みんなみすべくきたすべく

身から出たさび

                    432+3THANKSjj
書くのが好きで 毎日書いて 毎日書いて 
それでも 時々 思い出し 身から出たさびの数々を思い出し
書いて 書いて 毎日書いて 
今日も
一人 ただ書く

☆☆☆と、書いても、年末年始。雑用多し。読んでくださる人が居たとしても、やはり、年末年始。
お正月休みの家族と共に、このブログも、9連休します。よいお年を!☆☆☆

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暖炉の火

431暖炉j
  (承前)
 さて、前述のジョージ・オーウェル「一杯のおいしい紅茶」の中の「暖炉の火」*と言うエッセイに、こんなこと書いてました。
≪ ・・・暖炉の第一の大きな長所は、部屋の一隅しか暖まらないので、否応なしにみんなが仲良く一箇所に集まってしまうという点がある。・・・・・
第二に、火そのものが子供にたいして持っている、つきない魅力である。火というのは、二分と同じ形をしてはいない。真っ赤になった石炭の中心をじっと見ていると、こちらの想像力しだいで・・・≫

 いまどきの日本の普通の家庭に暖炉なんてなく、オーウェルの英国でも、暖炉の痕跡があっても、今やそのまま石炭や薪で使用している都市部の家庭は、珍しいのではないかと思います。
 しかしながら、ここに書かれている「みんなが仲良く一箇所に集う」という思いは、大昔から、人類が慣れ親しんできたことです。それが、たとえ、暖炉から床暖房に変わったとしても、みんなが一緒に集う精神、時代が変わっても大事なものだと思うのです。

 それにまた、第二の「火が想像力を誘う」という視点も、子どもたちだけでなく大人も忘れてはいけないのではないかと思います。確かに、火を見ていると、あるいは、雲をみていると、あるいは、海を見ていると・・・など、想像力次第で、時の過ぎるのを忘れることがあります。特に、ジョージ・オーウェルがいうように、火は、短時間で姿を変えるので、興味深いものです。が、大事なのは、「火」という言葉より、「じっと見ている」の「じっと」なのだと思います。
 時間に追われ、忙しさにかまけ、「じっと」見る「じっと」聞く「じっと」考えることが減っているかもしれません。せめて、子どもたちなりと「じっと」熱中できる時間を確保してやりたいものです。

 オーウェルは、続けて
≪・・・暖炉が、わたしの言うとおり団欒を深める役に立って、とくに幼い子供たちにとって貴重な美しさを持っているとしたら、手数をかけるだけの値打ちはあるのだ。・・・≫

*「一杯のおいしい紅茶」(ジョージ・オーウェル 小野寺健編訳 朔北社)
【参考:オーウェル評論集4「ライオンと一角獣」(川端康雄編 平凡社ライブラリー)にも、いくつか、エッセイは重なって収録されていますが、この「暖炉の火」は入っていません】

☆写真は、英国コッツウォルズ バイブリーコートホテル暖炉

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クリスマス・プディング

429ラムバターj
(承前)
 ディケンズのクラチット一家ならずとも、カ・リ・リ・ロ一家でも、クリスマスプ・ディングでは盛り上がり、久しぶりに英国から帰国している末っ子も入り、大騒ぎとなりました。昨日の写真のように、ブランデーがお皿にたまるほど、何回か、フランべし(火をつけ、アルコールを飛ばす)ました。シャッターチャンスが、結構難しく、若者が、みんなそれぞれのカメラで写すからです。クラチットさんの時代とは違う大騒ぎ。ブランデーが沁み渡り、しまいには、かすかに焦げた匂い・・・おっと!マンションなので、煙を探知しては大変!きゃあきゃあ、わあ、わあ。

 英国伝統蒸し料理の一つであるクリスマス・プディングは、濃厚な味です。中には、つなぎの粉よりドライフルーツやナッツがふんだんに入っています。(味の濃いフルーツケーキの、ケーキ部分がほとんどないものをイメージしてみてください。)
 ということで、クラチット夫人が「粉の量はあれでよかったか?」とか「取りだすときに壊れてしまったらどうしよう!」とか、心配するのが、よくわかりました。切り分けるにしたがって、クリスマスプディングは、壊れていくのです。ぽろぽろ、ぼろぼろ。

 さて、切り分けたクリスマス・プディングには、ラムバターか、コニャックバターをつけなくてはいけません。(と、パッケージに書いています。)濃厚なクリスマスプディングに、さらに、バター?ん?濃すぎるじゃないか・・・と、思っていたら、それがぴったり!大人の味のクリスマス・プディングをラムバターが優しい味に緩和し、お・い・し・い!・・・・ といっても、もう、とことん食べた後でしたから、うーん。お腹いっぱい!

 お茶目なクランベリーソース同様、ラムバターのラベルには、こう書いてありました。
「お品よく、お度肝を抜かれること請け合います。」
                            430クランベリーソース添えj
≪・・・・ついにごちそうはすべて終わり、テーブルクロスが片づけられました。暖炉がきれいに掃除され、新たに火が焚きつけられました。・・・・≫*   (続く)

*「クリスマス・キャロル」チャールズ・ディケンズ文 脇明子訳 ジョン・リーチ絵 岩波少年文庫  

☆写真上、ラムバター、ブランデー、温める前のクリスマス・プディング。
下、鴨のロースト、クランベリーソース添え。

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クリスマス・キャロル

428クリスマスプディングj
 ディケンズの「クリスマス・キャロル」で、スクルージーの甥のボブ・クラチット家でのクリスマスの大騒ぎは、何度、読んでも楽しいです。

≪・・・クラチット夫人は、―――真っ赤な顔で、得意そうににこにこしながら―――プディングをかかげて戻ってきました。大砲の弾のようにまん丸で、まだら模様がついていて、しっかりと中身が詰まっていて、ほんのちょっぴり振りかけたブランディが、ゆらゆらと炎をあげていて、てっぺんには、クリスマスのヒイラギが突き刺してあるプディングです。おお、なんとすばらしいプディングでしょう!ボブ・クラチットは、結婚以来クラチット夫人がおさめた数々の成功のうちでも、これこそが最大の成功にちがいないと、穏やかに断言しました。・・・≫(脇明子訳 岩波少年文庫)

