(2012倫敦巴里54)
(承前)
恥ずかしながら、カミーユ・クローデルの弟 ポール・クローデルも著名な文化人だったと知るのも、あとからでした。劇作家で詩人で、外交官、しかも、日本にも5年間赴任した大使です。ジャポニスムと呼ばれる、その日本好みは、姉カミーユに感化されたものにちがいありませんし、日本に、実際に暮らした本物でした。(特に、2007年川口市立アートギャラリー「二人のクローデル展」では、その片鱗を見ることができたようです。今や、図録でしか、うかがい知ることができませんが、そこには、日本滞在中のポールが書いた書や歌などをみることができます。)
このポール・クローデルと、カミーユの関係、そこから生まれる弟の人生について、知ったことをここで書くつもりはないものの、カミーユのことを知るために一番初めに読んだのが、ポール・クローデルの書いた絵画論「眼は聴く」(山崎庸一郎訳、みすず書房 表紙はフェルメール「デルフト眺望」)の中の「カミーユ・クローデル」の章でした。そこには、カミーユの作品「分別盛り」のことと、その作品の以前に出来ていた同じモチーフのことが書かれていました。初めのバージョンは、まん中の男の軸足が、懇願する女の方に向いていたのです。まん中の男の軸足が時を経て、老女に傾いたというこの作品の流れ。
ロダンとカミーユ、師弟で恋人。二人の天才。
そして、もう一人。
思い溢れる弟。(続く)
*「眼は聴く」と同時にポール・クローデルの「繻子の靴」(渡辺守章訳 岩波文庫)も、読み始めましたが、途中で、置いたまま。弟よりお姉さんに先にたどり着きたい。
☆写真は、ロダン美術館庭の向こう、ナポレオンが眠るアンヴァリッドの金色の丸屋根が見えます。「考える人」どこ?
(2012倫敦巴里53)
(承前)
彫刻家の技量や彫刻作品の魅力はなんでしょう?
写真の「考える人」は、世界中で人気があり、生前に鋳造されたものが、パリだけでなく、京都でも東京でも見ることができます。
そして、神の手を持つと言われるロダンの作品は、確かに力強く迫力のあるものです。また、その生み出した作品はどれも、実際の人間を鋳造したのかと思えるほどの真実味を帯びています。
同じく天才のカミーユ・クローデルは、繊細で細やかな動きを表現します。
カミーユが生み出した作品にある情念。それは、ロダンに勝るとも劣りません。
穏やかな少女像もありますが、佐藤忠良のときに感じた、人間の暖かく穏やかな視線とは異なる鬼気迫る情念、情感。そして、執念ともいうべき、奥深いものを、カミーユの作品から感じます。
パリに滞在中もずっと、ロダンの数々の作品より、カミーユの「分別盛り」を思い、心は千路に乱れました。何故?帰ったら、彼女が知りたい・・・
波乱に満ちた彼女の過酷な人生、彼女の背負った重いものを知るのは、日本に帰って何冊かの本を読んでからでした。(続く)
☆写真は、パリ ロダン美術館「考える人」
(2012倫敦巴里52)
(承前)
東京ブリヂストン美術館「ドビュッシー、音楽と美術」にも、カミーユ・クローデルの作品は3点来ていました。
一時期、交流のあったドビュシーと、カミーユです。ドビュッシーが生涯、手元に置いていたと言うカミーユの「ワルツ」(ブロンズ)が、印象的でした。ギリギリのバランスで抱き合い、身体を寄せ合う男と女。男が女の腰を支えているのですが、その腕が、本来の人間のバランスより明らかに長く、太く・・・つまり、倒れそうになる女をしっかりと支えているのです。ギリギリのバランスのまま、ベッドに倒れ込む二人なのか、そのまま、禁断のワルツを踊り(添い)続けるのか、すでに足元は、一つに溶け合っています。
また、「懇願する女」も、ありました。誰に懇願?何を?そんなに悲しい顔しないで・・・・・・・・・
それでも、パリ ロダン美術館で見たカミーユの「分別盛り」は、もっともっと強烈なオーラを放って、そこにありました。
懇願する女とともに、老いた悪魔(老女)、その老女に全身をゆだねようと、今まさに、軸足を悪魔の方に向けている男。ああ、なんて、苦しい。その作品に強い力を感じます。かつて、初めてフェルメール「真珠の耳飾りの少女・青いターバンの少女」を見たときと同じ行動を取っていました。一度見て、ジッと見て、ぐるっと見て、下から見て、横から見て、ああ、離れられない・・・で、帰りにもう一度、同じことして・・・(続く)
☆写真上、パリロダン美術館カミーユ・クローデル「分別盛り」。
(2012倫敦巴里50)
図書館で借りたばかりなのに、さっさと古書店から購入したのが、 「カミーユ・クローデル」 (レーヌ=マリー・パリス文 なだいなだ 宮崎康子訳 みすず書房)です。
この本は、9785円で、360ページ以上もあって、紙質のとてもいい、とても「重い」本です。とうてい、書店の初見じゃ購入できません。(と、いっても今は出版されていません)
図書館で借りた後、目を通すと、この本は、そばに置いておかなくちゃ・・・で、元々と比較すると安価で(2000円)、状態もとてもいい(帯までついてた)重い「カミーユ・クローデル」が、私のそばにやってきました。
この本を読み終わらない限り、2012倫敦巴里報告を終えることができない・・・(しばらく、続きます。)
☆写真は、ロダン美術館の9月の庭。薔薇のずっと向こうに、ロダンの「考える人」が、小さく写っています。さて、どこに?
