先日、18世紀のフランス革命以来、約220年ぶりにそろった10個の鐘の音を動画やニュースで聞きました。パリのノートルダム寺院の鐘の音です。革命時に壊されたり、劣化で調和しなくなったりしたものを、寺院着工850年を記念して新調したようです。つまりイースター前に、聞くことができたのは、18世紀の音色。日本の鐘も含めて、響く、響き合うというのは、耳の奥深くに届きます。
ところで、ユゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ」。図書館でも、館内でないと閲覧できないし、古本で検索するも、岩波文庫が嘘みたいなお値段。
せむしの鐘つき男カジモドの身体表現訳などがひっかかっているから、復刊しない?はて?
アニメーションやミュージカルでは有名な作品になっているのに、元々の文学で読む機会が少ないのは残念です。映画「レ・ミゼラブル」のヒットと共に、復刊されることを期待していたんですけれどねぇ・・・
☆写真は、パリ ノートルダム寺院
春の散歩の楽しみは、次々、咲いてくれる花々を見ることですが、ご近所には、アーモンドの花が、結構咲いています。梅と桜の間を取り持つように咲いています。ただ、この辺りで見る限り、幹も細く、それほど大きな木になっていません。どれも、玄関先や門の前など、見えるところにあるものは、しっかり地植えという感じではありません。
これは、多分、隣の駅を南下したところにある、アーモンドなどのナッツ工場が、アーモンドの花期に合わせて、工場敷地の庭を一般開放し、そのときに配る、アーモンドの種を蒔いたり、あるいは、会場で売っている苗を、植えたりしたのではないかと推測しています。
種の植え方、育て方の説明書には、実生で早くて3~5年で花を咲かせるとありますから、小さくて、細い幹でも、少しの花をつけるのだと思います。実際、ご近所のアーモンドの花は,今までで一番花付きがよく、年々、しっかりしてきていると思われるのです。
このアーモンドフェスティバルを開催している会社のコンセプトは、「ナッツが回れば世界がつながる」ということのようです。まずは、ご近所周りにアーモンドの木が増えているのは、ちょっと楽しい。うちも、植木鉢で育てて見ようかな。
☆写真上は、近所のアーモンドの花、下はアーモンド工場のアーモンドの花(撮影:&Co.A)
先日、夫が大相撲大阪場所に行ってきました。初めての観覧でした。
やっぱり、横綱「白鵬」は、オーラが凄い、等といいながら、帰ってきました。
持ち帰ったお土産の数々に、びっくり!
横綱の名の入ったバスタオル。
軍配の模様の入ったお皿。
お相撲さん型のチョコレート。
横綱の綱型のおまんじゅう。
横綱絵の包みにはいったおせんべい。
お相撲さん絵の包みにはいったおかき。
(それぞれ顔が違い、化粧まわしの絵も違う。写真に写る一番左端の力士なんか、まだ化粧回しのない若者でお腹も出ていないのでおへそが見えないし、髷も結えてない風情。)
天津甘栗。
それに、番付表に力士の写真入り冊子。
加えて、枡席では、お弁当や飲み物、おつまみ等もあったよう。
そしてまた、それぞれの包み紙等の意匠が、お相撲関連。
番付表あり、取り組み絵あり、双葉山の手形あり…で、なかなか粋です。
日本の庶民文化がお茶目でオシャレなのが、よくわかります。
で、お味の方は・・・、はい、土産物の味でした。
(「レーピン展 肖像画」から続き)」
(承前)
東京で「レーピン展」が開催されている時に、新聞で、「皇女ソフィア」の絵が、美術解説されているのを見て、「こわっ!」と、思っていました。それで、今年に入ってから、京阪神間の駅でも、この絵のポスターを見かけるようになりました。姫路美術館で「レーピン展」(~2013年3月30日)をやっているからです。ポスターは、いつも、「はよ、見に来んかい!」と、にらんでいました。