 クラチット夫人は、このプディングが壊れてしまわないか、分量は合っていたか等と、思いめぐらしながら、テーブルに運びます。そして、そんな気持ちを重々承知のボブ・クラチットさんの最大級の誉め言葉。
 大騒ぎに眼を奪われがちなこんなシーンにある、気遣い・・・人を思いやる心・・・それこそが、クリスマスの精神だと思います。

 かのジョージ・オーウェル(1903~50)も、チャールズ・ディケンズ(1812~1870)について、熱く、しかも興味深い視点で長文*を書いています。つまり、オーウェルの奨励する「クリスマスの羽目外し」と、クラチット家の大騒ぎは、無関係ではなさそうな気がします。(続く)

*「オーウェル評論集」(小野寺健編訳 岩波文庫)
☆写真は、ブランデーをかけ、炎がきれいなクリスマス・プディング。濃厚なお味、ラムバターを添えて、いただきました。

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あすはたのしいクリスマス

                   427明日は楽しいクリスマスj
(承前)
 アリソン・アトリー文「人形の家」のなかで、人形たちの楽しむ詩は、アメリカ人の学者クレメント・ムーア(1779-1809)の“The Night before Christmas”です。1822年にクリスマス・プレゼントとして自分の子どもたちに贈った詩です。190年経った今も人形たちだけでなく、数々の絵本になって日本の子どもたちにも紹介されています。そして、実際、我が家にあるだけでも、邦訳、原書合わせて、現在14冊。毎年のように、新訳・新刊も出て、楽しみです。

 2011年には、「ペチューニアのクリスマス」の画家、デュボアザンが描いた「クリスマスのまえのよる」が訳されました。煙突から部屋に入るサンタクロースをイメージしてか、縦長の絵本は、見返しの部分からデュボアザンらしい明るいタッチで楽しい絵本になっています。(写真右)

 とはいえ、先日書いた「クリスマスのうさぎさん」と並んで、不動の三冊(子どもと楽しむ編)に入る「あすはたのしいクリスマス」(トミー・デ・パオラ絵 かなせきひさお訳ほるぷ出版)の、深い色合い、鼻に手をあてるサンタさんのチャーミングなお顔。そして、何より、詩のリズミカルな楽しみを伝えてくれる翻訳。クリスマスには欠かせません。

☆写真は、すべて、クレメント・ムーア詩の絵本です。
右の縦長の絵本は「クリスマスのまえのばん」(デュボアザン絵 こみやゆう訳 主婦の友社)の見返し
中央上「聖ニコラスがやってくる!」ロバート・イングペン(絵)柳瀬尚紀訳西村書店)
中央下「クリスマスのまえのばん」(ターシャ・チューダー絵中村妙子訳偕成社旧版)見返し
左上「あすはたのしいクリスマス」(トミー・デ・パオラ絵かなせきひさお訳ほるぷ出版)表紙 
左下「The Night Before Christmas」(Douglas Gorsline絵 Random House Pictureback)表紙 

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暖炉の前で

                 426石炭jj
 お話集クリスマスのりんご―クリスマスをめぐる9つのお話 (上條由美子編・訳 福音館)の中に、アリソン・アトリー文の「人形の家」というお話があります。同じ題名のルーマー・ゴッデンの「人形の家」(瀬田貞二訳・岩波)も、人形たちが主人公でしたが、こちらも、かつての子ども部屋に放置された人形たちが主人公で、クリスマス・イブに目を覚ますという話です。

 人形たちは、グラニーとよばれるおばあちゃん人形、スコットランドの高地の若者、昔は評判の美しさだったレディ・ローズ、妖精人形、小さなぬいぐるみ人形、そして、おさるの人形チンピー。
 それぞれが、個性を生かし、クリスマスのために片づけ、掃除をし、飾りつけをし、ご馳走を作ります。

 それで、おなかもいっぱいになった夕べ、グラニー(おばあちゃん人形)を中心に、火の回りでくつろぎます。
≪・・・・「クリスマスイブにはね」と、グラニーは言いました。「あたしは詩を一つ読んでもらったものだよ。それは、いつも同じ詩なんだけどね。今でも少し思い出せそうな気がするの」・・・・・それから、体を前や後ろに揺らしながら、低い不思議な力に満ちた声で唱えました。
 クリスマスのまえのばんのこと 
 家じゅう なにもかも 
 ひっそりと しずまりかえって
 ねずみ いっぴき うごかなかった
 だんろのそばには 長くつしたが
 だいじそうに さげられていた
 サンタクロースが はやく きますようにと
 みんなの ねがいをこめて
「ああ、ここまでだよ。」グラニーは大声で言いました。「あとは、忘れてしまったよ・・・」≫(続く)

☆写真は、ロンドンのホテルの暖炉。

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あたたかい おいしい のみものを もってきてくれました

                 425バラのトレイj
 一杯のおいしい紅茶・・・一杯のおいしいお茶、という言葉は、子育てしてから、意味を持つようになりました。それまでは、お茶は、空気のようなもので、とりたてて主張しないものでした。
 
