みんなみすべくきたすべく

うれしい

342朝窓を開けるjj
抱き合ってしまいました。
久しぶりに学校に出て来たその子の髪の毛は黒かった。
実習先の指導に、切れてしまい、そのまま、10月から休学。
担任や学校が、本人と話し合うも保護者を呼ぶも効果なし。担任の電話には出ず・・・

 毎年、休学や退学の子はいます。資格を取りに来るのですから、社会人も母親も父親も大卒も居ます。その子は、高卒の18歳。綺麗な金髪に染めていました。専門学校の子の多くは、バイトをしていて、授業中は、ほとんど眠い。が、その子は、バイトをせず、早く寝ているらしく、少なくとも、私の授業は居眠りをしなかった稀有な人材でした。若くして母親になった友人の赤ちゃんの写真を、よく見せてくれました。赤ちゃんを育てる上で、大事なことは、「明日、これ、○○に言っとくわ。」虐待のことを話すと、「そんなこと、△△はしてないで、夜中にラーメン屋に連れていったりしてないし。」彼女は、熱心に授業に参加していました。赤ちゃん人形のおしめを替えるのも率先して実習しました。
 
 が、実習先で、提出物の書き方の不備を指摘され、「もう、やめてやる!」

 以前一度、この子と電車で帰りが一緒になりました。そのきれいな金髪を誉めると、「染めたら傷むから、トリートメントを欠かさずやっている」と、言いました。昔からその色だったのか?と聞くと、「中学から、やってる。化粧せえへんぶん、髪の毛にお金かけてるねん。」私が、そのきれいな髪をなでると、照れたような表情で、電車を降りて行きました。「先生、また、来週な!」

 が、10月から来なくなったのです。私は、週に一回、それもたった一コマの非常勤講師です。担任からの報告にも、絶句するだけで、アプローチのしようもありませんでした。
 クラスで、仲のよかった子に頼みました。「待ってるから、お出でって、メールして」

 次の週、やっぱりきませんでした。仲のよかった子に聞くと、「『絵本読んでくれる先生が、待ってる』ってメールしたけど、返事ないねん。」
 次の週も、「返事ないねん。」
 そして、その次も。

 ところが、10月の最後の週、いつものにこにこ顔で、教室に入ってきました。この授業だけ、参加してみたそう・・・
 「もう4回も休んだから、これ以上休んだら、単位落とすよ。来週から休まんようにね!」
 ほんま、休まんようにね・・・・・

☆写真は、英国 バーンズリーハウス 早朝、窓を開けました。

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お伽草子

          341鼠草子j
 再度、突然ですが、初めて六本木に行きました。寄り道もせず、サントリー美術館の「お伽草子展」(~2012年11月4日まで)を見に行きました。

 石山寺縁起絵巻の後で見たので、その力量の差は歴然でした。それもそのはず、片や、歴史あるお寺のお宝。片や、庶民とまではいかなくても、ずいぶん民間にまで流布した絵巻物。ま、いわば、下手な絵もあるのですが、そこはもう歴史を乗り越えて来た価値だけで見応えは充分。思わず笑ってしまう愉快なタッチのもの、センダックもびっくりの百目鬼夜行や、ネズミ等の小動物もの。説話でなくお伽話に近づけば近づくほど、軽やかで自由です。絵師の絵心が、童心に帰るのか、伸び伸びしています。

 中でも、ネズミや猿が繰り広げる結婚譚は、可笑しいです。写真は、サントリー美術館所蔵の「鼠草子」(室町~桃山)を現代語に訳して、漫画の吹き出しのように会話や名前を書き込んでいる絵本です。この絵本は、印刷上の問題とは言え、やっぱり、四角い吹き出しにしてしまうと、元々の絵柄を台無しにしてしまっています。・・・・という問題点があるにはあるのですが、ちっとも、読めない絵巻の文字にイライラしているより、書かれている内容が、よくわかります。

 写真では、よく見えないので、参考までに、彼らの名前を書きますと、左から「角介」「穴掘りの左近尉」「黒眼の牛の助」(ほら!ちょっと眼が大きいでしょ!)「土掘りの孫助」(よーく見ると、土が掘りやすそうな左手が描かれています)「穴惑いのひょんの助」「口取りの平内」「源助」「桁走りの猿千代」「縁刺し与六」「穴好きのぬた右衛門」「物喰いの悪太郎」・・・まだまだおかしな名前、もっともらしい名前が出てきます。

  お伽草子は、時代が進むと絵巻物から冊子にかわって行くのですが、その主人公には、小動物、特に、鼠の嫁入りを中心として鼠が主人公になるものも多いようです。
  このことを、瀬田貞二は「落穂ひろい」で、「・・・子どもの絵本のモチーフに、これほど鼠ばかりが親しくとりあげられたことには、いくつかのわけがありましょう。まず、十二支のはじめにあたる年まわりの、家内に住む繁殖の主であり、「嫁が君」などと親しまれて、福神大黒の眷族(けんぞく)と信じられたために、よろず繁栄を願う縁起かつぎの民衆が、この活発な小動物を主人公として、その働きと多産と繁栄とをのべて、それにあやかろうと思ったにちがいありません。」・・・「人間の結婚生活などを直接描くよりは、かわいい小動物に見立て、なぞらえるほうが、露骨でなく、図示できる点があって、歓迎されたのでしょう。」と説明しています。

*「落穂ひろい―日本の子ども文化をめぐる人びと」上下 (瀬田貞二 福音館書店)
☆写真は、「鼠草子」(サントリー美術館 編集・発行)

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石山寺縁起絵巻

340石山寺縁起絵巻j
 2012倫敦巴里報告の道半ばで、突然ですが、滋賀県立美術館「石山寺縁起絵巻の全貌展」に行きました。初めての、石山寺縁起絵巻7巻一挙大公開でした。(~2012年11月25日まで)
 すいていて、とても見やすく、こんなに丁寧に絵巻を楽しんだのは初めてです。大抵、絵巻展に行くと、丁寧に見る人や入場者数の多さから、ちっとも見えないことが多いですから。

 初めに書ありきで、絵が出来たようです。全7巻の絵巻は、見ごたえがあります。前後期で入れ替えがあり、重要文化財と摸写本が入れ換わります。摸写本は、新しいので、綺麗です。また、摸写本といっても、素人が模写しているのではなく、土佐派を代表する土佐光起や、徳川時代の三大家の一人、谷文晁 等々が、描いています。それでも、模写という制約からか、本来の重要文化財の絵巻に見られる自由闊達さが目減りしているように思います。重要文化財の絵巻に描かれている人たちの表情、動きは生き生きとしているのです。視線の動き、手の動き、指までも。

 それに、重要文化財の石山寺縁起絵巻は、誰一人として同じ顔をした人が居ません。ほんとです。全部違う顔なんて信じられますか?(模写本は、その点、手を抜いているんだろうか?同じ顔の人が並んでる!)石山寺縁起絵巻では、どの人も、その人の個性が伺えるのです。だから、リアリティが増し、年経ても、訴える力を持つのだと思います。
 何かを物語っている一人一人を見ているだけで、楽しく、あっという間のひとときでした。絵本の原点がここにありました。

