(2012倫敦巴里⑫)
(承前)
数年前、コートールドの特別展で、初めて、その画家の大きな作品を見たとき、ぐいぐい迫ってくる力を感じました。が、そのロンドンの街の風景画が現代のものなのかどうか、すぐにわかりませんでした。ロンドンの街のランドマークは100年前と変わっていないものが多いので、黒と白で描かれたそれらが、まだ、霧やスモッグで、薄汚れている頃のロンドンのようにも見えたのです。エネルギッシュな抽象画でしたが、墨絵を見慣れている我々には、現代西洋絵画の斬新さとは映りませんでした。
同じ日、続いて行ったナショナルギャラリー(歩いて10分ほどです)にも、その人の絵が、並べて、展示されていました。すぐにその人の作品だとわかり、「ああ、この人の絵はいいねぇ。」と、娘と話したのを覚えています。現代の画家でした。
そして、当然、次にロンドンに行ったときも出会えると思っていた、その画家の作品でしたが、どちらの美術館にも見当たりませんでした。うーん、うろ覚えの名前は、ジョン・○△○△。
ジョン・○△○△で検索すると、英国の有名な美術評論家が出てきます。この人は、美術に関連はしていますが描きません。思い違い?名前は忘れているのに、その絵は強烈に、まぶたに残っているのです。絵で検索できたら、すぐわかるのに・・・
ということで、今回のロンドンでも、コートールドとナショナルギャラリーの過去のカタログを娘と二人で立ち見したり、何百種類もある絵葉書を探してみたり・・・ああ、わからへん。
けれども、帰国して、改めて、コートールド美術館の過去のエキジビションを検索していたら、小さく絵の付いたページがヒット!画家の名前が判明。John Virtue。(1947年~)
実は、今まで、ジョン・バージャーと思い込んでいたのです。スペルにすると、まったくちがう。John BergerとJohn Virtue。英語圏の人じゃ間違わないミスです。お恥ずかしい・・・
そのJohn Virtue 不明事件以来、娘は美術館に筆記用具を持参するようになり、ちょっとは、賢くなりました。
名前さえわかれば、世界が広がります。You Tubeで彼が絵を描くところが見られるし、画集は出ているし・・・旅のおまけが続いていてうれしいです。
☆写真は、ロンドン コートールド美術館の階段。
(2012倫敦巴里⑪) 
(承前)
ロンドン コートールド美術館のお気に入りは、ゴッホの風景画「花咲く桃の木」です。日本に憧れた彼は、満開の桃の花の植わっている畑のはるか向こうに、小さく富士山を描いています。同じコートールドにある、「耳を切った自画像」と全く違う、穏やかさの溢れる作品です。
「耳を切った自画像」の背景には、浮世絵の佐藤虎清『芸者』がアレンジされて描かれていますが、ここでも、どうしても富士山が描きたかったゴッホです。また、パリ ロダン美術館のゴッホ「タンギー爺さん」の背景は、浮世絵など日本風のもので覆い尽くされています。そして、タンギー爺さんの頭の上には富士山。ゴッホが、日本に傾倒し、富士山には特別な思いをもっていたのがわかります。
今回の倫敦巴里美術館三昧では、オルセーで、ゴッホが耳を切った後の自画像(右耳が見えないように描いている絵)を見て、コートールドで上記「耳を切った自画像」を見ました。また、セザンヌの「カード遊びをする人々」「サント・ヴィクトワール山」もそれぞれのバージョンを、オルセー、コートールドで見ることが出来、贅沢な鑑賞ができたことを喜んでいます。カードもヴィクトワールも自画像も、他の美術館にもあって、いつか、それらも比べてみたい等と欲張ったことを考えてはいけません。素人はこれで充分です。はい。(続く)
☆写真は、パリ ロダン美術館のゴッホ「タンギー爺さん」。背景右側に映る格子は背後の窓ガラスが反射して写っています。他にも、フラッシュをたかずに撮った絵画の写真があるにはあるのですが、恐れ多くて、遠慮の気持ちが働いて、ぶれていたり、ゆがんでいたり、作品の大きな力に負けています。特に、小さなルーブルのあの絵・・・。
パリの美術館は、カメラに厳しいところと、フラッシュはだめなところと、何も言わないところとありました。今のデジカメは、フラッシュなしで、暗いところも撮れるので、皆さんよく撮っていました。たまに、フラッシュが光った人は、こっぴどく叱られていましたけれど。