幽閉生活の皇女ソフィアの窓の外には、見せしめに、遺体がぶら下げられています。が、そのとき、扉を開けた者に立ちはだかる皇女ソフィアの威圧感。怒髪天を衝くかのようです。実際、乱れた髪は立ち上がるものもあります。貧相な囚われ人でないのは、いつ、また逆転の機会があるやもしれないと信じる自信とプライドでしょうか。みじめさ等微塵もありません。
実際の絵では、思わず、近寄って見たほど、衣装につけられた宝石の飾りが、貼り付けられた本物のようにきらめいていました。・・・そして、皇女のにらんだ目から、湯気が出そう・・・
この皇女ソフィアの絵は、文庫版の「怖い絵 死と乙女篇」 (中野京子 角川文庫)の表紙を飾っていますが、以前、出ていた「怖い絵」(中野京子 朝日新聞社)には、同じくレーピンの「イワン雷帝とその息子」が解説されていて、一度見て見たいと思っていました。今回の「レーピン展」では、、この絵の実物は出展されていず、小さな習作のしか展示されていませんでした。
「イワン雷帝とその息子」も、「皇女ソフィア」と同じように大きな作品のようですから、かなりのリアリティで迫って来るのでしょう。残虐を極めたイワン雷帝が、その跡とり息子の皇太子をも、殺害すると言うショッキングな史実です。
☆写真は、レーピン展案内紙の上に、レーピンが描いた家族の絵の絵葉書3枚。
(「肖像画」から続き)
(承前)
姫路の「レーピン展」(~2013年3月30日)では、レフ・トルストイの深いまなざし、ムソログスキーのこちらを見透かしている様なまなざしの肖像画に出会えました。
そんななか、肖像画の中で一番印象に残ったのが。「背中のまがった青年」の肖像画でした。
一人の市井の青年です。
穏やかな表情は、それまでの苦労や困難を感じさせない心の豊かさを感じます。名を表す様な服装でなく、質素な生き方に、誇りを持つことが見て取れます。題名から判断する身体的な苦労は、まったく感じられません。杖こそついていますが。
この絵に惹かれたのは、もしかしたら、先日来のリチャード三世遺骨確定のニュース以来、小説「時の娘」を読み、背中の曲がった王様の肖像画というキーワードがあったからかもしれません。
イリヤ・レーピン(1844-1930)の描く一青年は、背中の曲がったという身体的特徴を凌駕し、青年のこれからの人生も描こうとしているようで、肖像画の魅力を高めるものでした。(「レーピン展 怖い絵」に続く)
☆写真は、姫路市立美術館正面庭にあるブールデルの「モントーバンの戦士」。美術館の瓦屋根の前に設置されているのが、パリと日本の融合みたいでちょっと楽しかった。左後方には、姫路城があるのですが、現在、工事中の布が、すっぽりかかっていました。
(「時の娘 その2」から続き)
(承前)
小説「時の娘」では、はじめ、敏腕警部グラントの勘で、肖像画の男の性質や職業まで推理する箇所がでてきます。
確かに、肖像画は、ナショナル・ポートレートギャラリー、ジョン・シンガー・サージェントのときに書いたように、モデルになる人の深いところまで読みとれる画家が描くと、後世の者が見ても、肖像画本人に近づける気がします。
肖像画は、顔の表情、顔の部位だけでなく、身体の位置、肩の傾き、手の位置、指の力加減、足の位置や組み方、服のしわまでも、その人を表現します。傲慢な人、穏やかな人、オシャレな人、自信に満ちた人・・・ま、人物画ではありますが、その中でも、肖像画は、その人の内面を切りとるジャンルでもあると思うのです。
そして、肖像画を見る楽しみは、その人の背景を知ると、さらに鑑賞の楽しみが増えるような気がします。
宮殿で見る肖像画なら、その宮殿の歴代の殿さまや奥方だし、美術展で一番初めに飾られているのは、その画家の自画像であることが多い。また、依頼によって描かれたものでも、文豪や音楽家、政治家など、少々なりとも、予備知識があると、ふむ、ふむ、と、さも、旧知の間柄に出会ったような気分になります。
そんなわけで、キャプションが英語で書かれている、ロンドン ナショナルポートレートギャラリーの膨大な数の肖像画の前では、ついつい知ってる有名人のお顔を探し出し、鑑賞するということに。