 それにしても、いろんなご利益が描かれていて、これを見ていると、「ははぁ、有難いことや。こんなことも、あんなことも、叶えてくれるや。石山寺さんに、お参りせな・・・」と、思ってしまいます。不信心者にも、宣伝効果抜群。ありがたや、ありがたや・・・

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ドラクロア美術館

             338ドラクロアj
(2012倫敦巴里39)
(承前)
 パリのドラクロア美術館は、ギュスターブ・モロー美術館と同じように、個人の美術館ですが、作品が溢れかえっているわけではありません。多分、このフランスの国民的画家ドラクロア(1798~1863)の大作は、ルーブルなどにあるのでしょう。この元住居には、デッサンやもう少し小さい作品がありました。ユーロになる前のフラン紙幣に、彼の「民衆を導く自由の女神」という絵が描かれていたのを見たことがあります。ルーブルにある有名なこの絵は、1830年のフランス7月革命を描いたもので、いわゆる自由の女神とされる女性が、倒れている人を踏み越えて、フランス国旗を掲げ進んでいく絵です。高校世界史の教科書に出ていたと思います。それに、何年か前、日本で、展示された時、記念切手になっていました。ごくごく最近では、日本の某保険会社の広告にパロディ化されて使われていました。

 ドラクロアは「民衆を導く自由の女神」等の大作のイメージが先行していましたが、この美術館では、時代を反映していない作品に、その魅力を見出しました。特に、ルーブルにある「甘える虎」という作品のデッサンや、飼い猫のデッサンなど、確かな眼を持つ画家の作品を、ゆっくりと鑑賞できました。それで、素養のない鑑賞者として、一番、ときめいた作品は、彼の若い頃の自画像でした。うーん、なかなか男前。

 ゾラは、「制作」の中でセザンヌと思えるクロードにこんなことを言わせています。
≪・・・ドラクロアは、老いたりといえ、堂々たるロマン派のライオンだ。色調を燃え上がらせるまさしく魔術師だ!それにあのエネルギー!もし、彼に自由にやらせたら、パリ中の壁を塗りつぶしかねないぜ。奴のパレットは沸騰し、あふれている。彼の描くのは、幻影風景だとは、おれももちろん承知しているが、なあに、それも仕方ないことだ。とにかくおれをぞくぞくさせるし・・・・・≫
*「制作」(エミール・ゾラ 清水正和訳 岩波文庫)

☆写真上下:パリ サン・ジェルマン・デ・プレ界隈をちょっと入った、見過ごしそうな場所に、このドラクロア美術館はありました。(撮影:&Co.H)

339ドラ2jj

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モローの貴婦人と一角獣

                        336モローj
(2012倫敦巴里38)
(承前)
 クリュニーの「貴婦人と一角獣」タペストリーは15世紀末に作られ、その後、所在不明となり1841年にお城で発見され、1882年に元修道院のクリュニーで公開されました。(発見者がまた凄い!小説家であり官吏であった「カルメン」「エトルリアの壺」*の著者メリメ。)それで、その頃、パリの話題となり、それに触発され描かれたのが、写真のギュスターブ・モロー「貴婦人と一角獣」なのです。(1885)。

 モローは、パリの美術学校エコール・デ・ボザールで教鞭をとり、マチスやルオーにも影響を与えます。先に書いたゾラの小説「制作」にも、モローの影響が見えます。

 一つの作品、一人の芸術家が成し得た仕事が、後世 誰かに何かの影響を与え、つながって行く。それが、たとえ、小さく描かれた花であっても。また、異国の子どもが楽しむ絵本にまでも。芸術の奥の深さは、「きり」がありません。

 そんなモロー自身は、ドラクロアの影響を受けたといいます。(続く)

*「カルメン」(メリメ 堀口大學訳 新潮文庫)(杉 捷夫訳 岩波文庫)
*「エトルリアの壺―他五編」(メリメ 杉 捷夫訳 岩波文庫)

☆写真上は、ギュスターブ・モロー美術館の「貴婦人と一角獣」。この写真では、うまく写っていませんが、本物は、やさしい雰囲気の伝わる作品でした。下は、クリュニー中世美術館の外壁にあった日時計。左上に1674年と書いてあります。

◎速報!来年2013年に、クリュニー中世美術館の「貴婦人と一角獣」のタペストリー6枚!が日本に来ます!これは、かなり凄いことなのです。海外貸出は、1974年にただ一度、アメリカメトロポリタンだけだからです。東京、国立新美術館4月24日~7月15日。大阪、国立国際美術館7月27日~10月20日。(情報提供&Co.I)

337日時計jj

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小さな花の咲くところ

              335ミルフルールj
(2012倫敦巴里37)
(承前)
 クリュニーの「貴婦人と一角獣」の他に、千花模様(せんかもよう・ミルフルール)で、思い浮かぶタペストリーが、英国ウィリアム・モリス商会のものです。1997年に京都「ウィリアム・モリス展」に展示されていたタペストリー「主につかえる天使たち」「果樹園」(ヴィクトリア・アルバート所蔵)の足元にもたくさん描かれていましたし、先日のバーン=ジョーンズ展にあったタペストリー「東方の三博士の礼拝」の足元にも、美しい花が咲いていました。

 そして、その流れのずっとずっと先で見つけたのが、エロール・ル・カインの絵本「いばらひめ」「ハーメルンの笛ふき」です。「いばらひめ」には、地面に小さな花々が描かれていて、眠りについているところでは、小動物たちも眠っていて、可愛い。また、「ハーメルンの笛ふき」の最後のシーンでは、花々だけでなく一角獣やライオンやテントも描かれ、まさにクリュニーの「貴婦人と一角獣」のタペストリーを意識しています。(続く)

*「いばらひめ」(グリム兄弟原作/やがわすみこ訳/ほるぷ出版)
*「ハーメルンの笛ふき」(コリン夫妻/文 金関寿夫/訳 ほるぷ出版)

☆写真は、左上:クリュニー中世美術館ポストカード、左下:バーン=ジョーンズ「主につかえる天使たち」、右上:エロール・ル・カイン「いばらひめ」動物たちも眠っています。右下:エロール・ル・カイン「ハーメルンの笛ふき」池向こうにライオン、一角獣が居ます。

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貴婦人と一角獣

                 334中世美術館j
(2012倫敦巴里36)(承前)
  パリ、カルチェラタンの雑踏、すぐそばにありながら、クリュニー中世美術館に一歩足を踏み入れると、パリの喧騒から程遠い静かな世界に入ります。ここは、ローマ時代からの遺跡も残る元修道院だった場所です。  さらに、歩を進め、薄暗い円形の部屋に入ると、ああ、「貴婦人と一角獣」のタペストリーが・・・
333貴婦人と一角獣j
 「貴婦人と一角獣」のタペストリーは全部で6枚あります。
 「味覚」という題の一枚は、貴婦人が侍女の差し出すドラジェ(砂糖菓子)をつまもうとしています。また貴婦人の足元では、猿が、すでに何か食べています。
 「聴覚」という題の一枚は、貴婦人が小さなオルガンを弾いて、侍女は、ふいごを押して手伝っています。
 「視覚」という一枚は、貴婦人が手鏡を持ち、その鏡には一角獣が映っています。そばにいるライオンの視線は、貴婦人や一角獣の方ではなく、彼方のようにも見えます。
 「嗅覚」という一枚は、貴婦人が侍女のお盆から花をとり花輪を作っています。後ろで、猿は花の匂いを嗅いでいます。
 「触覚」という一枚は、貴婦人が片手で旗を持ち、片手で一角獣の角に触れています。猿は鎖でつながれています。