 子どもと楽しんだ絵本「せきたんやのくまさん」シリーズに影響を受けたかもしれません。どの本でも、くまさんは、お茶(飲み物)をとります。
 まず、「せきたんやのくまさん」。一人で暮らしているせきたんやのくまさんは、仕事を終え、うちに帰ると「おちゃ」を飲みました。そこには、暖炉の前で絵本を見ながらくつろいでいるくまさんの姿がありました。
「パンやのくまさん」では、かまどがじゅぶんに熱くなるのをまちながら、くまさんは「朝一番のおちゃ」を飲みました。
「うえきやのくまさん」では、11時にビスケットとレモネード。「ぼくじょうのくまさん」では、ココア。
 そして、クリスマスの絵本「ゆうびんやのくまさん」の絵を見ると、郵便局のおくさんが、小皿に載せたビスケット2切れと一緒に「あたたかい おいしい のみものを もってきてくれました」。その時、くまさんは、わき目も振らず、仕事に励んでいます。ほんと、このくまさん、いつも、真面目で働き者。

 朝一番のお茶、人に入れてもらったお茶・・・・世の中には、一杯のおいしいお茶があるんだ。子育てで、バタバタバタバタ、そんな日々に、やっと、気付いたことでした。
 
 この時期、小さい子と楽しむ1冊は、 「ゆうびんやのくまさん」です。
 赤い表紙のまん中で、雪にもめげず、健気に郵便配達をする、くまさん。
 くまさんの帽子には、さりげなく、赤い実のついたヒイラギ。
 晩ご飯のミンスパイの一つを、サンタさんのために残し、緑の紙に包まれたプレゼントが何だろうと思いながらも、開けないで、枕元に置いて眠るくまさん。
 どのページを見ても、くまさんの可愛さ満載です。
「ゆうびんやのくまさん」のことは、海ねこさん にも書いたことがあります。

*「せきたんやのくまさん」(フィービ・ウォージントン&セルビ・ウォージントン作・絵 石井桃子訳 福音館書店)
*「パンやのくまさん」「ゆうびんやのくまさん」(フィービ・ウォージントン&セルビ・ウォージントン作・絵 まさきるりこ訳 福音館書店)
*「うえきやのくまさん」「ぼくじょうのくまさん」(フィービ・ウォージントン&ジョーン・ウォージントン作・絵 まさきるりこ訳 福音館書店・童話館)

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お茶目なソース

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 先日、英国から届いたハンパー(ピクニック用のバスケット)の中には、紅茶、コーヒー、チョコレート、ビスケット、クリスマスプディング、ジャムの他、クランベリーチャツネも入っていて、冷たい肉料理やチーズの調味料とありました。それから、ホットワイン用のスパイシーな香料。他には、クランベリーソースも入っていました。そのラベルには、お茶目な顔つきのシチメンチョウと角に飾りをつけた鹿の絵が描かれていました。

 そう!これは、ヨーグルトに使うソースじゃなくって、いわゆるジビエ(鳥獣料理)に使うんだ!七面鳥も、鹿も手に入らないけれど、鴨なら、どう?・・・・鴨のローストにしよう。と言うわけで、鴨のローストできました。

 ラベルには、“残念ながら白鳥は違法ですので、必然的に七面鳥ということになります”というブリティッシュジョークが書かれていました。

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一杯のおいしい紅茶

  ジョージ・オーウェルというジャーナリストで作家のエッセイ集「一杯のおいしい紅茶」は、彼のイデオロギー、彼の有名な著作の数々を知らずとも、楽しめます。

  目次には、「イギリス料理の弁護」、「おかしくても下品ではなく」、「よい悪書」などと、気になるタイトルが・・・
 「イギリス料理の弁護」というエッセイなんか、そのタイトルだけで、内容が読めそうですが、オーウェルは、自虐的にこう言います。「独創性と材料に関する限り、イギリス料理を恥じるいわれはない。」
 さらに、ご親切にも、外国人観光客の立場に立って、助言してくれます。≪上等のイギリス料理には個人の家庭以外ではまず、お目にかかれない・・観光客はあらかたの食事をレストランでとるほかないのだ。≫ふふふ、その通り!  421ローストビーフjj

  と、他にも可笑しいところが多々あるものの、今日のところは、やっぱり「クリスマスの食事」
≪・・・クリスマスには羽目を外さなければ意味がない。・・・・・・自分のやっていることくらい百も承知で、少しは肝臓を傷めても、たまには羽目をはずすほうが断じていいのだ。大事なのは健康だけではない。人と一緒に飲んだり食ったりすることで得られる友情、好意、そして精神が高揚し、物の考え方が変わることも、同じように大事なのだ。・・・・≫ふふふ、援護射撃万歳!と言う人も多いだろうなぁ。
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 さて、こんなエッセイなら、他でも読めそうな気がします。しかし、この軽妙なエッセイが、1946年に熱い思いのジャーナリスト・作家ジョージ・オーウェルによって書かれたことに意味があります。
 1946年の英国は物資が足りず、世界がお祭り騒ぎ出来る状態にないことも、オーウェルは語りつつ、「クリスマスの羽目外し」は、来たる「1947年か8年あるいは49年まで待つとしても、いずれはその時がやってくる。」と、前向きなのです。
 ところが、彼自身は1947年に結核に罹患、1949年に、かの小説「1984年」を書き終え1950年に46歳で亡くなります。

*「一杯のおいしい紅茶」(ジョージ・オーウェル 小野寺健編訳 朔北社)
☆写真上、昨年初挑戦のローストビーフ。中、イベリコ豚のいちじくソース添え。おいしそうでしょ?おいしいよ!
423ティーカップj