この前、石山寺縁起絵巻を滋賀県立美術館に見に行きましたが、今回は、そのお家元の石山寺にお参りしました。ライトアップや、狂言の舞台もあるのですが、日中の紅葉に合わせて行きました。山全体が、紅葉に覆われ、美しいこと。
石山寺豊浄殿では、「石山寺と紫式部展」。石山寺ならではの宝物が展示されていました。中でも「源氏物語図屏風(土佐光芳)江戸時代」は、源氏物語ダイジェスト絵本のようで、楽しいものでした。
京都は桜と紅葉のシーズン、かなり観光客が増えるのですが、京都からほんのちょっと滋賀に入るだけで、人出も京都よりは少なく、紅葉を堪能できます。関西の人はもちろん、新幹線の人も京都からすぐです。

。
ここ四半世紀(!)クリスマスの絵本をみんなで見る集まりを何箇所かで、しています。
クリスマスの絵本・児童書を現在300冊くらい持っています。車に運び入れるのが大変です。マンションに引っ越してから、それまでより、もっと大変になりました。車まで遠い。夜や早朝は、ガラガラうるさく気がねです。だから、この小さいおばさんが昼間運びます。しかも、後ろの荷台に入れるのに一苦労。持ち上げるのが、大変なのです。助けてくれていた三人の子どもの二人は在宅せず、一人も勤め人。あーあ。毎年、持参するのを少しずつ減らしても、毎年、何冊かずつ増えるので、結果、大変。とはいえ、楽しみにしてくださっている人も居ることを思い出し、今年もクリスマス巡業が始まります。
・・・と、書いた後、ついに一つのスーツケースの持ち手がはずれてしまった。あーあ。
☆写真は、石山寺紅葉2012・11・21
(承前)
昨日の話で思い出した三つのこと(すでに、どこかに書いたかもしれないけれど)
以前、夫と二人で英国の地下鉄の階段を下りている時、夫も大きな荷物、私も大きな荷物を持っていました。階段を下りるときは、よいしょと荷物を持ち上げないと、下りられません。ただ、私は背が小さいので、はた目から見たら、大変そうに見えるようです。で、階段を上がって来る英国人のおばちゃんが、夫に向って、『なんで、持ったれへんの?こんな小さい女性に持たせて!はよ、持ったりんかいなっっ!!!(と、英語で)』・・・・・・・・・罵倒された夫は、それ以来、無理でも荷物を持ってくれます。
チューリッヒ空港で、ホテルシャトルバスを待っていた時、次々と、お迎えの車がやってきました。その妻はどこかにお出かけだったのでしょう。ものすごい荷物をカートに乗せて待っていました。で、夫が車でやってきて、どんどんその荷物を車に運び入れました。妻は、まったく手も貸さないで、たたずんでいました。もちろん、出かけた先の楽しいことを喋っていました。
10年ほど前、大学院でブリティッシュアート論を受講していたときのことです。
オックスフォード大学出身の英国人教授が、駐車場から直接、授業にいらしゃいました。英国製のほそーい傘と、余りコンパクトでないラジカセと、愛妻弁当(奥様は日本人)の入ったショルダーバッグと、資料の入ったバッグを持って、教室に入ってこられました。で、授業が終了し、「先生、お荷物、お部屋までお手伝いしましょう」と言うと、「とんでもない」「いえ、一つお持ちします」「いや、けっこう」・・・で、結局「じゃ、この傘」と私は、傘をお持ちすることになりました。さらに、3人も乗ったら一杯のエレベーターに乗る際、先生が年長、しかも手にお荷物。で、当然、先生が先に乗られるものと思っていたら、その空いていない手で、私に指し示したのは「どうぞ、お先に」
☆写真は、地元のカエデ(撮影:&Co.A)
この前、某ホテルで人の利用の少ない小さいエレベーターに乗っていたら、某政党の(その前は、某某政党だった、その前は、某某某政党、今は、さて?)代議士とその一味の仲良し4人が乗ってきました。駐車場階に着いたので、出ようとすると、一番奥に入っていたその代議士は、私の腕をかすって勢いよく出て行かれました。その後、仲良しの人たちが、私に「すみませーん」
ところで、私のおじいちゃんは、ずいぶん前に亡くなった明治生まれの人でした。農家の次男坊だったので10代前半で田舎を単身出て、町で工員として働き、従業員一人の自分の小さな工場を持つようになりました。このおじいちゃん、上記の代議士が若い頃、「XXXさんが来た」「XXXさんの話聞いた」と、XXXさんのシンパだったことを覚えています。思春期の頃の私は、なんで、そんなことにお金使うの?とよく思っていました。その頃は、XXX氏も小さな集会や町の零細工場にも顔を出し、膝を突き合わせ、これからの日本を熱く語っていたのかもしれません。
話は、元に戻ります。
エレベーターの「開」のボタンを、一番若い仲良し(多分、秘書)が押し、さらにその腕で、開いたドアを留めていたら、戸口近くに立つ女より、エライ自分が先に出て当然と、XXX代議士は思っていたのでしょう。秘書がやっているのは、自分のためで他の誰のためでもない、と。