 以上の5枚が並んで展示され、その向かい側、5枚のタペストリーと向き合うように、掲載した写真のタペストリーが一枚掛けられています。
 これには、貴婦人の後ろのテントに「我が唯一の望みに」と書かれ、貴婦人は、身につけていたネックレスを外し、自ら宝石類を侍女の持つ箱に入れようとしています。(反対に、これから身につけようとしている?)
 このタペストリーの解釈には、様々な説があるらしく、例えば、五感から来る情熱や欲求から離れ、判断力や理解力など人間の分別というものを表現しているという解釈、あるいは、これから結婚あるいは、宗教的な生活に入るという解釈など・・・

 いずれにしても、その謎めいた意匠もさることながら、6枚、どの一枚にも、小さな花々が描かれ、小さな動物たちが集っています。このように、タペストリーの平面を生かし、花々や小動物が描かれることを千花模様(せんかもよう ミル・フルール)といい、その愛らしい世界を見るだけでも楽しいものです。ほら、他にも見たことあるでしょう?(続く)

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貴婦人のクッション

         331クッションj
(2012倫敦巴里35)
(承前 10月22日)
 「制作」の訳者清水正和先生ご専門の19世紀文学とその関連芸術の講義に至るまでには、まず、ヨーロッパの古い芸術やその歴史の流れについての講義があり、ブルターニュ カルナックの巨石文化から、イタリア ラヴェンナのモザイク、シャルトルの大聖堂の薔薇窓などの話もされました。。

 そして、たまたま、その夏、パリから南仏、そしてイタリアに行こうとしていた大学生だった長男に、先生の書かれたヨーロッパ芸術地図を見せました。特に、ラベンナは素晴らしいところだと先生から直接お聞きしていたので、ここだけは外さないように!と注文をつけ、未習に終わった、セザンヌのエクサンプロバンス、ニースのマチス美術館、シャガール美術館等もチョイスして彼は旅立ったのでした。(いいなぁ)

 さて、先生の数少なかった実際の講義で、お聞きしていたのは、パリ「クリュニー中世美術館の貴婦人と一角獣」のこと。講義で聞きかじったことを長男に伝え、お土産を頼み、結果、買って来てくれたのが、現在も愛用するクッションカバーでした。(続く)
332クリュニー駅j
☆写真上は、クリュニー中世美術館のポストカードとクッション。下は、パリ メトロ クリュニー駅 天井

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ジャックマール=アンドレ美術館

329JMA階段j
 さて、ここまで2012倫敦巴里報告を書いたところで、沼辺信一氏のブログ「私たちは20世紀に生まれた」(2012年10月18日)に、この「みんなみすべくきたすべく」が繋がっています。美術の専門家のブログにリンクさせていただけた光栄はもちろんのこと、パリのジャックマール=アンドレ美術館の愉しみを分かち合えた喜びは、大きいものです。ぜひ、ジャックマール=アンドレ美術館の真髄に触れるためにも、沼辺氏のページをご訪問ください。粋で深い内容の文章とともに、絵画や通りからの全景写真にも、つながっています。お気に入りのブログが増えるのは間違いありません。

☆写真上は、ジャックマール=アンドレ美術館の階段。下は、美術館の入り口に向かう。(撮影:&Co.H)

                                         330JMAエントランスj

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「制作」

         328制作j
(2012倫敦巴里34)
(承前)
 岩波美術館テーマ館11「幻想(ファンタジー)」の表紙(1983年刊全24巻)を飾るのは、ルーブル所蔵のモローの「出現」です。この表紙が一番初めに記憶に残ったモローかもしれません。

 もう一度、記憶に残ったのが、岩波文庫ゾラの「制作」下巻の表紙でした。(この「制作」上巻の表紙は、セザンヌです。)
 
  ゾラと同郷で、子ども時代、青年時期を共にしたセザンヌも、この小説が出版されたことによって、ゾラと絶縁。フィクションとは言え、主人公クロードのモデルは、セザンヌだという面もあり、また、印象派と呼ばれる人たちの黎明期の苦悶を、その近くで見ていた作家が表現したのですから、モデルと思しき人達との思いのずれもあるでしょう。しかも、印象派に対して、少々手厳しい言葉を残し、また主人公の描き方も、かなりエキセントリックで、結末も悲壮なのです。

 それで、岩波文庫上巻の表紙は、セザンヌ「男たちの水浴」。下巻の表紙がモロー「出現」です。この表紙の絵のチョイスは、かなりポイントです。単にセザンヌであればいいとか、モローであればいいということでなく、あまたある作品の中でもこれらの「作品」が表紙であるところに意味を持つのです。小説の内容だけ読めば、マネの「草上の昼食」を持ってくるというのが、素人のチョイスです。しかしながら、実際の表紙のチョイスは、訳者清水正和氏の深い洞察によって選ばれしものだと考えています。というのは、訳者は、フランス文学者にとどまらず、フランスの芸術全般に造詣が深く、特に、ご専門は、フランス十九世紀文学とその関連芸術でした。そして、この岩波文庫「制作」の解説は、それだけで、一つの論文のような体をなしていて、印象派とゾラの関係をとらえることができる執筆となっています。

 実は、この訳者清水正和先生は、ほんの短期間だけ、実際に講義を聴くことのできた先生でした。講義内容は、「フランス文化論」。フランス美術のあれこれを歴史の順を追いながら、受講できるはずでしたが、講義期間半ばで、突然、亡くなられたのです。もっと、お聞きしたかったお話が山ほどありました。清水正和先生は、福音館古典シリーズの「海底二万海里」「神秘の島」「レ・ミゼラブル」の訳者だったからです。

 かつて、「制作」を一気に読んだ後、清水正和先生がこれを訳されて本当に良かったと思いました。今回もこの文を書くために読み返しましたが、やっぱり、一気に読んでしまいました。「制作」は、「ルゴン=マッカール」叢書と呼ばれるゾラ文学の中心をなす叢書の中の一冊です。有名な「ナナ」や「居酒屋」を読んでいなくても、この「制作」だけで、本当に面白い文学に出会ったという気がします。(続く)

*「制作」上下 (エミール・ゾラ 清水正和訳 図版あり 岩波文庫)
*「海底二万海里」(ジュール・ヴェルヌ 清水正和訳 A・ド・ヌヴィル絵 福音館)
*「神秘の島」(ジュール・ヴェルヌ 清水正和訳 J.フェラ絵 福音館)
*「レ・ミゼラブル」(ヴィクトル・ユゴー 清水正和訳 G.ブリヨン絵 福音館)

☆写真は、左から、岩波美術館画集テーマ館11表紙「出現」 ギュスターブ・モロー美術館絵ハガキ「ヘロデの前で踊るサロメ」「刺青のサロメ」「出現」 岩波文庫「制作」上下

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サロメ

326モロー階段j
(2012倫敦巴里33)
(承前)
 モローの幻想的な作品の中でもサロメを題材にしたいろんなバージョンの作品は、世界中に散らばっています。
「刺青のサロメ」がここにあるはず・・・あれ?ない。見落としたのか・・・帰国して調べたら、「ヘロデ王の前で踊るサロメ」を所蔵するアメリカ カリフォルニアのアーマンド・ハマー美術館特別展にお出かけ中でした。