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おークリスマスツリー

            420おークリスマスツリーj
 (承前)
 写真上右は、「メトロポリタン美術館クリスマスソングブック」(ダン・フォックス編曲 アルク)の見返し、上左は、トミー・デ・パオラ絵の「クリスマス・キャロル」(リブロ)の表紙、そして、下に写るのは、H・A・レイ「クリスマスのうたの絵本」(あすなろ書房)の「O CHRISTMAS TREE(おークリスマスツリー)」の楽譜です。どの絵本にも、クリスマスの歌が音譜付きで掲載されています。

 特に、H・A・レイ「クリスマスのうたの絵本」の楽譜は、音符が電球の絵で描かれ、四分音符が赤い電球、ト音記号が電球とコードとソケット。で、とても愉快です。他の歌のときも、鈴だったり、星だったりと、それぞれ、音符が可愛いのです。もちろん、ここに描かれているサンタクロースもいいお顔。
 楽譜の付いた絵本は、数々あれど、この「クリスマスのうたの絵本」のように、音符まで、作者の遊び心が備わったものは、なかなか見当たりません。ちなみに、作者のH.A.レイは、「ひとまねこざる」シリーズの画家です。

 昨日の絵本「ちいさなもみのき」にも楽譜がついていて、同じ「O CHRISTMAS TREE」も出ています。~♪おークリスマスツリー おークリスマスツリー♪~
 この歌大好きです。楽譜が、まともに読めない者にとっても、楽譜がついていると言うだけで、歌が聞こえそうな気がします。小さな子どもたちなら、誰かの膝の上で、誰かが歌ってくれたら、きっと、嬉しいに違いありません。

*「クリスマスのうたの絵本」(H.A.レイ あすなろ書房)
*「ひとまねこざる」シリーズ(H.A.レイ 光吉夏弥訳 岩波)

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ちいさなもみのき

                 419メアリーツリーj
「ちいさなもみのき」 (マーガレット・ワイズ・ブラウン文 バーバラ・クーニー絵 上條由美子訳 福音館)   
(承前) 
 アリソン・アトリーのお話「小さなモミの木」は、貧しい子どもたちの家に行くモミの木の話でしたが、絵本の「ちいさなもみのき」は、足の悪い男の子の家に行くモミの木の話です。
 
 森のはずれに立っていたモミの木は、男の子のお父さんに見つけられ、男の子の家でツリーになります。冬が終わると、また森の外れに帰り一年を過ごします。そして、また次の冬、男の子の家へ。ところが、3度目の冬になっても、誰もやってきません。≪クリスマスなしでは、このよは ただ おおきく、つめたく、からっぽにみえました。≫
 ところが、雪の夜に、子どもたちの歌声が・・・男の子が、歩いてきたのです。

 バーバラ・クーニーの優しい絵が、話の暖かさを伝えてくれます。
 キャロルを歌いに来た子どもたちの絵、一番小さい子も緊張して、手を前で組んでいます。
 それを気遣う、小さなお兄ちゃんが、そっと背中に手を添えています。うーん。可愛い。

 中には、楽譜もついています。子どもたちが、男の子の家にキャロルを歌いに来てくれたときの歌、男の子も一緒に森で歌った歌の楽譜です。(続く) 

☆写真は、英国の普通のおうちのクリスマスツリー。本物のモミの木が金属製の支えに差し込まれることによって、しっかり立っています。(撮影:&Co.H)

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小さなモミの木

             417ハンプトンツリーj
  今年出版されたお話集「クリスマスのりんご―クリスマスをめぐる9つのお話」(上條由美子編・訳 福音館)には、「小さなモミの木」(アリソン・アトリー作)というお話が入っています。貧しい子どもたちの家に飾られることになった「小さなモミの木」。歌う鳥が大好きなこのモミの木には、密かに宝物がありました。茂った枝の中にはツグミの巣があったのです。

 さて、以前、我が家の生垣でも、鳥の小さな巣を見つけたことがありました。使われたのか、建設途中でアクシデントがあったのか、たまごを見たことはなかったような・・・それでも、小さな宝物を得たような気持ちになりました。お話の「小さなモミの木」と同じように、「元の鳥が戻って来るか、他の鳥が空いた巣に来てくれるか」と楽しみにしていたものです。
 そして、この生垣のある家には小さな庭もあり、クリスマス以外はツリーにするモミの木を庭の陰に置いていました。鉢植えにも関わらず、年々大きくなって、しまいに部屋に入りきれなくなって、てっぺんを切り落としたことがあるくらいでした。が、その2年後くらいに、根が鉢の中でいっぱいになったせいなのか、枯れてきました。そんなときに、たまたま引っ越し、同じ鉢に、小ぶりなモミの木を植え換えました。ところが、バルコニーとはいえ、マンションの屋根ですから、陰に避難させていても、夏の暑さは半端なく、年々先細り。今年は、本当にしょんぼりしているので、オーナメントをつけるのも可哀想なほど・・・

 アリソン・アトリーの「小さなモミの木」のお話にしても、絵本「ちいさなもみのき」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 バーバラ・クーニー絵 上條由美子訳 福音館)にしても、クリスマスだけ掘り起こされて、家庭で暮らし、シーズンが済んだら、森に帰るというモミの木であれば、こんな悩みもなかったでしょうね。(続く)
☆写真上、英国ロンドン郊外ハンプトンコートパレス12月の窓辺(撮影*&Co.H)
☆写真2006年てっぺんを切って部屋に入れた我が家のモミの木。
418ツリー2006j
                               

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稀に見る勘違い?