ほとんどの美術館が自然光を取り入れていて、鑑賞しやすいのは、いいのですが、作品に果たしていいのかと、時にパリパリに乾いた油絵を見て思うのです。カメラ以前の問題のような気がします。
(2012 倫敦巴里⑩)
小さな美術館ファンになったのは、ロンドンのコートールド美術館に行ってからだと思います。今回は、残念ながら、特別展もなく、もうすぐ始まる次の特別展のためか、いつもより作品も少ないように思いました。
この美術館は、テムズ河に面した、サマセットハウスという18世紀の建物の一部で、学校や、コレクションのための博物館などと同じ敷地です。中庭は冬場、スケートリンクになるようですが、夏場は、イベント会場になったり、写真のような水辺になったり・・・今回は、中庭に大きなテント小屋を設え、「ロンドンファッションコレクション」というのをやっていて、お洒落な若者が集まってきていました。
さて、オルセーに嫌というほどある印象派と後期印象派作品が、ここでは、個々人何点かずつで、とても見やすい。セザンヌの「カード遊びをする人々」もオルセーとは別バージョンであるし、マネの「フォリー・ベルジェールのバー」、ゴッホの「耳を切った自画像」、ゴーギャン、モネ、ルノアールなどなど、どこかで見たことがある絵画がここにあるのです。驚いたのは、ドガの小さな塑像の多さでした。生き生きとした踊り子たちの塑像です。(今回は、少なかったなぁ。どこに貸し出し中?)もちろん、ドガの「舞台の上の二人の踊り子」もあります。それに、ルーベンスやカンディンスキー、モジリアニ、スーラ・・・・・・・・ルネッサンスから20世紀にいたる絵画が惜しむことなく展示されています。そして、いつも、ゆっくり、ゆったり鑑賞できます。
そして、ここの特別展は、一部屋だけの小さなものですが、いつも何か発見があります。先日オランジュリーの美術体験のところに書いた「劇場のルノアール展」も、ここでした。ルノアールは、あまり好きな画家ではなかったのですが、BOX席に居る女性たちの表情を見ていると、ルノアールも服着てたらいいな、と思った次第です。(続く)
☆写真は、ロンドン コートールド中庭。2007年6月撮影
冬のスケートリンクは、映画「ラブ・アクチュアリー」で出て来ます。それに、ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンの大人のラブストーリー映画「新しい人生のはじめかた」で、待ちぼうけをくらう待ち合わせ場所は、ここの中庭カフェだと思います。どちらの映画も、ロンドンがよく写るので見ました!
(2012 倫敦巴里⑨)
遅くまで開館している日だったので、夕方からルーブル美術館に行ったら(夕方から行っても)もの凄い人出!アジアンな人が多い・・・建物自体が大きいので、モナリザやミロのビーナスなど以外は、人が群がるということはありませんが、モナリザを真正面から見るには、すごい列で、モナリザ女史は「よしよし、パリにお金を落としているのね、ありがとう」と、微笑んでおられました。ミロのビーナスは、足元がなかなか見えません。ちょっと困った様なお顔に見えたのですが、どうでしょう。以前、ルーブルに行った時、朝早すぎたので、中庭をうろうろしていたら、中庭の窓から、横顔を見ることができました。そのときは、もう少しすっきりされていたような気がします。(同じや!)
さて、我々は、あれとこれと、と定めて行動するものの、以前と場所が変わっていたりして、余計うろうろ。作品が多すぎる・・・(と、文句言っても仕方ないけど)
結果、もっと丁寧に鑑賞したら、それはそれで興味深いはずのものも、通り過ぎて行く・・・「はぁい、一列に並んで、止まらないで!」という程ではないものの、知らない作品は、単にスルーしたり、ちらっとあるなぁと思ったり。もしかして、日本に来たら、大騒ぎでポスターを飾るような作品も、知らずに、通り過ぎて行く・・・・ぞろぞろぞろぞろ・・・・だから、ひょっとして、ケチくさく、もったいぶって、有名どころを一枚だけ見せてくれる日本の「○○美術館展」に並んででも足を運ぶ方が、よーく鑑賞できるのか?