 「サロメ」はオスカー・ワイルドの戯曲で有名です。岩波文庫「サロメ」は、オブリー・ビアズリーの挿絵で、絵の醸し出す耽美的な雰囲気と戯曲の内容がよくあっていて妖しい世界です。

 また、「サロメ」は、ギョーム・アポリネールの詩にもあります。
「サロメ」(堀口大學訳 以下引用は、詩の後半部)
≪・・・・・
皆のものよ 妾と一緒に五列樹の陰においで
美しい王の道化役よ お泣きでない
お前の鈴のついた笏を置いてこの首をとれ さうして踊れ
母よ ふれ給ふな 彼の前額はもう冷たいのです
王よ 薙刀兵の前に進め 後に進め
穴を掘ってその中へ彼を埋めませう
花を植ゑて輪になって踊りませう
妾が靴下どめをうしなふまで
王が煙草入れを失ふまで
王子が念珠を失ふまで
僧正が祈祷書を失ふまで≫

*「サロメ」(オスカー・ワイルド 福田 恒存訳 ビアズリー絵 岩波文庫)
*「月下の一群」(堀口大學訳 講談社文芸文庫)
*「アポリネール詩集」(堀口大學訳 新潮文庫)
(続く)
☆写真は、モロー美術館の階段(下写真撮影:&Co.H)
327モロー階段1j

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ギュスターブ・モロー美術館

323モロー美術館j
(2012倫敦巴里32)
(承前)
 ギュスターブ・モローの「龍と闘う聖ゲオルギウス」は見られなかったにしても、ギュスターブ・モロー美術館は、ぜひ行ってみたかった美術館です。この個人美術館は、作品の展示位置や、住居部分の家具調度に至るまで、生前のままにするようにというモロー(1826~1898)の遺言に沿って、現在は国の美術館として在ります。
 天井の高い部屋の壁一面、所狭しと埋め尽くすモロー、モロー、モロー。

  モローは、神話や伝説などをテーマに描いた幻想的な作品が多いのですが、この美術館のことを、アンドレ・ブルトンが『魔術的芸術』で、こう言っています。
≪・・・彼の空漠とした美術館は、あまりにも金ピカで『時代物の』額縁とともに、彼みずからが望んだ流刑の境遇を死後にまで引きのばし、プロセリアンドの森の墓所に封印された『魔法をかけられた魔法つかい』のように彼を幽閉し続けている。・・・≫

  実際に、そこに立ってみると、金ピカとか「時代物」とはまったく思いませんが、「魔法をかけられた」空間が、そこにはありました。どの絵も、語りかけて来るのです。
 明るい日差しの中で、他の鑑賞者も居る中でも感じることのできる不思議な空気。同じモローの作品を鑑賞するにしても、ルーブルで見る「出現」や、東京ブリヂストン美術館で見る「化粧」とは異なる、モロー空間のモロー作品群。アトリエ全体を鑑賞できるのです。(続く)

*『魔術的芸術』アンドレ・ブルトン・巌谷國士監修・河出書房新社

☆写真上は、ギュスターブ・モロー美術館の元アトリエだったギャラリー。
写真下は、住居部分。鏡にも額絵が写っているように、部屋の壁も、絵画で埋められていました。ただし、これらの絵はモローではありません。(と、思います。)
 
324モロー部屋j
325モロー部屋j
                     

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龍と闘う聖ゲオルギウス

        322ゲオルギウスj
(2012倫敦巴里31)
(承前)
 さて、「龍と闘う聖ゲオルギウス」です。
 先のウッチェルロだけではありません。(写真上左:ウッチェルロ「龍と闘う聖ゲオルギウス」ロンドンナショナルギャラリー。上右;ウッチェルロ「龍と闘う聖ゲオルギウス」パリ ジャックマール=アンドレ美術館)

 先日、東京で見た「ベルリン国立美術館展」にも、リーメンシュナイダーの木彫り「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」がありました。この龍は、ウッチェルロより、さらに竜とかけ離れた、なんだか滑稽な生き物(よく絵に描かれている悪魔の感じ)に見えました。それに、何より印象的だったのは、馬上の聖ゲオルギウスの整ったお顔でした。うつろなお顔つきで、龍退治というより、心ここにあらず、といった風情が、勇ましいテーマとギャップがあって、不思議な感じでした。(写真下左:リーメンシュナイダーの木彫り黒檀 ベルリン美術館)

 うつろなお顔つきといえば、先日のバーン=ジョーンズの絵の多くもそうです。それで、「龍と闘う聖ゲオルギウス」は、「バーン=ジョーンズ展」にも展示されていました。大きな絵でしたが、この龍は、龍とはいえず、とかげといった感じです。お姫様が、そばで手を組み、無事を祈っている姿は、ウッチェルロのお姫様より、迫真性がありますが・・・(写真下右:「龍と闘う聖ゲオルギウス」バーン=ジョーンズ ニューサウスウェールズ美術館)

 それに、日本に帰って調べると、ギュスターブ・モローの描いた「龍と闘う聖ゲオルギウス」も、ロンドン ナショナル・ギャラリーにあると出てきました。え? ナショナル・ギャラリーのどこ?見たかなぁ。少なくとも今回は見逃した・・・と思っていたら、HPに倉庫に保管とありました。現代の劇画のように華麗で大胆な構図です。いつか、実物を拝めますように。(続く)

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ウッチェルロの「龍と闘う聖ゲオルギウス」

321JMAj.jpg
(2012倫敦巴里30)
(承前)
  ロンドン ナショナル・ギャラリーには、ウチェルロの「龍と闘う聖ゲオルギウス」という作品があって、ゲオルギウス伝説の勇猛果敢なテーマに比べ、少々、ゆるい・・・・いえ、牧歌的な感じがします。白馬にまたがるゲオルギウスは躍動感があるのに、龍というのが、凶暴というよりグロテスクな感じです。また、横のお姫様が、おっとりと立っている姿が、絵全体をまろやかな雰囲気にしています。(絵画にまろやかって使うのか?)

 ゲオルギウスは、村を荒らす悪い龍から、姫を助け、龍の首に縄をつけ、村に連れ戻り、「キリスト教に改宗するなら、とどめを刺す」ということで、刺したところの絵が、ナショナル・ギャラリーの絵だと思います。姫は、すでに龍の首の縄を持っていますからね。

 ところが、ジャックマール=アンドレ美術館に、もう一枚「龍と闘う聖ゲオルギウス」が在るじゃないですか!それは、もっと微笑ましいのです。何故なら、左に立つ姫が「まあ、素敵!竜をやっつけてくれたのね」と、手を叩いているのです。パチパチパチ。こっちの絵が先で、ナショナル・ギャラリーのは後でしょうか?ウッチェルロの作品は、龍退治という血なまぐさい感じも、その迫真性もあまり感じません。
(「龍と闘う聖ゲオルギウス」の各画家の画集などの写真は、明日掲載します。)