416シャガールj
  先月書いた「ダフニスとクロエー」の後書きに、ベルナルダン・ド・サン・ピエールの「ポールとヴィルジニー」と比べている箇所がありました。R・ヘルムという人が、「ポールとヴィルジニー」は、清潔さ・優美さの点で,遥かにロンゴスの「ダフニスとクロエー」をしのぐといい、また、「ダフニスとクロエー」を激賞したゲーテの判断は「稀に見る勘違い」だとも言っているのです。
 ほんとかぁ?こりゃ「ポールとヴィルジニー」も読んでみなくちゃ・・・
図書館の書庫から引っぱりだしてもらったこの「ポールとヴィルジニー」。古い本です。旧仮名遣い・・・

  旧仮名遣いに四苦八苦しながら、「ポールとヴィルジニー」を読み終えました。
 同じ純愛物語でも、1800年以上も前のちょっと気恥ずかしいくらいの「ダフニスとクロエー」と、1700年代、悲恋の「ポールとヴィルジニー」。
  宗教や時代、金銭、身分、いろんな制約のある1700年代の純愛は、なかなか「めでたしめでたし」といきません。これって、当時の静かな社会批判?
 1800年以上も前の大らかな純愛の方が、現代でも納得のいくように思えたのは、旧仮名遣いに四苦八苦するような個人的な国語力の問題かと思いつつも、ゲーテが激賞したのは「ダフニスとクロエー」だし・・・

  それで、「ポールとヴィジルニー」では、悲劇のその日を1744年12月24日に設定しています。お話は、我々の想像できるクリスマスとは関係ないものの12月24日なのです。その頃の、12月24日の捉え方が、今とは差があるのでしょうね。たぶん・・・

*「ダフニスとクロエー」(普及版)(ロンゴス文 シャガール絵 松平千秋訳 岩波)
*「ダフニスとクロエー」(ロンゴス文 ボナール絵 松平千秋訳 岩波文庫 2012年10月復刊)。
*「ポールとヴィルジニー」(ベルナルダン・ド・サン・ピエール文 田辺貞之助訳 白水社 挿絵も多数でしたが、画家は不明)

☆写真は、パリ オペラ座 シャガールの天井画

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ふたご座流星群

明け方、まだまだ暗い。
カーテンを開けると!おっとっとっと! 流れ星、流れ星。
誰がつけたか「ほうき星」。

夜中も、よく見えたそうですが、私が見たのは、14日明け方でした。

今の家も以前の山の家も、東に遮るものがないので、明け方のお空観察はお得意です。
その分、建物が冷えるのもお得意で、マンションでも、東の部屋は冷えます。

☆写真は、英国 ロンドン郊外 ハンプトンコートパレス。ちょっと、こわい・・・(撮影:&Co.H) 415夜のハンプトンコートj
 

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(冬の)小さいおばあちゃん

414フォートナムツリー球j
 プール脱衣所で、いつもの小さいおばあちゃん に会いました。
「寒過ぎて、家から出られなかったわ。」
「ほんと、そうですね。 あら、オシャレな色合いのセーターですね。」
「もう30年も前に編んだんだけど 暖かいのよ。」
「手編みですか。30年前のものに見えません。私が今年買ったセーターと同じデザインですよ。」
「え?買ったの?もったいない。こんなの太い針で簡単よ。30年前はね!」

(・・・・そういえば、手編みのセーターを何枚か、マフラー、帽子、5本指の手袋まで、編んでいた日もありました。遠い遠い、とぉーい、40年近く前。)

☆写真は、9月なのにクリスマスグッズがもう並んでいたロンドン某紅茶店(撮影:&Co.H)

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原書も見てみたい(その1)

                         413ハンシjj 35年前に、小学校一年生を担任したとき、ほぼ毎日、下校時、絵本を読んでいました。12月になったとき、あれ?図書室にクリスマスの本が少ない・・・ということで、自腹のクリスマス絵本も読んだのが、買い集めたきっかけでした。季節商品ですから、一年中、店頭に並んでいないこともあり、また、季節以外は売れないという理由からか、いい作品でも、美しい作品でも、次の年には、再販せず、品切れ状態になってしまうのがクリスマス絵本の常でした。だから、持っているクリスマス絵本には、今やレアのものも。

 するうち、邦訳されたものに、原書の絵を使わず、その真似だけした邦訳があったり、原書は日本の版とはまったく違う大きさのものであったり・・・と、「原書も見てみたい病」に罹ってしまい、ずぶずぶと、クリスマス本持ちに。

☆写真は、原書の「Hansi(邦題;山のクリスマス)」の上に邦訳された岩波子どもの本「山のクリスマス」 (ベーメルマンス作 光吉夏弥訳 岩波)見返しを開いたところ。本の大きさの違い、わかりますか。内容も一部違います。

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クリスマスのうさぎさん

412フォートナムツリー白j
 毎年、たくさんのクリスマス絵本が翻訳出版されますが、私の中で、何年も不動の3冊(子どもと楽しむ編)が、「あすはたのしいクリスマス」「クリスマス・イブ」「クリスマスのうさぎさん」です。
 中でも「クリスマスのうさぎさん」は長いこと再版されてないなぁ・・・・・

 クリスマスが待ちきれない男の子デービーが、雪の積もった森で出会ったのは、わなにかかったキツネ。クリスマス・イブだから、話のできるキツネ。で、わなをはずして、急いで行くと、待っていたのは、動物たち。それで、やって来たのはサンタクロース。デービーがサンタクロースにお願いしたのは・・・
 動物たちと遊ぶシーンも楽しいし、辺りが暗くなって、鹿の背中にまたがり、角につかまったデービーが、森を抜けるシーンも臨場感いっぱい。

 そういえば、海ねこさんにクリスマスの絵本のことを書かせてもらったときに、当時21歳だった末っ子に「絵本に出てきた印象的なプレゼントはどれ?」質問したことを書きました。
 そのうちの一つが、この「クリスマスのうさぎさん」で、クマがサンタクロースにもらう「大きなミツバチの巣」でした。