時間をかけて、もっとゆっくり鑑賞すれば、よいのだけれど、パリには、他にもたくさんあるし・・・・
というわけで、センスのいい小さい美術館が好き。
(2012 倫敦巴里⑧)
オルセー、リベンジの次の日は、オランジュリー初体験でした。ここのモネの睡蓮の絵の連作は、壁一面、2部屋続きであります。天井からの穏やかな光と共に、二つの池の周りに立ったような気持ちになります。京都大山崎美術館を含めて他の美術館でも何枚か、モネの睡蓮の絵を見ましたが、ここは、身体ごと、睡蓮の池を感じられる点で、今回の美術体験の中でも、特に印象深いものになりました。美術鑑賞というのでなく、美術体験と言った言葉がぴったりでした。天井からの光がなければ、きっと違ったものになったでしょう。光が入ってこその体験でした。
今まで、美術体験をしたのは、ロンドン テートモダン美術館であった「アンディ・ウォホール展」で、電気椅子の絵が一面に張られた部屋に入り、ぞくっとしたとき。
英国 コッツウォルズ バスコットパークで、バーン=ジョーンズの描いた「いばら姫(ブライヤーローズ)」の連作が壁画のように連なる部屋に入り、順に絵を見ていくと、姫が今にも目を覚ましそうな臨場感を味わったとき。
ロンドン ロイヤルアカデミーオブアーツの「エルミタージュ美術館のマティス展」で、小さいと思い込んでいたマティスの「ダンス」の絵が、とても大きく→260 ×391 cm、思わず、自分も手をのばし大きくなったような気がしたとき。
ロンドン コートールド美術館の「劇場のルノアール展」で、ルノアールが描く劇場桟敷席の何枚かの連なりを見、自分までも、その劇場の高揚したざわめきの中心にいるかのような気分になったとき。
スイス ベルンのパウル・クレー美術館で、会場狭しと展示されている書きなぐったような鉛筆画が、それぞれ、みな語りかけるような気がしたとき。
空間と美術の関係・・・・興味深いです。
☆写真は、パリ郊外 モネの睡蓮の池があるジヴェルニー(撮影:&Co.T2)
(2012 倫敦巴里⑦)
10年余前に、家族5人でパリに行った時、薄着の末っ子のおかげで、オルセー美術館に入れませんでした。というのは、雨が降りしきる肌寒い中、他の4人は、防寒の用意をしていましたが、彼女は反抗期。見かけのオシャレに惑わされ、薄着のまま。長時間雨の中を並び、異国で風邪をひくリスクを避けました。他にも美術館はありますから、行くところには困りませんでしたが、改装中だったオランジュリー美術館とオルセー美術館は、またいつの日かと、いうことになりました。
で、彼女は大学のとき、友人たちとオルセー美術館に行き、「よかったわぁ」
家族から、パリの話が出る度に、オルセーのことは少々気にしていた娘。今度は、重装備で臨みました。やはり雨。が、開館前に行ったので、少し並んだだけで、大人になった彼女とオルセーのリベンジを果たし、堪能しました。彼女の熱心な案内もあって、見どころ満載。しかも、元駅舎だったオルセーは、階段移動も多く、ずいぶん疲れました。そのあと、ロダン美術館、装飾美術館・モード美術館と続くのです。ふぅ。
それにしても、印象派の人やその周りの画家って、たくさん描いたんやねぇ。
この短い旅でも、ロンドンのロイヤルアカデミーアーツで個人蔵の印象派展見たし、ナショナルギャラリーにもあったし、コートールドにもあったし、パリのオランジュリーでも見るし、ルーブルにもあったし、マルモッタンにもあった・・・・
先日、東京ブリヂストンで見たルノアールの「ピアノに向かうイヴォンヌとクリスチィーヌ・ルロール」の一枚くらい、オルセーには痛くも痒くもなさそうでした。もちろん、この絵の定位置には、「この絵は貸し出し中」と張ってありました。
あんまり主義主張のない、穏やかな風景画や人物画中心の印象派絵画が、現代の人に好まれるのはよくわかりました。壁に飾っても、毒がありません。