さて、日本では、肖像画展に絞った展覧会が少ないものの、昨年は東京、現在は姫路で開催されている「レーピン展」(~2013年3月30日)では、肖像画が多く、しかも、キャプションが、日本語!なので、肖像画に近づける気がしました。(「レーピン展 肖像画」に続く)
☆写真は、ロンドン コートールド美術館のゴッホ自画像(撮影*&Co.T2)
(「時の娘その1」から続き)
(承前)
小説「時の娘」の中で、もしかしたら、リチャード三世の背中が曲がっていたことさえも真実ではないのかもしれない・・・とあるのですが、先日確認された遺骨は、確かに曲がっていたし、研究では、生まれつきでなく思春期頃から曲がったのではないか、と言われていました。また、埋められる前に手は交差され、埋められた穴も狭く首が乗っかっていたとか、最後を丁寧に扱われていなかったこともわかったようです。
それから、警察官のグラントが35,6歳くらいと見当をつけた肖像画は、32歳で死んだ若き王というより、疲れた、とても30代前半の人には見えない絵でした。
ところが、今回実際に復元されたリチャード三世の顔は、随分若々しく見えるものです。復元に関わった学者は、「彼は32歳だったということと、ユーモアのセンスがあったと歴史的記録にあるので、口元を、微笑んでいるようにした」と説明し、人のよさそうなリチャード三世を生み出していました。これなら、新しい、リチャード三世善人説の展開があるかも・・・
ま、いずれにしても、こっちの人から見て、偉大で善人であっても、別の角度から見たら、そんなことしてたん?と見方、評価が変わることがあるのは、世の常でもありましょう。
「真実は時の娘」とはいいながら、人の想いの絡まる歴史というものの、面白さを感じます。
(「肖像画」に続く)
☆写真は、英国ケンブリッジ 4面日時計の時計塔。
(「二つの薔薇」から続き))
(承前)
「時の娘」 (ジョセフィン・ティ 小泉喜美子訳 ハヤカワミステリ)
「時の娘」は、ミステリ作家ジョセフィン・ティが、悪名高きリチャード三世、実は、善人だったのじゃないか説に取り組んだ探偵小説です。
≪スコットランド・ヤードの敏腕警部グラントは怪我をして入院。退屈しているとき、リチャード三世の肖像画をじっくり見る機会を得ます。そして、肖像画の男が、あまりに良心的すぎた人物、悩める人のように見えます。歴史でもシェイクスピアでも散々、リチャード三世悪人説が唱えられ、人々もそう信じているものの、本当に幼い王子たちを殺す様な悪人だったのか。と、考え始めます。そして、入院先での豊富な時間と、資料や本を集めてくれる仲間の力を得て・・・・≫
先日の、リチャード三世遺骨確認のニュースの後、この探偵小説「時の娘」のことが新聞に出ていたので、図書館で申し込むも、素早く誰かが借りた後。で、やっと回ってきたら、まあよく読まれた形跡のある幸せな本でした。
確かに、一気に読ませる力を持っています。考証されていくことも、さもありなんと思わせる力を持っています。少々の無理も感じますが、そこはそこ、論文でなく娯楽小説なんですから。面白い1冊でした。
(「時の娘 その2」に続く)
☆写真は、英国ケンブリッジ キングスカレッジチャペル 薔薇のレリーフあちこちに。
(「隨心院」から続き)(承前)
はねず色は「朱華色」と書き、「日本書紀」にも記述があるそうな。仮名で書くより、漢字で表わす方が、華やかな雰囲気でています。が、染めの「朱華色」は、黄味かかった紅色で、実際の「はねずの梅」と言われる淡紅色とは、ちょっと違うような気がします。

隨心院では、はねずの梅のことを「唐棣梅」と書き、唐から来た棣(にわうめ)としているので、ここでいう「はねず色」は、いわゆる庭梅の色なのだろうと思います。
じゃあ、庭梅って?というわけで調べて行くと、中国原産のバラ科の落葉低木で・・・さらに、画像検索すると!ええっ!これって、以前に住んでいた家に植わっていた!