*「あすはたのしいクリスマス」(クレメント・ムーア詩 トミー・デ・パオラ絵 金関寿夫訳 ほるぷ出版)
*「クリスマス・イブ」(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 ベニ・モントレソール絵 矢川澄子訳 ほるぷ出版)
*「クリスマスのうさぎさん」(ウィルとニコラス作・絵わたなべしげお訳 福音館)

☆写真は、9月なのにクリスマスグッズがもう並んでいたロンドン某紅茶店。(撮影:&Co.H)

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大きなリボンのバスケット

                411フォートナム籠j
おとなだって うれしい
大きな荷物が 届いたら・・・
中には なんと
クッキーに ジャム
紅茶に コーヒー
チョコレート
それに加えて
クリスマスプディング

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いい人ばっかり

410ルーブル子どもと山羊j
  授業で、乳幼児虐待の新聞記事を資料で配った時、「こんなことするの若い親だけか?」と、その子は聞いてきました。いえいえ、親の年齢も様々だし、祖父母や内縁の夫・妻という例もあると、説明しました。
 で、帰りの電車で、その子と二人になったとき、
「わたしのお母さんは、ずっと仕事続けてきたけど、最近手術して、家でゆっくりしてるねん。今、一緒に住んでいる男の人がよくしてくれるねんよ。一緒に住んだ男の人は、4人目やけど、私は、どの人からも虐待なんかされなかった。いい人ばっかりやったわ。」
「ふーん、そうなんや・・・」
「先生、私、最近、授業中、寝てないでしょう?私は休んだりせんと、ちゃんと卒業するからね。」
と、電車を降りて行きました。それから、彼女はバイトに行くのです。

 選挙カーが通るたびに、手を振ると言う彼女、「私、まだ選挙権ないのに、『有難うございまーす』って、喜ぶんよ。ははは」

 早く大人になって行くたくましさと幼さと・・・。

 先日「うれしい」と書いた、髪の綺麗なあの子は、あれ以来、一度も登校しません。この子も、幼いころから、色々あったと聞いています。

 選挙カーに手を振らないおばさんは考えます。誰が、本気で、若い人たち、弱い人たちのことを考えているか。矛盾点を隠し、甘言巧みに操るのは誰なのか。敵失狙いで、揚げ足とり、自分たちのことは棚にあげてるのは誰なのか。
 どんな問題にしても、次なる世代に繋がっているのです。「つけ」を残さないか。「しわよせ」だけが残らないか。選挙権のある大人は、考えなければなりません。

☆写真は、パリ ルーブル美術館中庭のこどもと山羊の像

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消去法

409ナポレオン玉座j
消去法でいくと、
あんなこと言う人は絶対だめ。
文化を削る人は論外。
上から目線の人も論外。
その人の言うことはわかりやすいんやけど、その党、嫌や。
え?そんな人と組むん?
  
  ・
  ・

困った。困った。さあてさて。
いつも行くのは期日前投票。時間も場所も、自分の都合に合うから。

☆写真は、フランス フォンテーヌブロー城内 ナポレオンの玉座

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ペチューニアのうた

408-2ハイイロガンj
 「ペチューニアのクリスマス」と同時に復刊されたのが「ペチューニアのうた」です。これは、本当に長らく目にしたことのなかった1冊です。明るく楽しげな表紙が目を引きます。
 
 ガチョウは、神経質なので、番犬ならぬ、番鳥の役割を果たすらしいのです。「グワッ グワッ! グワッ グワッ! グワッ! グワッ!」というしゃがれ声。
 そんなペチューニアのお声が役に立つ時が来ました。声張り上げて歌う声が、どろぼうたちからパンプキン農場を救います。

 本文途中には、「ペチューニアのうた」という楽譜までついています。作曲はデュボアザンとなっていますから、絵を描くだけでなく、音楽もできたんだ!と、思っていたら、作者紹介にありました。
 ≪1904年ジュネーブに生まれたデュボアザンは7歳で音楽を習い始め、ジュネーブ音楽院に入学したが、のちにパリの工芸芸術学校に進み、壁画と舞台美術を学んだ。・・・・≫

*「ペチューニアのうた」(ロジャー・デュボアザン 伏見操訳 復刊ドットコム)
他、現在、購入可能なペチューニアシリーズは「ペチューニアのたからもの」(乾侑美子訳 童話館)「がちょうのぺチューニア」(ロジャー・デュボアザン 松岡享子訳 冨山房)「ペチューニアのクリスマス」(ロジャー・デュボアザン 伏見操訳 復刊ドットコム)です。かつての佑学社ペチューニアシリーズは、現在、出版社も複数で、訳者もそれぞれ違います。

☆写真上、英国テムズ川上流でこのハイイロガンを撮っていたら、次の瞬間、グァーガァーグァーと威嚇してきましたので、慌てて逃げました。下は、英国 ヘミングフォード村境にある牧草地。
408-3牧場j

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ペチューニアのクリスマス

408-1ガチョウの親子浮かぶj
 以前、佑学社のペチューニアシリーズとして、出ていた中に、 「ペチューニアのクリスマス」はありました。長らく出版されていなかったのですが、今年、復刊ドットコムから、訳者が変わり、復刊されました。
 おばかさんと思われがちながちょうのペチューニアも、今回は、ひとめぼれで相思相愛になったチャールズのために、本気で知恵を働かせます。クリスマスのごちそうとなるべく、太らされていた彼を救うのです。

閑話休題。ガチョウが太らされるのは、そう!フォアグラ!