☆写真は、パリ オルセー美術館の時計。かつて駅舎だったので、そのなごりの大きな時計です。先日のユーロスター、セントパンクラス駅の時計とは、時代の差もあって、ずいぶん違いますね。
(2012倫敦巴里⑥)
(承前)
この本の中で、心に残るのが、シェイクスピア&カンパニー書店の住民の一人、元アル中で詩人のサイモンの話です。自分の詩には自信を持っていたものの、自分が正当に評価されるのは死後のことだと思い込んでいたサイモンでしたが、彼にアイルランドから文学の祭典で詩を披露するようにと、連絡が入るのです。
≪・・・・・「信じられない」サイモンは顔を輝かせた。「詩人の国じゃないか!アイルランドには一度も行ったことがないんだ。とても足を踏み入れる勇気がなかった。われわれイギリス人は辛抱強いアイルランドの人々にさんざんひどいことをしたからね。」≫
上機嫌のあと、これほど晴れがましい席で朗読した経験のないサイモンに大きなプレッシャーが。ああ、アル中に逆戻りか・・・
で、その日、フェスティバルのパンフレットを見て、他の3人の詩人は「みんな本を出している。有名な詩人だ。僕には何もない。」かと、思うと急に自信が湧きおこって「いや、僕には作品がある。」
そして、朗読が始まります。深みのあるイギリス風のアクセントが言葉をもみほぐし、聴衆を引き込んでいき、最後の詩を読むと宣言すると、失望のざわめき。
そして、シェイクスピア&カンパニー書店の前にある桜の木、出掛ける前に咲きかけていた桜の木のことを朗読します。
≪かすかな樹の匂いを漂わせ
長い冬のあいだじゅう ぼくのドアの外で
田舎の娘がふたり 樹皮と褐色の着物をまとい
いまにも踊りだしそうに腕を掲げていた
あと一日で 一週間もしないで
娘たちは絢爛たる芸者になる
白とピンクの桜の花びらの扇をぱっと開く
ぼくがよそ見をしているすきに
まず三月の最後の風が吹く
するとぼくはふりむいて目をみはる
春の雪?
それとも彼女たちが
地面に扇を投げたのか≫
☆写真は、シェイクスピア&カンパニー書店の二階窓に描かれた絵と窓に映った桜の木。昨日の写真に、この窓も桜の木も、写っています。そして、これらの写真を写しているカ・リ・リ・ロのすぐ後ろにもう一本の桜が植わっていました。
蛇足:もし、ルイ・ヴィトンのハンドバッグに興味があるなら、本文最後から15ページあたりをお読みになるといいのではないかと思います。

(2012 倫敦巴里④)
ロンドン・ハイドパークと隣接するケンジントンガーデンズの前には、ロイヤルアルバートホールがあって、毎年夏の間8週間、連夜、世界中のクラシックファン・音楽ファン羨望のコンサートが行われます。プロムスと言って、1895年が始まりです。BBC主催なので、プロムスは、今や、世界中で聞くことができます。会場の立ち見席は1000円以下で、しかも、自由なスタイルで音楽を楽しめるので、毎日長蛇の列で切符を買うようです。また、最後の日は、会場に入りきれなかった人たちも、ハイドパークに特設された大きなスクリーンで、盛り上がることのできるコンサートです。
実は、プロムス最後の日は、まだロンドンに居たのです。ハイドパークやケンジントンガーデンズにほど近いホテルに居ると、花火の音が聞こえ、ああ、終わったんだなぁ・・・行けばよかった・・・いつか、行ってみよう。「国歌」は、さりとて、エルガーの「威風堂々」で大盛り上がり、というのは楽しいだろうなぁ。
で、次の朝早く、ケンジントンガーデンズ辺りを散歩しました。夜中の花火もなんのその、左の写真、ロイヤルアルバートホール正面入り口上部に付けられた「PROMS」のポスターをビリビリ破って除去していました。さっと取るのじゃなく、ビリビリビリ・・・プロムスファンは、身を切られるような気がするでしょうね。
