだ。どこか近くに。
卯の花の匂う垣根って、どこだった?
~♪・・・時鳥(ほととぎす)早もきなきて 忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ~♪(佐々木信綱)
☆写真は、残念ながら卯の花(ウツギ)ではなく、旧暦卯月(ウヅキ)のタニウツギ。
何を隠そう。この四月から時間割が変わり、金曜日に仕事に行っています。
1時間目のたった一コマ。90分の授業をするのに、片道90分、往復3時間かかって、朝早く家を出ます。
準備や採点にも時間は取られ、割が合わないと思いつつも、
若い人たちや、若くなくてももう一度勉強しようと通学する人達に会えるのが楽しみで、仕事にでます。
・・・・・で、帰る時は、まだ午前も10時半。金曜日が終わった解放感で、足取り軽く、鼻歌混じり。
ああ、ここで毎週思い出すのは、トルコのホジャの「三つの金曜日」の話。
授業が火曜の時も思いだしはしたけれど、金曜日に代わって、さらにひしひし。
どんなお話か、「天からふってきたお金」(岩波)の中に入っています。
≪・・・わからない人は わかっている人からきいてください。では、これで---≫
*「天からふってきたお金」 (アリス・ケルジー文 岡村和子訳 和田誠絵 岩波)
☆写真は、昨日咲いていた薔薇を花瓶に入れてみました。