 最後はもちろん、めでたし、めでたし。二人は結婚し幸せかどうかは、最後のページに、たくさんの子どもたちと歩く二人の姿を見てもわかります。

*「がちょうのぺチューニア」(ロジャー・デュボアザン 松岡享子訳 冨山房(佑学社))
*「ペチューニアのクリスマス」(ロジャー・デュボアザン 伏見操訳 復刊ドットコム(乾侑美子訳 佑学社))

☆写真は、ハイイロガンの親子。これを家禽化したものがガチョウ。写真は、テムズ川上流。

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芝居小屋

407グローブ座門扉j
 観劇に行った経験は、ほんのわずかで、数えられるくらいです。
 複数回行ったのは、ロンドン グローブ座でのシェイクスピアの作品です。「間違いの喜劇」からはまって、悲劇であるはずの「リア王」で笑ったことは、以前、古本海ねこさんのエッセイにも書きました。ネィティブの笑い所を同じように楽しみたくて、白水社Uブックス小田島雄志訳のシェイクスピア本を持参することも書きました。

 グローブ座では、役者と観客が近く、時として、観客・役者のやりとりのアドリブが、見られます。もともとは、大衆の娯楽だったのですから、芝居小屋と言う空間で、みんなで笑う、共感するという体験が楽しいのです。現代でもグローブ座の一番安価な立ち見料金は、1000円以下。

 その点、日本の歌舞伎ももうちょっと安価で見られたら、すそ野も広がるのにと思います。

 2年前に、友人に誘われて、初めて見た本格的な歌舞伎が「大阪平成中村座」でした。大阪城西の丸、にわかに建てられた芝居小屋で上演されたのですが、決して安くないお値段でした。
 さりとて、最後の最後、背景だった所が開くと、そこには、大阪城の天守閣。おお!借景の美しさを取り入れた、小屋ならではの演出でした。アドリブこそありませんでしたが、芝居小屋ならではの空気を感じることができました。

☆写真上、ロンドン グローブ座 テムズ川沿いの門扉、写真下 大阪城と平成中村座ののぼり、飛行機も写ってます。

408平成中村座j
                           

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404平清盛j2
 シャガール展を京都文化博物館に見に行ったとき、上の会場でダウン症の書家金沢翔子さんの作品展示も、やっていました。(その日が最終日でした。)
 書展なのに、鼻をすすりながら鑑賞している人が多い、そんな書展でした。というのも、ダウン症の子どもを持つ母親の心の揺れ、葛藤、そして、母親の成長が、短文ながら、書と並んで、順を追って、表示されているからです。

 金沢翔子さんの作品は、メディアで紹介されることも増え、目にすることも増えました。京都建仁寺に奉納された「風神雷神」(写真下左)も好きですが、この展示にあった「色即是空 空即是色」の大きな連なりには、おお。一字一枚に書いたその作品は、どんな展示になるかなんて、想像すら難しかったはずなのに、出来上がった作品の連なりは、うなるしかない絶妙なバランス。特に、絵ハガキになった「空即是色」より絵ハガキになっていなかった「色即是空」の連なりは、思わず手を合わせたくなりました。

 天才と謳われていますが、きっと、厳しいお稽古の積み重ねもあったはず。
 邪念がない「書」。無駄なものがない勢い、その「書」の美しさ。

 NHK「平清盛」のタイトル作品もありました。その番組を見ていないのでわかりませんが、広告等に使われている「平清盛」の文字は縦書きに編集されています。実際には、字の勢いから見ても、左から横に書かれたものだったのですね。書家本人は、そんな編集を好んだのでしょうか。もし、別の芸術家の作品なら、そのような編集したでしょうか。

☆写真上は、「飛翔」と書かれた絵ハガキ、「樂」と書かれた絵ハガキ、「平清盛」と書かれている展覧会のパンフの一部。下は、京都建仁寺に奉納された金澤翔子(小蘭)作「風神雷神」俵屋宗達の「風神雷神屏風」(撮影;&CO.A)       
405風神雷神書jj406風神雷神jj              

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散りゆく紅葉

401東福寺j
402東福寺境内j
 いい季節が短かかった・・・夏が長すぎる・・・短い秋・・・寒いなぁ・・・
 
 いつもより早かった今年の紅葉は見事でした。まだ頑張ってるし。
 週一回の仕事で出掛ける近郊の山も、クリスマス巡業で山越えする山も、山全体がほんとに、美しい。
 山越え4回、大満足の紅葉の山々。視界が開けたところで、いつも、「綺麗っ!」と、声に出して、言ってました。
 車を運転するのは好きではないし、行ったことのないところや、大きな街には行けません。
 が、しかし、紅葉も然り、いつも、帰りに通る、海が開けて見える道も然り。毎回、「海っ!」と、声に出して言えるのも、車ならでは。
 ただ、運転中は、写真が撮れない・・・
 
☆写真上中は、京都東福寺。下は、雲龍院(泉涌寺別院)(撮影:2012・11・27 &Co.A)

403部屋からの眺めj

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サモトラケのニケ

399サモトラケのニケj
(2012倫敦巴里57)
(承前)
 子どもの本から入っていた美術の世界も、やっぱり深く、素人には伺い知れない世界の一つです。が、底が見えないから、よけいに新鮮で、わくわくする楽しみがあります。今回の倫敦巴里も、行く前より、帰ってからの方が、ずいぶん楽しませてもらったような気がします。
 本を読みやすい季節とも重なり、たくさんの本にも出会いました。特に、はまりこんだカミーユ・クローデル関連本は、いの一番に図書館で借り、次々、調べていたのに、季節もとっくに変わるこんな時期に書くことになってしまいました。カミーユの人生を思うと、適当なことは書けなかったので、結果、駄文になろうとも、心を寄せて書いたつもりです。
 