4月初め、淡紅色の小さな花をびっしりとつけ、そのあと、暗赤色の小さなサクランボをつけていました。なにより、花にはほとんど興味を示さなかった夫が「小桜ちゃん」と呼んで、毎年の開花を楽しみにしていたのです。 桜じゃなかった、梅!?? そう、引っ越しの際に、移せないことを残念がっていた、あの子です!庭の写真を撮っておいてよかった。
うちでは、毎年、葉影に、ほんの2-3粒、実がなっただけですが、別名「チャイナベリー」とか「リンショウバイ(林鐘梅)」といい、陰暦6月(林鐘)頃、薬用ともなる赤い実をつけるから、この名前がついたとも。
☆写真上は、隨心院の「はねずの梅」下は、以前の家に咲いていた庭梅。
ご近所の梅が満開だったので、京都山科小野にある隨心院門跡の梅園もさぞや、と思って行ったものの、名物の「はねずの梅」は、遅咲きで、もう少し。
ただ、梅はつぼみが丸くて可愛いので、すでに咲いている白梅や、一重や八重、枝垂れと共に、楽しみました。それに、梅園の梅は、よく手入れされていて、背が高くなり過ぎず、枝ぶりが美しく、梅、一輪、一輪ほどの、愛らしさで、心がなごみました。
さて、この隨心院は、小野小町伝説でも有名です。小野小町を慕った深草少将の百夜通(ももよがよい)の伝説です。
小野小町は、彼女を慕う深草少将に「あなたが、百日通うなら、私はあなたの許に参りましょう」と告げます。そして、少将は、伏見の深草から小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けたものの、最後九十九日目の夜、大雪によって門前で凍死という悲恋の伝説と、九十九日目の大雪の日に代理の者を送ったのが、ばれて、ご破算になったという滑稽譚があるようです。そして、「はねず」の梅が咲く頃、小野小町は、小野の里の子どもたちと楽しく過ごしたという伝説もあり、それらが、例年3月末頃の「はねず踊り奉納」のもととなったとあります。
染めの「はねず色」は、色が退化しやすいらしく、そこから「はねずいろ」が「うつろいやすい」の枕詞になったと知りました。この寺が、その「移ろいやすい」はねず色の梅と「花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」と、容色の衰えを花の色に例え「移る」と歌う小野小町ゆかりの寺だというのも、「粋」な感じがします。
深草の少将は、きっと「深い」想いに掛っているんだろうし、はねずの梅というのも、「寝ず」に、掛けているんじゃないかと考えるのも楽しい。
それに、ご本尊の「如意輪観世音菩薩坐像」が、少々艶っぽく見えるのは、この寺にまつわる小野小町伝説に、関係あるのかも 等と考えるのも、これまた楽しい。
(「はねず色」に続く)
2013年3月13日撮影 
映画「八月の鯨」を初めて見たのは、1988年頃でした。試写会のお誘いがあって、当時2歳の娘も連れて、見に行きました。
試写会に行くくらいで預ける人もいないし、2歳なので多分昼寝するだろうという魂胆でした。静かにしてもらうために、お菓子も持って行きました。
案の上、眠ってくれました。
・・・・・が、眼が覚めた!ちょうどそのとき、老女の一人が、さながらバーバ・ヤガーのように、髪振り乱し、部屋から出てくる大写しでした。
・・・・普通なら、ここで泣いたかもしれません。が、泣いたりしないものの、一生覚えている絵になってしまいました。映画のタイトルも知らないまま大きくなっても、何かの拍子に、思い出すようで、Tさんのおばちゃんと一緒に行った映画は怖かった。髪の毛バサバサやった。と、言うのでした。後にも先にも、あの子を連れて、Tさんと試写会に行ったのは、あの映画だけでした。
で、「八月の鯨」の名誉のため、この映画は決して人を驚かす様な映画ではなく、アメリカ東海岸メインの海の美しい風景とともに、心に響く映画であり、撮影当時91歳と79歳の女優さんお二人の演技が素晴らしいものであったと、明日書きます。今度は、最近、一人で劇場に見に行きましたから。(「八月の鯨 その2」に続く)
☆写真は、英国 八月のブライトン(撮影:&Co.H)
「今年は早く来られましたね。」
カルテを見て、お医者さんに言われたと、夫が花粉症の薬をもらってきました。
日本で、毎年、花粉症が辛かった娘は、最近、英国でクシャン クシャンとやったら、下宿の大家さんに、「イチイの花」か「ミモザの花」の花粉が飛んでいるからねぇと言われたようです。結果、彼女は風邪気味だったようですが、どこに行っても、花粉の季節はあるんだねぇ。