結局、多くの政治屋さんは、一票を集めるためにかいた汗を忘れ、言った事を忘れ、次に当選する手立てだけ考えるのでしょう。(続く)
☆写真は、英国の国会議事堂(撮影は、&Co.T)
東京汐留パナソニックのジョルジュ・ルオー「アイ ラブ サーカス」展に行きました。このギャラリーは、もともとルオーのコレクションをしていて、その中でも、今回は、「サーカス」というテーマでした。
ピカソもロートレックもサーカスの芸人を登場させています。また、シャガール展のときにもサーカスの絵がありました。シャガールは、「サーカスはもっとも悲しいドラマのように思える。」といいます。華やかに見えるサーカスも、一人ひとりの想いに目を向けると、華やかさとギャップがあり、特に、顔を作り、人の笑いを誘う道化師は、かつて、よく画家たちの題材になったようです。
昨今、道化師については、その頃、芸術家たちが、興味を持った人間的な哀しみを見いだせるかどうか疑問です。道化師の産み出す「笑い」、そのユーモアとペーソスという情感と、現代の「笑い」は、距離があると思います。
私自身は、もう長い間、サーカスに行ったことがありません。動物たち、特にクマが立って歩かされているのを見るのが嫌なのです。
さて、この「サーカス」展では、ルオーの作品を見る楽しみもありますが、当時のパリのサーカスの一端を見る設えも用意してありました。のぞき窓をのぞいてみると、当時の映像、当時のプログラム。アンティークなポスターもあって、当時の賑わいを、少しだけ垣間見ることができます。
☆写真は、ルオー「アイ ラブ サーカス」展のパンフレットの上に、左から「青いピエロたち」「ピエロ」「女曲馬師Ⅴ」のポストカード。
「巨匠たちの英国水彩画展」(~2012年12月9日)時間的制約のある中、渋谷まで行けるかなぁ・・・うーん。が、先に行かれた人から、音声ガイド付きで、ぜひ!のお言葉。はい、わかりました。
美術館に行ったとき、ほとんど音声ガイドをつけずに、鑑賞して回ります。ところが、この展覧会は、音声ガイドも、よかった。説明の後ろに流れるクレメンティ・メンデルスゾーン・バッハ。途中でワーズワースの詩の朗読や、水彩画のレクチャー。最後に音楽のみ、メンデルスゾーンの「弦楽合奏のための交響曲第9番ハ長調『スイス』」。絵を見終わったあと、最後の椅子で最後の音楽だけゆっくり聴いていました。
ちょっと、水彩画の認識が変わりました。巨匠の水彩画を下絵のようなものと捉えていたからです。ちがう、ちがう!ターナーのように戸外で描くことの多かった人は、持ち運びやすい水彩画セットが重宝だったと説明がありました。ターナーだけでなく、当時は、グランドツアーと称し、英国人のイタリア詣でが流行っていたこともあって、旅先で描くということからも、水彩画は、ぴったりだったのです。水彩画でも、絵の具の種類によっては、奥行きや透明感のだせるものがあるようで、油絵とは違う繊細さ。
出展されたものは、マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵で、ほとんど初めて目にするものばかり、「巨匠たち英国水彩画展」とあるように、ウィリアム・ブレイク、ターナー、コンスタブル、ロセッティ、バーン・ジョーンズ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ホルマン・ハント、ラスキン、マドックス・ブラウン、ゲインズバラ、ウォルター・クレイン、エドワード・リア、ローランドソン等など。確かに、英国近代絵画の巨匠オンパレードでした。
極めつけは、図録のおまけ。「英国内で描かれた場所は、ここですよ」と記載している英国地図。地図を見ながら、居ながらにして英国旅行に出かけた気分になれます。それに、知っている限り、200年以上前に描かれた風景も建物も、さほど変わっていないと思われ、今も場所が特定できるところが、また凄い。
☆写真は、おまけの英国地図の上に、右からコンスタブル、ターナーのポストカードと、ボジョレーヌーボーのワイン
(2012倫敦巴里49)
2012年11月に岩波文庫「ドーミエ風刺画の世界」(喜安朗編)が復刊されたのですが、そのオノレ・ドーミエ(1808~1879)は、フランスの画家です。まずは、石版画家として、風刺画を描き日刊風刺新聞「ル・シャヴァリ」で活躍しました。
ドーミエのデッサン力は優れ、力強く生き生きとしています。特に、彼の描く人物の「目」は鋭く、それが、風刺画として、より迫力を持つのだと思います。社会や時流を切り取る鋭い感覚も備えていたからこそ、風刺画家としての人気を博したのでしょう。
ドーミエは、風刺画だけでなく、後から、油絵も描き、パリ オルセー美術館には、油絵の「洗濯女」「クリスパンとスカパン」等があります。油絵ですから、スピード感のある石版画のタッチとは少し違い、温かみのあるものとなっていますが、風刺画家として培った眼力はそのままで、物語る人物が描かれています。