 そんなウッチェルロのことをヴァザーリはこう言うのです。 
≪パオロ・ウッチェルロは、遠近画法のことでいろいろと苦心して時間を費やした人だが、それと同じくらいの精力を人物の姿形や動物の画に費やしたならば、ジョット以来今日にいたるまでイタリアで生まれたもっとも軽妙かつ奇想に富める天才と認められたことであったろう。彼のした遠近画法の仕事は、なるほど工夫に富み美しいものではあるが、しかしそうした仕事にあまりに熱中し過ぎる人は、次々と時間を空費することになり、自然の性を労して痛め、折角の天分をひたすら難問解決に当てることとなってしまう。・・・・≫
(「ルネッサンス画人伝」ジョルジョ・ヴァザーリ著/平川 祐弘、小谷 年司 田中英道 訳 白水社)  (続く)

☆写真上は、昨日の写真の階段を上がったところのフレスコ画。フレスコ画右端にフェイクの投げ出された足が書かれていて面白いでしょう。わざわざ大理石を削って漆喰にし、描いています。
写真下は、フレスコ画の左右にある大きな鏡の前に座って、赤いデジカメで、向かいの鏡に映った自分たちを撮っている母娘。
                         
                           320鏡前j

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ジャックマール=アンドレ美術館のウッチェルロ

319JMAj.jpg
(2012倫敦巴里29)
(承前) 
 ジャックマールさん、アンドレさんご夫婦の絵画の収集は、個人としては、かなりのものです。例えば、ナティエもフラゴナールもカナレットもレンブラントもボッティチェリもウッチェルロもあるのです。

 ウッチェルロ・・・
堀内誠一は、「ぼくの絵本美術館」の『ウッチェルロとモンヴェルの雅び』の中で≪・・・私はルネッサンスの画家の中でも特別にウッチェルロが好きなのです。≫と言います。私も!とはいうものの、私がウッチェルロを知ったのは、堀内誠一のこの文を読んでからです。

 ウッチェルロは、「サンロマーノの戦い」3部作を描きました。その内の2部をロンドンナショナルギャラリーとルーブルで見ました。(もう一部は、イタリア フィレンチェ ウフッツィ美術館にあります)堀内氏が指摘するように、このウッチェルロを見ていると、絵本『ジャンヌ・ダルク』(ブ―テ・ド・モンヴェル)を思い出さずには居られません。
 氏はいうのです。
≪・・・(モンヴェル)が、印象派以前の“物語る絵画”の真髄をいかに学んだかと賛嘆させられます。その客観的態度、精緻で明確な平面画法において、モンヴェルがルーブルのウッチェルロを頭の中に収めていたのは確実なことと思えます。≫
 そうなのです。私にとっては「物語る絵」!きれいに人物や風景が描かれているだけではなく、そこに物語が読みとれると、美術鑑賞もさらに楽しくなります。

 あれ?ジャックマール=アンドレ美術館のウッチェルロはどうなった?続きます。

*「ぼくの絵本美術館」(堀内誠一著 マガジンハウス)
*「ジャンヌ・ダルク」(ブ―テ・ド・モンヴェル 矢川澄子訳 ほるぷ)
☆写真は、パリ ジャックマール=アンドレ美術館 ウィンタールームと言われる天窓から陽光サンサンの温室風の部屋。ご自慢の大理石の美しい階段。階段を上がり、吹き抜けをを進むと、ミュージックルームの上に繋がります。楽師たちが、その回廊で音楽を奏でたのでした。
          
                          

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ジャックマール=アンドレ美術館 カフェ

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(2012倫敦巴里28)
  パリのミュージアムカフェには、ジャクマール=アンドレ美術館で、行きました。今や、このお屋敷美術館、街中、車の多い大通りに面してありますが、このお屋敷が立った頃は、周りも広々としていたんだろうなと思います。ほんの少しゆるい坂を上って行ったところなので、もしかしたら、かつては、セーヌ辺りも見渡せたのかもしれません。

 ここは、個人美術館で、美術収集が共通の趣味だった、ご夫婦の趣味の良さが伺えます。お金持ちで独身銀行家の肖像画を描いたのが、後に奥さんになる女性。すごーい玉の輿。美術の趣味もぴったり。しかも、ご主人より奥さんが積極的に美術品を探し始め、ご主人が亡くなった後も、収集を続けたそうな。

 私には、宮殿のような大きなお屋敷に見えますが、そこは、まあ、元住居なので、いわゆるお城や宮殿より親しみやすい。奥さんの書斎とか、喫煙室とか、寝室、温室や今はカフェになっているダイニング等のお部屋は、押しつけがましくなくて、その家のお客様に招かれた気分で、壁にかかる絵や、置かれている彫刻、収集したアンティークを、ふんふんと眺めることができます。もちろん、大きなお部屋はギャラリーとしてたくさん展示されています。

 素敵な元ダイニングのカフェにお茶に行きました。実はダイニングの中の内装も優雅な感じで、ゆっくり鑑賞したかったのですが、室内では、テレビ局が、誰かと誰かを招いて、何か話している番組を撮っていたので、魅力的な室内でお茶をあきらめて、テラスにしました。
 写真を見てお分かりかと思います。このお屋敷の敷地の壁の向こうは、新しい建物(多分、住居)が迫っています。国の美術館でないので、周りの環境まで言っていられないのですね。
 え?ケーキですか?そりゃ、もちろんおいしかった!(続く)

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フレスコ画

315フレスコ画j
(2012倫敦巴里27)
(承前)
 フォンテーヌブロー宮殿には、フランソワ一世がイタリアから職人を呼び、イタリアを模した装飾ギャラリーが複数あります。壁面等にはイタリアでは多いフレスコ画(漆喰が生乾きのとき≪新鮮;フレスコ≫、顔料をつけていく方法)が描かれています。が、イタリアより乾燥している、フォンテーヌブローの地では、漆喰が乾くのが早く、描くのがより難しかったとされます。

 しかも今や、ずいぶんと色あせたのが多いです。そういえば、乾燥している英国で、フレスコ画あったかなぁ。
その点、スペインは、フレスコ画がありますね。ほら、最近、話題の、スペインの小さな教会のキリスト像の修復。

☆写真は、フレスコ画のギャラリー。下写真右等、ずいぶん白っぽくなっていました。お日さまもガンガン入ってきて、とても明るいし、劣化は進む一方かと思います。
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フォンテーヌブロー宮殿

            309フォンテーヌブローj
(2012倫敦巴里26)
 フランス絶対王政の象徴である、ヴェルサイユ宮殿(1682年ルイ14世建造)に比べ、フォンテーヌブロー宮殿(ほとんどの建造は、フランソワ一世の頃1492~1547)は、素朴な造りの外見です。どちらも世界遺産ですが、パリから交通の便のいいヴェルサイユ宮殿と違って、フォンテーヌブロー宮殿は、パリと離れているからか、人出が少なくてゆっくり見学できます。どちらの宮殿も、背後に広大な庭園を持つとは言え、宮殿のすぐ正面は、雑多な街になっていて、びっくりします。フォンテーヌブローの森という言葉から、勝手に森の奥深くたたずむシャトーを想像して行ったら、大違い。

 フォンテーヌブロー宮殿を歩くと、イタリアルネッサンス文化隆盛の頃、フランスの王さまがそれに憧れ、それを自国に取り入れようとしたのが、よくわかります。かのレオナルド・ダ・ビンチも招き入れたというから、熱心そのものです。(その縁続きで、今やパリルーブルには、モナリザがおわしますそうな。)
 