☆写真上は、ご近所のミモザ。下は、意外と早く咲くサクランボの木。毎年、たくさん実をつける!私の木ではないけれど…
空が白くても、黄色くても、青くても、ご近所の梅は、それぞれに美しく咲いています。
梅は、花期が長いので、慌てず「みんなみすべく きたすべく」等と悠長なことを言えるのですね。その点、桜は忙しい。
とはいえ、今から、いろんな花が咲いて、心もウキウキ、出歩いたら、その報告が書きたくなって、すでに、書き貯めている文章も、さらに後回しになる予感・・・ま、いっか。 
(「至難の業」から続き)
電車の連結部のところにときどき、乗客も入れるように繋がっているところがあります。先日、そこに、モデルさんみたいに、すらっとしたお母さんと幼稚園年長くらいの男の子が入ってきました。台のところに、お母さんは、その坊やと荷物を載せました。お母さんが、上着を脱がせ、靴を脱がせ、までは、よく見る光景でしたが、坊やが指差す坊やのかばんからゲームも出しました。それから、坊やはゲームで忙しくなり、靴下がずっていることに気付きませんから、お母さんが上げています。
外は、春の日差しで明るく、それだけで、うきうきするような昼さがりです。
今度は、明る過ぎて、ゲーム機が光っているのか、坊やの座る向きを、お母さんは、変えてあげました。坊やは、その間も、画面を見ています。
降りるまでの15分ほどの間、親子は、ほとんど語らず、坊やはずっと画面をみていました。
もちろん、お母さんは、ゲーム機を持ったままの坊やに上着を着せ、靴を履かせ、最後はゲーム機をバッグにしまい、電車を下りて行きました。
日本でも、小さな皇帝を見た気がしました。
「知らなくても食べていけるけれど、 」から、この3日間、カ・リ・リ・ロとしては「ほんとうはひとつのはなし」のような気持ちで書きました。
☆写真は、オーストラリア 夕陽のエアーズロック(撮影:&Co.A)。写真も3日間「いにしえもの」にしました。
(「知らなくても食べていけるけれど、 」から続き」
(承前)
昨日の文章をUPせずにいたら、またもや新聞記事にこんなことが書いてあったので、書き残しておきます。
紅染師鈴木孝男氏の「いにしえの紅花染め復活」という記事です。(2013年3月1日日経朝刊)
紅花を染料とする紅の歴史は古く、卑弥呼の時代に大陸から伝わり発達、江戸時代に隆盛するものの、明治になって安価な化学染料に押され廃れていった経緯があるといいます。そして、それを復活させるため、古文書を解読、試行錯誤を重ね、手間暇をかけ、復活させたのが氏でした。
記事の最後にこうあります。≪・・・原料不足や年齢を考えると限界を感じるが、一度途切れた伝統文化を復活させるのは至難の業。・・≫
ほら、ここでもおっしゃっているじゃないですか。一度途切れた伝統文化を復活させるのは大変だと。先人から学ぶ謙虚な姿勢、苦難を越える大きな愛があったから、復活できたのですね。
恐竜だって滅びたじゃないか、滅びるものはあるんだと、言うのは簡単です。
何もかも守らなくてもいいのじゃないか、という考えもあるでしょう。
が、時間をかけて築いてきたものには、知恵や工夫、そして愛が詰まっています。
次につないでいくことの大切さを忘れないようにしたいです。
(「電車の中で」に続く)
☆写真は、英国ストーンヘンジ。(撮影:&Co.H)
「語り合う知的基盤共有を」という見出しの新聞記事です。(2013年2月20日日経夕刊)
≪私の学生時代は知らないというのは恥だった。友人と話していて、彼が読んでいる本を自分が読んでいないのは恥ずかしいし、その本を知らなければ対等に議論できないという雰囲気があった・・・≫と、歌人で細胞生物学者の永田和宏氏は切り出します。そして、若い人たちのつながりを保とうとしている姿勢を認めながらも、その基盤の脆弱さを危惧し、≪知らなくても食べていけるけれど、知っていれば心が豊かになる。文化芸術とはそういうものだろう。≫と言います。
今は、片手で持てる大きな世界、そして、つながり。
電車の中で、若い人は、文庫本はもちろん、漫画や週刊誌を読んでいる人さえいません。たまに見かけたら、「おお!」何読んでいるんだろう。
片手の中で、文庫本も漫画も週刊誌も読んでいるのかもしれません。検索して知ったことは、昔の若いもんより膨大な量だと思います。
でも、もしかしたら、簡単に手に入る分だけ、愛着も少ないのかもしれないと思ったりします。
文化芸術が、簡単に手に入る錯覚。