右の写真は、ロイヤルアルバートホール真正面に鎮座するアルバート公(1819~1861)のモニュメントです。黄金に輝くアルバート公は、ビクトリア女王(1819~1901)の旦那様。少し高い位置にあり、半端なく大きなこの像は、彼に捧げられたロイヤルアルバートホール(1871年開場)をいつも見守るかのようです。
*昨日のパラリンピックの旗は、キルギス共和国。
(2012 倫敦巴里②)
ロンドンから11時間半、成田で乗り継いで、土砂降りの伊丹からバスに乗り、やっと地元の駅に降り立ち、歩きなれた道を歩いていたら、おお虫の声!行く前より、大きな声で鳴いている。どう考えても、残暑厳しい日本ながら、着実に夏の終わりを迎えているようです。
さて、少なくとも大事件が起こらなかったロンドンオリンピックの成功は、街の美化にもつながっていました。二十年余前に初めてロンドンに行った時よりも、昨年行った時よりも、さらに、街全体がきれいになり、落ち着いた感じがしました。ゴミも落書きも減っている。その代わりゴミ箱(袋)が公共の場所に復活している。朝早くから道の枯れ葉を掃除している!昔から、こんな熱心だった?・・・このまま、維持してほしいものです。ゴミが落ちていないと、ゴミも落とさない。
多分、今回行ったパリとの比較で、印象深いのでしょう。片や、治安に問題があるのは、素人にもわかります。十年余前に行ったときには、あまり見掛けなかったお巡りさんが、随所に立っている。それに、十年前と同じで、ゴミも多い、落書きも多いし、地下鉄も汚いまま。英語が増えていたけど・・・
確かに、街の外観は綺麗でおしゃれで、名所の多いパリ、おいしいものの多いパリ・・・が、しかし、パリからロンドンに戻って、ほっとしたのは、娘も私も同じ気持ちでした。(ただし、おいしくないのは相変わらず)とはいえ、最近、ロンドンの友人のお嬢さんも、お財布をすられたとか・・・
☆写真は、ロンドンとパリをつなぐ鉄道ユーロースター、セントパンクラス駅。お互いの街の中心をつなぎ便利です。行きも帰りも満席でした。 
(2012 倫敦巴里①)
はい、主婦が、旅に出るというのは、恵まれています。家族に感謝しています。
それにしても、事前の雑用の多いこと。帰ってからの雑用の多いこと。しかも、駐車場に置きっぱなしだった車に、隣の車が当たったようで、バンパーに擦り傷。うぇーん。免許取りたての息子さんには、あの車、大きすぎる・・・
成田からキャンペーンで、500円で送ってもらったスーツケースも開けたし、洗濯もしたし、空っぽの冷蔵庫も充填したし、ぼちぼち書いてみようかな。
秋の気配漂うパリとロンドンから帰国して、家族に「一番良かったのは?」と聞かれました。
うーん、二都、合わせて15の美術館を見回って、パリではおいしいものを食べて、いずれ、書くことも多いものの、一番よかったのは、末っ子に会えたこと・・・・
末っ子が、今度住むのは、学校に近い、落ち着いた住宅地。
大家さんのおばちゃんもいい人そうだし、美術を専攻した娘さんの絵が、壁にかかって部屋が落ち着いていて、清潔な台所に、緑の多いバックヤード。
大きな公園も近くにあるし、宮殿も庭園も近いし、テムズ川も近い。ロンドンまで30分。飛行場までもバスで一本。下宿代を気にしていない相変わらずの娘ながら、安全性を買いなさいと言った以上、仕方ないか・・・
自転車は、ロンドンに住む友人から譲り受け、地下鉄と電車を乗り継いで、運び入れた模様。そう!ロンドンは(ヨーロッパは?)、自転車ごと乗れる車両が完備されていて、最後、改札出て、担ぎ上げないといけない駅があるものの、素人でも、自転車で、遠くまで行けるのです。
おーい、寮生活を満喫し、ちっとも、英語の上達していなかった娘よ。
今日からは、ネィティブと暮らし、ネィティブの授業ですから、ペッラペッラの英語力が身に付くことを期待しているぞ!