 また、イタリアで有名な建築家を呼んで、アドヴァイスを求め、イタリア人たちにこの宮殿を設計・建築、そして装飾させたようですから、フランスルネッサンスの中心でもあったと言えるのでしょう。実際、フランスで一番大きい宮殿がこのフォンテーヌブローのようです。(ヴェルサイユもいい加減大きかったけどなぁ)
 
 その後、歴代の王たちが住まうものの、ルイ14世が、ヴェルサイユに居を移してからは、マリー・アントワネットもやってくる別荘となり、フランス革命後は荒廃するも、ナポレオンがリフォームして少し住み・・・・・・・・・結局、今は、宮殿と、4つに分かれた美術館として、運営されています。
 
 帰国してHP見たら、まだまだ見ていないところがあった・・・・ふーむ。(続く)310天井j313天井j
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     ☆写真は、フォンテーヌブロー宮殿正面左と、天井の装飾の数々。

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The V&A  Cafe

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(2012倫敦巴里25)
(承前)
 V&Aのカフェは、世界で一番初めの美術館食堂のようです。だからか・・・美術鑑賞帰りというより、仕事帰りやご近所という感じで、みんな生活の一部みたいな顔で飲食しているのは…

 夜遅くまで開場している金曜は、正面入り口入ったところで(写真は、その天井)、ワインを片手に、みなさん歓談されているし、奥のセルフサービスのカフェもにぎわっています。ちょっと一杯、ちょっと一口。ぐっとたくさん。等、みなさんくつろいで、飲食しています。毎週の集合場所に決めているグループもいるようです。下の写真は、そのカフェの一つのThe Gamble Roomの天井。他に、モリスの壁紙で装飾され、バーン=ジョーンズの壁絵のThe Morris Green Room、ビクトリアンなタイルで囲まれたThe Poynter Room など、その部屋を手掛けた人の名を冠したカフェがあって、文化財と身近にお茶することができます。

 日本にも美術館カフェは多く、どこもお洒落です。ただ、日本の美術館は、近代的な建物が多いので、このV&Aのような感じはありません。が、しかし、ロンドンナショナルギャラリーもテートモダーンも、パリルーブルもオルセーも改装部分がカフェやレストランなので、やっぱり、このV&Aのカフェは、珍しいかも。と、言っても、ウィーン世紀末美術館も素敵だったしなぁ。うーん、もしかしたら、美術館カフェの続きも書けるかも?
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京薩摩

       306京薩摩j
 日本の小さな美術館にも好きなところがあります。
京都、清水三年坂美術館は、とても小さな美術館で、常設は幕末・明治の名宝―金工・七宝・蒔絵・彫刻となっています。現在の特別展は「京薩摩」。(~2012年11月18日まで)
 すごーい。こまかーい。丁寧!
拡大鏡が、作品の上にあるので、かろうじて、その細かさの技巧がわかります。
拡大鏡でも、かなり丁寧に見ないと、まだ見落とすくらい細かい超絶技巧もあります。
「蝶図・・・鉢」と書いてあるのに、鉢の外には人物図。内側は、細かいドット。おかしいなぁ、どこに蝶?と目を凝らして拡大鏡をよくよく見て見ると、ドットと思っていた点が「ちょうちょ!」老眼鏡と拡大鏡の焦点を合わせて、もう一度、他のも見なおしましたよ。

 本薩摩と言われる薩摩焼が、パリ万博(1867年)で好評を博し、西洋のアールヌーボーの作品にあやかって、ウィーン万博(1873年)に、金彩色絵の薩摩として再出品したらしいのですが、そもそもKATAGAMI展のときも、もとはといえば、アールヌーボーのイメージの源泉は、日本。逆輸入の世界ですね。写真広報誌右の花瓶。
また、実際に使われていたらしく、茶しぶのついた、ティーセットもありました。

 セーブル焼きを模したと言われるあのコバルトブルーのものも、セーブルを凌駕してありました。こまかーい。
 ああ、それにしても、こんなに手の込んだ焼き物が、外貨獲得のために、輸出用として作られ、今とは違う貨幣価値でどんどん輸出されていたのですね。痩せっぽちの職人さんたちが、心血を注いで作った、無名の作品たちが、今もどこかの貴族やお金持ちたちの家で、愛でられていたら、職人さんたちも本望ですが、どうでしょう。

 この京薩摩は、大量生産品の出回る前、数十年の間に時代は工芸から工業に移り、意匠のマンネリ化もあって、衰退していったと説明にありました。確かに、こんなに手の込んだものを誰でも、手にとって愛でるわけにはいかないし、余りにも絢爛豪華なので、好みもあると思います。が、しかし、明治や、それ以前の職人さんたちの技とセンスは、半端じゃありません。
 前回展示の並河靖之という七宝作家のときも、その超絶技巧に絶句しましたが、今回も本当に絶句。明治の職人さんたちの凄さを、また目にしました。 

 狭い土地でコンパクトに、すっきり生きて来た日本。大きな土地で装飾過剰気味に「力」を誇示してきた西洋のお金持ちたち。まだまだ、倫敦巴里報告は続きます。
 
***実は、この展覧会に行ったのは、倫敦巴里に行く2日前。文を書いたのは、次の日でした。このまま倫敦巴里報告が続いたら、各々の会期も終わってしまいそうなので、途中でいれました。

***なお、並河靖之秋季特別展は、京都地下鉄東山駅近くの「並河靖之七宝記念館」で、こじんまりとやっています。春と秋の二回だけ、作品とお庭を公開しています。(~2012年12月9日まで)

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V&A 横顔

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(2012倫敦巴里24)
(承前)
  V&A(ヴィクトリア&アルバート美術館)の建物の側面です。こんなところまで、装飾している!
日本の細かさとは、違う細かさ。日本の細かさは、繊細であり、小さな美しさに通じています。西洋のそれは、全体で大きなものにつながり、それが権力の誇示につながっていくのだと思います。

 それにしても、建物の外も、中も、かなりの装飾。
先日来、天井装飾の写真も載せていますが、日本の天井画と違い、西洋のお城・宮殿は、装飾過剰気味で絢爛豪華。眼がくらむ(眼をくらませる?)。どこまでも細かく装飾し続けています。

 とはいえ、これらを装飾過剰と思うのは、日本人の感性で、西洋人が、日本のお城の白い壁を見て「もっと、金で飾ったら、ええのに・・・」、ふすま絵を見て、「これまだ、未完成?もっと、描けるスペース残ってるやん」と、思うのでしょうか?(続く。ただし、次回は2012倫敦巴里報告を離れて京都へ) 
                    
              

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神戸のバーン=ジョーンズ

301いばらひめj
(承前)
  先日、パリの印象派集団が、こんなに描いていたのかと、その作品の多さに驚いたように、ラファエル前派集団たちも、同じテーマながらいろんなバージョンで何枚も描いたようです。
 例えば、今回、神戸に来ている「いばらひめ」(アイルランド ダブリン ヒューレイン美術館)の絵は、英国コッツウォルズ、バスコート・パークのお屋敷の壁にも連なってあります 