パリ オルセー美術館で特に見たかったものの一つに、ドーミエの彩色された粘土の連作がありました。それは、36人の国会議員の胸像です。
ドーミエの観察眼と、その表現力をもってすれば、当時の国会議員たちのそれぞれの個性が見えてきます。風刺とユーモア、絶妙のバランスで、個々を表現しています。見ていて飽きない作品群です。指先で、ちょいちょいっとこねただけの作品が、一つずつ個性を発揮しているなんて、素人には考えられません。
☆写真上は、パリ オルセー美術館 最上階窓から、モンマルトルの丘、サクレクール寺院を望む。写真下は、パリ美術学校エコール・デ・ボザールのセーヌ川に面した裏庭で、学生たちが粘土細工をやっていました。この学校が輩出したパリの芸術家たちは数知れず・・・つまり、この写真に写る学生たちも、いつの日かパリの美術館の常連になるかもしれません。手前の彼女は、猫をテーマに作り続けています。(と、思います)
「コヨーテのおはなし」
(リー・ベック文 あんどうのりこ訳 ヴァージニア・リー・バートン絵 長崎出版)
「コヨーテのおはなし」は、アメリカ南西部のネィティブアメリカンやメキシコの人々の間で伝わる、この地域の人たちの創世記であり、昔話集です。彼らは、コヨーテ(オオカミより小さいイヌ科)を、動物たちの中でもっとも賢い動物と位置付けています。
≪・・・3つめの袋から、若者の声がしました。
「どうか僕を外に出してください。森の木々を炎の色に染め、<春><夏>より鮮やかな花を咲かせます。おいしい木の実や甘い柿の実もごちそうします。世界のみんなにじゅうぶんに。」≫
これは、悪い精霊に袋に詰め込まれた<春><夏><秋>をコヨーテが助け出す話で、<秋>が訴えているところです。<秋>が<春><夏>より鮮やかな花を咲かせるという発想は、新鮮です。
知恵者のコヨーテであっても、一人ですべて出来ず、他の動物たちと助け合って、切り抜けます。そこが、お話を身近なものにしています。そして、その後の挿絵がなかなかいい。意気揚々と引き上げるコヨーテ、その後に、胸を張り従うキツネ、オオカミ、ハイイログマ。なかなかこの順番のお話は少ないでしょう?
挿絵は、「ちいさいおうち」や「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」等の作者、ヴァージニア・リー・バートンです。絵本ではありませんが、本の中では、コヨーテを筆頭として動物たちが生き生きと描かれています。
*「ちいさいおうち」(ヴァージニア・リー・バートン 石井桃子訳 岩波)
*「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」(ヴァージニア・リー・バートン むらおかはなこ訳 福音館)
☆写真は、京都東山(撮影:&Co.A)
今日はちょっと遠くまで行って、みんなとお茶を飲みながら、きれいな詩画集を見ようと思います。
詩集一冊丸ごと好き、詩人丸ごと一人好き、と言う人もいるかもしれません。
私は、一冊の中で、
一つでも、「あっ」と思うものがあると、嬉しい。
「あぁ」と思うものがあるときも、嬉しい。
時がたって、何かの拍子に、「あ」と思いだすのも嬉しい。
ファージョンの「詩」という詩が、瀬田貞二の「幼い子の文学」(中公新書)の中で紹介されています。
≪詩って何?わかる?
バラではなくて、その香り。
空ではなくて、その光り。
虫ではなくて、その動き。
海ではなくて、その響き。
私ではなくて、この身に
見せて、聞かせて
感じさせてくれるもの。
普通の文章であらわせないもの。
そんなものだってこと、わかる?≫
☆写真は、米国 東海岸 メイン州海岸(撮影:&Co.T)
(承前)
大学を出てすぐに小学校で勤めていたとき、地域の夜間学級で、高学年に「詩」の授業をしました。詩の授業をしなくちゃと張りきった新米教師が、その詩を選んだのは、単に好きだったから。夜の授業なので、イメージが深まるかなとも。なにより、平易な言葉で、消えてしまうもの大きさ、つまりは、見えないものであっても、人を喜ばせ、勇気づけるのだということを伝えたかったのだと思います。ここまで書いて、ああ、あの詩、と思いついてくださった人が居たら、嬉しいです。
新米教師の数々の失敗も困惑も遠い昔。
それなのに、この詩「おみやげ」は、今も、生活のそばにあります。
≪なんだか 足が軽いと思ったら
さっき電車の中で
知らないよその赤ちゃんが
笑いかけたのだった
わたしを見て
嬉しくてたまらないように
その笑い顔を
いつのまにか 胸にかかえていて
それで 夜道の足もとを
てらすようにしながら
わたしは急いでいるのだった
・・・・・(略)・・・・・≫
(まどみちお;「まめつぶうた」所蔵:理論社)
☆写真は、英国 コッツウォルズ メイクィーン仮装パレードで。でも、なんの仮装しているんだろう?
