FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

(雨の中) もの想う人

397考える人j
(2012倫敦巴里55)
(承前)
 次に読んだのが、知の発見双書「カミーユ・クローデル」(レーヌ=マリー パリス、エレーヌ ピネ、湯原 かの子訳 創元社)。
 その次が、あの重い「カミーユ・クローデル」(なだいなだ 宮崎康子訳 みすず書房)。著者は、カミーユの弟ポール・クローデルの孫娘レーヌ=マリー・パリスです。序文の一つにポール・クローデルのものを使い、資料や、長いあとがきも含まれています。また、作品の写真もたくさん掲載されていて、カミーユの作品だけでなく、カミーユとロダン作品を比べるにも興味深い本となっています。この重い本は、「事実は小説より奇なり」などという言葉より、深く濃いものを感じます。

 カミーユ・クローデルは強制的に連行され、死ぬまで精神病院に入って、30年!
 自らの天才を葬る日々。
 会いたい、帰りたいと切望する手紙。
 若く美しかった頃の写真。精神病院での写真。魅力的だった瞳が、あきらめを伝える瞳に。
 弟以外に訪ねる人もなく、有名人となった弟も稀にしか訪れず。カミーユの被害妄想は続きました。
 ロダンとの別れが引き金ですが、もともとの成育歴やその時代背景など、複雑に入り組み、彼女を孤独な終末へと導きます。
 そして、姉カミーユ・クローデルは、たった一人で逝き、弟ポール・クローデルは、国葬されました。

 この本を重くしているのは、カミーユの病気について、専門の解説がついていることです。そして、何より、この本を、もっと重くしているのは、30年にわたる入院生活の記録に「同じ精神状態」「同様」という記録が続いているという事実です。一日分ではありません。一年間の記録が、たった一言!「同様」。
 訳者あとがきで、精神科医なだいなだ氏は、こういいます。「365日の生きた人間の生活を総轄するのに、『同様』のたった一言しかないとは。それは、治療者と患者がほとんど言葉を交わさなかったことを意味している。・・・つまりは、患者と治療者の間に、人間的交流がほとんどなかったということだ。・・・」

 加えて言うなら、書簡の資料も、この本の「重さ」です。
 カミーユが繰り返し訴える妄想。ロダンの一味が悪さをしてくる・・・
 ところが、画廊主の友人がカミーユに宛てて書いた手紙にはこうあります。
「ある日のこと、ロダンが私の所に来ました。私は、彼が突然この肖像(*カミーユ作の『嘆願する女』)の前で身動きしなくなり、じっと見つめ、その金属を優しく愛撫し、そして泣くのを見ました。そうです。泣いたのです。子どものように。・・・」
 そして、ロダンの臨終の言葉は、「パリに残した若い方の妻に逢いたい。」

 カミーユの作品「分別盛り」の真中で軸足を結局、老女の方に傾けたロダンが、子どものように泣き、つぶやいた臨終の言葉。
 天才の前に現れたミューズもやっぱり天才だった時の哀しい末路です。
 彼の作品「地獄の門」にも、「考える人」が座っていますが、「地獄の門」という作品は、未完成なのです。

 「重い」本でした。でも、出逢えて、よかった。(続く)

PageTop