☆写真は、英国ロンドンから電車で30分の駅前。テムズ川へのフットパスはこちらと右の表示が示しています。左へ行けば大きな公園へ。
なんのかんの言っても、3月8日から半年間、このブログを書き続けたことよ。
途中から、毎日見る人もいるかもしれないと、毎日書いてみたけれど、読み手は、そんなに暇じゃない。読んでくれた奇特な人に感謝して、今後も、時折、メールを頂けることを励みに、一周年を次の目標にします。
さて、明日から、娘のコートやブーツを届けるという口実で、渡英します。
17日から、やっと、新学期らしく、
語学研修寮を出て、学校まで徒歩・自転車圏の下宿に引っ越しすることに。
最新IT能力もないので、ブログは多分下旬までおやすみです。
帰ったら、二都物語(美術館三昧)の報告ができるはず・・・行ってきます。
☆写真は、英国に居る娘に送ったKATAGAMI展の絵葉書。寮の窓辺に置いて撮影したらしい。
(承前)
「今ファンタジーにできること」の「子どもの本の動物たち」の章にも、よくぞ言ってくれました。があります。
この熱のこもった論考は、「バンビ」について語るとき、より熱を帯びます。
「・・・『バンビ』というタイトルを読んで、眼球の肥大したキュートなスカンクたちが目に浮かぶ人がいたら、ディズニー病にかかっている。ぜひとも、フェリークス・ザルテンが書いた原作を手に取って、読んでいただきたい。・・(中略)・・ディズニー映画の記憶とともにこの本を手にとったら、この厳密なリアリズムに驚くだろう。映画はその輝かしさと魅力にもかかわらず、あらゆるレベルで原作を裏切っている。ザルテンが本物の動物の観察をもとに書いているのに対して、ディズニーはかわいらしさやステレオタイプや決まり文句を利用する。ザルテンが野生動物の生活とはどのようなものであり、その中で人間がどのような役割を果たしているかを示そうとして、簡潔な言葉でくっきりと暴力を描きだすのに対して、ディズニーは劇的効果を高めるために、ほくほくとして恐怖や暴力を用いる。それには、神経や感情に直接的な衝撃を与える以上の意味はない。・・・・」
「これは見事な本だ。観察にも感情にも真実味があり、心をかき乱す、簡潔で繊細な本だ。」
よくぞ、言ってくれました。パチパチパチ
眼球の肥大したキュートなスカンクたち!かわいらしさの利用とな!
ザルテンの「バンビ」は、本物です。子どものために媚びたりしません。本物を知る権利を持つ子どもたちに、ぜひとも出会ってほしい。しかしながら、今、日本の大人たちは、この本を読了できる子どもたちを育てているだろうか。
*「バンビ 森の生活の物語」フェリークス・ザルテン 高橋 健二訳 岩波少年文庫
*「バンビ 森の、ある一生の物語」上田 真而子訳 岩波少年文庫
☆写真は、エゾ鹿(撮影は&Co.A)
「いまファンタジーにできること」
(アーシュラ・K・ル=グィン 谷垣暁美訳・河出書房新社)
ときどき、よくぞ、言ってくれました、という文に出会うことがあります。特に、もう評価がさだまり、その筋の権威となっているような作家や作品に、ちょっと待ってというような意見を発する文に出会ったときは、嬉しくて、そうそう、と、うなずくのです。
例えば、「いまファンタジーにできること」の「ピーター・ラビット再読」の章にある文です。
「大切なのは、自分の感情について嘘をつかないという厳しい基準だ。この点で、オスカー・ワイルドのお伽話は落第だ。ハンス・アンデルセンもときおり落第する。それらの作品は、子どものため、というふりをしているに過ぎない。大人の自己憐憫に感傷的なむごたらしさの偽装をさせるのは、残念ながら、効果的な作戦だ。子どもの頃、わたしはアンデルセンの話に夢中になると同時に、とても怖かった。だから、すでに暗い気持ちになっている時にしか読まなかった。けれども、『たのしい川べ』のパンの神の章は半分しかわからない頃から大好きだった。『たのしい川べ』にある感情の高揚がほんものだったからだ。・・・」
よくぞ、言ってくれました。パチパチパチ
それで、そのあと、こう続きます。
「・・・(中略)子どもたちは自分たちの頭の上で話されるのを意に介さない。そういうことには慣れているし、そういう話の内容を推し量ることにも慣れている。見下して下を向いて話をされるのに比べたら、ずっといい。」
子どもだから、これくらいでいい。子どもだから甘い方がいい。子どもだから・・・・
そんな基準で、子どもに接する以上、子どもの心は、離れるでしょう。
女だから、年寄りだから、男だから、若いから・・・周りに、いろんな基準があったとしても、見下して、下を向いて話されるのは、誰しも、御免です。【その2に続く】
*「たのしい川べ」(ケネス・グレーアム作 石井桃子訳 アーネスト・シェパード絵 岩波書店)
☆写真は、英国マーロー テムズ河堰
朝夕、少し、しのぎやすくなってきた今日この頃。
写真に撮ってみたのは、
遠くの大きな、人工のもの。
近くの小さな、生きているもの。
ズームいっぱい、湾岸道路にかかる斜張橋。
近づいて撮ったキカラスウリ。蟻も写ってる!
