FC2ブログ
 

みんなみすべくきたすべく

よくぞ、言ってくれました。その1

253マーロー暁j
「いまファンタジーにできること」 
(アーシュラ・K・ル=グィン 谷垣暁美訳・河出書房新社)

  ときどき、よくぞ、言ってくれました、という文に出会うことがあります。特に、もう評価がさだまり、その筋の権威となっているような作家や作品に、ちょっと待ってというような意見を発する文に出会ったときは、嬉しくて、そうそう、と、うなずくのです。

   例えば、「いまファンタジーにできること」の「ピーター・ラビット再読」の章にある文です。
「大切なのは、自分の感情について嘘をつかないという厳しい基準だ。この点で、オスカー・ワイルドのお伽話は落第だ。ハンス・アンデルセンもときおり落第する。それらの作品は、子どものため、というふりをしているに過ぎない。大人の自己憐憫に感傷的なむごたらしさの偽装をさせるのは、残念ながら、効果的な作戦だ。子どもの頃、わたしはアンデルセンの話に夢中になると同時に、とても怖かった。だから、すでに暗い気持ちになっている時にしか読まなかった。けれども、『たのしい川べ』のパンの神の章は半分しかわからない頃から大好きだった。『たのしい川べ』にある感情の高揚がほんものだったからだ。・・・」
よくぞ、言ってくれました。パチパチパチ

 それで、そのあと、こう続きます。
「・・・(中略)子どもたちは自分たちの頭の上で話されるのを意に介さない。そういうことには慣れているし、そういう話の内容を推し量ることにも慣れている。見下して下を向いて話をされるのに比べたら、ずっといい。」
 
  子どもだから、これくらいでいい。子どもだから甘い方がいい。子どもだから・・・・
そんな基準で、子どもに接する以上、子どもの心は、離れるでしょう。
女だから、年寄りだから、男だから、若いから・・・周りに、いろんな基準があったとしても、見下して、下を向いて話されるのは、誰しも、御免です。【その2に続く】

*「たのしい川べ」(ケネス・グレーアム作 石井桃子訳 アーネスト・シェパード絵 岩波書店)
☆写真は、英国マーロー テムズ河堰

PageTop