朝、少し遅めの通勤時間でしたが、混雑する特急電車はやめて、普通電車に坐って行きました。うとうと居眠りしていたものの、下りる2駅くらい手前で眼が覚めました。すると、同じ車両の端の方で、可愛い声が聞こえます。まだ、言葉になっていませんが、何か、機嫌良く言っていました。終点になって、その子は、スーツを着たお父さんに抱かれ、私の前を通って、下りて行きました。汚れていないちいちゃい靴を履いていましたから、一人で立つことはできるのでしょう。多分1歳前後。
お父さんのスーツの肩越しに、その子の顔は、後ろを向いています。
後ろを歩く人は、その子の機嫌のいい笑顔が見えます。
朝から、なんだか得した気分です。
大阪の中心に、あの子が行く場所があるんだなと、考えていたら、人混みの中に、お父さんとその子は、消えて行きました。ここで、思い出したのが、まどみちおの詩・・・(続く)
☆写真は、英国 ヘミングフォード村 「グリーン・ノウシリーズ」の舞台となったマナーハウスの庭にある聖クリストファーの像。「グリーン・ノウのこどもたち」等に登場しています。聖クリストファーは、旅の受難や嵐・水難から守ってくれる聖人です。逆巻く波を渡るクリストファーが担ぎ上げているのは、子どもに姿を変えたキリストで、手に地球を持っています。(クリストファーは、キリストを背負う者という意味らしい)
*「グリーン・ノウ」シリーズ
(ボストン作 亀井俊介・訳 評論社)
「まぼろしのこどもたち」
(ボストン作 瀬田貞二・訳 偕成社文庫)
先日オペラガルニエのシャガール(1887~1985)の天井画のことを書きましたが、京都文化博物館で(~2012年11月25日まで)開催されているシャガール展に行きました。
見たかったのは、「ダフニスとクロエ」の版画(リトグラフ)(1961)でした。話を知らなくても、絵を見たら話がわかるほどの、数の多さ(42枚)で、大人が楽しめる絵本となっています。これは、紀元2~3世紀のギリシャの小説家ロンゴスが書いた初々しい恋物語というか、性の目覚めにもかなり紙面を割いた純愛小説です。途中、恋のライバルや海賊、年増女など、いろんな人が登場し、話の起伏を作って行くのですが、これを読んでいると、妖精がでてくるとはいえ、紀元2~3世紀の頃と、現代も、本質的には変わってないなと気付きます。
かつて、岩波からシャガールのこの42枚のリトグラフを使った普及版(写真左)と、豪華版の「ダフニスとクロエー」が、出版されていました。今は、2012年10月にボナールの挿絵の「ダフニスとクロエ―」(写真右上)が復刊されたところですので、手軽に「ダフニスとクロエー」を読むことができます。古典物によくある、とっかかりにくい翻訳ではないので、現代もののように難なく読めてしまいます。
挿絵は、ボナールのよりシャガールの方が、いい雰囲気を伝えてるかな?と、思ったり、シャガールの方は、挿絵と言うより絵それ自身が主張しすぎて、話本体を楽しむには、ボナールの方がいいかな?と思ったり・・・
この「ダフニスとクロエー」、絵画のシャガールやボナールだけでなく、フランスの作曲家ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」にもなりました。第三部(第二組曲)「夜明け」という辺りの雰囲気は、この話自体の雰囲気を伝えて余りある、美しい部分だと思います。
☆写真左「ダフニスとクロエー」(普及版)(ロンゴス文 シャガール絵 松平千秋訳 岩波)の、小鳥狩りの場面(このときのダフニスの心の動きは印象的です)。右上は「ダフニスとクロエ―」(ロンゴス文 ボナール絵 松平千秋訳 岩波文庫 2012年10月復刊)。右下は、フランス ニースにあるシャガール美術館のお土産のポストカードLe Cantique des Cantiques IV[(ソロモンの)雅歌Ⅳ]

(2012倫敦巴里48)
(承前)
