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みんなみすべくきたすべく

マーカス・ブルータス

487バースj
(「塀の中のジュリアス・シーザー」から続き)
(承前)
 さて、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」*です。
 題名は、「ジュリアス・シーザー」なのに、途中でシーザーが死んでしまいます。シーザーより、はるかに出番も台詞も多いのがブルータスです。これじゃ、「マーカス・ブルータス」と言うタイトルでもよさそうですが、歴史上「ブルータス、おまえもか・・・」という知名度のブルータスとしては、タイトルは引き下がざるを得なかった?

 この前のシェイクスピア「リチャード三世」*のクライマックスにも、エリザベスとリチャード三世が言葉を応酬し、言葉のみで変化していく人の心の面白さがありました。この「ジュリアス・シーザー」にも、同じようにアントニーとブルータスが、広場のシーザーの遺体の前で、両者が群衆に訴える場面があります。
 まず、「シーザーは何故、殺されなければならなかったか」を、ブルータスが、滔々と述べます。すると、群衆は、「そうだ、そうだ、ブルータス、よくやった!」
 そして、退場したブルータスの代わりに出てくるのが、シーザーの腹心だったアントニーです。初めは、ブルータスをたてているかのようですが、次第にシーザーをたて、シーザーの功績を讃えていきます。すると、今度は、群衆が「そうだ、そうだ、ブルータスなんか、やっつけろ!」群衆の心が180度変わるのです。
 ここは、一対一の言葉の応酬ではなく、一人の演説をじっくり聞かせ、群衆の心を捉えて行く場面です。解説によると、ブルータスの演説は散文、アントニーの演説は韻文と、シェイクスピアは書き分けているとあります。哀悼を兼ねる演説に、人の耳に余韻を残す韻文という手法が、適しているのは間違いありません。
 
やっぱり、恐るべし、シェイクスピア。

*「ジュリアス・シーザー」(シェイクスピア 小田島雄志訳 白水社Uブックス)
*「リチャード三世」(シェイクスピア 小田島雄志訳 白水社Uブックス)

☆写真は、英国 バース。ローマ時代の浴場

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