文化は、築くまで長い歳月が必要、消えるには短時間で済む。
・・・・・・・・・・等など、時々、考えたりするのです。
(「至難の業」に続く)
☆写真は、英国 湖水地方ケズウィック ストーンサークル(撮影:&Co.I)
デパートの美術展は、狭くて少々見にくいのが難点です。
「クールベ展」(~2013年3月11日)もご多分にもれず、代表作と言われれるものが少なく、彼の戯画や、彼の作品と同じテーマで描いた別の画家の作品などが多くを占める展覧会でした。オノレ・ドーミエの風刺画もありました。クールベという画家は、社会批判をはばからず、裁判やスイスへの亡命、没落などなかなか波乱に満ちた生涯だったようで、風刺画の題材にもなりやすい生活でもあったようです。
そんな中、クールベの「ルー川の源流」と、別アーティストによる「ルー川の源流」のエッチングや写真を、行きつ戻りつして、比較しました。が、折角、集めたのですから、直近で並べて見る展示も面白かったのではないかと思いました。
それで、見たかったのは、クールベ晩年の連作でもある、スイス、レマン湖のシヨン城です。この場には、一枚だけが来ていました。バイロンの詩「シヨン城の囚人」を初めとして、なかなか趣のあるレマン湖上に浮かぶ古城です。写真は、2005年撮影のシヨン城と、クールベの「シヨン城」絵葉書を並べてみました。
そうそう、このブログでも使ったレマン湖の夕陽の写真ですが、「レマン湖のほとりの一日の終わり」というクールベの共作絵画と、僭越ながら、似ているものを感じ、ちょっと嬉しかった。クルーベの時代も今の世も、レマン湖の夕陽の美しさに変わりがないのです。
ずっと、ここにUPする画像が、実際のものより不鮮明で、気になっていました。
先月、素人でも、少しは、ましに処理できる方法を見つけたので、全てやり直しました。
すでに、500枚程度UPしているのですから、なかなか大変でした。少しは、綺麗に見えるかな・・・
長い文を、スマホで見るのは、しんどいだろうなぁ、パソコンでも、めんどうだろうなぁ、と理解しています。
それで、毎日UPするようになったら、メールや手紙が激減。
お忙しくても見てくださる人は、カ・リ・リ・ロの消息を、このページでご存知だからでしょう。
こんな公開備忘録を見て下さって、感謝です。
ともかくも、一年続きました。
☆写真は、ムール貝やウズラの卵、オリーブの実等が見えますが、すべて、パリ土産のチョコレートです。
朝、バルコニーに出たら、鉢植えの薔薇の苗しかないはずなのに、
くん、くん、くん・・・花の香りがする!
ここは、5階の最上階。
地上のお宅の梅という梅の香りが来てくれたのかしらん?
それとも、沈丁花?
一気に暖かくなって、ダウンのコートをどうする?ブーツも、むれそう・・・
ロンドン郊外に下宿する娘が、暗くて寒かったイギリスも一気に花が咲いたと、上の写真を添付してきました。
下の写真は、同じクロッカスですが、2006年の英国キューガーデン。

プールで、すいた時間に泳ぐこと。これは、大きな気分転換になります。
混雑しているプールのレーンは、それだけで、ストレスフルです。だから、空いた時間を狙って泳ぎます。
中学や高校の頃、プールの授業の後は、猛烈に眠くなって、身体もだるくなりましたが、自分勝手に泳いでいると、その後の疲れがないから不思議です。しかも、泳いだ後は、頭がすっきり。新たな発見や発明はできませんが、詰まっていたところが、掃除され、冴えたような錯覚が・・・。
腹筋の衰えた背泳ぎは遅く、人前で披露できない平泳ぎ、息継ぎをしているはずなのに、25メートルで息が上がっている自由形、いつか泳げるようになりたいと密かにドルフィンキックのイメージトレーニングをしているバタフライ。
明るい青天井から、容赦なく入る紫外線。混雑を避け、お日さまを避けて通っているのに、くっきり、水着のあとがつき、顔のシミは増え、髪は傷み・・・結局、違う意味のストレスがあるものの、やっぱり泳ぐぞ。
☆写真は、英国ヘミングフォード村ウーズ川 カナダガン(多分)
気分転換に、英語の絵本を声に出して読みます。特に、リズミカルなもので、詩的な要素の強い絵本を声に出して読むと、そのリズムが楽しくて、「もう一回読んで」と、身体の中に住むもう一人の自分が要求します。目で追って読むのでなく、しっかり声に出して読むのです。誰も聞いていないから、発音がむちゃくちゃでも平気、リズムもそこで切るのかどうかも不明ながらも、読み続けられます。で、だんだん、心が穏やかになってきて、なんだか楽しくなってきます。