マルモッタン モネ美術館は、モネの名前を冠しているので、印象派中心の美術館かと思いがちなのですが、当初、マルモッタン氏が、家具などの調度品の収集をされていたところに、時を経て、ナポレオン時代の絵画や、モネ等印象派絵画の寄贈があったと知りました。それで、実は、モネやベルト・モリゾなどより、所蔵数で言えば、中世からルネサンス期の彩色写本の所蔵も充実しているのです。
モネの展示の部屋は、さながらサンルームのように明るいのですが、ルネサンスの彩色写本のコレクションの方は、当然、光を落とした2階の部屋にありました。
その状態のいいこと!今出来上がったかのように光り輝いていました。
絵は細かく描かれ、彩色も金や青や赤で、眼にも眩しい。
文字と言えば、彩色され、装飾された一文字だけのものが、たくさん並んでいました。
楽譜と思われるものもありました。ん?五線譜じゃなく四線譜です。音符もオタマジャクシのように丸くなく、みな同じに四角くて、リズムはわかりません。
これらは、みな美しく、大切にされてきたものを見せていただいたという気持ちになりました。
☆写真は、パリ マルモッタン モネ美術館入ってすぐの部屋にあった針のない時計と、テーブルセッティング。(この美術館は写真禁止ですが、表示がなかったので、入ってすぐのこの部屋でパチリとやったら、係の人に注意されました。ごめんなさい)
(2012倫敦巴里47)
(承前)
ブローニュの森とラヌラグ公園の間にある元邸宅のパリ マルモッタン モネ 美術館は、モネの「印象 日の出」が展示されているので有名です。印象派という言葉の元になったのが、この「印象 日の出」です。あんなに大所帯の印象派集団をその両肩に背負うほどの大きさではなく、思いのほか、こじんまりとした絵で、いわば、普通のおうちの客間にぴったりの大きさの絵です。
もちろん、モネの他の作品もたくさんあるのですが、同じ印象派の女流画家ベルト・モリゾの作品に眼を留めだすと、その光満ち溢れ、愛情満ち溢れる母親の視線に心惹かれてしまいました。大作と位置づけられないかもしれない、それらの母子像をみているだけで、穏やかな気持ちになれました。
コロ―に師事していた、ベルト・モリゾが、ルーブルでルーベンスの摸写をしているとき、通りかかったのがモデルを探していたエドワール・マネ。で、モリゾは、「バルコン」「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」等のモデルをし、自らも絵筆を取り続けました。結局、マネの弟と結婚し、37歳でジュリーという女の子をもうけます。ところが、54歳で急逝。死を覚悟した二日目に書いた手紙が
「私の可愛いジュリー。私は死んでいく今もあなたを愛しています。死んだあとでもなお、あなたを愛することでしょう。どうぞお願いだから泣かないでおくれ。この別れは避けがたいものです。私はあなたが結婚するまで生きていたかった・・・いつもあなたがそうだったように、仕事をしていい子でいてください。あなたはこれまで私を悲しませたことは一度もありませんでした。あなたは美しく財産もあります。それを有効にお使いなさい。・・・・」*
ベルト・モリゾがどうしても描き残したかった世界。子どもにとって早世だった母親は、描き急いだのかもしれません。(続く)
◎ 図書カード名画シリーズの3000円券に、ベルト・モリゾを見ることができます。マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」です。ちなみに、偶然か、意図的なのか、1000円券は、モリゾの家系につながると言われるフラゴナールの「読書する娘」です。
*「マラルメの火曜会 ―世紀末パリの芸術家たち」の「ベルト・モリゾ」の章:柏倉康夫 丸善
☆写真は、スイス レマン湖 印象夕日
(2012倫敦巴里46)
ロンドンだけでなく、パリでも、見つけました、お話の像。マルモッタン モネ美術館の近く、ラヌラグ公園にあったジャ ン・ド・ラ・フォンテーヌ(1621~1695)「寓話」の中の「カラスとキツネ」の像です。写真の写りが悪く、フォンテーヌさんの顔が見えません。フォンテーヌさんの足元に丸いチーズをくわえたカラスがいるのは見えますか?