 さて、神戸の会場に展示された大きな「いばら姫」の絵は、画面全体に散るバラまで、時を止め、散るのを留めています。バラまで眠っているのです。この時代の英国(後期ヴィクトリア朝)絵画では、「眠り」をテーマにすることが流行で、バーン=ジョーンズは、そんな風潮の中、お伽話から着想を得、この「いばら姫」の連作を描いたようです。(写真は、バスコット・パークの絵ハガキ。左上:王子がいばらの城に入ると衛兵たちが眠っています→玉座に眠る王さまと侍従たち→眠っている女性の召使たち→眠っている姫と女官たち。バスコット・パークのお屋敷の一部屋がこの4枚の絵で飾られ、絵と絵の隙間には、いばらのつるが描かれ連なっています。)

 15年くらい前に、アイルランドと英国、一度に行くことがあり、この「いばら姫」を両方見る機会がありました。
 英国バスコット・パークにある「いばら姫」は部屋に設えられたものですから、多分、そのお屋敷からでることはないだろうと思い、友人に無理を言い、けっこう不便な(しかも開館日程が限られている)バスコット・パークに連れて行ってもらいました。門からお屋敷まで遠かったこと。お庭が果てしなく続いていたこと。

 どうしても見たかったのは、この一文が、心に残っていたからでした。
 「バーン=ジョーンズの芸術」(ビル・ウォーターズ マーティン・ハリスン 川端康雄訳 晶文社)の川端氏による後書き
≪・・・バスコット・パークの絵についていえば、私自身は以前に図番で見たときには眠り姫の眠る表情に死の影を感じていたのだが、実際に見てそれが誤解だったと気付いた。寝顔の色遣いとテクスチャーは、それがきわめて生気に満ちた眠り―もっと矛盾した言い方をすると、活動的(アクティブな)眠り―であることを示唆している。目覚めの直前を描いたものであるのだが、そこに充満しているのは、先取りされた目覚めの気配、現世での新しい生への喜びへの期待であると感じられた。その印象は、単にそれに付されたモリスの詩句のせいというわけではなかったと思う。このように眠りのテーマを表現した画家に驚嘆の念を覚えた。本書の翻訳は、そのときの驚きにつき動かされて進めたものである。・・・・≫

 と、いうわけで、下の二枚の姫の寝顔の違いわかりますか?右が、神戸に来たアイルランドヒューレイン美術館の「いばら姫」。左(少々顔の小さい方)が、バスコット・パークの「いばら姫」。川端氏のいうように、頬が紅潮し始め、今にも目覚めそうでした。
                       
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V&Aのバーン=ジョーンズ

           299VAバーンジョーンズj
(2012倫敦巴里23)
(承前)
 V&Aは、服飾関係が中心の美術館ではなく、服飾関係は、ほんの一部の一部に過ぎません。絵画や彫刻、家具、各国の歴史的芸術・・・きりがありません。

 ところで、フランスの印象派は 英国の画家ターナーにも影響を受けて広がりを見せるのですが、ターナーのおひざ元の英国では、ターナーより後、ラファエル前派集団と言うグループの活動につながっていきます。また、それは、文学と絵画という領域にまたがり、ウィリアム・モリスのアーツ&クラフト運動にもつながっていき、日本のKATAGAMIの影響があり・・・そして、絵本と児童文学、特に、英国のそれらを楽しんでいると、時として、ラファエル前派集団に出会うこともあって、結局、個人的に、一時期、ラファエル前派集団関連の読書や鑑賞に、はまっていたことがあります。

 V&Aにも、彼らの作品はたくさん展示されています。今回、階段のところで、写真に写る(反射していてよく見えませんが)バーン=ジョーンズの大きな絵≪The Chariot of Love≫を見つけました。今頃、神戸では「バーン=ジョーンズ展」やっているなぁと、思い出し、シャッターをきりました。
 で、帰国し、神戸の「バーン=ジョーンズ展」にも、行ってきました。(~2012年10月14日まで)
(続く。ただし、次回は、2012倫敦巴里V&A報告から離れて、神戸へ)300VA横門j

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ヴィクトリア&アルバート美術館

        296VA 中庭j
(2012倫敦巴里22)
 パリの装飾美術館・モード美術館が、期待外れだったのは、多分、ロンドン、ヴィクトリア&アルバート美術館(V&A)のような大きなものを想像していたからかもしれません。
 ルーブルほどではないにしても、ヴィクトリア&アルバート美術館も、品数が多すぎ・・・
いつも泊るホテルが近いので、よく行きますが、多分、全部見たことありません。

 ここにも、時代時代のコスチュームがあり、なかなか面白いです。素晴らしい手刺繍のドレスやジャケットはもちろん、写真のような、ヴィクトリア時代に流行った腰をドームのように膨らませたスカート。虚栄の塊と化し、事故も多く、やがて衰退するのですが、パンチ誌の風刺画に、たくさん風刺されているところをみると、かなり、巷で流行ったのでしょうね。このスカートを形作るのは、クリノリンと呼ばれるペチコートで、鯨のひげや針金で作っていたようです。(続く)

☆写真上は、夕闇せまる、V&Aの中庭。
下左は、最大級にクリノリンで広げたドレス。お人形にも凝ったものを着せています。右の右端、まだ小さいクリノリン(赤)が写っています。

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パリのお針子さん

            293コスチュームj
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(2012倫敦巴里21)
(承前)
 オペラガルニエ内をうろうろすると、実際に使われた手作りコスチュームも沢山並んでいます。これは、きっとあれ、これはもしかしたら、あれかな?と想像が膨らみます。(先に書いたBOX席と言い、このオペラガルニエの建物は妄想する題材には事欠きません。「オペラ座の怪人」も、今もいるにちがいない。♪あはっはははぁ~♪)
 
 それから、主要な役ではない人たちの衣装や帽子は、手に取れるくらいの位置に展示してあります。これらも、一針一針刺繍や飾り付け。若いお針子たちが、製作に励んでいる様子も写真展示で見ることができます。伝統の世界に飛び込んだ若い人たちの生き生きした様子と、斬新なコスチューム。大きなオペラも、一針から始まるというのが、よくわかります。

 後日、ルーブル横の装飾美術館モード美術館に行きました。花の都パリの装飾美術館モード美術館というからには、大きな期待をしていたのですが、一部工事中で、展示がありきたりな感じという結果でしたので、このオペラ ガルニエのコスチューム鑑賞は、予想外の収穫でした。なお、モード美術館の方は、「ルイ・ヴィトンとマーク・ジェイコブズ展」をやっていて、若者で賑わっていました。

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オペラ座 うろうろ

                             291オペラ資料室j

(2012倫敦巴里⑳)
(承前)
 オペラガルニエ(オペラ座)は、美術館や博物館のような役割もしています。
 歴代のプリマやプリンシパルの肖像画やコスチュームのデザイン画、舞台画もたくさん見られます。センダックが絵本「くるみわり人形」*や絵本「三つのオレンジの恋」*の中で、コスチュームデザイン画や、舞台画を描いたのを思い出しました。ロシアの絵本「うるわしのワシリーサ ロシア昔話」等*のイワン・ビリービンも、一時期パリに居たし、舞台美術の画家でもあるので、少しは、オペラ座にも関係したんだろうか?(続く)