 さて、個人的に好きになれない大きな美術館のひとつ、パリ、ルーブル美術館ではありますが、次に、パリに行くことがあったら、「ルーブルって大きすぎるわ」等といいながらも、「サモトラケのニケ」には会いに、また足を運ぶのだと思います。2000年以上たっても美しい。この前では、ちっぽけなことは忘れます。
 そのときは、もちろん、カミーユに会いに、ロダン美術館にも参ります。(完)

☆写真上、パリルーブル「サモトラケのニケ」 下、雨のそぼ降るロダン美術館庭                400雨のロダン美術館j

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コクトーが言います。

398薔薇と考える人j
(2012倫敦巴里56)
(承前)
  カミーユ・クローデルの作品―石膏や粘土、あるいは、彫刻、あるいは、生前に鋳造されたもので、残っているものは、多くはないようです。カミーユが、サインを残したものが少なく、ロダンの下働きだった名残りか、ロダンの作品の中に組み入れられたものもあるといいます。また、悲惨なことには、病気の進行につれ、自分自身の作品を壊したという事実もあります。
 
 さて、ここに、フランスの作家で詩人、ジャン・コクトーとルイ・アラゴンが「美をめぐる対話」(辻邦生訳 筑摩書房 表紙は、マネの「オランピア」)と言う対談集に興味深い話があります。自分たち詩人と画家の仕事について比べているところです。ここで、「画家」となっているところを「彫刻家」と置き換えて読んでみました。
 
 コクトーは言います。
「彼(ピカソ)は、画家の幸運がどういうものかを心得ている――作家が作り出すのは実体を欠いた幽霊のようなものだが、画家が産み出す作品はちゃんと血肉をそなえているということをね。画家は一種の直接的な明示性、一種の言葉に魅入られる。そしてそれを世界中のすべての国の人々が読みとれる言葉にしないではいられなくなるんだ。画家の手仕事は、誤解されるようなものではないし、あとで不愉快な気分にさせられることも少ない。・・・・」
 それを受けて、アラゴンは「ええ、絵画は、万国共通の言葉ですからね。この点では詩人は画家に対してだいぶ分が悪い。なにしろ自分の絵に向かい合うときの画家は、そもそもその最初の瞬間からもう一人きりではないんですから。画家の背後には、今ここにはいなくとも、やがて必ずやって来るはずの観衆がいるんですよ。」

 そうそう。カミーユ、今日もまた、世界中の人々が読みとれる作品を、そう、カミーユ、貴女の作品を、見にくる人達がいますよ。(続く)

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(雨の中) もの想う人

397考える人j
(2012倫敦巴里55)
(承前)
 次に読んだのが、知の発見双書「カミーユ・クローデル」(レーヌ=マリー パリス、エレーヌ ピネ、湯原 かの子訳 創元社)。
 その次が、あの重い「カミーユ・クローデル」(なだいなだ 宮崎康子訳 みすず書房)。著者は、カミーユの弟ポール・クローデルの孫娘レーヌ=マリー・パリスです。序文の一つにポール・クローデルのものを使い、資料や、長いあとがきも含まれています。また、作品の写真もたくさん掲載されていて、カミーユの作品だけでなく、カミーユとロダン作品を比べるにも興味深い本となっています。この重い本は、「事実は小説より奇なり」などという言葉より、深く濃いものを感じます。

 カミーユ・クローデルは強制的に連行され、死ぬまで精神病院に入って、30年!
 自らの天才を葬る日々。
 会いたい、帰りたいと切望する手紙。
 若く美しかった頃の写真。精神病院での写真。魅力的だった瞳が、あきらめを伝える瞳に。
 弟以外に訪ねる人もなく、有名人となった弟も稀にしか訪れず。カミーユの被害妄想は続きました。
 ロダンとの別れが引き金ですが、もともとの成育歴やその時代背景など、複雑に入り組み、彼女を孤独な終末へと導きます。
 そして、姉カミーユ・クローデルは、たった一人で逝き、弟ポール・クローデルは、国葬されました。

 この本を重くしているのは、カミーユの病気について、専門の解説がついていることです。そして、何より、この本を、もっと重くしているのは、30年にわたる入院生活の記録に「同じ精神状態」「同様」という記録が続いているという事実です。一日分ではありません。一年間の記録が、たった一言!「同様」。
 訳者あとがきで、精神科医なだいなだ氏は、こういいます。「365日の生きた人間の生活を総轄するのに、『同様』のたった一言しかないとは。それは、治療者と患者がほとんど言葉を交わさなかったことを意味している。・・・つまりは、患者と治療者の間に、人間的交流がほとんどなかったということだ。・・・」

 加えて言うなら、書簡の資料も、この本の「重さ」です。
 カミーユが繰り返し訴える妄想。ロダンの一味が悪さをしてくる・・・
 ところが、画廊主の友人がカミーユに宛てて書いた手紙にはこうあります。
「ある日のこと、ロダンが私の所に来ました。私は、彼が突然この肖像(*カミーユ作の『嘆願する女』)の前で身動きしなくなり、じっと見つめ、その金属を優しく愛撫し、そして泣くのを見ました。そうです。泣いたのです。子どものように。・・・」
 そして、ロダンの臨終の言葉は、「パリに残した若い方の妻に逢いたい。」

 カミーユの作品「分別盛り」の真中で軸足を結局、老女の方に傾けたロダンが、子どものように泣き、つぶやいた臨終の言葉。
 天才の前に現れたミューズもやっぱり天才だった時の哀しい末路です。
 彼の作品「地獄の門」にも、「考える人」が座っていますが、「地獄の門」という作品は、未完成なのです。

 「重い」本でした。でも、出逢えて、よかった。(続く)

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