≪カラス先生、チーズをくわえて、
木の枝にとまってた。
キツネ先生、匂いをかぎつけ、
やってきて、こんなふうに言った。
「おや、こんにちは、カラスの殿さま、
なんて あなたはすばらしい。なんてあなたはごりっぱな。
うそは申しません。もしもあなたの声が
その羽根にふさわしければ、
あなたこそこの森に住むフェニックス。」
カラスは、これを聞いて、うれしくて、ぼうっとなって、
自分の美しい声を聞かせようと・・・・・・・・≫
「寓話」(ラ・フォンテーヌ 今野一雄訳 岩波文庫)
☆写真下は、ラヌラグ公園側から見たマルモッタンモネ美術館。(続く)
(2012倫敦巴里45)
さて、ケンジントンガーデンズで、昨日のワッツの≪Physical Energy ≫像から、さらにサーペンタイン池(へび池)の方に歩くと、ピーター・パンの像があります。 ピーター・パンの作者、ジェイムズ・バリーは、このケンジントン・ガーデンズの近くに住み、ここを舞台に「ピーター・パン」を生み出しました。いわゆる、よく知られているピーター・パンの話は、「ピーター・パンとウェンディ」*で、もう一冊の「ケンジントン公園のピーター・パン」には、ウェンディたちは出て来ず、公園の様子、ピーター・パンの生い立ち、ピーターと鳥や妖精たちとの関わりが書かれています。ウェンディやマイケルではなく、メイミーやトニーと言う子どもたちです。
「ケンジントン公園のピーター・パン」のお話の中で、鳥が、大きな役割を持つように、この公園付近では、鳥を、多く見かけます。それで、ロンドンオリンピックのトライアスロンの水泳で、この公園のサーペンタイン池(へび池)が使われていたときも、池の糞害等が問題になっていたのは、記憶に新しいことです。
で、以下の写真の説明をジェイムズ・バリーが1902年に描写してくれました。百年以上も変わらない「へび池」なのです。
≪・・・さて、「へび」池の中の島へ行くには、飛んで行くよりほかありません。なぜなら、人間のボートは上陸を禁止されており、島のまわりにはぐるりと水ぎわに杭が打ってあって、その上に鳥の歩哨が一羽ずつとまり、昼も夜も見張っているからです。・・・≫「ピーター・パン(ケンジントン公園のピーター・パン)」(J.M.バリー作 高橋康也・高橋迪・訳 アーサー・ラッカム 絵 新書館)

*「ピーター・パンとウェンディ」
(ジェイムズ・バリー F.D.ベッドフォード挿絵 石井桃子・訳 福音館書店古典シリーズ・福音館文庫)
*「ピーター・パン」(J.M.バリ 高杉一郎訳 エドワード・アーディゾーニ絵 講談社文庫)
≪*ピーター・パンについての駄文は、以前、海ねこさんの「イギリス ほんの寄り道AtoZ」のPの項に書かせてもらいました。≫
(2012倫敦巴里44)
ロンドン ナショナルポートレートギャラリーで、特に数多く展示されているのがワッツ(George Frederic Watts 1817-1904)の作品です。ワッツは「希望」という作品で有名ですが、肖像画の仕事も多いようです。そういえば、先日の神戸のバーン=ジョーンズ展で、バーン=ジョーンズの肖像画が一枚展示されていましたが、それは、まさに、ワッツが描いたものでした。
ところで、ロンドン ハイドパークに隣接するケンジントン・ガーデンズの中にあって、朝の散歩で出会う↑ 写真の像、人の手足、馬の顔、足等、力強く、ただものじゃないなと思っていたら、なんと!ワッツの作品でした。
「おーい、どこ見てるの?」と、思わず、聞いてみたくなります。タイトルは、≪Physical Energy ≫ ロイヤルアルバートホール前で鎮座するアルバート公、そのずずっと後ろに控えし者にござる。
(2012倫敦巴里43)
ロンドン ナショナルギャラリーに隣接するのが、ナショナルポートレートギャラリーです。ここは、肖像画や顔写真等を展示しています。今回は、ロンドン オリンピック・パラリンピック後だったこともあって、選手やスタッフの写真がたくさん展示されていました。どれも、いいお顔の写真でした。また、ここには、歴代の王さまの肖像画はもちろん、ジョン・レノンやベッカムの写真も展示しています。
若い頃、肖像画には、あまり興味がなかったので、ナショナルポートレートギャラリーに足を運ぶことは、ありませんでした。しかしながら、以前受講していた「ブリティッシュアート論」でジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent)の肖像画の素描を見て、一瞬でその人物の内面までも捉えるかのような画家の眼力に感心して以来、肖像画も面白いものだと思うようになりました。
ちなみに、サージェントは、ロンドン、テートギャラリーにある「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」も描きました。このブログ管理者カ・リ・リ・ロの名前は、おこがましくも、そこから来ていて、それは「ふくろ小路一番地」*の影響です。
*「ふくろ小路一番地」(イーヴ・ガーネット作 絵 石井桃子訳 岩波少年文庫)
☆写真は、右端がナショナルポートレートギャラリーのパンフレットの表紙(パラリンピックカヌーの選手)
中央上:2006年ロンドン ナショナルギャラリーで見た「パリのアメリカ人展」の『マダムX』(ゴートロー夫人)のポストカード、当時、パリでスキャンダルになった若き人妻の肖像画です。(アメリカ メトロポリタン蔵)中央下:ロンドン テートギャラリーの「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」のポストカード
左は、サージェント肖像画素描集SARGENT PORTRAIT DRAWINGS 42Works by John Singer Sargentのゴートロー夫人の素描(アメリカ ハーバード フォッグ美術館蔵)
プールの後、サウナに入るようになったものの、代謝が悪いので、初めの5分なんか、ちょうど温かくていいな、と言う感じで、あんまり汗もでません。10分たっても、憧れのだらだらと流れる汗とまでいきません。もっと続けなきゃだめなんだろうなぁ。と思っていたら、ひさしぶりに、小さいおばあちゃんとお会いしました。
そしたら、積もる話があったのか、サウナにまで入ってこられました。「5分くらいならいいのよ」とおっしゃって、喋る喋る。84歳!