*「くるみわり人形」(E.T.A.ホフマン作 センダック絵 渡辺茂男訳 ほるぷ)
*“The Love for Three Oranges ”(Corsaro Sendak  The Bodley Head )
*「うるわしのワシリーサ ロシア昔話」(ビリービン絵 たなかやすこ訳 ほるぷ)
*「カエルの王女 ロシア民話」(ビリービン絵 佐藤靖彦訳 新読書社)
*「金鶏物語」(プーシキン作 ビリービン絵 山口洋子訳 MBC21)
*「サルタン王の物語」(プーシキン作 ビリービン絵 山口洋子訳 MBC21)
☆写真上は、オペラガルニエ内の、美術資料室。写真を撮る背後には、絵画がずらっと。
写真下は、オペラガルニエの大通りに面したバルコニーから、パリの街を撮って、モノクロに加工しました。
292オペラガルニエモノトーンj

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シャガールの天井画

       289オペラ天井j
(2012倫敦巴里⑲)
(承前) 
 劇場の天井を見上げると、シャガール。独特の絵を描く人は、どこにあってもわかりますね。
 シャガールは、逆さになったり、浮遊したり、色も優しい感じがする作品が多く、「愛」をテーマに作品をたくさん残しています。
 印象派のモネ(1840~1926)からシャガール(1887~1985)に至る、ほんの50年ほどの間に、20世紀の絵画が登場していくのだなと思います。20世紀の絵画についても、よく知りませんが、それ以前より自由で、画家個人の美意識の主張が感じられます。時々、よくわからない抽象画、あるいは、オブジェがあったとしても、そこに作者の発見した「美」が感じられるか、で、私は鑑賞しています。

 1865年にできたオペラガルニエに、1964年 シャガール(ロシア出身でユダヤ系フランス人)が描いた天井画。
 
 その起源は12世紀だと言われるルーブル宮に1989年 イオ・ミン・ペイ(中国出身で中国系アメリカ人建設)のガラスのピラミッド。
 
 それぞれ、時の文化相で作家のアンドレ・マルロー、時の大統領ミッテランの肝いりで、製作が決まったといいます。
 20世紀以降の自由な発想の芸術家と芸術に造詣の深い政治家。
 日本では、なかなか考えられにくい組み合わせです。(続く)
                                    
                            290シャガールj

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オペラ座(オペラ ガルニエ)

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(2012倫敦巴里⑱)
 大通り(オペラ通り)の突き当たりにある、このパリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)。
 この日は、全館見学可能の日でした。オペラ好きの方には怒られそうですが、予想以上に、この見学は「見る」ものが多かったです。(聴くことでなく残念)

 まず、圧倒的な大階段。着飾った人たちの高揚とざわめきを包み込んで余りある造りです。写真中は、大階段天井。
                       286オペラ階段天井j
  
 もちろん、劇場は大きく、5階建て。席が離れていても目が合う・・・という文学シーンや、映画のシーンを思い浮かべながら、バルコニーからのぞいてみます。
個別のボックス席には、入れませんが、外から覗くと、おお、控えの間の暗いスペース。劇場のバルコニーとカーテンで仕切られている。うーん、ここに刺客が隠れているか・・・それとも、伝言を持つ者が、幕間を待つか・・・はたまた、恋に舞い上がる青年が飛び込んでくるか・・・・(続く)
287モザイク廊下j288控えの間j
☆写真左、ローマンモザイクの綺麗な廊下前のドア丸窓、のぞき込んだら、妖しい光を放つ控えの間、カーテンの向こうはボックス席。その向こうは反対側のボックス席。

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田舎のホテル

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(2012倫敦巴⑰) 
(承前)
 バルビゾン村は、高速道路や鉄道から離れ、静かな田舎でした。ちょっと集落を出るとフォンテーヌブローの森か、落ち穂拾いの麦畑です。半日バスツアーの、ほんの寄り道程度で行ったバルビゾン村のメインストリートの風情は、イギリスの田舎と少々異なり、ちょっと取りすました感じが、それはそれで、ミステリアスな感じともいえ、魅力的です。

 そのバビルゾン村に、かつて、日本から若き日のやんごとなき方が、フランスの田舎を所望され、宿泊されたと言う小さなホテルがあります。食事もおいしく、世界の著名人たちも宿泊するようです。(HPには、五つ星)看板には、HOTELLERIE DU BAS-BREAU Stevenson’s house(オテルリー・デュ・バ・ブレオ スチーブンソンズハウス)と書かれています。壁にも「スチーブンスンはここで、forest notesを書いた」とあります。(forest notesのことは不明)そして今、ホテルのHPには、スチーブンスンはここで逗留し「宝島」を執筆したことが、書かれています。
 身体の弱かったスチーブンソンは、晩年、南洋で健康に暮らしますが、それまでは、療養に各地を転々としました。このフランスの温暖な気候のもと、おいしいものを食べながら、ゆったり創作ができたのでしょう。こんな内陸で、しかも、森の近く、波の音なんかまったく聞こえないこの場所で、あのわくわくする「宝島」を書いたのかと思うと、よけい、泊まってみたくなりました。

*「宝島
(亀山龍樹・訳 講談社フォア文庫)(N.C.ワイエス画 学研)

☆写真は、バルビゾン村のHOTELLERIE DU BAS-BREAU。 森に近く、狩猟の宿舎でもあったのでしょう。立派な鹿のはく製や角(つの)が、左手、入り口のところに飾ってあります。入口にこんなにたくさんの鹿さんがお出迎えとは・・・グリムの「ガチョウ番の娘」を思い出しました。あの話は、ファラダと言う名の馬ですが・・・

                                    284ホテル壁j

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ミレーのアトリエ

281ミレーアトリエj
 (2012倫敦巴里⑯)
 確かにパリもロンドンも魅力的な街です。「ロンドンに飽きた人は人生に飽きた人」と、サミュエル・ジョンソンが言ったように。
 イギリスに行くときは、何らかの形でロンドン以外を組み入れるのですが、言葉のわからないフランスは、とりあえず、半日バスツアーに参加して、ほんのちょっとパリ以外にも行ってみました。結果、フランスもやっぱり、田舎でしょう。
 そこは、フォンテーヌブローの森にほど近いバルビゾン村。ああ、出来れば、宿泊して朝の散歩をしてみたかった。時が止まったかのような作りの家々の並ぶメインストリートを半分しか歩いていないのですが、探訪したいところがいっぱいあるのです。

 バビルゾン村に住みついた画家たちは、ミレー、コロー、テオドール・ルソーなどです。ミレーのアトリエは、見逃しそうになるような素朴な看板と作りで博物館としてありました。ミレーが、家族とずっと住んだアトリエであり住居です。ここで描かれたのは、岩波書店のロゴになっている「種まく人」(ボストン美術館・山梨県立美術館)、「落ち穂拾い」「晩鐘」など、日本人もよく知っている絵画です。今はこのアトリエに、それらの絵はなく、「落ち穂拾い」「晩鐘」は、オルセーにあって、このアトリエには、ミレーの資料やミレー以外の人が描いたミレーの肖像画などが展示してあります。

 確かに、パリのオルセーに展示していれば、世界中の人が見やすいわけですが、前も書いたように、オルセーには見るべき絵が多すぎて、「落ち穂拾い」「晩鐘」「羊飼いの少女」までも、大勢の一部。これらの作品が、日本に来たら、人の頭しか見えないくらい混雑するでしょう。
 あの静謐な絵は、村の小さなアトリエにあった方が似合うと思います。(続く)         
                        282ミレー暖炉j

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