じゃあ、日本語の詩や詩的なものならどうか。これも語調のいい美しい日本語のものは楽しいのですが、いかんせん、日本語は読みながらも、意味をとっています。すると、英語ほど、落ち着いてきません。ともかく、気分転換に、読んでいるのですから、やっぱり、意味が、よくわからん英語の方が、すっきりします。ただ、英語の絵本です。小さい子ども向きの絵本です。英語の小説とか大人向きの文章ではありません。そんな本は、単語を読むことすらできなくて、またストレスがたまります。
☆写真は、英国コッツウォルズ、バイブリー セントメアリー教会裏。スノードロップが咲いています。この花のアップの写真は、以前海ねこさん2月4日「しろいゆき あかるいゆき」の項に載せました。
バッグのポケットから、2012年8月の日付が印字された映画の半券がでてきました。「ローマ法王の休日」でした。最近のNEWS「ローマ法王が存命中に退位」というトピックに合わせたかのように、出てきました。
映画「ローマ法王の休日」は、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」を、もじったと思われ、法王という活字が小さかったと思います。
題名をもじった・・・軽いノリで・・・だから、映画も楽しく見られると、錯覚していました。また、ローマ法王にも、人間らしい休日があるにちがいないと思っていたので、その好奇心から見た映画とも言えます。
映画では、ローマ法王の選出のとき(コンクラーベ)、実は、それぞれが「神様、自分は選ばれませんように」と思っていたし、内省的で静かな暮らしなのかと思えば、戸外(中庭)で、バレーボールをして、いい汗かいているし、ローマ法王に選ばれた人が、町の神父の話に耳を傾けているし・・・
結論からいうと、ローマ法王も人間なのですから、ローマ法王が存命中に退位するという現実も、なんら不思議がないとわかる映画です。・・・ということは、現在のこの日が来るだろうと、映画は、予測していたということでしょうか。
☆写真は、パリ ノートルダム大聖堂(カトリック教会)の裏手上方。私以外の家族4人は、すべてバチカン観光に行ったことがあるのですが、データ写真がありません。
昔、子どもの頃、段々になったお雛様が、妹と共有で飾られていました。
別々のところに嫁ぐのに、お雛様が一組か・・・、と、思っていたら、実家の親は、うちの2人の娘に、それぞれ、内裏雛だけのお雛様、親王飾りを、2組、お祝いしてくれました。段々を飾る場所も、しまう場所もないので、よかったです。出し入れも簡単です。ただ、いまだに嫁いで行かず、写真に二組仲良く写っています。
先日、京都文化博物館で、お雛様展を見てきました。
由緒正しいお人形たちは、それぞれが、いいお顔。古びていますが、いいお着物で、すましています。お道具も細かい!小さな小さな火箸や、囲碁の碁までありました。
毎年開かれるヨドコウ迎賓館特別拝観の雛人形展(2013年は4月7日まで)は、京都のものより時代が新しく、明治のものです。迎賓館の建築主である灘の酒造家のお嬢様の誕生を祝って作られたものです。雛人形、花嫁人形、花観人形などのお人形群からなっています。
案内によると、雛人形は、頭師(かしらし)手足師、髪付け師、織り師、小道具師、着付け師などの職人の分業で制作されたとありました。
我が家のとは、少々格が違うものの、娘たちの誕生を祝う心は、時代や生まれが異なっても、同じです。
パソコンのコードに足を引っ掛け落としてしまった。
その朝は、朝から外出予定で、特別ゴミの日で、クリーニングさんが7時30分に来て、
ピンポーン!「はーい」と慌ててインターフォンに向かった時に、悲劇は起こった・・・・
とりあえず、こうやって使えているものの、正常だとは信じ難い。
突然、コントロール出来なくなるのかも・・・ひゃー。
あーあ、このパソコン頼みの毎日・・・バックアップ。アップ、アップ・・・
・・・あ、ここ、「ひび」いってる・・・あ、S 押しにくい・・・
あとで、娘にメールをしたら、「ありゃりゃー‼落ち着いて‼私からみたら、あなたなんてもう急ぐことは何もないねんよー‼もうやることやってんから☆どーんと構えてて下さい。」と、叱咤激励。ほんと、なさけない。
☆写真は、パリ ノートルダム大聖堂上方にあるガーゴイル(英gargoyle:仏gargouille)すごいズームで、撮りました。*ガーゴイルは、怪物などの彫刻でできた雨とい。