こっちがひやひやします。「ああ、暑かった」と、のたまわれて、出て行かれました。私が着替えていたら、「鍛えてるから大丈夫。嫁の世話にはなりたくないわ」と、帰られました。
で、後日、お会いして、「先日は、そのあと、大丈夫でしたか?」
「大丈夫。あれから、いつも、サウナに入るようにしてるのよ。2分半。砂時計の半分ね。髪の毛も身体も、よく乾いていいわぁ」
☆写真は、パリ ルーブルにあった像(撮影:&Co.H)
A Cup of Water and a Rose on a Silver Plate
(2012倫敦巴里42)
(承前)
ロンドン ナショナルギャラリーには、好きな絵がたくさんあります。その一枚が、スペインの画家、スルバランの「A Cup of Water and a Rose on a Silver Plate」です。この美術館の中では、かなり小さな絵です。静かに鑑賞者を待っている。そんな絵です。
この絵を知ったのは、「英国 オックスフォードで 学ぶということ―今もなお時が豊かに積もる街」というエッセイを読んでからです。この本は、画家である著者がオックスフォードで学ぶと言う至福の時を過ごした経験が、書いてあります。そして、「A Cup of Water and a Rose on a Silver Plate」のこと。
≪・・・階段を上がって正面のホールから左の部屋へと続く扉をあけると、顔見知りの懐かしい絵が次々と現れる。ああ、この絵も、あの絵もここにあったのか。古い友人に出会ったような、安堵する気持ちがする。まず、全体をざっと眺めようと、足早に次々と部屋を横切り、三室目か四室目に入ると、右手正面の壁にかかっている小さな絵が強烈な力で私を惹きつけた。こんなところにスルバランがある!
それは、本当に、両の手でそっとささげられるほどの小さな絵で、白いテーブルに白っぽい皿、水の半分ほど入ったコップ、ほんのりと薄いピンク色のばら、そして壁は漆黒。薄いピンク色の他は、いっさいが無彩色の静謐な絵である。絵の脇に小さく「ナショナル・ギャラリーにごく最近所蔵された」と記してあった。・・・・≫
この箇所を読んで以来、いつも、ロンドン ナショナル・ギャラリーに行けば、会いに行く絵ですが、一度、どこかに貸し出されていた年がありました。約束していた友人と行き違ったまま、会えなかったような気持ちでした。
*「英国 オックスフォードで 学ぶということ―今もなお時が豊かに積もる街」(小川百合 講談社)
☆写真は、「英国 オックスフォードで 学ぶということ―今もなお時が豊かに積もる街」の見返しに著者が描いたオックスフォードの地図の上に「A Cup of Water and a Rose on a Sliver Plate」のポストカードを置きました。光沢紙のポストカードに、そばのステンドグラスの影が写っています。
(2012倫敦巴里41)
ロンドン ナショナルギャラリーも、大きいことは大きい↑のですが、個人的にはルーブルよりこじんまりと(!!!)している分、見やすい気がします。絵画以外は、ヴィクトリア&アルバートや、大英博物館にもあるということもあって、絵画以外の所蔵も多いルーブルより所蔵が少なくて(!!!)見やすい。ルーブルは、屋根付き中庭もあるし、廊下で繋がれているし、なにより、階段の上下がある。ところが、ロンドン ナショナルギャラリーは、簡単にいえば、大きな平屋と言った風情なので、平行移動しやすい。(所蔵作品のほとんどが同じフロア―にあります)ただ、これからロンドン ナショナルギャラリーに行かれる人のために一言付け加えると、ルーブルよりこじんまり(!!!)としているとはいえ、かなりのものです。一回ですべては、見切れません。
何より、ロンドン ナショナルギャラリーに親しみ(ありがたみ)を感じるのは、入場無料だということ!そこがまた、身近な美術館として、敷居が低く、「好きな作品を好きな時に」という空気になって、ゆったり作品を楽しめるのではないかと思うのです。有料のルーブルの凄い人出の半分くらいは、なんかガツガツしているような気がするのは、思い過ごし?
とはいえ、ロンドン ナショナルギャラリーも、寄付金箱は出入り口に置いてあって、特別展の西棟セインズベリーウィングでの特別展は、もちろん有料。そして、特別展は、混みあうとき、予約制です。予約さえすれば、ゆったり鑑賞できます。2001年「フェルメールとデルフト派展」、2006年「パリのアメリカ人展」、それぞれ、眼福の時間でした。・・・・と、検索確認していたら、見つけてしまった!2013年6月26日~9月8日「フェルメールと音楽展 Vermeer and Music: The Art of Love and Leisure」が、ロンドン ナショナルギャラリーで開催されてしまう。あの絵とあの絵が来るのなら、もう見たことがあると、あきらめましょう。が、しかし、あれも来るんだろうなぁ・・・・フェルメールは手紙がらみの作品もあるけど、さらに多いのは楽器の前、楽器を弾くシーンが多い・・・ふーむ。(続く)
☆写真上、ロンドン ナショナルギャラリー(撮影:&Co.T)、下は、パリ ルーブル美術館中庭。 