彼方、直線、此方、曲線。
どちらも 造形の美。 
アーサー・ランサムシリーズ(岩波)は、すでに読んでいるとして、小学校高学年や中学生の夏の一冊は、新田次郎の「つぶやき岩の秘密」(新潮文庫)もあります。
書店の文庫本コーナーに、新田次郎生誕100年と銘打って、表紙を向けて売りだしていました。ん?どこかで聞いたような題名。少年冒険小説?あとでわかったのは、NHKの少年ドラマシリーズで、かつて放映されていたらしい。しかも、この本は、長い間絶版だったらしい。
少年冒険小説ですから、主人公の成長物語です。
内容は、洞くつ探検、謎解き、金塊、殺人、戦争の影・・・と、
アーサー・ランサムの「嗚呼、夏休み、万歳百万唱!」という感じではありませんが、海、探検、宝物、そして、その謎。
宝物と言えば、スティーブンソンの「宝島」も、登場人物の少年は一人で、他はみんな大人でした。この「つぶやき岩の秘密」も同じです。宝島には、ワルの大人がほとんどで、こちらは、主人公を取り囲む大人は、いい人が多い。それなのに、何故、殺人?
というわけで、少年小説の体をなしてはいますが、後半、一気読みできる、推理小説ですね。
で、どこかで聞いたような題名・・・と考えていたら、ドリトル先生を書いたヒュー・ロフティングの「ささやき貝の秘密」(山下明生訳 岩波少年文庫 1996)を思い出しました。似てる!新田次郎がここからヒント?と思ったら、ロフティングの「ささやき貝の秘密」の原題は「The Twilight of Magic≪魔法の薄明かり≫」(1931)、日本語のネーミングは新田次郎の「つぶやき岩の秘密」(1970)が先でした。ただ、「ささやき貝」も「つぶやき岩」も、それが、物語のキーワードには違いありません。
ちなみに、ロフティングの「ささやき貝の秘密」の挿絵は、ロイス・レンスキー!そう、絵本「スモールさんシリーズ」(福音館)
☆写真は、アメリカ東海岸メインの海(撮影:&Co.T)
日本カタール国交40周年記念 『パール 海の宝石』展 (~2012年10月14日)を、兵庫県立兵庫美術館でやっています。この前、見に行ったフェルメールの「真珠の首飾りの少女」や、もうすぐ神戸にやってくる「真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの少女)も、真珠。嫁入り道具のパールのネックレス・・・宝石の中では、一番身近なようで、その歴史はよく知らない・・
さて、カタールWHERE?・・・そんなこと言っていたらだめでした。サウジアラビアと接し、ペルシャ湾に突き出た大きな半島の国。ドーハが首都。
国自体が半島で、湾が大小あるようです。日本の真珠の養殖も英虞湾ですね。天然でも養殖でも、静かな湾と言う立地は必須なのでしょう。そこで、カタールは、2000年も前から、ペルシャ湾で真珠採取の歴史がある国です。日本、そして、今や中国の養殖真珠に席巻されていて、現代は真珠ではなく、オイルマネーの潤沢な国だということでしょう。
だからか、いろんな国の王侯貴族たちのティアラ等もたくさん集められ出展されていました。かのスペンサー伯爵夫人*のティアラもありました。オイルマネー恐るべし。
他に、誰それの所有だった重そうな真珠や真珠と並んだ宝石のアクセサリーの数々。私が付けられそうな軽くて小さいものはほとんどなく、「あげるわ、これ」と言われても、お断りする重そうなものばかりでした。
ついついきれいなアクセサリーに目が行きがちですが、真珠の出来方や、真珠取りの歴史、美しいものを手中に収めてきた人間の歴史の展覧会でもありました。
それから、展示品を収納しているアンティークな金庫?もそれぞれ違い、その「箱もの」だけでも、ずいぶん値打があるのだろうと、細かいことに感心しました。
それで、一番印象に残ったのは、中国の冠でした。真珠よりも、新郎新婦を守る龍の装飾を、美しい「青」で飾っていたのが目を引きます。よーく見ると、何?塗っているのじゃない。向こうが少し透けて見える!うーん、カワセミの羽根!すごーい。
*多分、ダイアナ妃の祖先で、映画「ある公爵夫人の生涯」(キーラ・ナイトレイがきれいでしたね)の、あのスペンサー伯爵夫人?